2院制と制限選挙論

公約違反の増税路線に対するマスコミの報道姿勢批判・・7月14日「マスコミによる世論誘導の害1(世代対立を煽る愚1)」以下から、いろいろ話題が横に行っていましたが、元に戻ります。
公約違反の政治をする勢力の「勇気」?を称えるマスコミの風潮をみると
「最近は衆愚政治化して来ているので、国民に利害のある重要なことは選挙で主張しないで選挙後に代議士同士の談合で決めるのが正しい」
と言うのが現在のマスコミの無言の前提・風潮でしょうか?
9月2日に書きましたが、マスコミは無知蒙昧な国民に対する指導者だと自負しているように見えます。
マスコミ報道の現状を前提にすれば、重要事項について民意など求めても仕方がない・・選挙制度・・代議制民主主義をなくすべきだと言うならば、彼らの態度は一貫しますが、その点にはホッカムリしたままです。
私も衆愚政治化を心配して衆愚政治のテーマで何回も書いていますが、衆愚政治を是正するためにはまとめて民意を無視する・・独裁や君主制に戻るのではなく、利害のあるテーマごとに選挙民を区分すれば(マスコミに一任しなくとも・・)その範囲の民意を問うことが可能です。
以前から提案していますが、税や予算に関しては納税者(選挙前の一定時期例えば1月1日を基準にしてその前3年間平均して一定額納税した人)だけが選挙権を持つと決めて制限選挙制度にすることです。
制限選挙でもその範囲の民意に従って政治をする方が、選挙権を全員に広げた結果民意・・公約完全無視の政治よりはマシです。
極大化すれば実質極小化するという私の考えている公理?の応用です。
例えば、JR千葉駅の改札で奔流のような人の流れを見た場合、数秒後でさえも行き違った人の顔かたちを記憶していませんが、山道などで追い越して行った人を3〜40分後に追いついたりするとさっき追い越して行った人だと直ぐに分ります。
多すぎると却ってゼロ効果になる例です。
普通選挙権実施で選挙権を極大化した結果、内容が薄くなり過ぎて、却って民意の意味がなくなって来ている・・衆愚化こそが現在世界を覆う民主主義政治存続に対する大問題です。
制限選挙でもその範囲の民意が現れますが、今のように全員に選挙権を与える代わりに内容が薄まってしまいその結果民意を無視して良い(公約無視が決められる政治と言って絶賛される)のでは、何のための民主主義か分りません。
「重要テーマでは国民を欺いても良い」というマスコミの報道姿勢・・風潮が生まれて来たのですが・・じゃあ誰が重要テーマの結論を決めるの?と言う疑問に行き着きます。
彼らマスコミ人が考えているのは、マスコミが推奨する意見で決めたら良いとでも言うのでしょうか?
マスコミこそは、国家の重要な事柄を決める権力者であリ、一般国民には保育所をもっと作ってくれ、信号機や街灯をあそこに設置してくれなどと細かいことを陳情する町内会活動程度の決定権能があればよいという意見が底流にあるとしたら恐れ入った自信です。
私が制限選挙を主張しているのは税・・どのような団体であれ、会費納入しない人が税・会費の使い道や会費の増額論に口を出すのは、おかしいと言う意見をこれまであちこちで書いて来たとおりです。
この問題を解決するには、衆愚だから民意無視して良いというのではなく、二種類の選挙・・制限選挙にして、代議士の中に予算案審議及び関連法案に参加出来る代議士と予算関連議案には参加出来ない代議士を作ればいいのです。
選挙自体は県議と国会議員の選挙の二種類選挙が簡単に出来ているように国会議員自体を予算関連法案向きの衆議院(あるいはこれを参議院)にして、その他の議案向けの議員を参議院(あるいは衆議院)とすれば良いだけで技術的には簡単です。
二院制の弊害ばかりマスコミを賑わしていますが、選挙母体を同じにするから無意味になっているだけで制限選挙で権限の違う2院制にして機能分担させればいいでしょう。
このやり方でも消費税増税の場合、その影響を受ける国民は全員参加出来ることになりそうです。
消費税課税制度は、納税者限定の制限選挙をする根拠を喪失させてしまったことになります(ただし一定額以上納税の要件で絞れるかも知れません・・)ので、制限選挙論では解決出来ません。
消費税に関しては別に考える必要がありそうですが、(上記のとおり一定額以上納税要件の設定次第でもありますが)今のところ名案がありません。
その内解決案を考えて書くようにします。

少子化の効果

また話がそれましたが、大量生産化が始まったばかりの新興国社会・高成長社会では労働需要が中底辺労働中心なので健康でまじめに働く意欲さえあれば良いので子育て・・到達目標モデルは簡単でした。
低成長・静的社会・・別の側面から言えば成熟社会への適応には、ガムシャラに働いて物やサ−ビスをより多く提供すれば良いのではなく、消費者としても量を得れば満足する社会ではなくなっています。
より良い労働者=賢い消費者でもあるのですから、双方の側面で繊細な素質が問われるので、誰でも簡単に適応出来ないのは当然です。
親にとっては生まれて来る子供の適応能力がよく分らないので、さしあたりリスク回避のために少子化して行くのが一番の基本的な智恵です。
道に迷ったり、行く末・様子がよく分らないときに先ずは身を縮めて防衛体制に入るのが動物の本能ですが、子育てに関してもこの先がよく分らないならば、量産から少子化へと体制縮小するのが正しい選択です。
少数精鋭という熟語があり、果物に摘果があるように供給を絞った方が品質が上がる傾向があることも経験上知られています。
少子化に絞った結果がどうなったでしょうか?
一般家庭の現状を見ると、現在の中高年層は自宅を取得し、戦後荒廃した社会インフラの復興負担をし、親世代の介護などの面倒を見て来て、今度は更にいつまでも独立出来ないで親の家に寄生している次世代の面倒まで見ている人が圧倒的に多いのが実情です。
税で徴収して再分配するだけでは足りずに、親世代からの贈与を奨励する政策(相続時精算課税制度など)が続いていることも、これまで何回かこのコラムで紹介してきました。
現在の年金問題は今の中高齢者が年金を納めなかったことに原因があるのではなく、この世代はみんなまじめに納めて自分たちの親世代の年金負担して来ました。
それなのに次世代の納付率が下がっていることと、一人当たり稼ぎが低くて納付金が低すぎることが現在の年金と言うよりも、将来の年金制度の持続性にかげりをもたらしているのです。
彼らの納付金が少なければ彼らがその限度しか年金を受給出来なくなるのは理の当然です。
生保でも何でも掛け金を多く掛けて来た方が保障が大きいのが原則で、その逆に少ない掛け金であれば年金受給額が少なくなるのは当然です。
今の受給世代の半分しか掛け金を払えないのに同額を保障しなければならないと思っている方が頭がおかしいと言わざるを得ません。
次世代が損しているどころか6〜70世代は親の面倒も見たし、子供世代に充分お金を掛けて自分が育ったころの何倍も子育てに手間ひま掛けたのに次世代がその恩返しを出来なくなった・・次世代に甲斐性がなくなったことがすべての基本です。
本来ならば人数が少なく育って我々世代の2〜3倍の良い思いをしてきた以上は、一人当たり2〜3倍くらいリターンする・・納付額が多くなってこそ整合します。
ところが、我々世代よりも一人当たり納付金が少なくなっているのでは、次世代が受けた投資に見合ったリターンをしていないことになります。
2〜3倍の投資を受けて育った以上は、2〜3倍の収益を上げねば論理的ではないのですが、我々敗戦後に食うや食わずで育った世代に比べて何倍も投資・教育されているのに、逆に我々の何分の1しか収入を上げられない人が圧倒的多数になったことが・年金赤字の原因であり、先行き見通しを暗くしているのです。
その原因として次世代は能力が低い・根性がないと一概には言えませんが、(世界情勢・環境変化による面が大きいので・・)いずれにせよ成人した後も親の世話になっている次世代が圧倒的に多いのが現実です。
個々人の家庭で親世代に世話になっている次世代が多い(いつまでも親のスネをかじっている)状況が、社会一般に及んで来たのが年金問題ではないでしょうか?
年金やその他社会保障問題の多くは次世代がマトモに納めるべきものを納めていない・・納められなくなっていることに直接の原因があります。
あれやこれや世代対立を煽るマスコミ報道が多いので、6月14日に紹介したようにこれを鵜呑みをして、公の場で若手学者が「次世代は損ばかりしてるのだから・・」と言う発想で発言したのには、私も驚きましたが、これほどマスコミの威力が大きいことが分ります。
間違ったことでもマスコミが結論だけを繰り返せば、殆どの国民はその結論が正しいと思い込む傾向があるので、一定方向へ誘導しようとする偏ったマスコミの報道姿勢は危険です。
マスコミは中立と称して自分たちの都合の良い立場・・あるいは政府の意を受けてをそれとなく宣伝を繰り返して国民をマインドコントロールするのはズル過ぎます。
このあまりにもひどい現実がネット・ユーチューブの発達で意見発表機会の独占が破られて是正されつつあるのは喜ばしいことです。
マスコミは、中立などという仮面を取り払って「当社はこの立場で・・」「政府官僚の意見の代弁で・・」など自分の立場を明らかにして報道すべきです。

投資効率5

生活水準が上がると大量生産の粗悪品を腹一杯食べるよりは、きめ細かく丁寧に作られた良質のものを少し食べたり、洋服・身の回り品で言えば上質なものを身に付けたくなるのが普通です。
上質のものを作るには生産者=労働者の質も上がらなければなりません。
この辺については、2012/08/22「投資効率2(量から質へ)」までのコラムで書きました。
成熟社会には良質品の生産に従事する人間が必要になるので、大量生産・粗放教育で育つよりは少量生産(少子化)・きめ細かな養育環境で育つ必要がある・・母親の多くがこうした志向に向かっているのは社会発展に合わせて行く智恵の発露と言うべきです。
(マスコミによる執拗な洗脳・・マインドコントロールにも拘らず大量出産・粗放教育論に惑わされない庶民は偉い!)
少子化・集中投資の努力をもってしても、親の期待に反して中学さえまともに授業を受けられないレベル・・親に頼まれてやっと「高校くらいは・・」と入学している程度の子供がかなりいます。
私たち弁護士の仕事は少年事件・非行少年ばかり関係しているので、目先感覚ではついこうしたレベルの人が多くなっているような印象を受けますが、社会全体ではどうなっているかがよく分りません。
もしかしたら私たちが育った時代に比べて高卒程度までもついて行けない人数比率が逆に減っているのかも知れません。
こうした実態調査(所得階層別出生率)はタブーに振れる心配があるのか全く行われていないと思われますが、それこそ学問研究の自由に対する意気込みの問題です。
学者が政府推奨のテーマだけ研究していてマスコミから批判されそうなテーマを研究しないならば、何のための学問の自由が保障されているのかということです。
現在社会では学問の自由は近世の絶対権力・中世に絶大な権力を持っていた宗教権力からの自由だけはなく、マスコミ・社会風潮からの自由こそが重要です。
研究はなくとも世界的な学力調査では、日本の子供のレベルが徐々に落ちつつあることは確かな印象です。
(日本の産業力を支えるべき技能5輪受賞者を見てもレベルダウンが進んでいる傾向が現れています)
少子化進行で大変だと言うマスコミ宣伝に踊らされ易い階層は底辺層に多いので、底辺層でばかり4人も5人も子供を生んでいる傾向・・マスコミ宣伝が数十年も経過しているのでその結果が出て来ているのではないでしょうか?
(破産申し立て準備中に立て続けに出産する女性・・あるいは離婚すると直ぐに再婚する女性が多いのですが、再婚すると直ぐに2人も生む人が多いのも特徴です・・こうした荒れた関係が多いので、これが再婚相手の連れ子虐待の多発に繋がっているでしょう)
刑事事件と違って、この種の統計があるのかどうか・・仮にあってもネットで公開されているかさえ分りません。
アメリカ合衆国のように何でも研究出来る国と違って、我が国では階層別出産率など調査したらそれ自体が大問題になりそうです。
しかし社会の実態を正確に知るにはタブーなしに、先ずは客観的な研究調査がないとマトモな議論になりません。
とは言うものの、以前から刑事事件の統計を紹介しているように、(たとえば少年事件であれば09/16/06「少年犯罪の増減と重罰化の風潮(少年犯罪統計)1」を見て戴ければ戦後から最近までの統計が出ています)粗暴犯が激減していることは顕著な事実です。
最近ユーチューブで水道橋博士と評論家三宅氏の「博士も知らない日本のウラ・・12年5月19日公開)対談を見ていたら、マスコミの報道と違って、戦前の方が事件が多いし今の方が減っているという誰かの本が飛ぶように売れていると話していましたが、私の方では既に上記コラムで6年も前から「最近物騒で困った」と言う報道は嘘ばっかりだという意見を書いています。
学力レベルが劣っている人が多くなっているとしても、おとなしい人が増えたことは確かでしょう。
従来型粗暴犯罪は激減中ですので、警察はストーカー等従来犯罪にならなかった分野に進出するために新たな仕事を求めている状態です。
ここ10〜15年前後刑事事件が減少する一方になって来たことから、警察関係の危機感からだと思いますが、イキナリマスコミが騒ぎ出して、「警察は何をしているんだ」と批判してもらって警察はこれに対応している形ですが、新たな分野に乗り出すための雰囲気造りとしてマスコミに騒いでもらっている(連係プレー)印象がないでもありません・・。
昔から殺人事件等は親族、身内等濃密な交際関係が事件数のほぼ大多数・・中心でしたので、これをストーーカー・DV等新たな装いで世間の注目を集めてその前段階から関与し易くして事件化を図っている傾向あります。
(昔から、無関係な他人に対する殺傷事件は通り魔や秋葉原事件などごく稀にしかなく、それだけに大騒ぎになりますが、実際には何百分の1もありません)
刑事事件激減と次世代草食系化の話題はすでに別のシリーズで書いているのでこの辺にしておきます。
(最近ではFebruary 7, 2012ソフト化社会7(紛争予備軍1)前後で書いています。

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