原理論と時代不適合5(テロ対策3)

昨日まで見てきたところによると、違法収集証拠の証拠能力排除と言っても、違法レベル次第、または重要事件かも考慮されるし緊急性次第によるようです。
GPS捜査の最判事件では緊急性もなければ、窃盗被害でしかない点では重大性も低いということでしょうか?
その代わりプライバシー侵害といっても程度が低過ぎないか?(「お前はプライバシー意識が低すぎる」と言われればそれまでですが)の疑問です。
GPS判例は大法廷判例・しかも全員一致ですので中長期的には確定的ですが、それにしても・・・という論理的根拠のない主観的な疑問のみっbで書いてきました。
テロ対策に戻りますと、
政権側としては佐倉惣五郎事件のような大規模騒動が起きると政治責任になる上に、歴史に残る不祥事ですから、事前抑制に熱心になります。
悪い方を考えれば事前抑制=犯罪を冒していないのに個人情報を収集するのは今の「建前?」では違法・人権侵害ですが、そう言ってられない時代が来ています。
「収集した情報はテロ対策/もしくは限定した犯罪予防以外に使わない」という逆転の発想で許すべきではないかの意見を書いています。
店舗や公道の防犯カメラや一般利用目的のトイレやエレベーター内のカメラ等も皆そうですが、プライバシー侵害のために盗み見る目的で設置されているものではありません。
事件発生等があった時に関与者特定目的その他のあらかじめ決めておいた要件合致の資格者(フランスでは紹介したように資格者だけになっているようです)だけ見れば足りるものですし、実際に日本のスーパー等でもみだりに防犯カメラを関係ない人に開示していないでしょう。
2018-2-26「民主主義ルール3と違法収集証拠排除論2」前後で紹介したGPS捜査が問題になっている事件では、(ラブ)ホテルに駐車したことまでGPSでわかるのが許せないような判決理由になっていたように記憶しますが、ここで正確を期すために最判全文を見直してもそこまで書いていません。
もしかしたら間違って記憶していた可能性もありますし、判決が出た当時高裁判決の詳細事実認定を読んだり、あるいは関連紹介記事を読んだ記憶かもしれません。
※ 今日事務所に出て「自由と正義」2017年10月号を見直してみると上記事件の弁護団で中心的役割を果たした弁護士の事案経過説明が出ていて、これによると、犯人が一度だけ乗車したことのある事件に関係のない女性の車にもgpsが装着されていたり、塀に囲まれて外部からラブホテルに駐車したことが分からない駐車も特定されていたことが説明されています。
何れにしても警察は窃盗被害との関係で移動履歴を知るために設置しているのであって、調査対象者がたまたまラブホテルに行ったかどうかなど犯罪に関係のないプライバシーに関心のないことです。
実際に事件に関係がないので検察側は証拠請求していなかったものを弁護側の開示請求によって明らかになったものです。
最判の論法で言えば、防犯カメラに犯人と別人がたまたま立ち小便しているのが写っているあるいは恋人と抱き合った場面や痰を吐くところが写っていた場合、それを咎めてプライバシー侵害・・路上強盗の写真を証拠に出来ないというのでしょうか?
その部分だけすみ塗りして証拠提出すれば足りるように思われます・同様に窃盗事件の立証にラブホテルへ行ったことまで証拠にする必要のないことですし実際検察官が窃盗に無関係なプライバシー移動経路まで証拠請求していなかったことは上記の通りです。
いろんな論文を見ていると犯罪に関係ない網羅的捜索が許されないのが原則のようですが、(例えば家宅捜索などで、もしかしたらは犯人仲間か?と言う疑いで根拠ない当てずっぽうで気楽にしょっちゅうやられたら溜まったものではないですが・・・)資金では通信防除その他の議論の前提で、GPSに関する令状発布が原則として許されないと言う議論に出てきます。
自宅にズカズカ踏み込めんだり身体検査などはプライバシー侵害の程度が大きいからであって、車の移動経路わかる程度ではプライバシー侵害のレベルが違いすぎます。
物事は侵害される権利との程度問題ではないかと言うのがこのシリーズの関心です。
民間の万引き防止のための防犯カメラ等よりも公的目的の情報蒐集に限って情報収集を厳しくするのが一般的風潮であり、おかしいと書いてきましたが、この蒸し返し・補充論です。
日頃から無断(令状事前提示不要)で収集してもいいが、事件発生後の犯罪捜査にしか使わないあるいは、フランスのように犯罪発生前にも事前に特定資格者に限って情報提供を求められる制度・その要件を厳重にするのを認めたらどうでしょうか?
今のテロは犯行着手やその準備段階(日本でいえば凶器準備集合罪)を待っていて、それから検挙するパターンあるいは兇徒が徒党を組んで出撃するような段階で行進を阻止するような悠長な手順を踏んでいては、(ベルギーのテロでは瞬時に約300人の被害)間に合わなくなっている時代になっています。
事件が起きてからの捜査を前提にする近代法の原理はそれなりに人権擁護に果たした役割は否定できませんが、今では航空機搭乗前の所持品検査が必要になるなど事前情報蒐集や検査が必須の時代です
こうした変化を認めずに一旦何か原則を決めると「例外を一切許さない」という硬直姿勢を取るかどうかの問題です。
労働法制も工場労働発達時に制定したものであって、(この時代にも柔軟勤務を前提に管理職には不適用でした)時に合理的であったにすぎません。
管理職でなくとも柔軟な働き方が増えて来た以上、それに見あった法制度が必要です。
それをどうすべきかは、未経験のことなので模索中であることも事実であり、今から完全な正解はまだ誰もわかりません。
国を挙げて叡智を絞り何とか対応しなくてはならない・出来ることから試行錯誤して行くべきテーマにケチだけつけて野党が満足しているのは不思議です。
講和条約に始まって60年安保以降反米中ソ支持グループは対案提示をやめてしまい、明確な反政府勢力になって現在に至っているように見えます。
過去に成立した原理原則にこだわる運動形式は、世界情勢を無視した幕末攘夷思想と同じです。
政治分野の議事妨害だけではなく・法律家の世界で始まった違法収集証拠排除ルールの強化は、軽微な違法?捜査で証拠排除する方向に突っ走る?ようになったのは、アメリカで発達したルールを信奉しているように見せかける点で、一見西側価値観に足場を置いたようなスタンスですが、結果的に政府の政策になんでも反対し妨害する政治運動に利用している方法論の一つのように見えます。

原理論と時代不適合4(テロ対策2・フランスの場合)

現実の殺傷や交通機関破壊などの実行行為前の阻止手段・・テロ対策法として考えられるのは、内乱予備罪や凶器準備集合罪がこれですが、内乱予備と言えるほどの大規模なものは民主国家では現実的でないので、ちょっとした凶器を準備する程度では凶器準備集合罪程度しかありません。
この法案提出時には革新系政党や進歩的文化人?が人権弾圧法案として猛烈な反対運動していたことは周知の通りですが、法成立後現在までの約60年間でどのような弊害があったでしょうか?

刑法
(予備及び陰謀)
第七八条 内乱の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の禁錮に処する。

ウイキペデイアによると以下の通りです。

凶器準備集合罪・凶器準備結集罪は、刑法に規定された犯罪類型の一つ。
「第二十七章 傷害の罪」の第208条の2に規定されている。生命、身体又は財産に対する危険をもたらす一定の予備的な行為を処罰する。個人的法益に対する罪であると同時に公共危険犯としての性格を持つ。
暴力団の縄張り争いや過激な政治団体同士の抗争を早期の段階で取り締まるため、1958年に新設された規定である。

現在日本では、暴力行為を実行する前の規制は凶器準備集合罪・共謀罪法が成立しましたが、実務的には共謀だけでの検挙が難しいので、一味の一人でも現実に窃盗等の実行行為をした時に、その数時間前の共謀した時点で犯罪が成立していたと時間的に遡れる程度でしょう・・だけであって、それ以外は具体的犯罪行為をしようとしている場合に事前規制をしたり、より重く処罰する程度しかありません。
事前集結して気勢をあげて行進するようなことをしない・いきなり襲撃する共謀罪法以前の既存法令では現在型テロ行為に対して現行法令では、適応できなくなっていることは明らかです。
犯罪成立要件は、「凶器の準備プラス集合」ですが、テロは集団の威力を誇示するのではなく一人2人が別ルートで現地付近に赴き各自が別々に発砲したり爆発させたり、トラックを群衆に突っ込んでも大きな被害が生じる時代です。

特に現在のIS式テロの場合には組織らしい組織もなく、矯正シアtもノアh各自勝手にテロをやればいいという仕組みでネットをつじて煽っているだけですから、共謀さえありませんし、もちろん組織化されていないので集合さえありません。
既存法令・・・既発犯罪の捜査→検挙という法体系では、テロが起きるまで黙って見ているしかないのでは時代遅れ・・困るでしょう。
アメリカの銃乱射事件で言えば、アメリカの場合銃所時が一定手続きで合法ですから合法所持している人を検挙できません。
これから学校に行って銃乱射すると言って家から学校に向かう青年を、警察は途中で阻止できないのでしょうか?
事件が起きてからの捜査を前提にする近代法の原理はそれなりに人権擁護に果たした役割は否定できませんが、今では航空機搭乗前の所持品検査が必要になるなど、事前情報蒐集や所持品検査が必須の時代です。
空港や学校など場所限定列挙の銃所持禁止法律を作った場合、その境界10センチ手前で銃を持っていてもいいのか?
そこからの銃乱射を待つしかないのでしょうか?
それとも1メートル〜50〜数百メートル先から検問することになるのでしょうか?
欧米では日本と違いテロ防止用の特殊法令が発達しているように思えますが・・・。
そういう紹介がネット上にも出てきませんし、まして日弁連関連や法律専門雑誌では、そういう紹介はタブーのように全く入ってきません。
「近代法の法理を守れ」いうばかりです。
今ではテロの方法が日進月歩ですので対策も日進月歩でしょうから、だいぶ古いですが、2006年に発表された紹介文が見つかりましたので、その目次と概要を紹介しておきます。
(その後いわゆるIS方式による末端とも言えない個人暴発的大規模テロがパリやベルギーであったので、以下の紹介制度後さらに新たな対策法ができているのでしょうが・今わかるのは、2006年方です)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/228/022807.pdf

特集 テロリズム対策◆外国の立法 228(2006. 5)
フランスのテロリズム対策
高山 直也(主任調査員)
目次】
I  2006年テロ対策法の目的と背景
フランスはテロの標的になるたびに、新たなテロ対策を講じてきたが、その中でもフランスが重視してきたのは、テロを防止するための諜報活動である。
2006年テロ対策法は、その方向をさらに進めて、テロを予防するために「さらに上流にさかのぼって(注4)」情報収集ができるよう、国家警察や国家憲兵隊(以下「憲兵隊」とする。)に新たな権限を付与する内容となっている。

2 テロの性格の変化
3 ロンドン同時多発テロの教訓

II 2006年テロ対策法の内容
1 テロの未然防止対策
2 特別な司法手続きの適用
フランスは、テロ犯罪は特別な犯罪であるとして、テロの実行者またはテロを企てた疑いのある者に対して、普通法とはちがった特別の司法手続きを適用することにしている。
006年テロ対策法は、つぎの11章33か条から成る。
第 1 章 ビデオ監視カメラに関する規定
第 2 章 テロ行為に参加している疑いのある者の電話・電子交信に関するテクニカル・データの移動及び伝達の監督に関する規定

i 行政警察が交信記録にアクセスする権限を認めた前述したように、司法手続きの枠内であれば、交信記録の消去または匿名化の猶予期限を最大1 年間延長できることになっている。しかしテロがおこってから捜査のために交信記録を利用するのではおそすぎるとして、今回の改正ではもっと「上流にさかのぼって」、テロが実行に移される前の段階でそういう謀議がおこなわれていることを把握するために交信記録を利用しようというのである。今回の改正では、国家警察と憲兵隊に対し、「テロ行為を未然に防止」するため、電子通信業者等から交信記録のデータの伝達を要求する権限を与えている。ただしそれができるのは、「特別にテロ対策の任務を与えられた」国家警察及び憲兵隊の担当のうち「個別に任命され、正規に授権された警察職員」に限られる
アクセスできるデータ権限を与えられた警察職員が要求できる交信記録データは、盗聴の場合とちがって交信記録の内容そのものではなく、「電子通信サービスへの加入又は接続の番号の同定に関するテクニカルなデータ、特定の人物の加入又は接続の番号のすべての明細目録、利用された端末機器の位置に関するデータ、並びに受信先又は送信先
番号のリスト、通信の時間及び日時に係る、加入者の通信に関するテクニカルなデータ」に限定される。

第 3 章 個人情報の自動処理に関する規定
第 4 章 テロの抑圧及び刑の執行に関する規定
3 刑の加重

以上を概観すると、司法の権限行使であれば憲法上の要請・事前の令状発布や、捜索される相手に対する事前開示が要請されるが、フランス憲法では、行政警察であればその要請がなくなる・緩くなるということでしょうか?

原理論と時代不適合3(テロ対策1)

日本の野党文化人?は学校で習った(時代遅れの)近代法の原理原則しか知らないのかな?・・具体論に弱いので各種議論の場では、アラ探しに特化する傾向があります。
共産主義思想は産業革命→工場労働者増加に基礎をおいていますし、労組はその申し子です。
共産・社会主義系野党政治家は、19〜20世紀中葉までの近代社会をモデルにし、工場労働者・労組に足場があっても、古代から存在するサービス系や農業系が脱皮し高度化してきた現在社会の当事者に足場を置いていません。
支持基盤が硬直的・・産業革命で生まれ出た工場労組中心の結果、変化の激しいサービスや知財〜IT分野に足掛りを持っていない点が、観念論に走りやすくているように見えます。
「近代法の法理を守れ」のスローガンに頼る所以です。
原理原則というものは、働き方に限らず刑法の秘密保護法やGPS捜査も同じですが、時代(多くは科学技術)の進展変化によって生活様式や社会のありようも変わるので、部分的に手直しする必要が生じるのが普通です。
テロが頻発し、しかも旧来型でなく突発型でも被害が大きくなってくると、事前情報収集プラス抑止力が必須になってきます。
西欧でのテロ発生後数時間後には犯行グループが大方特定されてそのうち一人はどこそこ方面逃走中などのほか拠点捜索などの報道が出て、その事前行動把握などが報道されていますが、今は事前情報や警戒が重視される時代です。
一方で、なぜ実行阻止できなかったかの政権批判記事も出ます。
テロの頻発を許せば政権が持たなくなるのも現実です。
このように今では為政者は治安の責任者として事前抑止できなかった理由で批判されるのに、一方では個人情報保護違反で犯行前の情報収集が違法と評価される矛盾時代です。
ベルギーテロの時には、各人種ごとに居住区が分かれていて、治安組織もそれぞれになっていてその連携が悪く、事前情報収集がうまく行ってないことが原因であるかのような報道されていました。
http://www.asahi.com/topics/word
ベルギー連続テロ(2017年03月21日 朝刊)
2016年3月22日、ブリュッセル空港とブリュッセル中心部の地下鉄マルベーク駅で爆発があり、32人が死亡、約340人が負傷した。実行犯5人のうち3人は現場で自爆し、残る2人は後で逮捕された。一部は15年11月のパリの同時多発テロにも関与したとされる。また過激派組織「イスラム国」(IS)の拠点があるシリアへの渡航歴があることが判明している。
ベルギー同時テロの続きです。
以下の文章は、結論としてはテロを防ぐのは「政治の問題」だと言う意見ですが、前提的に以下のような治安状況が紹介されています。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48352?page=3

2016・4・9
ヨーロッパの華やかな小国・ベルギーがなぜ「テロの温床」になったのか
自治と共存の伝統はいったいどこに…

文/松尾秀哉(北海学園大学教授・ベルギー政治史研究)
3月22日、ヨーロッパの小国、ベルギーで連続テロが起きた。死傷者は300人を超えるとされる。・・・
まだ昨年のパリ同時テロ事件の記憶も新しいなかで、フランスの隣国ベルギーの首都で、なぜテロが生じたのか。・・・
今後捜査が進み、新しい事実も発見されていくだろうが、現時点の情報を基に、ベルギーの現代政治を調べてきた者として考察してみたい。
ベルギーの「最大の問題」
・・・・この国が抱えてきた最大の問題が言語問題である。1830年の独立の時点で既にフランス語を話す人びととオランダ語を話す人びとがいた。生まれついての多言語国家である。
ベルギーの独立戦争は、フランスの革命思想に憧れて自由と自治を求めた人びとが中心となったが、当時の周辺大国は、革命思想をベルギーで食い止めるために、オランダ語を話す人びとが多く住む地域を併せて独立を承認したと言われている。
「オランダ語圏の中にあるフランス語圏」として、ブリュッセル首都圏は19の区に行政の管轄が分かれ、それぞれに市(区)長がいる。住民のほとんどがフランス語を語る両語圏のなかで、飛び地のようにオランダ語話者の集住地区が存在していることもその原因だ。
・・・ブリュッセル19区とモレンベーク
それぞれの区長たちは協調的であるよりも、自らの支持を集めるために、非協力的であると言われている。警察も6管轄に分かれているため、管轄が異なれば手が出しにくい。
・・インテリジェンス(諜報活動)の管理も多元的で、データはひとつのネットワークで管理されておらず、各地区の公安担当者は、危険人物リストをeメールに添付してやり取りしていると現地ル・ソワール紙は報道している。 こうしたベルギー側の多元的な治安、管理体制の問題は指摘されて仕方ないのかもしれない。
しかし・・そもそもそのすべての人からテロリスト容疑者を峻別することが可能だろうかとも思う。
・・問題は治安体制の瑕疵よりも別のところにあるように思われる。ここで重要なのは「政治」の役割である。
以下省略

と、この著者は情報集取の難しさを言うメデイアの上記前提状況を紹介しながらもテロが起きる温床をなくすのが政治の仕事だろうという意見を書いています。
軍備の必要性の議論に際して、戦争が起きないようにするのが先だというような意見ですが、医療・消防予算・機器更新必要性の議論で火事や病人を出さないように教育したり、建物を不燃化するのが先でないかとの議論で堂々巡りするのに似ています。
現実は両方同時進行で必要なことが多いのですが・・。
この種意見の優劣は別として、ここでは世界的傾向は「テロが起きてからの検挙」では国民が納得しない現実になっている事を書いています。
佐倉惣五郎の時代には、地域の集落代表が何回も協議を重ねてイザ決行となっても集結してから徒歩で行動開始ですから、仮に鎮圧をする予定でもそれからの軍勢召集でも間に合います。
まして戦国時代の一向宗の一揆と違い江戸時代の一揆勢は集団で城下に押しかけて、気勢を上げていると、城方の上使が来てこれに強訴できれば目的達成・解散です。
後は首謀者がお咎めを受ける覚悟と言う穏健なものですから、お城の方でも政治的対応をどうするかを決める(その時になってオロオロ狼狽しない程度の備えが重要)だけのことでした。
戦後盛んに上映された清水次郎長、黒駒勝蔵(千葉でいえば、笹川繁蔵、飯岡助五郎)などのヤクザの出入り(例えば人生劇場で有名な吉良の仁吉の荒神山の出入り)映画でいえば、徒党を組むところから始まるから、その段階で規制すれば足りるというのが日本の戦後(最近できたばかりの共謀罪を除けば現在の!)治安システムでした。

原理論と時代不適合2

極端な言い方をすれば、国家全体がマイナス成長で生活水準が落ちて餓死者続出でも気にしない・・国際競争力維持よりも審議時間が少ないとか、「強行採決は民主主義の死」という方向に優先順位があるという意味でしょうか?
時には分配や癒着解明が優先順位になってもいいでしょうが、劣位でも成長目標が一切ないのが不思議です。
今の北朝鮮のように国民が食うや食わずでも平等の方がいいというのでしょうが、こう言う綺麗ごとをいう国に限って・実際にはソ連や中国の例で言えば党幹部と庶民との格差が日本よりも激しいのが普通です。
反対ばかりの政党批判対策のためか?「既得権や癒着の構造と闘う」テーマも入っていますが、結局は何かの反対・まずこの疑惑はどうなのか・資料が出るまで国家的懸案になっている政策に対する賛否や対案を出さない・・審議に応じない・・結論を先に送る戦術イメージです。
疑惑に関連しない別の議案は並行審理しても良いはずですが不思議です。
今国会の主要議題である「働き方改革」について言えば、ITの進歩で産業構造が激変してきた以上は、働き方も明治以降採用してきた時間給型(画一的工場労働を基本とする法制)では対応できない分野ができてきた・・部分的に変わって行くべきである点はほとんどの国民一致した考えというべきです。
野党・メデイアは歯止めがなくなるとか過重労働になると批判して国民不安を煽っていますが、従来型・電子レンジやパソコン普及時に煽っていた危険論や一定時間で休憩が必要だという意見同様に根拠なく「変化反対」を煽る域を出ていないイメージです。
労働のあり方改革が必要なのは全分野ではなく、裁量労働の必要な分野が増えてきたのでその分野に限定した部分改正が必要と言うだけのことではないでしょうか?
・・・法案を見ていないし今問題になっている資料の何が間違いかについてははっきりした報道もなくて・・私が読み落としているだけかも?・・重要性もわかっていませんので、断言できませんが・・.。
産業構造が工場労働中心からサービス・知財系に大幅に変わってきた以上は、構造変化に合わせて働き方を変えて行くしかない・・「変更の必要がない」という意見が野党からも聞こえてこないので、これが大方の意見なのでしょう。
とすれば、どのように変えていくべきかの違いについてのいろんな意見があって当然です。
我々素人には時間も能力もありませんが、政党である以上は、いろんな角度からの検討を経て提案すべきで、その程度の時間労力を惜しむべきではありませんし、「わからないならば」その程度の政党として国民の評価を受けるべきです。
政党と名乗り国費補助を受けている以上は、どのように変えていくべきかの対案を出すべきですし、それに基づいて各政党案の優劣を競うのが公正な競争であり民主主義です。
まして労働法分野は労働者階層を基礎的支持母体とする野党が自分の専門領域であり、「自民党案に乗る訳に行かない」という面子があるならば、本来自民党よりも自分の方が詳しいし実情を知っているのだから、時代即応の働き方改革の提案を先にすべきだった事になります。
自分の専門分野で自民党に先を越されても対案すら示せずに、相手の提出資料の批判ばかりでは、合理的討論になりません。
これから未知の領域に踏み込む以上は、やってみなければ分からないことが多いのが普通で(多くの法律で施行後数年〜5年内に検証して修正含みの法律がいっぱいありま)す
完全無欠の法案などあり得ないのです。
各政党の案の中で最も欠陥の少ない案を選択するか修正して成立させるのが民主主義です。
野党のあり方はなんでも反対が職務ではなく、自分の資料の方が優れている・ひいては、自分の提案する「働き方像」の方が優れているという論戦をすべきでしょう。
国会論戦では相手の揚げ足取りばかりではなく、独自資料に基づいた対案をしめすべきが責任ある政治家の役割ではないでしょうか?
働き方改革で議論すべきは、どの分野に認めどのような規制を設けるかその場合に生じる不都合をどう補整するかのすり合わせであって、イデオロギーで決まる問題ではありません。
プロの政治家である以上は、意見がないならば反対する資格もありませんし、政治家の資格もありまっせん。
そこが理由不明でも「納得できない」というだけでその政治家や政党に投票しない・拒否権のある国民との違いです。
こうすべきという意見もないのに、政治家をやり政党と名乗る不思議な政党・・昨日紹介したように綱領さえ作れない政党・・何の目的で政党結成しているのか不明・・(昨日紹介した自民党の主張によれば「大臣になりたいから集合したグループ?かのような表現)野党に転落すると党の方針がない以上は対案を作れないので「相手の意見にはともかく反対する」という政党活動になってしまったのでしょう。
結果・・あげ足取り・・政策遂行の妨害だけする目的の政党に国費補助する存在意義があるのかとなります。
社会変化に対応していかないと国際競争から落伍してしまう危機感を持つ国民から見れば、何でも反対ばかりで変化適応妨害しているような(綱領に明記していないが本音の「隠れた綱領」は「何でも反対して日本の国際社会適応妨害」が目的?)の疑念を持つようになっていきます。
この種の疑念が旧社会党隆盛の頃から国民的規模に広がってきたのは、慰安婦騒動拡大激化に加担したグループ(政治家やメデイア)が虚偽誇張宣伝〜捏造に加担したのではないかと疑われるようになってからです。
このために社会党の凋落が急激に広がり、旧社会党議員の多くが新党結成に参加して社会党から逃げ出したのですが、選挙対策で?新党結成に参加しても対案策定能力がない政治家の資質は変わらない以上は、結果的に「何でも反対」に精出すことになたtのでしょう。
この批判が強まったので1昨年民進党に改称し同時に党綱領も定めましたが、構成員が同じでは具体論を議論する能力がない点は同じです。
「保育園落ちた日本シネ」問題でいえば、保育園不足・・急促進設置の必要性があることについては与野党同じで意見相違がないのですから、争点はどうやってスピードアップするかの具体論ですが、野党は「「日本シネ」と言うだけで、どのようにして保育園を急激に増やすべきかの提案が一切出ません。
緊急対応のために臨時に一定期間設置基準を緩めるか、補助金をどうするか、保育士の補給をどうするかの議論が中心となるべきでしょうが、そうすると「事故が起きたらどうするのだ誰が責任を取るのか」「環境基準が劣化すると発育が心配」の反対論の大合唱になります。
国会で各党の案を提出して優劣を競うべきなのに、何の提案もしないで「日本死ね」というだけの非建設的主張をメデイアが喝采して煽るのでは健全な討論を封殺するもので民主主義の死滅です。
対外政策についても日本のために「謝るべきは謝るべき」という運動は言論の自由ですし、いろんな意見の存在は日本の国益でもありますが、サンゴ礁の自作自演・捏造報道事件を何回もこのコラムで例示していますが、前提事実を虚偽捏造までして日本人全体の評価を下げるために国際運動までするのは行き過ぎという感情です。
捏造したのかちょっと行きすぎ・あるいは感情移入で報道傾向が偏っただけか私にはわかりませんが、国民の多くが憤っていることは明らかでしょう。

原理論と時代不適合1(民進党綱領)

誰の目から見ても、従来の延長ではなく産業界を含めて各種構造改革・リストラクチャリングが必須になってきたバブル崩壊後、政府が何かしようとすれば先ずは反対・けちを付ける方法ばかり精出して、1日でも10日でも決定の先延ばしが目的かのような議事妨害や主張態度が国民支持を失っていったのは当然です。
当時最大野党であったバブル頃からの社会党の流れに関する3月5日現在のウイキペデイアの1部です。

土井ブームの盛り上がりと凋落
土井社会党は土井の個人人気と女性候補(「マドンナ」と呼ばれた)を積極的擁立など女性層を中心とする選挙戦術を展開し、消費税導入やリクルート事件、農業政策に対する不満を吸収した「激サイティング!社会党」のキャッチコピーを掲げ、1989年の第15回参議院選挙では46議席を獲得。自民党は36議席しか獲得できず、連合の会と共に、自民党を非改選を含めても過半数割れに追い込み、改選議席で自民党を上回った。土井の個人的人気による選挙結果のため、土井ブームと呼ばれた。
1990年に発生した湾岸危機で政治課題となった自衛隊の派遣では、日本社会党は憲法9条堅持の立場から、「自衛隊海外派遣に反対」を主張し、民社党・公明党との関係は冷え込んだ。
これと並行して民社党・公明党との協調を重視する連合など労組幹部などとの摩擦も強まり、土井執行部の求心力は急速に低下した。1991年の統一地方選挙で社会党は敗北、土井は責任を取って委員長を退いた。
1993年の第40回総選挙で社会党は新党ブームに埋没し、改選前の136議席から70議席と議席をほぼ半減させた。
特に都市部では、東京都で11議席から1議席に激減するなど、土井ブームで得た議席を失い、55年体制以来最低の議席数となった。長年の宿敵であった自民党が大敗した選挙であるにも関わらず、社会党は却ってその存在感を失うこととなり、後のことを考えれば皮肉にもこれが社会党にとっての”終わりの始まり”であったとも言える。
・・・その後の1995年の第17回参議院選挙では16議席しか獲得できず、2年前の衆議院選挙に続く大敗北に終わった。
新党構想は結局、鳩山由紀夫・邦夫兄弟や菅直人らが中心となり同年衆議院解散直前結成された民主党として現実のものとなった。
社民党は一旦、民主党への丸ごと参加を決定したが、鳩山由紀夫の「排除の論理」に反発して、すぐに撤回。現職の幹事長であった佐藤観樹を含め約半数の党所属国会議員が「個々人の決断」のもと社民党を去り、民主党結成に参加した。幹部候補生と目された前北海道知事横路孝弘も民主党を選んだ。
一方、村山ら約半数の議員は社民党に残留し、土井たか子を党首に復帰させ、第41回総選挙に臨んだ。支持労組の大半は民主党支持に転じたが、地方組織のかなりの部分は社民党に残った。村山内閣時の路線転換に批判的な議員や党員の一部は、離党して1996年3月、新社会党を結成した。結果的に民主党、社民党、新社会党の3つに分裂したことになる。

上記土井ブーム以降の経過を見ると鳩山民主党の大勝から凋落〜民進党への改称〜希望の党と立憲民主党への3分裂「排除の論理」などそっくり同じコースを辿っていることがわかります。
バブル期には政策など不要で浮かれていたので消費税反対の「やるっきゃない」というアッピールだけで、社会党が急浮上したもののバブル崩壊後斬新な知恵が必要になってくると自社既存政党の対応力不足で、ともに支持率を落としていきますが、実務に足場を持ち融通性のある自民党以上に学校で勉強した知識に頼る硬直的社会党がついて行けなくなったことが浮き彫りになります。
自民党は時間をかけて新時代対応力をつけていったのですが、革新系は硬直的近代法理・平和論にこだわる結果、総本山社民党は以来恒常的に2議席前後になってしまいました。
国民の数%は教条主義の貫徹に郷愁を持つ人がいるということでしょう。
上記の通り民主党はもともと選挙対策として社会党を脱出した人が多くを占めているので、民主党〜民進党は内部に左右対立を抱えているのが難点でした。
これを解消するために保守の小池新党へ合流するにあたり排除の論理を宣言したのは合理的でしたがその結果、保守政党にまぎれこもうとした左派(教条主義)の猛反発を受けたことになります。
バブル崩壊後野党の主役になった民主党〜民進党系野党の主張は日本をどの方向へ導きたいかの方向性が見えない・元社会党のようになってきた・・新たな政策を少しでも遅滞させる・・変化に適応をさせないことが自己目的になってきた印象でどうにもならなくなったのを打開するために細野氏ら右派が分裂したのですが・・。
そもそも野党の綱領や公約は何でしょうか?
民主党時代には左右両派の寄り合いでしたので当綱領さえ作れないと言われていました。
自民党綱領解説からの抜粋です。
https://www.jimin.jp/aboutus/pdf/kouryou.pdf

平成22年(2010年)綱領
(2) 綱領は政党の命
この綱領で民主党とどこが違うのか、との質問が出ます。我が党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、閣僚席に現在数人座っています。
この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、我が党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。市民の目先の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領が持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で離散集合をする政治家は、必ずや後世の批判を受けるでしょう。政治家である前に、節義ある人間として、我々もまた心すべき点です。

民進党に改称された頃に「党の方針も決められない政党」と言う批判に答えるためにようやく綱領できたようですが、以下の通り肝心の国防その他の基本方針が全くなく、あたり触りのない綱領になっています。
https://www.minshin.or.jp/about-dp/principles

民進党綱領  2016年03月27日
我が党は、「自由」「共生」「未来への責任」を結党の理念とする。
私たちは、「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく共に支え、支えられる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を実現する。
(私たちの立場)
我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。
未来・次世代への責任を果たし、既得権や癒着の構造と闘う、国民とともに進む改革政党である。


民進党の綱領を見ると自由、共生社会など当たり前と言うか幼稚園児の作文のよう暗喩目しか書いていません。
国家存立にかかわる防衛の基本方針も決められない。
内政では分配中心で肝心の分配資金をどうやって稼ぐか・・・生活水準向上の原資をどうするかの国民最大関心事に対する主張がありません。
・・決まりきったことしか書けない点が今まで批判されてきた寄合所帯の弱さを表しています

 

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