戦争と国力疲弊2

一時的延命でしかなくとも、独裁政治家等失脚すると命の危険がある場合、結果的に国民の不利益になろうとも、対外戦争に賭けて一日でも1年でも延命を計りたくなり易いと思われます。
この結果、非民主国家・・円満退任ルールのない独裁国家の方が対外戦争に走り易い性質を持っています。
この面から見ると民主主義国家の方が自己保身のための戦争をあまりしませんので平和的になり易い面がありますが、実際にはアメリカのように戦争ばかりしている国もあるので、民主国家の方が平和主義だとは一概に言えません。
戦争とその後の国力衰退のテーマに戻ります。
古くからの戦争を振り返ってみますと、蒙古襲来では戦った高麗・モンゴル連合も受けて立った北条政権も戦後国力疲弊でともに倒れましたし、秀吉の朝鮮征伐でも豊臣政権と戦った明朝も共に倒れました。
出張して戦った秀吉と明朝の方が国力が疲弊したのですが、戦場となって国土を蹂躙されただけの李氏朝鮮は、大した出費がなかった所為か?そのまま生き残りました。
この後で書きますが長期の戦場になったドイツも大したことがなく終わったのは、互い農業国であったから人的被害さえなければ政権が持つということでしょうか?
もっと古くは随の煬帝が高句麗征伐に乗り出したことによって、国力を衰退させて反乱が起きて唐の時代になりました。
西洋ではスペインのフェリペ2世が戦争ばかりしていて、何回も破産していますし・・結果的にあれだけ金銀をアメリカ大陸から持ち込んだ筈なのにみんなどこかへ消えてしまいました。
これらの時代には、民族意識の高揚や民意重視・・支持率維持ために、戦争が起きたのではありません。
国力・兵器水準が接近している国同士の場合、双方国内兵役負担の方が大きくなって結果的に大赤字・・内政負担→政権崩壊になるようです。
これがはっきりしたのが第1次世界大戦以降の先進国同士の戦争で、やればやるほどお互いに国力衰退の原因になります。
圧倒的兵力差・・刀や槍しかない未開民族に対する機関銃や大砲等の攻撃の場合、占領するメリットの方が大きいので、大航海時代以降スペインに始まるアメリカ大陸侵略〜19世紀型植民地争奪戦争は勝ちさえすれば旨味がありました。
例えば英仏7年戦争を例にすれば、隣あっている英仏本国では直接戦わないで遠くのインドや北米の植民地あるいは大陸でのプロシャ対オーストリアでの限定戦争への出張戦争でした。
このときに大陸では、プロシャとオーストリアの攻防戦を中心とする欧米列強ほぼ全員参加(ロシアはオーストリア側)の戦いが同時並行していましたから、言わば西欧大陸での第一次世界大戦のハシリ・ひな形と言うべきだったかも知れません。
大陸ではイギリス・プロシア連合は負け続けていましたが、制海権を握ったイギリスが植民地争奪戦で勝利し、(補給の続かないフランスは植民地の戦いで負けました)結局大陸で判定勝ち状態であったフランス・オーストリア・ロシア連合側も戦争を続けられなくなり講和となりました。
7年戦争では大陸では戦場になりましたが、イギリスは深手を負わず、しかもその結果インドや北米の覇権を握って良いこと尽くめのようでしたが、この戦費調達のためにアメリカ等植民地での増税がアメリカ独立運動を誘発しました。
このときは戦争で得た世界規模の植民地からの儲けの方が多かったので、イギリスの世界覇権確立に貢献できました。
植民地獲得競争の戦争は、産業革命の結果生産過剰になっていた欧米諸国にとって、勝てば資源や市場を手に入れられることから、戦費を上回る旨味が合ったので植民地争奪戦争が激しくなったのです。
植民地にされた方は産業革命による大量生産品に市場を奪われ、収奪されるばかりですから、インドで綿商人が「白骨累ルイ」と表現されるような悲惨な結果に追い込まれてしまいました。

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