婚姻率の低下(家庭の消滅)6

庶民も明治以降男女共に貨幣経済化に組み入れられ・・通勤して働く時代の到来によって、女性は出産子育て中は退職せざるを得なくなって無収入状態に陥って夫の給与収入に頼るしかなくなったので、(武士に限らず)庶民も(武士の妻のように子育てに専念出来て楽が出来るようになった・・3食昼寝付きと揶揄されていましたが・・)その分家庭内の地位が低下し、まさに男尊女卑の思想が庶民にまで妥当する時代が明治以降昭和50年代頃まで続きました。
これに気づいたのは中ピ連の活動家と言うところでしょうか?
彼女らは妊娠に対する女性の意思を大事にせよと(主張・暴れる)だけで、女性の職場確保の建設的主張まで行かなかったので尻すぼみになってしまったのです。
中ピ連の運動については、07/03/10「両性の平等と社会基盤」で紹介しています。
ここ数十年来保育所等の発達に連れて独身を貫く女傑・高学歴専門職種に限らず、一般女性が結婚しても生涯働き続けられる時代が来て、結婚後の女性も無収入・低賃金ではなくなり、他方で男女賃金格差が縮小して来ると様相が変わってきます。
農業や商売のようにどんぶり勘定による一家としての収入の場合、管理権をどちらが握るかで(腕力・武力を背景にしているかどうかは別として)支配服従関係が確立しますが、最近の高学歴化・あるいはパートその他で外に出て生涯働き続けるようになると妻が独自収入を獲得します。
現在の共働きでは、(農作業と違い)夫婦別建て給与(個人経営の弁護士の場合も夫婦同じ事務所でないのが普通ですので、それぞれ別の収入が原則です)収入になっている結果、却って江戸時代までの男性の家計管理権限を失わせてしまいそれぞれ独立の財布を持つようになりつつあります。
個別収入化は、江戸時代まで女性が実質的収入主体でありながらも(特に明治初期の養蚕などは女性労力100%の時代です)夫に管理されていた江戸時代よりは、却って名実共に女性の自立・自己管理権を後押しする結果になって行きます。
子を生むかどうかに拘らず女性が夫の経済力に頼らないで生きて行けるようになれば、結婚しない自由・子を産むか生まないかの選択の自由を手に入れることになります。
女性の収入が男子平均より低くて、一人で生活して行けないことはこの場合問題ではありません。
この後に書いて行きますが、男性も末端職種(非正規雇用とその周辺)では賃金の低下傾向があって、親と同居以外は複数でないと生活が出来ない点は同じですから、女性同士、男性同士あるいは男女混合のルームシェアー、あるいは賄い付きワンルームマンションの問題になって来ます。
女性一人では収入がなくて生きて行けないことを前提にした「子を産まなければ養ってもらえない・・・・」「お嫁の貰い手がない」と言う殺し文句が通用しない時代到来です。
独自収入の獲得によって女性の選択肢が広がり地位(自主選択権)が向上するのですが、高学歴獲得で経済力を付けながらも子を産むことにした場合、伴侶にとっては子育てに長期間協力する代償は何か?となってきます。
女性は、生まれつき女性であること自体によって男性には魅力的ですが、子供が育ち上がるまで30年前後の長期間経過でもその魅力を維持出来るかは別問題です。
妻が専門職で夫を主夫にして女性が養っている場合は、男女逆転しているだけですからメスに養ってもらっているライオン同様で従来の夫婦の枠組みで問題がないでしょう。
実際には夫婦共に専門職のカップルに多いのですが、(芸能人同士、教員同士・医師同士・薬剤師同士あるいは法律家同士など・・)どちらも自分の専門職業の準備等に忙しくしていて相手をかまっている暇がない場合、子育ての押し付け合いになってくると、(妻の母が殆どを見てくれるとしても・・)オスにとっては何のために一緒にいる必要があるのかの疑問がわいて来るでしょう。
オスも明治以降の教育(古くは江戸時代からの勤勉革命の成果)によって働き者になっていて、今では縄文時代のオスみたいにメスに寄生して養ってもらわなくとも、メス同様に自分の独自給与がありますので、食わしてもらうためにメス集団に居候している必要性がありません。
「何の因果で毎日家に帰らねばならないのか?」と古代から放浪を本質とするオスにとって封印されていた疑問(本能)が湧いて来て先祖帰りするヒトが増えて来てもおかしくありません。

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