遺産価値と高齢者

 

現在社会では親が1〜2億円残してくれても、本人が掃除夫や労務者をしていると社会で大きな顔を出来ませんし、その逆に親が数百万円しか残してくれなくとも自分の才覚で中小企業のオーナー、大手企業の社長になっている人にとっては大きな顔をして人生を送れるのです。
ところで、農業社会であっても農地売買が自由化されていれば、能力のある人が少しずつ買い増して行き、長い間には、2倍の耕地をもっていた人との地位(収入)の逆転も可能です。
これに対して農地売買が禁止されているとホンのちょっとした能力差に基づいて少しずつ溜め込んで少しづつでも農地を買い増して行くことが出来ないので、農地の売買禁止制度は、(農業が主産業の時代には)言うならば格差固定社会の制度的保障だったのです。
現在で言えば、ドラグストアーや牛丼店、ラーメン屋、ホテル等の経営者が儲けを少しずつ溜め込んで少しずつ店を大きくし、あるいは1店舗ずつ出店して増やして行くことが禁止されているようなものです。
耕地売買禁止は貧農の没落防止・弱者保護策とは言うものの実質的には体のいい競争禁止制度・格差固定制度として機能していたのです。
現在での弱者保護を名目に競争をなくそうとしているのと同じで、結局はある一時期の競争(江戸時代で言えば戦国末期の功労)の結果出来上がった既得権の保護思想でしかありません。
こういう制度下では農業従事者にとっても工夫・努力によって耕地・経営規模拡大が出来ないので、精々濃厚な手間ひまかける集約農業に進むしかなかったことになります。
江戸時代の永代売買禁止令は(新田開発がなくなった以降は)規模拡大が出来ないだけではなく、経営に失敗しても農地を失わない制度でもあったのです。
今で言えば、店舗買収や新店舗開店を禁止していれば、10店を相続した人と2店舗を相続した人とでは、どんなに能力差があっても失敗した方の店の存続は許されるし、成功した人も店舗新設拡張が出来ない・・一生どころか何世代たっても同じ格差のままの制度だったと言うことです。
こうして見ると、世襲・身分制社会出現は静止した・成長の止まった(新田開発の止まった)農耕社会のほぼ必然だったし、永代売買禁止令はこれの制度的保障だったとも言えます。
江戸時代の永代売買禁止令の表向きの理由は、弱者が農地を失っていよいよ落ちぶれて行くのを防ぐと言うこと・・今で言えば市場経済化・格差拡大反対・負け組を作るなと言う合唱と同じです。
とは言うものの、小作人化を防ぐのは別の方策を考える・・市場経済化による病理の救済は、別に考えればいいことです。
格差拡大反対論は、一見きれいごとをいいながら実は過去の格差・既得権を固定する役割があるので、要注意思想です。
市場経済化反対・格差反対論は、実質は格差固定論であることについては、01/19/10「終身雇用と固定化3(学歴主義2)」以下のコラムで少し書きましたし、この後市場経済・・学歴主義と競争に関してもう一度書きます。
江戸時代を通じて永代売買禁止がくり返し強調されたのは、農地売買の自由を認めると農家の流動化が始まり、ひいては幕藩体制の基礎たる固定社会崩壊に連なるリスクがあったからに過ぎません。
話がそれましたが、我々が育った高度成長期の日本では遺産として1000万円貰った人と500万円貰った人、100万円も貰えなかった人との格差が一生続くものではなく、その程度の差では一時的効果でしかなく、本人の能力・努力差による差の方が大きい社会でしたから、親からの遺産を期待する比重が大幅に減少していました。

農業社会の遺産価値

ところで何故遺産相続の価値が低下したかの検討ですが、長寿化が進んだことによるだけではなく、農業社会では遺産が生涯の生活手段そのもの・すべてを提供するものだったことによると思われます。
農業社会の農家にとっては農地の相続をするのは、不動産屋に売れる農地(貨幣価値)を相続したと言う意味ではなく、その農地を利用して未来永劫に収入を挙げて行く生活手段・・金の卵を産む鶏のようなものを継承する意味がありました。
農業以外にこれと言った産業のない時代には、農地(あるいはこの支配権力)を相続出来なければたちまち生きて行くのに困るし、相続出来れば一生涯生活が保障されている関係ですから、相続出来るか否かは死活的重要性を持っていました。
これに対して、現在では自分の収入源の殆どは自分の能力に応じた職業によるのであって、過去の蓄積・・静止した相続財産だけで食って行けるほど巨額の遺産を残せる人は滅多にいません。
仮に一定の資産を親から受けても、鳩山総理の母が受けたような巨額遺産は滅多になくて普通の遺産・・1億程度では子供達は自分である程度稼がない限り遊んで使っていると直ぐに食いつぶしてしまう性質のものですが、農業を基本とする社会では遺産が多くても少なくともその意味がまるで違ったのです。
すなわち相続する財産・・農地は生産手段ですから、その規模がたとえば1町歩か5反歩(武家で言えば50石取りか100石取り)かによって、個人能力差によらずに生活水準が2倍の違いに決まってしまうことがあって、ともかくその規模に合わせた生活が保障されていました。
このように遺産がその後の収入・生活水準を決める関係でもあったので、遺産の規模内容が死活的重要性を持っていました。
武士の場合はお城勤めがあったので能力によって就ける役職に差が着き・・役料等で(足し高の制)修正されましたが、農家の場合どんなに能力差があっても、同じ気候風土の地域で相続する耕地面積が2〜3倍も差があれば、収穫量を逆転することは不可能・・結局は世襲財産規模によって生活水準がほぼ100%決定づけられる社会でした。
どんなにうまく耕作しても、同じ地域で保有農地5〜6反歩規模の農家の収穫量が、1町歩〜1町5反歩規模保有農家の収穫量を抜くことは不可能です。
今では遺産相続と言えば、静止した財産相続(・・社会的地位・言わば生活手段の継承が含まれる世襲とは違うことを11/14/03「相続と世襲3(民法113)物権と債権1」で少し書きました)のことですから、親の残してくれた資産がある程度あってもなくとも、現在の職業による収入の補完材料でしかなくなっているので、相対的なものでしかありません。 ブリジストンの娘・・鳩山前総理の母親のような巨額遺産の場合は別ですが、1〜2億前後の一般的な場合、その遺産で一生生活して行ける訳ではなく、人生は子供世代・・自分自身の職業生活にかかっています。

能力社会の遺産価値

今のところ一律生活費支給制度にはなっていないので、元気な夫をコケにするとたちまち生活に響くところが、父母の面倒を見ずに老人ホームに入れると将来相続出来なくなる(効果は大分先のことです・・)リスクを負うのとは訳が違います。
薬剤師や教師夫婦・公務員夫婦でもそうですが、ダブルインカムで比較的優雅な生活が出来ますが、それはダブるインカムを前提にしているに過ぎず夫の収入が入らなくなると大変です。
女性プログルファーや女優等特別な収入のある場合を除いて大方の場合、(ダブルインカムの場合でも)夫の収入を前提に目一杯ローンを組んだり、あるいは相応の高消費水準の生活になっていることが多いので、夫婦どちらかが逃げてしまうと大変どころか破綻のリスクとなります。
タワーマンション居住のサラリーマンの場合、ダブルインカムを前提にしたローンを組んでいることが多いようです。
風俗系や飲食業の場合、毎回のサービスと収入が対価関係ですから、客足が遠のけばもろに収入に響くので何時行っても愛想がいいのですが、これが仮に1年分前払いとか地位が安定化すればするほど、外形的サービス内容が低下していく傾向があります。
ですから、あまりいい客になると他の客で込みあっていると隅っこに行かされたりして客観的サービスが低下します。
それでも一見(いちげん)の客扱いよりはなじみの客になる意味は別にあるのでしょうが、それはまた別の意味がありますので、夫婦と挨拶程度にとどまる知人や競争相手にすぎない仕事同僚の外にどこか心のよりどころになる中間的人間関係の必要な時代が来ているかもしれないと言うテーマで別に書きます。
労働契約でも日雇いから期間工、契約社員、正規社員と契約関係が長期化すればするほど労働者の地位が安定しその裏返しに経営側の裁量権が後退します。
女性も外で働いていると夫婦中心のサービスがやっとで、子供が親(老人)世代を軽んじると言うか外注に委ねる方向へ傾斜して行くのに比例して、老人の方からも子供達に面倒を見てもらわない代わり遺産を子供達に残す意欲が薄れる方向へ逃げつつあります。
介護するべき子供世代(5〜60代前後)では、既に自分で自宅を買い求めた住宅ローンも終わっている世代(バブル崩壊後35年ローンが増えているので、今後は70前後までローン地獄のままになるでしょうから、これは今の5〜60代の話です)ですから、今更親の遺産がどうなろうとそれほど気にしない関係です。
今更親の家をもらえても貰えなくともそんなに気にならない・・親の家が空いても、今さら住み慣れた場所を離れて引っ越す気にもならない人が多い印象です。
江戸時代までの・・農地や家禄のように遺産相続しないと日々の収入自体がない時代から、親の遺産に関係のない勤労収入中心で食う時代に変わって相続財産の比重が下がったのです。
年老いた親の面倒をだらだらと見るよりは「遺産を貰えなくなっても良い」と言う相互の選択(勿論無意識の選択ですが・・庶民の智恵は凄い!)がうまく合致した結果でしょう。

永久就職と日銭の違い

今までの夫婦制度の本質も突き詰めれば、次世代養育のための経済負担者(動物で言えば餌の運び役)とヒナを襲われないようにするガードマン役を決めることに帰するとすれば、(夫婦関係を時代に合わせて変質させて行かないとすれば)このうちガードマン役は夫婦単位では不要・・国家負担になっていますので、今では受精後の夫の役割は経済負担以外には殆どありません。
ところが最後の砦・経済負担能力まで下がって来たので、女性の方は自分も少し稼ぐからその分、夫に対するサービス内容を低下させるだけではなく、子育てその他家事にも協力してくれと言う時代がきたのでしょう。
サービス業で言えば、対価の上下はサービスの上下に比例し、支払が悪い客には、サービスが低下するのは当然です。
愛情のこもった妻の家事育児等のサービスも、社会一般に存在するサービスの一種として見れば、サービス業によるサービスとの比較が可能です。
「家族関係はお金だけではないだろう」と一般的に言いますが、他方で老人ホーム・・介護の社会化やゼロ歳児〜学童保育所の充実等を唱える各種家事労働の社会化論は、まさに自分の最も大事な子育てさえ他人のサービスに委ねる・・すなわちお金を負担することである程度解決しようとするのが、現在社会の多数意見になっていると言えます。
(その他家事労働の機械化や惣菜その他の出来合い食品の充実化を含めて・・私はこの方向に反対しているのではなく、正しい方向と思っています)
自分で何も出来ず、最もきめ細やかなサービスが必要な要介護高齢者や乳幼児の世話を他人に委ねようとする現在の思想下で、体力気力最大で自分でやろうと思えば何でも出来る青壮年期の彼等男性に対する家庭サービスにだけ、妻の手作りの愛情が必須と言うのは矛盾です。
男の金回りのいい年代には、サービスを他人任せにせずに愛情を込めたサービスを最大にしなければ他女性との競争に負けて逃げられてしまう・・子供や老人は逃げられない?からだと理解すれば(寂しい発想ですが)合理的です。
風俗系が金回りの良い青壮年期の男性を主たる相手にしているのと似ています。
男の元気な時期(青壮年期)、炊事洗濯・掃除その他家庭内サービスを嫌がって店屋物や外注だけですましていると、男は家に帰ってくるメリットを感じなくなる・・不満を持ち始めるリスクがあります。
他方で今は小鳥のように日銭を持って帰る程ではなくとも、月々の給与を持って帰れるべき働き盛りの夫が逃げると、たちまち生活に窮します。
各種手当などの社会保障が徐々に充実しつつありますが、まだまだ社会保障の域・・最低生活保障水準に過ぎませんので、夫が給与を持ち帰らなくなると、たちまち最低生活・・低所得層への転落です。
これが後に書く予定の一律生活費支給制度が実施されるようになると夫・稼ぐ人の役割が減少して、男性が女性を選ぶ基準同様に夫選別基準も一緒にいて楽しいか否かが重要な基準になるでしょう。

人の支え(夫婦からグループへ?)

人間関係を夫婦親子と言うタイトな関係にこだわるのではなく、一定数のグループである程度まで親密につきあい、妻と飲み屋のママとの中間的な関係を男女グループで形成して行くのがこれからの精神衛生上の有り様かもしれません。
これの実践例が高齢者のグループホームですが、高齢者グループの場合別途元気な運営者が必要ですが、中高年までは自分たちのグループだけで足りるのです。
現在は核家族化の精神が極限にまで進み、家族以外には付き合いが不要とまで考える風潮・・家族万能と言うか家庭には誰も立ち入らない風潮が確立しています。
これはそれまで重過ぎた親族間の付き合いを断ち切る意味では歴史的意義があったとも言えますが、親族の代わりに友人それも1対1のタイト関係ではなくゆるやかな連帯・・グループ関係がこれから必要とされる時代が来るでしょう。
これまで書いているように農耕社会では親族間の共助が必須でしたし、そのためにも助け合えるように同じ村落内に親族が住んでいるものでしたが、都市住民中心社会では親族で何を協同すれば良いのか分らない・・「遠い親戚よりも近い他人」と言われるようになって久しく、今では冠婚葬祭や法事の時に顔を会わす程度の親族が増えました・・親戚概念による助け合い制度は意味不明になって来たからです。
近代社会では親族にかわる新たなグループの形成が必要となっているのです。
学生時代までは学校単位のグループが形成され、そこでは昔の親族なみの連帯感が醸成されて来たし、毎日顔を合わす関係上実際的な意味がありました。
しかし、卒業後元同窓と言うだけでは就職先が遠く離れていたり職種が違う環境もまるで違うとなれば話が合わなくなって来ます。
昔の親族共同体は50年経っても百年経っても同じ場所で同じ規模の農業(あるいは武士も同じ大名家で親子代々同じ仕事をしてる関係)をしている変化のない関係でした。
親しい関係は結局その時そのときの共同関心があってこそ成り立つとすれば、現在では級友時代と職場時代と引退後と大きく3段階に別れた関係を作るべき時代かも知れません。
学校出てからは(特に終身雇用の正規雇用の場合)職場ごとで親しいグループを作って行くのが合理的ですが、これが同期入社が少ない上に競争関係にあるので難しい関係です。

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