年金・健康保険赤字と所得構造の変化

(リーマンショックだけではなく)平成に入った頃から我が国企業の逐次海外進出の継続で、国内雇用が減少する一方だった分だけ、総労働力需要量が減少し、その分だけ総勤労所得も減り年金納付額も減って来たことになります。
これまで何回も書いていますが、税で賄う介護や医療関連職場の増加による年金納付者の増加は、その原資が税ですからこの待遇改善で納付者や納付額を増やせば増やすほど介護や医療保険の赤字補填のために税の赤字が増える・・蛸足配当同様で財政赤字になる要因としては同じどころか、これを加速させるもので本質的に意味がありません。
県営・市営住宅の滞納者を減らすために、生活保護受給に誘導しているようなものでいずれにせよ税の投入額は同じです。
(生活保護受給資格査定等その他関連の人件費分がよけいにかかるかな?)
ですから、ここで言う総労賃とは福祉関連の労賃を控除した前向きの製造・生産向け賃金と言うべきです。
成熟国・・債権国では、蓄積した所得で債券や株式の運用で稼ぐ人が増えるものですが、その結果金融資本関連所得の比重が上がり所得構造が変わって来ているのに、年金や保険制度がこれに対応していないのも赤字の一因です。
国民総所得が仮に同じでも、国内製造で稼いでいた分を海外生産で稼ぐ図式に変えると、その分国内労賃所得は減りますが、その代わり海外からの利益や所得送金が増えてきます。
仮に国内勤労所得で年収1000万円稼いでいた人が、今では半分の500万円が給与所得で残り500万円が、利子配当所得になっているとしたら、その人の年収が同じでも年金や保険納付額は半分になってしまいます。
我が国の国際収支は、高度成長期の貿易黒字中心から、平成に入って資本・所得収支黒字の比重が大きくなりつつあることを、05/26/07・・2「キャピタルゲインの時代17(国際収支表2)」で紹介しましたが、金融・資本所得や海外所得の場合その増減は、年金納付額に関係しませんので、所得構造の変化も年金や保険の赤字増大の要因です。
年金制度が勤労所得にだけ頼っている限り、(徴収対象を変えない限り)納付すべき職場・国内支給の総賃金所得が減って来た以上、総納付額が減るのは当然ですから、これの解消策として一定の所得に対する年金納付額・負担率の引き上げが数年ごとに繰り返されています。
(今年も9月頃分から、比率が引き上げられました。)
経営者にとっては、事業主の保険負担額の上昇は支払給与が同じでも実質的増税又は人件費負担増ですから、・・・海外との法人税格差・人件費格差に苦しんで海外進出しているのに保険料率引き上げによる実質的人件費アップ政策をとると正規社員の雇用は重たくなる一方なので、海外立地への逃避又は非正規雇用採用に傾きます。
バスの乗客が減ったからと言って運賃値上げばかりしていると却って客が逃げるような関係です。

高齢者早期引退と若者正規雇用(1)

老人を養うために跡継ぎになるべき唯一の子供すら育てられない極限的択一となれば、種族維持のためには、老人を間引く方が合理的です。
現在社会ではまさか老人の間引きまではしませんが、高齢者の就労支援をしているとその分若年者の職域が狭まる問題点を01/07/10
「終身雇用制2→若者就職難2」以下の連載その他でくり返し書いてきました。
簡単な例で言えば、定年を1年延ばすと60歳の労働人口分が退職しない・・この退職を前提に新卒の採用をしていた分の採用を手控える結果になります。
55歳定年をじりじりと60歳まで伸ばして来た結果、(最近では実質63歳までの残れる企業が殆どです)その分だけこの20年間ほどで若年者の正規雇用が減ってしまったのです。
(派遣制度が出来たのは、正規雇用の総量減少の経済実態が先にあって、この受け皿のために各種非正規雇用が工夫されたのであって、派遣があるから非正規雇用が増えたのではありません。)
高齢者の雇用延長と若年者の就職難については、01/08/03「ゆとり生活 2」のコラムでも紹介しました。
しきりに労働力不足到来を宣伝して、高齢者の再雇用あるいは労働年齢の引き上げ・延長をキャンペインしていますが、雇用の場が一定のままあるいは縮小傾向にあるときに、高齢者の引退を先送りするとその分若者の就職機会を余計奪うことになります。
現在若者の失業率高止まりが大問題になっているときに、高齢者雇用の延長を政府が呼びかけているのは、雇用問題・あるいは次世代の健全育成の視点から言えば意味不明・・矛盾した政策です。
姥捨て山の時代には、高齢者がいくら元気でまだ働けても農地面積が一定である限り、(2世代で働こうと1世代で働こうと)収量がほぼ一定ですから、一家の収入が変わらないので困った結果、(まだ元気で働けるとしても)高齢者にお引き取り願っていたのです。
現在の日本も同じで、高齢者がまだ元気なら働いてもらえば年金財政が良くなるかと思うと、それは間違いです。
高齢者が働く分若年層の失業を招いているのでは、社会保険や年金負担者総量が変わりません。
現在の年金財政の赤字は、生産に必要な国民必要総労働力量が減ってきているからこれに比例して保険料・年金等納付が減っている面が大きいのです。
高齢者がもっと働いたところで、その分若年層の職場を奪い彼らが失業あるいは厚生年金のない不定期雇用で働くしかないのでは、トータルとして健康保険料や年金等納付者・額は同じになります。
年金等納付額は、(金融・資本所得等から、保険料を徴収しない限り)結局は労働者の労賃の総額に比例するしかないからです。

姥捨てか子棄てか?

農業社会では隠居するとその瞬間から手元不如意で食事の時間に呼んで貰って一緒に食べられるだけで、自分独自のお金を使うことも出来ない肩身の狭い状態に陥るので、それだけでも悲惨ですが、その内に体が弱って自分の身の回りのことすら出来なくなってくると元気な次男坊の部屋住みよりは悲惨だった筈です。
古代には宮廷の官女でさえ病気すると川原に打ち捨てられる習慣であったことを書きましたが、姥捨て山は元気なうちに山奥に捨てに行く話です。
低い川でなく高地の山奥が舞台になっているのはどちらかと言えば、山里の話が多いからだと思いますが、まだ元気なうちに捨てに行くのですから人里近くの川に捨ててくる訳に行かなかったからでしょう。
子供の頃に増え過ぎた子猫を捨てに行くことが近所で多かったものですが、この場合帰って来られないほど遠くに捨てに行くのが習わしでした。
江戸時代になると、江戸に流れて来た身元不明の独り者は別として田舎で一戸を構えている農民の場合、病気した場合寝かせておくだけのことなら数日や1週間くらい(その頃は直ぐに死んだのです)は何ともなかったでしょうが、むしろ元気で長生きされる方が大変だったのです。
ところで、西洋での子棄ての話・・ヘンデルとグレーテル・・お菓子の家が有名ですが、我が国では逆に高齢者の姥捨てがあちこちで行われていたようです。
我が国では今でも高齢者対策が社会問題ですが、あちらでは昔から庶民の高齢者がいつまでも生きている社会ではなかったのかもしれません・・・・。
今の日本は世界トップクラスの長寿国ですが、今に始まったことではなく昔から放っておくと長生きし過ぎる傾向のある国だったのかもしれません。
ところで姨捨山と何故言うのでしょうか?
信州にこの名の山があることからこの漢字が有名ですが、一見漢字が似ていますが年取った女性一般と言うならば本来は姥捨山です。
年取った女性がその対象になることが多かったからこの漢字で良いのでしょうが、部落によっては70歳以上の高齢者を(男女を問わずに)一律に捨てる掟もあったようです。
今で言えば、100歳以上生きているような印象だったのでしょう。
赤ちゃん間引きの高齢者版ですが、あまり長生きされると養いきれない現実があったのは今の年金制度の破綻と本質が変わりません。

高齢者介護と外注1

 家庭における男の切り札はサービスが悪ければ、何時でも離婚・・あるいは家に帰らなくなることが出来るとは言っても、2010-9-19「家庭サービスと外注」に書いたように実際には簡単ではない・・儚いものですが、この辺は老人が子供の世話を受けるようになると、老人・・形式的にはその家は老人のもので気に入らなければ子供夫婦を追い出せるとしても、現実には容易でないのと似ています。
通い婚・サービス業の場合、気に入らなければ遊びに行かなければいいので簡単ですが、嫁取り婚の場合に追い出すのは実際大変だったのとも似ています。
リヤ王の悲劇の真実までは知りませんが、老いて自分で身の回りのことが出来なくなれば、気に入らないからと息子や娘を追い出しても、また誰かに頼らねばならないのが難点です。
例えば2人の子がいる場合に、一人とけんかして残りの一人の所に身を寄せるとそこでもう一度けんかになると行く所がなくなる・・おろそかにされる恐怖で、長男(または長女)との間で波風を立てないようにしてじっと我慢していることが多いようです。
「あまりひどいと娘のところへ逃げ出すぞ」と言える状態が花と言うことです。
昔から「女3界に家なし」とか「老いては子に従え」とか言われていましたが、女性は最後は子に看てもらうことが多かったからでしょう。
最近では介護システムが発達して来たので、社会化・客観化されて身内にかかり切りになってもらう必要が減少して来ましたので、この種の遠慮が要らなくなって来ました。
一旦同居すると気に入らないからと言って子供夫婦を追い出すのが無理となれば、(初めっから子供夫婦との同居をしないで)高齢化した場合自宅を処分して介護付のマンションへ入居する老夫婦が増えて来ていることを、2010-9-12前後「介護の社会化1」以下で書きました。
親しき仲にも礼儀ありと言うように、一定の緊張関係のある通い婚関係のように親子もスープの冷めない距離から通う別居が理想ではないでしょうか?
中高年世代では,「今の子供は当てにならないから」と言うのが普通ですが、子世代と同居し身の回りのことも自分で出来なくなると子供の立場が強くなるのは昔から同じです。
特に隠居分を取り置ける程(水戸黄門のように)裕福な家なら別ですが、江戸時代の武家であれ、農家であれ家督を譲ると今度は息子夫婦が家計の経営者で親夫婦は無収入で養って貰う部屋住みの厄介者に格下げです。
今のように年金等の自前の現金収入のない時代に(江戸時代にも商人はいましたが、ホンの一部です)隠居して家督を息子に譲ってしまうと、農業収入・・あるいは武士の家禄は全部息子の懐に入ってしまう状態・・・隠居分を取り置かない限り親夫婦には一銭も現金収入がありません。

これからの男女関係2

最近相談に来た事例では、結婚数ヶ月後に夫が仕事を辞めて実家に帰ってしまい夫婦の家に戻って来ない事例が2件も続きました。
1件は妊娠中でしたので中絶し、もう1件は既に赤ちゃんを抱えているのに夫が帰って来ないのです。
どちらの件も、夫はあえて(病気でもないし勤務先からやめてくれと言われてもないのに)結婚当時の勤務先を辞めてしまい、夫の実家で無職居候中です。
彼らの主張は、「弁護士相談したが、収入がないので中絶費用も負担する必要がない」と言う従来の社会常識から考えれば破天荒な主張です。 
婚姻破綻の原因を作った夫の方が離婚に際しての慰謝料を払う必要があるか否かは別として、離婚していない段階での婚姻費用分担としては、双方の収入を基準にするしかないので、彼らが弁護士相談した結果どおりと言うしかありません。
ともかく生きて行けないので、上記2件の女性はそれぞれ実家に帰って生活しているのですが、それぞれの女性の親は憤懣やる方ない様子ですが、夫が失業中・無収入のママでは今のところどうにもならない感じです。
(調停になれば何とかなるでしょうが・・・)
現在ちらほら始まっているこのような不安定な夫婦が増えてくると、本来子供が欲しい筈の女性も子を産むのに慎重にならざるをないし、子を産む夫婦が減ってくるのは当然です。
夫が実家に帰ってしまうにはそれなりの原因があるとしても、些細なことを理由にして直ぐに破綻する・・・こういうオスの無責任行動・・数ヶ月性行為を堪能したらもう飽きましたと言う事例が増えてくると、うっかり騙されて結婚したら損だと考える女性が増えて来るのは当然です。
上記事例は独立していない◯◯医師と◯◯士の事例ですが、彼らの資格に目がくらんだ女性(妻の方も医師でしたが・・・)の失敗とも言えるでしょう。
彼らは資格があるので、妻に生活費を渡さない口実のために一時勤務先を辞めても、離婚事件が片付けばいつでも職場復帰出来る強みがあります。
オスの疑似餌(一定期間同棲・性行為したらもう飽きたから家=新婚のアパートに帰らないやり方・・に引っかからないように用心する・・簡単には同棲や結婚をしない社会になってくるのでしょうか。
破綻主義とは言え、男女ともにこのような身勝手な離婚請求が増えてくると何らかのペナルテイーが必要ですが、婚姻期間が短くて財産分与すべきものはありませんし、慰藉料の名目でも裁判所がどこまで認めるか不明です。
従来こうした不始末は法律は別として村社会では社会的制裁があって、あまりにも理不尽なことは許されなかったのですが、今は砂粒のような社会ですから、法律以外に何の制裁もないのを悪用しているのです。
子を産む可能性の低い関係が増えると、女性は何のために男女カップルを構成する必要があるかの問題になって来ます。
子を産まないで時々同棲しては別居することのくり返しのカップルが増えてくると、従来のようなかっちりした・・子育てのための婚姻制度は崩壊しつつあると言うべきでしょうか?

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