国債残高の危機水準8(企業の資金)

4月20日に書いたように、国債発行残高が個人金融資産以下であれば安全には違いないものの、これを越えたら危険になるとは限らない・・危険を見分ける基準とは全く別ものなのに、マスコミはこれを強調し過ぎです。
放射能汚染に限らず、砂糖でも塩でも水でも一日どの程度の摂取なら(例えば一日当たりコップ一杯の水の量は)何ら問題がないと権威者が言ったとしても、1日に一杯以上の水を飲むと危険と言ったことにはなりません。
放射能の規制基準も短時間被曝は一定量を越えた被曝で危険なことが明らかとしても(これが放射線取扱者などの管理区域設定の基準です)長期間になるとまだ科学的には不明のままです。
この点に関する武田教授の意見には賛成出来ない(同氏の多くの意見には私は賛同していますが・・)ことを March 28, 2011「放射能の危険性2(管理区域)」前後のコラムで書きました。
放射線に関しては、訳が分らないと言うだけでは不安なので、さしあたり「これだけ少なければ問題がないに決まっている」と言ういい加減な基準で決めたものが一人歩きしているのが現状です。
これを少しでも越えると危険であるかのごとき印象になってしまい、今や世界中が非合理なヒステリー状況になっています。
コップ一杯の水の例・・「この程度なら議論にもならないほど安全でしょう」ということがいつの間にか危険基準に化けてしまっているように、我が国では元々の基準が違うのにこれをごっちゃにした論調が多すぎます。
究極的には個人金融資産が岩盤・担保と言えることと、当面の資金繰りとは違います。
国債需給に関しては、個人よりも国内各機関・企業の保有する流動性資金が需給の大きな部分を担っています。
企業の現預金は前年比4、6%増の205兆円となっています。
企業は、現預金からだけ国債を買うのではなく、長期投資としての国債保有もあり得るので、その動向・可能性も国債需給のメルクマールとすべきです。
通常の取引主体としては企業や金融機関
自体が資金の重要な出し手ですから、国債金利上昇圧力(札割れリスク)に関してマスコミが個人金融資産にこだわるのは合理的ではありません。
韓国の株式の外国人投資家保有比率のコラムでも書きましたが、韓国では金融機関でも外国人投資家比率が高いのですが、我が国でも金融機関に対する一定の外国人投資家がいますし、事業会社であるトヨタでもソニーでも同じです。
国債保有者はこうした外国人株主のいる金融機関や企業の比率が大きいので、必ずしも個人金融資産の範囲内に安定購入者が限定されている訳ではありません。
外国人株主や社債購入者の意見がある程度反映されるでしょうが、トヨタ等の意思決定には、やはり民族企業としての意思が濃厚に出るので、(経済合理性を越えた国内生産維持に対するこだわりを見ても分るように・・)個人金融資産だけが購入能力の限界ではなく民族企業や金融機関の総合購入力も緩衝勢力として存在することになります。
数字的に比喩すれば、3割の外国人株主がいる企業体では多数派を形成する日本人株主が、その3割の資本を自由に運用出来る資産に加えられることになります。

構造変化と格差8(大欧州化の矛盾)

日本列島を世界あるいはEUに見立てれば、東北や四国、山陰、沖縄や離島はEU内の南欧諸国と同じ立場です。
日本の場合、各地方を切り捨てずに同胞として工業地帯や都会地で受け入れて、農漁村に残った人たちに対して公共工事補助金・公務員の派遣や地方交付金あるいは特別な振興基金をつぎ込んで来たし、近代化出来た地域で必要とする労働力供給源として受け入れて来たので、お互いに何とかなっていたに過ぎません。
(グローバル化以降先進国では、今までのように労働力を必要としないのでウマく行かない点をこの後に書きます)
ギリシャもEUに入った以上は、(主権にこだわらず)東北、北海道、沖縄のようにEU内先進国に丸ごと面倒見てもらうしかないでしょうし、ドイツ、フランス、ベルギー等南欧諸国に輸出して儲かっている国々もこれを受け入れるのが筋です。
この受け入れを拒んで財政規律重視・・言わば「収入の範囲内でやれ」(もっと生活水準を落とせ)と突っ放すのは、一方的すぎて早晩無理が出ると思われます。
もしかすると丸ごと受け入れてドイツ等と同じ生活水準を保障すると欧州全体の生活水準をかなり落とさないとやって行けない現実があるようにも見えます。
ギリシャ・南欧危機は欧州全体の地盤沈下が露呈しつつある徴憑に過ぎないのかも知れません。
企業で言えば不採算部門を切り捨て・・リストラして身軽にして行くように、じり貧の欧州を拡大するのは時代錯誤であって、端っこの方まで面倒見切れないならば、逆に生き残りのために辺境・・不採算地域を切り捨てて身軽になって行くのが合理的ではないでしょうか。
日本列島に話題を戻しますと、ここ20年来のグローバル化による構造変化・賃金の平準化への対応策は、産業構造を高度化出来るか否かにかかっています。
高度化に成功してこそ新興国の何倍もの高賃金を維持出来るのであって、高度化しないで(介護など低レベル労働への転換ばかりでは)高賃金を維持するのは無理があります。
無理を通すためには財政支出・貿易黒字の蓄積を食いつぶして行くしかないでしょう。
これまでの下層労働者受け入れ地であった都市部・工業地帯でも生産業の空洞化によって下層労働力過剰に悩まされているので、今までのように地方から3周回遅れの下層労働力を際限なく受け入れることは出来ません。
グローバル化以降の先進国の近代都市は、都市内にいるグローバル化・高度化不適合人材の救済と旧来型の地方救済の2方面の補助を強いられていることになります。
多くの人口を養える産業か否かの基準でみれば2千年単位で農漁業がその役割を担ってきましたし、産業革命以降の近代産業・製造業がこれに代わる多くの産業従事者を吸収してきました。
新興国は、我が国で言えば明治維新以降の近代工業国への脱皮過程を目指しているので、新興国にとっては成功すればするほど明治以降の我が国同様に多くの人口・労働力吸収・・生活水準向上のメリットを受けられますので良いことずくめ・・元気一杯です。
反比例して高賃金・高コスト国の工業労働者の雇用が減って行くのは当然です。

契約・派遣社員(手切れ8)

終身雇用中心の労働市場から、パート、契約社員や期間工、派遣労働など多様な労働形態の発達についても、借地人や借家人から出て行ってくれない限り期限不確定・・半永久的に更新して行く借地権だけの時代から、確定期限の定期借地権等の創設・併設と同じ流れの線上にあると見ることが可能です。
終身雇用一本ですと、ミスマッチが生じた場合、労働者の方ではやめたくとも適切な転職先がないので我慢するしかないし(うつ病などが増えます)、経営側も辞めてもらうわけにはいかないので草むしりさせたり窓際族に追いやるなど労使双方共に不毛です。
別の分野であれば有能な人材を有効利用出来ないで腐らせておくことになります。
契約社員や派遣の場合、不透明な手切れ金・解決金・・あるいは裁判不要なのが、(裁判の場合解決時期が明確でない)など企業にとって煩わしくないメリットになるでしょう。
労働者にとっても雇用の流動化が進めば必然的に受け皿も多様に出来て来るので、ある仕事についても適性がないと分れば契約期間が終われば別の職種につくチャンスが多くなります。
(平行してチラチラ書いていますが、離婚の自由度・破綻主義の進展問題も同じでしょう)
契約社員や派遣制度は、労働者全員をこれにしろと言うのではなく、従来からの終身雇用制度を残したまま、短期でもいいから半端な契約時間で働きたい人のニーズにも応えるために受け皿としてのコースも別途用意したのですから、従来型の借地借家に定期性の借地借家契約を併設したのと同じ発想です。
ただし、これが建前どおり選択肢が増えただけというためには、地主や経営者だけが自由に選べるだけではなく、借地人や労働者にも選択の自由が現実に存在する必要があります。
これがないのでは、事実上労働者や借地人が不利になっただけになります。
どちら側からでも自由に選べる社会状況であって初めて、選択肢が広がっただけと言えます。
借地契約に関しては、元々借地人に有利すぎることから、(高度成長の結果大都市とその周辺では土地需要がうなぎ上りになった)昭和40年代後半頃から新規借地供給は皆無と言えるほど減少していましたから、新法制定以降定期借地契約ばかり増えたとしても、旧来型借地契約がこれによって減ったことにはなりません。
(地主は貸すのではなく売るか売らないかの二者択一だけで、元々新規契約・新規供給ががほぼなくなっていたのですから・・・)
しかし労働契約・市場に関しては、終身雇用は企業にとって不利だからと言って企業側が新規終身雇用を100%近くやめていた訳ではないので、(そんなことは出来ません)非正規雇用制度が出来てそこへ流れた分だけ終身雇用者数が減った・・企業側にとって選択肢が増えただけとも言えます。
労働者にも半端な時間だけ働きたい人がいることは確かでしょうし、多様な労働市場が出来れば、労働側にも選択肢が広がったことによるメリットがあります。
たとえば、子供が大きくなったので今度からフルタイムで働きたい希望に変わったときにも、一定の比率で正規社員への転進が保障・・中途採用の受け皿が整備されていないと、一旦非正規を選ぶと正規=終身雇用に戻れない・・非正規雇用者ばかり増えてしまいます。
もしも簡単にどちらへでも転進が出来るならば、メニューが豊富になっただけと言えますが、正規社員から非正規への一方通行が中心で、逆方向の転進が少ないとなれば建前通りではないことになります。

8月の貿易赤字と脱原発

このまま火力に移行すると今後はものすごい燃料輸入金額になり、電気料金も現在の2倍になるというキャンペインが多くのマスコミで9月23〜24日頃から始まりました。
天然ガス・原油等の輸入が増える分ウランの輸入が減る点を報道しませんし、(ウランも自給している訳ではありません・・もし今後10年分以上の買いだめをしているなら海外へ売れば良いでしょう)これまで書いているように原発被害の心配・(・これがコストです・・)をなくすための投資や保険をかけた場合との比較をしないままです。
原発もジーゼル発電機・燃料の準備を2倍にしたりパイプライン・防潮堤を高くする等多方面の安全対策を手厚くし、膨大な損害賠償金や警備コストを経常コストに加えれば、従来よりもコストが格段に上がることが当然予想されます。
伝統的勢力やマスコミは、賠償金や補修コストがどれだけ上がるかの試算や発表をしない・・させないままですが、結果として東電どころか業界が束になっても賠償金や補修資金を払い切れないので政府保証して機構債発行でごまかす方針になったことを、September 7, 2011「損害賠償支援法1」前後のコラムで紹介しました。
これをコストに加えたら、何倍〜何十倍にも電気料金が上がる筈ですから、原発を維持する場合に上がるべきコストを明らかにして、これと火力移行の場合の比較報道をするのが公平な報道のあり方です。
これまで、本来加えるべきコストを加えないで「原発は安い」とごまかして来たときのコストを前提にして、今後火力ばかりになると輸入代金がこれだけ(昨年比)増えるという報道を繰り返しているのは偏った報道と言わざるを得ません。
(事故がなくとも資源関連は高騰しているので、輸入代金を跳ね上げることも割り引く必要があります)
原発はリスクを隠して(充分な安全対策もしないし、保険もかけずに)安いと宣伝していただけで、実際には今までのような安い発電はあり得ない・・もしかしたら火力よりも高いとことが分る筈なのに、御用学者ばかりでこの計算式をどこからも出さないままになっています。
今後原発か火力かにかかわらず、安い電力など存在しないという冷厳な事実を受け入れるしかありません。
(ただし、韓国などに比べて元々我が国の電気料金は何故2倍もしていたのか、その検証が別途必要ですが・・・)
原発コストに関する正確なデータ開示がないまま、(火力に移行すると)今後これだけ高くなるとするイメージ報道ばかりが蔓延すると、どうなるのでしょうか?
消費者向け商品の場合、政府がいくらインチキな公表をしても市民が信用しないときには、風評被害・・消費者の信用を得られなければおしまいですが、供給される電気が火力か原発によるかで消費者は選択することが出来ません。
合理的な論争をさせない問答無用方式で、支配勢力による一方的な宣伝を繰り返しているうちに、何となく火力中心にすると日本経済は持たないという意見が社会の常識になって行くのでしょうか?
中国では天安門事件以来、国民不満をそらすために、日本軍の残虐性を執拗に刷り込む教育をして来た結果、当時以降の教育を受けた中国人は心から日本を憎んでいるようです。
日本の伝統的勢力は原発コストのデータ開示をさせないまま、原油・天然ガス等の輸入が増えて実際大変なことになっている・この一面的事実の大宣伝だけで、脱原発に向かい始めた国民意識を変えようと必死です。
日本人は目隠しされたまま、支配勢力の思いのままに洗脳されて原発推進勢力に組み込まれて行くようなレベルの低い国民ばかりなのでしょうか?
戦時中のように、大本営発表以外はこそこそと個人的に話すしか出来ない時代とは違い、今はネット情報が駆け巡る時代ですし、これを正面から禁圧出来ない点が違います。

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