アメリカの自治体10(草の根民主主義の妥当領域3)

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col517.htmlによれば、サンフランシスコ市議は十一人しかいないようです。
町内会のように防犯灯をどこにつける廃止するか、ゴミ回収場所の新設程度のテーマの場合、ボランテイアなので、「今日は仕事が遅くなっていけないのでよろしく」程度の挨拶ですむのでしょう。
「市民の代表として市議同士が議論をして市民が傍聴するだけの日本と違い、この方式だと市議同士の議論というより市議と住民との対話集会のようで、住民意見開陳が終わると開陳されたその場の意見を参考に即座に出席市議が評決するので市議同士の密室の議論もないと解説されています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlの続きですが、

「多様な役職者が選挙で選ばれる一方、市議の数自体は少なくなる。アメリカの市議会は通常5、6人、大都市でも10人前後である(表3参照)日本の市議会が「議員が話し合う」機関なのに対してアメリカの市議会が「市民の話を聞く場」であることと関係している。参加市民とのやりとりを通じて物事を決めていくのであれば、市議はある意味で裁判官のような役割を果たし、何十人もの議員は必要でなくなる。」

いわば、体操やフィギアスケートなどの採点者のような雰囲気ですから、市議が5〜10人もいれば十分・・何十人もいらないという原理らしいです。
日本の公聴会は型式的進行ですが、アメリカの住民自治というのはこうした直接的な意見表明で行われている・・まさに草の根の対話で物ごとが進んで行くらしいのには驚きます。
裁判でも有名な陪審制度の基礎がここにあります。
政治であれ裁判であれ、「内心の意向を汲み取るのではなく、はっきり言ってくれたらそれを参考に結論を出す」と言う単純な社会構造です。
上記論文を読んでいると我が国の町内会運営よりも直接的なイメージです。
私のいる自治会の場合、ゴミステーションをどこにするかとか防犯灯設置または廃止についての議論でさえ利害関係者一人も出てきません・・。
出て来ないで「悪いようにはしないだろうと言う」お任せ方式で不利だったら後で不満を言う方法です。
ですから、町内会役員や市議は後で不満が起きないように意見を聞いて歩くサービスが要請されていてこれをしないで独断でやってしまうとあとで恨まれます。
二者択一の選択しかない場合、一方当事者の意に反した結果になるのは当然ですがその時には、意に沿うように努力したが他の役員や市議におし切られたとかの言い訳が必要ですから(これを繰り返すと今後投票しないと言われます)その前提として自分の意見を聞きにも来なかったと言うのは最悪になります。
日本では会議に出てこない人や発言しないひとの意見を重視する社会ですから、市議・県議に限らず上に立つ人はすべからず御用聞きみたいになるゆえんです。
これが日本のボトムアップ・忖度政治の原型ですし、市議等が市民の意向を聞いて歩くために忙しく動く必要のある原因です。
例によってアメリカはこうだ・・・「夕方から議会を開け、議員定数を減らせ、議員はボランテイアにしろ」という乱暴な意見がトキおりメデイアを賑わせますが、日本では自治レベルが高く議会で論じるべき自治権の範囲が違うし、これに比例して議論レベルがアメリカとは違う・自治体といっても数十人規模の自治体数十万人規模の自治体と一緒にする無理な意見です。
このあとで紹介しますが、アメリカでは数十人規模の自治体などがかなり多くを占めていますし、単純目的だけ(自前の警察がほしいとか「蚊の駆除」や学校をつくるなど)の自治体もいっぱいあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlによれば以下の通りです。

「日本には人口1000人を割る自治体はほとんどないが、アメリカの自治体の半数は1000人以下である[12]。人口数十人、数人というところもまれではなく、1997年の調査では、全米19,373の市(Municipal Government)のうち905、の町(Township)のうちが人口99人以下である[13]。そうした小自治体を紹介した貴重な資料にデニス・キッチン『我らの最も小さい町々』[14]がある。自治体研究の必読書とも言える同書からそうしたマイクロ自治体の事例をいくつか紹介してみよう。」
*ノース・カロライナ州のデルビューは人口16人の町。1925年に設立されて以来「3家族以上の家があったことがなく、これからもないだろう」と言うのはバン・デリンジャー町長だ。彼の祖父とその2人の弟がここで養鶏場を経営していたが、野犬がニワトリを食べてしまうという問題があった。州法は野犬を撃つことを禁じていた。そこで彼らは独自自治体を結成し、野犬刈りができるようにした。「野犬を撃つ権利だけを規定した憲章をもつ自治体を結成した」ということだ[15]。
*ネブラスカ州モノウィは人口8人の村。だが、1990年の国勢調査の結果が6人と出た。各戸に調査表も回り、国勢調査局からの電話確認も入った。なのに結果は人口6人。政府調査の信頼性なさの好例とされ、全国に流布された[17]。
*ユタ州オーファーは1906年設立の町。かつて銀鉱山の町としてさかえたが、廃坑後衰え、現在人口22人となった。「この町には常に(馬車型の)消防車はあったが、それを置いておく消防署の建物がなかったので、車がすぐ老朽化してしまっていた」と言うのは現町長のウォールト・シューバート。「それで最新の消防車を買った時、今度こそはと消防署兼市役所の建物をたてた。町の商店、団体、住民が寄付をしてくれた」。何かNPOの運営を語るかのような口調である[20]。
*小さい町では町長がボランティアですべてをこなす。人口30人のニューメキシコ州グレンヴィルで町長をつとめるミグニョン・サエドリスが言う。「男たちが日中仕事に出ている間、(女の)ルースと私があとを引き受ける。消防車を運転し、ブルドーザーを動かし、救急隊を組織する。サラリーはなく、すべてボランティアだ。時々、夫の郵便配達の代わりもする。200キロを車で走り35の家に止まり全行程5時間かかる。」[21]
*テキサス州マスタングは、現在人口27人の町。ダンスクラブ経営者のマック・アルヘニーの主導で1969年につくられた町だ。ハイウェイ沿いのこ地域は、野生の馬が生息する草原地帯だった。アルヘニーはここに450シートのカントリーウェスタン・ダンスクラブをつくる計画をたてた。州の土地規制を回避するにはそこを自治体化する必要があったという。しかし、テキサス州政府は200人以上の住民がいなければ自治体結成の要件は満たさないと言ってきた。そこでアルヘニーは急きょトレーラーハウス場をつくり、臨時住人を集めた。見事200人以上の住民が確保し、自治体を結成。クラブもオープンすることができた[22]。

アメリカの自治体8(草の根民主主義の妥当領域1)

http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)

アメリカの市議会のようす。壇上に少数の市議。会場は市民が詰め掛け、発言もできる。 (カリフォルニア州バークレー市)アメリカの自治体(Local Government)には通常の市や町以外に特別区がある。
有名なのは日本の教育委員会にあたる学校区だが、その他水道区、大気汚染監視区、潅漑区、高速地下鉄区、蚊駆除区、○○商店街街灯管理区、あらゆる種類の特別区がある。これらは必ずしも、市や町の下部組織ではなく、それらの連合した広域自治体という訳でもない。独自の自立した自治体であり、その首長が公選される場合も多い。区域が通常自治体とまったく無関係に線引きされている場合も珍しくない。
自治体は領域をもった全員加盟制のNPOである」という認識を、調査を進めるうち筆者はもつようになった。

日本で考えると土地区画整理組合や消防組合・水利組合やNPOあるいは町内会のようなものが自治体になっている印象です。
上記写真を見ると日本でよく知られたバークレイ市でさえもちょっとした公民館程度のホールで5人前後の市議が舞台のような演壇に机を置いて並んで座っています。
上記引用続きです
以下の写真は引用連載中の論文に掲載されているサンフランシスコ市の市議会風景です。

市議会は住民集会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パブリック・コメントは多様な問題についての意見を聞くことができるので有用だ。」とトム・アミアノ市議の立法秘書ブラッドフォード・ベンソンが聞き取り調査に答えて言う。サンフランシス市で1ヶ月に1回行われる地域での市議会に参加した時のこと[27]。議長も兼ねるアミアノ市議は革新派で、市民運動の活動家たちといっしょに市議会にのぞむことが多い。会場には多くの市民が押しかけ、壇上の11人の市議に向かって次々に発言している。
「市の政治は、経済的に力のある人たち左右されがちだ。こうした形で一般市民が参加できることでカウンターバランスになる。」
とベンソン秘書。
こうした議会での市民の自由な発言を「パブリック・コメント」という。現在、日本でも行政の個々の施策に意見書を提出する「パブリック・コメント制度」がはじまっているが、その語の起源はこうしたアメリカの市議会などで行われている市民の自由な発言だ。
サンフランシスコ市議会は通常、毎月曜の午後、支庁舎内の会議場で開かれるが、月に一回は地域で出張市議会を行う。この時は、市民の集まれる夜に設定された。ケーブルTVの中継カメラがいくつかすえられ、講堂の中央に発言を求める市民が長い列をつくる。順番整理のためリストに名前を書き込むこともあるが、待ち列の一番後ろにつくだけでもいい。資格審査などは一切ない。サンフランシスコ住民でなくともよい。外国人でも発言できる。各議題に付き1人1回3分程度の発言が認められる。発言者が多い場合1分以内などと制限されることもある。
この日は地域での市議会だったが、市議会堂で行われる通常の議会も同様だ。通常5人程度の市議が壇上に座り、「客席」には多数の市民が詰めて次々に立って発言する。市議の重要な役割の一つは市民の発言をじっくり聞くことだ。最終的には市議の多数決がものごとを決定するが、それも公開の場で住民監視のもとで行われる。
議会は通常、市民が来れる夜開かれ、紛糾する問題があれば市民発言が真夜中まで続く。市民運動にとっては絶好の動員の場だ。同一団体のメンバーと思われる人たちが次々立って同じような主張を繰り返す。「エイズはビールスで起こるのではない」というよくわからない主張をする宗教グループの人も何人か居た。」

引用は明日も続きます。

アメリカの自治体7

日本のような自然発生的集落しか知らない立ち位置からではイメージしにくいですが、エベレスト等に登頂すると「エベレスト制服」と発表し、先住民を駆逐して?広大な無人の?原野に行った先で旗(行ったしるしの石碑)を立てて帰ってくるとそこまで先に支配がおよんだことにする西欧や中国的領土主張のあり方を前提に一応イメージしてみると以下のように想像できます。
広大な北アメリカの原野の隅から隅まで地図上の分割を済ませて各州の領域が決まったが、そのほとんどが誰も住んでいないし人跡未踏の空白地域で始まっている・・そこに人が住むようになって一定の集合体ができた場合、州(ステート・国家です)の作った一定の基準を満たせば町や村等のコミュニティーと認めようという制度設計のイメージです。
日本で言えば、民法の公益財団設立認可・・あるいは、今はやりの法人でいえば、NPO法人や社会福祉法人設立認可のように一定基準を満たせば地方公共団体が設立されていくのと似ています。
大和朝廷の始まりがはっきりしないのと同様に、日本の集落は自然発生的・・古代からあっていつでき上がったかも不明なほど古い集落が基本(古くは平家の落人部落伝説や新田開発や、明治維新時に北海道開拓に移住したりした場合など例外的場合しか知られていません)ですから、明治維新後幕藩体制を解体して中央集権化に適した郡県制に組織替えするに際しても、古代から存続している集落には手をつけずに、いくつかの集落を併合する形でその上に近代的市町村制を乗せたに過ぎません。
ですから、市町村合併で明治以降の市町村名が消えてもその下の集落名・・大字小字の仕組みになっています。
この辺は大宝律令制による班田収授法でも古代からの集落を無視できなかったので、結果的に古代的私有(集落有)制度に戻っていく・・中央任命の国司の権限が形骸していき、古代から地域に根を持つ地方有力者・郡司の実権を奪い切れず、地元勢力・逆に武士の台頭→幕府成立→戦国時代を経て古代集落の合議で地元のことは地元で決める法制度になった徳川時代にようやく落ち着いたのと似ています。
明治以降(大化の改新同様に)西洋法に倣って形式的地方自治体の権限を法で強制し(その逆張りとして古代から続く集落にに法人格を認めませんでしたが、中央政府が無理矢理強制した郡県制・市町村線引きは無理があり、次元の違う集落共同体の抵抗が、我々法律家の世界では有名な「入会権」の抵抗です。
最近顕著になってきた各地に根付く集落ごとの「お祭り」の復活が、押し込められていた地方精神面での反抗復活というべきでしょうか?
話題がそれましたが、ここでのテーマはアメリカの自治体権限と明治維新以降我が国が西洋法の移植で始めた自治権限とは歴史本質が違うということです。
アメリカの場合、一足飛びの社会ですので、日本や西欧諸国のような歴史経験・・原始的集団形成過程を追体験して行くしかないので、草の根民主主義から始まるのは当然です。
わが国で言えば、原始時代に遡るしかないほどアメリカの遅れた状態を単純に賛美している報告がわが国で普通に行われているのはおかしなものです。
原始時代からいつ始まったか不明なほど古くからの集合体があったのではなく、外部侵入・占領に始まる社会の作り方です。
まず州ができてそのあとであまり広域すぎるので、泥縄式にまず郡を作ってその領域内でミニサークルが出来上がっていくのを待つようなイメージです。
日常的に必須のサービスについて自分たちでプラス負担しても良いから・・ということでより良いサービスを求めて自治体結成するのですから、でき上がった自治体の役割・権限もその程度になるのが自然でしょう。
学校や道路などその部分だけ自分たちでプラス負担しても良いという程度の動機ですから自治を求めるのものその範囲のことです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

「アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
「自治体結成について最も障害となるのが財政、税金の問題である。郡から大枠の行政サービスを受けるだけよりは地元で自治体をつくり身近な行政サービスを受けた方が好ましい。しかし、自治体をつくると税金負担が大きくなるマイナスがある。東パロアルトのような貧しい地域では域内ビジネスがあまりないので税収があまり期待できない、という問題もある。「独立」するよりは郡の庇護下に居たほうがいいという判断も出てくる(周辺の裕福な地域の税収で行政サービスを受けるということでもある)。それで東パロアルトの自治体設立にも根強い反対があり、1930年代以来、何度も自治体結成の話が出てはその度消えていった。」
「さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。カリフォルニア州の場合は州法で5万人以下の市なら月給400ドル以下、3万5000人以下なら月給300ドルなどの報酬額が定められている。このような名目賃金では生活できないから、市長や市議は通常、他の仕事をもっている。市議会や市行務の仕事は夜行なわれる。
市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している」

この論文ではこのコラムで関心のある自治体権限の範囲について書いていませんが、(私は法律家なので法的権限に関心が行きますが、社会学者の場合?関心の一部でしかないでしょう)自治体結成の動機エネルギーから見ても、結成動機に権限が関係しますし、また「市」と言っても市議会議員の給与や定数まで州法で決めているくらいですから・・自主的にできることは、州政府の提供するサービス・・最低保障に自分たちで集めた税で上乗せサービス給付する程度しか想定できません。
このような観点から見れば、領域支配を前提とする日本人の自治体イメージから見れば、不思議に見える領域支配と関係ない特別区という自治体がいっぱいあることも「異」とするには足りません。
(昨日紹介した警察だけ自分たちで運営する自治体など)

アメリカの自治体6

アメリカの自治体の実態そのものを調査研究した人の意見が以下に出ています。
以下引用するhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlに詳しく出ていますが、アメリカではたった3人から10数人クラスの自治体があるし、有料の橋だけ管理する自治体や警察署だけ設置する自治体もあるなど機能的にもいろいろらしいです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)7
「憲法には地方自治の規定はまったくない。したがって地方自治法はすべて州法。自治体を設立するのも州の権限だ。したがって自治体制度は州によってまったく異なり、本稿で詳述するような複雑さを呈する。「アメリカの自治体は・・・」と一括りにはできない。別の例をあげれば教育である。日本の教育基本法や学校教育法にあたるのはアメリカでは各州の州法である。したがって州により小学校が4年だったり5年だったり6年だったり、小学校に幼稚園が付いていたりいなかったり、高校が3年だったり4年だったり6年だったり、とばらばらである。
「郡
アメリカの地方自治制度は、概略的に言えば、まず州全土が数十の郡(County)に分割され、その中に自治体が形成される形だ。無自治体地域には郡が公共サービスを提供する。自治体がない地域はあるが、郡はあらゆる地を被っている。」
上記によると州政府は州をいくつかの郡に地域割りして出張所みたいに郡庁を設置していて、そこから自治体の設置されていない地域への警察や道路水道学校等のサービスをする仕組みのようです。
もうちょっと学校をよくしたいとか道路をよくしたいと思えば、地域の住民多数で自治体を結成すれば自分たちで警察を持てば(3〜40分離れた郡庁所在地から駆けつけるのではなく、地元警察署が欲しいという理由で自治体を作ると)治安が良くなるとか道路を綺麗にできるなどメリットがありますが、その代わりそれまで州政府・郡庁がやってくれていた分が地元負担になります。
地元負担が増えることの兼ね合いで自治体結成したりしなかったりになるようです。
貧しい地域は平均的サービスを州政府の負担で受けた方がトクでないかという発想で、貧しい地域ほどいつまでも自治体のない地域が残る仕組みのようです。
以下引用の通りアメリカの面積では大半、人口比では38%では自治体のない地域に住んでいるという実態を抑える必要があるでしょう。
「(序)市民が設立する自治体
アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
警察保護区を設置した自治体の様子は上記引用記事によれば以下の通りです。
「ブロードムア警察保護区(BPPD、Broadmoor Police Protection District)委員会のピエール・パレンガットが語る[10]。サンフランシスコ市の南辺、面積1.4平方キロほどのブロードムア地区(人口5000人)は通常自治体のない非法人化地域だが、警察だけは必要だということから、自治警察だけの特別区自治体BPPDを設置している。1948年に郡議会に嘆願し、州法に定められた警察保護区の規定にのっとりを設置した。「自治体がない地域は通常、郡が行政サービスを提供する。ここでも最初は、郡警察(シェリフ)の管轄下にあった。」とパレンガットが説明する。「しかし、郡警察本部は、車で約3-40分かかるレッドウッド市(郡庁所在地)。事件があっても警察官が遠くから駆けつけることになる。地域で警察保護区をつくればサービスも迅速になるし、心配や問題があった時いつでも来れて、署長や警察官と話ができる。」
「このBPPDについて詳しくは別稿に譲るが[11]、彼らは、「迷いネコの捜索や病気の住民の様子を見に行ったり、高齢者のために郵便を出したり」もして、コミュニティー・ポリーシング(地域に根ざした警察)を実践している。住民から選挙で選ばれた3人にからなるコミッション(委員会。パレンガット氏が委員長)が運営に責任をもち、その下に11人の警察官が雇われている。戦国時代、住民が侍をやとって村を守る話(黒沢明監督『七人の侍』)という話があるが、警察保護区はまさにその現代版だ。警察署は民間住宅を改造した建物。そこに11人の侍だけでなく、延べ10人以上のボランティア市民が詰め月600時間以上の労力を提供する。」
ブロードムアの警察保護区はいわゆる特別区(Special District)のひとつだ。アメリカの自治体には日本のいわゆる市町村型の総合型自治体ばかりでなく、こうした専門サービス型の自治体がある。代表的なのは学校区(教育委員会に相当)だが、後述するように水道区、大気汚染監視区、交通区、蚊駆除区、その他多様な分野の特別区自治体がある。
道路などよくしたいと自治体を結成した地域もあります。」

アメリカには自治体のない地域が面積の過半を占め、人口比で38%が自治体のない地域に住んでいる事実をまず知るべきです。
アメリカは自治の本場というイメージがありますが、そもそもその前提にある基礎集落社会・自治の主体に関する大きな誤解があることが分かります。
もともと日本のように自然発生的に集落があって、何千年の経過でそれが育って〇〇郷や・〇〇の庄〜ムラ社会〜明治以降のムラ〜町〜市〜大都会になってきた社会とは成り立ちが違っています。江戸時代・・特に房総地域では旗本領が入り組んでいて一つの部落野中が何人もの旗本の領地に分けている(ひどい例では、一人の農地の内この農地は誰それ領地と複数領主に分かれていることもあったようです)状態であったことが、千葉県では知られていますが、こういう土着社会に領主がいてもまるで相手にされない・ムラの寄り合いで「こういう決まりになりました」と領主に届ける仕組でしかありませんでした。
領主といっても、結果報告を承認するしかない・事実上領民の決めたことを強制される社会でした。

 

ヘイトスピーチ8(少数派の特権見直し)

韓東賢氏が日本人海外駐在員が数年後に想定される帰国に備えて、子供を日本人学校に通学させている現状を、そのまま真似して正当化に成功しているように誤解しているのですが、帰還事業に逆らって居残った在日朝鮮人や一旦帰国したがまた戻ってきた場合、短期間帰国予定の転勤族とはまるで違う・・その背景事情が全く違っています。
朝鮮人学校が必要になったのは、朝鮮戦争を契機に日本文化同化を拒む(常に異端勢力を抱えこませる尖兵として利用したい)政治勢力による「悪意」が基礎にあると見る右翼系の想定の方が説得力がありそうです。
実際に下記論文は「同化政策拒否」の思想が根底にありそうな趣旨です。
8月1日の日経新聞第一面の「人材開国」の欄では、英仏では移民を公式受け入れしてきた経緯から社会への溶け込み・同化を応援する施策が充実してきたのに対して、移民政策を公式に認めなかったドイツでは、トルコ人などの異文化民族がそのまま国内で孤立→集団化していて、これが、ドイツ人社会との軋轢を生み、帰って反移民論が噴出している原因となっているので、遅ればせながら外国人労働者を社会に受け入れる・・同化教育?に転じているという趣旨(私の誤解?)の解説があります。
勝手な想像ですが、社会の仲間として受け入れないから、外人はいつまでも外人のまま。外人の方も孤立しているから助け合うために自分達のコミュニテイーを形成するようになり、これが何らかの切っ掛けで民族間紛争になると、圧倒的な力の差があればナチスのホロコーストになり、ボボ対等に戦える場合には、元ユーゴ(クロアチア)での民族間戦争や多くの国に残っている少数民族との内戦になるのでしょう。
社会の安定には、よそ者をできるだけ温かく迎え入れて一日も早く仲間にしてしまうことが彼らの孤立化を防ぐ知恵ですが、そのためには、外国出身者にゴミ出しその他礼儀作法その他生活万般で、日本文化を理解して協調してもらうしかない・当然子供のときから、日本人と一緒に教育を受けた方が相互理解が進みお互いに馴染みやすいに決まっているのです。
同化というか包摂というかの違いがありますが、人種別の違った価値観でゴロゴロとした集団になって対立して住むよりは融合した社会の方が良いに決まっています。
日本列島にはいろんな顔かたちがあっても皆同胞意識が強いのは、縄文の昔から徐々に入ってきたいろんな民族が徐々に融合してきたからです。
ロシアによる米国選挙介入に限らず、敵対国の民族分断作戦ほど敵対国の分裂=国力を削ぐのに有効な戦略はないので、日本国内対立を煽る・在日朝鮮民族を日本同胞意識化を拒み、日本社会を不安定化を図る勢力が外部にあるのは仕方がないことです。
沖縄基地反対闘争に中国や韓国人が多く入って過激化を煽っていると言われますが、(現地にはハングル文字が氾濫している)その意図すするところは、「沖縄県民は日本人・同胞ではなかったのか?」という疑念を抱くように仕向ける・一体感を破壊するのが主目的と見るべきでしょう。
沖縄戦では米軍に殺されたより軍に殺された方が多いという宣伝も同じです。
上記韓東賢氏は、同化政策=ジェノサイド的理解のような1面的(日本をナチスのジェノサイドに見立てる傾向)見方(そういう断定はしていませんが・・私はそのような印象を受けたというだけ)を匂わせて、民族教育が必要であったと逆ばり論理展開するようです。
敗戦時に在日が200万人いたとしても、帰りたい人は皆帰国してしまったので戦後特別扱いを受けるようになった人たちは、帰還事業に応じないで居残った人とその後大量に舞い戻ってきた人や、戦争難民(当時アメリカ占領下にあって不法入国記録管理がはっきりしないこともあって実数は今のところ私には不明・・情報がないから占領軍の朝鮮関係犯罪の隠蔽体質の結果数字が一人歩きする原因)ですから、帰国予定もないのに帰国時のために・というのは一種のすり替え論ではないでしょうか?
ちなみに敗戦前から引き続き残っている朝鮮人は以下の通りらしいです。

ウイキペデイア引用続きです。

・・・・朝鮮人の引き揚げは継続され、1959年に外務省は、朝鮮への国民徴用令適用による朝鮮人徴用は1944年9月から下関-釜山間の運行が止まる1945年3月までの7か月間であり、また、戦時中に徴用労務者として来た朝鮮人の内、そのまま日本に留まった者は1959年時点で245人に過ぎず、日本に在住している朝鮮人は、「大半が自由意志で来日・在留した者」とする調査結果を発表している[116]。

在日の場合、犯罪を犯しても氏名公表しないとか、通名使用の事実上公認や、京都のように公園独占使用黙認などの事実上の違法行為黙認特権もあれば、特別在留者については犯罪を犯しても強制送還しないなど法律上の特権もあります・上記のようにその始まりは連合軍の検閲に象徴される朝鮮人優遇策にあり、なんら合理性がありません。
犯罪を犯しても本国送還しない特権の成立(辛淑玉氏風にいえば「勝ち取った」の)は、居残っている朝鮮人がいかに帰国を嫌がっていたかがわかります。
日本社会でいじめにあっているならば、喜んで帰るはずですし、一旦帰った韓国からこっそり舞い戻る必要がないはずです。
舞い戻り組みは、(当時入管を米軍が握っていたので不法入国の実態がはっきりしません)戦前、日本の方がチャンスがあると思って日本に働きに来ていた一種の出稼ぎ組みが、敗戦で焦土になった日本にいても将来がないと見切って逃げたグループだったから、その日本がみるみるうちに復興を始めたので、またチャンスを求めて舞い戻ってきたグループと見るべきでしょう。
東日本大震災時でも中韓人の(踏みとどまって復興に協力しない)逃げ足の速さが報じられていましたが、こういうことを繰り返すのが彼らの民族性でしょう。
米軍による検閲・朝鮮人犯罪等の報道禁止の慣習が戦後70年経過した現材もメデイア界に残り、在日犯罪に限定して氏名公表しない運用になって残っていると思われます。
これは少数民族保護というよりは占領支配の手先として利用するための優遇政策の名残ですから、占領支配終了後はこういう特権を維持する合理性はありません。
在日特有の「特別」在留者という資格自体、法律上特別地位=特権容認の意味でしょう。
あちこちの公的空間の不法占有→既得権化も朝鮮民族が(体を張って?)勝ち取ったものかもしれませんが、そういうことに対して日本人が「少数者保護に乗じたやり過ぎ」と異議を出し始めたことをなぜ「ヘイト扱い=表現禁止しょうとするのか不思議です。
上記経緯を見ると、昨今の朝鮮人問題は戦勝国米軍が敷いた戦後秩序見直しの一環であり、慰安婦騒動激化はこれに対する先制攻撃であったことがわかります。
戦後レジーム見直しを掲げる安倍政権を目の仇にするわけです。
表現方法が品位を害し威圧的であってその方法が許容範囲かの議論と「法律上の特権の有無、あるとしたら合理的かどうか」の「議論をしてはならない」という主張に広げるとすれば憲法上の問題です。
ヘイトスピーチ規制の可否・・・範囲と規制の程度に関しては、従来憲法学者が「思想の自由市場論」+「集団相手の名誉毀損は成立しないとしていた論調との調整が必要です。
京都朝鮮人学校事件では、あの激しい表現でも名誉毀損ではなく、業務妨害罪だったように記憶しています。
業務妨害罪ではなんらかの業務被害が、対象でそこで罵られている児童らの受けた心の傷は、業務妨害の一資料にしかなりません。
これでは本来の過激表現攻撃に正面から対応できないので、ヘイト規制推進派にとっては民族集団に対する批判も名誉毀損該当を求めたいのでしょうが、従来いくら日本民族批判をしても「集団に対する名誉毀損はない」という理論で日本民族批判派が守られてきたことと整合しません。

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