民主主義と利害調整力低下5

今も大手メデイアによる世論誘導が続いているというか一種の使命感を持っているように見えますが、メデイアが世論誘導というか、自説を世論に引き上げて社会を指導したがる傾向はほどほどにすべきと思うのですが・・。
社会の公器・・スマホ機器あるいは、フェイスブックのような役割で良いのであってこの機種を買うと一定方向のイデオロギーしか発信できない視聴できなくする必要がないでしょう。
ファーウエイの機種だと中国共産党の主張しか視聴できず、中国共産党の意向にあった意見しか発信できなくなる仕組みになればわかります。
テレビと言う機械は機械に過ぎない・電話機→携帯・スマホ同様の道具でしかないのに、割り当て電波が大手に寡占されているから自社の宣伝道具に使えると思い込んでいたのではないでしょうか?
少数派の権利向上は大手メデイアによって作られたブームや声高なデモ等の権利主張によるのではなく、シコシコと実績を積み、社会評価が自然に高まる着実な地位向上を待つことと市民の意識向上(例えば貧しい子供、あるいはアレルギーのある人に対する食物表示の配慮など)を待つことが堅実で健全だと思うのですが・・。
日本の在日韓国人を見ると、嫌韓運動に対して目立った反撃をせずにじっと我慢で実績を積む方向に徹しているように見えるのが偉いな!感心していますが・・。
しょっちゅう「自分は〇〇系人だから・LGBTだから差別されている」と言い募られると「〇〇系人だからって特に気にしていなかったがなあ」とか、「あなたがLGBTなんて知らんよ!」アレルギーだったなんて知らないよ!と言うと「気がつかないこと自体が無神経で許されない」「弱者は敏感だから言われる前に気遣いが必要」と再批判されると・・そんなややこしい人とは付き合いたくないねと不快感を抱いてしまう人が増え
そうです。
どこの出身でも、ベジタリアンでも、何教を信じていても勝手ですが、多数派でない時には、多数でないと遠慮して過ごす・・多数でないのに多数と同じ大きな顔をして振る舞えるようにしろと要求するのは行き過ぎです。
少数派(多くはよそ者ですが)は、遠慮するのは相応の理由がある・千年単位でその地域のインフラを築いてきた元からの住民と同じ権利がないのは当然だからです。
多数派は少数者の控えめな態度に安住するのではなく、遠慮しすぎていないかの配慮のキク住み良い社会にしていきたいものです。
そうは言っても権利として配慮を要求されるようになると、得心できない人が増えるでしょう。
欧米先進国ではメデイアの煽りで個人主張が大きくなりすぎて、しかも妥協しない傾向が強いのでメデイアに発言のチャンスを与えられない旧支配層というか民族主義的思考の保守層の反感を招くようになって社会の分断まで進み始め収拾がつかなくなってきたのではないでしょうか?
ネット時代到来により、大手メデイアが相手にしないいわゆるサイレントマジョリテイが大ネット利用による発言の場を得ました。
米国ミネソタでの黒人死亡事件に対して黒人に限定せずに白人も含めた各種各層の少数派が立ち上がったように見えますが、黒人のために立ち上がったというよりは、砂粒状の無限の少数者(それぞれ不満を抱いています)がこの機会に(便乗的に)集まって大規模デモになったように見えます。
ただ不満発散の場になったというだけでは、それで何かの政治目標を達成できるわけではない・・差別反対という程度の連帯でしかないので、格差による弱者連帯を表現する程度で、一定程度騒ぐだけ騒いで、鬱憤を晴らすところまですら行かない内に不完全燃焼で終わりです。
閉塞感・無力感が結果的に社会の分断・モヤモヤした不満感を誘い、何かきっかけがあればすぐ爆発するのを待っている社会になっている現状を明らかにしたのでしょうか?
災害があるとすぐに略奪に走る姿が米国では一般的で、人種差別反対目的である筈のこのデモでも略奪が見られましたが、要はストレスいっぱいの人がチャンスと見て集まり暴れたということでしょうか?
シアトルでは警察署周辺を占拠して、開放区みたいな宣言をしていたようですが、何のためのデモ→暴動に集まったのか意味不明になっていつの間にか沈静化しました。
これが格差(コロナ禍でも貧民階層に集中的に感染被害が出ているという風聞ですし)に苦しむ庶民の鬱憤ばらしに過ぎなかったのではないか?という私の短絡的感想を得た根拠です。
日本メデイア(多くは左翼系)は一見民主主義の名の下に政府批判するのですが、いつも「前もってこういう準備をしてこなかった責任」という論法ですので、結果的に「こなった場合心配」という反対論ばかりがはびこっているので、結果的に国家権力の事前チェック・介入場面を増やす一方です。
大手メデイアによる今回のクルーズ船対応批判も米国流儀の強制的権力機構の設置を求める運動を煽っていたもので現場力に期待する政府では頼りないと批判一方ですが、結果的に政府機構の巨大化を目ざす意見でではいつもの流れです。
米国の失敗に学ぶよりは、米国流の自己主張を民主主義のあるべき姿と賛美し、結果的に招来する分裂志向に対して割れ鍋を無理に綴じるための国家権力強大化を志向する傾向の主張が大手メデイアに多いのですが、彼らは基本的に戦後中ソの社会体制・・独裁政治を賛美してきたDNA・願望があるからこうなるのかな?と疑っています。
今回のコロナ騒動で世界の文化水準を見直してみる・・・米国が世界の警察官をやれなくなっただけでなく、総合的文化力で世界の理想社会でなくなっている現実を直視すべきトキが来たのではないでしょうか?
民主主義と利害調整は表裏一体ですので、これができない混沌よりは上からの断固たる命令・独裁権力への魅力度が高まります。
ポピュリズムの権化みたいなトランプ氏の言動が、ロシア、中国の独裁権力強化を後押していることになりそうです。

民主主義と利害調整力不全1

グランドプリンセス号がCDC命令どおりメキシコ行きの航路変更してサンフランシスコ沖に到着したのに、地元の反対で入港できず、4〜5日時間空費したことを紹介してきました。
4月頃には別のクルーズ船のフロリダ入港を巡って、フロリダ州政府がクルーズ船の入港を認めるとしても、フロリダ州民しか下船させない→州民以外の医療サービス提供拒否態度が紹介されています。
日本でも国策の最たるものである自衛隊基地設置(与那国島の設置)や装備(オスプレイやイージス・アショアなど)に関して地元自治体が同意しないと設置すらできないのが現状です。
たまたま河野防衛大臣によりイージスアショアの非効率性が明らかにされましたが、問題はそういう前向きの議論ではなく、地元の反対はその工事が国家存亡に関わる国策として有用であるか否かの議論に関係なく地元が少しでも負担になることは嫌!という意思表示が貫徹できる点にあります。
地上型迎撃装置の有効論でなく迎撃用に打ち上げたブースターが地元に落下したら怖いという次元の違う反対論でした。
リニアーの愛知県内工事に愛知県が同意しないことが2〜3日前に大ニュースになっていましたが、国家的大事業の場合、辺野古沖移設や自衛隊基地を含めほぼ全て公共工事を伴うので地元自治体が地元に不利益と考えれば拒否できるのが現状です。
日本だけでなく先進諸国では自己中心主義の権化みたいな主張が各地で噴出して、中央政府が利害調整ができなくなる姿が一般化してくると、逆にこのような国家運営に不満を抱く人が増えてきます。
格差問題〜人種差別問題などなどの各場面での対立が米国で目立つのは、民主主義・自己主張の行き過ぎにより、利害調整・社会統合が不可能になっている場面が表面化している姿と見るべきです。
民主主義とは自己(権利)地域・集団主張が先(表現の自由)にあって、意見相違(利害相克・調整)は公開の討議を経て止揚・統合されて行くのを理想とする社会です。
全体がどうなろうともそんなことは考えなくとも良い。
まずは自己(地域や集団)主張して行けば全体としての最適解は「思想の自由市場で(見えざる神の手で)決まっていく」という楽天的考えが基本のようです。
GPS操作を違法とした判例を紹介したことがありますが、弁護活動や最高裁判例も、電子機器のない時代に制定された人権擁護システムが、犯罪者が自由に電子機器や高速移動機関駆使して犯行をできるのに、捜査機関が電子機器を利用すると違法で許されないと言う奇妙な状況になっています。
以前犯人が逃走するのに民家敷地を横切って逃げると、警官がその敷地を横切って追跡すると違法になるのか?という比喩で書いたことがありますが、犯人追跡中は例外にしないとこういう変なことになります。
法制度が社会現実に追いついていない問題が今回のコロナ禍で続々と表面化しました。
従来非公式会話はズームで良いが公式の会議・・株主総会などズームやテレビ会議で開いても違法でないか等の疑問・・不便なことが大量に一挙に現実化しました。
いろんな会議は対面議論が原則ですが、災害等特殊事情下では、テレビ会議等が許されるとか、テレビ会議が許されるのを原則にして、電波不安定や機器の故障等による送受信が途絶した場合の効力は別に定めておけばいいのでしょうが、こうした各種問題点を先送りして来たツケが来たのです。
私の関係する日弁連選管委員会でも毎年のように問題になっていましたが、もしも訴訟になって委員会決議無効になると選挙がどうなる?という大事件になるのが怖くてこれまで先送りして来ました。
法律家には法匪と言う批判的名称がありますが、招来する結果の妥当性など問題にしない・・法令がそうなっている以上はそれを守るべきであるという形式論が普通です。
時代に合わない縛り・規則類は民間が無視しているし、警察も一々刑事事件にしないのでそのまま邪魔になっていないのですが、いざ屁理屈で争う人がいると不都合が表面化します。
結果が不当であれば、憲法や法令変更すべきであって、法律家は現行憲法や法令に違反してればその違法性を指摘すれば良いし、裁判所の職務はそこまでで犯罪捜査がどうあるべきかを判断すべき立場でないということでしょう。
ところがそう言う論者に限って憲法改正の議論すること自体に反対と言い、ちょっとした法令改廃でさえも国会審議に入ることすら反対という姿勢が顕著で政府の揚げ足取りに終始しているのが国会の現状で時代即応の改正が容易でないのが現実です。
原発反対運動や地元知事の不同意も設置稼働規則に適合しているかどうかであって、原発政策がどうあるべきかを裁判しているのではないというのが専門家の意見です。
ところが実際には、原発反対派が結束して全国的に訴訟しているのが現実・・日本中の原発訴訟弁護団はほぼ一つの中核的組織集団が地元別の弁護団を結成している・・地元別に構成員が入れ替わっていますが、中核人員はほぼ共通・・だけの実質全国規模の政治闘争の一環になっているし、与那国島基地設置反対運動や沖縄の普天間基地移転反対なども概ね特定運動家・・常連があちこちで運動しているイメージです。
もともと原発施設等の何がどの規則に違反しているかなど、普通の人に分かるはずもないので、いわゆるプロ運動家が初めっから反対するために規則のどこに違反があるかを見つけ出す方式のように見えます。
静岡県のリニア工事着工反対の根拠・・地下水脈がどうなる?という主張も、常識だけで分かるものではないので、まず反対したくてそういう問題があるかも?と見つけ出したということでしょう。
静岡県の主張は政府の有識者会議で水脈変更があるのか検討することになったようですから、同意しないと言えばいいだけのことを、格好つけでコレが心配と言っているような印象をうけます。

豪華クルーズ船対応批判5

岩田氏の論法を前提にすると上陸後の処遇・・厳選して陰性、陽性、不明の3分類をして隔離可能なことを前提にしているように見えますが、収容施設があったにしても検査前には、感染後潜伏期間中の人と未感染者の区別もわかりません。
その上、入国後検査のため外国人を拘束し、羊のように思うままに隔離収容し検査受検を強制できることを前提にしていることになります。
しかし、武漢チャーター機帰国者の検査拒否は1月末のことであり、クルーズ船入港は2月3日で、検査拒否・移動制限待機要請拒否問題はホットな時でした。
日本政府の骨折りでようやく帰国できた恩義を無視して、検査拒否する人が出るとは驚いたものですが、まして自分の費用で大金を払って旅行に来た外国人が、100%約束を守る保障がありません。
承諾を得て入国直後に検査拒否してどこかへ行こうとするのを、どうやって拘束できるかです。
これについて岩田氏がどういう論陣を張ったのか・・重要論点に対する自身の立場を明らかにしていません。
もう1度引用します

「感染リスクが高いクルーズ船の中に14日間とどめ置いて検疫をするという判断を日本はした。その判断が間違っていたのかどうかわからないが、そういう選択をしたのであれば、船の中の感染対策は完璧にする必要があった。」

「その判断が間違っていたのかどうかわからないが」と何故か逃げているものの本音はそれが不満だったのでしょう。
分からないのではなく、「木を見て森を見ない」というか、「米国で習ってきたセオリー通りに対策を取らないのは間違い・低レベル」というステレオタイプ的主張にこだわったのでしょうか?
米国の立派な隔離施設や指揮命令系統を実態を経験に基づいて説明して日本が参考にするのは良いことですが、そのままにしないと遅れているとの批判をするのが良いかは別次元です。
日本法制の特殊性・・国家権力が弱く原則として先ずは「国民の協力お願い」・現場応用力に頼るしかない国柄・社会意識を前提とすると、米国のように何かあると強力な司令塔を立てて、一糸乱れない統制下で断行すべきかは別問題です。
(米国映画で見た知識で恐縮ですが、事件現場では、現場指揮官の旗が立てられるといろんな救急部隊が集結してもその場の現場指揮命令は全て指揮官の命令に統一され軍事作戦現場のような運用でした)
米国ほど極端でないにしても西欧諸国では、何か事件が起きると日本のように自粛〜個々人の応用的自制に委ねるのではなく画一的な戒厳令や外出禁止令→刑事罰とセットの規制が行われ、警官や軍人が物々しく検問する・要するに軍事作戦形式が主流です。
要するに民主主義といっても一時的軍事支配に戻る仕組みと一体になっているのです。
西欧思想家がいきなり人権などと言い出した底の浅い歴史によるのではなく、古来からボトムアップ・衆議で決めてきた地についた個々人の考え方重視社会との違いです。
西欧の価値観を露骨に体現している米国では、コロナ対策を防疫「戦争」と表現するなど、大事件があると?何々戦争にしたがる社会です。
https://www.technologyreview.jp/s/201103/if-america-is-at-war-with-covid-19-its-doing-a-bad-job-of-fighting/by Mike Orcutt2020.05.18

・・・・ドナルド・トランプ大統領は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のアウトブレイクを「目に見えない敵」による「侵略」と呼び、自らを「戦時下の大統領」と何度も呼んできた。ホワイトハウスが広く伝えようとしているメッセージは明確だ。つまり、米国は新型コロナウイルス感染症と戦争中である、ということだ。
新型コロナウイルス感染症との戦いを戦争に喩えた政治家はトランプ大統領だけではない。3月17日、マサチューセッツ州のエドワード・マーキー上院議員はボストングローブ(Boston Globe)紙に署名入りの論説を共同執筆し、「マンハッタン計画型のアプローチ」(マンハッタン計画は第2次世界大戦中に米国が主導して実施した原子爆弾開発プロジェクト)を採って、人工呼吸器、防護マスク、検査キットといった不可欠な医療器具の全国的な不足に対処する必要があると呼びかけた。・・・・

トランプ大統領が新型コロナ対策に国防生産法を発動、マスクと人工呼吸器の増産を約束

トランプ大統領が新型コロナ対策に国防生産法を発動、マスクと人工呼吸器の増産を約束
2020年3月19日 by Darrell Etherington
国防生産法の発動は、あらゆるハードウェアを製造する米企業に広範囲な影響をもたらす可能性がある。国防生産法は、何であれ国防に必要な物資の生産を優先させるために大統領に非常に幅広い権限を与えるからだ。大統領は新型コロナウイルスとの戦いに有益であると認めれば企業にその生産の優先を命じることができる。当面、国防生産法に基づく命令は人工呼吸器とマスクの増産に絞られるようだ。しかしこの権限は臨時の病院、診療所、またそれらに必要を機器を含め、緊急医療施設を新設することにも拡大できる。

CDCを理想とする考え方は、この方式を防疫戦争→戦争→一元的司令塔の強力権限を期待するイメージです。
日本は強権で抑え込む社会でないし、米国流強権政治そのままを理想化されても困ります。
草木が自然環境の中で育っているのと同じで、個々の法はトータルの法制度・社会の価値観の中にあります。
戦争中の軍司令官のような権限を持つCDCの仕組みを作れば良いのではなく、社会全体の法意識との整合性が重要です。
岩田氏の影響か?コロナ禍初期には米国CDC体制が如何にすばらしいかの賞賛記事があふれ、日本には防疫専門組織がなく指令系統がない・・岩田氏の表現によればグチャグチャという批判が溢れていました。
その勢いを利用して安倍総理が果敢な政策を打ち出せない混迷・指導力不足(お願い・自粛ではどこまでして良いかわからないとか、ズルイという形)の批判が溢れていました。
岩田氏のツイッターや記者会見が安倍政権のコロナ対策批判勢力に対する格好の火付け役になって?安倍政権がお願いばかりなのは、政治責任回避のためというイメージが流布していました。

専門家の責任5(説明責任)

心療内科や精神科に関係すると「この頃眠れなくて」というと何か心配事ありますか?勤務先でこういうことがあってなどと、説明するとあんちょこに安定剤、睡眠導入剤等を処方されて終わりの印象です。
本当に眠れないのか眠れないように思っているだけか?勤務先で嫌な思いをしているというが本当かなどのチェックなど一切しないし、する方法もないでしょうから、信じて治療するしかないのでしょうが?
プロの目から見れば瞬時に信用性がわかるからでしょうか?
(ただし、私の少しの経験を一般化するのは間違いの元ですので、そのように理解してお読み下さい)
基準がはっきりしないので、同意入院を原則化している内に本人が自分で入院したいと言ってくるなら良いか?というあんちょこな診断基準になっている・本人の作り話でもそれを記録化してあやふやな診断基準の補強に使うことに慣れている危険性です。
ある人を殺すためにあらかじめ精神病になったふりして入退院を繰り返しその後狙った殺人行為を敢行する映画を見たことがありますが、仮病での入院の繰り返しがいとも簡単にできる実態が映画に出てきます。
日頃から厳密診断していないといざ厳密診断が必要な時にその能力が錆びてしまっているのではないかの疑問です。
本当に眠れないのか眠れないように思っているだけか?勤務先で嫌な思いをしているというが本当かなどのチェックなど一切しないし、チェックしたくとも検証する方法もないでしょうから、信じて治療するしかないのでしょうが?
弁護士の場合立証できないと負けますので、信じるかどうかより、説明を聞いて事件のストーリーが決まれば、次に村スローリーが立証できるかどうかに関心が向きますので、根掘り葉掘り聞く必要が先行します。
その段階で立証以前に相談者の主張自体が、事実に基づかない独断意見に過ぎないなどストーリいー自体が破綻していることが判明することが多々あります。
医師は安易に患者や関係者の説明・・経緯を恰もあった事実かのように書く傾向があるのは、プロの目から見れば瞬時に信用性がわかる自信によるのでしょうか?
(ただし、私の少しの経験を一般化するのは間違いの元ですので、そのように理解してお読み下さい)
医師の場合、客観検査できること以外は、患者や付添人の説明そのまま前提事実として治療していくようですし、これとパラレルの関係か不明ですが、一方では治療の説明をしたがらない印象です。
私自身医療にかかるようになったこの6〜7年の経験で言えば、5〜7年ほど前に右手人差し指の先・第一関節というのかな?痛みとともに変形しているのに気づいて、心当たりとしてはその直前頃に小さなブラッシュを握って庭先のタイル磨きに精出したことが原因かな?と思って事務所近くの新設されたばかりのリハビリ施設を併設した医院に診察を受けに行ったら、「年とったら誰でもそうなりますよ、痛いなら痛み止めの薬を出しておきましょう」という程度で会話にならず帰りました。
その後庭仕事をやりすぎると痛みが出ることはありますが、痛みは指を休めたり撫でて指を伸ばしたりしてれば治るので、二度と医療にはかかっていません。
この数年前から左足首のあたりに赤いポツポツができて痒くなる症状が続いていて事務所近くの皮膚科に行くと「心配いりません高齢化すると皮膚が乾燥してそうなるのです」というだけで塗る薬を処方されて痒くなると塗れば治る・・1週間ほどするまたポツポツが見えてくるので痒くなる前に早めに塗るの繰り返しで4〜5ヶ月に1回前後の間隔で薬がなくなれば貰いに行く繰り返しで、医師と面談しますが、「変わりないですか?はい」程度の応答で・・数十秒で終わりです。
年寄りの繰り言をこの機会にぶちまけますが、2年ほど前にメガネが合わない・・遠くからくる人の焦点が合わず困ると思って眼科で検査してもらったところ、高齢化のせいで心配いりません」という説明で終わりました。
医師としては何か危険な病気が潜んでないか調べたつもりのようですが、私の方としては、こちらは高齢化の所為でメガネが合わなくなったから検査に行ったので「ふざけた説明だ」と思いましたが、検査目的のミスマッチがあったようです。
その後自分なりに納得した論理は、メガネの機能は水晶体の不具合をレンズで修正できるが、左右の目に別々に映る映像を焦点にフォーカスする作業は、水晶体→レンズで調整する作業と関係ない=メガネが合わなくなったわけではない・焦点を合わす脳内の作業が下手になったからではないか?
卑近な例で言えば、双眼鏡で焦点を合わす作業能力が落ちてきたことにあたるのかな?という素人的理解です。
そうすると現在医学ではまだ脳内の複雑な原理解明が進んでいないし、ましてや眼科医の領域外ということだったかもしれません。
脳医学の複雑な説明を三分診療ではできないということだったのでしょうか?
でも私の上記自己流納得が間違っているかも知れないし、素人は脳科学での複雑な数式や過去の研究成果・A〜Dの学説の細かい説明を求めているのではありません。
「メガネが合わない」と相談した患者の関心に答えるには「高齢化で起きるもので心配がない」というのではなく、「眼鏡の調整の問題でない」という程度の素人向け数十秒で足りる説明をすべきだったように思っています。
我々弁護士の場合、現在持参した手持ち資料と説明によれば、法理論上こういう主張ができるがこの主張にはこういう反論が想定されるので、相手の手持ち資料にどんなものがあるかを聴き、相手の反論が事実とした場合にこういう再反論ができますがあなたに裏付ける事実とその資料がありますか?など順に聞いていくのが普通です。
こういう順を追ったやり取りを経て何が争点になるかを素人も知ることができる仕組みです。
説明責任以前に前提情報を入手しないと(医師の場合各種検査データ)処理方針が立たないから質問と応答の繰り返しが必須であるからです。
眼科医診察を受けた場合の例で説明すると順番で呼ばれる診察もしないですぐ看護師による視力その他(麻酔で瞳孔を開くなど)の検査に入って検査が終わってからの医師面談でした。
弁護士の場合、補助職による事前チェックなしに直接面談(サラ金整理等では債権者表を書いてから面談していましたが、一般事件の場合)ですが、たまに代理で相談にくる人がいます。
大雑把にどう言う処理が可能か?どの程度の費用か聞きに来る程度で、「今度本人と一緒に来ます」ということになります。

新型コロナの実害比較5(日本の成績2・勝又氏経済時評)

以上メデイア紹介による国外の日本のコロナ対策に対する評論を見てきました。
昨日見た文化論は私の個人的思考に合うものの、素人のイメージとどこが違うのか?大学の歴史学者という違い程度か?・・内容は今一つでした。
たまたま、勝又寿良氏の経済時評が目に止まったので読んでみるとこれが私の感想にぴったりし、かつ具体的ですので、要約紹介しておきます。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/page-3.html

2020-05-24 05:00:00
日本、「25日」全面的コロナ宣言解除が有力、3つの「成功要因」
米『ブルーンバーグ』(5月23日付)は、「新型コロナ、日本独自の要請対応が奏功ー緊急事態全面解除迫る」と題する記事を掲載した。
この記事を執筆した記者に、日本人は一人も入っていない。3人の記者は全員、外国人である。自画自賛的な記事ではないことに注目して貰いたい。
(1)「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言は、21日までに首都圏の1都3県と北海道を除き解除された。安倍晋三首相は、新規感染者数の減少が続けば、これらの地域についても31日の期間満了を待たずに解除する方針を示している。日本の新型コロナ感染症死者は22日時点で808人未満。海外のように厳しい外出制限や罰則を伴わない独自の「要請」対応は、成功裏に終わりを迎えつつあるように見える」
(2)「専門家会議副座長の尾身茂氏は、日本の医療制度、初期のクラスター対策、そして国民の健康意識の高さの3つの要因が寄与したと分析する」
3つの要因とは、次のような内容だ。
1)医療制度の充実
2)初期対応でクラスターを捕捉できた
3)国民の健康意識の高さ

私のニュース捕捉力未熟の故か?日本のコロナ対策を担う中枢専門家の意見が具体的に紹介されているのを見たのはこれが初めてです。
「お前の能力が低いんだよ!」と馬鹿にされて終わりかも知れませんが、尾身氏の意見が国外ニュースで具体的に紹介されて、国内メデイアの多くが報道しない?報道していたにしても目立たない形になっていたとは驚きです。
メデイアの役割は、政府のすることは何でもマイナス評価すれば良い・何かしたり発表があれば、粗探しに特化する・粗探しの前提として政府施策の紹介をするがケチをつける点が見つからないときには報道もしない・・黙殺すれば良いという信念で動いている場合、政府主張の焼き直し意見など紹介する必要がないということかもしれません・・。
上記3点については、勝俣氏が上記記事で敷衍し解説していますの引用します。

以上の3点についてコメントしたい。
1)は、今回のコロナ禍が全額、国費負担であること。患者は、経済面の負担を恐れずに治療を受けられ、これが感染者の拡大を防いだ。海外では、患者負担もありこれが感染者を拡大させている。経済的貧困者に、死亡者が多い理由である。
2)は、保健所が初期段階でクラスターをしらみつぶしに調査して感染源を把握した。東京湾の釣り船では、感染源突き止めた。成功例と指摘されている。
3)は、日本国民の健康意識の高さである。日本人の清潔好きは世界的にも有名である。この日々の生活態度が、ロックダウンをしないでも感染拡大を防いだ。
日本人の寿命は現在、世界で1~2位である。結局、すべての要因は、日々の生活態度がコロナ感染拡大を防ぎ、世界最低の死亡数に止まった。
(3)「ワクチンが市場に出回るまで世界各地で新型コロナの影響は当面続くとされる中、感染症が沈静化に至っていない他国や国内で次の波に備えるために、今回の緊急事態宣言は示唆に富む。まず、早期の対応が大切だ。政府の対応が遅れたとする声がある一方で、1月に国内で初の感染者が確認された時点から保健所が、感染者との濃厚接触者の追跡に動いたことが効果を発揮したとの見方がある。北海道大学公共政策大学院の鈴木一人教授は、日本の方法は「アナログで、シンガポールのようにアプリを使った追跡ではない」が、「とても有効だった」と話す」
(4)「厚生労働省の資料によると、2018年時点で全国の保健師数は約5万3000人で、そのうちの15.3%が保健所に勤務し、普段はインフルエンザや結核などの感染症対策に当たっている。北海道医療大学で感染症を研究する塚本容子教授は、「日本にはCDC(米国の疾病対策センター)のような機関がないとよく言われる」とした上で、「各地の保健所がCDCの役割を果たしている」と指摘した。保健所による感染者の追跡は、ライブハウスやナイトクラブでの集団感染対策にも貢献した」
((3)(4)部分はブルームバーグの引用のようです)
日本では、保健所が米国のCDCの役割を果たしている。全国に8100人余の人々が、感染症対策に従事しているという。この人々が、今回のコロナ禍でフル回転してくれた。(勝俣氏のコメント?)
(5)「2月に横浜に到着したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号では、乗員乗客含め700人以上が感染し、13人が死亡した。欧米諸国が「対岸の火事」として中国での感染拡大を見守る中、日本は他国より早く新型コロナの集団感染に直面することとなった。このことが国民の危機意識を高めたと指摘する声もある。早稲田大学政治経済学術院の田中幹人准教授は、「各国の多くの人々が、新型コロナはいずれは収まる病気だと楽観視していたころ、日本にとっては家の目の前でクルマが燃えているような状況がしばらく続いた」ため、国民は「コロナに対する警戒感を高めていた」と述べた。専門家らはクルーズ船での対応の経験を生かし、「密閉」、「密集」、「密接」の3要素がそろうと感染リスクが高いと指摘し、政府は「3密」を避けるよう国民に呼び掛けた」
((5)もブルームバーグの引用?)
横浜港に到着したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が、日本人にコロナ感染症への警戒感を植え付けたという。ここから、「密閉」、「密集」、「密接」の3要素が揃うと危険という「3蜜警戒」が合い言葉になった。(勝又氏コメント?)
(6)「世界保健機関(WHO)事務局長上級顧問を務める英キングス・カレッジ・ロンドンの渋谷健司教授は、感染者の追跡方法にも改善の余地があると指摘。「時間のかかる聞き取りによる追跡は、小規模の地域限定的な感染には有効」とする一方、「記憶の偏りがある上、アプリで接触者や利用施設を特定するよりは効率的でない」と答えた」。
日本のコロナ第一波は収束するが、第二波、第三波への準備が必要である。それには、下線のような保健所の人海戦術でなく、アプリなどのIT利用を勧めている。国民の意識改革で、受入れるかどうか、議論すべきだろう。経済・生活の行動を制約する現行コストより、はるかに少なくなるメリットはある。(勝又氏意見?)

ブルームバーグ紹介記事と勝又氏のコメントを読むと昨日紹介した抽象的文化論では素人の感想との違いがはっきりしないモヤモヤ感を吹き飛ばしてくれる点で、優れています。
日本は中韓のように当初から個人行動監視では国民が納得しなかったでしょうが、第二波が大規模にやってきたときには、人海戦術では間に合わないことが確かです。
それまでの時間の経過で日本も第二波に対応する心の準備が整うのではないでしょうか?
幕末、アヘン戦争を見てこのままでは植民地にされるという危機感を持っても、産業構造の変革→兵制の近代化や幕藩体制廃止に行き着くまでには時間がかかりました。
時間をかけて納得した結果の明治維新であったからこそ、挙国一致で近代化に邁進できたのです。
今回もコロナ第1波(幕末で言えば、薩英戦争や長州の四国戦争などテストシリーズ)を民族の応用力でなんとか防げましたが、第二波は抜本的産業構造や兵制改革に成功したので本格的開国に対応できたのです。
以心伝心で民族の方向性が一つの方向に向かうと魚群行動のように一糸乱れず統一行動の取れる民族性の解体を目指してGHQはなんでも反対粗探しの批判勢力をメデイア界や教育界に構築して独立を認めました。

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