不公正な情報提供1と中立機関

原発元所長の吉田調書が公開されない・・朝日新聞しか内容を知らない・・誰も反論証拠を出せないと思って偏った捏造報道をしていたところ、政府に公開されてしまい、報道の虚偽性が白日の下に曝されて信用を全く失ったのが朝日新聞です・・。
マスコミが報じなくとも個人・・フリーのジャーナリストが世界中に出掛けて行ってマスコミの報じない中韓等に不都合な現状をネットで報告している状況ですが、今のところ需要の多い政治経済状況に偏っています。
法律条文や裁判・運用状況等専門的知識が前提になる分野では、まだまだそう言う人材が現れません。
その内専門的フリーのジャーナリストも生まれて来るかも知れませんが、何年経っても需要が乏しい・・市場が育たない限り無理かな?
大手マスコミや大学等で費用を出してもらわないフリーが、外国へ行って資料収集するには経済力が続きません。
その内自動翻訳等が発達して国内の司法統計同様にアメリカやその他主要国の司法統計などの各種統計が、そのまま日本語でしかもネットで見られる時代が来る方に期待する方が早いかも知れません。
いまは素人にはアクセス出来ないことを良いことにして(・・吉田調書の場合で言えば、マスコミすらアクセス出来ない予定でした)マスコミや専門機関が良いように情報操作している状況です。
(世界中に調査団を派遣して自社・ある利害集団に都合のいいい部分的な事実だけアップしていますが、何故か共謀法や秘密保護法ではこれすらやりません・・世界中探しても都合の良い事実が見つからないからでしょうか?)
国内報道でも、街角のインタビューも自社主張にあわない意見はカットされているのが常識です。
マスコミが報道しなくとも、その内、お金をかけて海外事情を調査する人も出て来るし海外情報がそのまま分る時代が来るでしょうから、そうなると日弁連も20年前の主張が世界情報のつまみ食い・・我田引水だったとして朝日新聞に似たような結果・・世間お信用を失う結果にならないかと心配しています。
まして我が国は11月2日から書いているように、世界に先駆けて過去半世紀以上にわたって、共謀に関する判例の集積がある国です。
反対論者からすれば、共謀共同正犯の「共謀」と共謀罪の「共謀」は違うと言う主張になると思われます。
11月2日に書いたように事件が起きてから遡って認定する「共謀」と被害が起きていない段階での共謀認定とは、方向性が違うとしても重要な部分で重なることは確かでしょう。
公害防止技術の進んだ企業が、更に高度な公害防止を求められた場合、従来技術そのままでは使えないとしてもそれまでの経験を活かせるので、それまで公害技術ゼロの企業よりも有利なのと同じです。
半世紀以上の運用の経験のある我が国の方が、これまで共謀認定集積の少ない諸外国よりも、現場の暴走を心配する必要性・・リスクの少ない良好な環境になっている事は間違いがないと思われます。
この結果、諸外国よりも濫用的な検挙リスクが少ない・・・半世紀間以上運用されて来て実際に濫用されて問題になった事例は1つもありません・・少なくとも私は知りません。
半世紀の間に1つでも濫用的逮捕等が発生していれば、反対論者は「こんなに危険だ」と鬼のクビでもとったように大々的に発表しているでしょう。
人権擁護と言う視点で見るならば、共謀の概念蓄積が進んでいる我が国の方が欧米よりも捜査権濫用の危険が少ない状況になっているのを、反対論者は何故一般に紹介しないのでしょうか?
例えば学者の「欧米ではこうだ」と言う意見(社会系の論文)を見ると、どこかの市でこう言う条例があると言って自慢げに紹介するのですが、その国で今後その傾向が広がって行くのか、その市だけの特殊現象か?社会全体の傾向がまるで分らない報告論文が多いのに驚きます。

共謀概念の蓄積(進化)2

日本に比べてこんなにも幅広いあやふやな概念しかない諸外国で、既に刑事法制化して運用処罰していること自体驚きですが、これらの国は制定後の運用の中で絞って行けば良いと言う思想でさしたる懸念・反対運動もなく法制定しているのではないでしょうか?
(いつも書くことですが、このブログは暇つぶしに書いているだけですから、反対論者が諸外国の条文や運用状況を紹介してくれないと実際の条文や弊害が分かりません・そこまで調べる時間もないので条約の文言を見て驚いている印象で書いているだけです)
米英独仏等の先進民主主義国を含む世界中の多くの国で(条約に署名しながら、国内法を制定しないで10年以上も抵抗しているのは、ごく少数です)日本よりアヤフヤな定義のママで制定運用しているとした場合(上記のとおり私の個人印象です)、世界一厳密に共謀概念を絞り込む実績のある日本に限って共謀法の濫用逮捕を懸念しているのは実態にあっていません。
この道の素人の弁護士にとっては先進国の共謀法はこう言う弊害が起きている・あるいは、日本の法案よりも緻密で乱用の危険が少ないなどの比較論が欲しいところです。
実際には法案を作ることに反対しているのでは、こうしたきちんとした意見を主張するチャンス・・法案作成作業参加の道を自ら閉ざしてしまい・比較論議が出来なくなっているのかも知れません。
秘密保護法の問題で、世界中の先進国で制定運用している秘密保護(スパイ処罰関係)法でどう言う問題が生じているか、日本の条文と先進国の条文とどのように違うかなどの比較議論が全くないまま、「危険だ危険だ」と主張するのでは外野にはよく分らないで困ると今年の3月11日「特定秘密保護法9(実定法の比較2)」前後で書いてきました。
共謀法の議論にもこれが言えます。
諸外国で弊害が生じてはいないが、日本の予定している条文が諸外国より緩いから危険と言うような比較議論があってこそ、国民は健全な判断が出来ます。
こうした比較議論が一切なく、「近代刑法の精神に反する」と言うだけでは国民・・少なくとも海外の条文(を紹介してくれないと)にうとい私は困ってしまいます。
「分らないならば意見を言うな」と言うのも1つの意見ですが、専門家は一般人相手に自己主張の正当性を主張している以上は一般素人(少なくとも市井の弁護士が日常知識で理解出来る程度)の合理的疑問に答えるべきではないでしょうか?
私にはバックに利害関係のある集団がないので、合理的なデータさえ示されて合理的納得さえできれば賛否どちらでもいいのですが、比較論が一切紹介されないままで「危険だ」と言われてもそのまま賛同することが出来ません。
このままでは法案賛否どちらが正しいかさえ分らないままにおかれて、フラストレーション状態におかれていることになります。
文化人は、いつも欧米のやり方や国連決議がどうだと論拠にするのが好きなグループですが、(監視社会・・防犯カメラに関してはドイツではこうだとかイギリスではこう言う規制があると細かな実態を報告しています・・)秘密保護法や共謀罪に限って欧米の運用状態について一切出さない・・マスコミも一切報道しない・・一般国民が知るチャンスがないままにおかれて、ただ危険だと言う宣伝だけ刷り込まれてしまう状態です。
弁護士業務・・特定の立場が先に決まっていて裁判で主張するときには、クライアントに有利な証拠だけ出して、有利な判例学説だけ引用することがあります。
これは相手にも弁護士がついていることを前提にゲームのように相互に有利な主張や証拠を出し合う対等者間の争いを前提にしているからです。
弁論主義と言って、一方当事者の主張していない主張(例えば時効になっているとか)を裁判所が職権で認定判断することはルール違反になっています。
具体的事件弁護ではそれで良いのですが、法案に対する公的意見については、朝日新聞や日弁連は、特定グループ利害の代弁者ではありません。
国民全般の利益のために主張する立場・・国民は世界中に出向いて事実調べやデータ収集能力がないのですから、中立が要請されている機関が、特定グループに有利不利の判断で合理的判断に必須の世界中の状況に関するデータを取捨選択して国民に提示している疑いをもたれると公的発言力が低下してしまう危険があります。

 社会防衛と人権擁護1

オレオレ詐欺等では、預金払い戻しの時間場所が払い戻し機のデータで特定されるようになっていて、しかも、その時間帯の現場写真があって犯人割り出しに威力を発揮しています。
モノゴトは社会の安全装置としての役割とプライバシー侵害との兼ね合いでしょうし、公道や大規模商店内での写真撮影から守られねばならないプライバシー性はそんなに高いとは思えません。
立ち小便しているのを写されるのが恥ずかしいと言うような人・・あるいは何か後ろめたいことをしている人の秘密を保護するために防犯・社会の安全と引き換えにするべき議論でしょうか?
防犯カメラ反対論者は、誰のどう言うグループの利益を求めて反対運動しているのでしょうか?
「近代刑法の精神」はまさに19世紀=「近代の精神」であって、20〜21世紀に生きる現在の精神ではありません。
現在には近代とは違う現在の精神が生まれていることを知らない訳がない筈ですが、その説明が必要でしょう。
現在進行中の民法改正の方向性では、過失責任主義から行為時の標準取引基準に変容する予定になっています。
即ち意思責任主義が変容しつつあって民法もこれにあわせて改正しようとする動きになっています。
これは法律が変わることによって社会意識が変わるのではなく、社会意識変化にあわせて法も変わって行くべきことを表しています。
例えば医療事故で言えば、当時の医学水準でどうだったかが問われるのが前世紀以来・・普通になっていte,
担当医の内心を探求して過失や故意を議論しても始まりません・・。」
民法改正の動きはこうした前聖域以来の実態追認のための改正でしかありません。
刑法分野でも重大結果を引き起こしたのに意思責任を問えない場合でも、結果が重大な事件に限って医療観察法が制定されていることは09/08/06「保安処分13と心神喪失者等医療観察法8(入院通プログラムの重要性)」等で連載して紹介しました。
この法律によって医療とは言うものの、行為者・危険な人に対する事実上の社会隔離が進んでいます。
この医療観察法による強制医療は医療とは言うものの、重大結果に限るところが、結果責任を問うような仕組みになっていることや再犯の恐れの条項もあるので、本質的に医療と相容れないと言う批判・・、弁護士会や法学者からこの法律制定時に(・・近代刑法の確立した原理に反すると言う)厳しい批判が出ていました。
当時医療観察法は社会防衛思想・保安処分の焼き直しだと言う批判だったと思いますし、私も同じ懸念を持っていましたが、いま考えると社会防衛思想の行き過ぎで人権侵害になるかどうかこそが問題であって、人権侵害にさえならなければ良いのであって、その兼ね合いを考えながらの社会防衛自体は必要です。
車は危険ですが、ブレーキ等安全装置や運転の仕方次第で有用な道具になっているのと同じです。
殺人事件を次々と起こしても精神疾患等で行為時に意思能力がない以上は無罪だからとして、その都度釈放・・野放しで良いのか?と言う社会の現実がありました。
犬は人間同様の能力がないから咬んでも仕方がないと言わないで、かまないように放し飼いにしないとか相応のルールが生まれています。
意思責任主義を近代法の基本と言う意見が多いですが、我が国では忠臣蔵で有名な浅野内匠頭による松の廊下の刃傷事件が元禄14年3月14日(1701年4月21日)ですから、フランス革命よりも約100年近く前でも、取り調べに際して「乱心致したのだな!」と助けるために問いただす場面が有名です。
吉祥寺の放火事件・・八百屋お七の場面も同じです。
ただし我が国では以前から繰り返し書いているように、庶民の実情からいろんな制度が発達していて、西欧のようにローマペルシャから輸入した観念論から発達したものではありません。

証拠法則と共謀罪2(自白重視)

近代刑法・・この結果である現憲法も、昨日紹介したように拷問禁止するだけではなく、自白だけでは有罪にしないで、補強証拠を求めるようになっただけであって、現在も自白重視の精神は変わっていません。

刑事訴訟法

第三百二十条  第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十二条  被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
○2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

刑訴法320条は伝聞調書の原則禁止と言う原理で、被告人以外の人の供述書は原則として証拠に出来ないのですが、322条で被告人の不利益承認供述=自白は任意性に疑いがない限り証拠に出来ると言う原則です。
人は、自ら不利益なことを言う筈がないから、自分で不利益なことを言う=自白するならば確かだろうと言う自白重視原理の表明です。
ところが実際には、人は弱い者で、いろんな状況下で刑事に迎合してやってもいないことを言えば、刑が軽くなるかと思ったりして妥協してしまう傾向があります。
良く知られているところっでは痴漢疑いで逮捕されたサラリーマンが半年近く拘束されて裁判していると会社に知られてクビになってしまうことから、認めれば罰金程度だと言われると刑事に迎合して認めてしまうリスクがあります。
大阪地検特捜部の事件以来、流行になっている取り調べ可視化問題と言うのも、証拠としての自白の重要性を前提に自白取得過程を録音録画しよう(しゃべらないといつまでもられないようにしてやるからな!とかの脅しや拷問がなかった証拠のために)と言うだけです。
自白の重要性を前提に今も議論が進んでいると言えるでしょう。
話題がそれましたが、内心意思は外形行為が伴わない限り誰も分らない・・今の科学技術を持ってしても分らない点は同じですから、共謀罪においても内心を意思を処罰するのではなく、内心の意思が外部に出たときで、しかも第三者と共謀したときだけを犯罪化するものです。
即ち自分の意志を外部表示するだけではなく、「共謀」と言う2者以上の人の間での意思の発露・条約文言で言えば「相談する」→「表示行為」を求めることにしています。
共謀するには内心の意思だけではなく、必ず外部に現れた意思「表示行為」が必須です。

上記のとおり、共謀罪も、表示行為を実行行為としたのですから、内心の意思プラス外形行為を成立要件とする近代刑法の仕組み・・証拠法則は残されています。
表示行為と言う実行行為を要件にする点において、内心の意思のみを処罰対象にしない・・実行行為を要求する近代刑法の枠組みを守っていることになります。
共謀の実行行為が要請されている点では近代法の原理の枠内ですが、殺人や強盗の実行行為ではなく準備段階を越えて更にその前段階の共謀と言う意思表示・内心の意思に最近接している行為を実行行為にしている点が危険感を呼んでいるのでしょう。

共謀概念の蓄積1

共謀罪の対象が全ての犯罪ではなく一定の凶悪犯だけとすれば、悪事共謀の事実が証拠で認定出来てもこの段階で処罰すべきか放置すべきかは、政治が決めるべきことです。
法律論としてみれば、この段階で処罰したり、検挙して犯罪実行を抑止することが何故人権侵害になるのでしょうか?
逮捕裁判するには厳密に絞られた共謀の事実(あてはめ)と確かな証拠がいるのは自明ですから、反対論者は確かなあてはめと証拠があっても処罰べきではない・・人権侵害のリスクがあると言う矛盾した論理で反対していることになります。
この程度のことは事実と証拠があっても処罰すべきではないという政治論を法律論の如く主張していることになります。
特定犯罪の共謀の事実があってそれを裏付ける「証拠があっても駄目だ」と一生懸命に反対している勢力はもしかして、どう言う人や集団の利益擁護をするために頑張っているのでしょうか?
恨みを晴らすためや保険金殺人のために自分に代わって殺人をしてくれる人をネットで募集するような個人もいます。
大した考えもなく何となく誘拐犯をネット募った結果、初対面同士でグループになって誘拐・殺人行為をしたグループが数年前にいました。
今回の北大生が簡単にテロ組織「イスラム国」に参加しようとしたことのハシリみたいな事件でした。
個人であっても、ネットで公開募集して犯行計画を進めている場合に、(証拠があっても)これを事前検挙抑止出来ないのでは社会が危険過ぎます。
(危険過ぎるかどうか、この程度ならば放置しておいて誘拐・殺人等の実行行為を待って処罰すべきかどうかは、国民・政治の判断事項であって法律家が専門的な意見を持っている訳ではありません)
法律家が懸念すべきは、共謀概念の曖昧さによる恣意的な検挙の危険性防止…思想信条の自由・・・内心仕返しをしたいとかいろんな妄想段階・ちょっとした冗談や世間話まで処罰されるのでは困りますので、この辺の心配を訴えるのは当然です。
法律家としては、共謀事実の定義・境界の緻密な議論と証拠論が重要です。
内心の妄想の域を超えて 具体的な計画を立て第3者を交えて計画するようになれば放置すべきではない・・共謀罪処罰対象の共謀とすべきでしょう。
要は、どの程度の意思の連絡があれば(冗談に相づちを打った程度ではなく)共謀があったと認定すべきかの学説判例の集積による分野です。
この辺は、わが国では、諸外国と違い昭和30年代から共謀共同正犯理論が学説判例上発達して来たことを無視すべきではないでしょう。
この集積の結果、共謀概念の成立要件についてかなり精密に事例が集積されていますので、諸外国よりも共謀の限界事例集積が進んでいる・・言わば共謀定義に関する先進国です。
(高齢化やデフレ現象が諸外国より早く進んでいるのと似ています)
10月22日に紹介した条約では「相談することを犯罪とする」とあるように「相談」となっていて、我が国の法律用語である「共謀」となっていないのは、我々法律家が見れば驚くような幅広い概念です。
諸外国では、日本のように50〜60年以上(後に紹介する最高裁判決が昭和33年ですから、そこまで行くには10年以上の実務があります)に及ぶ共謀概念の事例蓄積がなかったから、こう言う漠然とした用語になったのではないでしょうか?
ちなみに共謀共同正犯論は、これを最初に提唱した草野豹一郎博士の昭和7年論文と言われていますから、その後幾多の学説論争を経て、昭和33年の大法廷判決になっているのです。
当時共謀を処罰するのは近代刑法の個人責任主義や、行為責任主義に反すると主張されていたのですから、反対論の主張によれば日本だけが突出して経験を積んで来たことになります。
我が国では諸外国と違い、(上記のとおり想像に過ぎませんが・・)相談や協議や会談等の漠然としたいろんな概念の中で、このコア(中核)になる「共謀」と言えるまで厳密に絞り込まれたときに限って共謀認定して来た・・長年運用して来た実績があります。
私のように刑事事件をあまりやっていない弁護士でもこれまで共謀共同正犯事件・・どの時点で共謀が成立したと言えるかなど数え切れない程担当して来ています。
実際に殺人事件等が起きてから後追いでやって来た従来の共謀認定とは、殺人行為等実害のまだ存在しない段階での共謀認定とは方向性など違いますが・・少なくとも共謀認定の実績・事例集積がある点では諸外国とは大違いですから、既に法制化している諸外国よりも我が国の方が濫用リスクが少ない筈です。
我が国では普通の「相談」程度では法律用語としての「共謀」にならない・・充分に絞り込まれていることは、争いがないと言い切れる状態です。

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