報道機関の役割(政治家と専門家の役割相違)1

以下に紹介するフロリダの入港拒否の内容を見ると受け入れるとしても、フロリダ州民以外の下船・治療を認めないという自分勝手なものでした。
日本のクルーズ船対応ではそういうことを言わず、世界中の人たちの治療を最後まで見ていました。
日本では、強力指導力発揮する余地がない社会なのに、強力な司令塔設置要求・・低レベル社会で必要な米国基準を持ち込んでその通りやらないと批判すること自体がおかしいのです。
米国内で発生している多くのクルーズ船の結末を、日本メデイア(都合が悪くなったから?)は一切報道していません。
NHKをはじめとして日本メデイアが米国で日本政府が批判されているとして、鬼の首でも取ったように日本政府対応批判キャンペインを張っていたのを6月21日頃のコラムで引用しましたが、メデイアが客観状況の報道でなく政府批判という特定目的をまず設定しその方向でしか報道しない傾向があるように見えるのは問題です。
NHKに言わせれば、批判内容が不明だが、ともかく米国で批判報道が広がっているという客観事実のみを報道しているという言い訳が成り立ちそうです。
この論法は、朝日の慰安婦報道が世界に広まり、それが事実確認無しに既定事実になっていったのと同じ方式です。
報道機関が報道している場合は、それは事実であるかのようなすり替えがある・報道内容の吟味を経ないで大手が一旦流すとそれが事実のように国外メデイアもそのまま報道するあんちょこな姿勢があり、日本メデイアはそれは日本発の報道転載でしかないこと報道せずに「海外で日本やり方が批判されている」と抽象的報道する・・キャッチボールされる仕組みになっている恐ろしさです。
今回は1ヶ月後にほぼ同じ事例が米国で起きたので必然的に比較対照報道された結果、日本に対する誹謗中傷が止みました。
日本国内での安倍政権批判も根拠を失い静かになり続いて検察官定年延長問題に移りました。
その後のクルーズ船の動きや感染結果等が不明なので日付で新しそうな日付のネット記事を探して見るとせいぜい以下のような報道しかありません。
https://news.yahoo.co.jp/byline/abekasumi/20200402-00171007/

まだあったクルーズ船問題!4人死亡、感染者多数?の米ザーンダム号 フロリダから受け入れ拒否
安部かすみ
ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

上記によると(転載禁止と書いてあるので引用できませんが)米国籍・米国企業運営のクルーズ船なのに入港反対ということらしいです。
CDCが如何に強力な権限を持っていても、船の入港下船が地元政府反対で洋上漂流になるとどうにもなりません。
この点は6月29日に書いた通り中央政府が強力な権限をCDCに与えてもどうにもならないのが現在の民主主義国家です。
クルーズ船入港を認めるか下船させるか、緊急事態宣言するか、どの程度の外出規制するか等々の決定は専門家が決める領域でなく政治判断であると書いてきましたが、
日本のコロナ対応も専門家と政治家の役割分担の理念そのものの議論が、この1週間で表面化してきました。
https://www.asahi.com/articles/ASN6S7JGBN6SULZU004.html

専門家会議「純粋科学と違う」 自らの役割に苦悩の日々
2020年6月25日 8時00分

新型コロナウイルス対策についての政府の専門家会議のメンバーが24日、組織の見直しを求めた。
権限や責任があいまいなまま、対策や市民の行動変容など積極的な発信をしてきたことに、批判も出ていた。自らを省みた会見のさなか、政府は新たな会議体の立ち上げを発表した。政治と科学の関係はどうあるべきか。他国も模索している。
「感染症対策というのは、実験室の学問や純粋科学とは違う」。24日夕。日本記者クラブ(東京)で会見した専門家会議の尾身茂副座長はそう述べ、新型コロナ対策の難しさの背景を語った。
感染の拡大防止には人々の行動を変えることが必要になる。誰がどうお願いするか。元々医学的見地から助言するのが目的だった専門家会議は、権限と責任に法的根拠はなかったが、積極的な発信を続けた。迅速に対策を伝えないと、国内で感染が爆発的に広まるとの危機感が、メンバーに高まったためだ。
会見で、脇田隆字座長は前のめりになった理由を「(政府の)諮問に答えるだけでなく、対策をとる必要があると考えた」と語った。

専門家はこれまで学問上判明している限度の説明をすれば良いのであって、(諮問に答えるだけ)それを踏まえてどのような対策を取るかは政治家の分野です。
まして日本の場合、国立感染症研究所の所長・文字通りウイルスなどを顕微鏡で覗く実験が本業の人たちであり、行政機関ではありませんので、利害調節的判断=政治決断するのは畑違いすぎて苦悩の日々だったということでしょうか?

明治憲法下の天皇制・・天皇機関説

明治憲法下の天皇大権を現憲法との質的違いを強調する立場では事実上の制約があったのと、法律上権限があるのとでは大違いだ・本質が違うということになるのでしょうが、
国民一般はそんな理屈ではなく、体感で天皇制を理解しています。
女性の地位を役員比率など単純集計して日本の女性の地位が低いと自慢する?論説が普通です。
メデイアが都市の優劣を偏った?指数化して調査した結果が時折発表されますが、いつも僻地の都市が上位に並び、大都市が劣位する調査結果です。
本当にその都市や農村が住み良ければ人口が増えるはずですが、人口減が進んでいる結果と合いません。
物事は特定の立場を有利化するために非合理な指数化しても意味がないということでしょう。
そのためにクオーター制をすべきという意見がありますが、そんなのはテスト問題を入手してその問題だけ猛勉強して有利な点を取ろうとするのと方向性が似ています。
女性が大事にされている実態で欧米と比べれば、日本が最も進んでいる・・何周回も先を進んでいます。
日本の家庭では女性が完全主導権を持ち、男の地位が低い分(基本的に阻害されています)穴埋め的に形式的に持ち上げられているだけです。
この辺は人権思想も同様で、人権が無視されすぎる社会が根底にあるから、フランスでは革命が起きたと繰り返し書いてきました。
日本では、乳幼児から弱者がとても大事にされる社会です・この結果、強いものの意見が通るわけではない・・公正な判断が最も尊重される社会になったのだと思われます。
強いからといって正しくない主張を押し付けられない社会です。
この辺が(米国も含めて)韓国や中国には理解不能・戦争に勝った以上は事実無根の主張でも強制できると思い込んで行動するところを日本人の正義感が許せないのが理解不能なのでしょう。
明治憲法下での天皇権力の実態を直視したGHQは天皇の戦争責任を追及しなかった(点はマッカーサーの功績です)し、長期に国民の支持を受けている天皇の権能・実態に合わせた憲法草案を提示していたことがわかります。
新憲法はこれを実態に合わせただけであって、戦前でもこの実態に合わせて天皇機関説が学問上の通説でしたし、昭和天皇自身それを支持していたのです。
だからこそ、現憲法はGHQによる事実上の強制とはいえ、国民意識に合致していたので、この分野(天皇制)に関する国民不満は(高齢化して耳が遠くなったかな?)一切聞こえてきません。
天皇機関説については以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC

日露戦争後、天皇機関説は一木の弟子である東京帝大教授の美濃部達吉によって、議会の役割を高める方向で発展された。すなわち、ビスマルク時代以後のドイツ君権強化に対する抵抗の理論として国家法人説を再生させたイェリネックの学説を導入し、国民の代表機関である議会は、内閣を通して天皇の意思を拘束しうると唱えた。美濃部の説は政党政治に理論的基礎を与えた。
・・この論争の後、京都帝国大学教授の佐々木惣一もほぼ同様の説を唱え、美濃部の天皇機関説は学界の通説となった。
民本主義と共に、議院内閣制の慣行・政党政治と大正デモクラシーを支え、また、美濃部の著書が高等文官試験受験者の必読書ともなり、1920年代から1930年代前半にかけては、天皇機関説が国家公認の憲法学説となった。
この時期に摂政であり天皇であった昭和天皇は、天皇機関説を当然のものとして受け入れていた。
天皇主権説との対立点
天皇主権説 – 天皇はすなわち国家であり、統治権はそのような天皇に属する。これに対して美濃部達吉は統治権が天皇個人に属するとするならば、国税は天皇個人の収入ということになり、条約は国際的なものではなく天皇の個人的契約になるはずだとした[3]金森徳次郎によれば美濃部は、天皇の発した勅語であっても主権者たる国民はこれを批判しうるとしていた[2]。
国務大臣の輔弼
天皇機関説 – 天皇大権の行使には国務大臣の輔弼が不可欠である(美濃部達吉『憲法撮要』)。
天皇主権説 – 天皇大権の行使には国務大臣の輔弼を要件とするものではない(上杉慎吉『帝国憲法述義』)。
国務大臣の責任
天皇機関説 – 慣習上、国務大臣は議会の信任を失えば自らその職を辞しなければならない(美濃部達吉『憲法撮要』)。
天皇主権説 – 国務大臣は天皇に対してのみ責任を負うのであり(大権政治)、天皇は議会のかかわりなく自由に国務大臣を任免できる(穂積八束『憲法提要』)
。当時の岡田内閣は、同年8月3日には
「統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり。」同年10月15日にはより進んで「所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を芟除(さんじょ)せざるべからず。」とする国体明徴声明を発表して、天皇機関説を公式に排除、その教授も禁じられた。

今の北朝鮮政府が連発する空疎な声明に似て、子供が喚いているかのような内容のない「過激」な単語を言い募るだけです。
「国体明徴」と言っても具体的内容のない感情論でしかありません。
当時の通説・天皇機関説によれば、輔弼が要件になっているので実質江戸時代や今と同じ(輔弼と助言承認の表現の違いがありますが)です。
倒幕の経緯から薩長政権にとっては「天皇は名目だけ」とは言えない・・観念論にこだわっていた点は、幕末の尊皇攘夷と同じです。
狂信的軍部が弾圧に動いたのですが、結局は軍部が壟断するだけ・天皇自身が複雑な政治をする実力がない以上は、天皇尊崇といっても文字通り狂信的願望にとどまる点は同じです。
上記の通り、新憲法と明治憲法では天皇の実質的地位や権能は変わっていないと思われます。
そうとすれば、今でも実質的意味の憲法に皇室典範が入っていると見るべきではないでしょうか?

学問の自由安売り2→天皇機関説事件へ

学者の公式意見であるならば合理的根拠が必要で、根拠なし(日清戦争でいくら取れたから大国のロシアからはその何倍を取るべきという程度での主張では庶民の皮算用レベルで学者の意見とはいえません)に願望を書くだけならば、庶民の感情論と同じです。
ただし、これまで書いてきたように、(ウイキペデイアの解説には出ていませんが)「賠償金を取らないと日本経済が持たない」と言う危機感を持ってその種の説明もしていたのでしょうが、「日本に金が必要」ということと相手のあることで相手から金を取れるかは別問題ですから、いまの韓国のように「国民感情が許さない」と国内事情を対外的に喚けと主張していたことになります。
日露戦後に戦時経済の穴埋めために巨額資金が必要である点では異論がなかったと思われますが、賠償金獲得は資金手当の一方法でしかなかったことになります。
賠償金で賄うほどの戦勝ではなかった客観事実・・「負けないうちに終われてよかった」のが実態である以上は、その現実を受け入れて、戦後経済・復旧資金をどうやって工面するか、資金手当が無理ならば従来の拡大政策を修正し(民間企業でいえば、出店計画を縮小して台風や水害等で荒れた既存店舗工場の補修資金・死傷した従業員や下請け納入業者の支援などに優先配分する)腰を矯める時期・・どうやって戦争経済を平時モードに切り替えて行くかの提言こそが、学問のある人のなすべきことでしょう。
取れそうもない賠償金要求を貫徹しない政府・担当大臣を国民感情が許さないと言って政府を非難し、内閣総辞職を勝ち取ったものの、それで一件落着・結果を受け入れるしかないとなると、今度はその不平感情のはけ口・代償として満州への傍若無人な進出を煽っていったことになります。
アメリカは日本の賠償金要求を取り下げさせて満州権益を認めることで講和を仲介した以上は、「日本の満州進出に文句いえない筈」という程度の浅はかな意見で煽り続ける・・結果的に満州への傍若無人な進出を当然とする感情論が広がっていったのでしょう。
賠償金を取れなかったのは、アメリカによる不当な介入(多分日清戦争後の三国干渉の結果同様のアメリカに不当に干渉されたかのように煽っていた印象です)によるのではなく、日本の実力からみれば最大限の利益を図ってくれた現実無視の「感情論」(・・アメリカ系教会襲撃を見れば)であったように見えます。
最近のネット世論?に出る、その道の通らしい人・〇〇評論家の意見を見ていても、左右を問わずこの種の前提事実を独断的な読み方をした上で、一方的邪推の上に邪推を重ねれればこうなると言う議論が広がっていることが散見されます。
最近の憲法学者の憲法関連声明も研究論文発表とはとても言えない代物が中心である点では同様です。
憲法学者は憲法の専門家であって、政治の現場にいないのですから政治声明を出す以上は、肩書きによらない個人意見であるべきでしょう。
日比谷焼打事件でも帝大教授の肩書で出すのではなく、自己の意見が正しいと思うならば、肩書きなしで自説を展開し、国民がその意見だけを見てどのように受け止めるかでしょう。
酒の鑑評会では出品者を不明にして味を見るのがルールになっているのと同じです。
このように本来学問研究成果と関係のない政治意見(3月31日に紹介した7博士意見書を読むと学術研究論文ではなく、単なるアジテートに過ぎません)を学者の名で発表し政治運動に利用することにより、本当に必要な学問の自由を侵害する危険がこの頃から始まっていたのでしょう。
えせ学者の跳ね返り行為が過ぎたことによって、せっかくの親日国の米国に対日疑念を抱かせ仮想敵国視(いわゆるオレンジ作戦の対日適用)へ移っていく切っ掛けになっていった原因です。
紹介したウイキペデイアに

「暴動・講和反対運動が日本国内で起こったことは、日本政府が持っていた戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」

書いていますが、(政府は謙遜に勤めていたのに)7博士は余計なことをしたものです。
米国は7博士の主張を危険視したのではなく、米国はこのような過激派を煽る民衆運動に弱い日本政府の傾向を読みとったのは慧眼というべきでしょう。
以降学者もどきの政治運動が政治を動かす傾向が続き騒動が起きる都度事なかれ式に内閣総辞職が慣例となってしまい、日本を取り返しのつかない方向へ走らせていくのです。
現在もそうですが、「学問の自由」とは学問発表の自由であって、政治運動する行為は政治運動というべきであって、それは「学問の自由」となんら関係がありません。
それは学問ではありません。
一旦学者になれば何を言っても何をしても全て免責されるかのように主張するのは、学問の冒涜です。
「学者」という特権身分があるものではありません。
帝大教授の肩書きで発表し国民を扇動しても何をしても許されるというのは傲慢です。
単に権威を利用した政治運動にすぎません。
日露戦争後約30年後に起きた天皇機関説事件も政府が始めたのではなく、メデイアが騒ぎ、これに便乗した野党の追求によって始まったものです。
政府は学問のことは学問論争に任せせればいいであって政府は関知しないという答弁をしているのに、メデイアの応援を受けた野党がこれを追求していたことが以下の記事でわかります。
天皇機関説事件に関するウイキペデイアの記述です。

松田源治文部大臣は、天皇は国家の主体なのか、天皇は国家の機関なのかという論議は、学者の議論にまかせておくことが相当(妥当)ではないか、と答弁していた。
岡田啓介首相も文相と同様に、学説の問題は学者に委ねるべきだと答弁した。
同年2月25日、美濃部議員が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは一部拍手が起こり、菊池議員までもがこれならば問題なしと語るに至った。
しかし、3月に再び天皇機関説問題を蒸し返し、議会の外では皇道派が上げた抗議の怒号が収まらなかった。しかしそうした者の中にはそもそも天皇機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。最終的に天皇機関説の違憲性を政府およびその他に認めさせ、これを元に野党や皇道派[1]が天皇機関説を支持する政府・枢密院議長その他、陸軍統制派・元老・重臣・財界その他を排撃を目的とした政争であった[2]
これに乗じて、野党政友会は、機関説の提唱者で当時枢密院議長の要職にあった一木喜徳郎や、金森徳次郎内閣法制局長官らを失脚させ、岡田内閣を倒すことを目論んだ。一方政府は、陸軍大臣からの要求をのみ、・・・」

結局美濃部氏の告発まで政府がやらざる得なくなる方向へ進みます。
政友会やメデイアの政権攻撃は一見反政府運動・民主的運動になりますが、いつも背後に軍部内の小数強硬意見・跳ねっ返りの支持を受けて「虎の威を借りる」運動形式だったのが本質だったのではないでしょうか?
政権党が野党になると軍部の強硬派意向を背景に今度は次の政権を追い詰めることの繰り返しでした。
戦前の議会では非常識な軍部内の経論を持ち込んでは審議妨害・倒閣運動ばかりが華やかになったのは、当時のキングメーカーであった西園寺公望の憲政の常道論によります。
彼の憲政理解・・「時の内閣が総辞職すれば当時の野党に組閣させるの正しい」という形式理解による交代論が、戦前議会を歪な方向へ曲げてしまった原因です。

思想「弾圧」4(天皇機関説事件)

メデイアの煽りといえば、天皇機関説事件に関するウイキペデイアの記述です。

松田源治文部大臣は、天皇は国家の主体なのか、天皇は国家の機関なのかという論議は、学者の議論にまかせておくことが相当(妥当)ではないか、と答弁していた。岡田啓介首相も文相と同様に、学説の問題は学者に委ねるべきだと答弁した。
同年2月25日、美濃部議員が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは一部拍手が起こり、菊池議員までもがこれならば問題なしと語るに至った。
しかし、3月に再び天皇機関説問題を蒸し返し、議会の外では皇道派が上げた抗議の怒号が収まらなかった。しかしそうした者の中にはそもそも天皇機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。最終的に天皇機関説の違憲性を政府およびその他に認めさせ、これを元に野党や皇道派[1]が天皇機関説を支持する政府・枢密院議長その他、陸軍統制派・元老・重臣・財界その他を排撃を目的とした政争であった[2]
これに乗じて、野党政友会は、機関説の提唱者で当時枢密院議長の要職にあった一木喜徳郎や、金森徳次郎内閣法制局長官らを失脚させ、岡田内閣を倒すことを目論んだ。一方政府は、陸軍大臣からの要求をのみ、・・・」

美濃部の告発まで進みます。
日露講和条約反対で言えば、講和の損得などの機微について詳しく知らない庶民や右翼が、焼き討ちするまで盛りあがるには、盛り上がるにたる一方的な(国民を煽る)情報を流布して反政府運動をもり上げるメデイアがあったからです。
このようにメデイアと野党の二人三脚による追及で失脚するのを弾圧事件と言うのが正しいかどうかは別として、失脚の程度を天皇機関説事件に先立つ滝川事件について見ておきましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6によれば以下の通りです。

1933年4月、内務省は瀧川の著書『刑法講義』および『刑法読本』に対し、その中の内乱罪や姦通罪に関する見解[注 2]などを理由として発売禁止処分[4]を下した。翌5月には齋藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に瀧川の罷免を要求した。京大法学部教授会および小西総長は文相の要求を拒絶したが、同月26日、文部省は文官分限令により瀧川の休職処分を強行した[5]。

この休職処分(ここ数日のテーマ関心は処分が正しいというのではなくこれを「弾圧」とは過激な表現でないかの疑問で書いています)に教授会や学生が抵抗したので大騒ぎになったものです。
上海の「新生」事件では、中国政府は懲役1年2月の実刑判決を宣告し、発行者は実際に服役しています。
日本で教職や辞職すれば済むのとは大違いです。
紹介した論文の一部引用です。
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/media/public/200803/yo.pdf

2-1 杜重遠と『新生』
・・・1934年『新生』を発行した。1935年7月、「新生事件」で懲役1年2ヶ月の判決を言い渡され、上海の漕河涇監獄に入り、1936年9月に刑期を終え出獄した。

今でも習近平政権になってからの政敵弾圧では、失職どころか全て長期服役が原則です。
スターリン粛清のようにシベリヤ流刑になるどころか、以下に紹介するように滝川事件では次の大学教授の職まで政府が用意しているのです。
昨日見たウイキペデイア続きです。

瀧川の休職処分と同時に、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示したが、大学当局および他学部は法学部教授会の立場を支持しなかった[注 3]。小西総長は辞職に追い込まれ、7月に後任の松井元興総長[注 4]が就任したことから事件は急速に終息に向かうこととなった。
松井総長は、辞表を提出した教官のうち瀧川および佐々木惣一(のちに立命館大学学長)、宮本英雄、森口繁治、末川博(のちに立命館名誉総長)、宮本英脩の6教授のみを免官[6]としてそれ以外の辞表を却下し、さらに鳩山文相との間で「瀧川の処分は非常特別のものであり、教授の進退は文部省に対する総長の具状によるものとする」という「解決案」を提示した。
事件のその後
滝川事件に関連して京都帝大を辞職した教官のうち、18名が立命館大学に教授・助教授などの形で移籍した。また、瀧川自身も事件後は立命館で講義を行うようになった[7]。立命館への受け入れは、立命館総長・中川小十郎が西園寺公望の意向を踏まえ、元京大法学部長で立命館名誉総長だった織田萬と相談の上で運ばれた[8]。結果、立命館をはじめ京大以外の関西圏大学法学部の発展を促すことにもなった。
・・・この事件で予期せぬ漁夫の利を得たのは、立命館大学だった。立命館は、安い給料で当時一流の学者を招聘できた。また、戦後になって立命館がGHQに睨まれた際にも、この京大事件で追われた末川博を総長に据えるなど、大学の民主化を図って切り抜けた。

上記によれば、西園寺公望の政治力で、立命館で彼らを引き受けることにして収拾を図ったようですが、同氏は当時政界随一の実力者でした。
西園寺公望に関するウイキペデイアの紹介です。

明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった[1]。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。

右翼も立命館教授になった滝川教授らをそれ以上追求しないで終戦を迎えています。
日本の思想弾圧とか戦前の「暗黒時代」という大げさな報道や教育刷り込みの割に実は極めて穏健なものです。
中国のように皇帝の逆鱗に触れるとすぐに九族皆殺しにあったり、トーマス・モアのようにヘンリイ8世の離婚がキリスト教の教えに反すると言い張って死刑になってしまったイメージとはまるで違います。
キリスト教国の異端審問・・思想自体を裁くものとしては、ジャンヌダルクの火あぶりの刑で知られているように過酷です。
ソ連では「収容所列島」と言われたようにスターリンのご機嫌を損ねるとたちまちシベリヤ流刑になる時代が続きました。
アメリカではアメリカ国籍を持っているにも関わらず日系人というだけで(文字通り人種による処罰です)全財産を没収した上で女子供を含めて荒野に鉄条網で囲った収容所に閉じ込め犯罪人扱いをしましたが、(男女年齢を問わず収容所送りと言う点では、ガス室に送られなかった点が違うだけでナチスの人種迫害と変わりません)日本は日本国籍を持たない在日米国人に対してさえそんな事をしていません。
日本政府の反対思想に対する対応は「弾圧」と言う禍々しい表現よりも、ソフトな不利益待遇(政府権力者による弾圧よりは、メデイアがうるさいからちょっと閑職に退いてくれないか)程度ですから、諸外国に一般的な弾圧という表現は実態にあっていません・・政治不利益扱い〜抑圧程度に表現するのが適当でしょう。

不公正な情報提供1と中立機関

原発元所長の吉田調書が公開されない・・朝日新聞しか内容を知らない・・誰も反論証拠を出せないと思って偏った捏造報道をしていたところ、政府に公開されてしまい、報道の虚偽性が白日の下に曝されて信用を全く失ったのが朝日新聞です・・。
マスコミが報じなくとも個人・・フリーのジャーナリストが世界中に出掛けて行ってマスコミの報じない中韓等に不都合な現状をネットで報告している状況ですが、今のところ需要の多い政治経済状況に偏っています。
法律条文や裁判・運用状況等専門的知識が前提になる分野では、まだまだそう言う人材が現れません。
その内専門的フリーのジャーナリストも生まれて来るかも知れませんが、何年経っても需要が乏しい・・市場が育たない限り無理かな?
大手マスコミや大学等で費用を出してもらわないフリーが、外国へ行って資料収集するには経済力が続きません。
その内自動翻訳等が発達して国内の司法統計同様にアメリカやその他主要国の司法統計などの各種統計が、そのまま日本語でしかもネットで見られる時代が来る方に期待する方が早いかも知れません。
いまは素人にはアクセス出来ないことを良いことにして(・・吉田調書の場合で言えば、マスコミすらアクセス出来ない予定でした)マスコミや専門機関が良いように情報操作している状況です。
(世界中に調査団を派遣して自社・ある利害集団に都合のいいい部分的な事実だけアップしていますが、何故か共謀法や秘密保護法ではこれすらやりません・・世界中探しても都合の良い事実が見つからないからでしょうか?)
国内報道でも、街角のインタビューも自社主張にあわない意見はカットされているのが常識です。
マスコミが報道しなくとも、その内、お金をかけて海外事情を調査する人も出て来るし海外情報がそのまま分る時代が来るでしょうから、そうなると日弁連も20年前の主張が世界情報のつまみ食い・・我田引水だったとして朝日新聞に似たような結果・・世間お信用を失う結果にならないかと心配しています。
まして我が国は11月2日から書いているように、世界に先駆けて過去半世紀以上にわたって、共謀に関する判例の集積がある国です。
反対論者からすれば、共謀共同正犯の「共謀」と共謀罪の「共謀」は違うと言う主張になると思われます。
11月2日に書いたように事件が起きてから遡って認定する「共謀」と被害が起きていない段階での共謀認定とは、方向性が違うとしても重要な部分で重なることは確かでしょう。
公害防止技術の進んだ企業が、更に高度な公害防止を求められた場合、従来技術そのままでは使えないとしてもそれまでの経験を活かせるので、それまで公害技術ゼロの企業よりも有利なのと同じです。
半世紀以上の運用の経験のある我が国の方が、これまで共謀認定集積の少ない諸外国よりも、現場の暴走を心配する必要性・・リスクの少ない良好な環境になっている事は間違いがないと思われます。
この結果、諸外国よりも濫用的な検挙リスクが少ない・・・半世紀間以上運用されて来て実際に濫用されて問題になった事例は1つもありません・・少なくとも私は知りません。
半世紀の間に1つでも濫用的逮捕等が発生していれば、反対論者は「こんなに危険だ」と鬼のクビでもとったように大々的に発表しているでしょう。
人権擁護と言う視点で見るならば、共謀の概念蓄積が進んでいる我が国の方が欧米よりも捜査権濫用の危険が少ない状況になっているのを、反対論者は何故一般に紹介しないのでしょうか?
例えば学者の「欧米ではこうだ」と言う意見(社会系の論文)を見ると、どこかの市でこう言う条例があると言って自慢げに紹介するのですが、その国で今後その傾向が広がって行くのか、その市だけの特殊現象か?社会全体の傾向がまるで分らない報告論文が多いのに驚きます。

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