アメリカによる歴史ねつ造3と言論の自由1

アメリカも中国や韓国と同様に相手が弱ければ黒を白と強制するような国であり、(むしろ背後で主導して来た国です)ひいては歴史に関しても、ご都合主義の国であったことが占領政策に反する文書廃棄指令の事実が明るみに出て来たり、米軍政に都合の悪い記事は全部検閲で(墨塗りのひどさは語りぐさになっていますが・・・)報道出来なかったことから明らかです。
・・本日現在でさえ、マスコミは米軍の存在意義を否定する議論すら(占領継続のためにのみ駐留しているという意見が正しいかどうかではなく、これに関するオープンな論争すら出来ない状態は民主主義国として異常です)許されない状態からも明らかです。
明治憲法では「臣民の義務に反しない範囲で思想表現の自由が認められていたに過ぎない」と習いますが、戦後はアメリカの主張に反しない範囲しか言論の自由がない状態が今でも続いていることになります。
民主党党首だった小沢氏が政権獲得直前に「日本防衛のためだけならば、第7艦隊だけで充分だ、駐留の必要性はない」と主張した途端に約一ヶ月後くらいに秘書が逮捕されて結局総理になる直前で失脚してしまいました。
報道・思想抑圧をしながら、米軍自身による戦時中の非人道殺戮行為や自己の占領中の犯罪行為を隠し続けて来たアメリカが、現に奴隷のように抑圧している日本に対して基本的人権の重要さ・民主主義・思想表現の自由や道徳を教えてやるなどと漫画みたいなことを主張していたことがわかります。
とは言え、中国朝鮮の反日教育同様で学校教育の洗脳効果は偉大で、私などはアメリカの意を受けた戦後教育真っ盛りのときに教育を受けて育ったので、アメリカを理想的な国だと信じて育ちました。
私は戦後地方に疎開して育ったので身近に米兵や朝鮮人を見る機会が少なく、報道統制下では米兵の事件に直接かかわらない限り、米兵の悪事を知る機会がなかったことによります。
アメリカを美化するような歴史教育の一例として、黒人差別問題を取り上げておきましょう。
高校までの歴史では南北戦争があたかも奴隷解放戦争であったかのようにその部分だけ強調して習い、如何にもその後黒人差別がなくなったかのように(なくなったとは教えられませんが奴隷解放だけ取り上げて強調すれば誤解するのが普通です)印象づけられていましたが、実態はまるで違っていました。
アメリカでは、黒人差別をなくす方向に政治を進めたケネディ大統領が凶弾に倒れ、これを引き継いだジョンソン大統領の元で1964年7月になって公民権法が漸く制定されたに過ぎません。
(それまでは事実上の差別が残っていたのではなく、法的に選挙権もなかったのです!)
法律が出来てもそのとおり差別がなくなる訳ではなく、非暴力で差別撤廃運動を展開していたキング牧師が暗殺されて大騒ぎになっていたのは1968年4月でした。
(とっくに戦後が終わっていた昭和43年になっても、アメリカではまだ人種差別で殺し合いをして騒然としていたのです!)
こんな恥ずべき人権侵害国が、世界中に人権の重要さを教えてやると言って指導者面していたのですから、文字どおり茶番としか言いようがありません。
戦争になればもっと民族憎悪が高まるのが普通ですから、戦時中に戦争相手の日本に対する人種差別意識・・民族抹殺意識が如何に強かったかが分ろうというものです。
南北戦争の本質は経済戦争であり、南部諸州を北側が支配下に置くことによる半独立国の連合であったUSAの骨格変更の統一戦争だったのですが、(日本古代の壬申の乱に匹敵する戦争)日本では如何にも奴隷解放戦争であった「かのように」(と正面から主張して習うのではないのですが)誤解するような文脈で習います。
アメリカの基準ではリンカーンのゲチスバーグの演説が自慢だから、この名演説を丸暗記させたり奴隷解放を強調していたのでしょうが、縄文の昔から動物でさえ家族以上に可愛がる日本人からすればおかしなものでした。
日本人としては、この学習で最近まで人を家畜のように扱う奴隷制度のあった国・・・・怖い国と戦争したものだという印象で習うのですが、実際には黒人が奴隷でなくなったというだけで差別がなくなっていなかった点については全く教えられていませんでした。
我が国は名目上独立したものの戦後約70年近くも経過しているのに、未だに米軍基地の存在理由についてオープンな議論すら出来ないのと同じです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC