中国に歴史があるか4(全否定とプロパガンダ1)

中華人民共和国は北朝鮮と違って個人世襲制度・王朝こそ作っていませんが、集団指導体制の後継者は太子党など一定グループ内の事実上の世襲制でやっているので、流民・匪賊の頭目が権力を握った中国地域の過去の王朝と殆ど変わっていません。
文化を継承している一体性があってこそ民族の歴史を研究する価値がありますが、王朝が変わる都度文化水準ゼロからやり直す社会では、その前の時代の文化を承継し身につけることが殆どなかったでしょう。
現在の中国地域では、ほぼ毎回異民族と交代することもあって、必ず前王朝を全否定し、誹謗するプロパガンダで歴史を書く習慣ですから、そこに住む人々にとっては、我々が考えているような史実=歴史を研究する意味が減少します。
このようにこの地域では2000年の語るべき順次発展の歴史はないものの、2000年の(悪しき)経験があります。
この地域のひとは権力者の失脚変転=全否定の繰り返しをしょっ中経験しているので、(今回の薄煕来失脚事件を見ても分るように、いつ暗転するか分らない社会です・・このために外国へ子弟を留学させたり資金を逃しておくのが普通です。)いつでも支持から攻撃対象に切り替わることに何の違和感もない社会になっています。
日本しか頼りにならかった解放直後は、日本を大事にしていても欧米からの資本導入が進みある程度自分でやれるようになれば手のひらを返したように反日教育に精出して恥ずかしいとは思わない国民性です。
このようにいつ真逆になるか分らない歴史を生きて来た経験が、(長い付き合い・・信義などまるで問題にならない目先の利益重視の価値観になっている)現在中国人の気質を形成して来たことを直視する必要があります。
中国地域で2千年単位で行われて来た歴史教育は、事実直視して過去に学ぶための歴史ではなく前王朝の批判目的ですから、どの王朝も最後は、妹喜に溺れた夏の傑王や殷の紂王の酒池肉林のような「女性に溺れて・贅沢して王朝を駄目にした」という型通りの記述になります。
(呉越の争い・・臥薪嘗胆に出て来る「傾城の美女」西施も、唐の玄宗皇帝が楊貴妃に溺れた話などいつでも終わりは型どおりの描写です)
そもそも史書の始まりである史記に書かれた「酒池肉林」の描写自体が、客観的事実の描写ではなく誇張表現に過ぎません。
現在の中共政権は、例によって前支配者であった異民族である清王朝支配のために発展が遅れたとしきりに非難しているようです。
江沢民以降の中国は、日本が現在中国の近代化にどれだけ貢献したかを全く教えず、ありもしないことをでっち上げて、あるいは誇大に宣伝して日本非難を繰り返して(子供のときから教育で刷り込んでいる)いるのと同様に、清朝の業績=現政権に都合の悪い歴史は国民に教えていないようです。
清朝こそ現在中国の版図を獲得した王朝であり、現政権はこれを最大限利用しているのですが、こうしたプラス面は教えません。
そうした歴史教育・勉強方法自体が一種の民族の歴史と言うか、中華人民共和国を構成する人民の歴史=彼らの精神構造を理解するためのツールには違いないのですが・・・。
我が国でも王朝創設時には、中国同様に建国神話(記紀では事実を潤色して現王朝・大海皇子に都合良く)で始まりますが、その程度のことで政敵を明からさまに非難するような極端な誹謗をしていません。
その後藤原氏が実権を握る過程で失脚した長屋の王その他いろんな皇族・・臣下では菅原道真や伴大納言武士の時代が来てからは、源氏や平家の興亡がありますが、負けた方が極悪人として描かれることは滅多になくて、むしろ彼らに焦点を当てて描かれることが多いのが特徴です。
我が国では判官贔屓という言葉があるように、勝者に支持が集まり難い・・勝者の一方的な言い分を受入れない民族性です。
以降約千何百年も天皇家が続いているのと国民レベルが高くて、古くから文書所持(いろんなひとが日記を書く習慣)・読解力が庶民にまで及んでいるので大々的な焚書による歴史の塗り替えが出来ないことから、事実の歪曲がホンの少ししか出来なくなっていたことも関係があるかも知れません。

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