インフレ1

インフレの場合、過去の蓄積・・金銭価値が無価値化して行く過程になり易いので、過去の成功失敗にかかわらないその時々の実力主義で立場が入れ替わりやすい社会と一応言えます。
「一応」とただし書き付きなのは、インフレでも中間層(小金持程度)以下無資産階層には厳しい結果・・競争社会になるだけで、入れ替わるチャンスどころか貧窮化して行く点は同じですが、富豪と言える階層にはあまり関係がないからです。
たとえば、自宅取得に必要な不動産価格を仮に3000万円として、労働者が、年100万円ずつ貯蓄して(これでも大変な努力です)30年かけて漸く買えるものであったとした場合、29年目に2900万円までためてあと1年と言う時に土地値あるいはマンション価格が一割上がると3300万円になります。
この年に、給与が一割上がって貯蓄も1割増やしたとしても(物価が一割上がって1年後に後追いで給与が一割上がっても貯蓄を1割増やすのは容易ではありませんが・・一応できるとした場合の話です)年110万円貯蓄出来るようになるとしても、その後1年経っても110万円しかためられないので、(290万円不足)予定通りの年に予定の土地を買えなくなります。
物価が一割上がるとあと3年近くよけいかかるのですが、この間にまた物価が一割上がると、また買える時期が先送りになります。
このように、持たざる者は半永久的に持てる階層に参入出来ませんし、裏返せば、一定以上持てる者はインフレでも有利です。
この矛盾解決のために住宅ローン制度が出来て、成果を先取りするようになったのです。
ローンでマイホームを買ったり何でも借金で買おうとする現在の習慣はこの期間に植え付けられたものですが、インフレが収まってもまだ借金で物を買おうとするのは経済原理に反する行為であって、時代錯誤・・陋習の一種と言うべきでしょう。
ここ20年ばかりサラ金その他借金漬けの庶民が苦しんでいるのは、経済原理に反した行動をしている結果です。
金銭債権保持者でもインフレによって資産が必ずしも目減りする訳ではありません。
物価が上がるとこれに比例して金利も上昇しますので、5〜10億円持っている人はその年にそれまでの金利(3〜5%)に一割の金利が上乗せされて13〜15%になれば、一つも目減りしません。
ただ、金利や家賃収入(純益)だけで使いきれないような富豪(金融資産が10億円位が境目でしょうか?)は別として、平均的年生活費が3〜400万円かかる時に2〜300万円しか稼げずに、金利・家賃収入が50〜100万程度しかなく、これを生活費に補填しているような人の場合を考えて見ましょう。
毎年一割ずつ物価上昇して行くのに給与その他収入が物価上昇に比例して上がって行く能力のない人は、物価上昇による生活費不足分として資産(僅かな預貯金)を取り崩して行く量を増やして行くしかない・・・元本が目減りして行くことになります。
小金持クラス(中間層)までは、インフレがあるとこのインフレについて行けない人が預貯金の取り崩しをして行くしかなく中間層から落伍して行く・・インフレ率以上に所得アップする人はランクアップ出来る社会ですので能力主義で入れ替わりやすい社会になります。
若い時にまじめに働いて貯蓄していて、中高年になって労働能力が落ちてくると働き盛りのときの貯蓄を少しずつ食いつぶしている人・・これが庶民と言うものですが・・・にとっては、インフレになると20年で食いつぶす予定の預金が10年でなくなると言う事態になります。
この意味でインフレの方が、中間層以下では入れ替わりの激しい・・その時点の能力主義を実現出来るメリット(高齢者・弱者にはデメリット)があると言えるのです。
比喩的に言えば、中間層以下の階層にとってデフレは落ちこぼれ競争になり勝ちであるのに対し、インフレは這い上がり競争になりやすいと言えるでしょうか?

デフレ2(階層固定化)

 前回書いたように技術革新の結果、絶えざる価格破壊が進む社会では、名目成長が止まっているように見えても実質的には成長が進んでいるのであってそれなりの効用がありますが、技術革新による価格破壊もなく単に他につられて物価が下がるだけのデフレの場合・・あるいは成長の止まった社会では、既得権益・既得資産の価値比重が増すので、格差固定しやすい点が問題です。
労働者の立場で喩えて言えば、1時間に作れる数が2倍に増えているのに労賃がⅠ、5倍にしかかならないとすれば、労働者の品質・・労働効率が良くなって労賃が割りに安くなっている場合は前向きですが、就労機会が減ったためにダンピングによって労賃が下がっているだけとしたら、言わば悪いデフレです。
商品で言えば、何の改善・効率化もないのに競合他社に負けないためにただ、赤字値下げしているようなもので、不健全そのものです。
このような値下げ競争は業者の場合採算割れで淘汰されて行き、その内需給が均衡する経済原理が働きますが、労働者過剰の場合、いくら下げても(失業者が海外に出稼ぎに行かない限り、人間の淘汰はあり得ないので・)供給過剰が収束しないので放置すれば賃金の下降現象は新興国並みの水準に下がるまで自動的に収まりません。
国際水準以下に賃金水準が下がれば、汎用品等の国内生産増が始まり、その方面の需要が増えて、労働需給が締まってくることになりますが、そこまで行くには何十年〜100年も先のことでしょう。
実際そこまで労賃水準が下がる=新興国と同じ生活水準に落ちることを楽しみにしている訳には行きません。
労働者人口をそのまま維持して労賃の下がるのを待つよりは労働者供給をしぼって行き、(結局は少子化による人口減を図って行き)労賃がそこまで下がる前に需給を均衡させるのが筋です。
この均衡に至るまで放置していると失業が増大して社会不安になり易いので、政府は必死になるのが普通ですが、政府には新たな産業を興す能力がないので、税を使った社会福祉系産業への補助金増・・介護現場労働者を増やすなど従来水準よりも低賃金職場の拡大による吸収しかありません。
国の総生産が一定である時に、これに必要な労働人口以上の人口をそのままにして大勢で分かち合おうとすれば、ワークシェアー・所得シェアー策(低賃金化)しかないのですが、これが同時に中間層以下の没落・・階層固定化を進めることになります。
何故デフレが階層固定化に結びつきやすいかについては、この後インフレとの比較を書いた後に都市住民内格差のテーマで書いて行きます。

デフレの効用1

 

少子化が進むと国内需要もその分縮小しますが、その分養う人口が少なくなるので問題がありません。
今後海外貿易あるいは所得収支による黒字も徐々に減って行く可能性がありますが、仮に黒字が1割減っても人口が2割へっていれば、オツリが来ます
まして過去の経済大国としての蓄積・遺産でやって行くには、これを使う人口が少ない方が長持ち出来ます。
遺産額が同じとすれば相続人が少ない方が一人当たりの相続が増える関係は国全体でも過去の蓄積利用と言う点では同じですから、日本の政治家がこの難局・・グローバル化対応能力に欠けているならば、ここは一旦少数精鋭主義・・内部留保に努めて身を縮めて一時しのいでおく・様子を見るのが賢明です。
不利な状況時に(為政者やリーダーが対応能力に余るならば)これをやり過ごすには、身を縮めるのはあらゆる生物の本能ですから、この際身を縮めた方が合理的です。
新しく飛躍するには身を縮めてジャンプする必要があるように、いつも伸び切っている必要がありません。
経済規模の縮小・少子化の進行は経済界で言えばデフレの進行と(の原因でもあります)同じで、ここ百年あまり経験していないのでマスコミも学者も頭から悪いことと決めつけたいのでしょう。
06/27/03「学者と実務家 6(教育改革の方向)」05/01/03「プロとは?2」その他で繰り返し書いていますが、学者(文字通り他人の経験を学ぶ人のことです)には過去の経験値の集積が得意な人が多く(学校の成績判定はこうした能力を試すように出来ています)、新しい未経験時代への想像力に乏しい人が偉くなっているのが原因ではないでしょうか。
都市等を縮小してコンパクトにして行くべきですが、その主張の行き着くところがデフレと共通ですので、これについてここで一言書いておきましょう。
私はここ20年ばかりのデフレ傾向は国民にとってとても良いこと尽くめ(と言うのは言い過ぎかも知れませんが・・・)だったように思っているのですが、学者は歴史上の経験を前提に少子化の進行同様にドグマとしてこれを非難するばかりです。
新聞やテレビを見れば一日中どこかでデフレ脱却が急務だなどと言うまことしやかな議論が溢れているので、マスコミの受け売り中心の日本中はこれが今では宗教の如くになっています。
「デフレだと何故悪いの?」と言う質問でもしようものなら、よほどバカのように顔を見直されかねない勢い・・言論の自由がないのです。
図式化をすれば、インフレ・・販売単価が上がれば商人が儲けやすく国民は困るし、デフレ・単価が下がれば売る方が困り消費者が喜ぶと言う図式でしょうか?
所得税も累進税率ですから、インフレで物価が倍になって給与も倍になれば同じようですが、税率がアップするので自動的に引き上げになります。
インフレが良いかデフレが良いかの問題を所得の国内分配率をどこに置くかの問題として見れば、デフレ/円高による輸入物価が下がっても賃金の下方硬直性があるので国民個々の所得分配率があがることになります。
デフレは労働分配率が上がって政府や商人・生産者にとって困ることばかりかと言うとそうでもありません。
従来と同じ生産・物流方式のままで値下げ競争だけと考えれば産業が疲弊するだけですが、コストダウンにしのぎを削っている中からユニクロのような成功者が必ず出てくるものですから、デフレは技術革新に繋がりやすいと言えます。
薄型テレビやパソコンその他電子機器がレベルアップしたにもかかわらずダンピングで値下がりしているのではなく、他所より早くあるいは効率が良くなった・・技術革新に成功した会社が、値下げに成功しているに過ぎません。
技術革新や生産方式の革新によるコストダウン競争について行けない企業が、従来製品よりも品質を落として値下げ競争に参加していると脱落していくことになります。
平成元年頃に2〜300万していて、月額4万円前後の月賦だったかリースだった大きなパソコンが今では10万円内外で買えるのは、技術革新のお陰です。
飲食その他いろんな業界になると新機軸を出せる企業は一つの業界に一つあるかないかですから、業界全体の多数でデフレ反対の大合唱になりがちです。
しかしデフレが続くと原価割れの値下げや、品質を落とす値下げには限界があるのでそこから苦し紛れの工夫が生まれる可能性が高くなり、国家としてはプラスです。
(雪印や船場吉兆あるいは原産地虚偽表示のように後ろ向きの工夫もありますが、これは競争下でいつでも生まれる一種の病理現象に過ぎません)
歴史を辿れば産業革命・・生産効率の革命は、結果的に価格破壊・製品値下げ競争でもあったのです。
この値下げ競争に負けたインドの木綿職人は壊滅的打撃を受け、新興のイギリスは世界の覇者になれたのです。
このように円高等によるデフレの場合、国民の生活水準は上がるし企業努力が起きやすいので国際競争力の源泉になります。
(・・企業努力を怠って、大変だ大変だと言っているだけですとイギリスに負けたインドのようになります)
インフレの場合、国民個々人が出来ることは節約くらいしかなくて(給与アップはインフレに追いつかないのが普通ですので)結果として生活水準が低下する一方となります。
他方業界は(仮に円が半値になった場合を考えれば分りますが、)特段の努力をしないでも海外で飛ぶよ売れるし、国内でもインフレの場合、(安易に便乗値上げしていれば儲かるので、)産業を筋肉質にして行く努力が弱まるマイナスが大きいのです。
これといった努力をしなくとも作りさえすれば、売れるような状況では進歩がありません。

人口減と少数精鋭2

今後は人材の構成比率を知財や熟練工向けに品質を引き上げるしかないとすれば、(ヨドバシカメラなどに行くと商品知識の豊富さに驚かされますが・・サービス業でも一種の熟練が必須です)生産量・・出産をしぼるしかありません。
料理でも美容院でも量で勝負するよりは味やセンスで勝負するとなれば、労働者・調理師・美容師の数ではなく人材次第です。
今後我が国の将来を決めるのは人口の数ではなく、(数だけ増やして失業者を増やしても仕方がないでしょう・・)品質次第ですから、それをどう実現するかに着目すべきです。
出産段階で選別するのは当面無理だとすれば、大量生産よりは少量化するほど品質が上昇するのは生物の原理ですから、(だから果樹業者が摘果しているのです)もっと少子化に励めば、汎用品向け製造人材や現場労働向け、汎用的な事務・ホワイトカラー向け人材よりはもっと精巧な物作りや研究・知財に適した人材の構成率が上がる筈です。
現在の少子化議論(危機感の強調・煽り)・・「大変だ大変だ」と騒いでいるのは、適正人口に関するこれと言った議論をしないで(封じたまま)当然のことのように最大に延びきった2005年時点の約1億2776万人を適正としてこれを維持する前提で主張していることになります。
政府・マスコミが何を言おうとも動物的本能の結果、1950年頃から女性が本能に従って少子化に動き始め今も少子化が進んでいるのですが、中国やインドみたいに人口さえ多ければ良いと言う思想(・・しょっ中戦乱や災害が絶えなかった歴史によるだけでしょう。)から政府や学者も卒業する必要があるのではないでしょうか?
実は中国自身は一人っ子政策を採用したときから、人口を多くすることで国際競争しても意味がないと悟って人口増政策を綺麗さっぱり捨てているのですから、日本の方が何十年も意識が遅れているのです。
011-1-07「適正人口2」で紹介したとおり、人口では減少に転じ始めていますが、労働市場ではまだまだ定年延長や高齢者雇用の奨励・あるいは女性労働力の活用により、就労人口は伸び続けていることを労働需要減少と就労者増Posted on January 12, 2011のブログで紹介しました。
この方面では、まだ労働市場の縮小傾向に対して就労者人口減の方が追いついていないのです。
比喩的に言えば、定年延長により飲食店の客の滞在時間が延びているのに加えて店内のテーブルを10席から9〜8席に減らしているのが最近の国内生産縮小・経済状態による中間管理職減等になっているのですから、長寿化による滞在時間の延長に対応するだけではなく、国際情勢の変化も盛り込んだ人口政策が必要です。
長寿化による寿命の延長は限界が来始めて出生率の低下によって漸く人口自体は均衡し始めたのですが、労働力としての滞在期間の延長と需要の縮小はまだまだ続きそうな雰囲気です。
政府の方は年間支給時期を遅らせるためには、高齢者雇用をもっと促進したい構えですから、就労希望人口はまだまだ増え続けるでしょう。
なにしろ団塊世代が1年よけい働くとその分(200万前後もいます)若者の雇用の場が減るのですから大変です。
これが1月4日の飲食店の例で滞在時間が50分で安定するのか55分〜60分まで行くのかの見極めによって、昔誰かが考えた(上記の例で言えば30分滞在を前提にした)均衡すべき合計特殊出生率では、現状維持の筈が却って人口増になりますので、人口維持に必要な特殊出生率を再検討する必要があります。
前記の例で言えば、滞在時間増に比例して客席(職場)を増やして行って何とかなっていたのが高度成長期から昭和末頃までだったのですが、バブル崩壊後国内生産が縮小に転じても(客席数が減り始めても)同じ考えで客の入りを続けていたので、入口での滞留者(失業者)が増えるので、シェアー策として(相席ならぬ)非正規雇用が増えて行かざるを得なくなって来たのが現状です。
若者が働きやすくして希望を持たせるには、急激な高齢者雇用の延長と構造変化による中間管理職減少・国内生産縮小にあわせて、新規参入を減らす・・出生率を大幅に下げる工夫がまだまだ必要です。

人口減と少数精鋭1

企業はパソコンの普及開始後から再編を急ぎ事務系労働者や中間管理職が急激になくなり、シーマンショックで大胆なリストラ・スリム化を計っているのですから、国全体でも新たな産業構造に対応した人材供給政策・・不要になった汎用品製造向け労働者や単純事務作業や中間管理職向け人材過剰を解消する必要があるのは同じです。
企業の場合、割り増し退職金を払って企業外に出してしまえば解決ですが、国の場合移民支度金を払って戦前のように満州に押し出すことは出来ません。
出来ることは長期的な、人口調整政策しかありません。
今後の世界(科学技術の進歩)を見渡せば、同じ量の生産に必要な現場労働力と中間管理職が激減して行く方向であることは中国・インド等の台頭を抜きにしても同じことです。
産業革命以降生産性の向上に比例して同じ量の生産やサービスに必要な人員が減る一方であったのですが、(そこに着目してラッダイト運動が起きたことは歴史で習うところです)市場を国内だけではなく海外に広げることによって、先進国では労働者削減どころか不足気味に推移したのが植民地争奪戦から中国の解放までの時代でした。
世界の工場としての役割が韓国台湾等のニースから新興国の中国インド等に入れ替わって行くとすれば、国内生産は減ることがあっても増えることを期待するのは無理があります。
仮に現状維持でも生産性向上に比例して(生活水準の向上に比例して消費総量も増えますが・・)労働力過剰になるのは当然です。
1月16〜18日にかけて車や製鉄、国内総生産が大幅に伸びていることを紹介しましたが、それにもかかわらず就労人口が700万人も減っているのです。
これに加えて労賃の易い新興国が同じ生産設備を使って参入する時代が来たので、先進国の労賃はこれに引きずられて下がるか、(国際平準化傾向についてはこれまで何回も書きました)競争に負けて輸出国から輸入国になり国内需要分さえ生産出来ない時代が来る可能性があります。
中国やインドへの進出加速とは、言い換えれば国内工場が競争に負けて増設出来なくなり、閉鎖して行く過程の別表現とも言えます。
さしあたり国内工場が現状維持出来ているのは、新興国参入分だけ、その国での消費が増え続けているので新興国生産分がそっくり従来先進国生産分に置き換わらないからです。
その内新興国からの輸出が増加してくるでしょうから、先進国では汎用品大量生産型の工場縮小が続き、この分野でしか働けない労働者の失業がもっと深刻化する筈です。
この分野の労働者はずっと前から技術革新によって過剰になっているのですから、この分野向け外国人労働者の移入論は時代錯誤論だと言うのが私の年来の主張に繋がります。
先進国は当面付加価値の高い製品・・知財等で勝負するしかないので、汎用品向けの非熟練工や中間管理職までの末端ホワイトカラー向け人材供給を縮小して行くしかありません。

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