弁護士会の政治活動1

我々弁護士は、依頼者の正当な利益実現のために頑張っているだけで、この限度でこそ、制度運営や改正に関して意見を言うことが出来る・・存在意義があると思います。
(ユダヤ系のように?)これを利用・便乗して自己の主義主張を実現したいと言う人は稀でした。
弁護士業務が特定分野に専門化して行くと、その分野の法律改正やガイドライン等の制定や改廃を求めるために、次第に政治運動に関与して行きます。
この種の専門家が育って行くのは、消費者関連分野では、消費者側に立つ企業や団体がない以上は、真に豊かな社会=安心して消費できる社会ですから、高度社会のインフラとして重要な分野であり、これを作って行くためにこれにコミットしている弁護士グループが関与して行くのは有用な組織化・専門化と言えます。
専門分化による関連政治活動で味を占めたのか、ここ数年日常業務と離れた抽象的な政治的意見表明や運動が多くなって、幅を利かすようになって来たのが不思議です。
これをやっているとユダヤ系が出しゃばり過ぎて世間の鼻つまみにあっているのと、同じ効果が弁護士会に及ぶのではないかと心配しています。
ユダヤ系が歴史上金融に詳しいように、弁護士は具体的事件処理を通じて他の業種の人よりその分野で少し詳しいし、その分野の関係者は弱者が多いので代弁して消費者保護法の制定運動などの必要があります。
具体的事件処理に関係しない抽象的政治論では弁護士だからと言って一般世間より詳しいことはありませんし、もっと離れた政治思想に関してはそれぞれの支持者は(右も左も)社会的強者弱者混在していて常に弱者とは限らないので職務上代弁する必要もありません。
例えば死刑廃止すべきか否かは、犯罪と刑のあり方・被害を受けた人と加害者双方の人命の重み等の総合考量によるものですから、刑事手続きに通暁しているか否かとは殆ど関係がありません。
私が死刑の存続をどうすべきかと考えるときに、刑事事件を担当した経験から考えるよりは、一個の人間としてどうすべきかと言う思考方式になりますが、普通の弁護士はどうでしょうか?
えん罪があり得ると言うことは、弁護士だけが知っているのではなく、大々的に報道されるので、(私も報道でしか、自分の関係しない再審無罪事件を知りませんので)一般人と同じ率でしか知りません。
自分の担当した被告人が無罪と信じて一緒に戦った結果、有罪になってしまった特別な関係を持った弁護士であれば、普通の人よりも死刑廃止に熱心になっても良いでしょう。
そう言う事件に関係したこともない一般の弁護士が、弁護士である以上はみんな死刑廃止主義者であるべきだと言うことになれば、言論の自由を主張するべき団体が会員に思考停止を求めているようで不思議です。
(私が死刑廃止論に反対と言う意味ではありません・・職業と関係なく個人として考えるべきことであって、組織として運動することに疑問を呈しているだけです)
上記のように個人的経験等から、個人的に死刑廃止論を言うのは勝手ですし、弁護士でありながら、詩を書いたり登山したりししていて職務外のことに詳しい人もいますし、その人にとっては弁護士も詩を書いた方が良いと考えるのは勝手ですが、それは個人の問題であって、弁護士集団としての発言をする必要はありません。
死刑制度のように弁護士の専売特許のように見える分野でさえ、実質は上記のとおりですから、一般政治テーマになるとなおさらです。
生活を豊かにし、人権を守るためには戦乱に巻き込まれるとその正反対の結果になるのは誰の目にも明らかです・・多分反対論はないでしょう。
そこで、平和維持が重要ですが、どのようにして平和を維持するかとなれば軍備がある方が良いのか、ない方が良いのかについて教職員や文化人や弁護士が世間一般より高度な学識経験を有している訳ではありません。

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