表現の自由と思想の自由市場論3

ネットの発達によって中国ロシアなどの思想統制に無理がきて早晩破綻するはずと西側諸国が見ていたのは、実は欧米自身の世界メデイア支配の将来であり、中国の独裁制ではなかったことになります。
中韓の日本慰安婦騒動や南京虐殺などやアメリカによる東京裁判のストーリーの酷さを見ると、彼ら自分たちが戦争で勝ち進めばこう言う戦争犯罪を実行するレベルを前提で高潔な日本軍に無理に当てはめたものです。
彼らのでっち上げ主張自体が米中韓の残虐卑劣な民族本性を自己表明していることになっていることに気がついていないのです。
ネット発達によって欧米は自分のやっている間接的思想支配の限界がくるのを無意識のうちに中露の独裁制に当てはめて推論していたことになります。
ネット発達による思想統制破綻効果が、中国よりアメリカの間接支配の破綻に先に出てきていると言う意見を2013/10/07/「非賢人政治2」にも書きました。
中国の場合公然と言論規制を行っているので、政府に都合の悪い発信はハッキングされたか名誉毀損か事実無根かのまどろっこしい認定(あまりにも困難なのでフェイスブックが昨年末に自己規制放棄を発表したこと紹介しましたが)不要で、政府首脳の意向に反するか否かの基準で瞬時に問答無用で堂々と発禁・削除変更を命じられます。
例えば2週間ほど前の出来事ですが、以下のように官制メデイアが中国政府方針に反するとして瞬時に従来の報道方向を180度変更できる即時性のある社会です。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20180210.html

(3)「日本の成田空港で1月24日夜、格安航空会社(LCC)の上海行の便が欠航になり、一部の中国人乗客がLCC側の『対応不備』に強く抗議し、逮捕者の出る騒動を起こした。中国国内では反日ムードが一気に高まったが、『火消し』に奔走したのは中国政府だった。素早い鎮静化への動きには、中国主導の大規模経済圏構想『一帯一路』において、日本政府の協力を引き出すことを見越した、北京の懐柔戦略がちらつく」
(4)「この成田空港騒動は中国国内で大きく取り上げられた。『参考消息』や『新京報』、『環球時報』など官製メディアが1月26日、相次いで中国人客の言い分を引用した記事を掲載した。報道に煽られ、ネットの書き込みからは反日感情の高まりが見られた。
しかし、この反日モードは一日足らずで終了。
中国当局が『火消し』に乗り出したのだ。ほぼ同時にメディアも速やかに方向転換し、批判の矛先を中国人客の身に向けた。中国外交部(外務省)は1月31日、格安航空会社(LCC)を利用して海外旅行する中国人観光客に対し、契約内容を確認し、航空会社に過度な要求をしないよう注意喚起した。在日中国大使館の王軍・参事官兼総領事はメディアの取材で、騒動の発生は日本側には中国語通訳を適時に用意しなかったのが『妥当性を欠く』とする以外、規則違反とみられる行為が一切なかったと話した」
こうなると、哀れな存在が「反日」を煽った官製メディアである。規定方針通りの「反日」記事を書いたら、たったの一日で方向転換を余儀なくされたのだ。官製メディアのメンツは丸つぶれである。日本の『レコードチャイナ』も、この官製メディアの記事を流して、さも日本側の対応が悪いという印象を植え付けた。
(5)「日中両国は過去数年、靖国神社の参拝や慰安婦問題、尖閣諸島(中国名:釣魚島)、東シナ海などで双方の国民感情が揺さぶられる事案は絶えない。
しかし、今回の異例の鎮静化対応は、2016年12月に起きた北海道の新千歳空港でのトラブルでは、大雪による欠航に中国人乗客約100人が抗議し、騒動が起きたが、今回のような早期の火消しが行なわれなかった。今回は、北京政府は成田空港騒動の後、直ちに外交部と宣伝部と協調をとり、高まる反日世論を鎮めた」
(8)「メディアやネットに厳しい規制が敷かれている中国では、いかなる『世論』の背後にも複雑な政治事情が絡んでいる。成田空港騒動の翌日、中国政府のネット管理部門である国家インターネット情報弁公室(網信弁)が中国版ツイッター『新浪微博(ウェイボー)』に対し、『誤った方向性をもつ情報を継続的に伝播した』とし、『全面的かつ完全な』是正を要求した」
驚くのは、今回の騒動で中国メディアが訓戒されている点だ。「誤った方向性をもつ情報を継続的に伝播したから、全面的かつ完全な是正をせよ」と政府から要求されている。かつての「反日騒動」では、政府が先頭をきって煽ってきた。それが、逆の動きである。この一事を以てしても、中国政府が日本に対して腫れ物に触るような報道規制をしていることが分る。」

ネット発信・草の根の意見発信・拡散が可能になってくるとヒエラルキー的社会構造・上層部・教育界等網の目の要所要所を裏で押さえて支配するアメリカ・ユダヤ資本によるソフト?間接支配が不可能・・困難になりました。
道徳教育や思想教育をして教育効果・・自発性に委ねて10万人に1人〜2人のルール違反・・思想・道徳教育に馴染まない例外は、事後処罰で処理して行くのが効率的社会運営方法でした。
表向き表現の自由を保障しても、事実上個人にはデモ等を行う以外公的発信手段がなく多くはそれぞれが属している集団を通してしか意見発信出来ない社会でしたので、個人意見が表面化するまでに相応の整理がされてくるし、最後まで政府トップと意見が合わなくともそれなりの整理がしやすい・・最後はトップ交渉でまとまる社会を前提にしていました。
ネットによるフラットな言論空間になると組織意見や大手メデイアを頂点とするパイプを(修正)通さずにイキナリ我々素人でも全国民宛に発信できるようになります。
内容次第で全国的インパクトが生じる場合もあります。
昨日紹介したように、小川栄太郎という1フリージャーナリストが1冊の本を刊行するのにどこの組織決定・協賛を得なくとも出せる社会になっています。
こうなってくると、支配階層を形成しても「隠然たる睨みを効かせる」ことによる思想・行動支配が効かなくなります。
そして1ジャーナリストがたった1冊の本を刊行しただけで毎日何百万部という発行部数を誇る大手新聞社が言論空間で反論して抑え込めなくなった・(社会への影響力では勝ち目がないと思ったのかな?)訴訟に持ち込む事態になりました。
発信者が(政府あるは国外勢力の工作の及ぶ)大手かどうかではなく論旨が合理的か否かで勝負がつく、文字通りの「思想の自由市場」ができて来たことになります。
ネットの発達によって大手メデイアが「よいしょ」してくれなくとも、敵に回しても・大手取次店を通さなくとも出版できるようになったなど全ての分野でヒエラルキーが崩壊してきた事情が大きいですが、その基礎にはネット広告が広がったことが大きいでしょう。
大手メディアの報道や大手取次店が無視してもネット人気だけで出版してペイする社会が少数意見どころか個人意見の発表を可能にしています。
欧米先進国がこれを「素晴らしいことだ」と放置できるのか、それともソフトコントロールは無理だから中国が人海戦術でやっているモグラ叩きのように・・出る杭をどんどん打つ戦術に頼るのがい良いかの選択を迫られているように思われます。
さしあたり朝日新聞は訴訟戦術で行く・・その一つの「解」を出したということでしょうか?
「言論の自由市場」が機能するには、論旨が合理的であっても引用している前提事実が虚偽であれば読者が誤解してしまいますので、事実適示の真実性をどうやって担保するかにかかって来ます。
これがフェイク論争の基礎的関心です。
事実適示に虚偽がなく同じ事実に対する評価解釈の違いについては、まさに言論の自由市場で勝敗を決めるべきであり、同じ事実についての評価意見の優劣を司法が判断するのは行き過ぎです。
私には事実の真実性についてはどちらに分があるのか全く不明ですが、朝日は事実論争で自信があるからでしょうか?

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