ロシアの脅威9(幕府の認知と海国兵談)

林子平の海国兵談がいつ書かれたかに関するウイキペデイアの記事です。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%9B%BD%E5%85%B5%E8%AB%87
1738年に生まれた林は洋学者との交流を通じて海外事情について研究を行い、ロシアの南下政策に危機感を抱き、海防の充実を唱えるために本書を記した。江戸幕府の軍事体制の不備を批判する内容であったために出版に応じる書店がなかった。このため、天明7年(1787年)に自ら版木を作成して第1巻を刊行し、寛政3年(1791年)に全巻刊行を終えた。直後の寛政の改革によって版木を没収されてしまったものの、自写による副本を秘かに所持していたため、後世に伝わることとなった。」
林子平の海国兵談は1787年の自費出版ですから、思いついていきなり高度な本を書けませんし、先ずそのような関心・意欲を抱くには、そのだいぶ前からロシアに対する危機感を抱いていた人がかなりいてその影響を受けていた(洋学を通じて西欧系のロシアに対する危機意識の影響を受けていた可能性もあります)・・本を書かないまでも、相応の先達がいた可能性があります。
北海道網走根室宗谷方面は、当時の徳川政権にとって滅多に情報のない遠方ですから(林子平は仙台藩藩医であった兄の居候でした)本土にいる学者(当時学者という職業がありません)が危機感を抱くには、その前に相当の情報が広がっていたことになります。
ウィキペデイアの松前藩によれば以下の通りです。
「当時の北海道では稲作が不可能だったため、松前藩は無高の大名であり、1万石とは後に定められた格に過ぎなかった。慶長9年(1604年)に家康から松前慶広に発給された黒印状は、松前藩に蝦夷(アイヌ)に対する交易独占権を認めていた。蝦夷地には藩主自ら交易船を送り、家臣に対する知行も、蝦夷地に商場(あきないば)を割り当てて、そこに交易船を送る権利を認めるという形でなされた。松前藩は、渡島半島の南部を和人地、それ以外を蝦夷地として、蝦夷地と和人地の間の通交を制限する政策をとった。江戸時代のはじめまでは、アイヌが和人地や本州に出かけて交易することが普通に行なわれていたが、次第に取り締まりが厳しくなった。」
「18世紀半ばには、ロシア人が千島を南下してアイヌと接触し、日本との通交を求めた。松前藩はロシア人の存在を秘密にしたものの、ロシアの南下を知った幕府は、天明5年(1785年)から調査の人員をしばしば派遣し、寛政11年(1799年)に藩主松前章広から蝦夷地の大半を取り上げた。すなわち1月16日に東蝦夷地の浦川(現在の浦河町)から知床半島までを7年間上知することを決め、8月12日には箱館から浦川までを取り上げて、これらの上知の代わりとして武蔵国埼玉郡に5千石を与え、各年に若干の金を給付することとした。」
文政4年(1821年)12月7日に、幕府の政策転換により蝦夷地一円の支配を戻され、松前に復帰した。これと同時に松前藩は北方警備の役割を担わされることにもなった。嘉永2年(1849年)に幕府の命令で松前福山城の築城に着手し、安政元年(1854年)10月に完成させた。日米和親条約によって箱館が開港されると、安政2年(1855年)2月22日に乙部村以北、木古内村以東の蝦夷地をふたたび召し上げられ、渡島半島南西部だけを領地とするようになった。代わりに陸奥国梁川と出羽国村山郡東根に合わせて3万石が与えられ、出羽国村山郡尾花沢1万4千石を込高として預かり地になった。
松前藩がアイヌからのロシア情報を幕府に報告しなかったものの、幕府の知るところとなって調査団が派遣されたのは1785年からであり、上知を命じられたのは1799年のことですから、海国兵談発行(1785)は幕府の調査開始とほぼ同時です。
彼の著書発行計画が契機となって幕府の調査が遅れて(慌てて)始まった可能性もあります。
松前藩が隠していても幕府にバレたのは、北前船または東廻船の普及・・松前藩を窓口とする交易の活発化にあると思われます。
ウィキペデイア記載の北前船の始まりと寄港地は北海道に限定すると以下の通りです。
「例年70,000石以上の米を大阪で換金していた加賀藩が、寛永16年(1639年)に兵庫の北風家の助けを得て、西廻り航路で100石の米を大坂へ送ることに成功した」
これが北前船の走りだそうです。
その後んどんどん発達して一大動脈になります。
北海道では箱館、松前、江差、熊石、上ノ国(以上渡島国)、紗那、泊(以上千島国)、根室(以上根室国)、厚岸、釧路(以上釧路国)、様似、門別(以上日高国)、苫小牧、室蘭(以上胆振国)、小樽、余市、寿都(以上後志国)、久春古丹(以上樺太)
ただし、上記は明治30年頃まで盛んであったころの完成形の寄港地であって、いつ頃から千島や根室,樺太まで行くようになっていたのか私にはわかりません。
各地の郷土史関係のホームページに入れば分かるのかもしれませんが今日はこのくらいにしておきます。
冒頭に紹介したように松前藩は本州の大名のように農業収入によらずに蝦夷地と和人との交易仲介で藩財政が成り立っていたのですから、上記のような本格的航路開設の前から通商窓口になっていたので、おのずから各種情報が内地に漏れ出る関係にあったでしょう。
「ロシア人が根室にきて暴れた」などの新聞や文献情報があったとは思えない・・林子平の著書が最初とすれば・知識階層では新たに出現して粗暴な行動に走る傾向のあるロシアに対する口コミ?情報が集積され関心が高まっていたのでしょう。
彼が仙台にいて北海道更にその先の千島列島との境付近の情報を得てから、危機感を持ち、さらにそれを著作にするまでには、10〜20年単位の時間差があったように思われます。
(松前に行ったのは、物見遊山に行って偶然知ったのではなく、危機情報に触発されて現地を実地に見るべく行ったと見るべき・・危機情報の具体的収集目的で行ったものと思われます)
林子平の人となリは以下の通りです。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
子平はみずからの教育政策や経済政策を進言するが聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄友諒の部屋住みとなり、北は松前から南は長崎まで全国を行脚する。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著し「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して当時の人びとを驚かせた。」
上記の通り1787年出版の仮に10〜20年以上も前から現地人が怖がっている情報を得た可能性があります。
1738年生まれの林子平が成人した頃の1760〜70年ころには、以下のピョートル大帝の時代から約7〜80年も経過していることを見れば、すでにロシア人が武力を背景に樺太〜北海道付近に頻繁に出没してアイヌの人がかなり困っていたから松前藩に通報があったのでしょう。
アイヌ人はもともと日本列島を根拠地としながら北方系・・千島列島やシベリア〜満州北部〜今の沿海州方面との交易を行なってきた平和的種族です。
・・・この辺の事情は15年ほど前に函館市内の美術館を見学して知った知識をこのコラムで書いたことがあります。
アイヌはシベリア方面の異民族との接触に慣れているはずですが、そこに従来型暗黙のルールでの交易無視の暴力主体のロシア系集団が現われたので松前藩に相談するようになったのでしょう。
ロシア史から見れば以下の通りです。
http://www.y-history.net/appendix/wh1303-004.html
「ロシアはシベリアを東進、17世紀中ごろピョートル大帝の時、黒竜江(アムール川)を下って沿岸に城塞を築いた。その頃、康煕帝のもとで全盛期を迎えていた清王朝は、ロシアの南下に反撃し、1689年両国はネルチンスク条約を締結した。清がヨーロッパの諸国と結んだ最初の条約である。この条約で清は外興安嶺までの黒竜江左岸を確保した。
 ついで雍正帝の時、1727年のキャフタ条約で、中央アジア方面のロシアと清の国境を確定した。 → ロシアの南下」
ピョートル大帝については以下の通りです。
http://www.y-history.net/appendix/wh1001-148.html
「また東方ではシベリア進出を推し進め、清の康煕帝との間で1689年にネルチンスク条約を締結し、国境を確定した。また1697~99年、コサックの隊長ウラジーミル=アトラーソフにカムチャツカ探検を命じ、日本との通商路を探った。晩年にはベーリングを派遣してカムチャツカ、アラスカ方面を探検させ、ベーリングはアラスカに到達した。」
以上によると、1600年代末から、太平洋に到達していたこと・進出を果たしていたことが分かります。

ロシアの脅威8(アイヌとは?)

昨日日露和親条約を紹介しましたが、交渉時の経緯を見るとアイヌとは言うものの彼らを日本は異民族とせずに日本人の仲間であるが、せいぜい職業・居住地(会津人と言うように)が違う程度として日露双方が扱って来たし、アイヌもそれを当然と受けとってきたようにみえます。
アイヌ人は元々漁労狩猟等を生業とする生活者で戦闘要員的素質がありません・これが稲作その他農業生産の北上につれて生活圏が縮小していった・・あるは稲作その他農耕生活を取り入れないであくまで狩猟をやめなかった職業人をアイヌというようになったのかも知れません。
今の列島内でも「またぎ」等の狩猟に頼る職業人がなくなっていき、漁民その他居職人関係者が減って行くのと同じす。
私は「アイヌ人」別人種というものはない・狩猟や川魚を取るだけの職業を営む生活圏が関東地方から順次縮小していったただけの日本人の仲間でないかという素人的感想を抱いています。
日本列島がこの地域まで東西に延びているのが、関東から急速に北向きに折れ曲がっているので、縄文・弥生の混在とは言うものの農耕文化の拡大がこの辺の緯度で長年足踏みしていたことがわかります。
元々農耕向きの気候でなかったので遅くまで縄文式生活が残っていたのですが、これが気候変動と品種改良によって徐々に北上するにつれて縄文式生活圏が縮小・徐々に農耕に転職して行く人が増えてきた・旧来縄文式職業人がへってきたということでしょう。
明治以降で言えば、農漁業従事者が徐々に減ってきたのと同じです。
農民や漁民を小数民族という人は誰もいないでしょう。
雑貨屋やホカホカ弁当屋がコンビニに負けて無くなっても先住民保護という人はいません。
日本列島内で昔あった職業がなくなって行く事例はいくらでもあります・それら職業人等を〇〇人ということがいくらでもありますが、それは〇〇地域の住民とか職業集団をいうに過ぎないのであって民族集団ではありません。
ロシア人が知床に来た時に、現地アイヌ人が「大変だ」とまず支配者である松前藩に通報したのは和人と言う異民族に支配されている人たちというよりは、自分を守ってくれるありがたい関係・・例えば本州内の戦国時代に領国沿いの山奥で狩猟採集している職業集団が山向こうの領主が密かに山越えを準備していると知って大急ぎで平野部にいる領主様に通報するような関係に似ています。
北海道防衛に戻しますと北海道の知床〜根室あたりの防衛のために、寒さの経験のない本州の武士団をいきなり送り込んでも・・大勢の戦力を北海道縦断で陸路送り込むのは後続兵士投入路〜食料補給に窮しそれだけでもどうにもならなかったでしょう。
この経験から明治維新後北辺の防備にはまず地元勢力の育成が必須ということで、急速に北海道への屯田兵入植政策が進見ました。
この防衛基本戦略は満州への開拓団送り込み政策にも影響を与えたでしょう。
対ソ満州防衛では日本が、アメリカに降伏した後だったのと対米軍との最前線であった占守等防衛と違い、ソ連とは不可侵条約があったので安心して?精鋭を南方へ転出させていたので、ソ連軍の侵入に対して戦わずして降伏した結果開拓団がいても兵力供給源として貢献できず却って、開拓団の存在が敗戦時に被害を大きくしてしまった・・千島列島のようのスムースに民間人避難ができなかったことになります・・。
対馬上陸事件に戻ります。
ロシアは日露和親条約締結でお互いの国境線確定が終わっていた(樺太に関しては未定のままの条約)のに対馬に無断上陸・侵入したことになります。
そこで日本はロシアの行為は国際ルール違反であると列強に協力要請できた法的根拠があり、当時の覇権国=ルール担保権者である英国が黙っていられなくなったのでしょう。
ロシアの対馬上陸事件に対するイギリスの介入はイギリスの威信を示すチャンスでもあり、日本のためにここで動いておいた方が後々メリットがあると考えて動いてくれたと思われます。
日本では、ソ連発のコミンテルンの影響を受けた思想界支配の結果か?何故かアヘン戦争による西欧列強への危機感の覚醒ばかり強調されています。
本当の日本の危機は、江戸時代中期から幕末にかけて北辺に出没するようになっていたロシアの対日進出意欲でした。
日本では百年ほど早くから恐れられていたロシアの動きを報道したり教育したりあるいはこれを描く文芸作品は滅多に出てきません。
西欧諸国と接触の歴史はロシアよりも早く戦国時代頃から徐々に始まっていましたが、それは東南アジア諸国〜ルソン〜台湾や沖縄の海上ルートあるいは中国を経由しているので事前情報が豊富でした。
仮に戦争になっても相手は海路何万里の彼方からくる関係で、砲撃戦で一時的に負けても持久戦で追い払らえる自信がありました。
これが気楽に薩英戦争や長州の4国連合艦隊との戦争をできた原因ですし、負けても全く何も譲る気持ちがないと頑張りきれた背景です。
西洋列強も上陸敢行しても日本得意の夜襲につぐ夜襲を受ければ橋頭堡を維持できないリスクがあるので、結局なにも得ないで引き下がるしかなかったのです。
対ロシアでは知床付近どころか北海道全域に地元武士団がゼロですから、持久戦・夜襲に持ち込む下地がありません。
ロシアは本拠地から遠いとは言っても地続きですぐ近くまで来ている強み・地続きなので飛び地確保ではなくじわじわと侵食してくる脅威です。
ここが、飛び地確保に頼る西欧列強の脅威とは本質的に違っていました。
日米戦も最後には、この伝統的手法の有効性を沖縄防衛戦で立証した結果、(艦砲射撃の届かない内陸戦になると火力優位の威力がなくなる・・幕末ころにはなおさらでした)米軍が本土上陸作戦実行をためらうことになり、ポツダム宣言受諾を強要するために原爆投下したというのがアメリカの主張です。
対ロシアでは日本の伝統的国土防衛手法が成立しないことを知っていた幕府の対ロシアの脅威は半端ではなかったでしょう。
このマイナスを防ぐには国防面では日本が優勢な相手である欧米との交渉によって、(領土では一切譲らない代わりに貿易で譲る基本・・小笠原その他帰属のはっきりしない島々もアメリカに認めさせてしまいました)ルールを決めてロシアをこれに従わせるしかなかったことにとになります。
私は幕末の日本側の基本戦略は大成功であったと思います。
今後さらに数十年以上かかって明治政府系統の流れが終わり、一方でコミンテルン支配が残る思想界が正常化すれば、日本の近現代史が書き換えられて行くのでしょう。
以下、ロシアの脅威がいつ頃から始まったかについて私なりに見ていきます。
幕末というよりも江戸時代中期以降対ロシアの脅威を前提に海防の必要性が盛んに議論されるようになっていたことは、林子平の海国兵談などの書物が発行されるようになったり、間宮林蔵の樺太探検がおこなわれた事跡により明らかです。
海国兵談や間宮林蔵の樺太探検程度のことは学校でも教えますが、そこから約80年も後のアヘン戦争に何故か歴史教育が直結誘導していくのですが、彼ら国防を憂える人々の活躍は全てロシアの脅威に対するものであって西欧列強の脅威の始まるずっと前・・80年近くも前からだったのです。
80年前と言えば、日本敗戦からまだ70年過ぎたばかりですから、今よりも寿命のずっと短い時代における80年の差の意味が分かるでしょう
江戸時代の人たちは、もっと早くから西欧の動きを知っていましたが、それほど脅威に感じていなかった・・本当はどちらの方が怖いか早くから良く知っていたのです。

フェイクニュース8(編集権不可侵?)

原発の国際動向についてはこれまで見てきたように特殊例外のドイツを除けば、どこの国でも性急な廃止方向どころか逆に原発新規稼働が増えているのです。
ドイツだけが性急な廃止論が可能になっているのは、もともと原発依存率が低かったことと国際送電系の利用による点でドイツの特殊性があるのですから、これを無視して日本がドイツの真似をできる訳がありません。
積極的に嘘を書かなければ良い・メデイアが誘導したい方向に不都合なこ事実やデータは報道しない自由があるというのがメデイアの編集権論らしいですが、これではトータルとして実質虚偽報道の一種ではないでしょうか?
慰安婦騒動での朝日新聞の釈明もどこかスッキリこない終わりになった印象を受けたのも、事実について虚偽さえなければ(吉田調書なるものが全くの捏造であっても、その文書自体が発表されたのは事実なのですから、真偽は別としてこれを大々的に報道しても)事実確認が甘かったと反省さえすれば「編集をどのようにするかはメデイアの有する不可侵の権利」だと言う姿勢が濃厚だったからかも知れません。
社会党〜社民党が世論動向に背を向けたままで(反省することなく)孤高・ジリ貧を続けて党首でさえ小選挙区に立候補できないほどになっています。
メデイアの場合選挙による洗礼・浄化作用がないので購読率がどんどん下がって経営できなくなるのをの待つしかないのでしょう。
ただ、メデイアの弱体化が進むとメデイア浸透目的の勢力にとっては、相手の弱みはこれに付け入る最大のスキですから、千載一遇のチャンスになります。
広告を出してやったりいろいろ恩を着せる・食い込む好機ですから、その餌食になる傾向が強まります。
千葉市で見ると、廃れてまともな人が寄り付かなくなった旧繁華街にはいつの間にか韓国系風俗業などの得体の知れない業種が浸透します。
最近偏ったメデイアへの攻撃が目立ちますが、経営に困ったメデイアを却って中韓やロシアの側に追いやることになるので却って危険です・在日しか購読しなければそれで害がないのですが、公共電波・テレビは茶の間に押し売りのように入ってくるのでそうはいきません。
民進党の「30年までの原発ゼロ政策発表撤回〜続けて国会で一種の捏造データを元に主張を展開して恥をかいた問題に戻ります。
蓮舫代表がデータの誤りを指摘されて国会で恥をかいたことや2重国籍問題の何が悪いという民進党贔屓のメデイアにこのような国会問答が出なくとも党内では噂がすぐに飛び交うでしょうから、党内でも「こりゃダメだ」思われていたでしょう。
こうした積み重ね経過(特に7月の都議選惨敗)を受けて ついに蓮舫氏の退陣表明になったものです。
選挙で負け続けてもメデイアさえ押さえていれば問題がないと思い込んで・偏った主張を固守し続ける旧社民党より途中で方針変更できるようになった点は少しマシです。
この経過を見ると党内議論がある程度現実化してきた・・まともな支持者が増えているとも言えますし、世論の見極めや内部議論を尽くさないで一方的意見が堂々と公式テーマに上がってくる党の体質に驚いた人の方が多いでしょう。
「弱腰だ」と批判するのは在野にいるときは無責任で勝手ですが、国家の責任者になると国家全体への目配りがいるし、世界全体に責任のある立場になって見ると強行策は一波万波を呼ぶので一存で無茶をできなくなります。
北朝鮮のような小国・嫌われ者国家は世界に責任を持たないのでやりたい放題できて、大国の方があちこち気を使わねばならないので、却ってやられ放題でも我慢するしかありません。
昔から金持ち喧嘩せずといいますが、地位のある方が1対1では圧倒的に強いはずですが、逆にダメージが大きいからです。
同じ爆弾量投下でもアフリカの砂漠等に爆弾が落ちるより、先進国の方が被害が大きくなります。
違法や不当行為の暴き合いでも同じです。
北朝鮮周辺国は死に物狂いの抵抗されるのが嫌で手を出せないだけのことですが、結果的に中国の協力度が低いからだいとあたり散らしてる状態です。
トランプ氏はいわば、鳩山元総理のように実現可能性もないことをもっと派手に選挙で主張して来たものの、(何か一つでも何とかなってるモノがあるのか?メデイアと敵対している結果?ニュースに出て来ないので分かりませんが)伝わってくる限り主な内政では何もかも行き詰まって来た印象です。
ドルの実力に見合った宣言をしたニクソンショック同様に、この先長期的には(資源の下駄を履かない)実力相応の評価・ブラジルより西欧伝来の技術力が少しある程度の単なる資源国プアルファの地位に下がって行く可能性が十分にあり得ます。
資源力が国力尺度・重厚長大型の19〜20世紀後半までと、20世紀末から始まった軽薄短小が21世紀になるとさらに進化して、知財→AI技術等のウエートが上がってきました。
こうなると資源の量や人口数よりは構成員の民度レベルが99%の優劣尺度になってきます。
1昨年来の資源下落は当面1進1退をつづけるとしても長期的には、省エネ・電子技術中心時代になって、産業革命以降隆盛を誇った資源の下駄を履いた技術国優勢の時代が終わり、資源に頼らない純粋技術国優位の時代が始まった・長期トレンドにあることは間違いがないでしょう。
資源で下駄を履いていた時代が終わると、アメリカの民度レベルから見て資源大国にちょっと毛が生えた程度のレベルに落ち着くのが妥当と思われます。
アメリカが19〜20世紀型価値観・成功体験に頼り移民政策・人口数で覇者の地位を維持しようとしているのは間違いです。
未だに人口数が重要として人口ボーナス・オーナス論が一般的ですが、彼らの多くは過去の延長でしか考えない思考方法に浸かっているのです
アメリカが低賃金労働者を求めてどんどん移民を入れる必要があるかのようなムード報道をメデイアが繰り返しているのもその一環です。
4〜5日前にもメキシコの壁建設のテーマで日経新聞に書いていましたが、農業生産現場が不法移民の現場労働に頼っているので厳しく取り締まれば農業生産が何十億〜百億ドル(数字を正確に記憶していません)も減ると厳しい現実?を紹介しています。
こんな風にトランプ政策を間接的に批判していますが、そもそも低賃金・不法移民で儲けようとしている限り国民平均レベルが低下する一方でしょう。
こんなことに頼っているからアメリカの地位低下が進んでいるのです。
覇者の入れ替わり直前から新しい覇者が決まり、あるいはつなぎ的合議協調秩序が生まれるまでの間いつでもどこの世界でも混沌の時代が挟まります。
こういう時代を生き抜くにはさしあたり味方を増やしておくしかない・アメリカ抜きのTPP交渉を仕上げて仲間を増やす外、7月初めに大枠合意したEUとのFT/EPAの仕上げを確かなものにすべきでしょう。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2017/07/c7095646a795a4d4.html
日本とEU、EPAで大枠合意-欧州産業界は保護主義への対抗措置として評価-21世紀の経済秩序のモデル」として位置付け
欧州理事会のトゥスク常任議長は7月6日、ブリュッセルを訪問した安倍首相と首脳会談を開き、2013年4月の第1回交渉会合以降続いていた日EU・EPAが大枠合意したと発表した。」
世界で保護主義が台頭する中、日本とEUが自由貿易を志向する姿勢を明確に打ち出し、7月7日からハンブルクで開催されるG20サミット参加国へのメッセージにしたい考えだ。ビジネスヨーロッパ(欧州産業連盟)は「規制協力」を通じた非関税障壁撤廃に強い期待感を示した。」
第二次世界大戦前夜では欧米のタッグに対して日独伊の孤立戦でしたが、EU全体が背後に着き、 TPP11ヵ国の応援もあれば、だいぶ様相が違ってきます。
ここに言う「世界で保護主義が台頭する中」とは、トランプ氏の一方的輸入規制措置発動に向けた姿勢を指しています。
安倍総理の狙いは、「日EUのEPAが発効するとアメリカは損ではないですか?アメリカさんTPPに戻って下さい」というメッセージになるようです。

消費者信用の拡大政策8と格差縮小?

NHKや東京、朝日の期待する?方向性とは逆に日本では個人金融資産が膨れ上がる一方です。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDC17H0N_X10C17A3EAF000/
家計金融資産、最高を更新 16年末1800兆円
2017/3/17 10:41
このようにしてみると、プラスマイナスの比率が気になるのが普通の疑問でしょう。
孫正義氏が世界的大富豪とはいうものの、負債額もこれに匹敵するほど大きいと言われるように要はバランスの問題です。
個人金融資産がいくら世界一になっても破産予備軍とは交わらない・・持っている人と持っていない人との格差が大きいだけで関係がないかも知れませんが、個人金融資産合計が減る一方で破産者や倒産も増える一方では、その社会の将来性が暗くなります。
少なくとも個人金融資産が増え続けていることは明るい話題でしょう。
もしも、個人金融資産が増え続けているにも関わらず一方で破産者が増えつづけている場合、格差が問題です(ただしこの後に書くように仮には算数が増えてもそれだけでは一概に拡大とは言えません)が、昨日紹介した通りNHK宣伝に関わらず全体の消費信用が減っているようですからそれは当たらないでしょう。
それに所得格差があるとすれば所得再分配と(いくら再分配しても無駄遣いする人には)消費教育の問題でしょう。
ただし、消費信用には資産家から無産層への実質所得移転をしている意味があることを7月14日に書きました。
もしも毎年一定率のデフォルトが起きるとその分資産家層からの貸金が消滅するのですから所得再分配そのものです。
生活保護で所得移転するよりは消費信用供与による移転の方が、消費者が頑張って返そうと言う意欲がある点で健全です。
最近生活保護現場でも、若くて元気のいいものに・労務賃を払ってくれないで逃げられたような相談・彼らには失業保険もありません・・でdは、まずは生活資金の貸付から始めるような事例が出てきました。(債務整理相談で福祉事務所が債権者に登場している事例です)
その頑張り力の補助エンジン供給に当たるのが超低金利政策であり、借り易さの仕組みづくり・・友達に借金して買いものするのは恥ずかしいがクレジットなら恥ずかしくないという意識づくりです。
超低金利そのものがすでに資産蓄積している階層から蓄積のない階層への膨大な所得移転(世代的に見れば大胸高齢層から若年層)ですが、運悪く?戦い敗れて破綻(白旗を掲げて降伏)した時には、気持ちよく免除してやる・・その時に100%の所得移転になります。
所得再分配に逸れますが、フローの収入格差を基準にするジニ係数重視論をこれまで繰り返し批判してきましたが、保育所や学校制度に始まり、成人にまで就労支援その他多種多様な公的支援・公的学習環境・公費負担による各種美術館博物館、図書館等の教育設備、医療負担が整備されるなど公的設備・インフラ整備は、全て所得再分配の一環をなしています。
可処分所得の価値についても、日本のように高額医療費を自己負担しなくてよい国と自己負担が大きい国とでは大きな違いです。
鉄道未整備の国・・広大な原野が広がる地域では車保有資金がないと自分で自由な移動ができません・アメリカでは運転できない子供は自転車区域を超えた移動の自由がありません)が、地下鉄網や路線バスの整備されている都内では数百円もあれば簡単に23区の端から端まで簡単に移動できますしお付きの人がなくとも小学生でも一人で電車通学しています。
アメリカでは子供だけにすると検挙されることがあるとすら言われてますが、安全がただ意識の日本ではびっくりする話です。
報道イメージだけしか知りませんので真偽不明ですが、例えば以下の通りです。
https://matome.naver.jp/odai/2140517995024474901
日本と同じ感覚でいるとすぐに逮捕されてしまうかも。
アメリカでは一般に13歳になって初めてティーンエイジャーとして認められ、行動の責任が自分にあるようになります。それまでは常に親が保護する義務があるのだそうです。このため、13歳未満の子供だけで街を歩いていれば子供達は保護され、その親達にはペナルティーが課せられます。
出典アメリカ育児事情〜子どもの安全管理〜
日本では貧乏人も金持ちもみんな冷暖房の効いた電車で移動でき、大方の駅にはエレベーター等があって、足腰の弱った老人や車椅子の人でも世話係の下男下女を伴わなくとも単独で移動できるし、警備のお供もいらない・身の安全は自衛できるお金持ちだけでなく庶民まで恩恵を受ける社会です。
数字的に見れば、総支出のうち9割が公的インフラで賄われている場合、残りの1割の支出額が、2対1であっても生活水準格差は10%しか違っていません。
可処分所得が10万円と20万では2倍の格差のように見えますが、インフラ次第で国によって大きな差があるのですから直接的収入額だけで比較しても実態を表していません。
このように消費拡大政策は庶民の生活水準底上げに寄与していること・消費水準格差縮小機能を果たしてきたことは確かでしょう。
ところで、どんなに政治がうまく行っても、好景気でも商売に失敗する人が皆無になりませんし、インフラも利用が増えれば一定の比率で事故が生じます。
消費信用拡大も失敗を怖がって何も挑戦しない社会よりは、再挑戦機会保証でどんどん挑戦/失敗できる社会の方が健全です。
社会からの失敗・落伍者をゼロにするのは不可能でしょうから、再挑戦可能社会にする方が合理的です。
輸出用国内生産増は無理があるので、内需拡大しか国内生産をふやせない→購入資金のある人だけをターゲットにするのではなく、消費信用(借金)拡大によって消費拡大を図る場合、借金の意味が変わってきます。
それまでは借金するのは非常に恥ずかしいことという意識で、質屋も裏通りにあり、こそこそと裏口から入っていったものですが、その後若もの世代ではカードで買い物できるのが格好良いという意識に変わってきました。

中韓・・中進国の罠8(個人金融資産)

中国がバブルを繰り返すための軍資金がどこから出ているかの疑問ですが、中国の個人資産は以下のとおりです。
http://jp.reuters.com/article/idJP00093300_20160825_00320160825|
2016年 08月 25日 11:11 11:13JST 国民の個人資産、中国は世界2位に
「調査会社ニュー・ワールド・ウェルスが発表した最新リポートで、中国国民の個人資産(不動産や現金、預金、ビジネス資産)が17兆4000億米ドル(約1757兆4000億円)となり、世界2位となっていると報告した。
中国は直近15年で個人資産が最も速いスピードで膨らんでいると指摘されている。現時点では個人資産がトップになっているのは米国(48兆9000億米ドル)、3位は日本(15兆1000億米ドル)。10位入り国は英国(9兆2000億米ドル)、ドイツ(9兆1000億米ドル)、フランス(6兆6000億米ドル)、インド(5兆6000億米ドル)、カナダ(4兆7000億米ドル)、オーストラリア(4兆5000億米ドル)、イタリア(4兆4000億米ドル)となった」。
不動産を含めた数字なので金融資産の統計ではありませんし、広大な中国奥地の土地などをどのように評価集計したのかも不明です。
金融資産でないと本当の実力が分りません。
特定商品の場合、統制や政策的に高値維持で歪めていても(実勢と差がつくとヤミ流通が起きて)一定期間経過で国際相場の影響を受けますが、輸出入代替性のない不動産を資産に加えると国策による歪み(中韓のように政策的に不動産バブルを煽っていると不動産が突出して高くなる)が大き過ぎて実力が見えません。
金融資産については以下のとおりです。
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2016-10/02/content_39416377.htm 「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年10月2日
世界の個人金融資産が155兆ユーロに達した。ドイツの経済紙は25日、アリアンツ・グループがこのほど発表した2016年度『世界資産報告』によると、世界の個人金融資産は前年より約5%増加したと報じた。個人金融資産が多い国・地域のランキングでは、スイスが17万590ユーロで1位となった。                  
2位は米国で16万950ユーロ、3位はイギリスで9万5600ユーロ。4位から10位は順にスウェーデン(8万9940ユーロ)、ベルギー(8万5030ユーロ)、日本(8万3890ユーロ)、デンマーク(8万1290ユーロ)、中国台湾(8万1240ユーロ)、オランダ(8万180ユーロ)、シンガポール(7万9260ユーロ)。             
中国は1万1469ユーロで28位、韓国は2万7371ユーロで21位、インドは1096ユーロで48位。ランキングの最下位はカザフスタンで、1人あたりの金融資産は613ユーロ。          
上記は一人当たり資産らしいですが、金融資産については中国の場合まだ未開地も多く含まれているので、一人当たりにすると実際の実力が見えません。
韓国の場合、財閥オーナー親族とその他の格差が何%程度の差ではなく何十〜何百倍の差でしょうし、労働者でも大手企業の非正規職員の方が、中小企業の正規職員よりも給与が高いなどの格差社会ですから、この場合は正規非正規の区別は意味をなさない・・大手企業従業員かどうかの方が大きな格差基準です。
現代自動車労組の横暴が知られていますが、労使共に下請けにしわ寄せして働き以上の収入を得ている・・そこに勤務する非正規もその分け前を貰っている構図が見えます。
http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20170606.htmlに引用されている朝鮮日報社説によれば以下のとおりらしいです。
『朝鮮日報』(5月29日付)は、「韓国の非正規社員、95%は中小企業なのになぜ財閥が反省?」と題する社説
「大企業における正社員の賃金を100とした場合、大企業の非正規社員は62.7、中小企業の正社員は52.7、中小企業の非正規社員は37.4だ。つまり大企業の非正規社員の賃金は中小企業の正社員よりも多いのだ。」
韓国の場合強ければ・勝てば何をしても良いと言う社会意識がこう言う結果になっているのであって正規か非正規かの違いではありません。
他方でシンガポールのような人口小国では、村上ファンドのように大儲けした人を一定数税優遇で誘致して個人金融資産家を加えて行くと平均値が上がります。
メデイアは既成概念がスキですから、人口比で言えば飛び切り少数でしかない裸官をテーマにしたがりますが、数億円ためられる裸官が5人〜10人・・仮に百人いたとしても彼らの億単位の収賄など14億人総計した統計数字的は大したことにならないでしょう。
中国の場合には、一般的な階層間格差よりは地域格差が大きい点に注意する必要があります。
アジア人の一人当たり収入や労働生産性を見ても日本の実力が分らないように、中国としてひとくくりするのは「小さなアジア」平均を言うのと同じで実態が分らなくなる・・中国国内の地域・民族・・連合体として区分けして経済力を見た方が合理的です。
例えば観光客や資源相場などの国際経済に対する影響力を見るには、世界経済に参加している沿海地域の人口や企業を母体にして一人当たり資産や生産力を見ないと中国の本当の影響力が見えないでしょう。
中国の実力・例えば海外旅行者の消費力を見るには、14億の平均値で見ると理解不能でしょう・・沿海地域人口の中間層数千万を基準に見れば分りよいと思います。                      
後進国では先進技術や文化もローテク技術も一斉に入って来るので、北国の春のように、人材層は同時的に花咲く傾向があると書いて来ましたが、中国の場合その人材の層が人口に比例して分厚い点も考慮する必要があります。             
全体としてみれば後進国でありながら金融やスマホを日常的に操る人だけで何千万といますし、資金のプロも先進的な小さな国よりも多くいるし、海外旅行者数でも目立ちます。                    
13日に紹介した記事にあるように中国では、マンションバブルを煽るだけ煽っておいて、過熱し過ぎたと言って引き締めるものの、(この段階でかなり損をした人がいる筈ですが・・)不景気になると再びマンションバブルを煽るとこれにまた食いつく富裕層?がいるのですから(どこから沸いて来るのか?)不思議ですが、層が厚い可能性があります。
レバレッジがかかった投機的金融商品で購入資金調達手法が発達しているようですが・・。
やはり層が厚い・・毎回のバブルに参加していない人が多く2〜3回めのバブルに手を出す人がまだいくらでも残っていると見るのが正しいのでしょうか?
韓国バブルで12〜13日に少し書きましたが、中国でも成長期待がある限り簡単に手じまい・・投げ売りしない・・相場上昇が止まってもそのまま次の値上がり待ちで、持ちこたえる努力をする人が多い・・実際待っていると政府がまたマンション相場を仕掛けてくれた・・この信頼感があるようです。
そう言う見方によれば、中国の成長期待=先高期待感がしぼむと売りが売りを呼び大暴落になる可能性があります。
中国共産党政権には正統性がないから成長持続が必須と言いますが、成長が止まると政権が不安定になるのはどの国で同じです。
成長率も中国全土で見ても仕方がない・・不動産こそは地域差が大きいので、上海等の大都市別の成長率が重要です。
中国全体の景況感よりは、上海に住む人は、上海の景況感で動きます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC