基本的人権制約原理8(ヘイトスピーチ規制3

ところで、少数派とは、何でしょうか?
組織暴力団も国民全体から見たら少数派ですし、飲酒運転したり金融取引ルール違反する人もそれぞれの分野では少数派でしょうが、暴力行為や金融取引ルール違反があれば処罰される制度は加害者よりさらに弱者の一般消費者・弱者保護のために仕方のないことです。
中小学校等で暴力を振るういじめっ子の多くが、家庭内で虐待されている弱者かも知れませんが、いじめられる子にとってはいじめっ子が強者です。
論理的批判抜きに、まず高裁決定批判ばかりでは、何のために裁判制度があるかわかりません。
まして在日の場合その代弁メデイアに事欠かない・むしろ民族系主張を支持するメデイアが皆無・民族系主張はネット発信によるしか発表の場がない現状から見て、この種の主張は形式論にすぎません。
しかも、少数派保護というならば、「関西人や東京人というような集団に対する名誉毀損は成立しない」という昨日引用のウイキペデイアの解説との整合性がどうなるか?という疑問があります。
首都圏で特定県民性批判・たとえば「〇〇県人にはこういう欠点がある」と批判されても(その県出身者は首都圏には数〜5%しか住んでいない場合)極小数であって、正面から反論できない点では同じではないでしょうか?
関西人は〇〇、名古屋の人は△とかの県民性等の批判が良くて、少数民族なら許されないという区分けの根拠がなにか不明です。
そもそも民族と地域性による特徴ある集団の区別もよくわかっていません。
民族は人種そのものと一致しないのが常識でしょうし、文化的同一性・風俗習慣の共通性といえば県民性や地域性(東北の人と関西系の違い)とどこが違うのか?となりますし、言語の同一性を基準にすると(在日も日本語を普通に話せる)など一方で拡散し過ぎ、他方で方言的違いの区別を言い出せば細かくなりすぎます。
その上、特徴には両面があって、信州人のようにきっちりした県民性は賞賛のようでいて逆から見ると融通の利かない人というマイナス的評価も含みます。
具体事例ではアメ公とか(沖縄基地関連で)ヤンキーゴーホームという派手な運動が許されて、韓国人に対する批判だけ許されないとすれば基準がおかしいとの批判もありますが・・。
沖縄在住の米国人は確かに少数でしょうが、事実上の支配権力類似のバック(治外法権を持つ軍事基地)がある面で違いがありますが、権力者の子供が権力者の意向の及ばない学校や野球等のサークル内でいじめにあっているようなものでしょうか?
大手企業社長や評論家は日本全体では発言力があって地元の身近な問題・・局地的問題に対する影響力がありません。
日本有数の発言力を持つ言論人や企業経営者も子供(孫)の生活圏では影響力がない・その孫等は小学校内では一人の子供でしかない「弱い者」ですから、おじいさんの政治発言に対する反感を直接その評論家に反論しても論戦で勝てないないので、(相手にされない・自分の意見は正論ではないので)関係ない小さな子供にぶつけていじめの対象にするのは、「卑怯なこと」です。
韓国の慰安婦攻撃の過激化に対する反感を背景に在日批判が激しくなったことから考えると、国と国との論戦・・韓国との国際言論戦の劣勢?に対する鬱憤を、日本にいる在日に対する攻撃で晴らそうとするもので、米軍基地撤去運動の効果が出ない不満を弱い沖縄居住米国人個人攻撃に向けている点では似ています。
スポーツ選手がスポーツの試合では叶わないので、腹いせに相手選手の子供をいじめるようなものですから、相手を擦り変えて攻撃すること自体が卑怯な振る舞いです。
「ヘイト」という変な外国語を振りかざすのではなく、卑怯な行為は「道義として許されない」とした方が日本の武士道に根ざす安定した議論になるでしょう。
道義の分野は法による強制ではなく、道義の浸透によって解決すべきです。
西欧でも(フランスやドイツで)移民排斥運動を公式に唱えている政党があるようですが、同じように外国人排斥運動すると日本でだけヘイトになる=表現の自由を制限できるのでしょうか?
ヘイト=表現の自由を制限できるかどうかは国によって政策的に決めて良いとなれば、「表現の自由」は人類普遍の原理ではなくなります。
「弱いものいじめをするな!」という道徳律は重要ですが、「弱いものかどうか」の評価を法運用の基準にするのは却って危うい感じです。
ヘイト規制論の一つとして、明日紹介するように「聞くに耐えない粗野な暴言」「意味のない薄い言語」などを挙げる意見もあります。
でも本当にそうならば、論者は、自分だけ一般民度より高いと思っているかも知れませんが、高民度の日本社会ではそういう粗野で野蛮な言動は「言論の自由市場が受けつけない」ので法規制しなくとも短期間に自然消滅していくのではないでしょうか?
憲法学者や文化人の好きな言論の自由市場論はどこへ行ったのでしょうか?
言論の自由市場に委ねると負けてしまうから規制が必要」という論法のように見えますが・・・。
「自由市場論は元々思想の表現の優劣を市場できめるべき」という原理ですから、「自由競争で負けてしまいそうだから規制すべき」というだけでは、自由市場論の自殺行為のように見えます。
自由主義敬愛にも独禁法がるように構成案市場競争が歪られているならば、その点を具体的に主張すべきでしょうがその点の主張がはっきりしません。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3598/1.html

2015年1月13日(火)放送
ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が
ゲストロバート・キャンベルさん(東京大学大学院教授)
●去年の秋ごろ 実際にデモを見て
私が去年最後に見たのは、秋ですけれども、見に行って一番感じたことは、驚くほど内容が、中身がないということです。
中身がないということは、非常に力強く、大変耳を疑うような言葉が次々と出てくるわけですが、例えば、彼ら、彼女たちが標的にしている在日のその特権、それが具体的に何かっていうこと、本当に存在するかどうかということを示そうとしない、もっと大きなこととして、おそらく、その先にもし自分たちのその目標を達成した暁に、そこにどういう日本があるのか、日本という国はどうあるべきかというビジョンと言いますか、思いと言いますか、それを外に対して伝えようとしない、非常に内向きで内容が非常に乏しいものだということを、私はまず聞いて驚いたんですね。
粗野で内容のない一方的非難言動は激しければ激しいほど「聞くに耐えない暴言」あるいは、「内容のない決めつけ発言」は相手にされない社会、静かに論理的に持論を主張するようにしないと誰もまともに聞いてくれないような社会・・市場原理に委ねるようにすれば、解決して行ける・・日本社会はレベルの高い社会です。
私は「ダメなものダメ!」「少なくとも県外へ!」などの根拠のない決めつけスローガンを常々批判してきました。

こういう根拠ない意見をメデイアが有り難そうに煽るので、遅れて発信者として参加した初心者は・・メデイアで聞き慣れた「決めつけ調」から始めるしかないのは仕方のないことです。
保守系がメデイアの真似をするとメデイアの寵児ケントギルバート氏がそれを批判するのはおかしなものです。

メデイアと学者の煽り8(軍国主義肥大化へ2)

中韓両国の日本批判を見ると両国のレベル・・自国の行動基準を前提にして、「自分のならこういう悪いことする」という自白ではないかと思う人が多いでしょうが、トランプ氏の始めたフェイクニュース批判は自分の選挙戦を自白していると思っている人が多いでしょう。
私がいつも書くように既存メデイアの偏向性(フェイクではなく主張の偏りです)が目に余る不満が先立っていますので、トランプ氏は一応支持・喝采を受けていますが、既存メデイアもたまにヤラセ=フェイクもありますが、総体的に見れば虚偽事実の報道はごく例外であって、国民の多くが不満に思っているのは、実在する例えば100〜200の情報のうちメデイアの気に入った方向の事実のみを拾い出して洪水的に流す偏向報道の問題です。
朝日新聞の慰安婦報道問題も積極的に虚偽報道があったか否かではなくはじめっから「一定の角度」方向にのめり込んでいた点を国民が怒っているのです。
メデイアの偏り是正議論が落ち着いたのちの評価(何十年後?・ネット発達によって情報独占が是正されるようになるでしょう)になれば、虚偽事実に頼る点では、トランプ氏の方がフェイク性が露骨すぎるという落ち着きになるでしょう。
・・・「ベストの日露講和ができたのはアメリカの肩入れのお陰」
3月30日に紹介した通り、(アメリカはロシアがこのまま権益を握っていけばシベリアのような独占支配になってしまうが、日本を応援すれば戦後共同開発に参入のチャンスがあるだろう)という見込みで日本を応援していたのを誰もが知っていたのに、その恩・期待に報いる合理的政治を誰も言い出せなくなっていたことがわかります。
・・「三國干渉」のような露骨な分配要求ではないものの18年3月30日に紹介したアメリカの「門戸開放・均等門戸開放」要求を講和条約後日本は聞く耳を持たなかったのは、一種の背信行為でした。
政治家はみんなこの事情を知っていたのに、・・メデイアの政局への影響力が大きくなり、冷静沈着な国家決定が出来なくなってきたのが、満州への独占的行動開始→国際孤立化の始まりでした。
アメリカのオレンジ計画に関するウイキペデイアの記事からです。

日露戦争が終結すると中国問題が日米間で重要問題化しだし、両国間の緊張が高まりだす。アメリカは日本を仮想敵国とした戦争計画の策定に本腰を入れ始め、一連のカラーコード戦争計画の一つであるオレンジ計画が誕生する。
これら各カラーコード戦争計画は、後のレインボー・プランとは違い基本的に一国対一国の戦争を想定しており、外交関係や集団安全保障に関して考慮されていなかったのだが、オレンジ計画では初期の頃より『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』という日米戦争のシナリオを描いてシミレーションされ、実際の太平洋戦争もこれに近い経緯を辿っていく。日露戦争の最中、第一次世界大戦といった日本と協調関係にあった時期でも、対日本戦争計画、オレンジ計画は研究され続けていた。

日本は自国防衛のための緩衝地帯としての朝鮮半島確保の控えめな希望実現を求める限度では欧米の人道主義・アジアの小国(しかもジャポニズム等で好意的紹介されていた文明のある日本が)がどう猛なロシアに脅迫されているのが可哀想的その他価値観的擁護を受けていました。
この前提として義和団事件で遠隔地の欧米部隊の応援が入るまでの籠城戦での日本兵の強さや規律の高さが賞賛されていましたが、この時とばかりに中国東北・・のちの満州方面から南下進出してきたロシア兵の獰猛野蛮さ・終戦直前に満州へ侵入したソ連兵の野蛮さは周知の通りですが、その40年前にロシア兵が中国東北地方で同じことをしていたのです・・が欧米諸国の顰蹙を買っていた経緯もあります。
顰蹙というよりは、もともと侵略されたときのロシア兵の残虐ぶりが中東欧やトルコを含めて周り中で恐れられていた・この辺は今も同じでしょう。
話題が飛びますが、ココ数年のクリミヤ併合やウクライナ侵攻あるいはシリア介入など見ても、ロシアは今も昔も粗暴・恐怖感によって周辺威圧しかできない本質的弱点を持っています。
ロシアとしては本性をむき出しにした・「能ある鷹が隠していた爪を出した」本当は強いんだぞ!と威張っているつもりでしょうが、それしか自慢するものがない・・弱い国という評価を受けていることがわからないのでしょう。
今でも日中韓はロシアの軍事力が怖いのでロシアを気にしているに過ぎませんし、北欧やバルト三国あるいはトルコを含めて皆同じでしょう。
北朝鮮問題でもロシアが関与する場合があるのは、米国が軍事力行使した場合にロシアがどう反応するかに関心があるだけであって、調整能力に関心がある国はありません。
今話題のシリア政府軍の化学兵器使用に対する米軍の制裁?シリア攻撃実施可否に関しても米英仏が軍事行動すればロシアがどう出るか?というだけに理由で世界の注目を集めているだけのことです。
ロシアが正論を吐きそうだから聴いておくというものではありません。
そもそもロシアが混迷するシリアに派兵を始めた意図自体合理的理解困難ですが、人道など言わないでどしどしテロ組織を制圧していき、強力・辣腕ぶりを発揮したのはわかりますが、ヤクザが乱暴して「どうだ!」「俺は強いぞ!」と自慢しているようなものでしかありません。
正規軍や警察は周辺市民への誤爆が心配とか人道がどうのと言って、躊躇しているときに、(ヤクザが暴れているところへ、もっと強いヤクザ・)ならず者がやってきて人道や逮捕時のルール無視で問答無用で叩きのめすのを見ているようなものです。
経済困窮中のロシアにとってシリアが将来安定したとしても、そこに自国の基地を設けて中東に睨みを利かせることに何の意味があるかの問題ですが、国益よりはプーチン個人の支持率維持(人道論や国益抜きに「いい気持ちにさせてくれるだけの指導者を期待する」国民レベルに帰するでしょうが・・)だけのためでしょう。
戦闘機出撃やミサイル1発で巨額コストです。
アメリカのトマホークは一発約1億円と言われています。
ロシアは15年9月に介入したばかりでしたが、短期間で爆撃機だったか戦闘機だったかを引きあげたと報道されていましたが・・出撃コストに耐えられなくなったイメージを受けましたが・・。
https://news.yahoo.co.jp/byline/koizumiyu/20160330-00056007/

ロシア軍のシリア「撤退」から2週間 依然として強力な兵力残すロシア
3月14日にロシアのプーチン大統領がロシア軍のシリア撤退を発表してから2週間が経過した。翌15日は実際に爆撃機の第一陣がシリアのフメイミム空軍基地を離陸し、その後も攻撃機や武装ヘリコプターなどが次々と同基地を離れていく様子が報じられている

上記記事では実態はそれほど変わっていない・むしろ増強されていると報告されています。
シリア政府の化学兵器使用問題では、プーチン・ロシアは拒否権発動で調査団派遣に関する安保理事会決議否決に持ち込みましたが、ロシア軍が駐留していても攻撃をためらわない米国の勢いに困ってしまい、数日前から内々で「調査に応じるから..」という提案をするなど攻撃中止を求める動きが活発になっていましたが、昨日14日のニュースでは米英仏によるシリア空爆開始のニュースが出ています。
http://jp.wsj.com/articles/SB10376223459405434294104584162673842000750

米英仏、シリアの化学兵器関連施設を空爆
ByNancy A. Youssef and Michael C. Bender
2018 年 4 月 14 日 12:21 JST 更新
トランプ米大統領は13日夜、米国、英国、フランスが共同でシリアの化学兵器関連施設への空爆を実施したと発表した。空爆は、市民ら少なくとも43人が死亡、数百人が負傷した先週の化学兵器使用への対抗措置。

憲法と国家8(マルクス経済学者・矢内原総長と大内兵衛)

日本民族思想形成に大きな影響力のある東大総長人事に戻ります。
南原繁総長のあとを継いで東大総長になった矢内原忠雄東大総長は南原総長同様に新渡戸稲造の弟子でありキリスト者として知られた人です。
同じくキリスト者として米国のメガネに叶ったのでしょうか?
長男伊作氏による伝記では以下の通りです。
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1346

矢内原忠雄伝』矢内原伊作著 [2015年12月20日(Sun)
「矢内原忠雄の植民政策研究の特色は、統治者の側から統治政策を考えるのではなく、社会現象としての植民を科学的に分析し、実証的調査によってその理論を検証し、ヒリファーディング、ローザ•ルクセンブルグ、レーニンといった人々のマルクス主義的方法を駆使しながら、帝国主義論の一部として、あるいはその中心として植民地問題を扱った点にあると言えよう。」(同書381頁)
矢内原伊作氏は哲学者であり、弟の経済学者矢内原勝の下記の記述の方が正確なのではないか、と思う。
この中に出て来る木村健康氏のマルクスと矢内原の限定的な関係(下記引用文に下線をひきました)は「矢内原先生をしのぶ」『教養学部報』1962年1月,『矢内原忠雄- 信仰.学問.生涯 』468、に書かれているようなので後日読みたい。
また、矢内原忠雄が植民論を受け継いだ新渡戸稲造はマルクスを知っていたが講義等で触れなかった事。矢内原忠雄が影響を受けたであろうもう一人の東大教師であった吉野作造が講義で取り上げていた事も書かれているのが興味深い。
「矢内原忠雄はマルクス主義の研究を行なった結果, マルクス主義がただに特定の経済学説もしく は政治学もしくは政治行動たるにとどまらず, これらを網羅しその根抵をなすところの一の世界観 であることを十分認識していた。そして社会科学の学徒とキリスト者であることは両立するかという設問をし,両者いづれか一を棄つぺしとしたならぱ科学を棄てて信仰に生くる, としながらも, 両者に同時に従享できると考えている。
そして社会科学とくに経済学の理論として彼はマルクス経済学を採用した。それは当時の事情を把握し說明するためにこの理論が最も適当とみたからであろう。木村健康氏は,矢内原忠雄がマルクシズムの経済理論の部分を植民政策の研究の用具として使われていたにすぎないことがわかったとし, なぜこれを採用したかという理由として,他の経済理論にくらベてマルクシズムの経済理論が「神秘性」が少ないという答を得ている。」
『矢内原忠雄の植民政策の理論と実証』より
ついでに(キリスト教徒ではなかったからか?)東大総長にはならなかったものの戦後ニッポン経済学に大きな影響を与えた大内兵衛氏についても紹介しておきましょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/tokyocityjpn/25545845.html
1938年2月1日に所謂「教授グループ事件」が起こり大内兵衛は経済学部内「革新派」及び当局の謀略により逮捕されました。これは「第二次人民戦線事件」とも呼ばれます。
これは前年1937年における矢内原事件とそれに続く労農派一斉検挙(これが第一次人民戦線事件といわれる)を伏線として民主主義・共産主義を弾圧する為になされた右翼ファシズムによる暴挙でした。
大内兵衛の『私の履歴書』によると、「当時マルクス主義の立場に立つ人々は二つに分かれたのですが、それが労農派と政党派です」っと述べられております。そして「ソ連の指導に無条件に服従するという一派が日本共産党政党派と称し、そうでない人々が労農派といわえるようになった」そうです。つまり、「まず日本の事実について一通り理解して、つまり史的事実を先において、その事実はマルクス主義ではこう解釈されるべきである、というのが労農派の立場だ」ということです。

日本が戦時体制に入った頃、当局は共産党を取り締まる為に治安維持法をつくり、「国体変革」と「私有財産否認」をスローガンに掲げる政治党派を特別に弾圧できる体制を築きましたが、労農派は治安維持法の適用団体であるという容疑で全国で労農派一斉検挙が行われました。当時、「マルクス経済学の権威」と言わていた兵衛は、当局から労農派であるという容疑をかけられ、同じ治安維持法によって摘発されたのです。

ウイキペデアの記事からです。

GHQの占領時には、当時大蔵大臣だった渋沢敬三が、日銀顧問に迎え、東京裁判でも証言台に立った。1949年に東大経済学部を退官後は、1950年より1959年まで法政大学総長。向坂逸郎と共に社会主義協会・社会党左派の理論的指導者の一人として活躍した。
1955年5月から6月にかけて日本学術会議のソ連・中国学術視察団に加わった。門下の美濃部亮吉の東京都知事立候補を強く支持し、美濃部都政を助けるなど、実践面でも社会主義を貫いた。また、鳩山一郎や吉田茂からの大蔵大臣への就任要請を断ってきた[2][3][4]。社会保障制度審議会初代会長を務め、国民皆保険や国民皆年金の創設などを答申した[5]。
ソ連・中国学術視察団を経て、大内は社会主義について、「私も社会主義を勉強すること実に40年であるが、なにぶん進歩がおそく、社会主義がユートピアであるか科学であるかは、今まではっきりわからなかった。しかし、ここへ来て、いろいろの見学をして見て、それが科学であることはしかとわかった」と述べた[6]。また、経済学の分野に関しては「ロシアの経済学は二十世紀の後半において進歩的な特色のある学問として世界の経済学界で相当高い地位を要求するようになるだろう。……こういう歴史の変革のうちに経済学者としていよいよ光彩を加える名はレーニンとスターリンでありましょう」と、ソ連の計画経済を高く評価し、レーニン、スターリンの両名を経済学者として激賞した[7]。しかし、ソ連の社会主義経済はその後30年あまりで崩壊することとなる。
ハンガリー動乱について社会主義擁護の視点から、「ハンガリアは(米・英・日と比べて)政治的訓練が相当低い。そのためハンガリアの民衆の判断自体は自分の小さい立場というものにとらわれて、ハンガリアの政治的地位を理解していなかったと考えていい」、「ハンガリアはあまり着実に進歩している国でない。あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。」と、ソ連の圧政に対して蜂起したハンガリーの国民を批判的に論じた[8]。

南原氏は、昨日書いた通り、共産主義もナチスも全体主義を否定する立場でしたが、上記の通り総長2代目になるとキリスト者プラスはっきりした親ソ・マルクス経済学者になって行き、東大内でマルクス経済学者が表面に出てくるようになり、地歩を固めて行きます。

フェイクニュース8と思想の自由市場論1

米大統領選挙によって表舞台に飛び出したフェイク論議はアメリカによる報道支配・・アメリカ憲法学者の言うアメリカ支配に都合の良い「思想の自由市場」の崩壊・陰りが原因です。
憲法学者のいう思想の自由市場論は、マスメデイアを支配する勢力に迎合する意見発表の自由論です。
メデイア支配者の意に沿わない発言があると・メデイア界で袋叩きにして有力政治家でもすぐ失脚させてしまう実力を持つ社会・言葉尻を捉えて見せしめ的に発掘しては吊るし上げて「失言」ですら如何に怖い目に遭うかを見せつけて自由な発言を萎縮させる社会でした。
日本では安倍政権が誕生するまでは、政治家を続けるには(アメリカ支配・その手先としてメデイア界勢力を張ってしまった中韓勢力の)「メデイアを敵に回したらおしまい」というのが不文律になっていました。
安倍政権はこの不文律に挑戦したので、当初歴史修正主義者・アメリカによる戦後秩序否定論者のレッテル張りされていました。
メデイア界総力あげて彼の追い落としを画策していて、第一次安倍政権では、(根拠なく)如何にも頼りなさげな表情ばかり選んで報道する印象づけ報道で、あえなく退陣に追い込まれましたが、第二次政権では上記に懲りた安倍総理の正面突破作戦でメデイア界の雄であった朝日新聞とフジテレビが逆に追い込まれました。
中国による尖閣諸島海域侵犯行為と反日暴動プラス韓国による慰安婦攻勢激化に対してメデイアが米国による戦後秩序維持・非武装平和論・周辺国に何をされてもじっと黙っている図式を宣伝しても国民が納得しなくなったからです。
昨年夏の小池劇場では、「メデイア(護憲派が選挙のためにだけ改憲派小池氏に近づき選挙が終わったら民進党系多数を頼んで党方針を護憲政党に引き戻す戦略)に逆らったから負けた」とメデイアが宣伝していましたが、私は国民が左翼寄りメデイアの上記策略を拒否したからであることを昨年夏頃に連載しました。
日本では、政治家や公務員等がメデイアの意(結局は米中韓の利益)に反することを言うと「〇〇がそんなことを言って良いのか」という非難の嵐で謝罪に追い込み議員辞職に追い込むのが普通でした。
自由な思想市場など全くない状態です。
大手新聞は朝日、毎日、読売、日経4社の次に中堅の産経が続く程度の寡占市場ですし、テレビ界もほぼ同様です。
この独占的言論市場を占領軍が抑えた上で、その支配を続けるために見張り役を残す英米流の継続支配が続きました。
こういう「自由な思想市場」に任せるとどうなるか?
これが戦後70年も続いた結果、自国のためになることをうっかり言えない・正論は仲間内で「もぞもぞ」としか言えない社会になっていました。
米国→占領終了後は、日本監視役/手先として韓国系を使うようになった結果、今では中韓系多数が入り込むメデイア界では、(将軍家側用人が権力を握るように)アメリカの意向で動くよりも本国中韓の意向反映の方が色濃くなってきました。
靖国参拝問題の政治問題化以降アメリカの手先としての行動よりは、中韓の反日運動目的の軸足を置くようになって来たのですが、それを効果あらしめるために「錦の御旗として」「アメリカの作った戦後秩序・東京裁判を否定するのか!」というテーマにすり替えて来たことになります。
ブッシュ元大統領が日本訪問時に自ら靖国神社参拝を求めたのは、むしろこんな非生産的紛争にアメリカが利用されるのを嫌がっていることを(リップサービスか否かの解釈は別として)意思表示した事になります。
http://www.news-postseven.com/archives/20140510_255131.html

ブッシュ元大統領 靖国参拝申し出たが日本側が明治神宮変更

以後、尖閣諸島や慰安婦騒動等になってくると米国利益のための手先としての行為より中韓の利益が正面に出てくるようになってきました。
アメリカの意向と関係がないからこそ、日本も果敢に反撃できるようになった面がありますし、逆から見れば、「迷惑だから早く収束してほしい」というアメリカの圧力にもなっています。
ただ中韓系人材がアメリカのために日本の内情報告したり日常的細かなアメリカの対日世論誘導工作協力はそのままですから、アメリカは中韓系人材を切ることも出来ず、板挟みになっているのではないでしょうか。
世界政治での日本の存在が大きくなってくると、ついにアメリカも態度をはっきりさせるしかなくなり慰安婦騒動では日本有利な調査結果を出したので、朴槿恵が窮地に追い込まれることになりました。
アメリカは日中韓3国中で日本をとる意思表示を示したのですが、もともと安倍総理敵視から始まったことを想起すれば、ここまで逆転したのは安倍外交の勝利・大成功でしょう。
メデイアと民意の乖離に戻します。
民意=普通は国益を実現するものですが、これとメデイアの誘導したい方向との乖離が起きる原因は、日本の場合、占領されていた後遺症から基本的に国外勢力がメデイア内部を牛耳る体制が確固として構築されていることによると思われます。
アメリカの息のかかったメデイア界を作っておいて「思想の自由市場」で学問の方向を決めて行くといっても、アメリカの意に反する多数意見が成立する余地がないし、この20年ばかりではその手先になっている中韓の意向に反することをちょっと言おうものならばメデイア界で袋叩きになる仕組みでした。
アメリカ支配の時にはまだ婉曲的でしたが、その手先に使っていた中韓が影響力を持ってくると(ソフト能力が低いので)やり方が露骨になったこともあって、彼らの影響力行使が国民にはっきりしてきました。
多数意見・メデイアのでっち上げ(中韓利益擁護)「思想の自由市場」?に頼る社民や民進党が無記名選挙で苦戦するのはこのせいです。
最近英語でもPC(ポリティカルコレクトネス)の弊害が言われるようになってきましたが、英語圏でさえ大手メデイア・主としてリベラリスト・グローバリスト?のでっちあげる「正義」に耐えられない人が増えてきたのでしょう。
国民の健全な意識に反するメデイアに対する不満の爆発現象をフェイク批判のキャッチフレーズで表現しているのがトランプによるフェイク批判ですし、トランプ旋風のエネルギーであったように思われます。
トランプ氏の政策の基本が反グローバル化(国際多角的合意の破棄)であることから見れば、彼の標的がフェイクかどうかではなかった・メデイア界の手放しの(合理的規制不要の)グローバル化賞賛思想支配に対する挑戦であったことが明らかです。
トランプ氏当選以来問題化しているフェイク論争は、実はフェイクかどうかの事実認定の問題ではなく、メデイアによる一定方向への脚色誘導報道に対する反感の問題ですから、フェイクそのものに矮小化してその区別を議論していても解決にはなりません。
メデイア界は、自分らの痛い点に焦点が行かないように意図的に的外れ議論をしているように見えます。
2月4日の「フェイクニュースとは?1」で紹介したように、フェイク対策のために「ファクトチェック体制構築する、あるいはした」と言っていたフェイスブックが、昨年末にこれをやめて参加者の共感度で決めていくと発表したのは、「メデイア界はこの論争をうやむやに終わらせたい」からと深読みすることも可能です。
「ファクトチェックをやめることにした・共感度次第」ということは、事実上放任ですからこれでフェイク論争を自然消滅させようとしていたように見えます。

総選挙と民度8(マスメデイアの威力低下2)

希望と民進の合流発表に戻りますと、希望の党はいかにメデイアの作り上げるブームに乗っても、希望の党自体が自力で政権取りに行く(一気に過半数を取る)のは無理としても、連立相手に選ばれることが必須・そのための数字・3桁当選(そのくらい保守票を食ってこそ自民大敗ですから時間がかかっても保守系にウイングを広げる努力をすべきでした。
ところが自民党系以外の一般公募よる発掘では素人中心で2〜3回の講習程度では即戦力にならない上に、既存支持組織がないので目先の選挙に間に合わないし、資金面でも困ってしまいました。
そこで差し迫った候補者不足や資金不足や各地方で立候補するための運動員等の組織を補うのは、民進系がてっとり早いとなったようです。
しかし民進党にウイングを広げても自民党支持者を食うことはありませんし、逆にそれまでの保守系支持者が逃げ出します。
立候補者の思想信条を問わない・誰でもいい・・一定数の手駒が欲しい野心先行の印象が目立ち始めました。
小池氏にはもともと「政界渡り鳥」・・人格的にどのような問題があるのか私にはわかりません・・マイナスイメージが以前から言われていましたが、今回はあまりにも露骨過ぎたことが失敗の大元のように見えます。
この動きは実は今年7月の都議選前から始まっていて、泥舟脱出の民進党離党組が大量に都民ファーストに参加して都民ファースト立候補者として名乗りを上げて大量当選したことに始まります。
ttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499028541/

民進党に離党届を提出し、都民ファから公認を得た8人は全員が当選し“移籍成功”
一方、推薦を得て無所属で出馬した10人は5人の当選にとどまり、明暗が分かれた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiryohei/20170701-00072782/では都議選挙後の人事にかんする意見を書いています。
都民ファーストの原点は「かがやけ」と「7人の侍」だったはず

今回離党に至った選挙まで都議団幹事長であった音喜多氏の処遇について上記の様な大見出しで危惧を書いています。
都議会選後都民ファーストの運営を牛耳る様になり、都知事選旗揚げ以来の草創期支持者がドンドン弾かれていく・使い捨てて行くやり方が露骨になった結果都知事選立候補当初の地元政治家とその支持層が足元から逃げ出しました。
小池氏が以前から言われている弱点・人格批判されている・・どんどん使い捨てる本性をカモフラージュする余裕がなかったのは、時間がなかったことが焦りを誘ったとも言えますが、時間がないならば一回パスすべきだったでしょう。
周到な準備や組織がなくともメデイアさえ味方につければ、空中戦だけで当選まで持って行けるというあんちょこな考えによると思いますが、都知事選の場合一人だけメデイアの脚光を浴びればかなり効果がありますが、衆議院選挙の場合全国展開ですから、地方では地元支政治家に密接な人が多いので選挙の顔だけではなく地元で触れる個々人の人格も重要です。
当落をかけた戦い・・全国展開ですから足腰と一体で頑張る必要があります。
看板さえメデイア露出が多ければいいというものではありません。
総理になるための内心の準備は3年前からだったかもしれませんが、周りの準備には思想信条の一致する人材集めから始まり研修期間中の先輩後輩関係や本部組織や地方組織など順次組織を大きくしていくなどの試行期間が3年程度必要です。
同じ思想に染め上げていき場数を踏ませて育てて行くには自分は(まだ60年代前半と思いますしきっちりオリンピックを成し遂げた実績で打って出ればいいことですが・・)年齢的に間に合わないから・・という意見も散見されました。
組織面で見ても人数に応じて徐々に大きくするに連れて一周りずつ大きく改変して行くべきですし、その都度一定期間の試運転・運営経験が要りますが、都知事立候補・旗揚げからわずか1年では、数年かけて組織運営の試行錯誤をして行く時間もないし、数年かけて能力に応じた配置換えをすべきところを1年足らずで3年分の早送り的回転(1〜2年やって自分には無理とわかってからやめるのと数週間もしないでクビになるのでは)・切り捨てをすると恨みも買います・・立候補すべき人材育成・その人材の各地方での地元浸透その他全て間に合いません。
スポーツでもオリンピックが4年に1回のために自分の最盛期と合わない人もいっぱいいます・・・時間の巡り合わせが合わないのは天命として受け入れるべきでした。
もしかして小池氏自身がムードに頼るだけで独自の見識がない場合、小池塾で「頑張ろう!」という檄を飛ばすだけでは何回も続きません。
時間があれば却って困るタイプの政治家もいますが、地道に信奉者や同志を増やすよりは思想信条抜きに既成政治家をどんどん入れる方が即戦力で簡単・それも個別勧誘・意見すり合わせでは間に合わないから、民進党ごと丸ごと入党させるまでいくと、内容はごった煮どころか都知事選で応援していた一匹狼的政治は少数勢力になっていき有権者にとっても何のための新政党旗揚げか分からなくなります。
ここまでくると小池氏の旗揚げは、我欲が目立つだけで何をしたくて都知事選に出て政党を旗揚げしたかの理念が見えなくなってきました。
元々は「みんなの党」の関係者や「日本の心」の中山恭子氏の夫など自民党よりも右寄り人材を中核にして都知事選立候補したものでしたが・・民進党の引きずり込みを決めると希望の党内の政治力学が180度変わってしまいました。
時系列でいうと党を立ち上げたのが9月25日で数日後の合流決定では結党前から前原氏と通じていて・・内心で都知事選功労者切り捨てを決めていたのではないか?の疑いが出てきました。
さらに結党直後の全員合流ならば、素直に民進党と一緒に新党を立ち上げるべきなのに何故ややこしい「合流」方式になるのか?の疑惑が出てきました。
11月5日現在のウィキペデアによると時系列は以下の通りです。

希望の党(きぼうのとう、英: Party of Hope)は、日本の政党。略称は希望。
東京都議会の地域政党「都民ファーストの会」(東京都知事・小池百合子の支持基盤)が国政進出する形で、小池に近い議員が中心となって2017年(平成29年)9月25日に結成された。
9月28日には民進党と合流をし、第48回衆議院議員総選挙の公認候補の半数以上は同党出身の議員が占める
合流決定はわずか3日後のことです。

選挙後は党内多数意見を無視できない=旧民進党系の支配で希望の党はどういうスタンスになるのか?という国民疑惑が先ず広がりましたが、実は内部的に本来の小池支持で集まった政治家切り捨て(邪魔扱い)や新人養成への熱意がなくなっていたのです。
民進党議員や事務局スタッフ・全国組織まで丸抱えになれば、主導権が民進党議員が握られてしまうことが目に見えています。
都議の音喜多氏らの離党問題で紹介されていますが、都議選後の都民ファーストの会派では議会運営経験のある民進党からの合流者が委員長その他の重要ポストを握っている様子が出ています・・外野的視点で見ると衆議議員選より数ヶ月先行した都議選の結果、都知事選旗揚げのときから支えてきた一匹狼的都議数名は都議会レベル多数派の運営で邪魔になってきた・多数を占める民進党や自民党離脱組等の旧勢力出身都議グループから浮き上がってきた様子が見えます。

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