フェイクニュース4(拡散の原動力2)

昨日紹介した高裁判決では、名誉毀損等の具体的被害がない限り表現の自由は(最大限)尊重されるべき」という思想も出ています。
表現についての批判は、思想の市場淘汰に委ねるべきと言い続けてきた憲法学者らの意見が背景にあるのでしょう。
支配思想に押しつぶされていた少数意見もネットの発達で声を上げられるようになっただけでも良いことですが、特定政治思想・正義感に偏らない・どちらのグループでも良い・小遣い稼ぎになる程度で満足するもっとフリーな人が参加し始めたのが、SNS以降の世界です。
情報発信参加が容易・大衆参加型になった結果、初めて発信手段を入手した大衆は、特定立場攻撃の悪意がない分警戒心が低く気楽に・野放図に?・注意を引くために過激な創作をする傾向があります。
少年が面白半分に調子に乗ってやりすぎて大事件が起きることがあります。
発信自由・大衆化すると玉石混交状態になりますが、これに便乗・紛れて敵対国が相手国世論誘導に利用することが容易になって来ます・これがロシアによる選挙介入疑惑です。
いわば戦国時代の足軽が日当次第でどちらの武将の下でも働くし、現在世界の傭兵集団もそのような特性がありますが、普通の市民が小遣い銭欲しさだけで、リベラルだろうと極右だろうとどうでもいい・このような動きに気楽に参加するようになった社会になったということでしょう。
何でも気楽に批判できるようになると今までは大手メデイアから不公平な報道をされてきたと不満を持っている反リベラリスト、反グローバル系の方が、SNS利用による自前の発信力を身につけた勢いで、既成勢力に反対する過激な反感フェイクに乗り安い面があるでしょう。
この結果(どちらの陣営でも構わない)目を引くような過激発信したら、トランプ系の方が反応が良くてこれの転送が拡散した原因です。
以下の記事自体がフェイクかどうかどうか不明ですが、以下の通り無責任な情報拡散が続いているようです。
https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2017/11/1127.html

2017年11月27日(月)
アジアで広がるフェイクニュース
インドネシア・北スマトラ島にある人口15万人の街、タンジュンバライ。
人口の8割はイスラム教徒です。
モスクから流れるのは、イスラム教の礼拝の呼びかけを知らせる「アザーン」。
去年(2016年)7月、モスクの前に住む仏教徒の女性が、この音が大きいとして、音量を下げるようモスクに要求しました。
ところがSNS上には、「仏教徒がイスラム教徒の祈る権利自体を奪おうとしている」といった、女性の要求の内容をねじ曲げた投稿が広がったのです。
投稿を目にした男性です。
SNSの投稿を見た人
「仏教徒がアザーン(礼拝の呼びかけ)を禁じた。
(仏教徒を)あざける言葉とともに、“火をつけろ”と書いてありました。」
拡散する投稿に扇動された群衆は、ついには仏教寺院を襲い始めました。
その結果、合わせて10の寺が全焼。
この事件は、同じ街に住む人たちの心に今も影を落としています。
タイ SNSで拡散 深刻な経済被害も
リポート:藤下超総局長(アジア総局)
これは、今年(2017年)5月から6月にかけて、タイで出回った動画です。
「サンドイッチの具に、豚肉の代わりに綿が使われている」という内容ですが、全くの作り話です。
以下省略

フェイスブックがファクトチェックをやめて読者の判定に任せる方向に方向転換したことを2月4日に紹介しました。
2月4日には(過激なフェイクであればあるほど、「共感」が増えるので)共感の数量で決めるのでは意味がないのではないか?との私の意見を書きましたが、表現の自由を守るためには思想の自由市場で競争させろという古典的論理から言えば、フェイスブックが上から目線でチェックするよりは、自由競争に委ねる一見識と言うかそれしかないでしょう。
そもそも事実・ファクトとは何かですが、明日以降に書きますが、現地レポーターが現地で一部経験した地元意見を紹介する場合を見れば、レポーターが経験したのは事実としても、その地元の傾向のように言う点で誤解を招く行為です。
政治問題に関してはその上に(数十年後に判明してもすぐに明らかでない)機密事項が多くて憶測が中心になっている面もあり政治意見との区別をつけにくい・それ自体よくわかっていない上に、脚色していれば創作・表現の自由と言うのですから基準がはっきりしないと思うのは無理もないでしょう。
素人的には、メデイアの好む方向へ脚色する方がごまかしが巧妙・・「世論誘導の弊害があるので許されない」と思うのが普通ではないでしょうか・・?
品格を重んじる大手メデイアの場合、少なくとも「取材相手の言った事実」とこれをどのように解釈するかの自社意見とをはっきり区別して表示することから率先して欲しいと思います。
あるいは発言部分をカットした部分・マイナス情報も明らかにすべきでしょう。
国会中継や政治家発言の切り取り、つぎはぎ編集の問題が指摘されていますが、メデイアに政治家の発言に対する解釈・思想表現の自由があるとしても、事実報道と自社解釈を区別すべきです。
大手メデイアは報道手段独占を良いことにして、これまで編集権があるということで事実上自社意見に沿う方向に脚色して世論を誘導していた点を改める必要があります。
フェイクが社会問題になっているのは多くの人が、自分の好む傾向の記事のみを見たいし、信じたい傾向があるという大前提があります。
上記紹介したインドネシアの仏教寺院事件を見ると元々の相互不信が下地となって、フェイクニュースが簡単に受け入れられる下地になっていたように見えます。
情報がいっぱいあるように見えて、大手メデイアの一定立場に偏った?情報垂れ流しに対する不満等が強いと自分好みの情報しか目に入らないので、一定方向の情報のみ見るようになり、さらにどぎつい?過激表現に注目が行きやすくなる傾向・・結果的にそれぞれの傾向別に狭い情報の深堀り?と言う名の過激化に進展して行きます。
結果的に中庸のバランス感覚がなくなり、社会分断を煽る情報が氾濫し結果的に社会分断の危機感が生じてきます。
熱烈共感者が(フェイクっぽいと知りながら)情報拡散するとそれを別の共感者がさらに拡散することの繰り返しであたかも多数が支持しているかのような現象を生じさせてしまう・これを大手メデイアがニュースとして大々的に取り上げる結果、ネットを見ない一般人もそれを信じてしまう傾向が論じられています。
トランプ氏のツイッター発信が知られていますが、多くの人は(ローマ法王の支持が)メデイアで取り上げられたことによって、情報を入手していたとする調査結果が報告されています。
大手メデイアのニュースで「根拠のないデマ情報が話題になっている」と大々的報道があると「根拠がない」という注意の方を忘れてしまい、そういうニュースがあったな・・というおぼろげな記憶が残る・・印象効果が残っていきます。

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