ネット情報氾濫(拡散)や炎上と民意

余命3年の記事を昨日引用しましたが、兵役改正法自体の具体的記述がなく民団での説明を前提にしているようなので、これまで私が紹介してきたのと同じ民団情報(営利活動要件)を基礎にした紹介や意見のように見えます。
このコラムで引用してきた民団情報(営利活動要件も書いています)を基礎にする場合、在日が実際に兵役義務を負うような場合はほとんどなさそうに思えますが、どうして在日が(日本人にとって)大変な事態になるのでしょうか?
在日が危険な存在だ!と強調したい人々が共感意識を確認するための場を提供している・余命3年の結論的意見が好きで共鳴したいから共鳴している・・その結果ネット拡散している人たちにとっては、兵役法改正による危機意識の表現は景気付けみたいなもので因果関係があるかどうかなど問題にしていないという場合(開き直り?)もあるでしょう。
もしも兵役法改正と在日の危険性とは元々(因果)関係ないよ!というならば、兵役法改正によって在日がやばい!気をつけろ!という論理を使うのは、一種のフェイクではないでしょうか?
前回米大統領選挙時にフェイクニュースをそのまま信じた人がその気になってどこかの店を襲った事件がありましたが、嘘を承知で気炎を上げたいだけという人ばかりでなく、在日は本国の指令によって破壊活動などする危険な人ばかりだと思い込み在日を襲ったり嫌がらせをするようになると大変です。
こうしてみると因果関係のない結論主張で何が悪いという場合。いわゆるヘイトスピーチに近い性質を帯びるのではないでしょうか?
昨日紹介した余命3年記事賛同者の人たちが、事実の有無を問題にしない人たち中心ではなく兵役法改正と余命3年記事の結論との間に合理的な因果関係の説明可能という反論があるかもしれません。
私の読み方がおかしいのか?人によって読み方次第です。
ところでネット拡散やいわゆる炎上が国民大多数の賛同と関係ないでしょう。
新聞等の媒体は支持されないと長期的には売れなくなり広告収入も減りますので徐々に是正されますが、ネット発信はさほどコストがかからないので国民全体の支持率と比例しない・・市場淘汰を受けない点が従来型表現との違いです。
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

【令和元年6月1日現在(確定値)】
<日本人人口> 1億2387万人3千人で,前年同月に比べ減少 ▲45万8千人 (▲0.37%)

http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_2_3.html
によると第19回参議院選挙有権者数は101,236,029人ですから、
人口の約6分の5が成人です。
その1%未満の読者でも100万を超えて、十分満足を得られるしネットとしては大盛況でしょう。
コア支持層向けの偏った意見であればあるほど数十万部程度は売れるべスト?セラー本になり得ます。
森かけ問題等が国民関心を呼んでいたことと、国政を委ねる基準とどのような関係があると国民が考えているかは別問題であったことが直後の総選挙で示されました。
メデイア誘導の効力とトータル国民意思は大きな違いがあります。
サイレントマジョリティー論を何回か書いてきましたが、ある意見が発表されてもバカバカしくて誰も反論しない・・黙殺する人が90%以上の場合でも、論理よりもまず結論先にありきで共鳴する人が数%以上いる会合などで「そうだそうだ」という応援演説の大合唱になることがあります。
バカバカしくて今後そういう集会に出なくなる人が多くなる・・大学自治会などが形骸化していった歴史を紹介してきましたが、ネット社会もそういう傾向が起きていますので流布しているあるいは炎上(と言っても数字的にはホンの僅かな苦情集中程度でしょう・例えば数百件の苦情電話が集中すると日常業務に支障が出るので困るのを利用していることが多い?)しているからといって、過半国民が支持していることと関係ありません。
デモ行動も同様で、国民支持率1%でも論理上100万以上の一点集中可能です。
(成田空港開設反対運動で旧社会党が一坪地主運動を展開しましたが、国策重要政策の現地工事の可否について住民投票で決する場合の問題点です)
成人人口には病者等を含む他、全国動員は資金的に困難ですので都内デモ・・首都圏の場合約3千万人口の6分の5=成人2500万の0、1%動員でも2、5万人動員です。
(千葉駅東京間往復交通費約1200円ですが、千葉市から東京に近い順に人口密度が高いので平均的にはその半分程度のコストの人が多い上に、かなりの人は通勤定期券を持っているのでデモ参加交通費実費は通勤先までのコースから外れるデモ地点までのちょっとした地下鉄運賃程度のコスト負担で済むでしょう)
数千人といえばかなりの規模のデモですが、都内での数千人程度のデモ動員は首都圏成人人口の0、01%=1万人に一人でしかありません。
5〜10名のネット拡散者が派手にやっている程度では、成人人口1億国民のどれだけの支持を背景にしているのか不明です。
このコラムを読んで、私の疑問に納得する人も納得しない人もそれぞれでしょうが、多くの人は意見表明しないままになるのが普通です。
たまたまネット発信の好きな人が特定思想傾向が高いとその傾向のネット世論らしきものが形成されるだけで、社会全体の世論を表すものではありません。
多くの賛同者・読者購買層がいてこそ印刷媒体を発行できた時代と違い、(日本が豊かになってちょっとした資金で自費出版できる時代がありましたが・・)情報発信に要する経済的ハードルが低くなる一方で、ネット社会到来誰の支持もなくともパソコン・スマホ1台で発信したければ誰でも何でも発信できる時代になりました。
千万単位の支持を得るには、公約数的歯切れの悪い意見にならざるを得ませんが、数十万〜100万規模のコアな支持者獲得を狙った刺激の強い意見ほど発信力を得ていきます。
誰でも着られる個性のない洋服・アクセサリーでなく、豊かな消費社会になればなるほど特定嗜好をターゲットにした専門化が進むのと同じです。

民主主義の基礎3・情報の正確性1

今回のアメリカ大統領選の事前報道でも同じですが、日本に伝わるマスコミ報道を前提に判断していると本当のアメリカ人の心・・民意を読み間違えます。
韓国がマスコミに出ない日本人の気持ちを読み間違えて取り返しのつかない大失策をしてしまったのと同じで、日本もマスコミ報道に頼ると痛い目にあいます。
マスコミ報道では、安倍総理とクリントン氏との選挙期間中の会談ばかり取り上げていましたが、幸い安倍政権は水面下でトランプ氏にも面会要望を事前に出していてトランプ氏の都合で会えなかっただけだったたらしく、(むしろ貸しがあった結果?)世界で真っ先にトランプ氏との会談予定が入ったと報道されています。
安倍政権は外務省ルートだけに頼らずに独自情報収集に努力していたと言われます。
1両日の株式や円相場の乱高下を見ると、日本のマスコミの予想どおりトランプ氏当選の場合の株式の「売り」「円買い」を仕掛けていた大方のプロ?はみんな大損害を出したようです。
トランプ氏に対する否定評価のマスコミに従って、トランプ氏当選結果で想定どおり即時の売り仕掛けで東証日経平均株価は約1000円も下がり円も急騰しましたが、日本市場終了後に始まったアメリカ市場では逆の動きでしたので、(・・トランプ氏の穏健な発言があったようですが、選挙前からある程度こう言う事態は読み込まれていた筈です・・アメリカのトレーダー・プロはマスコミに踊らされずに冷静に実態を読んでいたことになります)その翌日の日本市場ではあわてて買いに戻り1000円以上値上がりで往復2000円の読み間違いとなって大損の結果に終わったようです。
(それ程の損がないようですが、解説によるとプロは売るときは買い予約を入れ、買うときは売り予約を入れるのが普通ですので、その読み違いで2倍の損になるようです)大損らしいです。
トレーダーが恥をかき、大損をした程度では金銭次元に留まるので、慰安婦騒動で韓国が日本マスコミを信用し過ぎて日本人の奥底の心理を読み間違って受けたダメージほどの大損害ではないにしても、経済界も世界から直接データを仕入れる・・日本マスコミ報道に頼る姿勢を改める必要を感じたでしょう。
大手マスコミの偏向を日頃主張している人を含めた政治経済系評論家も藤井厳喜氏を除いて殆どの人がクリントン有利を前提に、しかもトランプ氏が当選すれば世界経済が大変なことになると言う前提の議論するしかなかった弊害をどうすべきかが重要です。
金融の場合、その日のうちに株式・為替相場に結果が出ますので、成果が分りよくて良いです。
政治の読み間違いの損失は複合的にじんわりと出て来ますので、マスコミが誤った報道をし、評論家がそれを前提に議論を重ねる弊害は大きなモノがあります。
第一次世界大戦後じんわり日本包囲網が始まった世界政治の動きをどう読み解くか・希望的観測と違った結果を見て「欧州情勢は複雑怪奇」と言うしかなかった日本の世界情勢把握力によって日本が戦争に引きずり込まれた教訓を学ぶべきです。
慰安婦騒動での朝日新聞の検証でも「角度付けが過ぎる」と言う批判があったことを紹介しましたが、今回のアメリカ大統領選挙報道では、(これを反省せずに)大手マスコミは客観事実報道をしないで、アメリカの支配的マスコミの偏見(国際秩序や社会のあり方がこうあるべきと言う1つの意見)をそのまま転送するような「事実?」報道をしていたことが今回もよく分りました。
11月13日あたりからトランプ氏の支持者には中高所得層に多いと言う報道がされるようになりましたが、選挙前は移民に職を奪われる白人負け組貧困層が非合理な不満を言っているだけと言う印象的報道ばかりでした。
事前報道では、双方共に低レベル主張ばかりでアメリカ国民の多くがこんなことで満足しているのか?何故支持するようになったか・・聞いていると余程アメリカ人レベルが最低の印象を受けますが、プロたる日本の政治評論家としてはそんな漫画っぽいことが本当にあるのかと言う疑問を持つべきだったでしょう。
我々事件処理でも相手弁護士の主張があまりにもレベルが低いように見える場合・・こちらの方でスジの読み違いがないか・・何か隠し球を持っていないか最悪事態を想定して検討するのが普通です。
これだけ接戦になるにはマスコミ報道にない合理的な主張が隠れていないかという疑問を持った人がいなかったのが不思議です。
選挙前に中間層がトランプ氏を支持していると言う分析報道を、どこのメデイアもあるいは政治評論家も何故一切しなかったのか・・現場報告に読み違いがないかの疑問を言う意見がなかったことの疑問です。
今頃になって、中高所得層が支持していたと報道するのでは、アメリカ支配的メデイアが選挙前に如何にも「トランプ氏を支持するのはみっともない」と言う印象操作をして選挙を特定方向へ誘導しようとしていたのを、みんなで鵜呑みにしていただけではないか?疑問を抱くのが普通でしょう。
日本が敗戦してから、ルーズベルトがコミンテルンに侵蝕されていたと解説してもトキ既に遅しです。
民主党のバラマキ政策が嫌われていると言う噂を私も個人的に聞いていましたが、肝腎の政策論争がマスコミでは報道されず(パラパラとこんな非常識なことを言っていると言う程度のマイナス評価に結びつく情報が出て来ますが・・)個人的中傷合戦ばかり大きく報道されていました。
政策面でヒラリー氏あるいは既成政党全部が批判対象になっていたので、これの論争になるのを避けるためにマスコミとの合作で低レベル中傷合戦に持ち込んでいた疑いがあります。
中高所得層の不満と言う報道を前提に私なりに考えると客観事実とかなり符合して来ます。
すなわちヒラリー氏・・何とか財団が金融街から巨額資金を得ていることから分るように、国際資本・グローバリストを富ませると共にバラマキ強調で貧困層への手当増額する政策です。
如何にも格差救済・・人権重視政党のようですが実質は逆でしょう。
民主党は人道・人権がどうのとキレイごとを言って移民をドンドン入れる→未熟練労働者=(中国に対抗するために)低賃金労働者を増やして行けば低賃金で食えない階層.民主党支持者が増えます。
その代わりフードスタンプ支給基準緩和や増額・・医療費免除〜保健制度完備(オバマケア)など社会保障政策を人権派として約束する・・一種のマッチポンプ政党です。
その財源としては、巨額献金を受けている法人税や資本所得税を上げないで逆に下げる→中高所得者の累進課税のカーブを引き上げ保険料負担増などで補充する政策です。
中国対抗のために2000年代に入って、共和党含めて民主党政権(既存政党が)がやって来たことは、移民受け入れ.低賃金化政策→中高所得者=サラリーマンに対する累進課税の強化=中間層に不利益で、貧困層と累進制が打ち止めになっている超高収入層にとって利益のある政策でした。
累進課税制度は中高所得者に不利に働くことを2003年に書いたことがあります。
累進課税制度は身を粉にして働く人はいくらうまく行っても長島のような人で1〜2億で、サラリーマンでは役員クラスまで言っても数千万円で打ち止めですが、資本所得はその何十〜何百倍も儲けられるが、累進制が課税対象が身体が資本と言う人の最高年収・3000万前後で終わってしまう仕組みがおかしいと言うことです。
サラリーマンが頑張って役員クラスになっても打ち止めになる3000万円が累進税率の最高所得でそれ以上になると税率が上がらない仕組み・・当時の税制・・では才能のある努力するサラリーマンには不利で、資本所得者には有利になること・食べる時間も惜しんで働いたり努力した人に報いるために逆に3000万までは累進税を課さないで、1億以上・・資本所得者に累進課税すべきだと01/18/03「55年体制7(税制2)で書いたことがあります。
トランプ氏支持層必死に働いて一応成功しているサラリーマン層の不満が爆発・・怒り(高学歴で企業内である程度成功していても勤務先の倒産その他で・・直ぐにも路上生活に転落する弱い立場)が(私の推測では)トランプ旋風の基礎らしいです。
日経新聞13日朝刊1面の記事は以下のとおりです。
「2008年リーマンショック以降の回復局面で収入が増えたのは2割でそれ以外は増えていない・・上位1%が全米所得の2割を独占している。
格差は第二次世界大戦前に逆戻りした。
年収20万ドル以上の所得者はクリントン氏よりもトランプ氏に票を投じた」
我が国で言えば、格差拡大反対を唱える野党系が賃金引き上げに熱心ではなく(・・累進カーブ強化に熱心・・労働者仲間同士の妬みを刺激するレベルの低い政党です)安倍政権が賃金引き揚げの音頭を取るようになって久しい・一見逆の関係が起きている原因がこれで分かります。
働く人を増やし、あるいは既存労働者の月収を2〜3万増やす政策は、生活保護費引き揚げや児童手当増額などの運動よりも健全ですが、それでは弱者の味方・・野党の主張が霞んでしまうから面白くないから(人道の立場から?)生活保護基準が低過ぎる、児童手当を上げろとかの主張ばかりです。
失業者が月15万〜20万でも働くようになると、正規雇用を総合した一人あたり全国平均賃金が下がりますが、個々人は生活保護を貰っているよりはその方が幸福ですし、児童手当などを5000円増やしてくれるよりも出勤日数が増え月収が数万増える方が良いでしょう。
働く人が増えると、生活保護支給基準を上げろとか児童手当を増やせと言う野党の出番が減るので、野党とマスコミは安倍政権の賃金アップ努力を冷ややかに見ていました。
アベノミクスでは実質賃金が下がっていると言うキャンペインを張っていましたが、(好景気が来て失業者が20万前後で働き始めパートに出る人が増えれば平均賃金が下がるのは当然です)このコラムで何回も批判を書いている内に最近その主張はマスコミに出なくなりました。
重要なのは平均賃金の上下ではなく、労働者の総収入が増えたか減ったかです。
アメリカ民主党や共和党・・従来政治家は労働者の総収入を減らしてフードスタンプ受給基準を緩和し、(アメリカでは、フードスタンプ利用の買い物客で賑わうウオールマートの従業員の多くがフードスタンプ受給者であると言う報道を見たことがあります)社会保障を引き上げる・・比喩的に言えば総賃金支給を減らして(企業利益は高まります)国民を困らせておいて、その半分ほど還元して社会保障を増やしましょうと言うことですから、国民が怒るのです。
フードスタンプを貰う権利より、自分の働いた賃金で生活したい人の方が多いでしょう。
国民は社会保障費の増額よりは労働収入を増やして欲しいのです。
アメリカでの格差反対論は中高所得者との格差ではなく超高額所得者との格差不満を言っているのに、(上記新聞記事にある上位1%とは数千万程度の所得者ではありません)中高所得に対する課税強化で誤摩化すから中高所得者が怒っている図式が分りました。

情報格差論3とダイジェスト版の重要性1

財務省による財政赤字論や保険赤字関係で言葉のすり替え・・「愚昧な国民を誤摩化していれば良い」式の報道が横行している件に戻します。
このコラムでは、繰り返し社共など革新系(と称する超保守主義・・ここでも「革新系」と言う言葉のすり替えがあります)政党支持者にはエリート意識が強く、「愚昧な庶民を指導する」意識の強い人が多いと書いてきました。
(東大卒や弁護士や医師など専門職を議員にするのが好きなのもその現れです・・安倍総理が東大を出ていないことを揶揄するマスコミが多かったことも記憶に新しいでしょう)
民主党の本籍は社会党かな?自分たちのエリート意識が強い(逆から見れば国民を愚昧と規定している)ので(愚昧な国民の意見に従っていると国が大変なことになると言う)財務省の宣伝にのって、民主党野田政権はあっさり増税決定してしまいました。
このときにこのコラムでも批判しましたが、民主党が政権を獲得したときの総選挙では、増税反対論を展開していたのに、政権獲得後新たに民意を問うことなく増税法案を通してしまいました。
小沢氏については、いろんな立場からの批判が多いですが、民意を問わないままの増税反対の立場を一貫して民主党を離党したのは筋が通っています。
民主党は「民意など聞いていたらいつまでも増税出来ないから・・」と言う(国民をバカなものと決めつけた上で)反民主的思考で増税法案を多数決で決行したことは間違いがないでしょう。
エリ−ト意識に固まった民意無視の政党が民主党を名乗っているのは滑稽とい言えますが、その気になってみれば、こう言う逆のことは(中韓の日本批判の主張を見ればほぼ自分の悪い点を日本に置き換えて日本批判していることが多いことを見ても、)世の常と言えます。
確かに国民は正確なことを知らないと言われれば、政府審議会などの膨大な記録がそのまま開示されても、余程時間のある人しか丸ごと読んでいられません。
私の関係している審議会や公的委員会でも、委員会によっては事前に10数センチもあるような分厚い資料・記録が2冊ほど届けられることがざらにあります。
その上で何回も議論を尽くして結論に至るのですから、これが丸ごと開示されても部外者が読むだけでも大変ですし、しかも専門的知識がないと理解出来ない議論もあります。
私の場合で言えば法律関係ならば、読むこと自体に苦労がなくとも、仕事に必要な論文ならば読みますが、膨大な資料を10数時間かけて余暇を潰してまで読む気がしません。
まして専門外の原子力発電所事故などの議事録や関係資料を開示されても、これを読み理解するのは困難です。
国民が愚昧だからではなく、それぞれ専門外のことは余暇時間で読むしかないし、(私は自宅に帰ってからこのコラムを書いているので、ソースは、新聞記事・ネット情報程度しか読む時間がありません・・健康寿命に関しては正月休みで時間があったので、データに入ってみる時間があっただけです)一読しても分らないのが普通です。
全ての分野で専門化が進んでいる現在では、国民に情報を伝達すべきマスコミの役割は難しいことは分らないだろうとしまっておくのではなく、◯◯白書などが公開された場合、専門外の人があまり時間をかけずに理解し易いようにダイジェスト版を作って理解し易くして公開する役割を求められていることになります。
各種スポーツやフィギヤスケート等を見ていると解説者がいて,これを繰り返し聞いているうちにその道の採点ルールや、見るべき勘所が分ってきます
専門家の議論をそのまま報道しても専門外の人は時間もないし読んで直ぐ分る訳がないのは確かですが、これは国民レベルが低いからではなく、素人に分るように噛み砕いて要約して時間を取らずに理解出来るようなダイジェスト版を作る努力・・サービス精神の問題です。
素人の国民には分る訳がない・・マスコミが世論を誘導して指導してやると言う高見にいる事自体が、スポーツ関係の記者よりもサービス意識がかなり遅れていることになります。
国民に分る訳がない・・だから入手した情報のうちの重要部分は開示する必要がないと言う開き直り意見ならば「民に知らしむべからず依らしむべし」と言うスタンスの時代とどう違うのかとなります。
難しい専門用語を噛み砕いてダイジェスト出来る人が初めて専門用語の理解者ですから、マスコミ界挙げてダイジェスト版すら作る能力がない・間違ったダイジェスト版しか作れないとすれば、マスコミ界自身本当の理解が出来ていないことになります。
遣唐使や明治維新で少数のエリート派遣で文化の普及に成功できたのは、彼らがきちんと理解し、(空海その他現地エリートよりも優秀だったと言われています)文物を持ち帰り、すぐに的確な日本語を作り翻訳して何百何万倍にも情報を拡散して来た点にあります。
こう言う伝統があるので,日本国民は自分で行かなくとも、いくらでも翻訳情報が入る・・朝鮮日報であれ・新華社通信・人民日報であれ、すぐに翻訳されてネットにのります・・留学熱が下がる一方です。
欧米植民地になった諸外国では明示日本よりも早くから、現地旧支配層の子弟が宗主国へ留学していましたが、彼らは自分だけが欧米文化を素晴らしいと関心しているだけで、自国へ持ち帰って、自国文字に変換して拡散する努力しなかった点が何百年も植民地支配から脱せなかった大きな違いです。
大分前にシンガポールその他では、「日本人の殆どが英語を話せないのを文盲かと誤解している人が多い」と言われていたくらいで、自国文字に変換する意識が乏しいのです。
中韓で流通している社会政治関連熟語は、明治日本が欧米熟語を漢字に変換した熟語を使っている・・現在では日本から中国が漢字を輸入している逆転現象になっています。

情報格差論2とマスコミの存在意義1

情報量が多く正確である方がより上質・正確な判断が可能であることは昨日紹介した政治経済学者加藤氏の言うそのとおりですが、逆から言えば、この論理はマスコミ関係者が取得している情報を正確に国民に知らせていないこと・・情報格差があることが前提になります。
政府と国民の情報格差ならば定石の秘密主義の政府批判すれば足りますが、マスコミと国民との情報格差を前提する彼の論拠によれば、何故情報格差があるかこそが問われねばなりません。
そもそも、マスコミ・報道機関は国民に正確な情報を伝達するために存在し,情報収集しているのです・・自分が情報独占するためにあるのではありません。
国民に速やかに伝達する役割を、前提に記者会見など特別な情報源接近が許されているのです。
オリンピック等でも報道機関用の特別サ−ビス・入国審査も別にあります。
NHKや新聞社の社員が社員として派遣されて政治家等に接触して得た情報を局・会社に帰って上司に報告しないのは、背任行為です。
あるいは、取材によって企業情報を得た場合、この情報によって株式等の抜け駆け売買をするのは違法です。
個人の好奇心を満たすためではなく、国民に知らせる目的で記者会見場に入ったりして得た情報は国民資産であるべきですから、得た情報を特定グループ内で秘匿しないで国民に総べて開示すべきです。
記者の取材によって得た情報・資料は玉石混淆なので、取捨選択の必要はあるでしょうがし、膨大な情報の場合要約する必要があるでしょうが、要約と称して国民が知らねば判断出来ない情報を隠匿することは許されません・・。
必要情報を漏れなく開示している以上は、国益判断に必要な情報を国民も得ていることになります。
昨日紹介した経済政治学者の論法によれば、(マスコミと国民には大きな)情報格差がある=必要な情報が行き渡っていない・・マスコミの判定が正しい・・「大衆意見は間違いやすい」と言うならば、マスコミが得た情報を国民に十分に開示せずに秘匿している問題点をあぶり出しています。
政府や企業情報その他が公開されてマスコミは入手しているが、(入手していないならば国民との情報格差が生じません)国民には非公開にしている情報がある・・重要情報を自分たちマスコミ関係者だけが知っている。
「自分たちだけが判断に必要な正確な情報を知っているから自分たちの価値観判断に国民は黙って従うべき」と言うこと自体が許されません。
上記学者の意見はマスコミが情報源から得た情報を取捨選択して国民に部分開示していることを理由にすることになります。
この情報は国民に開示するとマズイという判断根拠・基準は何でしょうか?
判断に影響する「重要情報は、愚昧な国民に開示すると国益に反するから・・」と言うのでしょうか?
ちょうど政府が重要情報を国民に知らせるのを嫌がるのに対して、国民の判断権保障のために公開要求して批判しているマスコミが、開示不開示の判定「権限を自分たちに任せろ」と言うかのようです。
同じ国民の中で、マスコミ関係者だけが賢明で重要情報に接する権利があって、一般国民が重要情報を知っても有効利用出来ず害があるだけである・・国民は愚昧だから知らない方が良いと決めつける根拠を明らかにすべきでしょう。
民主国家とは重要基本決定を国民の判断に従う制度ですし、国民が判断するためには、上記政治学者の言うとおり政府と同じ情報を得ていないと合理的判断ができません。
政府決定などが、マスコミ意見にあわないと「国民の声を無視して・・」などと自分の意見が国民代表であるかのような表現が目立ちますが、マスコミが国民代表と言う思い込み(・・この辺は野党も同様です)があるのかも知れません。
マスコミが政府から情報を得れば、①国民が政府から得たことになるので、政府に対する情報非公開批判をしない・・マスコミの得た情報のうち重要部分を②国民に開放しない・・その結果②国民判断は間違っているから取るに足りない・・②国民の意見は「大衆・衆愚」意見としてこれを重視する政治家をオポチュニストとして批判すると言う図式のようです。
マスコミは上記において「国民」と言う概念を①ではマスコミを「国民」と僭称し、②の国民(2級国民?)には情報が行かなくても良いと言う区別をしています。
どう言う根拠でマスコミが重要情報を2級?国民に秘匿する権利があるのかが明らかになっていません。
この基準にまたもや「国民には情報が少ないから、重要情報を与えても国益を判断出来ない」と言うのでは同義反復・・循環論法になって論理とは言えません。
国益とは?
マスコミは日米条約時の秘密文書でさえ開示すべきだと迫っているのがマスコミの姿勢です。
(マスコミには、いわゆる西山記者事件あるいは特定秘密保護法批判姿勢が顕著です)
ところで、マスコミが必死になって非難している難民の受け入れ功罪論を例にとってみますと、難民や移民を受入れるか否のかを判断するにあたって、国民が知ってはいけないような特殊秘密情報があるとは到底考えられません。
日本の実態・・犯罪情報で言えば、日本人その他外国人犯罪検挙の場合国籍や本名を出していますが、在日犯罪の検挙に限定して国籍や本名を出さないようにしていますが、何故在日の犯罪や不祥事だけ国籍本名を出さないのかのマスコミ基準が明らかではありません。
移民や難民受入れ可否の論争に対して、こういうことを秘密にするのは、何の目的効果があるのでしょうか?
在日犯罪に関してマスコミが国民よりも詳細情報を得ているとしても、この情報のない一般国民が、外国人を受入れるべきかの議論をしてはいけないというほどの情報格差になるのでしょうか?
国民は正確な情報がないので在日犯罪を実態よりも多く感じているから反対しているに過ぎない・・国民は間違っていると言うならば逆に正確な情報を開示した方が在日のためになるのですから、犯人検挙情報に就いて在日犯罪だけ特別扱いしないで公開して正々堂々の議論をすれば良いことです。
保険赤字論に関しても、透析患者一人いくらかかるか,この高度医療が保険適用になるといくらコスト負担かなどの個別医療情報を開示しても国益に反するとは到底思えません。
イヤ全部開示しているが、国民には難しくて大目に見ても国民の数%しか理解出来ていない筈だから(頭の悪い)庶民多数意見など相手にしていられないと言うのでしょうか?
こうなって来ると、上記政治経済学者の基準とは違ってきます。
上記学者は国民のレベルが低いから間違うとは書いていません・・情報が少ないから間違う・・だから大衆意見に従う必要がない?と言う意見のようです。
結局根拠のないエリ−ト意識が、・・「これは重要情報から国民に知らせない方が良い」と言う暗黙の基準になっているように見えます。
国民はバカ過ぎて自分たちしか理解出来ない・・開示しても仕方がないと言う、国民愚昧論が基礎にあるのでしょうか?
難し過ぎる・・資料膨大の問題・ダイジェスト版の必要性については、明日以降書いて行きます。

大衆迎合主義の定義2(情報格差論1)

マスコミのなりふり構わない恣意的基準による言論抑圧が激しくなって来た根源を探ると「国際移動の自由保障→国家の障壁を出来るだけ低くする」思想破綻の危機感に行きつきます。
マスコミ=ユダヤ資本支配と言う図式に当てはめると、戦後米欧の腕力によってアラブの地に強引にイスラエルと言う人口国家を得たとは言え、危うい存在であることに変わりがないので、基本がさすらいの民族であるユダヤの利益・・国籍移動の自由と少数民族保護最大化こそが彼らの最大の関心事です。
いわゆるユダヤの世界支配、マスコミ支配の陰謀論・・彼らの国際移動自由化・金融支配の展望悪化→危機感が高まり、背に腹を変えられなくなって、自分のよって立つ表現の自由を露骨に抑圧する言論弾圧に向かっているのではないかと言う意見が現実味を帯びてきます。
民主党・弁護士会などは、自党の主張が通らないと直ぐに「国民大多数の意見を無視した◯◯を許さない」と言う傾向がありますが、民主党の支持率が10%もない中で「国民大多数」と標榜するのは、これも言葉の間違った用法です。
マスコミや文化人は自分の主張だけが正しいと信じているようで、これに合わない意見であれば、「国民大多数の声を無視」と言ったり、数で負けそうになると「大衆迎合主義」、裁判で自分が負けると「不当判決」と言うレッテルを貼っている言葉の意味を自由自在にすり変えている印象です。
言論の自由こそが存立の基礎であるマスコミが自己意見に合わない意見を「大衆迎合主義」「極右」あるいは「レイシスト」と言うレッテル張りで言論抑圧するのって自己矛盾ではないでしょうか?
このシリーズでは、言葉の定義をはっきりする必要性・・意味をずらして主張するのって嘘つきの始まりであることを書いています。
正確な情報提供・・これによる民意重視がマスコミの使命・存在意義と思えますが、マスコミが、・・恣意的基準を勝手に作って気にいらない思想表現を批判しているのではないと言うならば、大衆迎合主義と民意重視との違いの基準をはっきりさせるべきです。
合理的根拠のない区別・・恣意的基準でレッテル貼りをした上で、特定主張のみを非人道的であるかのような大批判宣伝・・洪水は、意見を平等に尊重・市場淘汰に任せるべきと言う現在の価値観・・表現の自由に対する真正面からの挑戦です。
基準をはっきりさせないレッテル貼りが激しくなると、マスコミだけが抑圧すべき言論認定権があるのか?と言う疑問を持つ人が増えて来るでしょう。
基準がないままレッテル貼りが横行すると、「マスコミが認める範囲しか言論表現の自由がない」と言う結果になりそうです。
そうなると、表現の自由に立脚するマスコミの存在意義がなくなってしまうので、そこまで本音を知られないように必死ですが、あまり恣意的言論抑圧を続けると結果から見ればそうならざるを得ません。
対中韓関係報道ではここ十数年報道基準の偏りがあまりにも露骨だったので、ネット批判によってフジテレビや朝日批判運動に直結してしまいました。
最近、西欧への難民殺到に対する国民反発とアメリカ大統領予備選でのトランプ氏などの躍進によって、大衆迎合批判・・極右躍進とかレイシスト、大衆迎合とかマスコミの気に入らない方向に対する批判が熾烈になる一方ですが・・熾烈になればなるほどマスコミが批判する大衆迎合主義と民意重視政治との「違いが何か」を放置出来なくなって来たようです。
2月5日の日経朝刊の29p経済教室に国際政治経済学者加藤創太氏が意見を書いていました。
最近アメリカ大統領選でのトランプ氏の人気・・オポチュニスト拡大は、「情報が正確でない」ときに起きるものだと言う意見でした。
(マスコミに気兼ねしているのでしょうか?「大衆人気重視は間違っている」前提で、何が間違いかの判定基準がなく、大衆意見が何故間違うのかの原因論です)
これによるとマスコミの期待する弾圧すべき大衆意見と重視すべき民意の違いを書いていません・・。
情報不足だから大衆は間違うと言うのですから、前提として大衆意見は間違っていることになるのでしょうか。
国民を愚昧だから無視すべきとか、逆の情報を与えた方が良いというのではなく、(そんなことを新聞に書けないでしょう)「正確な情報を与えないことが原因」と言うだけですから、財政赤字の正確な意味・・難民が来たときのプラスマイナスの効果・・など正確な情報隠蔽を正当化する理論ではありません。
彼の論理では、マスコミの方が情報量が多いから、判断に優越性がある・・言論弾圧すべき民意と重視すべき民意の区別判定能力があると言う結論までは書いてませんが、そう言う印象に持って行きたいようです。

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