全否定社会3と処世術1

人間関係が僅か数年あるいは10数年で真逆になることの多い社会では、半永久的関係を大事にしても始まりません。
長期関係を前提とする信義など何の基準にもならないし、物造りも地味に努力するよりは手法を盗むことに道徳的ブレーキもかかり難くなります。
日本語も話せない中国人が、日本で運転免許取得に超小型マイクを耳に装着しての不正受験が見つかったりしていますが、そこまでやる民族性です。
今、目の前にあることについて、明白に虚偽であっても言い通した方が勝ち・・強いものに合わせて「鹿を馬」と言い張ることが処世術として賞賛される社会になります。
過去にあったこと(13日に書いた統計の嘘だけではなく歴史事実など、知っているひとがいなくなるのででっち上げた歴史を数十年教育し続ければどうにでもなるという意識でしょう)嘘で塗り固めてもその場を言い募れば良い・・声さえ大きければ勝ち・・と言う価値観の人が多くなります。
中国人がどこへ行ってもけたたましいのは、声が大きい方が有利とする処世術が何千年も基礎にあるからでしょう。
自分一代の長期交友さえ見通せないのですから、次世代どころか孫や子の代のために耕地の土を良くしたり、植林するなどの自己を犠牲にする努力などは論外となるのは当然です。
このために中国の所在する地域の緑は消滅して行き、環境は破壊される一方です。
長期的視点で水を綺麗にする努力など全く関心がないと言うか関心を持つ人の比率がもの凄く低いでしょう。
信頼関係がないので次世代までかけて収穫を待つどころか自分自身のためにさえも、長いスパーんでは考えられずに、手っ取り早く目先の金儲けに励むしかないと言う生き方になります。
公務員が役職についている間に巨利を貪る習慣・・信頼関係よりも目先の利害ばかりの生き方が定着して行きます。
こう言う意識社会では、公務員だけが汚職に走っているのではなく民間ホワイトカラーでも似たような意識で行動している筈(取引先からのキックバックの横行)ですし、公務員は見つかれば即犯罪行為ですが民間の場合、経営者が訴えない限り事件にならないし、訴えても警察に賄賂をつかませないとやってくれないので公務員以上に野放しになっていると見るべきでしょう。
使い込みや背任行為が中国人同士でも横行している場合、日本など外国投資企業の場合は、言葉の壁があって発覚し難いのともめ事を起こし難い立場から、何倍もの帳簿の誤摩化し等の不正リスクがあります。
異民族入れ替わりの経験、変転常なき真逆の価値観に遭遇して来た経験が、そこに住む現在中国人の価値観・・道徳観(こう言うのって道徳と言えないでしょうが、民族気質とは言えます)である目先の利害中心主義の人格を形成して来たのではないでしょうか。
改革解放直後には、日本礼賛だったのが技術移転や資本導入がちょっと進めば不要になったとして、今では追い出し対象・・最大の攻撃標的になるのは中国の歴史から言えば必然現象です。
春秋戦国の昔から、大事にされるのは役に立つ間のことで用済みになれば大変なことになるという意味の「 飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」と言う范蠡の名句が愛用されています。
確かに役割が終われば日本でもどこでも隠退するべきですが、中国の場合昔から隠退どころか「煮られてしまう」ところが怖いのです。
こう言う社会では、数十年単位の信頼関係を作ろうとしても意味がないので、(最近で言えば薄煕来に近づいていた人は大変危険な立場になります)極端に言えば数年単位の利害打算によって近づいたり敵視したり極端に振れる民族性となります・・。
中国は日本人が長年の信義を重んじるのを知っているので、都合の良いときには、「井戸を掘った恩人を忘れない」などと歯の浮くようなお世辞を言って近づいて来たのですが、日本に頼る必要がなくなれば、真っ先に現在中国発展の基礎を作った最大の恩人である松下の工場を標的に攻撃する始末です。
ちなみに今回の襲撃は公安関係者が誘導しただけではなく、自ら焼き討ちを実行していたことがその行動ルートの効率性や焼き討ちの手際の良さなどから今や明らかになっています。

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