大晦日(物忘れのすすめ)

年末モードになったと思ったら、最早大晦日です。
月日の過ぎ去る早さに驚くことの多いトシになってきました。
「1年間は10歳では10分の1で20歳では20分の1、50歳で50分の1ですから70歳では70分の1になるから短く感じるのだ」と分ったような解説を聞きます。
しかし、それだけではなく高齢化による体力・知力の変化も大きな要因になっているような気がします。
体力で言えば、70台〜80台になれば4〜5年ごとの体力の衰えの速度は4〜50台に比べて半端ではないと言われます。
10年ほど前に私よりちょっと年上の弁護士に久しぶりに裁判所で対面したときに、(私がその先生の年老いた感じに驚いた表情をしていたのかも知れませんが、)相手の方からイキナリ、「この数年のトシの差が大きいんだよ!」と言われて「そうかあ!」と納得したことがあります。
その弁護士は平均的弁護士よりもかなり早い年齢で・・数年前に隠退しましたが、今の70台ではそんなに差が起きないと思います。
とは言っても、80代半ばになって来るとちょっとした病気をしたかしないかの差で、40〜50台の20年分以上に匹敵する差になることがあるでしょう。
それもそうですが、それに加えて最近の自覚では加齢に比例して直ぐに忘れてしまう傾向があることも無視出来ないように思えて来ます。
ただし自分の経験では、何でも均等に忘れるのではなく、従来はそれほど重視しない記憶でもそれなりに記憶していたのに、最近は重要でないと思った記憶はすぐに忘れて行く傾向があります。
書道で言えば墨の薄いところから、早くかすれて行くような感じです。
自分に都合良く解釈すれば、どうでも良いような日常のこと・・・雑多なことがすぐに忘れる・・その早さに驚くばかりです。
気楽に忘れて行けばこの間の時間記憶が消されて行くので、(ビデオや録音から無駄な会話を消去すれば1時間分の録音が10分の録音時間になりますから)早く過ぎ去ったかのように思えるのかも知れません。
この考えによれば、高齢化とは内容の残らない時間を削ぎ落とす能力が身に付いた世代・・効率の良い人生を生きている世代となるのでしょうか?
何をやっても栄養・滋養にならない・・経験に残らないのは無駄とは言うものの、老い先少ないので無駄を削ぎ落としているとすれば意味があります。
食べたことを忘れてすぐにお腹がすいて、胃もたれを心配しないで次々とおいしいものを食べられるとすれば、夢のような感じですから何も悪いことではありません。
「ボケてしまい、さっき食べたばかりなのにまだ食べてないと言われる」と文句を言う人がいますが、お金があるならば、いくらでも食べたいだけ・スキなだけ何回でも食べさせてやれば良いのじゃないかと言うのが私の無責任な意見です。
実際には忘れるのではなく胃腸からの満腹感の信号機能が衰えているだけかも知れませんので、本当にもう一回食べられる人はいないでしょう。
食べ足りない欲求の人は、もしかして若い頃に食べたいだけ食べられなかった(戦中戦後の)ひもじい記憶が残っているからでしょうか?
あるいは、ヒマになって食べると言う原初的欲求だけが残っているのかも知れません。
入院したり退屈なときには、まずい病院食でも食事の時間がやけに待ち遠しいものです。
物忘れに戻りますと、映画を見てその都度皆忘れても、その都度内容が良ければ感激すれば良いことであって、その映画を見たと記憶していて知人に自慢する必要もありません。
私は近年では、万葉集や漢詩その他のホンを何回詠んでもすぐに忘れるので、その都度同じホンを読んでも斬新で安上がりです。
歴史やその他の講義も聴いてすぐに忘れても良いのです。
そのときに納得すれば良いことで、テストの心配もないし、それを活かして何か成功する必要も人に競り勝つ必要もないのし今後の人格陶冶に役立てる必要もないので、覚えている必要がないでしょう。
美術展に行ってもお勉強する必要がないので、これを記憶しておいて・・と言う慾もありません。
ただ単純に展示品の善し悪しを楽しめば良いことです。
将来を考える必要もないし、今さえ良ければ良い・・高齢者は世俗の欲得(時間軸)を離れて今を贅沢に楽しめばいいので、高齢者になるのは目出たいことです。
誰でも失敗やイヤなことが少しはあるものですが、皆様・若い人でも高齢者の物忘れの智恵にあやかって今年一杯のイヤなことをさっぱり忘れて新たな年を気持ちよく迎えられるのは良いことです。
忘年会は、飲み騒ぐことに意味があるのではなく、忘れる価値を見いだすことに意味があって始まったことではないでしょうか?
高齢者(私自身)の物忘れ加速を言祝ぎながら今年のコラム納めとします。
来年もよろしくお願いします。

マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)

ここで、Dec 19, 2014「国際運動の功罪3」前後で連載していたマスコミの信用性に戻します。
投票直後の報道を見ると、争点がないので投票しても仕方がないかのように煽っていたことに触れないで、投票率が下がったと強調している一方で、(与党圧勝と言っても)自民党の絶対的得票数が何万人減ったと大きな見出しの記事があります。
投票率減=投票総数が減れば得票絶対数が減るのは当たり前ですから、得票率で比べるべきものを得票数で書いているのです。
投票率を下げれば、組織票の占める比率の大きい公明・共産党の得票率が伸びるのは当然予想出来ますし、そのとおりの結果になりました。
見出しだけではなく、内容を見ると議席をある程度増やしている民主党の方が大きく得票総数を減らしているのに、それは記事の中の小さなデータ的記載でしかありません。
週刊誌の名誉毀損記事に関する裁判を見ると、見出しが過激だが内容を見ると客観的な記事になっているので、普通の読者が読めば合理的理解可能であると言うような評価がされていることがあります。
言わば過激な表現で読者を引きつけても内容さえ表題と矛盾したことを書いていれば良いと言わんばかりですから、これが大手マスコミのインチキっぽい報道を誘発して来たのかも知れません。
判例は表現の自由との兼ね合いもあって、慰藉料を払うほどの違法性がない・・刑事処罰するほどの違法性がないと言うだけであって、好ましい報道の仕方であるとお墨付きを与えたのではありません。
NHKも台湾現住民が日本統治に対する好意の念で取材に応じたのに、放送の方は如何に日本統治が酷かったかのテーマにされてしまっていたことが政治問題になったものですが、「画像編集の裁量性や取材者に対する損害賠償義務があるか否か」しか裁判のテーマにならなかったと思われます。
取材対対象者が番組内容に口出しする権利がないと言うことで(・・放送内容はフィクションがあっても放送者の自由?)NHK勝訴に終わったらしいですが、(その内判例時報等に乗るでしょうが・・まだ判決書きを見ていません)国民の正当な疑問は国営?のNHKが何のために巨額予算を使って、台湾統治が酷かったと言う報道番組を作る必要があるかだったのです。
そもそも、政治問題を裁判で決着しようとするのは筋違いです。
この辺は在特会の朝鮮人学校・(公園不法使用)問題では、ヘイトスピーチが強調されたマスコミ報道とは違い、裁判ではヘイトスピーチか否かについては直接問題にされなかったと言われているのも同様です。
日弁連の政治運動に対する高裁判決も白紙のお墨付きを得たのではなく、高度な自治権を有していることを勘案して違法とまでは言えないと言う判断であったと思われます。
刑事罰や損害賠償さえ命じられなければ、道で痰を吐いても良いし、出会った知人に挨拶しなくても良い国民レベルでないのと同じで、大手マスコミには求められる品格がある筈です。
国民レベルが高いので、姑息な宣伝・やり方でも、国民が騙されないから違法ではないと満足していいのはなく、国民の品格意識として「こんなことばかりしていて良いの!」と言う時代が来ているのですが、マスコミは市場選別を受けない限り好き勝手をやっていいいのでしょうか?
国民レベルを問題にしなくとも、名誉毀損・・違法性・刑事罰を求める判断とは違い「誇大広告・・羊頭狗肉・・内容と包装紙や宣伝とが違うじゃないか」と言う商道徳の観点から見ても、問題性が明らかではないでしょうか?
マスコミ報道を商品供給者としてチェックする視点・・・商人道・適正業務違反と言う視点からの裁判がなかったから、マスコミ報道に対する裁判が甘い結果になっているだけではないでしょうか?
吉田調書虚偽報道や慰安婦騒動を見ても分るように、民族全体が被害を受けていて個々人の被害がはっきりしない場合、個々人が被害者として訴訟が出来なかっただけで、個々人の総和としての民族の損害は計り知れません。
誇大広告その他被害者が社会全体=広範になって個々人の被害としては薄まっている場合、個々人が自分の被害だけしか賠償を求められない仕組みでは、コスト的に訴訟出来ないので、市場淘汰に任せると言って放置出来ません。
一般商品の場合にはレッセフェール・市場万能主義とは言いながらも薬品・食品・車・飛行機、原発その他あらゆる製品分野では製造過程の品質確保の規制を厳重にしている外、製造後リコールその他広告販売方法等に関しても不正競争防止法や独禁法・クラスアクション・懲罰的賠償等が発達しています。
マスコミ報道についても「商品供給」者としてみれば、一旦報道されてしまうと取り返しのつかない効果が発生してしまうものですから、何らかの現在法的規制があっても良い・・必要な分野ですが、思想表現関係は言論の自由との兼ね合いが難しいことを理由に手つかず・時代の進展に適合出来てない状態になっているに過ぎません。
言わば、近代法で確立された・思想表現の自由・言論の自由を悪用・濫用している状態です。
文化人の好きな「近代法の法理を守れ」と言う主張自体が、この面でも現在的修正を迫られているのに対応が遅れている実態を無視した意見であることが分ります。
自由主義経済・市場主義が、思想表現の自由と表裏一体で発達して来たことを思えば、商品供給や広告に関して事前事後の規制が許されるようになっているのに、マスメデイアの商品供給である思想表現についてだけ、(個人意見は商品供給にはならないでしょうが)何をしても自由・・名誉毀損や業務妨害でさえなければ放任と言うのでは片手落ちです。
マスコミは事実報道することに重要な使命があるのであって、一定方向に向けて情報操作して良い社会合意があるのではなく、規制が追いついていないに過ぎません。

民意無視集団の帰結

2014ー12ー23の「12月14日総選挙と民意3」前後のシリーズ以来、民意無視のマスコミや政治家を批判してきましたが、政党に限らず民意無視の政治家個人も淘汰されて行くべきです。
旧社会党は「民意がどうの」と反対ばかりしていたのに、実際には民意をバカにして来た結果、ジリ貧になって社民党と名称を変えましたが、それでも漸く政党条件を満たす程度がやっとの政党になっています。
今回の総選挙では選挙区では沖縄選挙区で一人しか当選せず、これに九州で比例復活が一人の2人当選しただけでした。
定数495人中2人しか当選しないのでは「国民の意思」の代表と言っても、結果が証明しているのではないでしょうか?(前回も2人だけですからこれが実態でしょう)
まして唯一の選挙区当選したのが沖縄と言うのでは、日本民族全体の代表と言うには大分遠い(沖縄地域代表?)主張を長年していると言えませんか。

社民党の今回選挙での公約を社民党のオフィシャルウエブから引用しました。

社民党4つの約束
約束1 アベノミクスによる生活破壊を許さず、拡大した格差を是正します

約束2 「戦争できる国」に向かう集団的自衛権行使は認めず、平和憲法を守ります

約束3 原発再稼働は認めず、脱原発社会の実現目指し再生可能エネルギーを促進します

約束4 TPP参加に反対し、農林水産業と地域社会を守ります

以上が社民党の公約ですが、この支持をしたのが、全国で2人だけとは少な過ぎませんか?
日米安保反対→基地闘争に特化していた結果、反基地闘争意識の残った地盤が沖縄限定になって行ったと見るべきでしょうか?
(列島内に多くの米軍基地がありますが・・何故沖縄だけ反基地の声が大きいのか・・基地の大きさだけでしょうか?)
韓国の要求拡大に堪忍袋の緒が切れて「いい加減にしろ!」となったのが昨今の日韓関係ですが、(中国の後押しを受けた?)沖縄の要求に対する許容枠も限度が見えて来た「・・いい加減にしてくれ・・」と言う国民感情が芽生え始めたのが今回の衆議院選挙とこれに先立つ県知事選の結果です。
数日前、沖縄知事が上京したものの、政府要人との面会すら出来ずに終わったことや、沖縄関連予算の大判振る舞いを見直すニュアンスの政府高官発言が目立って来たことが国民の空気変化を表しています。
韓国が逆ギレして反日運動を世界大に拡大して行った結果、取り返しのつかない嫌韓感情を日本人に定着させてしまったように、沖縄がこの機会に反日闘争→中国寄りにシフトして行くのかを注視して行くことになります。
中国や反日組織にとっては、本土と沖縄の感情もつれの激化は最も望んでいるところでしょうが、沖縄県民が情報操作に惑わされずに自制出来るかの重要な選択が始まろうとしています。
日弁連は、どうでしょうか?
公的活動をしているものの、強制加入団体であって国民による信任を直接必要としていません。
それどころか朝日新聞のような不買運動・市場による矯正に直面することすらもないので、最強の制度下にあります。
大学学生自治会を過激集団が牛耳ったままでも、大学制度全体の地位低下・大学が倒産しない限り、是正作用が働かない現実をNovember 23, 2014「日弁連と政治2」で書いたことがありますが、似たような状況です。
この強さに比例して何をやっていても政党やマスコミのように外部からの是正作用が働かない点は一種の弱点でもあります。
日弁連は国内唯一の強制加入団体・独占団体(・・各地単位会も東京を除いて地域独占ですから似たような傾向)ですから、競合する団体がないことから、朝日から読売〜産経へと乗り換える選択肢すらありません。
国民意見による選択・修正がないので、強固な自治権のもとでは余程自制しないと、却って傷が深くなってしまう危険性があります。
批判が許されない独裁政権は、外見上強く見えますが、その代わり柔軟性に欠けているのである日ぽっきりと折れるか内部から崩壊するのが普通です。
デパートやスーパーの利便性がなくなるとコンビニに負けて行くのですが、弁護士の場合、政治的意見と日常業務処理能力とはまるで関係がないので、市場淘汰のリスクがありません。
外科医がどんな政治意見を持っていても手術の成功率は同じですし、コックであれ何であれ職人系はそう言うものです。
(このことは、逆から言えば弁護士団体が業務に関係のない特定政治意見で頑張る必要がないのに頑張っている・・趣味の世界であることをあらわしています)
学生自治会をどんな過激派が牛耳ろうとも、大学教育レベル・・大学の浮沈に関係がないのと同じような関係です。
国民遊離した政治意見ばかり発表して運動していても、代議士と違って法律を作る権力もなく、何の強制力もないので、国民がこれに取り合わなければ日本にとって何の実害もありませんし、構成員弁護士も日常業務に何らの影響もありません。
影響がなくなれば、今の全学連が何を主張しているか殆どの国民が知らないように日弁連やマスコミが何を言っても国民は気にしなくても良いことです。
ただ国際的反日宣伝運動をされると日本民族にとって不利益なことですから、これをどうするかです。
韓国や中国政府がいくら反日宣伝をやっても「そう言う国」と言う評価が定着していて、今では世界が本気で相手にしなくなっています。
例えば、集団自衛権の前向き検討や靖国参拝を→「軍国主義復活」と言う中国や韓国の主張をまじめに信用している国が世界に1つもないのではないでしょうか?
これをそのまま「アジアで孤立する」と宣伝しているのは、日本マスコミとそこに出たい学者文化人くらいの印象です。
日本マスコミも中韓同類(中韓の宣伝別働隊?)だと世界中が見てくれるようになるのを待つしかないのでしょうし、朝日新聞の度重なるねつ造?誤報道を見ていると、日本マスコミによる日本批判があっても「またか?」とする国際評価がその内定着して行きそうな雰囲気です。
「財政赤字が大変だ」と言う偏った(変な)報道も国際経済市場では相手にされていません。
ただ、マスコミは世界各地に大量の駐在員を置き切れないので、(数人置いたくらいでは独自調査する能力がないので)各地マスコミの意見をそのまま転載または翻訳するだけの仕組みは今後も変わらないでしょうが、購買数が激減して行けば海外の信用も落ちて行くようになるでしょう。
日弁連や単位会がどんな政治運動をしても、弁護士の日常業務には関係がないと言えますが、偏った変な集団と言うレッテルが貼られると新規参入者のレベルがドンドン低下して行くリスクがありますので、やはり社会で尊敬される集団であり続けたいものです。

総選挙と戦後政策の総決算4

秋風どころか木枯らしが身に凍みる寒さ・・中韓の脅威(中国は武力でじかに脅してくるし、韓国は世界に向けて日本批判・・情報と武力の双方向での攻撃)を実感している国民としては非武装平和論・薄着のままが良いと言われても納得の行かない人が多かったでしょう。
夏が過ぎて秋冬が来れば、洋服を入れ替えるのが当然のように、時代が変われば生き方を改めるのを憚る必要がありません。
誰が悪いか悪かったかではなく・・戦争に負けた以上は敗戦直後アメリカの言うとおりに従うしかなかった・・何を言われてもされても「御無理御尤も」の時代があったことを批判しても始まりません。
今や時代が変わった・・夏服では無理になったから、敗戦当時の行動様式は押し入れに片付けておくべきと言うことですから、節操を守るか否かの問題ではありません。
季節・・時代が変わったのに、なお夏服が良いと誤摩化し強弁し続けて寒いのに薄着をさせられていると風邪をひく被害が出ますので罪なことです。
中韓の激しい攻勢で国防・自衛の(宣伝戦を含めて)必要があるか否かが争点になっている最中に選挙になった以上は、(これに頰っ被りして「争点がない」とするのがマスコミの宣伝です)普段からの非武装平和・抽象論を具体的現実に当てはめて、非武装論によればどう対応すべきであったかの具体的な適用を正面から戦わせるべきが、民主主義国家のあり方です。
戦後パラダイムの揺らぎの始まりと言えば、非武装平和論者は今になって「憲法9条をノーベル平和賞候補に!」と言う運動を始めました。
憲法9条は日本の再軍備を禁止して日本の再起を阻止し、永久的に隷属化させるアメリカの目的で創設したものです。
自分の軍隊を持ってはいけないと規定され・条件付けられている独立民族が、世界のどこにあるでしょうか?
この条件をのまないと独立を認めないと言うのでは「永久的にアメリカに従属すべし」と言われているのと同じであって、言わば独立とは名ばかりとなります。
仮に民族自立を否定するために自衛力を持てないようにされた民族の憲法がノーベル平和賞になるならば、中国軍に支配されて自分の軍を持てないために過酷な弾圧をされている・・中国軍によるチベット民族抑圧行為・ウイグル族抑圧行為もノーベル平和賞となります。
中国政府は大喜びで、このノーベル賞受賞運動を応援しているのでしょうか。
その内集団自衛権禁止を決めていた閣議決定も(イグ?)ノーベル賞候補にしようとなるのでしょうか?
アメリカ占領軍に強制されていたものを後生大事にしていた挙げ句に・・非武装論の分が悪くなって来ると、もっと大きな権威を借りて来るためにノーベル賞候補に担ぎ上げようとなったように見えます。
「近代刑法の法理違反」と言うブランド強調同様に、文化人が舶来思想を有り難がって宣伝する延長・・焼き直しではないでしょうか?
そんな誤摩化しをしているよりも、自説が正しいと思うならば、国民に分るように日本語で非武装論ならばどのようなメリットがあるのかについて具体的に説明すべきではないでしょうか?
非武装論者の基本的立場は、安倍政権の施策・・秘密保護法や集団自衛権解釈変更が「国民の理解を得られていない」と言うものでしたが、折角民意を問うべき総選挙で何故争点にして訴えなかったのか不思議です。
自民党内でも、増税を求める勢力が多かったのですが、解散が決まるとイキナリそれまでの増税要求を引っ込めたまま何の釈明もせずに知らんぷりで(マスコミ同様に争点がないかのように振る舞って)選挙をしていました。
身を捨てても国家百年大計のために増税べきだと言うならば、選挙でそのとおり訴えれば「国士」です。
ところが選挙になると黙ってしまうのでは、選挙がないことを前提に安全地帯で言いたいことを言って来ただけ・・悪く言えば政権転覆策動をして来ただけじゃないの?となります。
増税論は長期的効能には諸論がある(私は以前から次世代に債務を残して言いのかと言う主張には反対しています)としても、当面の経済現象で見ればマイナス効果があること明らか・・経済失速するのが明白ですから、結果的・外形的に安倍政権潰しを前提としていたことになります。
選挙さえなければ現政権がつぶれても、自民党内で政権たらい回しすれば良いから増税論者は自分の代議士の地位に関係がないと言う政界の動きだったように見えます。
ところが、安倍氏によって解散が断行されて選挙になると増税論者は自己保身に戻り、増税断行論を引っ込めてしまいました。
・・日頃の自己主張の信を問うのが選挙であり民主主義の根本ですから、非武装論者が小笠原諸島海域での略奪漁業問題に対する意見を言うべきだったのと同様に、増税推進論者は増税すれば日本経済にどう言う好影響を与えるかについて、具体的に主張すべきでした。
選挙になるとイキナリ増税主張を引っ込める(国民は馬鹿だから騙せば良いと言う)政治家は信用出来ないので、与野党を問わずにその内淘汰されて行くべきでしょう。
今回の「争点なき選挙」のマスコミ大宣伝は、反安倍政権で共通する与野党勢力の争点隠しの期待を背景にしていたことになります。

12月14日総選挙と戦後政策の総決算3

激しい反日運動を中韓両国にけしかけることによって、アメリカによるアジア分断政策は成功しましたが、何かをうまいことをすれば必ずその代償を払わねばなりません。
靖国参拝批判から慰安婦騒動・南京大虐殺へと日本攻撃批判が激しくなり過ぎたことによって、これに対する逆作用心理が日本社会で高まります。
第二次世界大戦は本当は何だったかについて、国民的大関心を呼ぶようになったのは自然の勢いです。
その結果、占領政治によって封印されて来たアメリカに都合の悪い真実・史実を隠して・・でっち上げ歴史教育が行なわれて来たことが徐々に明らかになりつつあります。
第二次政界大戦の原因・・・どちらが戦争をしたがっていたのか・・戦争責任はどちらにあったのかも、占領軍に逆らえない教育やマスコミが隠していたことについても、欧米での当時のデータ等がネット報道の充実によって国民一般に明らかになって来ました。
「価値観外交に頼る危険性7(オレンジ計画から排日移民法)」Published January 31, 2014のコラムで、アメリカは長期計画で日本を戦争に引きずり込もうとして来たことを紹介したことがあります。
戦争中の戦時犯罪についても、・・アメリカの戦時国際法違反・・日本民衆を大虐殺して来た国が裁判などする権利があるのか・・掘り起こす気運が盛り上がって来ました。
原爆に限らず一般民家を焼夷弾攻撃をしたアメリカ軍の悪逆非道ぶりをこのコラムで繰り返し書いてきました。
慰安婦問題を韓国がヨーロッパでも大宣伝したことによって、ヨーロッパ戦線でのアメリカ軍による性犯罪被害についても、今まで黙っていた西欧でも掘り起こし・・静かに注目を浴びるようになり、アメリカは困りはじめました。
韓国や中国が日本軍をナチスバリだと批判し始めたことから、ナチスによるホロコーストも本当だったか・・ゼロではないにしても誇大宣伝だったのではないか?などの問題が脚光を浴びて来ると・・ユダヤ系自体が焦り始めました。
日本の戦争責任を今更大きな声で言い出したことによって、全ての分野でアメリカとユダヤ系がでっち上げた戦後秩序のいかさま性への疑問がわき起こりつつあります。
時あたかも、アメリカは世界中で何もかもうまく行かない・・オバマの無策・無能というよりは、アメリカによる力による不正義な行為が通用しなくなり始めて来たのがここ数年の傾向です。
この大事なときに中韓を背後で唆して忠実な同盟国である日本非難させてしまったことも、振り返れば無策・無能力の象徴的大失策だったように見えます。
日本は本来持って生まれた誠実な行動を通じて着々と世界に友人・味方を増やしていますので、今や日本人に対して悪口を言いふらす方が信用を失うような状況です。
日本人は当面正面から攻撃して来る中韓を相手に怒っていますが、その背後で中韓をけしかけているアメリカの陰を殆どの人が感じています。
アメリカによる腕力に任せた無茶な正義が世界中で通用しなくなり、あちこちで収拾がつかなくなりつつある状況で、アジアで最も頼りになる日本を敢えて敵に回す余裕はあったのでしょうか?
日本人がこぞって怒り出したので、韓国の噓800にアメリカは付き合っていられなくなって来たようですが、日本人の怒りは残ります。
今更、アメリカは日本敵視政策をやって日本を台頭して来る中国陣営に追いやるメリットがないでしょうから、トンだ火遊びをしてしまったことになります。
日本人は慎み深いので面と向かって何も言いませんが、アメリカは日本に対してこの負い目(日本人の怒り→占領政治に対する見直し)を抱えて行くことになります。
応仁の乱以降中央の威令が届かなくなると、我が国で各地大小名が武装強化に励んだようにアメリカの威令が揺らぎ始めるとある程度自衛して行くべきか、従来どおり非武装平和論・・「周辺国の正義感に頼っています」とノー天気なお題目を唱えて小笠原での珊瑚強奪行為が行なわれても抗議すら出来ずに、「正しい歴史を直視しろ」と中韓に言われては「謝り続けて行くべき」かを決めなければならない時期が来ています。
この段階で行なわれた総選挙は、まさに戦後秩序の変革期にあたって、これから日本がどのような基本精神で対すべきかこそが重要テーマであったとおもいます。
・・アメリカの実力低下にあわせてその補完勢力として自主防衛力を引き上げつつ、周辺国の横暴に対して是是非で対処しつつ様子を見て行くべきか、韓国のように中国に露骨にすり寄るべきか?あるいはこの約2年間安倍政権の採用した中韓を除く周辺国との友好関係を強化して集団自衛権行使の制約を取り払って周辺国との協力関係を構築して自衛力を補完して行く政策選択を信任するか否かを決める大事な選挙でした。
上記選択に関する国民意思が明らかになっているので、諸外国の「公正と信義」に頼ると言う名目で謝り続ける国策を主導して来た勢力にとっては、方針変更するのは都合が悪いので頰っ被りして「争点がない」と誤摩化す方法を採用したように見えます。
(夏が過ぎて秋が来たかどうかすら分らない・・時代の大変革期が来ていることに気がつかないフリをしているのでしょう)
古来から、「桐一葉(ひとは)落ちて天下の秋を知る」(『淮南子(えなんじ)』)と言いますが・・非武装平和論者が贔屓にしている中韓による激しい日本批判攻撃によって時代の変わり目が来ていることを、教えてくれたのは、皮肉な巡り合わせです。
若い頃に(坪内逍遥作だったかな?)の同名の歌舞伎を見たことがありますが、ネットでしらべてみると、国立劇場開場一周年記念事業の出し物として昭和42年にみたことが分りました。
東京地裁で午前中に弁論があるときには、終了後時間・演し物があえば国立劇場や歌舞伎座等の歌舞伎や日生劇場・演舞場等の演劇を見ることにしていますが、(勿論中断時期もあります)以来約45年以上の星霜を重ねていることになります。

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