弱者救済とその方策3

ところで、半人前〜5分の1人前の人が働けるようになると、彼らの賃金も平均されるので、平均賃金が下がるのは当然ですが、変な(間違った!)統計発表・世論誘導をあまり気にしないで、少しでも自活出来た方が国民がしあわせです。
マスコミの論理だと失業者や生活保護受給者が増えた方が、平均賃金が上がる変な意見になります。
100%自活出来なくとも、何もしないで家で腐っているよりは半分でも3分の1でも給与をもらって働けた方が幸せです。
景気が良くなると、先ずアルバイト、パートなど短時間労働者の就労から増えるのが当たり前、新規参入が増えると一流企業の正規社員給与とあわせて平均すると、全体の平均賃金が下がります。
これをマスコミや文化人が、平均賃金が下がっているから庶民が苦しんでいると言う報道を昨年から大量に垂れ流して批判していました。

「景気がよいと言っても実質賃金が下がっている」

・・弱者には好景気の恩恵がないと言うマスコミの批判が最近漸く収まってきました。
その批判が続いていた、今年初めころに実質賃金低下批判に対する批判として「マスコミの役割・・情報紹介業2」Published February 5, 2015前後で連載しましたが、高齢者や子育て中の母親や、身障者等の弱者が働ける豊かな社会になればなるほど平均賃金が下がるのは当然です。
お父さん一人が働いて、一家を支えていたときに比べてみんなが少しずつ働くようになれば、平均賃金が下がる傾向になりますが、その分みんなが応分の仕事が出来て柔軟です。
(その代わりお父さんが一家を支える必要がないので、男性の正規社員の賃金も下がって行っても良い筈ですが、みんなが共働きとは限らないのでイキナリ下げられないのでマダラ模様になったままですが、将来的には正規社員の賃金や労働時間自体が下がって行くべきでしょう。)
ワークシェアーリングのコラムでも書きましたが、夫婦共働きになれば、家計維持に必要な収入や労働時間を二人で埋める以上は一人当たり労働時間や収入が減っても良い理屈です。
例えば夫婦で1つの家内作業(・・コンビニ経営など)をしている場合、2人で一人前の収入があれば良いのですから、育児時間が減るに連れて女性労働時間が増えた場合、夫の労働時間が減ってその分夫の収入が減っても良いことです。
ところが、ホワイトカラー・・例えば教員の場合ある人は夫婦で働いている人、ある人は夫だけと言うマダラ模様ですからイキナリ賃金を半分には出来ません。
この過渡期の共働き夫婦は2倍の収入で良い思いをしていますが、その分労働時間が男女同じ量の仕事・・しかも男性一人だけ働いていたときと同じ夜遅くまで働く社会のままですと、家事労働負担がある分(・・少し夫が家事を手伝っても)女性に加重負担させることになります。
この問題は保育所をいくら充実しても(送り迎えや買い物などに走り回っている女性の負担など)大して変わりません。
私の意見では夫婦2人で働く以上は、それぞれ給与半分で良いから、夫婦の労働時間を半分してくれと言うことで解決すべきです。
自分のマイナスを言いたくないから・・要求だけしていても解決しないでしょう。
日本全体で障碍者も病人もいろんな人が能力に応じて働く社会にする以上は、「人間である以上は同じ賃金であるべきだ」と言う観念論ではやって行けません。
身障者雇用を法律で義務づけて、(今は労働者何人あたり一人と言う基準)いろんな入札基準にしたり、入札企業ででなくとも基準に達しない場合、そのマイナス分を多く公的負担を多く払うような制度がありますが、これは企業に単に負担を強いるだけで市場原理を無視していますので、障碍者も(いるだけマイナスだよ〜と思われて、職場のお荷物扱いされて)居辛いでしょう。
02/05/07「多様な人材の生きていける社会へ1」〜02/10/07[生活保護11(就労援助7)憲法203」に連載したように、能力に応じた給与にして働きやすくし、生活費不足分は生活保護や障害者年金等で手当てすべきです。
嫌がらせ的雇用強制では却ってお荷物感を植え付けてしまい、身障者等の弱者にマイナスです。
企業自体が障害の程度に応じた健常者の何分の一の安い給与・・雇用してもペイする賃金であれば、もっと弱者の雇用が広がるし弱者も賃金を貰い過ぎていないので自尊心を持って働けるのではないでしょうか?
能力が10分の8なのに、給与を6割しか払わないような不当行為を別に取り締まる必要があるとは思いますが・・・。
企業が受入れてもサービス業の場合、顧客サービスがキビキビしないと不満を抱く場合がありますから、身障者問題は企業よりは消費者の許容度が最後の関門です。
半年ほど前にデパートでクツを買おうとしたときに対応した店員?がトンチンカンでどことなく智恵遅れっぽかったですが、(周りの店員が笑いをこらえている様子でした)一生懸命にやっている姿が微笑ましくて、こう言う働き方が出来る社会は良いものだと感心して買って帰りました。
精密工業製品の場合、少しくらい仕事がいい加減でも良いとは言えません。
8割の出来映えでは、製品とは言えませんし(少しくらいガスや水が漏れていてもいだろうとは言うのでは)危険ですので、企業は困ります。
経理事務の場合、「この人の計算は9割は合っているよ」と言う場合、どこが間違っているか不明ですから、その帳簿を100%再計算しないと使えません。
このように一律従業員比何%の雇用義務制度の場合、職種的に無理な企業では懲罰金を払うしかないのが現状・・こう言う職種にとってはあらたな税が増えたような関係でしかなく、雇用を広げる効果はありません。
ただし、企業内でいくら探しても身障者の働ける職種のない企業・無理な職種と(本当は雇用出来るのにいやがっているだけの)雇用出来る職種を政府が決め付けるのは無理があることから、懲罰金制度は「懲罰金支払を選択する職種は本当に無理なのだろう」と言う選別が付きやすいメリットがあります。
とはいえ、結果的に何ら不正がない・・雇いたくとも雇えない・不当に身障者差別している訳ではないにも関わらず懲罰金を取られっぱなし・・一種の言いがかり的に徴収されているとも言えますが、これが続けば障碍者も働けるような機械や製造工程の工夫をする企業が生まれるかも知れません。
身障者の場合、能力に応じた賃金支払でよければ(今のところまだ超効率化されていない零細小企業の方こそ)雇用出来る職種が結構ある筈です。
高齢者継続雇用の場合、元々働いていた職場ですから、賃金さえ合理的に減額出来ればこう言う問題が少ないのでうまく回っていると思います。

追記
2018年1月31日日経新聞5pには、「賃金再考」として「一人当たり」「賃金が伸び悩むわけ」として上記私の意見と同趣旨(パートや老人の参入が増えたので平均賃金が下がっている)の意見が掲載されました。
こんなことは詳細なデータを数年かけて検討して今頃気がついたかのような記事を書かなくとも、目の前の現実社会をみればあたり前の現象・・景気が良くなってパート就労が増えれば日本全体の平均賃金が下がるのはたり前という視点で見る発想がプロの世界で欠けていたとすれば不思議です。
そういう意見もあったのにメデイア各社が内部で握りつぶして政権批判向け・・「好景気というが平均賃金が下がってる」という非中立的意見ばかりを流布していたのか?意図的フェイクニュースだったのかを検証する必要があるでしょう。
慰安婦騒動ほどではないものの何気ない普通の記事に偏った意見・多くは野党の主張にあわせた刷り込み的報道が日常的に行われている点・そういう体質になっているのではないかの問題です。
(「パートや老人が参入すれば平均賃金がさがる」という意見が一人もいなかったのか?反対論があれば、中立のメデイアとして両論掲載すべきでなかったか?など)
朝日新聞の慰安婦大報道同様に、日経新聞は約3年間以上も好景気の実感がないという事実上のフェイクニュースを垂れ流してきたことになります。
上記記事の表題は「賃金最高」ですし最後には「賃金に関する多く統計を読み解きながら改めて雇用と賃金の関係を考える。」と結んでいます。
繁華街等に懐が潤っている若者が溢れ出ている実態無視の主張を維持できなくなったから、看板掛け替えの地ならしを始めたのでしょうか?

弱者救済とその方策2

現在数時間しか働けない人も働ける職場が増えていて、この結果多くの人が数時間だけでも働けるようになっています。
8時間働きたいのに数時間しか働けないと言う人もいるでしょうし、数時間単位なので働きに出られると言う人もいるでしょう。
非正規雇用の弊害を強調する(マスコミや左翼系)勢力は、前者の方ばかり強調していますが、アンケーと調査などでは短時間、または不定期労働だからこそ働ける人も結構多いことが知られています。
共産主義的画一社会が好きな傾向の人は柔軟社会化に反対したいので、弊害ばかりに目が行きます。
こう言う人は保育所整備など、箱もの行政?政府負担増大・男女同一労働機会の保障に目がいきます。
私は、子供の保育・基礎的価値観の伝授に占める母親の役割が大きいので、どちらかと言えば社会の低レベル階層が従事する保育士や(フィリッピン人等の)ベビーシッターに大切な乳幼児の基礎教育を委ねることに反対の立場で何回も書いています。
ただし、乳幼児を、母親一人が抱え込むのはよくないので、老人向けのデイサービスやショートステイがあるように息抜き上も一定時間第三者があずかってくれるシステムの必要性を否定するものではありません。
ここでは、男女同一(長時間)労働にこだわる必要がないと言う視点で書いているだけです。
アメリカ白人は、黒人奴隷をベビーシッターにして養育を委ねて来た結果、その報復を文化的に受けているのは歴史的に明らかな結果です。
女性は女性の特質を社会が尊重すれば良いことであって、男と同じ仕事をしなければならないと言う価値観こそ革新系の好きな憲法条項「両性の本質的平等」を無視する意見ではないでしょうか?

憲法
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

この辺の意見は繰り返し書いて来たので詳論しません。
話題を戻しますと各段階でレベルダウンして行く受け皿(中途採用システム)があれば、(逆から言えば、能力が上がれば能力アップに応じてよりよい企業に移って行けるスステム)本来の失業者・生活保護受給者とは最下位階層・5分の1も働けない人が失業した場合だけになります。
実際には構造不況等で、同一職種での求人がない場合、過去の経歴を生かせないなどのミスマッチが起きるので、再教育システムの充実等いろいろやることがあります。
疾病や事故等で能力が半分〜3分の1〜5分の1〜10分の1となった場合、能力に応じた仕事ができる社会にすると、早速マスコミや文化人が給与格差・平均賃金下がっていると大騒ぎしますが、3分の2〜3分の1〜5分の1の能力になった人が即完全失業するよりは、3分の2〜5分の1〜10分の1の給与でもよいから能力に応じて働ける社会の方が健全です。
国民の福利は平均賃金で論じるべきものではありません。
健康問題に限らず事情によって4時間や3時間しか働けない人も、その程度働いてくれたよい、毎日でなくとも週3日で良いとか、いろんな働き方を受入れる職場があればその限度で収入があって助かります。
元々農家の場合、一家に知恵遅れの子がいても牛の餌用の草刈その他単純労働をさせて何とかなっている光景を、私の子供の頃に田舎で見て育った経験があります。
農家では子育て時期には畑の傍らに子供を寝かせてトキには授乳したり妻が早めに畑から帰って食事等のしたくをするなど、柔軟な働き方が出来ましたし、商家でも同じで子供おぶって店番したり夫と交代して奥に入って炊事洗濯をしたりしていました。
柔軟な働き方が出来る社会であった結果、女性の地位が実質的に高かったとも言えます。 
多様な生き方が出来る社会が豊かな社会であると言う意見を大分前から書いていますが、近いところでは、02/05/07「多様な人材の生きていける社会へ1」〜02/10/07「生活保護11(就労援助7)憲法203」まで10コマ程度連載していますので、参照して下さい。

弱者救済とその方策1

3月13日に書いたように百人〜千人挑戦して99%失敗するのが、いろんな分野の新規挑戦です。
各種実験は何万回も繰り返して漸く成果が出れば良い方ですし、野球であれ相撲であれサッカーであれスケートや芸能であれ、何事も挑戦さえすればみんなプロとして食べて行けることはあり得ません。
人生には常に勝敗があることを隠して子供も教育しても仕方がない・・罪なことです。
日教組が、学校内だけで競争のない社会を作ろうとすれば、社会との乖離が起き、実社会に出たときに不適合者を増やしてしまいます。
家庭内は安息のための空間ですから、競争社会化を徹底するのはよくないですが、学校は現実社会へ出て行くための準備過程ですから、出て行くべき社会の現実を無視した教育思想は間違っています。
失敗を恐れて・あるいは折角挑戦して成果を得ると極悪人のように批判されるのでは、誰も挑戦したくなくなる・・社会は停滞してしまいます。
成功者との格差が非難されるのは、敗者・弱者が可哀相だと言うことが基本であるならば、成功者を非難するよりは、失敗者には受け皿を作ってやれば良いことです。
弱者保護・敗者救済と言えば、生活保護や失業保険等の拡大強化を連想する人・・最近生活保護需給拡大をめざすかのような、日弁連の活動が最近目立ちますが、真に困っている人の救済は必要ですが、他の前向き政策と併用しないで保護費支給の充実に力点を置くのはモラルハザードを起こす危険があります。
大学受験に失敗してもその次の滑り止めがあって、更にその次〜その次と他段階の滑り止めがあって、そこでまた頑張れるのが普通です。
超一流企業に就職出来なくとも、能力に応じて1〜2〜3〜4流企業へ順次就職先を変えて行けば良いことです。
このような受け皿準備をしないで、受験失敗者の逃げ道を用意しないで、自殺防止のためのカウンセラーを大量に準備しても解決出来ません。
司法試験に合格しなくとも法科大学院を出た人が、そのままにならないように弁護士以外の職業に就いて生きて行くべき次の受け皿があればすくわれます。
理系大学院卒業者の就職先がない点が社会問題になっていますが、要は研究所に限らない多段階受け皿の問題です。
社会生活の多様化を計ることによって、多段階の生き方を受入れ出来るので、果敢な挑戦者を多く輩出するには、失敗しても再挑戦出来るように多段階の生き方が用意されていることが必要です。
一流企業に就職しても社内競争に付いて行けない人材が途中で吐き出されても、次順位以下のレベル企業で(一流企業にいた人材は、なお利用価値がある筈ですから、)受入れてくれれば失業しません。
しかも社会構造はピラミッド型になっていて下位レベル職種の方が労働者受入れ能力が大きいので、論理的には需要の方が大きい筈です。
例えば超一流企業が1社あれば第二グループの企業が数社以上あるし、更にまた下の下請け企業群はそのまた数倍以上ある関係です。
ですから、1〜2段階飛び越して下位の企業群に就職する気になれば、その企業群の中で1社くらいは優秀な人材が欲しいので喜んで受入れる下地はあります。
身障者になった場合等の受け皿も同様です。
身障者用に車椅子で働ける職場その他いろんな障害・・能力に応じて働ける職場があれば助かります。
目の不自由な人や難聴者等いろいろな不具合に応じて、働けるような社会構造にすれば、ちょっとした事故被害や高齢化による一部能力減があっても、仕事を続けられます。
疾病による失業の場合、一直線に生活保護になりガチですが、疾病に応じて働ける職場が多段階にあれば多くの人が助かりますし、ちょっとした障碍者になったり病気した程度では、生活保護に直結しないメリットがあります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC