農業社会の遺産価値

ところで何故遺産相続の価値が低下したかの検討ですが、長寿化が進んだことによるだけではなく、農業社会では遺産が生涯の生活手段そのもの・すべてを提供するものだったことによると思われます。
農業社会の農家にとっては農地の相続をするのは、不動産屋に売れる農地(貨幣価値)を相続したと言う意味ではなく、その農地を利用して未来永劫に収入を挙げて行く生活手段・・金の卵を産む鶏のようなものを継承する意味がありました。
農業以外にこれと言った産業のない時代には、農地(あるいはこの支配権力)を相続出来なければたちまち生きて行くのに困るし、相続出来れば一生涯生活が保障されている関係ですから、相続出来るか否かは死活的重要性を持っていました。
これに対して、現在では自分の収入源の殆どは自分の能力に応じた職業によるのであって、過去の蓄積・・静止した相続財産だけで食って行けるほど巨額の遺産を残せる人は滅多にいません。
仮に一定の資産を親から受けても、鳩山総理の母が受けたような巨額遺産は滅多になくて普通の遺産・・1億程度では子供達は自分である程度稼がない限り遊んで使っていると直ぐに食いつぶしてしまう性質のものですが、農業を基本とする社会では遺産が多くても少なくともその意味がまるで違ったのです。
すなわち相続する財産・・農地は生産手段ですから、その規模がたとえば1町歩か5反歩(武家で言えば50石取りか100石取り)かによって、個人能力差によらずに生活水準が2倍の違いに決まってしまうことがあって、ともかくその規模に合わせた生活が保障されていました。
このように遺産がその後の収入・生活水準を決める関係でもあったので、遺産の規模内容が死活的重要性を持っていました。
武士の場合はお城勤めがあったので能力によって就ける役職に差が着き・・役料等で(足し高の制)修正されましたが、農家の場合どんなに能力差があっても、同じ気候風土の地域で相続する耕地面積が2〜3倍も差があれば、収穫量を逆転することは不可能・・結局は世襲財産規模によって生活水準がほぼ100%決定づけられる社会でした。
どんなにうまく耕作しても、同じ地域で保有農地5〜6反歩規模の農家の収穫量が、1町歩〜1町5反歩規模保有農家の収穫量を抜くことは不可能です。
今では遺産相続と言えば、静止した財産相続(・・社会的地位・言わば生活手段の継承が含まれる世襲とは違うことを11/14/03「相続と世襲3(民法113)物権と債権1」で少し書きました)のことですから、親の残してくれた資産がある程度あってもなくとも、現在の職業による収入の補完材料でしかなくなっているので、相対的なものでしかありません。 ブリジストンの娘・・鳩山前総理の母親のような巨額遺産の場合は別ですが、1〜2億前後の一般的な場合、その遺産で一生生活して行ける訳ではなく、人生は子供世代・・自分自身の職業生活にかかっています。

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