中国の脅威5(恐怖政治と世襲化)

中国としては、「中国はこわいぞ!」という強面の側面は日本でいくら宣伝してくれても良いが、時間をかけて日本にメデイア等に浸透して国内分断作戦を継続・・コミンテルン政策の継続にこだわっている国であることまでは知られたくないのでしょう。
中ソ対立に戻りますと、政敵を粛清するかどうかは国内治安問題であってソ連がやめても中国の国内運営に関係のないことです。
ソ連の国内治安維持のあり方に過ぎないことに関して、中国が戦争の危機を冒してまで批判し対立する必要がありません。
本当の対立は、国際共産主義運動方針・世界革命路線に関する根本的対立にあった・この場合ソ連の新方針に従うか無視するか2択しかないので深刻な対立になります。
ソ連の国際戦略変更に従わないとなれば、共産主義国家は一枚岩という世界宣伝に大きな亀裂が入りますので、ソ連は解散したとはいうものの事実上コミンテルン/コミンフォルムを通じた世界共産主義運動の総本山であり、指導者・ヘゲモニーを失うので黙認できません。
中ソ対立は、共産圏内限定とは言えかなり力をつけた中国が、ソ連の威信に真っ向から挑戦する・・今で言えばさらに力をつけた中国が世界覇権を握るアメリカの「鼎の軽重」を南シナ海で問おうとしていることの走りだったことになります。
中国の粗暴な挑戦に世界の警察官を自任してきたアメリカがどこまで格好を付けられるかでしたが、時々埋立地近くを航行するくらいしかできない・・強盗被害者が110番しても警官が時々巡回するだけで強盗を排除してくれないのでは強盗のいうとおりに従うしかない・・フィリッピン始め周辺国は中国のいいなりになるしかないでしょう。
南シナ海問題でアメリカはこの程度しかできない・・中国はアメリカが怖くないことを世界にアッピールする・・この辺の意図は北朝鮮の今回の挑戦にアメリカが何もできないのと同じです。
スターリンは表向き世界革命戦略を放棄していましたが、内実は違っていました。
中ソ対立までの世界の共産主義活動家は、モスクワの指導/指令に従っていました。
ベトナム戦争を指導したホー・チミンの逸話は以下のとおりです。
以下はスターリンに関するウィキペデアの記述からです。
「猜疑心の強いスターリンはホー・チ・ミンと初めて出会ったとき、スパイと疑っていた。ホー・チ・ミンはスターリンに会えた感激の余り、スターリンにサインを求めた。スターリンはこれに不承不承に応じた。
しかし、部下に命じてホー・チ・ミンの留守中にサインを強奪して取り戻し、ホー・チ・ミンが、サインがないことに気付いて慌てていた様子を聞いて喜んでいたという。」
日本のメデイアは中国贔屓が強いので、中ソ対立の本質・・スターリン批判後も中国に限っては従来のコミンテルン・・資本主義国に細胞を根付かせて撹乱して行く・国際展開思想を捨てていないことを一般に知られたくないので粛清政治の決別に反対したことだけを紹介しているのでしょうか?
実際にはルーズベルト政権中枢に食い込んでいた事実を見れば、コミンテルンの世界革命達成(という名のソ連による世界制覇)の野望を捨てていなかったこと・・西欧諸国へ浸透するタメに表向き解散して安心させる方便性は明らかでしょう。
浸透作戦は憶測の域を出ないので、証拠・裏付けの必要なニュース世界ではデモ等の弾圧や粛清しか出ませんが、この動きだけ見てもスターリン主義固執→文化大革命という吊るし上げ政治・気に入らない者を吊るし上げて失脚させる政治に発展した流れが中国で続きます。
毛沢東崇拝復活を目ざし汚職退治という名目で粛清に次ぐ粛清をして政敵を抹殺して来た習近平氏の路線は、まさに粛清の鬼スターリン政治再来を目指すものでしょうか。
スターリンは反党分子という名目で何十万という人材を処刑してきましたし、富農という烙印で何百万もの農民をシベリア流刑し称す民族の強制移住をしてきましたが、今のところ習近平氏の党内粛清の方法は汚職・共産党規律違反という名目の政敵処刑限定ですが、ほぼスターリンと同様です。
スターリンの処刑の酷さはスターリンに関するウィキペデアによれば以下の通りです。
「キーロフが暗殺されると、スターリンは、トロツキー、カーメネフ、ジノヴィエフを含めた自身の反対勢力者たちを、陰謀に巻き込むための構想を抱いた[38]。調査と裁判は拡大していった[39]。1934年1月の第17回党議会においては過半数の代議員が彼の言いなりであった[35]。見せしめの裁判あるいはトロツキーやレニングラードの政治局員セルゲイ・キーロフの暗殺のあとに法律を改定する[35]。この党大会で選出された党中央委員会の委員および中央委員候補139人のうち、98人が逮捕・銃殺された。党大会の党員1,956人のうちの1,108人が、「人民の敵」(ロシア語враг народа, “vrag narodaヴラグ ナロ-ダ”)(en:Enemy of the people) という烙印を貼られ、秘密裁判で死刑判決を受けると直ちに処刑された。スターリンは、裁判所に対して「人民の敵」と判断した者には死刑判決を下すこと、そして直ちに死刑を執行するよう命令していた。取り調べの際には「肉体的圧迫」、すなわち拷問を用いることを認め、罪を認めない者には拷問によって力ずくで「罪」を認めさせた。
公開されたソビエトの公文書と公式のデータによれば1937年には353,074人、1938年には328,612人(歴史家はほぼ700,000人と見積もっている)[51]もの「普通の」ソビエト国民…労働者、農民、教師、司祭、音楽家、軍人、年金受給者、バレリーナ、乞食が処刑された[52][53]。一部の専門家は、公開されたソビエトの公文書は、数字が控えめか、不完全か、頼りにならないと考えている[54][55][56][57]。例えば、ロバート・コンクエストは大粛清で処刑された人数は681,692人ではなく、その約2.5倍であったと示している。」
粛清の実行者である秘密警察職員ですら例外ではなく、ゲンリフ・ヤゴーダからニコライ・エジョフ、ラヴレンチー・ベリヤへと長官が変わるなかでNKVD職員たちも何万人と粛清された。例えばエジョフの場合、NKVDを掌握した時点で前任者であるヤゴーダやメンジンスキーの息がかかった職員を大勢粛清して組織内での自分の立場を強化している。ほどなくヤゴーダ自身も粛清されることとなるが、エジョフも最終的にはヤゴーダと同じようにベリヤに取って代わられ、粛清されている[63]。ベリヤも権力を握った時点でエジョフと同じようにNKVD内のエジョフ派幹部らを粛清しているが、ベリヤ自身もスターリン死後の権力闘争で敗れて粛清されている。当然のように、この時もNKVD内の親ベリヤ派と目されていた側近達が新体制によってベリヤと共に粛清されている。」
スターリン治世下では、高官が代わるととその部下の粛清へと際限ない殺戮の連鎖になってしまいました。
中国でも習近平政権になると、江沢民の側近・あるいはその人脈と目された政府・党幹部あるいは軍高官が党規律違反という名目で次々と失脚しています。
この小型版が、民主主義国家であるはずの韓国大統交代の都度行われる前大統領の追及騒動です・民主政体か否かによるのではなくまだ民度が大人の知恵にまで成熟していないということでしょう。
スターリン恐怖政治の再来のように見えますが、中国に場合には毛沢東時代の粛清を反省して粛清連鎖を断つために中国共産党中央政治局常務委員などの高官に対してはどんな追及もしないという不文律がおこなわれてきましたが、習近平氏がこれを破ってどしどしと粛清を始めました。
政治局常務委員に関するウィキペデアの記事からです。
「党内の権力闘争の激化を避けるために最高指導部である政治局常務委員経験者の刑事責任は追及しない党内の不文律「刑不上常委」があり、文化大革命終了以降は政治局常務委員経験者が刑事訴追された例はなかったが[6]、2015年4月に周永康の刑事訴追されたことが中国国営メディアによって報じられ、「刑不上常委」は破られた。」
以後軍のトップその他次々です。
習近平氏は、元どんな功績のある人でも粛清できる権力を行使し始めたことになります。
一旦歯止めのない粛清を始めると任期満了後の仕返しが怖いので終身化するしか無くなる・その内その周辺人物にとっては、終身権力者死亡後次期権力者による報復が怖いので、取り巻きが先代からの権力を維持できる無能な2代目を担ぐ世襲制を望むようになります。
こうして出来上がったのが北朝鮮の将軍様世襲制です。
もしかすると中国は北朝鮮にいろんなことをやらせて世界の反応を実験しているのかもしれません。

介護の社会化2

親族関係の希薄化とは別に、今でも長期的人間関係が重視され、最先端の自動車生産その他取引でも長期的取引関係・・いわゆる系列が重視されているのはよく知られている通りです。
親族身内の紐帯が緩んでなくなりつつある分・他人間の緩やかな連帯・・高齢者のグループホーム等が求められる時代に入っているのかも知れません。
労働環境でも終身雇用が重視され、若者は果たしている仕事の割に薄給でも将来その見返りに高齢化した時に自分の労働以上に給与をもらえることを楽しみにしているのです。
農耕社会・・世襲制社会の終わったこれからは、高齢者問題を親族間の義理や親孝行の道徳や長幼の序による尊敬に頼るのは無理ですから、高齢者介護は子育て同様の(従来の報恩だけではなく)弱者保護の分野と割り切り、一方で担当するものはビジネスとして(社会全体からコスト負担してもらい)淡々とこなして行くべき社会になるべきではないでしょうか。
介護の社会化について何回も書いていますがこれをテーマとしたのは、03/19/02「介護の社会化について」以来のようですので、これがその2となります。
病院の看護婦さんが患者を尊敬しているから患者に優しく手際がいいのではなく、看護婦さんや介護士の職業訓練・職業意識がそうさせているのです。
どうせなら看護士や介護士の性質は思いやり・共感力が豊かな方がいいに決まっていますが、看護や介護に必要な基礎的能力は職業教育・訓練によるものであって、子が親を尊敬し面倒を見るべきと言う道徳教育に基づいて義務感でやっているよりは合理的です。
青壮年期に社会のために働いてくれた恩返しを社会全体ですることが必要とする道徳を守るのは必要ですが、それと過去の親を敬えと言う封建道徳とは別物です。
最近は親も子を当てに出来ないし子も親を見切れないと言う意見・傾向の一致によって有料老人ホームに逃げる動きがあるとしても、これはここ数十年単位の動きに過ぎず今後数十年もすると、入居一時金の高額な有料老人ホーム形式は縮小に向かう可能性があります。
有料老人ホームの「売り」セールスポイントは、イザとなったときに面倒見てくれる・・ことに帰するのですから、逆から見れば結局は在宅介護のサービス制度が十分でないことを前提とするものです。
老化に伴う生活能力縮小は避けられないものですが、仮に80%に下がったら世話になるか70〜60%に下がったら世話になるかと言う数値的基準で見れば、訪問介護関連が発達すればまだまだその数値がもっと下がっても工夫によっては、わずか1割でも自分で出来る限り在宅のままで自活能力を維持出来る筈です。

農業社会の遺産価値

ところで何故遺産相続の価値が低下したかの検討ですが、長寿化が進んだことによるだけではなく、農業社会では遺産が生涯の生活手段そのもの・すべてを提供するものだったことによると思われます。
農業社会の農家にとっては農地の相続をするのは、不動産屋に売れる農地(貨幣価値)を相続したと言う意味ではなく、その農地を利用して未来永劫に収入を挙げて行く生活手段・・金の卵を産む鶏のようなものを継承する意味がありました。
農業以外にこれと言った産業のない時代には、農地(あるいはこの支配権力)を相続出来なければたちまち生きて行くのに困るし、相続出来れば一生涯生活が保障されている関係ですから、相続出来るか否かは死活的重要性を持っていました。
これに対して、現在では自分の収入源の殆どは自分の能力に応じた職業によるのであって、過去の蓄積・・静止した相続財産だけで食って行けるほど巨額の遺産を残せる人は滅多にいません。
仮に一定の資産を親から受けても、鳩山総理の母が受けたような巨額遺産は滅多になくて普通の遺産・・1億程度では子供達は自分である程度稼がない限り遊んで使っていると直ぐに食いつぶしてしまう性質のものですが、農業を基本とする社会では遺産が多くても少なくともその意味がまるで違ったのです。
すなわち相続する財産・・農地は生産手段ですから、その規模がたとえば1町歩か5反歩(武家で言えば50石取りか100石取り)かによって、個人能力差によらずに生活水準が2倍の違いに決まってしまうことがあって、ともかくその規模に合わせた生活が保障されていました。
このように遺産がその後の収入・生活水準を決める関係でもあったので、遺産の規模内容が死活的重要性を持っていました。
武士の場合はお城勤めがあったので能力によって就ける役職に差が着き・・役料等で(足し高の制)修正されましたが、農家の場合どんなに能力差があっても、同じ気候風土の地域で相続する耕地面積が2〜3倍も差があれば、収穫量を逆転することは不可能・・結局は世襲財産規模によって生活水準がほぼ100%決定づけられる社会でした。
どんなにうまく耕作しても、同じ地域で保有農地5〜6反歩規模の農家の収穫量が、1町歩〜1町5反歩規模保有農家の収穫量を抜くことは不可能です。
今では遺産相続と言えば、静止した財産相続(・・社会的地位・言わば生活手段の継承が含まれる世襲とは違うことを11/14/03「相続と世襲3(民法113)物権と債権1」で少し書きました)のことですから、親の残してくれた資産がある程度あってもなくとも、現在の職業による収入の補完材料でしかなくなっているので、相対的なものでしかありません。 ブリジストンの娘・・鳩山前総理の母親のような巨額遺産の場合は別ですが、1〜2億前後の一般的な場合、その遺産で一生生活して行ける訳ではなく、人生は子供世代・・自分自身の職業生活にかかっています。

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