戦争と国力疲弊1(民族主義の妖怪1)

現在・・社会意識や人道意識が高まったから戦争が割に合わなくなったのではなく、古代から戦争は長期的には割に合わないことでした。
まして民意・・支持率を基礎にしない時代には、支持率アップのための戦争など誰も思いつきはしなかったでしょう。
中世から近世に掛けての戦争は国王が勝手にやっているものであって(王位継承戦争など)地域住民には関係のないことでした。
ただし戦争すると増税の原因になるので、議会と国王のせめぎ合いが続きマグナカルタや権利の章典に発展したに過ぎません。
逆から言えば戦争すれば国内有力者の支持率が上がるどころか下がる関係でした。
民族意識を育てたナポレン以降、支持率が下がれば戦争する時代が始まったことになります。
言わば、ナポレオンが自分の戦争政策維持のために民衆を焚き付ける道具としてパンドラの箱を開けたことになります。
ナポレオンの成功を見て世界中がこれは便利だとばかりに民族意識の強調→膨大な兵力を入手できることになりました。
戦意を高めるには民族意識の昂揚が効率的ですから、裏返せば民衆の支持が必要になり、結果的に民意を無視できない・・民主主義的運営にならなざるを得ません。
結果的に世界中で軍事政権であれ、何であれ民意を無視できなくなりました。
18〜19世紀に始まる弱肉強食・植民地支配のための戦争の時代は、ナポレオンによる民族意識の強調に始まると言えます。
これをレーニンによって、帝国主義戦争と名付けられていましたが、植民地支配を目的としない時代に入ってもなお戦争が続くのを見れば、ナポレン以降の現在に至る戦争の特色は民族主義戦争と言うべきではないでしょうか?
ナポレオン以降高まった民族意識と民意重視(国民主権)が、戦争を誘発する時代に入っているパラドックスです。
アメリカの強調する民主主義国家=平和主義国家になるどころか、却って政権維持のための戦争誘発装置になっているのです。
民主主義政体と軍事独裁制とは選出退任手続きが整備されているか否かの違いに過ぎませんから、民意を無視できない点では実は共通ですから、そこに着目すべきです。
民主化した筈の韓国であれ中華人民共和国であれ、どちらも政治運営が拙劣ですが民意を無視できないので、政策の失敗/国家運営の拙劣さに対する国民の不満をそらすために安全弁としての外敵を必要としています。
そこで平和主義の日本が反撃しないことが分っているので安全な攻撃目標となっていて、韓国では李承晩以来約70年近く・・中国では江沢民以来約30年も国民に対する反日教育を徹底してきました。
この教育の刷り込みの結果、いろんな分野で政権自体国民の反日意識に制約されて、自分の行動も制約される不自由な状態になっています。
アメリカは自分だけが民主主義のお手本のように自慢していますが、選出手続きと政策決定続きが違うだけで、今の時代では独裁も大統領制も民意を完全に無視できない点は大差ありません。
プーチンだって習近平だって、国内政策に対する国民の不満が怖い点は同じです。
国内不満のはけ口として対外緊張を煽る誘惑に負けて、ちょっかいがエスカレートして行き相手が引いてくれないと結果的に引くに引けなくなって戦争になってしまう例が多くあります。
この結果内紛は一時休戦になるので政治的に追いつめられた政権担当者が対外紛争を延命手段に使うことになります。
対外戦争が始まると一時的に民族意識を高めて政治に対する不満をそらせることは出来ますが、戦争が永久に続く訳がないので、このような支持率は長続きしません。
泣いている赤ちゃんの気をそらせるために大きな音を立てたりすると一時泣き止みますが、根本的な原因であるおむつの取り替えや空腹を解決しない限り直ぐにマタ泣き始めるのと同じです。

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