子育ての意味

私の法律相談で関係する人々(言うまでもなく現在人ですが・・このテーマで相談するヒトとはどちらかと言えば高齢に属する人でしょうか?)でも、養子に限らず実子でも子供がいないと、家を継ぐ人がいなくなるとか墓を守ってくれるひとがいなくなると言う意識の人がまだ多かった(最近減りましたので漠然とした記憶では平成の初め頃までの相談者だったかな?)のですが、明治〜敗戦までは、制度的にもそうなっていたのが今でも意識として尾を引いている原因です。
今では跡を継いでもらうような・・世襲・後を継ぎさえすれば子々孫々が食って行けるような資産を有する人は皆無に近いし、継いでもらうために子供が欲しいと言うのは過去の伝統的価値観におもねて言っているだけで、端的に子供や孫が可愛いから孫が欲しいのではないように思われます。
何故子供や幼児が可愛いかと言えば、種の維持継続本能がその基礎にあるのでしょうから、今でも相続の本質は明治までの相続制と同じかも知れませんが、一家・一族・氏族・民族・人類の継承と言う意味では自分の子に限る必要がありません。
そのために他人の子でも幼児を見れば、まずは「可愛いね」と言う表情をすることが伝統的に義務づけられていましたが、最近この傾向が薄れて来ている感じです(子供が騒ぐと露骨に嫌な顔をする人が増えて来た・・子供に対して非寛容な社会化が進行しています)が、これは日本全体で次世代を養成して行こうとする意欲の喪失と言うか縮小傾向にあることを表しているのでしょう。
電車内どころか数十年前から学校近くに住む人から子供の声がうるさいと言う苦情が出るようになっていたことから見ると、(私自身の子育て中には変な大人が増えて来たなあと感じていましたが・・今になると)この心理変化は社会意識の変化が底流にあったことになりますから深刻な筈です。
この実態の進行に対して政府が危機感を持って少子化対策をしきりに試行しているのですが、日本人全体が次世代養育の熱意を失ってからかなりの時間がたっている現状(根本的原因)を直視しないで子供手当等の思いつき程度の施策でどうなるものでもありません。
個々の集合体である一族・一家の財産継承からいきなり人類一般の継承では大きすぎるので、その中間の日本民族一般の継承が現在の問題になっていると言うことでしょうか?
まずは血統にこだわらない子育てのために里親になるような・・自分の子でないのに育てるのですから(アメリカでは異民族・・中国人の子でさえ引き取って育てています)社会の援助システムも完備してくるでしょう・・・簡易な子育てシステムの構築が、有効なのではないでしょうか?
縁もゆかりもない子を育てる時代が来れば、自分の子に限る子育てのための結婚制度も相続システム・相続概念も変わって行かざるを得ません。

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