戦争と国力疲弊5(倭冦1)

4月4日に書いていた英仏7年戦争の話題に戻ります。
フランスはインドや北米の植民地を失った外にオーストリアへの援軍等で財政疲弊したので、フランス革命に繋がって行きます。
ドイツ30年戦争から始まってドイツ地域を舞台にした戦争の繰り返しで最も疲弊したことになる筈のプロシャやオーストリアが破綻しないで、遠くから応援していただけのイギリス(アメリカ独立革命)やフランスで大革命が起きたのは皮肉です。
古来からの経験から言えることは、遠征は割に合わないということでしょう。
秀吉の朝鮮征伐で戦場になった李氏朝鮮が倒れないで遠くから出張して来た明朝や豊臣政権が倒れたのは偶然ではありません。
アメリカのベトナム戦争など出張(遠征)した方が戦場になった国よりは(ベトナムは倒れませんでした)国力疲弊する率が高いことが分ります。
蒙古襲来時の鎌倉北条政権も内実は九州までの出張戦争だったから倒れたのであって、戦場になって大損害を受けた筈の対馬や九州地元諸豪族はいよいよ盛んになり、南北朝時代や応仁の乱を経て戦国大名に成長して行きます。
蒙古襲来に対する高麗や旧南宋地域への報復攻撃を計画した北条政権がこれを実行出来ずに中止してしまったことで、報復感情の収まらない九州地域の体力の余っている荒くれによるゲリラ的感情から始まった?倭冦とその末裔が蒙古軍の主力であった朝鮮半島と大陸(旧南宋)沿岸を荒し回ることになりました。
時の経過で報復感情とは関係がなくなってもこの繰り返しで手に入れた航海術を活かして山田長政のような元気印の日本人が東南アジアに雄飛して行く基礎となっていきます。
ちょうど西洋の大航海時代が日本でも偶然同時時期に始まっていたことになります。
数百年に及ぶ倭冦の航海と交戦経験が、明治以降短期間に海運業の発達や世界に冠たる海軍国に発展する基礎になって行きます。
日本自衛隊が現在でも中国に比べて海軍力では比較にならないほどの実力を有していると言われるのは、この歴史によります。
蒙古襲来時に元と高麗の連合軍が山が丸裸になるほどの努力で作った軍船が2回も壊滅的打撃を受けるなどのトラウマから、朝鮮半島及び中国大陸では歴代王朝が新造船意欲海軍力による領域拡張意欲をなくします。
以後自分で八幡船を追いかける能力がなく、神出鬼没的に突然襲撃して来る倭冦の劫略に打つ手がなくなり、上陸侵略されるとその都度追い払う程度しか出来ませんでした。
元の次の明朝も日本に善処を求める「お願い」程度しか出来なくなり・・結果的に明朝自体が倒れてしまいました。
蒙古襲来以来、大陸と朝鮮では大敗のトラウマから日本との海戦を避けるようになったことから、(鄭和の大船団はアラブ人によるものと言われています)操船経験が乏しいまま現在に至っています。
清朝末期には「定遠」など世界最新鋭の軍艦を購入して日本を威嚇していましたが、イザ黄海(威海衛)で戦端を開くと日本の精緻な操船技術の前になす術もなく圧倒的な軍艦を用していた北洋艦隊は壊滅的被害を受けてしまいました。
日清戦争は(清朝の方が最新鋭軍艦を擁していたのですから、)海軍操船技術差によって勝敗が決まったのです。
日露戦争での日本海海戦で東郷元帥がバルチック艦隊を壊滅的大敗に追い込んだのも、艦船装備力の差によるのではなく・(装備では日本海軍が対抗できる状態ではありませんでした)急激な戦闘態勢の命令に一糸乱れずに対応できる磨き抜かれた操船技術によるところだったことは誰も疑わないでしょう。
東郷元帥の果断な決断だけが賞讃されますが、これを実践できる操船技術や大砲等の射撃術等の優れた技術の裏付けがあってのことでした。
今も中国は装備だけ見れば航空母艦まがいを漸く持てるようになって喜んでいますが、多数船舶の連携でなりたっている現在の精密な操船技術力が未熟なままですから、とても日本と互角に戦えないと言われているのはこうした歴史によります。
戦場になった地域よりは遠征した方に負担が大きいというテーマに戻ります。
ロシアによるクリミア編入でも、現地クリミア住民には大したコスト負担がなく、クリミアを手に入れたロシアの方が、巨大な軍事力移動その他の事務負担や援助で莫大な財政負担が生じています。
ウクライナ本体を西側に引き寄せた筈の西欧も、その分巨額財政支援の必要性に追い込まれています。
中国がイキナリ海洋大国になると宣言しても、それだけでは歴史がないので簡単には行きません。

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