GM破産2(遅れた不採算事業切り離し)

会社側の再建案は新会社設立案を基本にしたものでしたが労組優遇で、一般投資家(米国は個人投資家が多い・子供の入学資金用の株式投資など)に対して大きな負担を求めるものでしたので債権者の同意が得られず破産に突入しました。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1176

切り捨てられた「普通の人々」
GM倒産劇の裏側 2009.6.9(火) 小浜 希

GMが発行した無担保社債など約270億ドル分の債券保有者には、新生GMの10%の株式と引き換えに100%の債権放棄を要求。その一方で、GMに約200億ドルの医療費関係債権を抱える労働組合の債権放棄比率は50%とし、新生GMの株式39%を与える内容だった。
米国では労働者個々人も銀行預金より小口投資する投資社会なので、投資家と言っても一般の労働者が多い社会ですから、GM労組優遇の提案で合意できるはずもない・・世論も応援しないので合意不成立で破産に突入します。
日本や韓国では、労組=弱者→優遇という図式化した運動・市民代表を僭称する運動が多いのですが・・アメリカの場合、労働者切り捨て投資家保護反対!という図式的スローガンが成り立たなかったようです。
ウイキペデイアのGM破産解説に戻ります。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章(日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては史上最大である[9]。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。
・・・しかし、子どもの教育資金や、老後の生活の備えとして、なけ無しの金を注ぎ込んだ個人投資家が、労組偏重の再建計画を甘受できるはずもなかった。

従業員の新時代適応拒否症?が、部分的とは言え企業活性化を妨げる効果を上げ、現在米国の国際的地位低下が目立ってきた基礎構造でしょう。
アメリカの活力は、スクラップアンドビルド・あるいは用済みの都市を捨て去り(ゴーストタウン化して)別の街を作る・効率性重視社会と言われていましたが、一定の歴史を経ると古い産業構造を残しながら前に進めるしかなくなった分、非効率社会になったのでしょう。
破産により不採算部門を切り離し、新会社移行(国有化後国保有株の市場売却で民営に戻っています)により新生を目指すGMですが、破産後10年経過で先祖帰りしたらしく今年に入って以下通りのストらしいです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49865800X10C19A9000000/

GM工場のスト続く、労使合意なお時間 株価は急落
2019/9/17 5:20
ただ、米国内に業界平均より3割多い77日分の完成車在庫があるため「すぐに販売面に影響が出る可能性は低い」という。

業績不振のおかげで在庫が77日分も溜まっているので企業はストが続いても余裕らしいですが、こう言うのってめでたいのかな?
アメリカの製造業は低賃金国への脱出盛んですが、今でも製造業大国らしいです。
製造業草創期から蓄積した技術があって世界に進出した各種工場のマザー工場機能を果たせる仕事があるからのようです。
ただしマザー工場的役割は従来の内需を満たし輸出までしていた工場群の数%(雇用も同率)で足りるものですから、国外脱出の穴埋めには力不足でしょう。
別の側面から見ると、日本の自動車産業が輸出の限界を悟り現地生産を増やして成功していることを見ると、この限度で日系企業が米国内製造業生き残りに貢献していることが分かります。
米国の外資による国内生産受け入れ政策は、後進国が輸入規制によって、自国産業育成のために高関税などの権利を留保できている役割の逆張りです。
米国の日系企業の米国内誘致政策は、先進国製造業が新興国の追い上げを受けて雇用が急速縮小する激痛緩和の役割を果たして来たようです。
後進国のこれから育つ産業育成を待つのは、少年期に成長期待して見守ってやるのに似ていて成長確率が高いですが、新興国に追い上げられる先進国社会保護のために時間猶予を与えるのは高齢者を大事にするようなものでいわゆる延命策です。
ここでいきなり話題がそれますが、いわゆるM&Aに関する関心を書いていきます。
日本企業の株価収益率の低さが長年問題視されて来ましたが、その裏側の米国企業の目線で考えると企業のあり方に関する基礎的考え方の違いがわかります。
時代遅れになる分野→ローエンド〜セコンドエンド生産にこだわり、同業他社との競り合いを続けてさらに20〜30年生き残れるとしても、これをやっているとその間収益率が徐々に低下していきます。
米国的価値観では、自国産業は利益率の高い高度化転身を目指して不採算見込み事業をどんどん切り離し(M&Aでこれを処分し)て行くべきというもののようです。
比喩的事例で言えば、現在15%の高収益事業が5年サイクルで13%〜11〜8〜7〜3%〜0〜マイナスと変化していくパターンの場合、その事業を今売れば1千億円で売れるが11%に下がってからだと5百億円で、3%に下がってからだと30億円でしか売れない見込みの時に、どの時点で処分するのが合理的かの判断が重視される社会です。
処分金で再投資すべき事業の存在との兼ね合いで合理性が決まるのですが、処分金を年利数%で預金する予定の場合と現在5%の収益率があり、3年後に8%、5年後に1%8年後には15%に成長可能な企業があった場合どの段階で自社事業を切り離して売却するかの複合判断です。
ちなみに雇用を守るために簡単にリストラクチャリングできないとも言われますが、倒産と違って企業を買う方は事業に慣れた従業員が継続してくれることこそ購入価値ですので、原則全従業員が引き続き雇用継続される前提・雇用確保の社会的責任への考慮はこの場合不要です。
マイナスになるまでリストラを先送りし、大混乱の倒産を引き起こす方が無責任経営の評価を受けるのではないでしょうか?

格差拡大論2とROE重視論

私は日本企業を韓国のように欧米資本に買収して欲しいとは思っていないし、国内に資本があり余っている・・世界一の資金余剰国ですので、そこまでして外資導入をする必要がないと言う意見を何回も書いています。
国債や株式や債券保有者が日本人主体で何故悪いの?と安全で良いじゃない!と言うのが私の基本的意見です。
「配当を増やさないと外資が嫌う」と言い、(内部留保を悪玉視して)ROE・配当性向重視を煽る報道は一種の利敵行為だと思っています。
日本民族はみんなで一緒に豊かになりたい国・意識の社会ですから、配当収入を上げろと言う主張をはびこらせて、資本収益率を上げる・・儲けを独り占めにするような道徳観を宣伝しているとまじめに働く意欲を低下させて同胞意識を壊してしまわないか心配です。
青木昆陽や二宮尊徳その他何かの知恵を発揮した人が、自分がその結果大富豪になりたいのではなく、無償で全国普及に努力して回るのが日本人でした。
今でも医学技術その他で大儲けしようと言うのではなく、無償技術指導のために海外に飛び回っているのが日本人です。
世界の主要経済プレーヤーである日本の歴史経験、高度成長しても長期デフレでも資本収益率が上がらない・・資本による収奪が進まない・・過去から現在に至る日本実態を調査対象から除いたピケティ氏の経済論は良いとこ取りした歴史論同様で学問としての客観性がありません。
学問的価値があるとすれば、「欧米的強欲経済では・・」 と言う前提・限定が必要です。
いずれにせよ、日本経済を分析していない理論である以上は、日本がそうなっていると言う処方箋が手に入ったと人権派が大騒ぎするのは間違いであって、日本も他山の石として将来気を付けましょうと言う程度の意味です。
そうとすれば、ピケティ理論を持てはやしながら、マスコミがROEや配当性向の上昇を陰に陽に要求しているのは矛盾です。
成果報酬はある程度必要ですが、アメリカのように行き過ぎるのは良くありません。
自由競争社会にする以上は、結果修正・・敗者に対するケアーは必要ですが、成果報酬による格差は一定レベル必要です。
その結果が許容水準を超えているかの検証しないで、先ず格差(競争の結果勝者がよりよい果実を得ること)問題を宣伝するのでは、競争否定観が基礎にあると思えます。
彼らは批判論者は、努力して新技術が出る都度批判して来たもののそれが受けなくなったので、今度は格差反対の大合唱です。
競争による報奨金の獲得を認めれば、報奨金のない人との格差が生じるのは当然ですが、少しの格差も許容しない否定論は競争による地位の入れ替えを否定することになり兼ねません。
もしかしたら、身分や生まれつきの地位で収入が固定されている社会を理想としているのでしょうか?
日教組の支配する学校教育では、徒歩競争等競争結果が出るような運動会種目は大分前からやめるようになったと言われていますが・・・。
競争の差が出るのは可哀相だなどと言ってたら、何の競技も出来ません。
競争否定と言うことは逆から見れば、有能な子供の芽を出すのを否定的に見る・・抑圧する結果になる教育を奨励しているのでしょうか?
能力のある子の能力を引き出すことこそが教育であって、能力発揮を抑圧してもらうために子供を学校へやっているのではありません。
しかし競争社会と言うのは、彼らが大事にする近代化の結果であり、人権保障の結果です。
逆に生まれや身分で社会が固定され、競争出来ない社会に戻ることこそ、反近代化主張です。
ソ連時代の共産党幹部や現在でも中国共産党幹部子弟・・いわゆる太子党が、次世代幹部に昇進する道であり、国有関連企業で幹部登用され、天文学的蓄財を繰り返し良い思いをしていることは良く知られています。
朝日新聞や文化人は中国の生まれによる巨大格差社会を一切批判しませんし、報道すらマトモにしませんので、本来的競争のない社会を理想としているように思われますが、おかしな主張です。
競争は競争として奨励して、落ちこぼれた人は別に救済するシステムを構築すればいいことです。

財政健全化路線1(無借金経営論と知能レベル)

8月6日に書いたとおり、今のところ財政赤字が許容範囲かどうかの合理的な議論をするのに必要な情報開示がありません。
支出に対応して取得した資産がどうなっているかの議論すら全くないまま「大変なことになるのは自明だ」という大合唱ですが、・・情報開示して合理的議論に発展すれば「財政赤字大変論」の矛盾が明らかになるのが分っているのでマスコミはマトモな議論をしないようにしていると思われます。
マスコミが問答無用式の不公正な報道に終始している状態をみると、結局財政赤字論は、日本の経済破綻を心配してのことではないことになります。
マスコミが何のために半端で不公正な報道し続けるのか疑問ですが、財務官僚が信奉している財政健全化論→増税路線を推進しようとする勢力の代弁をしているのでしょうか?
(官僚にとっては財源が寄付→国債→税の順に自由度が高く、うまみがあることをこれまで書いてきました)
ところで、自明のこととされている官僚の信奉する「健全財政論」もそのこと自体何を意味するのかとなると、実は不明な議論です。
支出に対応して形成されている資産をまるで問題にしないで、金銭収支だけ取り出して均衡していることに自己満足する財政健全化論の精神は何に由来するかということです。
お金を使えば対応する有形(自宅を買えば不動産)、無形(ロケットを5〜6回打ち上げればその技術蓄積・・子供の教育投資など)の資産を取得しているのに、これとのバランスで考えないで、単年度の金銭の収支均衡だけをもとめて、もしも金銭収支だけが均衡していればこれで満足する精神構造はどうなっているかということです。
取得する資産を考慮に入れずに、金銭収支のバランスだけ考える健全財政論は、現在一般的である(商売人に限らず一般サラリーマンでも自宅の価値と負債(住宅ローン)のバランスで家計を考えています)バランスシート思考方式からいえば不思議な議論ですから、・・今や官僚特有の一種の宗教(合理的理解を超えたもの)になっていると言えるでしょう。
年収1000万円の人が預貯金1000万円と4000万円の借金で5000万円のマンションを買った場合、その年の金銭収支あるいはその後のローン残高だけみれば大赤字で不健全となりますが、こんな議論をすることの無意味さは、今の時代、誰でも分ることです。
(マンション購入価格が割高だったか・・値下がりしたらショックですが、大きな関心になるべきで、金銭収支だけみて今年は大幅マイナスだとしょげる人はいないでしょう。)
ただし、目の前から現金がなくなれば・・本能的に心細いことは分ります・・そこにマスコミが訴えるので国民が惑わされてしまうのです。
(ただし短期的資金ショートを防ぐために決済準備金の必要性については、2012/08/07「マスコミによる世論誘導の害1(世代対立を煽る愚1)のコラムで検討しました)
財政健全化論とは言い換えれば、不動産を買うにも、子供の教育にも「借金すること自体が悪である」という(バランスシート的思考の未発達な時代の)原始的本能に由来しているように見えます。
2012/07/27「世代対立を煽る愚3」でも書きましたが、人工衛星打ち上げ成功その他・教育設備の整備、次世代への教育投資・公園、道路・その他諸々の公共設備の整備など次世代に残すべく蓄積した資産効果を論じないで、資産形成のために支出したマイナスだけをみて次世代が損だと言っているのですが、これも何事も無借金が良いという原始的意見の焼き直しです。
次世代に借金を残す訳に行かないと言う論法も、国債保有者という債権者も国民である面をみない借金だけをみているのと同じですから、借金そのものが悪いと言う思考形態です。
マスコミの論理立て・・世に言う財政健全化論によれば、政府が次世代のために何もしなければ、(支出が発生しないので)健全な良い政府になります。
子供を大学へやるために借金するよりは、進学させないで無借金の親の方が健全な良い親だと言う論理です。
探査衛星ハヤブサやロケットなど将来の技術蓄積のために打ち上げ費用を借金してまで使うのは、不健全だということでしょう。
以上によれば、財政健全化論とは、原始的主張である結果却ってムード・本能に訴え易いキャッチフレーズですが、内容実質は借金は危険であると言う原始的本能に訴えているに過ぎません。
現在社会では、優良企業も相応の借金で投資している時代・・優良企業かどうかは借金の絶対額を基準にするのではなく、借金の使い道・・投資効率こそが判定の基準にすべき時代です。
金銭収支・・負債の大きさだけに着目する財政健全化論は官僚・政府が投資効率を判定を怠っている・・あるいは判定能力がないことから生じる意見であって、官僚の能力が時代に適応していないことを表しています。
・・今でも知能の低い子供を残して行く親としては、「危ない投資しないでともかくお金を抱え込んでいるのが安全だからね・・」と教え諭すのが基本的生き方でしょう。
大福帳しか知らなかった江戸時代と違い、現在社会で損得をバランスで考えられない・・目に見える紙幣の量でしか考えられない(マイナスになれば訳もなく怖がる)知能レベルと言えば、かなりの低レベル者と言えるでしょう。
投資効率チェック能力が低いことを基準にすれば、借金して儲けようするのは危険ですから、何が何でも無借金経営が良い・・借金で投資してはいけないと言う本能になるのは正しいことですが、世の中殆どの人がバランスシート的経済観で生きている時代・・すなわち平均的能力の時代に、バランスシート的計算に馴染まない知能レベルの人が官僚では困ったものです。
官僚の信奉する財政健全化論は、投資効率を見定めて投資する現在主流の運用環境・・現在的経済観念に官僚がついて行けないことを前提にしているとすれば、今や財務諸表的合理的思考に馴染まない宗教の一種みたいな印象を受けるのです。
ちなみに政府・官僚が投資効率の判定を放棄するとバラマキになりますが、バラマキのために借金をする必要があるかという議論は、財政赤字論とは別に考える余地があり得ます。

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