婚姻率の低下(家庭の消滅)7

専門家同士の結婚でもよほど女性の方が実質レベルが高くて、仕事を余裕でこなしてその上に文化・教養面で多くのものを持っている・夫のレベルより高ければ男性はその恩恵を受けるので問題がありませんが、その場合、女性の方が不満になるでしょう。
男女同等レベルまたは女性の方がアップアップ(劣っている)の場合、家に帰ると仕事処理に余裕のある男性の方が、家事分担時間が多くなり、いろいろな処世術を身につけてしまいセンス・文化面でも逆転夫婦が出来てきます。
今でもそういう夫婦が結構いますが、仮に四分六くらいで男性が素質で優っていても、専業主婦の場合女性は長年文化面専業で訓練を受け生きて来た強みと時間がある(一日中家にいる)ので表面上逆転可能ですから、外見で大きな差が見えるのはかなり素質差のある夫婦に限られます。
これがどちらもお受験一筋で来たうえにどちらも遅くまで仕事で目一杯の専門職同士の場合、女性だからと言って特段の文化訓練を受けていないし、結婚後は子育てなどに忙しくこれに割く時間もないので素質差がモロに出てしまいます。
この時代が続くと男性は何の恩恵を受けるために結婚して(窮屈な生活をして)いるかと疑問になるのは時間の問題です。
医師の場合分り良いですが、手術後の症状管理のために昼夜なく病院から出たり入ったりしなくてはならず、家庭維持どころか自分が生きて行くのがやっとと言えるほどハードな勤務ぶりになっているのは周知の通りです。
極限まで睡眠時間を削って夫婦でこれをやっていると家庭が何のためにあるのかとなるのは時間の問題でしょう。
30年ほど前に千葉大女医殺人事件が世間を騒がせましたが、(今でもウイキペデイアに出ています)新聞報道によると夜中の2〜3時頃に妻が医局に用があると言って家を出た後どうのこうのと言う夫の言い訳・顛末でした。
夫婦関係維持に危険があるので女性医師の場合、(医師である夫の収入だけで十分豊かに生活出来ることもあって)殆ど家庭に入ってしまう結果になっているのでしょう。
法律家夫婦の場合、家庭に入ってしまう女性が殆どいないのは、夜中まで不規則勤務をする必要がないので何とかなっているのかもしれません。
まして(女性の)人権擁護・拡張を理想としてせっかく法律家になったのに、法律家になった途端に家庭に入ってしまうのでは本来の職業意識・使命感(実質的男女平等の実現)とも合いませんし・・・。
子供を夫に預けて働きに出ても「男も子供が欲しい筈だから良いのじゃないか」と安易に考えるヒトがいると思いますが、この刷り込みは動物の本能に基づくものではなく、女性による洗脳効果によるもの(メッキに過ぎません)に加えて昔は家の跡継ぎが必要と言う道徳がこれを後押ししていましたが、今ではそんな押しつけは効きません。
子供がいないと老後困るでしょうと言われても、結婚している男性は一般的には妻に介護してもらえますし、(この後で書きますが現に結婚しても子供を産むのをいやがる夫が出て来ています)今では独身のまま高齢者になってもそれなりの介護施設が発達していますし、今後益々発達するでしょう。
親がいつまでも元気なので、独身のまま親元にいれば今では50代までは親が身の回りの世話(炊事洗濯・家の修理その他近所付き合い)をしてくれるので、(経済的にも給与のうち5〜6万円程度食費としていれれば良いので、後は使い放題です)男女共に気楽な人生になっています。
親がいなくなって一人では不便だとなってからの結婚では、最早年齢的に子供を産むことが出来ませんし、お互いに異性に対する魅力をあまり感じなくなっているので結婚率も下がり、殆どが独身のままになるでしょう。
こういうヒトが増えてくれば、高齢独身者の介護設備やシステムが整備されて行くようになるのは時間の問題ですから、独身のままでも老後の心配はそれほどでもありません。

婚姻率の低下(家庭の消滅)6

庶民も明治以降男女共に貨幣経済化に組み入れられ・・通勤して働く時代の到来によって、女性は出産子育て中は退職せざるを得なくなって無収入状態に陥って夫の給与収入に頼るしかなくなったので、(武士に限らず)庶民も(武士の妻のように子育てに専念出来て楽が出来るようになった・・3食昼寝付きと揶揄されていましたが・・)その分家庭内の地位が低下し、まさに男尊女卑の思想が庶民にまで妥当する時代が明治以降昭和50年代頃まで続きました。
これに気づいたのは中ピ連の活動家と言うところでしょうか?
彼女らは妊娠に対する女性の意思を大事にせよと(主張・暴れる)だけで、女性の職場確保の建設的主張まで行かなかったので尻すぼみになってしまったのです。
中ピ連の運動については、07/03/10「両性の平等と社会基盤」で紹介しています。
ここ数十年来保育所等の発達に連れて独身を貫く女傑・高学歴専門職種に限らず、一般女性が結婚しても生涯働き続けられる時代が来て、結婚後の女性も無収入・低賃金ではなくなり、他方で男女賃金格差が縮小して来ると様相が変わってきます。
農業や商売のようにどんぶり勘定による一家としての収入の場合、管理権をどちらが握るかで(腕力・武力を背景にしているかどうかは別として)支配服従関係が確立しますが、最近の高学歴化・あるいはパートその他で外に出て生涯働き続けるようになると妻が独自収入を獲得します。
現在の共働きでは、(農作業と違い)夫婦別建て給与(個人経営の弁護士の場合も夫婦同じ事務所でないのが普通ですので、それぞれ別の収入が原則です)収入になっている結果、却って江戸時代までの男性の家計管理権限を失わせてしまいそれぞれ独立の財布を持つようになりつつあります。
個別収入化は、江戸時代まで女性が実質的収入主体でありながらも(特に明治初期の養蚕などは女性労力100%の時代です)夫に管理されていた江戸時代よりは、却って名実共に女性の自立・自己管理権を後押しする結果になって行きます。
子を生むかどうかに拘らず女性が夫の経済力に頼らないで生きて行けるようになれば、結婚しない自由・子を産むか生まないかの選択の自由を手に入れることになります。
女性の収入が男子平均より低くて、一人で生活して行けないことはこの場合問題ではありません。
この後に書いて行きますが、男性も末端職種(非正規雇用とその周辺)では賃金の低下傾向があって、親と同居以外は複数でないと生活が出来ない点は同じですから、女性同士、男性同士あるいは男女混合のルームシェアー、あるいは賄い付きワンルームマンションの問題になって来ます。
女性一人では収入がなくて生きて行けないことを前提にした「子を産まなければ養ってもらえない・・・・」「お嫁の貰い手がない」と言う殺し文句が通用しない時代到来です。
独自収入の獲得によって女性の選択肢が広がり地位(自主選択権)が向上するのですが、高学歴獲得で経済力を付けながらも子を産むことにした場合、伴侶にとっては子育てに長期間協力する代償は何か?となってきます。
女性は、生まれつき女性であること自体によって男性には魅力的ですが、子供が育ち上がるまで30年前後の長期間経過でもその魅力を維持出来るかは別問題です。
妻が専門職で夫を主夫にして女性が養っている場合は、男女逆転しているだけですからメスに養ってもらっているライオン同様で従来の夫婦の枠組みで問題がないでしょう。
実際には夫婦共に専門職のカップルに多いのですが、(芸能人同士、教員同士・医師同士・薬剤師同士あるいは法律家同士など・・)どちらも自分の専門職業の準備等に忙しくしていて相手をかまっている暇がない場合、子育ての押し付け合いになってくると、(妻の母が殆どを見てくれるとしても・・)オスにとっては何のために一緒にいる必要があるのかの疑問がわいて来るでしょう。
オスも明治以降の教育(古くは江戸時代からの勤勉革命の成果)によって働き者になっていて、今では縄文時代のオスみたいにメスに寄生して養ってもらわなくとも、メス同様に自分の独自給与がありますので、食わしてもらうためにメス集団に居候している必要性がありません。
「何の因果で毎日家に帰らねばならないのか?」と古代から放浪を本質とするオスにとって封印されていた疑問(本能)が湧いて来て先祖帰りするヒトが増えて来てもおかしくありません。

女性の地位と社会進出

December 8, 2010「フランス大革命と所有権の絶対4」で書いたように、わが国では農地支配は重層的関係で、武士は領主支配権だけで農地の直接所有権までは持っていませんでした。
小作関係も同じで、西洋では自分の農地感覚ではなく従業員的立場で耕作していたので、(一所懸命の伝統がなく)エンクロージャームーヴメントで簡単に追い出されてしまったのですが、我が国では名目上は地主所有になっても、実際には小作人が直接農地管理をしていて一種の請負のような関係で敗戦後農地解放まで来ました。
ですから農地解放で、スムースに現に耕作している農民所有に復帰出来たのです。
元々農民の多くが小作関係に転落したのは地租改正・貨幣経済化・・金納制になってからのホンの僅かな期間に過ぎなかったことを、04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」前後で紹介しました。
我が国では国民の大多数を占める庶民・農民の生活は(武士・領主と農民の関係同様に)女性の労働に頼っていた・・武力(夫の)支配は観念的政治支配権(家の中で形式上大事にされていた)だけで直接支配権まで持たなかったことから、女性は飽くまで農業の主役のままでしたので実質的発言力が高かったのが、西洋やアラブ系の女性とは違います。
(今でも旧式の温泉ホテルや料亭はおカミさんが実質支配人で、男の社長は商店会の集まりに出たりウロウロしているばかりです)
西洋の歴史をそのまま理解して日本の男女関係を理解したら間違いの元です。
上位階級の理想・価値観が専業主婦・お姫さまでしたので、明治以降庶民も給与所得による収入に変化し、しかも高度成長期でサラリーマンの所得が上がると誰もが専業主婦になるの(専業主婦を養えるエリートとの結婚)が理想と思い違いしてしまったのです。
(女性には、何故か働かないお屋敷のお嬢様や奥方に対するあこがれ・・シンデレラ物語の精神があります)
皮肉なことですが女性の理想・・汗水たらさずに、どろんこになって働かないでいられる生活は、それを実現すると実質的地位低下をもたらすことに気がついていなかったのです。
日本の女性の実質的地位の高さは家庭内で実際に働いているのが主婦・妻自身であって使用人任せでないところが大きいのです。
この点西洋では、レデイーファーストと言いながらも実質的には家庭内の地位が低いのは、育児もベビーシッターや家庭教師に任せ、自分はパーテイー等で楽しむだけでは、立場が弱くなるのは当たり前です。
ただし、貴族の場合領地経営は奥様の仕事で、夫はロンドンなど宮廷に出仕して領地経営にはあまり関与していませんでした。
領主夫人は執事を引き連れて年中飛び地の領地周りをして領地ごとの管理人から収支の報告を受けて帳簿をチェックし細々とした指図をしなければならず休む暇がなかったようです。
西洋では別荘と言うか各地に屋敷があり、巡回裁判所などの伝統があるのは、こうした巡回の歴史(領主裁判権の時代が長かったのです)があるからです。
このように男女の実質的格差・・女性の家庭内地位は日本以外の国では日本よりはかなり低いのに、社会進出になるとインドやその他後進国ですら日本よりも比率が高いのは、外国の女性は家庭内を牛じることに対する関心が低い・・元々家事に時間が取られていなかった歴史によるところが大きいでしょう。
日本の女性は有史以前から支配して来た家庭内の実質支配権が空洞化する危険を冒して社会進出するしかない(従来の家庭運営形態では二者択一しかなかった)ので、独身を選択する女傑(土井元衆議院議長など)に偏ってしまうので大量進出が進みません。
これが、家事育児の社会的受け皿の整備と夫の協力(お手伝いの域を越えた)参加によって、女性が家事育児に割く時間が減少し社会進出が容易になって来たのが昨今の現象です。
ベビーシッターや家事使用人(ここ数十年間は長寿化の結果いつまでも元気な妻の母親が代わって家事を引き受けることによって、テニス・バレーその他女性専門職業が成り立つようになっていますが・・・)に頼らず社会参加を実現する我が国の方向性は正しいのですが、省力化であれ社会のインフラ整備・夫の協力教育その他何であれ、女性の家庭内の実質的関与時間の縮小が、家庭内の発言力低下をもたらす効果は同じでしょう。
July 14, 2011「結婚離れ1」以来のシリーズは、この変化が家庭内の男女関係・・結婚制度にどのように変化をもたらすかの関心で書いています。

オスの定着2と支配

男性が定着するようになったのは、言わばライオンがメス集団の狩りのおこぼれを貰うためにメス集団にくっついている・・言わば放浪をやめて定住・定着しているのと元は動機が同じだったことになります。
ただ、一時的滞在が徐々に長くなりその内定着して行きますと、人間のオスの場合、腕力にものを言わせてその集団の経営に対する発言力が高くなり、結果的に乗っ取ってしまい、我が国ではここ2〜3000年ばかりオスがメスを食わしてやるかのような擬制が成立して威張っていた点がライオンとは違います。
前回書いたように食料を狩りに頼るのは人間に限らず生産性が低いので多くを養えず、ライオンはメス多数に対して1頭しか養ってもらえないのと、メス自体狩りをする関係で獰猛性・闘争能力を持っているので、僅か1頭のオスライオンが集団内で腕力で威張る・制圧することは不可能です。
ライオンのオスは「居候は居候でしかない」状態で現在まで来たのですが、人間の場合、1対1の関係である上にメスの方はライオンのように戦う習性がありません。
オスは元々用心棒として入って来たものですから、初めっから武張っていたでしょう。
メスの方は、これに対しておだててオスを使う・・定着させる方向性で来ましたから、(我が国は男社会でもおだてて使う傾向です)外形上オスの言いなりになる形式が続き、(オスは家ではお店の客みたいな扱いでした)オスの方も千年単位でこんな生活をしているうちに本来メスの造って来た農地・生活手段が自分のもののような気がして来た(欲が出た)のでしょう。
対外的には「俺の(用心棒になっている)農地に勝手に入るな」と言っていたのでしょうが・・その内「俺のもの」になったのです。
平安中期以降武士の台頭によって、武士の集団・一族統率形式が、日本社会の標準型みたいな風潮になって行きます。
武士の社会では文字どおり家(農地・領地)を守り外から戦利品を獲得して来るのは男の仕事ですから、獲得した領地の支配権はオスに帰属するのは当然のことになります。
源平合戦直前ころから武士以上の階層では、領地を獲得しあるいは主君から知行を貰えるのはオスの戦功によるのですから、現在の給与所得が夫だけしかなくて、家族はその御陰で生きているのと同じ関係・・貨幣経済化した明治以降の庶民と同じ関係がそのころから始まっていたので女性の地位が低下したままになっていました。
ところで日本の農地の直接的支配権は武士やオスがいくら威張っても実は現に耕作し管理している女性の実質的管理権はびくともしないままだったのです。
(今は過去のことになりましたが、3〜40年前まで家庭内の大問題であった嫁姑の関係も同じで、実際に何時までおしゃもじ権を握っているかで地位の強弱が決まります)
西洋では領主=農地所有者で、このために革命後も「所有権の絶対」の保障が貴族の経済力維持・政治発言力温存に繋がっていることを
December 8, 2010「フランス大革命と所有権の絶対4」ココ・シャネルの映画の紹介コラムで書きました。
我が憲法は明治憲法も現憲法も西洋の憲法の思想を受け継いでいるので、所有権の絶対性が憲法の基本原理(第9条の平和主義よりも重視されている基本夏原理)です。
我が国では何故これ・私有権の絶対がそんなに重要な原理なのかピンと来ない人が多いと思いますが、西洋の貴族にとっては死活的重要性のある原理だから革命憲法の基本になったのですが、日本ではそういう歴史がないのに意味もなくしかも大原則として学校で習っているのです。
(ただし、所有権そのものではないですが「一所懸命」・・一カ所にしがみつく習性はありますので、フクシマ原発あるいは津波危険区域でも移転政策実施は困難です)

オスの定着1(不安定収入)

 
話を少し戻しますと、子育てによる労働からの阻害が何十年も続くと女性は子を産むと退職してしまうから、企業の方でも大金をかけて高度な生産技能を養成するのは無駄だと言う論調が幅を利かしてお茶汲みなど下働きばかりになり(女子大生亡国論以前の議論)、親もお金があっても実務教育よりは良妻賢母教育(女子大進学)をしてワンランク上の階層の(奥方としての生活を)との結婚を期待しがちです。
子を産まなくとも女性である限り経済的弱者として決めつけてしまう・・働きたくとも仕事場が用意されていない社会が出来上がると、成人しても結婚出来ないと(親の保護を離れると)自立出来なくなります。
子を産まないのに遊んでいる(3食昼寝付き)のはずるいと言う女性仲間からの批判も起きるので、結婚しても子供の生まれない女性は肩身が狭いし、他方で、何らかの事情で結婚出来なかった女性や意識的に結婚しないで生涯働き続けたい人がいても、そのための職業教育が社会的に用意されないので結婚しないで生涯働き続ける選択肢が狭くなります。
実学系に進学すると白い目で見られ・たとえばせっかく弁護士になっても女性では独立が難しい時代が続くなど、職業能力を苦労して身に付けても仕事がない事態になります。
こうした1種の迫害・女子大亡国論などにめげずに実学系高学歴に挑戦して自分で生き方を選択出来るようにする女性が増えて来た結果、女性の高学歴職場も開拓されて行きますので、先ず挑戦して来た先人の努力を多とするべきです。
女性弁護士が最近増えたことによって、女性の得意分野(少年事件や修復司法や離婚事件など・・7月12〜13日に紹介したハーグ条約・子供の連れ去りに取り組んでいるのも主として女性弁護士です)の職域開拓が急速に進んでいます。
古代以来明治まで国の基幹産業である農業収入(明治以降輸出産業として活躍したお蚕さんも同じです)を支える主役は女性でありながら、何千年単位で経済主権を男に乗っ取られていたとは言え、我が国では家庭内での実質的地位が強かったのは、実際に働いて家計を支えて来たのが女性だったし、家庭自体が女性のものであって家庭内の切り盛り運営が女性によって今でもなされていることによるでしょう。
夫はいくら頑張って、家庭ではお客様使いですし、今でも妻が家庭の主役で夫がこれをどの程度「手伝う」かで良い夫かどうかの評価(妻がお礼を言う関係)になるに過ぎません。
元は放浪していたオスが定着するようになり、定着先の家庭をどのようにして牛耳るようになったかを見て行きましょう。
オスから見れば、最初はドングリの実を拾って集めるなど(ミレーの「落ち穂拾い」の絵を見ても分るように、男の私ではとても落ち穂など拾う気持ちが理解出来ませんが・・)かったるい仕事には違いなかったでしょう。
稲の場合を考えても(何十何百回も重ねて来た品種改良後の今とは違い実のつき方も少しだったでしょう)あの小さなモミを少しずつ集めてこれを食べるなどの細かい作業はオスには気が遠くなるようなことです。
オスはまじめにドングリや稲モミの採集作業に参加せずに一攫千金・・ネズミでもウサギでもとって食べた方が早いとしてウロウロ放浪していたのですが、実際にはウロウロ放浪していると食いはぐれてしまうことが多かったのです。
今でも女性の仕事は1つ何銭というような安いものを大量に作り上げて行く作業が得意ですが、男の方は1000万円単位の不動産取引などに精を出したがります。
やらずぶったくりのヤクザ商法や小さなことに因縁を付けて法外な金を脅し取るヒトなどを見るとぼろ儲けのような気がしましたが、事件を担当してみるとそういうヒトには、滅多にヒトが寄り付かないので年に何回もウマい汁を吸えず結局は生活保護すれすれの生活です。
ヤクザはいつも恐喝などしているかと言うと滅多にチャンスがなくて食えないので、ミカジメ料や覚せい剤などその他フロント企業など事件になり難い安定収入に依存しているのです。
古代の学習漫画などでは鹿やイノシシ・・うっかりするとマンモス象の捕獲場面まで絵になって書かれますが、実際には大物を仕留めることが出来るのは稀なことで、普段はネズミなどの小動物をとって食べるのがやっとで何時も腹をすかしていたのが実態です。
バカにしていた細々した仕事でも徐々に生産性が上がって来て、安定食料になってくるとメスの採集・農耕集団の仲間入りさせてもらうようになったのが始まりだと思います。
戦後何十年ぶりでフィリッピンから帰った小野田元少尉だったか横井さんだったか忘れましたが、主に小さなトカゲやネズミを捕まえて食料にしていたと報道されていました。
偶然に委ねる狩りだけで生きるのは、今でも大変なことであることが分るでしょう。

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