米金融政策3と韓国2

https://www.mof.go.jp/jgbs/publication/debt_management_report/2017/saimu2017-3-ho.pdfによると平成28年度末普通国債発行残高は8,305,733億円です。
この海外保有率をhttps://www.mof.go.jp/jgbs/publication/debt_management_report/2016/saimu2016-1-3.pdfで見ると約10%です。
メデイアはしきりに「債務を次世代に残すのか!」といいますが、9割は国内保有ですから国民がその債権を相続するので世代的には差し引きほぼ同じです。
企業保有分は・たとえばトヨタの株主に外資も混じっていますが、結果的に個人金融資産合計が国債発行残高より多ければ、イザという時にはハイパーインフレでしょうから、政府に貸し込んでいた人が損をする・・だけです。
極端な話、99%を外資に買ってもらっていて国民がその何倍も外債を保有しているときにハイパーインフレで国債相場が額面100分の1に下がった?時に外債を売って日本国債を買えば国民が儲かります。
この辺の流れを以前書いたことがあります。
要は税金で国費を賄わないで「国民に借りたことにして」賄っているのですから、貸したつもりの債権がイザという時の帳消しになる・・税に変わるだけのことです。
国民個人金融資産は1829兆円ですから(外国人保有分を値下がりしない状態で次世代が買い戻しても)1000兆年円あまります。
日本は国民の立場が強い・・国民を大事にする国であることが、数字で現れています。
国民を借金まみれにして苦しめておいて、政府だけ黒字では意味がないでしょう。
韓国の現状に戻ります。
https://www.recordchina.co.jp/b205994-s0-c30-d0035.html

国籍を捨てる韓国人が急増、移民先は米国や日本が人気=韓国ネット「当然だよ」「韓国が最高の国なのに…」
2017年11月7日、韓国・ヘラルド経済は「ヘル朝鮮(地獄を意味するHellと韓国の昔の名称である朝鮮を合わせた造語)を脱出する人が増加していることが統計でも確認された」と伝えた。
韓国の移民政策研究院が7日に発表した資料によると、過去10年間で韓国国籍を離脱した人の数は22万3611人に上る。2007年に2万3528人だった韓国の国籍離脱者は減少傾向をたどり、15年には1万7529人を記録。しかし昨年は3万6404人を記録し、前年より約2倍も増加した。韓国の国籍を離脱した人が最も多く取得した国籍は米国で、その数は9万4908人に達する。次いで日本(5万8870人)、カナダ(3万2732人)が続いた。一方、韓国国籍を回復した人の数は2万2974人に過ぎなかった。

https://gangnam.keizai.biz/headline/673/

韓国の男女、10人に7人が「海外移住したい」
2017年01月13日
韓国の就職ポータル「ジョブコリア」とアルバイトポータル「アルバモン」は1月10日、「成人男女10人に7人が海外移住の意向がある」と発表した。
同社では、成人男女4802人を対象に「移住」に関連するアンケートを実施したところ、70.8%が「機会があれば外国に移住したいと考えている」と回答。年代別で見ると、若いほど移住への関心は高く、20代は約73%が海外移住の意思があり、以下、30代は72.4%、40代は62.8%、50代は42.8%の順となった。

韓国の場合アジア危機時の経験で対外債務は改善されていると言われているので、これが事実とすればこの数年で個人債務が急膨張していても国内ツケ回しの問題にすぎず、国家全体の経済危機には関係がないことになりますが、債務負担部門が個人に偏っているので個人の国外逃避騒ぎが起きているのでしょう。
公式統計には現れませんが、世界の売春婦輸出国として韓国が著名になっている現状にも現れています。
売春婦に関しては引用出典が正しいか報道かどうかどうか不明ですが、以下のようなネット報道があります。

https://kaikai.ch/board/23318/

2017/08/08(Tue) 09:40:01
『シアトルタイムズ』は今年7月26日付の報道で、昨年1月に逮捕された売春斡旋グループが韓国で経済的に困窮している女性たちを勧誘し、シアトルなどアメリカ北西部で売春をさせていたと伝えている。
韓国メディア『韓国日報』は「在米韓国人社会に泥を塗った」と報じた
2010年10月の国会国政監査でキム・オギ議員は「韓国人女性10万人余りが海外で遠征売春を行っている」と発言している。
彼女によれば、“遠征売春”を行う韓国人女性は、日本に5万人、オーストラリアに2500人、グアムに250人、その他ニュージーランド、中国、香港、アメリカなどを合わせて10万人に達するのだという。
また、今年3月には「アメリカの公式統計によれば、(アメリカ国内の外国人売春婦の中で)遠征売春に来た韓国女性たちの割合は23.5%」という報道も出ている(『NEWSTOWN』)。これはアメリカの外国人売春婦の中で最も多い割合で、2位のタイ(11.7%)、3位のペルー(10.0%)にも大きく差を付けている。
その背景には、経済的な困窮があることは間違いないだろう。
例えば昨年には経済協力開発機構(OECD)が韓国の青年失業率(15~29歳)を10.7%と発表している。2012年から右肩上がりとなっており、日本の5.2%と比べても倍以上の数字だ。
しかも韓国は男女賃金格差も大きい。『女性新聞』の報道によれば、2016年の男女賃金格差は36%で、日本(27%、厚生労働省発表)を含めたOECD加盟国の中で最も格差があった。
「性売買特別法」の影響  実際、2009年の海外性売買の関する検挙者数は128人だったが、2013年には496人と4倍近くまで増加している。

上皇の生活費を内廷費に加える疑問2

皇太子になると東宮御所として住む場所も違うし行楽等のお出かけ単位も別々、お付きの職員も違うのが古来からのしきたりですから、これを天皇家と同一世帯とは昔から言わなかったでしょう。
古代からそれぞれ生活費拠出者の妻の実家が違う以上は、別世帯感覚だったのではないでしょうか?
内廷費に天皇家と成人した皇太子一家あるいは天皇家と上皇家の家計を一緒にした内廷費を決めて「後は自分たちで決めて下さい」というやり方は、生活保護で言えば、親世代夫婦と子供世代夫婦が別に生活しているのに「一括支給するのであとは自分たちで分配して下さい」と言うのと似ています。
内廷費がここ20年ほど変化ないようですが、民間人同様高齢化で3世代世帯時代になっている・・このため長期にわたる高齢化世帯の生活費問題・・年金持続性が社会問題になっている・・天皇家でも高齢化による負担増は同じです。
約20年で急速に変化した高齢社会問題化が進む中で、過去20年間以上も同額据え置き・・しかも上皇一家も内廷費に組み込まれるのであれば、実質減額ではないでしょうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/12666674/

天皇陛下の「譲位」で浮上 「皇室の予算と財産」の問題
2017年2月13日 12時0分
...
山下氏は、皇室をめぐる一連のカネの問題について「戦後70 年間、状況が変わっても、法律の見直しをおこなわなかったことが一因」と語る。
皇室の未来を見据えた法の大改正が、今こそ必要なのだ。<皇室費の内訳をザックリ解説!>
【内廷費】3億2400万円
天皇・皇后両陛下、皇太子ご一家の日常費用。年間額が定められている。「’96年度より同額で、8100万円ずつ年4回支払われます。用途の3分の1は、内廷職員の人件費

一例を挙げれば、天皇家の場合、お出かけになると入場料(美術館1800円の場合)は無償でも入場料以上の身分相応のお下賜金を(相手にとっては接遇のための人件費、警備・入場規制その他莫大なコストがかかります)支出する必要があり、一般人の交際費と比較になりません。
一般人が結婚式に招待されて会費徴収がなくとも会費相当額以上のお祝い金を包むのと同じです。
上記記事は天皇家・皇室経費に対して批判的論調でこの機会に見直すべきという論旨です。しかし、この20年間・物価は上がらなかったにしても高齢化・/人生と100年時代に入りつつある現在、違った角度からの見直しが必要と思います。
一般家庭を例にイメージ的に表現すると、残されたお婆ちゃま、お爺様が息子や娘夫婦と同居して8畳間程度の隠居部屋で日向ぼっこしているイメージの生活・・ちょっとした手元小遣いがあれば足りる想定・これが国民年金支給が月額6〜7万円の制度設計でした。
ところが長寿化の進展で定年後の寿命が延びたことで、80歳前後まで夫婦揃っているのが普通になってくると定年後次世代と同居する人が少数になり親世代と次世代の生活費一体化が崩壊して、大多数では世帯が別になってきました。
そうなると一軒の家の中で隠居部屋だけ維持するのと違い、生活費が二重に必要となり収入源が国民年金しかない高齢者の貧困を引き起こすようになっています。
もともと電気ガス水道や、家の維持あるいは家賃等生活費全部を年金で賄うようになっていなかったからです。
長寿化→年金支給期間の長期化による掛け金と支給額のバランスが悪くなっています。
例えば年金支給期間を10年間平均で想定していて掛け金を設定していた場合に、長寿化により受給期間が20年間に増えると論理的には支給額を半額にしないと収支があわず大幅赤字になります・・金利動向その他の修正要素がありますが以上は単純化意見です。
長寿化や想定外低金利等により年金収支が赤字化し、国庫負担が増える一方になっている状態では毎月支給額を増やすどころではないことから、受給開始年齢の引き上げや元気な人には働いていただき生活費の補充(自助努力)をしてもらうしかない状態に陥っているのが高齢化問題でしょう。
ここで内廷費が高齢化に対応していないのではないかの疑問に戻ります。
従来の内廷費制度は高齢社会が始まりつつあってもまだ少数派時代・・壮年期の天皇夫妻と成人前の宮様の核家族と、残された皇太后お一人がひっそり過ごされる標準パターンを前提としていたように見える点です。
昭和天皇が崩御されて初めて次世代天皇が即位したことが象徴するように、天皇即位後は、皇太后の細々とした生活費だけを前提にしていました。
これがれっきとした上皇御所となると公務員だけも昨日紹介したとおり65人も必要になる規模です。
これに比例して天皇家とは別の活発な行幸啓などの私的費用負担が増えるはずです。
皇室も高齢化の波は同じで、核家族プラス数年の余命を生きながらえる皇太后の細々とした生活費負担程度(旧来の大宮御所と上皇御所の違いです)とは違い、今や、天皇一家と上皇一家という民間で一般化している2世帯住宅・2世帯の生活様式になっています。
上記引用記事によれば内廷費の
「用途の3分の1は、内廷職員の人件費」
というのですからなおさら上皇御所となると大変です。
内廷費によって生活する消費単位(上皇になってもその生活費が内廷費に含まれるとなれば)が、(昔のように核家族プラスおばあさんが日向ぼっこしているだけの時代と違い)2倍近くなっている点を考慮すると20年以上前のまま、内廷費が同額据え置きのままでは実質大幅減額になっているのではないか?という視点での感想で書いてきました。
そのような視点での議論をした上で、もともと内廷費が高額すぎたという結論があるならば別ですが、そういう議論がないまま同額据え置きはおかしくないか?という疑問です。

仙洞御所経費と核家族化2

お住まい関係予算だけで17億と聞くと大変なようですが、上皇に関連する公務員が65人ですから、 彼らの勤務場所・施設(宿直体制とすれば宿直室や食事等の設備もいるでしょう)の造営費もかかります。
職務上の移動手段車両/ガレージや通信設備も一定数必要になるなど、ちょっとした企業ビル程度の新設が必要です。
警備員の休憩室も必須です。
生前退位すると上皇と二重権力(象徴の拡散)議論中心で報じられてきましたが、象徴機能については天皇家内で節度を持って当たれば良いこと(中小企業で言えば社長を辞めた親が、いつまでも口出しするかどうか同様で)ですが、コスト等の議論の方が重要であったことがわかります。
この点は高齢化社会の宿命で、個々人が現役引退後長期間の生活費が必要になったのと同じです。
個々人の場合自分の家を現役の子供らに引き渡さずにそのまま住み続けるので、日々の生活費(年金程度)だけで足りるが、天皇家の場合皇居を引き渡すから、隠居所の造営が必要になります。
(個人でも自分の屋敷を子供引き渡す場合には、隠居用の建設資金が必要ですし、子供に引き渡さないまでも終の住処を空き家にしたままで老人ホームにはいるには、まとまった資金が必要です。)
高齢化社会になると現役引退後の生活保障・・二世代分の生活コストがかかる時代が来ているのですが、この点は皇室にとっても同じで、皇室経費のあり方が時代に合っていなかったように見えます。
退位しないで摂政制にすれば上皇御所不要ないか?どうだったかと比較したくなりますが、そうなれば世代交代を遅らせるだけ・いつまでも皇太子が独立した地位(一種の部屋住み?)がなく半端な状態が先送りされるだけです。
皇太子という語感からすれば未成年の子供の表現ですが実は60歳に手の届く年齢になっています。
摂政制は、即位した天皇が幼少の時に成人するまでの実務を担当するための補欠的制度であって、将来能力が衰える一方の天皇の退位を遅らせるための制度ではありません。
企業で言えば90代の社長がもはや仕事ができないのに社長室に頑張っていて、70歳前後の長男が専務をやっているようなもので不健全です。
これを経済的に見ればなお不都合が明らかになります。
ちなみに内廷費は天皇家として皇太子一家とごっちゃに支給される仕組みになっていて、(言わば未成熟子供を前提にする核家族の家計を想定した制度で60歳近くにもなる皇太子一家の経済独立性が担保されていません。
生活保護費支給の仕組みと比較するのは恐れ多いですが、経済的には信長以来時の政治権力の意向(今は国会の議決する予算)によって生活費等を受ける仕組みは同じです。
一家として支給される生活保護費のうち家族内で誰が手厚く消費できるかは、一家内の力関係で決まる仕組みが天皇家では3世代に渡って行われているのでしょうか?
未成熟家族内(乳幼児家庭)・いわゆる核家族であれば上記世帯単位の仕組みは合理的ですが、60代近くになっていて結婚して子供を持っている皇太子一家も含めて天皇家と一つの経済体(一つの世帯ではないのに)として内廷費を決める仕組みが不合理だったと思うのは私だけでしょうか。
皇室経済法第三条

予算に計上する皇室の費用は、これを内廷費、宮廷費及び皇族費とする。
同・第四条
内廷費は、天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする。

秋篠宮の場合、宮家を立てているので、皇族費としての独立支給になるのですが、皇太子一家は昔の農家や商家の長男夫婦が親と同居して家業を手伝っているパターンに似ています。
店の売り上げや農業収入等は親が握っていて長男一家には独立の収入がなく、(親から思いつきで小遣いをもらえる程度)半端な状態に置かれてきた古いしきたりのままになっているようです。
現在はそんな非人道的なことは許されないので、天皇陛下からまとめて皇太子一家の生活費を渡しているのでしょうが・・・。
この結果分配の少ない?皇太子妃の実家経済力次第の生活になります・現皇后が皇太子妃の時には実家が資本家・・古代で言えば荘園領主でしたが・・雅子さまの場合には実家が外務官次官・・給与生活者では皇太子妃の衣装代援助にも困る状態(噂)が起きてくるようです。
ちなみに秀吉の妻ねね・高台院化粧料が1万2千石、江戸時代に将軍家子女の婚姻化粧料として千姫の10万石・後水尾天皇に嫁いだ秀忠の娘和子の化粧料が1万石と言われています・ただし全て根拠に当たっていませんが、・・・・当時天皇家の収入を大きく支えたことは間違いないようです。
家光ころの天皇家の収入はhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1452135324によれば(これも根拠不明ですが)以下の通りです。

三代将軍家光が決めた天皇家としての石高は、たったの2万14石4斗9升5合ですが、
これには天皇家につながる170余の公家の扶持も含まれます。
これとは別に上皇が1万石、その他の後宮の賄い料として3千石、これだけです。

天璋院篤姫の輿入れに際しての島津家からの化粧料としては10万石という意見を読んだ記憶ですが巨額だったので千姫とごっちゃにした意見なのか、これも根拠がはっきりしません。
化粧料の額は別としても実家の経済力が大きく影響するのが皇室ですが、「皇室は社会変化と関係ない古式ゆかしい別世界であるべき」という(古きを尊ぶ思想は、)経済システムも古式ゆかしいママでないと一貫しないことがわかります。
天皇家はもともと国家財政そのものでしたから固有領地がないので、荘園制が広り、国庫収入が減ると自前の収入源を持たない天皇家を維持するには新興の荘園勢力・その代表者藤原氏をスポンサーにするしかなくなったのが藤原摂関家全盛時代となります

天皇象徴性の定着と無答責2

象徴天皇制と天皇制存続可能性について見ておくと、優秀な政治家でも一定年数経過すると社会の意識変化についていけなくなり、(長期安定政権で知られるドイツのメルケルもロシアのプーチンも流石に支持率が下がってきて政治生命が終わりに近づいた印象です)政権交代があるのですが、最終決定権を天皇家が持つようになると決定に対する政治責任が発生します。
優秀な政治家でも毎回うまく行く訳ではない(世論動向吸収巧者メルケル氏は難民急増に関する世論を読み違えた)ので、一定期間経過による政権交代の宿命が天皇制の寿命を縮めます。
発言力・最終決定権がない前提でこそ「天皇の無答責」で一貫してきたのです。
天皇家が主導権を発揮した承久の乱の後鳥羽上皇その他の上皇や、正中の変〜元弘の乱では後醍醐天皇が廃位されて島流しになっています・・。
このように具体的政治決定の主役になると、政治責任を取らないではすみません。
後水尾天皇の紫衣事件は、天皇の裁量で行ったから政治問題に発展したのです。
昨日紹介した通り、天皇家は応仁の乱以降経済力を失い即位の礼でさえ、有力大名の寄進がないとできない状態→寄進してくれる限度=儀式諸費用決定権がない状態になっていたのですから、儀式が華美すぎるかどうか(を決めるのは信長等の費用出し手です)の批判を受けない仕組みになっていたのです。
毛利氏や信長などが費用負担するようになって以来、天皇家は儀式担当(俳優のように担当するだけで、規模コストを決めるのは時の出資者・政権担当者)化していていろんな政治決定権がないからこそ天皇家の無答責が一般化し連綿とつづいてきたのです。
ちなみに戦国時代の天皇の実態について当時来日した西洋人記述は以下の通りです。
正親町天皇に関するウイキペデイア引用です。

イエズス会の宣教師は、日本には正親町天皇と織田信長の2人の統治者がいると報告書に記述した[7]。フランシスコ・ザビエルの後任である布教責任者のコスメ・デ・トーレスは、1570年(元亀元年)に、日本の権権分離を以下のように報告している[8]。
日本の世俗国家は、ふたつの権威、すなわちふたりの貴人首長によって分かたれている。ひとりは栄誉の授与にあたり、他は権威・行政・司法に関与する。どちらの貴人も〈みやこ〉に住んでいる。栄誉に関わる貴人は〈おう〉と呼ばれ、その職は世襲である。民びとは彼を偶像のひとつとしてあがめ、崇拝の対象としている。

当時から天皇は象徴であり政治決定権を持っていなかったのです。
敗戦時の東京裁判では実質決定権がなかったと言う理由で、天皇が被告にならなかったのもその事例です。
1月23日に、貨幣改鋳した奉行と新井白石の論争を書きましたが、明治維新は江戸時代に入って朱子学が浸透し実態よりも観念を重視する新井白石などの秀才が幅を利かす時期がありました。
実利重視の吉宗の登場によって、朱子学者は実務の反撃を受けて挫折してしまった不満をかこっていたことの裏返しの時代になって、専制君主が正しい・今の体制は間違っているという観念論によっていたように見えます。
結果、朱子学は具体政治になんら有用な機能を果たせずに空理空論を弄んでいただけですから、幕末動乱期にまともな役割を果たせていません。
幕末動乱期から明治にかけて世界情勢に適応できたのは、朱子学とは系列の違う各種文芸の発達(ジャポニズムとして西洋に逆影響を与えるなど)や適塾や、和算や天文学など実用学問の素養でした。
同様に幕藩体制批判の急先鋒・水戸学は御三家の中では冷や飯食い的不遇・今の野党評論家のように、何かと現体制を批判したいグループ同様でしたから、待望の幕藩体制が倒壊してみると明治政府からお声がかからないで終わりました。
むしろ賊軍であった旧幕臣の方が新政府で活躍しています。
水戸家では体制批判に特化していて実務能力がなく役に立つ人材がいなかったからでしょう。
水戸家出身の最後の将軍徳川慶喜も批判論は得意だったでしょうが、書生論でしかなかったのでいざ将軍になると、もみくちゃにされて終わりました。
学者とは数代前に時代に合わず変わってしまった社会体制を理想として、現在の体制を批判することを職業としている人のことでないか?とも言えそうです。
維新政府は、中国の専制支配体制を理想化して日本の国情無視の儒学者らの観念論による「尊皇攘夷論」に乗っていたために(薩長は倒幕大義名分として利用していただけですが、)攘夷論に気を使って「王政復古」を旗印にしていた関係もあって、当初二官八省制から始めたことを07/18/05「王政復古と3職」前後で官制の変化(廃藩置県等の地方制度も含め)として時系列で紹介したことがあります。
二官八省制度はあまりにも実務向きではないのでどんどん改組していき最後の総仕上げで明治憲法体制になったものです。
政府は王政復古の旗印を無くせないので、明治憲法の天皇制は実務決定は政治家が担当するが文書上は天皇の名において行うという分業を目指したように見えます。
明治憲法では天皇大権として、「これでもか足りないか!」と言うように書けるだけ精一杯書いた印象で羅列していますが、要は当時想定できる政府の権能を描いたものでしょう。
実際の運用では主任大臣の副署を要求するしかなかったのですし、天皇大権を羅列すればするほどすべての分野で形骸化して行く運命です。

明治憲法
第55条国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

明治憲法でも主任大臣の連署が必要でした・・これが現憲法では主任大臣から内閣に変わっただけです。
(内閣制度が憲法制定前にありましたが、明治憲法上の制度になっていなかったからです)
この場合の副署は天皇自らの署名を求めるのは「畏れ多い」という古代からの「憚り」によるのではなく、実務政府の副署・・承認がないと効果がない江戸時代の禁中ご法度の継承・・逆の意味合いでしょう。
どういう有能な人でもすべての分野で実態にあった裁可する能力があるはずもないので、結果的に天皇の名においての権限乱用に結びつくようになります。
天皇の名を乱用するのを防ぐために、戦後の現憲法では実態に合わせて天皇大権の文言を全部削除して「象徴天皇」を明記し、国事行為のみを内閣の助言と承認で行うと明記しました。
これが上記引用した戦国時代に日本に来た西洋人の観察にも合致していたからです。
実質決定権がない状態に合わせた・・新憲法で象徴性を明記したので戦後初めて象徴天皇になったかのように誤解するムードが流布していますが、儀式専門になったのは上記イエズス会代表文書引用のとおりおよそ500年の歴史があるのです。

中銀の独立性?3(トランプ政治の正統性?2)

12月20日のパウエル議長記者会見で株価が急落し、年が明けてもさらに下がる展開でした。
トランプ氏によるあまりの恫喝(彼は直接言いませんでしたが更迭論がメデイアを賑わしていました)
これに怯えたのか?年初1月9日に公開した12月の利上げ時のFOMC議事録要旨は、今後の利上げ予定の取りやめに含みを持たせるような内容であったことが議論を呼び、1月10日以来市場安定化・・株価回復に資しているようです。
これを見ると米国新年度予算が成立しないことよりも(予算成立が年を越したどころか、今日現在まだが成立しないままですが、議事録要旨公開だけで持ち直したということは、)金利動向の方が世界経済への影響が大きかったことがわかります。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-10/PL3ULX6KLVRA01
Christopher Condon

2019年1月10日 17:02 JST
FOMC議事要旨と12月のパウエル議長会見、際立つトーンの違い
9日公表の米連邦公開市場委員会(FOMC)議事要旨が市場に安心感をもたらす内容だったことで、投資家の間に新たな疑問が浮上した。それは、昨年12月19日の会合後の声明やパウエル連邦準備制度理事会(FRB)議長の記者会見とはトーンの違いが大きかったためだ。
・・・・
ラインハート氏は、12月19日の声明や議長会見に対する市場の否定的な反応に対応するような形で金融当局者が議事要旨を取りまとめた可能性があると推理。「パウエル議長は会見の冒頭発言と質疑応答でFOMCの認識を正確に伝えたが、あまり歓迎されなかった。その後、議長がもっと強調しておくべきだったと残念に思った部分をもっと気配りして強調することにしたのではないか」と論じた。

米連邦公開市場委員会(FOMC)決定が政治圧力によるかの神学論争は別としても、政治=国民福利を最大にする必要がある点は金融当局も同じであるべきですから、金融当局も国内景気実態を無視できませんし、基軸通貨国としては国際経済への目配りも欠かせません。
日銀が地方を無視して東京の景況感だけを前提に判断するのが許されないのと同じです。
トルコ・エルドアン大統領のような強権支配者は中央銀行の決定に強力な支配力を持つので、国内景気対策の配慮が優先して金利引き上げが先送りになっていた結果、リラが大幅下落し物価大暴走になってきた例を昨日まで紹介しました。
ただし「政権が政策の最終責任者であるべき」という私の意見によれば、独裁の弊害の問題ではなく、エルドアンの判断が間違っていたことになるのか?というだけのことです。
中銀の独立性を強調するのがメデイアの原則ですが、私は独裁権力者が「自己保身のために経済原理に反した」ことをしても国民が苦しむだけということであって、中銀の独立性自体を絶対的なものとは考えていません。
経済「政策」は総合視点でやるべきですから、金融理論ばかりではなくその時の経済体力その他状況に応じた総合判断が必要です。
これを政治判断の利かない金融のプロが最終決断をして良いとは思いません。
10年以上前に専門家の発生→分業の発達について書いたときに、最古の専門職として俗に言われる売春婦次に古い軍人の例を書きました。
軍人の専門性・軍戦術そのものには国王といえども口出しできない専門性がよく言われますが、それでもある国と戦争をすべきかどうかは、政治が決めることです。
保元の乱の左大臣頼長のように夜襲すべきか否かの戦術に口出ししたのは間違いですが、一戦を交えるか交渉で解決するかは政治家が決める分野でしょう。
米国大統領が軍の最高指揮者になっていることを見てもわかります。
日米開戦でも開戦したら展開がどうなるかを聞かれて「1年は持ちこたえましょう」と山本五十六が答えた経緯が有名ですが、軍人があくまで戦術論で素人を寄せつけないというだけのこと・・逆から見れば戦さの専門家から見ればやれば最後は負けると分かっていても出撃を命じられれば出撃し最善をつくしかない・・開戦そのものに反対する権限がないということです。
日露戦争のように国を挙げての資金源の手当・国際金融筋からの借款成功や国際政治工作・・適当な戦果を挙げたところで講和会議を仲介してくれる大国への政治工作の成否などの総合判断はすべて政治家の仕事です。
日米戦争ではそういう国がなかったのに対米抗戦に踏み切ったのは軍部の責任ではなく政治家の無能力というべきでしょう。
山本五十六の開戦時の逸話としては出典が明らかではありませんが、以下の通り一般化されています。https://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/f7f3793a458bb28a87616df241383148

・・・多くの海軍上層部の人々は、開戦前から軍が有利な戦いが出来るのは、せいぜい一箇年か一箇年半位であるとの信念を述べておりました。山本元帥でさえ
『最初の一年かそこらはやって行けるが、その後のことは受け合えぬ。』

海軍は開戦阻止できなかったのか?という議論ですが、軍は政治に口出しできない、しないという原理論の発露です。
戦前は軍国主義だったという米占領軍の政治工作・・この教育を受けて育ちましたが、米国より日本の方が好戦的ではありませんでした。
また軍人は軍人として節度を守っていたのです。
アメリカの挑戦に対して政治工作の拙劣さのために「万やむを得ず打って出るしかない」状態に追い詰められただけのことでした。
軍人に限らず金融や会計基準、防災その他〜IT関連に至るまで専門家は増える一方ですしそれぞれ重要ですが、総合判断で何を採用するかは政治家が決めるべきことです。
経済政策であれ、なんであれ評論家と実務担当者とは違うのであって、経済評論家が企業経営したり政治評論家が政治をやれないのと同じです。
もちろん美術評論家が名画を描けるわけもありません。
ラジオ深夜便を聞いていた10数年〜20年ほど前ですが、俳句の先生(今年歌会始の召人になった方です)が添削するのを聞いているとちょっとした字句の入れ替えで目がさめるような決まった俳句になるのに驚いたものですが、その先生が毎回最後に紹介する自作(模範作?)を聞いているとまるでスピリッツのない駄作ばかりなのに感心していたものです。
創作能力と教える能力とはまるで違うんだな!として聞いていました。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC