近代立憲主義6と憲法改正5(内心の自由と規制の必要性)

慰安婦報道でも報道機関は要所要所に「〇〇が事実とすれば・・」などの逃げ道を要所要所に用意していたのでしょうが、それを視聴者や読者は「書きっぷり」で判断しているのです。
「実務法曹にとっての近代立憲主義」その他の主張は、本気でそのように思いこんで欲しいかのようなトーン・ぼやーっと読むとそういう方向へ引きずり込まれそうであり、実際にそのように思い込んでいる人がいること・成功していることが上記引用文でわかります。
人権は崇高である→生命侵害は人権侵害の最たるものであり許されない=死刑廃止論・・このような単純論理が成立すれば、一般的刑罰ならば何故許されるかの説明がつきません。
生命を奪うのも自由を奪うのも人権侵害に相違ないのですから、何故生命侵害だけゆるされないか意味不明の論旨です。
彼らは生命だけは特別扱いすべきというのでしょうが、憲法のどこにも書いていません。
都合の良いところは憲法に書いていなくとも重視するし、都合の悪いところは書いていても無視するという非合理な価値基準です。
もしも刑罰一般が人権侵害で許されないならば、ホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の原始・自然状態になり、近代社会・刑法や刑事訴訟法が成り立ちません。
(実は、人間の原始社会どころか、動物界でも(狼でも魚類でも猿でも馬や鹿のグループでも同種同士ではそんな闘争世界はありませんから「リヴァイアサン」の前提は、実際にそういう社会があるというのではなく、観念的に「そういう段階があり得る」というだけでしょうか?)
思想信条の自由があっても、国家転覆罪はまだ内乱行為をしていない陰謀段階でも処罰されるのが世界標準です。

刑法
第七十八条 内乱の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の禁錮に処する。

共謀罪法案の時に近代法の原理に反するという意見が流布されましたが、世界標準がどうなっているかという説明が一切ありません。
政府の説明は以下の通りです。
http://www.moj.go.jp/content/000003507.pdf

共謀罪等の創設を求めている国際組織犯罪防止条約は,既に120か国によって締結されており,欧米先進国でも既に共謀罪等が設けられています。
我が国も,法案の「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることによって,これらの国々と足並みを揃え,国際社会と協調して重大な組織犯罪から国民をより良く守ることができることになります。
国民の方々が不安に思うようなことは全くありません。

   アメリカ  ○ 共謀罪  (連邦法第18 編第371 条)

二人以上の者が犯罪を犯すこと等を共謀し,何らかの ある者が,他の者と犯罪行
そのうちの一人以上の者が共謀の目的を果たすために何らかの行為を行ったとき

  イギリス  ○共謀罪 1977年刑事法第1 条第3条

ある者が,他の者と犯罪行為を遂行することにつき合意したとき

  ドイツ  ○犯罪団体の結成の罪  (刑法第129 条)

犯罪行為の遂行を目的・活動とする団体を設立した者,このような団体に構成員とし して関与した者,支援者を募り又はこれを支援 した者,

  フランス  ○凶徒の結社罪 刑法第450ー 1条

重罪等の準備のために結成された集団又はなされた謀議参加したとき (準備のため、客観的行為がなされることをする 。)
日本の共謀罪

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H4D_U7A610C1M11000/
2017/6/15 18:56

15日に成立した改正組織犯罪処罰法のうち「共謀罪」を規定する条文は次の通り。
(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

上記を比較しても先進諸外国と比べて日本の法律だけが、近代法理に反するとは到底思えませんが・・。
近代法の法理違反の運動をする勢力がどの部分が違反になるかの主張責任があるのではないでしょうか?
諸外国の法制度の要点は、内心の自由も絶対ではない・・テロ目的などの内容によって幅する方向性であり、処罰の要件・なんらかの外形に現れた時に処罰する・・無辜を誤って罰しないように足並みを揃えていることが分かります。
「内心の自由が絶対ではない」というのが現代的法理であり、左翼系の主張は文字どおり現代以前の過ぎ去った近代法の法理から進化しない超保守論理です。
マスメデイアが諸外国事例を一切報道しないで反対論ばかり大きく報道しているように見える(私が見落としているだけかもしれませんが・・)ことじたい中立性違反の疑い濃厚です。
思想表現の自由があっても他人の名誉毀損や詐欺行為は許されませんし、わいせつ表現の場合、・・違法の評価を受けます。
基本的人権といっても公共の利益に反しない限度で許されているにすぎませんし、これに反する場合には、刑罰を受けたり損害賠償を命じられることで社会秩序が保たれているのです。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

最近の立憲主義の強調は、学問というよりも人権は、(運動体の本命ターゲットは死刑廃止よりは平和主義→人命尊重でしょうが・・)憲法以前の(天賦不可譲の)権利だから憲法改正でも許されない・・社会にそのような誤ったイメージを定着させるための政治運動論としていきなり声が大きくなってきた印象です。
人命=人権の最たるもので最尊重されるべき→戦争状態は人権侵害の最大 被害行為→平和主義は憲法以前の人権原理である。
「憲法改正対象にすること自体が許されない」という飛躍論法のようですが、流石にプロたるものそこまではっきりと言えないものの、思わせぶり表現で素人・大衆がそのように飛躍して思い込むように期待し、仕向けているように見えます。
憲法以前の権利ならば、憲法がどうなろうと守るべき規範である・改正の影響を受けないはず・・関係ないのになぜ反対するのか不思議ですが、こういう論理矛盾など一切気にしません。
・・学者としては「そこまで私は言っていないよ、『平和主義は日本を守るための方便でなく、人権を守ることと同じ』と言っているだけなのに素人が誤解しているだけだ」という世論誤導が目的の政治運動でしょうか?

天皇制変遷の歴史4(連署・同意権2)

天皇制変遷の歴史4(連署・同意権2)

現在の議院内閣制でも天皇の名において国会を召集しますが、詔書には内閣総理大臣の副書が必要です。

官報で見る国会召集の詔書


日本国憲法第七条及び第五十二条並びに国会法第一条及び第二条によって、
平成二十五年一月二十八日に、国会の常会を東京に召集する。
御 名  御璽
平成二十五年一月十八日
内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生 太郎
法令を公布する場合には内閣総理大臣と担当大臣の連署が必要です。
連署を拒むことはありえないと思いますが、仮に内閣総理大臣や担当大臣の副署しない詔書が発行されても、公布の効力がないとされるでしょうか?
徳川時代でいえば、将軍家の同意がないということで無効(紫衣事件)でしょうし、現在でも天皇が独断で任命したら内閣の助言承認がないという点では同じです。
いわゆる天皇の大権と内閣の助言承認との違いですが、実際の実力関係・実質決定権は徳川時代も明治時代も現在も変わらないように思うのは私だけでしょうか?
天皇と周辺に実務能力がなくなった結果天皇大権の場合、周辺を握ったものが天皇の名で政治権力を行使できる点に問題があった点は確かです。
禁中並公家諸法度以来、政府高官の任命に至るまで幕府の同意が必要になったことを紹介しましたが、明治憲法も国務大臣の輔弼プラス副署が必須にされていた点では、禁中並公家諸法度の幕府同意権の明治版ですし、現行憲法の内閣の助言.承認を要するのとほとんど同じです。
以下明治憲法を見てください。
いかにも仰々しく天皇大権を謳っていますが、実態は内閣の輔弼によるものでした。
捕弼する仕組み・・君側の奸がはびこるかどうかで天皇制危機が起きるだけでしょう。
今のような民主制が確立すると補弼すべき内閣が悪いかどうかは、国民が選ぶことですから天皇制の問題ではなくなります。
天皇(君主)無答責という原理がトキに言われますが、実務を握るものが責任を負うべきである組織・機関決定にそのまま署名するしかないものが責任を取るのは無理があるという当然のことを言うにすぎず、保元の乱や承久の乱のように、上皇が先頭切って行えば責任を取るのは当然です。
皇子も同じで以仁王や護良親王のように自己の意思で行動すれば、相応の責任を取るしかありません。
現在サウジ国籍ジャーナリスト殺害事件が国際政治を揺るがしていますが、皇太子の地位があるから責任があるかどうかではなく、実効的関与があったかどうかで決まることです。
このように見れば、天皇の戦争責任論・・あるいは天皇制があったから戦争回避できなかったかの問題ではなかったことがわかるでしょう。
これまで日露講和条約反対論に始まる過激主張煽りの極限化が国会での良識的言動を葬る役割を果たし、ひいては戦争に持ち込んで行ったのですが、これは天皇制の結果ではなくジャーナリズムによる國民扇動行き過ぎの結果です。
※日米開戦自体をジャーナリズムが煽っていたというのではなく、第一次世界大戦後の国際情勢変化に合わせて対外活動を軌道修正すべきところを逆方行為へ煽って行ったことを書いています。
例えば、今回の米中覇権争い、あるいは米ロの核軍縮条約破棄で言えば、米国トランプ氏による過去の約束全てのちゃぶ台返しで始まっていますが、その非を咎めても仕方がない・・ロシアは再度米国と無制限軍拡競争する力がないことが明らかである以上、ロシアとしては表向き自国に非がないと言いながらも、米国との再交渉・新条約締結に応じる構えを見せています。
カナダやメキシコも過去の条約違反だと喚いても仕方ない・・再交渉に応じてきました。
中国も米国の強硬要求に応じるのが大人の知恵でしょうが、中華の夢実現という国粋主義思想家のいう通り自力更生路線で断固アメリカと対決すると戦前日本の二の舞です。
多分表面的強硬路線とは別に妥協を探っているでしょうから、日本としてはいきなり頭越し米中和解をされると困るので安倍総理が10月25〜26日に訪中して首脳会談をしたばかりです。
欧州情勢は複雑怪奇と言って政権を投げ出した時代とは違い、安倍政権は複眼的どころか多層的国際戦略を実行しています。
明治憲法
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
以下省略
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ   憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第2章 臣民権利義務
第18条日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第19条日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ・・以下省略
第37条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
御名御璽
明治二十二年二月十一日
内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
枢密院議長 伯爵 伊藤博文
以下省略
1921年に軍部の同意が得られず組閣すらできないで「うな丼の香りを嗅いだだけだった」とし、「鰻香内閣」と揶揄された清浦奎吾内閣がありましたが、組閣が天皇の大命降下によるならば、軍部も天皇大権・・統帥権を盾にした組閣非協力は許されないはずです。
皆、自己主張を通すために天皇制を悪用していただけなのです。
上記の通り、官吏任免権があっても法の特例を除くのですが、法に根拠のない官吏任免がほぼゼロですし、基本的人権もすべて「法律に従い」という限定があって、天皇は立法権があるとはいうものの、法は国会の協賛が必須ですから、天皇が勝手に何も決められない点では中世以来の天皇の権限と変わりません。
幕府の同意なしに叙任し、幕府に取り消された後水尾天皇の例とどう違うか?です。
また、現行憲法と比べても法令交付や政府高官任命その他すべてに国会の指名や内閣の助言承認がいる(憲法6条7条)のと結果が同じです。
このように天皇権力は明治憲法でも禁中並公家諸法度(慶長20年7月17日[2](1615年9月9日)以来長期的に象徴的機能・名前を貸すだけ?以外に実際にはなくなっていたのです。

フェイクニュースと思想の自由市場論5

モンゴルが急速に支配地を増やしたのも同じ原理で、交換すべき産物のないモンゴル族は接触した異民族と交易交渉出来ないので、略奪しかない・武力勝負・・勝つか負けるか・・隷属させるしかなかったことによります。
蒙古襲来も世界帝国になると交換手段の金貨が必須・・日本の金や銀が欲しければ、交易交渉すれば良かったのですがそのノウハウがなかったので、海戦の経験もないのに武力勝負に出て失敗したことになります。
清朝皇帝がイギリスの使節に対して何も欲しい物はないと威張ったことが有名ですが、実際にイギリスが交換すべき特産品が何もない点は今も同じです。
イギリスは仕方なしにアヘンを売り込むしか出来なかったのは、むべなるかなと言うところです。
アヘンを売れなくなったので、今では金融でかすめ取ろうとするのが金融支配の問題です。
金融は血流同様に重要な機能ですが、それと関係者がどん欲過ぎて良いかは別問題です。
必須と言えば、飲料水も電機もガスも物流も電池も医師・法律家も政治家も清掃業も不動産業も皆重要です。
アメリカのペンス副大統領の10月4日の演説以降、中国のアメリカに対する情報操作スパイの浸透工作→「侵略」に対する関心が高まってきました。
February 15, 2018「思想の自由市場論4(中国の挑戦)」の続きです。
フェイクニュースが議論の表面に出てきたのは、トランプ氏の方ではメデイア支配に対する不満がその動機と思われますが、アメリカ全体で言えばアメリカによる思想の自由市場支配がネットの発達で変わりつつあることへの焦りが大統領選挙戦で表面化した結果と思われます。
トランプ氏と支配メデイアが攻防を繰り返しているうちに、実は真の敵はアメリカによる「世界情報支配の終わりが始まっていること」に双方が気がついて、アメリカあげての中国非難の大合唱になったと見るべきでしょう。
中東・・アルジャジーラの放送開始以来・・中東アラブ世界では徐々に英米系メデイアの支配力が落ちてきていた・・逆転してきた結果に対する焦りもあるでしょう。
世界各政府に対するアメリカの影響力の強さ→中央政府による電波割り当てによるアメリカの間接支配の及ばないロシア、中国(孔子学園による中華思想浸透への反発が米国でも強まっています)によって、ハッキング、サイバーテロその他の方法による思想浸透の逆襲を受けるようになっていました。
ついに我慢できなくなっていたところに国際的ネット網利用によるゲリラ的思想発信によって(それまでロシアその他でアメリカの「気に入らない政権があるとすかさずスキャンダルを撒き散らして反政府運動を煽ってきたアメリカが)逆に国内政治に介入されるに至りこれに対する規制必要論が盛り上がって来たと見るべきでしょう。
情報戦で圧倒的に優位な時にはやりたい放題でしたが、負け始めていることの自白ではないでしょうか?
この数週間では、中国による大学やメデイア企業その他隅々に至るまで中国の浸透工作に対する批判がペンス副大統領によって講演されて以来、規制どころか対中全面戦争すら辞さない強硬論で、世界中の話題になりました。
いわば全面戦争の宣告みたいな公開演説ですが、今までのように鷹揚に構えていらなくなった・・水面下でやり返せな良い状況でなくなった・・そこまで追い詰めれられているということでしょう。
情報機関で言えば、相手のスパイ批判しなくともスパイ同士の戦いで勝っていれば、相手のスパイを捕捉して闇から闇で処理できるので強い方は黙って処理すればたります。
「スパイを送り込むとはけしからん」という必要がありません。
映画で言えば、侵入してきた忍者を自分の忍者が撃退すればいいことで、自分の忍者が負けて相手忍者の屋敷への侵入を防げなかった結果、相手忍者が自分の屋敷に侵入したことを公式非難するのは忍者同士の戦いで勝てないことを表明しています。
この頃、ロシアによる西欧での傍若無人な「自国もと諜報機関員の殺傷や、中国政府による中国系アメリカ人のアメリカやオーストラリア国内での拉致誘拐の頻発・各種情報窃取のカラクリなど批判は、自分の方はやり返せないことの暴露でもあります。
ただし、要人警護の場合も不意打ち襲撃に備える方が不利ですが、双方暗殺拉致の打ち合いの場合、アメリカや先進国にはそういう無茶をやる仕組みがありませんし、知財盗み合いで言えば盗まれるべき先端知財や技術のない後進国の方が有利です。
「金持ち喧嘩せず」と言いますが、こういう泥仕合になると生活水準の低い方が強みを発揮します。
数年前に、ロシア空軍機をトルコが撃ち落としたときにトルコとロシアの禁輸の脅しあいでは生活水準の高い方が同じ不便に対する耐性が弱いことをちょっとコラムで書きかけてそのままになっている原稿があります。
以下は、10月4日ペンス副大統領の演説全文の紹介記事ですので関心のある方はお読みください。
https://www.newshonyaku.com/usa/20181009
・・・・しかし米国国民が知っておくべきことがあり、そのことをお伝えするために私はここに来ました。それは、中国政府が、政治、経済、軍事的手段とプロパガンダを用いて、米国に対する影響力を高め、米国国内での利益を得るために政府全体にアプローチをかけているということです。
中国はまた、かつてないほど積極的にこの権力を利用して影響力を及ぼし、我が国の国内政策や政治活動に干渉しています。
以下いろんなことを言っていますが、省略します。
これに便乗したのか?中国製半導体チップにチップの入り口を仕組んでいるというニュースも駆け巡りました。
これまでは、(ネット言論は別でしたが・・)トランプ氏と対立するメデイア界の報道姿勢からトランプ氏がアメリカ国内で孤立しているかのような印象操作されてきましたが、ペンス副大統領の演説以降、アメリカ国内では共和党だけではなく民主党支持者でも対中強硬論が多くなっている・・対中強硬論は国民的主張になっているという意見が増えてきました。
「アメリカがやる気になったのでもう中国は終わりだ」という期待論がネットで多いですが、負けすぎていて手が出ないのであれば、貿易等の不正や知財強制移転を今後やりません」という中国との合意程度・・抽象論で終わりで実効性のある対策をアメリカには打つ手がないことになります。
スパイをやめろといって相手が同意してもこちらに防諜能力がなければ、相手の違反阻止する方法がないことになります。
北朝鮮の核合意同様で口先約束だけで矛を収めるしかないとすれば、相手は守る気持ちにならないでしょう。

キリスト教国の国際条約5(異教徒は守る気になれるか?2)

日本では一帯一路構想は中国の孤立した野心で失敗するだろうとの位置付けですが、上海協力機構外形だけ見ると中露を軸に着々と地歩を固めつつある様子です。
中国は国内不採算投資拡大の限界→外貨準備枯渇の心配から、自由に支配できる自前の国際機構を作り(本部中国で他国の理事は名目だけにして、常駐しないので国際資金を事実上中国の思うように使える仕組み)そこに外資を入れてその資金を自国のために流用したいという狡猾な思惑から、一帯一路構想をぶち上げました。
中央アジア諸国は概ね人口まばらな経済力のない国々ですから、(その分、採算性が低いので民間投資が望みにくい地域です)中国による巨額投資の計画は夢のように映ったでしょう。
上記のように国際的資金を導入して対外的には資金バラマキを餌に一帯一路沿線国に夢を与え賛同者を募った面があるので、資金出し手予定の日米が入らない(知らんプリ)と軍資金が続かない弱点が致命的です・・。
もともと中国の自己資金は見せ金でしかなく日米の資金をかすめ取ろうというものでしたから、日米がそっぽを向いたまま設立後時間がたてば経つほど資金が続かなくなってきた(背に腹を変えられずにアコギな取り立てに回るしかなくなり、国際信用がガタ落ちになってきた)ところへ、米中経済戦争勃発で、(将来的にはトルコ並みの通貨暴落対象になりかねない状態で)泣きっ面に蜂の状態です。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20181013.html
2018-10-13 05:00:00
中国、「貿易戦争」立ち向かう原動力は債務依存で「手詰まり感」

中国は、よく資金が豊富だという。「一帯一路」で各国へ資金を貸し付けていることを見てそう言われているのだ。それは、間違いである。本来の対外直接投資資金は、経常収支の黒字で賄うべきもの。それを計る尺度が、対GDPの経常収支黒字比率である。中国は今、これが急速に低下している。今年は、1%を割る懸念が強い。その背景にあるのが、先の限界資本係数の上昇だ。非効率経済ゆえに、対GDPの経常収支黒字比率を引下げている。対外直接投資を自前の経常収支黒字で賄えない状態である。だから、中国は「一帯一路」で日本へ資金的な協力を求めてきたのである。中国は、決して資金豊富な国ではない。

『サーチナ』(10月1日付)は、「リーマン・ショックから10年、高まる中国の金融リスクー大和総研調査」を掲載した。
(3)「BIS(国際決済銀行)統計によると、中国は、債務残高のGDP比が2008年末の141.3%から2017年末に255.7%へ急上昇した。この水準や上昇ペースの速さは、かつて金融危機に陥ったり、バランスシート調整による景気急減速を余儀なくされた国々に匹敵している」

昨日見たように、中露が派手な軍事演習をしたり、公海を埋め立てて軍事基地を作って威勢を示しても、軍資金が続かないのでは文字通りコケ脅しでしかなく、どうにもならないでしょう。
中国は覇を唱えるための対外援助どころか、通貨マフィアの標的にされかねない危機的状態になっているのです。
このために中国は膝を屈して日本にすり寄っている状態です。
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上/国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通の社会で、国連の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国アメリカでさえ)吹き出した印象です。
アメリカの場合、国(国家理性)としては自由民主制で、人権重視ですが、死刑制度がない代わりに犯罪処理現場では黒人に対する射殺が日常化している実態・・これが実質の二重基準です。
日米戦では異教徒の日本に対しては国際法を守らなくとも良いという戦争方法であっただけではなく、国内でもアメリカ国籍を持つ日系人を迫害し、黒人と白人では国内でも扱いが今でも違うのです。
格差拡大・・トランプ氏の1国主義の主張・・それらは全て「国民レベルでは、優等生を演じ切れない」と言う悲鳴にも聞こえます。
米軍が、欧州戦線で解放軍というメデイアの宣伝にも関わらず、強姦魔になっていたことを12日に紹介しましたが、綺麗事に国民がついていけない実態があります。
アメリカ自身も西欧から見ればロシア同様の西欧文化の周縁国ですから、いざとなれば野蛮な本性を出してしまうのでしょう。
平安末期の公卿社会からすれば、勃興してきた地方の粗野な武士団とは気が合わないが、利用できる限度で無視できないので、粗野な武士同士で争っていればいいという源平時代の摂関家のような気持ちが、20世紀以来の西欧の姿勢でしょう。
もしかしたらトランプ氏の無茶な要求は、アメリカの草の根の本音・・上海協力機構に参加すれば価値観や気持ちが一致するかもしれません。
実はアメリカは、本音に従って?上海協力機構にオブザーバー参加申請したところ、拒否されているらしいのです。
上海協力機構に関するウイキペデイア引用の続きです。

SCOはアメリカのオブザーバー加盟申請を拒否した他[2]、アフガニスタンのカルザイ政権が半ば「アメリカの傀儡」である事を理由に加盟申請を拒否したり、加盟国ウズベキスタンからの駐留米軍撤退を要求するなど、米国との対立路線を形成しつつある。過去のサミット(2007年のビシュケク・サミットを含む)では、たびたび間接的に「ワシントンへの反感」が示されている。

キリスト教徒は嫌・お断りということでしょうか?
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上や各種国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通の社会で、強盗も泥棒も蔓延している社会で国連の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国?アメリカでさえ吹き出した印象です。
アメリカの場合、国(国家理性)としては自由民主制で、人権重視ですが、死刑制度がない代わりに犯罪処理現場では黒人に対する射殺が日常化している実態・・これが実質の二重基準です。
格差社会は経済用語ですが、実はその基礎には文化度の二重構造があるとみるべきです。
日米戦では異教徒の日本に対しては国際法を守らなくとも良いという戦争方法であっただけではなく、国内でもアメリカ国籍を持つ日系人を迫害し、黒人と白人では国内でも扱いが今でも違っている、二重基準の社会です。

思想「弾圧」5

March 21, 2018思想「弾圧」4(天皇機関説事件)の続き「弾圧」という政治用語の妥当性に戻ります。
南原氏も講和条約対応で現政権と意見相違が目立つようになると政府要職から外れていきますが、これを弾圧とは言わないでしょう。
企業でも主流派と反目していると何かの失策を見つけては子会社に左遷されることがありますし、政党内でも党幹部に登用されるかどうかはその時の政権中枢との距離によります。
石破氏のように次の総裁選に出るためにみづから閣外に出る場合もありますが、それを弾圧とは言いません。
野党・文化人?の表現する戦前批判用語として、「弾圧」といえばものすごく酷い・暗黒政治をイメージさせられますが、天皇機関説事件では、美濃部氏が貴族院議員を辞職したにとどまるし、滝川事件では休職処分に追い込まれた程度でしかなく(裏で政府実力者西園寺が、立命館大学へ就職を世話していることを紹介しました)・・しかも野党やメデイアそれを煽って政府非難道具に使ってきた歴史こそ反省すべきです。
メデイア界あげてのキャンペインや野党批判による辞職も弾圧というならば、戦後の失言騒動による辞職も皆弾圧です。
今回の財務省文書書き換え問題で佐川前局長が辞任したのも、戦後弾圧史に残るのでしょうか?
政府与党系ならば疑惑を煽るだけで良いというならば、戦前の著名事件も政府要職者批判・・政権攻撃目的であった点は同じです。
慰安婦騒動も、親が売春仲介人に娘を売ったとしても、売られた女性にとっては任意性がないと言えるでしょうが、その場合には政府の連行強制とは意味が違うのに、いかにも政府が拉致したかのように強制性を強調するために「性奴隷」と翻訳して国外に広めたり、立憲主義違反とか近代法の法理違反とかの言葉のインフレ・メデイアしか情報源のない国民をじわじわと一定方向へ誘導する意図が過ぎるように思われます。
今流行りの財務省文書の修正変更、書き換え,改竄の表現は、まだ事実関係不明の段階で(結果的にのちに正しかったとしても)一方的に改竄事件と報道していたのは一方の立場に偏している印象です。
私の関係する審議会でも終わったあとで議事録案が回ってきますが、正式決定までは、修正可能ですし、これを書き換えともいいませんし、まして改ざんではありません。
会議場(事前に読めるように何十㎝にもなる分厚い資料が事前配布される仕組みです)で参考に配布された付属文書、その場限りで廃棄予定の参考資料や委員が手元資料にその場で書き込んだメモ等は「公文書」ではないように思えますし(持ち帰り資料もいっぱいありますが公文書ならば持ち帰り不能でしょう)公文書でないものをもらった委員が議論の過程でどのように修正しメモ書き加えようとも勝手です・そのための配布資料ですから、これをどう書き換えようと公文書改ざんではありません。
自分で書き加えたものを会議でもらった資料として外部に虚偽公表すのは許されないのは別の問題です。
訪問者と面談した時の官僚のメモが、そもそも公文書なのか?さえ不明・担当者の私的メモを通り越して上司への報告文書になっていたか?報告の結果決済印ある文書なのかさえ不明のまま、「改ざんがけしからん」という一方的情報が出回っていました。
書き換えのおこなわれた文書の性質不明だからこそ「公文書偽造」なのか「変造なのか」内容に変化ないので「変造にも当たらないのか」それとも「公文書ですらない」のかはっきりしない・検察庁も慎重に検討中のような報道が一方で行われていた理由です。
そのような未定報道をしながら同じメデイアが一方的に「改竄」と決めつけていたのは行きすぎでしょう。
事実が決まってから定義づけ報道すべきです。
事件があったかどうか不明の段階で「犯人が・・まだ自白しない」と報道しているようなものです。

March 21, 2018思想「弾圧」4(天皇機関説事件)の続き「弾圧」という政治用語の妥当性に戻ります。
南原氏も講和条約対応で現政権と意見相違が目立つようになると政府要職から外れていきますが、これを弾圧とは言わないでしょう。
企業でも主流派と反目していると何かの失策を見つけては子会社に左遷されることがありますし、政党内でも党幹部に登用されるかどうかはその時の政権中枢との距離によります。
石破氏のように次の総裁選に出るためにみづから閣外に出る場合もありますが、それを弾圧とは言いません。
野党・文化人?の表現する戦前批判用語として、「弾圧」といえばものすごく酷い・暗黒政治をイメージさせられますが、天皇機関説事件では、美濃部氏が貴族院議員を辞職したにとどまるし、滝川事件では休職処分に追い込まれた程度でしかなく(裏で政府実力者西園寺が、立命館大学へ就職を世話していることを紹介しました)・・しかも野党やメデイアそれを煽って政府非難道具に使ってきた歴史こそ反省すべきです。
メデイア界あげてのキャンペインや野党批判による辞職や解任も弾圧というならば、戦後の失言騒動による辞職も皆弾圧です。
今回の財務省文書書き換え問題で佐川前局長が辞任したのも、戦後弾圧史に残るのでしょうか?
政府与党系ならば疑惑を煽るだけで良いというならば、戦前の著名事件も政府要職者批判・・政権攻撃目的であった点は同じです。
慰安婦騒動も、親が売春仲介人に娘を売ったとしても、売られた女性にとっては任意性がないと言えるでしょうが、その場合には政府の連行強制とは意味が違うのに、いかにも政府が拉致したかのように強制性を強調するために「日本軍性奴隷」と翻訳して国外に広めたり、立憲主義違反とか近代法の法理違反とかの言葉のインフレ・メデイアしか情報源のない国民をじわじわと一定方向へ誘導する意図が過ぎるように思われます。
今流行りの財務省文書の修正変更、書き換え,改竄の表現は、まだ事実関係不明の段階で(結果的にのちに正しかったとしても)一方的に改竄事件と報道していたのは一方の立場に偏している印象です。
私の関係する審議やいろんな会議でも、終わったあとで議事録案が回ってきますが、正式決定までは修正可能ですし、これを書き換えともいいませんし、まして改ざんではありません。
まして会議場(事前に読めるように何十㎝にもなる分厚い資料が事前配布されるのが一般的です)で参考に配布された付属文書、その場限りで廃棄予定の参考資料やメモ等は「公文書」ではないように思えますし(持ち帰り資料もいっぱいありますが公文書ならば持ち帰り不能でしょう)公文書でないものをもらった委員が議論の過程でどのように手持ち資料を修正しメモ書き加えようとも勝手です・そのための配布資料ですから、これをどう書き換えようと公文書改ざんではありません。
自分で書き加えたものを会議でもらった資料として外部に虚偽公表すのは許されないのは別の問題です。
書き換えのおこなわれたと言う文書の性質不明だからこそ「公文書偽造」なのか「変造なのか」内容に変化ないので「変造にも当たらないのか」それとも「公文書ですらない」のかはっきりしない・検察庁も慎重に検討中のような報道が一方で行われていた理由です。
そのような未定報道をしながら同じメデイアが一方的に「改竄」と決めつけて大規模報道していたのは行きすぎでしょう。
事実が決まってから定義づけ報道すべきです。
事件があったかどうか不明の段階で「犯人が・・まだ自白しない」と報道しているようなものです。

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