虚偽報道とマスコミ倫理2

民主国家では誰でも、特定立場の報道・主張をしても良いことですが、ないことをあったかのように虚偽報道して、虚偽事実を前提に特定政治目的実現を目的にするようになって行くのは行き過ぎでしょう。
報道機関と名乗る以上は、先ずは客観的事実報道をすることが先決的職務であって、その上でその事実に即して社説や意見を書くのは良いですが、(意見相違は民主国家においては当然許されることです)事実報道を歪めてしまうと報道機関ではなくなってしまいます。
マスコミに限らず、事実報道を正確にしてくれれば多くの国民もその事実を前提にいろんな意見が形成されます。
健全な思想の発展・意見の育成が民族の発展に益することから、前提事実を国民に知らせるインフラとして報道の自由が重視されているのです。
前提事実をねじ曲げて虚偽報道するようになると民主国家に必須の自由な言論を歪めてしまうので、有用な存在ではなくむしろ悪い存在になってきます。
主治医が治療会議で検査結果を偽って報告して、自分の考える治療方法へ誘導しているようなものです。
医師の場合、開腹等手術してしてみれば、主治医の報告する検査結果と違っていることがすぐにバレますが、政治問題では虚偽性が発覚するまで長期間かかる結果、発覚したときには選挙が終わってしまうなど虚偽報道の損失については、取り返しのつかない損失に繋がります。
薬は毒にも薬もなると言う諺のとおりですから、故意に事実を歪めて毒を盛ったような場合、(医道審議会等の制度があって)医師資格を取り消すべきことが予定されています。
マスコミ業界にはこの種の倫理に関する審議会制度がないとすれば、ブレーキのない車のような制度設計・・しかも事故を起こしても処罰する法がない状態と言うべきでしょう。
(大手マスコミ/朝日新聞に限らず週刊誌系も含めて)これを良いことにやりたい報道の虚偽報道競争になっているのかも知れまぜん。
文句あるならば名誉毀損で訴えればいいだろうと言う制度では、政治的な虚偽・偏向報道を誰も名誉毀損で訴えようがないので、やりたい放題となってきました。
民族に対する誹謗に対しては、名誉毀損の裁判が出来ないことを9月1日の「朝日新聞の大誤報(名誉毀損1)」で紹介しました。
個人政治家の場合、裁判出来ますが、虚偽報道で評判を落とされると数年がかりの裁判で勝っても裁判しているうちに選挙が終わってしまい意味がなくなります。
裁判の結果、慰藉料を少しくらい取っても落選すれば、政治生命が終わりです。
民族に対する虚偽事実に基づく誹謗の場合、政治効果を狙っている点では、内容によっては取り返しがつかない点では数〜10人に対する殺人罪よりも結果が重いと言うべきです・・。
民族の名誉のために戦争が起きることが結構ありますが、その結果数百人の命を落としてもやる価値があると言う判断基準があることになります。
この重大「犯罪」(法に規定がないので法律上の犯罪ではありません)に対して、処罰方法もなければ、自主的倫理基準すらありません。
規制法や業会基準もがないことを良いことにした開き直りを放置すれば、義憤にかられた直接行動が避けられなくなるように思われます。
テロが世界中で起きるのは正義の観念に反している事態が起きているのに、これを救済する方法がない社会システム下(一般的に公平な法整備の進んでいない社会)で起きるものです。
今のところ国民が理性でこれを抑制していますが、この危機感から虚偽報道に関係した人物らしい人には警察の方で、常時警備を強化しているようです。
今のところまだ暴発がありませんが、これを防ぐには規制法がないことを良いことにして開き直りするのではなく、自主的贖罪が早く行なわれることが重要ではないでしょうか?
テロが起きるのはテロ行為をする人のレベルが低いばかりではなく、実質的な被害を受ける場合の救済の仕組みや処罰制度・自主規制整備が進んでいない社会との相乗効果です。
とは言え、テロ行為が起きると世界の批判が日本にまた集中するので、朝日新聞の思うつぼになりかねませんから、国益を守るためにも暴発にならないように右翼は抑制して欲しいし、虚偽報道するマスコミに対しては自主規制する業界基準のようなものを早く制定して欲しいものです。

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