フェイクニュースとは?2(事実と編集の違い?2)

従来このコラムでは、サンゴ礁事件などのヤラセ報道等に始まり、報道界の色付け傾向や欺瞞体質を常々問題にしてきましたが、こうした批判に対して「憲法で保障された表現の自由を守れ」「事実と違う」指摘を受けると編集権に逃げる傾向が続いていました。
慰安婦騒動の元を作った吉田氏自身が調書という表題や各種証言にも関わらず「著作には脚色が当たり前でしょう」という趣旨の説明をしていたことが知られています。
ウイキペデアによる紹介です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])、本名:吉田 雄兎(よしだ ゆうと)は[3]、福岡県出身とされる文筆家。朝日新聞上で従軍慰安婦問題に関する「吉田証言」を発表するが、後にその大半の証言が虚偽・創作であったと朝日新聞が認めたことで知られる。
1980年代に、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し日本軍の慰安婦にしたと自著に記述。これがメディア、特に朝日新聞に長らく真実として取り上げられたことにより、国際問題化している「いわゆる従軍慰安婦問題」醸成の大きなきっかけとなった。しかし、後の追跡調査では吉田の証言の客観的な裏付けは取れず、むしろ反証が得られるなど矛盾点を指摘されるなか、1995年になって自らの証言が主張を織り交ぜた創作であることを認めた。

NHKの台湾原住民報道でも、NHKには編集権があるので撮った写真などをどの方向に編集するかに自由があるという理由で「偏向報道の主張」に関しては勝訴したと報道されていた記憶です。
検索すると判決文自体がすぐに出てこないので、ウイキペデイアによると以下の通りです。
http://specificasia.blog.jp/archives/2072451.html

2013年11月28日
高裁「NHKの台湾先住民への『人間動物園』は名誉棄損だが偏向報道ではない」
須藤典明裁判長は「『人間動物園』という言葉は当時はなく、新しく使われ始めた言葉。人格否定につながりかねない過激な言葉を、人種差別的な意味合いに配慮せずに番組で何度も言及した」と指摘。当時ロンドンに行ったパイワン族男性の遺族の「父はパイワン族を代表してロンドンに行った」との思いを踏みにじり、名誉を傷つけたとして、遺族女性1人に100万円を支払うよう命じた。
一方、「偏向した内容で知る権利を侵害された」などとする他の原告の請求は「報道として問題がないわけではないが、憲法が保障する表現の自由や報道の自由に照らして十分尊重されるべきだ」として退けた。

上記に対する上告審判決は、名誉毀損が成立しないと言う結果に終わったようです。
偏向報道かどうかは上告審の判決には出てきません(上告理由になってない?)ので原審(高裁)の判断が確定したことになります。
上記のようにウイキペデイアの表題では、「偏向報道ではない」と断定して書いていますが、内容を見ると「報道として問題がないわけではないが・‘・・」と書いていて、憲法で保障された表現の自由にてらして・・と、退けたにすぎず、積極的に公平な報道と認定したわけではありません。
表現の自由・・著作権という憲法主張が出ると名誉毀損等の違法行為にならない限り天下御免ですから、事実と違っても門前払いになる傾向・・観念論に安住してきたメデイア界が、SNSの発達で個人が模倣して極端なことをやりだしたので大騒ぎになった側面があります。
はっきりしたフェイクニュースは別として、政治的意見の表明になると、これまで事実と意見を混在させて一定方向への誘導を行ってきたメデイア界の独占に対してネットを利用した反論ができる・痛烈なパンチ力が生まれたことが明らかです。
リベラリストやグローバリストのようなこれまでのメデイア支配層に歯向かう発信者が増えてくると「表現の自由」だけでは済まない・・彼らメデイア自身が黙っていられなくなってきました。
フェイクやヘイト攻撃もその一環と見えますが、メデイア自身が偏って加工していなかったのか?という批判が跳ね返ってきます。。
新興勢力(中国もそうですが)はマナーに慣れてないので(子供がスマートな意思表示できないために直接行動に出るように)ズバリの表現や行動が行き過ぎ、フェイクになったり名誉毀損や業務妨害になりやすいですが、メデイア界としては自分たちにはフェイクを真綿で包む節度がある点で差をつけていることになります。
(在特会の京都の事件など・・抗議行動は行き過ぎたでしょうが、耳目を集めることで結果的に公園不法使用していた朝鮮人学校の積年の違法行為が白日のもとに晒されました・メデイアは本来の違法行為を報じないでヘイトの激しさばかり強調しますが)
武士の台頭時に貴族は粗暴さに眉を顰めていたものの、結果的に武士の時代になりました。
弱者は人目をひく記事にしないと注目されないからギラギラと目立ちたがり大きな声を出す点は、古代から共通です。
例えば、公道のデモ行進や公共の場での集会など・・従来秩序では交通の邪魔=違法であったことでも、手続きを踏めばデモ行進や集会を開いて人目をひく権利があるようになったのと同じで、少数者は何らかの人目をひく方法(現行法では違法でもそれなりの合理化で発言の場)が付与される必要があります。
近代法理や平和論などの観念論さえ言えば相手を圧倒出来る時代がとっくの昔に終わっている・・具体的事象に当てはめて議論しないと何事も解決出来ない現実を知る必要があるというシリーズ中のフェイクニュース問題割り込みですが、表現の自由という観念論では間に合わなくなってきた一例を書いていますので、もう少しお付き合いください。
https://wired.jp/2017/06/22/journalism-post-truth-era/

TEXT BY JASON TANZ
TRANSLATION BY TOMOAKI KANNO
WIRED(US)
この数年の間にソーシャルメディア、特にFacebookが主要なニュースソースとして出現したことで急加速した。プロのメディアが世論を方向付ける力は衰え続け、いまではほとんど失われている。ソーシャルメディア以前は、新聞の編集者が、どのネタを発表するか、それをどこに載せるかの最終決定権をもっていた。今日、その役割を手にしているのは読者である。
編集者は記事を発表できるが、それが誰にもシェアされなければ、書かれなかったも同然となる。
読者が新たなパブリッシャーだとしたら、彼らにニュースをシェアさせる最善の方法は感情に訴えることだ。主によくない感情に。『Human Communication Research』誌に最近掲載された論文によれば、Facebookで情報をシェアするかを決める「重要な媒介メカニズム」は怒りだという。特定の主義に偏り、強い怒りを感じている人ほど、政治のニュースをネット上でシェアする傾向にある。そして、そうやってシェアされる記事は、それを読む人にさらなる怒りを抱かせることになる。「マーケットシェアを獲得するにはラディカルになる必要がある」と、フェイスブックの元プロダクトマネジメント部長サム・レッシンは言う。「穏当では何も得られない」

政治のフェイクが騒がれていますが、多くの読者を呼び込めば 多くのスポンサーがついて儲けられるのが基本ですから、もともと内容が奇想天外な絵空事でも、「やらせ」でも何でもいいのが彼らの行動原理です。
常識のある人はそういうものだと理解していろんな作り話を娯楽として受信しているのですが、それを真に受ける人もいるだけなく拡散する(受信だけでなく発信する)人が増えたから厄介になってきました。

フェイクニュース8(編集権不可侵?)

原発の国際動向についてはこれまで見てきたように特殊例外のドイツを除けば、どこの国でも性急な廃止方向どころか逆に原発新規稼働が増えているのです。
ドイツだけが性急な廃止論が可能になっているのは、もともと原発依存率が低かったことと国際送電系の利用による点でドイツの特殊性があるのですから、これを無視して日本がドイツの真似をできる訳がありません。
積極的に嘘を書かなければ良い・メデイアが誘導したい方向に不都合なこ事実やデータは報道しない自由があるというのがメデイアの編集権論らしいですが、これではトータルとして実質虚偽報道の一種ではないでしょうか?
慰安婦騒動での朝日新聞の釈明もどこかスッキリこない終わりになった印象を受けたのも、事実について虚偽さえなければ(吉田調書なるものが全くの捏造であっても、その文書自体が発表されたのは事実なのですから、真偽は別としてこれを大々的に報道しても)事実確認が甘かったと反省さえすれば「編集をどのようにするかはメデイアの有する不可侵の権利」だと言う姿勢が濃厚だったからかも知れません。
社会党〜社民党が世論動向に背を向けたままで(反省することなく)孤高・ジリ貧を続けて党首でさえ小選挙区に立候補できないほどになっています。
メデイアの場合選挙による洗礼・浄化作用がないので購読率がどんどん下がって経営できなくなるのをの待つしかないのでしょう。
ただ、メデイアの弱体化が進むとメデイア浸透目的の勢力にとっては、相手の弱みはこれに付け入る最大のスキですから、千載一遇のチャンスになります。
広告を出してやったりいろいろ恩を着せる・食い込む好機ですから、その餌食になる傾向が強まります。
千葉市で見ると、廃れてまともな人が寄り付かなくなった旧繁華街にはいつの間にか韓国系風俗業などの得体の知れない業種が浸透します。
最近偏ったメデイアへの攻撃が目立ちますが、経営に困ったメデイアを却って中韓やロシアの側に追いやることになるので却って危険です・在日しか購読しなければそれで害がないのですが、公共電波・テレビは茶の間に押し売りのように入ってくるのでそうはいきません。
民進党の「30年までの原発ゼロ政策発表撤回〜続けて国会で一種の捏造データを元に主張を展開して恥をかいた問題に戻ります。
蓮舫代表がデータの誤りを指摘されて国会で恥をかいたことや2重国籍問題の何が悪いという民進党贔屓のメデイアにこのような国会問答が出なくとも党内では噂がすぐに飛び交うでしょうから、党内でも「こりゃダメだ」思われていたでしょう。
こうした積み重ね経過(特に7月の都議選惨敗)を受けて ついに蓮舫氏の退陣表明になったものです。
選挙で負け続けてもメデイアさえ押さえていれば問題がないと思い込んで・偏った主張を固守し続ける旧社民党より途中で方針変更できるようになった点は少しマシです。
この経過を見ると党内議論がある程度現実化してきた・・まともな支持者が増えているとも言えますし、世論の見極めや内部議論を尽くさないで一方的意見が堂々と公式テーマに上がってくる党の体質に驚いた人の方が多いでしょう。
「弱腰だ」と批判するのは在野にいるときは無責任で勝手ですが、国家の責任者になると国家全体への目配りがいるし、世界全体に責任のある立場になって見ると強行策は一波万波を呼ぶので一存で無茶をできなくなります。
北朝鮮のような小国・嫌われ者国家は世界に責任を持たないのでやりたい放題できて、大国の方があちこち気を使わねばならないので、却ってやられ放題でも我慢するしかありません。
昔から金持ち喧嘩せずといいますが、地位のある方が1対1では圧倒的に強いはずですが、逆にダメージが大きいからです。
同じ爆弾量投下でもアフリカの砂漠等に爆弾が落ちるより、先進国の方が被害が大きくなります。
違法や不当行為の暴き合いでも同じです。
北朝鮮周辺国は死に物狂いの抵抗されるのが嫌で手を出せないだけのことですが、結果的に中国の協力度が低いからだいとあたり散らしてる状態です。
トランプ氏はいわば、鳩山元総理のように実現可能性もないことをもっと派手に選挙で主張して来たものの、(何か一つでも何とかなってるモノがあるのか?メデイアと敵対している結果?ニュースに出て来ないので分かりませんが)伝わってくる限り主な内政では何もかも行き詰まって来た印象です。
ドルの実力に見合った宣言をしたニクソンショック同様に、この先長期的には(資源の下駄を履かない)実力相応の評価・ブラジルより西欧伝来の技術力が少しある程度の単なる資源国プアルファの地位に下がって行く可能性が十分にあり得ます。
資源力が国力尺度・重厚長大型の19〜20世紀後半までと、20世紀末から始まった軽薄短小が21世紀になるとさらに進化して、知財→AI技術等のウエートが上がってきました。
こうなると資源の量や人口数よりは構成員の民度レベルが99%の優劣尺度になってきます。
1昨年来の資源下落は当面1進1退をつづけるとしても長期的には、省エネ・電子技術中心時代になって、産業革命以降隆盛を誇った資源の下駄を履いた技術国優勢の時代が終わり、資源に頼らない純粋技術国優位の時代が始まった・長期トレンドにあることは間違いがないでしょう。
資源で下駄を履いていた時代が終わると、アメリカの民度レベルから見て資源大国にちょっと毛が生えた程度のレベルに落ち着くのが妥当と思われます。
アメリカが19〜20世紀型価値観・成功体験に頼り移民政策・人口数で覇者の地位を維持しようとしているのは間違いです。
未だに人口数が重要として人口ボーナス・オーナス論が一般的ですが、彼らの多くは過去の延長でしか考えない思考方法に浸かっているのです
アメリカが低賃金労働者を求めてどんどん移民を入れる必要があるかのようなムード報道をメデイアが繰り返しているのもその一環です。
4〜5日前にもメキシコの壁建設のテーマで日経新聞に書いていましたが、農業生産現場が不法移民の現場労働に頼っているので厳しく取り締まれば農業生産が何十億〜百億ドル(数字を正確に記憶していません)も減ると厳しい現実?を紹介しています。
こんな風にトランプ政策を間接的に批判していますが、そもそも低賃金・不法移民で儲けようとしている限り国民平均レベルが低下する一方でしょう。
こんなことに頼っているからアメリカの地位低下が進んでいるのです。
覇者の入れ替わり直前から新しい覇者が決まり、あるいはつなぎ的合議協調秩序が生まれるまでの間いつでもどこの世界でも混沌の時代が挟まります。
こういう時代を生き抜くにはさしあたり味方を増やしておくしかない・アメリカ抜きのTPP交渉を仕上げて仲間を増やす外、7月初めに大枠合意したEUとのFT/EPAの仕上げを確かなものにすべきでしょう。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2017/07/c7095646a795a4d4.html
日本とEU、EPAで大枠合意-欧州産業界は保護主義への対抗措置として評価-21世紀の経済秩序のモデル」として位置付け
欧州理事会のトゥスク常任議長は7月6日、ブリュッセルを訪問した安倍首相と首脳会談を開き、2013年4月の第1回交渉会合以降続いていた日EU・EPAが大枠合意したと発表した。」
世界で保護主義が台頭する中、日本とEUが自由貿易を志向する姿勢を明確に打ち出し、7月7日からハンブルクで開催されるG20サミット参加国へのメッセージにしたい考えだ。ビジネスヨーロッパ(欧州産業連盟)は「規制協力」を通じた非関税障壁撤廃に強い期待感を示した。」
第二次世界大戦前夜では欧米のタッグに対して日独伊の孤立戦でしたが、EU全体が背後に着き、 TPP11ヵ国の応援もあれば、だいぶ様相が違ってきます。
ここに言う「世界で保護主義が台頭する中」とは、トランプ氏の一方的輸入規制措置発動に向けた姿勢を指しています。
安倍総理の狙いは、「日EUのEPAが発効するとアメリカは損ではないですか?アメリカさんTPPに戻って下さい」というメッセージになるようです。

編集権とフェイクニュース4(加計問題国会報道2)

8月7日に紹介した早稲田大学の判例に明らかなように、裁判所はよほどの逸脱がない限り弁護士自治に介入しないという原則的立場・・もしかして占領軍遺産の連携 プレーかな?・・ですから組織内多数派を形成しない限り執行部決定を法的に覆すことは不可能です。
日教組の組織率低下の例を見て分かるように一旦一定方向へ組織の方向が決まると反対意見の人が事実上はじき出されてしまう「民主的」運営システムになっているのがふつうです。
米軍は置き土産として米軍の息のかかった自治制度・・各種岩盤規制・沖縄基地移転やオスプレイ配備や与那国島等の基地配備問題のような防衛問題でさえもなんでも地元が決める仕組・・をあちこちにバラまいて国民レベルでの意思貫徹妨害の地雷を埋め込んでおいたように見えます。
ヤクザでもパチンコ屋でも映画界でも憲法上であればなおのこと法律上で自治権を与えると言われた反対する組織はないでしょう。
だから日教組は組織率がいくら下がっても一般組合員(全学連の場合一般学生)の意見無視でやっていけるのです。
メデイア界が編集権制度確立によって一種の自治が原則化されたのはこの一環です。
メデイアの場合、顧客による市場淘汰が可能ですがこれには社会への浸透時間がかかります・・慰安婦報道のように20年以上もかかって、しかも国際情勢の変化でアメリカが日本の協力が必要になって反日攻勢を変更せざるを得なくなってようやく是正されたに過ぎないことから見ると、市場淘汰に委ねるのは社会損失が大きすぎて取り返しがつかない・・半端ではありません。
NHKのような公共機関になると市場淘汰すらもありません。
編集権に戻ります。
編集権があるとどうなるかです。
編集権も裁判所はよほどのひどいことがないと介入しない1種の自治制度扱いです。
たとえば、日本人が会議でよく使う意見表明の仕方・・A意見の後でBが、「Aのご意見はごもっともで私も同感ですが・・この点についてちょっと発言させてください」といいながら聴いていると.・・その次に実質反対の持論を述べるのが普通というか大方の発言ルールになっています。
こういう場合、前段の前おき部分だけ取り出して「Bが賛同した」と報道しても嘘を書いていないので虚偽にはならないでしょうが、この場合あまりにもひどいので、編集権に属するという極端な擁護意見はないでしょうが、今回の加計問題報道では大まかな前後の文脈から切り離して部分を取り出しているように見える点は同じ(正確な情報が私にはないので)印象を受けるだけです。
以前にも書きましたが、ニュースで何時間も国会質疑を流せないとしてもネット発達の時代ですから「今日〇〇に関して国会質疑があった」と言う事実報道だけにして「内容に関心のある方は・」とワンクリックで中継をそのまま初めから終わりまで視聴できるように簡易化すべきです。
全部見たい人には全部見られるようにしないと前川氏の「苦しい言い切り」を前後の脈絡なく「国会審議の結論」かのように大規模報道する密約があったのかと疑うような人が増えるでしょう・・。
一言いいさえすればその部分を報道しその他を切り捨てても編集権の問題であって虚偽報道にならないので「どんなに前後矛盾してもともかく言い切ってくれ」
という筋書きがあって、メデイアの要請に応じて前川氏が「根拠なく言った」という勘ぐりの余地を残しますが、全文報道すれば国民が自分で全体判断出来て余計な勘ぐりの無駄が省けます。
何回も書きますが、これは私個人の印象です。
8月5日紹介した森氏の記事では自民党の反主流派である石破氏が大きな役割を果たしていたと言われることと関連します。
石破氏関連の報道は以下のとおりです。
ttps://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-595462からの引用です。
  2017年07月24日 07時00分 NEWSポストセブン
〈加計潰しに奔走する獣医師会〉
 7月17日付の朝刊1面トップにそう大見出しを打ち、『加計学園 行政は歪められたのか?』という短期集中連載をスタートさせた。
 内容も刺激的だった。石破氏が自民党幹事長時代(2012年12月)に日本獣医師政治連盟から100万円の献金を受け、国家戦略特区担当の地方創生相に就任すると、獣医学部新設が極めて困難となる「石破4条件」が閣議決定された──というストーリーだ。
産経は日本獣医師政治連盟委員長の北村直人・元代議士と日本獣医師会会長・蔵内勇夫氏の2人に向けて石破氏が語った、「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました」という生々しい発言を報じている。
獣医師会の平成27年度第4回理事会の会議報告(議事要旨)には、北村委員長の活動報告の項目に件の「練りに練って」云々の石破発言と全く同じ文章が出ているのである。この会議報告は現在、獣医師会のホームページからは削除されている。北村氏に聞いた。
「会議で多少、成果を誇示する表現で報告することはあるじゃないですか。あれは石破さんの実際の発言ではなく、私の説明を獣医師会の事務局がまとめたもの。産経はこの会議報告をみて、想像を膨らませて書いたのではないか」
 苦しい弁明ではある。これまで「加計ありきではないか」(北村氏)と批判してきた獣医師会側が議事録の内容を否定するなど、文科省文書を「怪文書」扱いした官邸と、“どっちもどっち”の泥仕合である。
獣医師会の自爆文書
 興味深いのは、一連の文科省・内閣府文書が加計学園の獣医学部認可をゴリ押しする官邸の圧力を物語る内容なのに対し、これらの新文書は獣医師会が獣医学部新設を阻止するためにいかに政界工作を展開したかを明らかにしていることだ。
 そこからは安倍政権の深奥部で、加計をめぐる政治家の権力闘争が起きていたことが読み取れる。いくつかピックアップしよう。平成27年度第2回理事会では、北村委員長が次のように報告している。加計学園の獣医学部新設の特区認定について、
〈蔵内会長は麻生財務大臣、下村文部科学大臣と折衝をし、私(北村)は石破大臣と折衝をし、1つの大きな壁を作っていただいている〉
 日本獣医師会の蔵内勇夫会長は「会長短信」で国家戦略特区による獣医学部新設に激しく抵抗する。
〈下村文科大臣(当時)と面会し平成27年6月に閣議決定された「日本再興戦略」に記載された成長戦略特区による「獣医系大学の新設に関する検討」について意見交換を行ない、「実質的に獣医系大学の新設は困難と考えている」旨強く主張した〉(平成27年8月19日の会長短信25号)
〈私や日本獣医師政治連盟の北村直人委員長をはじめとした本会の役職員は、できれば獣医学部新設決定の撤回、これが不可能な場合でもせめて1校のみとするよう、山本幸三地方創生大臣、松野博一文科大臣、山本有二農水大臣、麻生太郎自民党獣医師問題議員連盟会長、森英介同議連幹事長など多くの国会議員の先生方に、本会の考え方をご理解いただくよう奔走しました〉(平成29年1月30日の会長短信42号)
こう見ると、獣医師会側は議連会長の麻生副総理兼財務相、石破地方再生相(当時)という新設慎重派の大物政治家や安倍側近たちを味方につけ、他の大臣たちを切り崩そうとしていたことがわかる。
 なぜか産経記事は同様に陳情攻勢を受けた麻生氏、下村氏、山本幸三氏らには言及していない。ポスト安倍を目指す動きを見せる石破氏への“カウンターパンチ”にも見えるのだ。しかし、獣医師会の工作は実らず、最終的に加計学園の学部新設方針は決まった。
では、麻生氏や石破氏を上回る政治力で権力闘争に勝利し、「加計GO」を押し通すことが出来たのは誰か。それはやはり「総理のご意向」と考えるのが自然だろう。
 獣医師会の内部文書は獣医師会側の石破氏らへの政界工作を“告発”する自爆文書となった。しかし、図らずも加計学園への獣医学部新設を決定づけたのが「総理のトップダウンの意向」だったことを、同時に陰画のように浮び上がらせたのである。
※週刊ポスト2017年8月4日号」

フェイクニュース 3と編集権3(占領軍の置き土産2)

占領軍が一旦思想界を支配した上で半永久的にその思想傾向を維持できる手段として民主主義の名の下にいろんな分野に自治権の尊重・不可侵性を強調しておいたように思えます。
占領軍が占領中に強固な思想集団を育成しておいても、米軍撤退後に米軍のいうままになっていた人物にとっては「米軍の犬」として批判を受け居場所をなくすリスクがありますので、彼らは自己保身のために一旦出来上がった自派勢力維持に必死になるとしても・・一つの孤立組織では無理があります。
いろんな分野に大量の米国寄りの組織を一つでも多く作っておいた上でそれらに国家権力のl介入を許さない自治権を持たせておくと、ある1つの自治権が攻撃されるといろんな利害を超越して先ず自治権の侵害に対する応援という点ではその相互応援関係になります。
まして、米軍撤退後も米国の影響力が(70年後の今でも)絶大でしたし、これと相俟って、米国寄り系譜が続いて行く担保になります。
田中角栄や橋本龍太郎等々それぞれ毀誉褒貶があるとしても、米国の意に少しでも逆らう傾向を示すとすぐ失脚して来た結果・・構図がずっと続いていきました。
アメリカに都合の良い事実に反した歴史教育~占領政策や日本軍の残虐性教育や戦犯裁判の正当性宣伝に対する批判に対して、(自分は検閲しながら)メデイアを守るための理論武装を与えたのが編集権不可侵性の議論という面があったでしょう。
メデイア界では実権を握った方は後継者採用段階で社風による選別をできるし、採用後の昇進差別可能ですから、一旦でき上がった思想傾向が半永久的に続く仕組みになります。
大学自治を保障したのも、大学や思想界から米軍讃美者以外を追放して米国=正義思想の教育界を構築してしまえば、その後自己保身おために同一系列者で承継・自動更新していく自信があって大学の自治を強固にして国民批判を受けつけないようにする保障機能を確保したと見ることが可能です。
アメリカの期待は一旦形成した「米軍政に都合の良い思想」が米軍撤退後も変質しないことが前提でしたから、その後朝鮮戦争を契機に米本国自身が容共から反共に変わると一旦強固に形成してしまった学内での容共・親共産主義思想家が邪魔になるネジレ現象になってきました。
日本から武力を奪い永久的に隷属させるつもりだったのが、朝鮮戦争の結果自国の戦争に協力させるために日本再軍備に舵を切り換えても一旦育成した非武装平和論が占領軍が期待していたとおり強固に根を張ってしまったので思うように行きません。
アフガンで養成したゲリラ勢力が、反米ゲリラになってしまったのと同じです。
占領軍が共産系の特定思想層を擁護しそれ以外を徹底排斥した結果、米本国の基本思想が反共に変わり日本を永久に再軍備させない方針も変わりましたが、アメリカの保障した大学の自治・思想学問の自由を盾に米国の意思に逆らっても?思想界は左翼思想・非武装平和論を金科玉条のように固守してきました。
大学自治を構成する教授会の主流を握っている限り反主流思想の新人学者の卵を採用しない権限がある・・多くは内紛を避けるために派閥構成比を維持して行くのでしょうが、その気になれば徐々に多数支配を強化・純化して行くことも可能です。
早稲田大学自治会の判決を昨日・8月7日紹介しましたが、「造反有理」思想が中国の改革解放後後ろ盾を失ってからでもなお約20年以上も自治会を牛耳ってきた現実を守るべきでしょう。
早稲田の社会学部で公認取り消し決定が1978年の中国解放宣言後二十年以上も経過・2005年になってようやく決定できる環境になった・・極左集団支持者が学内にいなくなったか、少数化したとすれば、社会意識とのズレこそが重視されるべきです。
他の大学や学部がどうなっているかは今のところ私には分かりません。
念のために中核派の拠点と言われていた法政大学を見ておきましょう。
以下の大学当局の声明によれば、自治会費代理徴収廃止処分に端を発する自称「全学連」による連日のデモ攻勢等に屈しないぞ!という姿勢のが書かれていますので興味のある方はご自分で入ってお読みください。
http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_1113.html
  2009.05.29
一連の事件の経緯について
学生自治会費の代理徴収廃止と「全学連」を名乗る集団
かつての学生自治会に対する会費の代理徴収もそのような学生支援の1つでした。第二次世界大戦後の学園の再生や学生生活の窮乏に端を発した自治会の会費を各学部の自治会執行部に代わって大学が授業料等と併せて全学生から徴収したのも、学生の総意に基づく民主的で自主的な学生自治会の活動を全面的に支援するためにほかなりません。
しかし、残念なことに、本学の学生自治会は、歴史的変遷を重ねるなかで形骸化したばかりか、外部の政治セクトがほしいままにするに至り、彼らの手による暴行傷害事件までもが学内で発生しました。学外者が学生会館に常駐したり、自治会費の使途が不明になるなど、本来の自治会活動から大きく逸脱するに至りました。そのため、本学の各学部教授会は学生自治会が正式な手続きを経て成立していないことを確認したうえで、自治会費の代理徴収を停止する措置をとりました。その結果、2002年までに全ての学部で学生自治会そのものが消滅しました。
代理徴収制度によって全学生から自治会費を強制的徴収して彼らに渡していたことが、長年彼らの運動資金になっていたことが上記によって明らかになります。
日教組の場合、教職員採用権を持っていないので採用段階で思想選別できない上に組合加入の自由があるので、民意に反した運動をしていると次第に加入率が下がっていきます。
http://www.sankei.com/life/news/170301/lif1703010077-n1.html
 2017.3.1 21:01
 日教組の組織率、過去最低の23・6% 40年連続減
日教組も形式的には会員意思重視で、民主的に運営されて約75%の教員の意見が反映されているならば組織から逃げる必要がない・・75%の人の意見で徐々に組合の方針が変わっていけばいい筈です。
教職員25%の意見で運営していて新人の意見が反映されないから新規加入が減るのです。
弁護士の場合採用試験が思想によらないので思想が左翼系ばかりとは言えませんが、弁護士になるには弁護士会強制加入制度になっているので、日教組のように加入しない自由がありません。
一旦左翼系が組織を牛耳ってしまうと日教組や学生自治会同様で機関決定が硬直化していくのを防げないことになります。
下部の「委員会に出て意見を言えば良いだろう」という形式的民主主議論が可能ですが、こういう形式論で解決できないことは、日教組の組織率低下や大学自治会で自由な反対意見を事実上言えないようにして極左集団が牛耳ってしまった結果を見れば明らかです。
ソ連も中共政権も下部組織から意見が持ち上がっていく「民主的」に運営制度になっています。

フェイクニュース2と編集権2(占領軍の置き土産1)

編集権の続きです。
元々一方的占領政策宣伝の道具として、反対論封じのための権利から始まったものらしいですから、外部批判を受け付けない日本報道機関のDNAを争えません。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=153604
「編集権とはそもそも戦後GHQの指導のもと1948年に日本新聞協会が出した「編集権声明」に依拠している。
その全文を引用する。
1948(昭和23)年3月16日
新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である。
この自由はあらゆる自由権の基礎であり民主社会の維持発展に欠くことが出来ぬものである。またこの自由が確保されて初めて責任ある新聞が出来るものであるから、これを確立維持することは新聞人に課せられた重大な責任である。編集権はこうした責任を遂行する必要上何人によっても認められるべき特殊な権能である。」
GHQが編集権声明を指導していたこととGHQの検閲がいつまで続いたかの関係が気になります。
https://kotobank.jp/word/GHQ%E3%81%AE%E6%A4%9C%E9%96%B2-887973によると以下のとおりです。
「連合国軍総司令部(GHQ)は45年9月にプレスコード(新聞準則)を出し、出版、放送、映画を含む全メディアを統制した。新聞などの事前検閲は48年7月まで続いた。その後は事後検閲に移行(49年10月に廃止)するが、検閲違反で発行停止に追い込まれる場合もあり、「事後検閲とは自己検閲の別名にほかならない」(文芸評論家の江藤淳)との指摘もある。情報機関に属する民間検閲支隊(CCD)配下のPPB(出版・映画演劇・放送)が窓口で、東京、大阪、福岡各地区に検閲官が配置され、翻訳を担当する多数の日本人が雇われた。
(2009-04-11 朝日新聞 朝刊 広島1 2地方)
上記によればGHQが表向き検閲廃止するしかなくなったことに伴い事前準備としてあらかじめ報道機関対象に行政指導を始めて編集権という原則を作成させたことが分かります。
この準備をした上で7月に事前検閲廃止したものの、事後検閲を続行していたこともわかってます。
米軍は、自分の検閲を続けるが「編集権の不可侵を宣言しろ」という意味するところは何でしょうか
GHQのチェックは続けるが「国民の報道に対する不満を受けつけるな」というだけのことです。
米軍関係者の犯罪行為や占領軍に不都合なことを報道するかどうかの選択権は占領軍の意向によるが、日本国民との関係ではメデイアにあるから占領軍の意のままに報道する偏向批判を受け付けないようにすることを制度化した事になります。
アメリカの表向きの民主主義や人道主義やその伝道師の主張と実際の違いがここでも垣間見られます。
米軍のいう学問の自由も同じで、周知の通りルーズベルト政権は容共主義(だからこそ、その後その政権内に浸透していた共産主義者・ソビエトのエージェント排除を狙うマッカーシズム旋風が起きたのです)でしたから、占領初期の徹底した偏頗学問の自由の結果、東大初め多くの権威ある教育機関では概ね左翼・共産主義系学者が支配することになりました。
マルクス経済学に関するキペデイアの引用です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
「日本では、経済学は長く「近代経済学」と「マルクス経済学」に分かれ、歴史的にはマルクス経済学の影響が強いという側面があった[2]。
慶応義塾大学や東京商科大学ではマルクス派が主流とならなかった一方で、東京・京都の帝国大学の経済学ではマルクス派が多数派となった[3]。戦前の東京・京都経済学部は、マルクス派、皇国経済学派、リベラル派の三つ巴であったが、戦後になって右翼系の経済学者が戦争責任を負わされる形で大学を追放されることとなり、その後任に左翼系のマルクス派が主流となる人事が実行された[4]。
日本の経済学界では戦後しばらく講座派、労農派らによるマルクス経済学が主流であり、終戦直後の傾斜生産方式による戦後復興はマルクス経済学者(有沢広巳)による発案である。」
上記のとおり多くの大学の思想界は左翼系で固まってしまい、(上記の通り戦前の方が左右両派中間派のが定立できる学問の自由があったのです)これが末端にまで浸透したのが日教組という図式でしょう。
一旦学内支配が確立すると学問の自由→大学の自治が一人歩きして、米本国が反共に変わっても日本が独立してしまったし学問の自由・大学の自治を保証した以上はどうにもならない・・そのままになって、戦後日本で左翼系思想家の再生産が続く基礎になりました。
左翼系が一旦浸透するとその排除が難しい例を視覚的に証明しているのが各大学自治会で、中核派等の極左暴力集団は数十年以上前から社会的に完全に葬られているにもかかわらず、その後多くの自治会が彼ら極左集団の巣窟になっていて一般学生から自治会費の強制的徴収を続けていた状態がその威力を証明しています。
早稲田大学社会科学部が後任を取り消したのは平成7年になってからのことです。
以下http://www.waseda.jp/student/weekly/img/syagakusaiban.pdfにある判決の一部を紹介します。
「社学自治会(早稲田大学社会科学部自治会)は、2005年3月2日付で大学が社学自治会に対して行った公認廃止決定及び一切の便宜供与廃止決定について、これらの無効確認などを求める訴えを東京地方裁判所に提起し、これを受けて、大学は、自治会室の明渡しや大学による社学自治会掲示板の使用妨害禁止を求めて社学自治会に対して反訴を提起していました。この裁判について2007年3月26日、東京地方裁判所は大学側全面勝訴の判決を言い渡し、社学自治会が控訴していましたが、2008年7月31日、東京高等裁判所においても、大学側全面勝訴の判決が言い渡され、大学の主張が全て正当であることが認められました。」
上記勝訴理由は、公認するかしないかは大学自治に属するものであって、裁判所は「大学の自治」による決定に対して原則として容喙しないという原理による勝訴です。
学内での勢力関係次第であることは今も変わりません。

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