近代法理の変容13・破綻4(日本固有の法理5)

原因究明・再発防止のためにどうするかのために調査は必要ですが、責任追及目的で行うのとは、方向性が違っていて建設的ではありません。
責任追及されるための調査では自発的反省意見が出難いのすが、そうでなければ「あのときこうしておけば良かったかなあ」と言う自発的反省が一杯出てきます。
日本人が韓国に植民地支配がどうのと言われると多くの日本人としては、西洋の植民地支配のような過酷なことをしないで本土並み以上にいろんなことして来たつもりでも、「援助される方は辛いこともあったかもな?」と反省していたのですが、反省すれば、それを良いことに突っ込んで来る・・際限なく次々と非難され続けられると、「いい加減にしてくれ」と言いたくなる人が増えてきました。
対中関係も同様で大戦中迷惑をかけたことは事実ですから、それなり反省していましたが、ここまで来ると限界線突破・・こう言う人達には、誠実に対応するだけ損となってきました。
中韓共に、日本的な信頼社会とは違う・・どこまで行っても「建設的な関係を築くのは無理な相手だ」と言う意見を持つ人が日本人に増えて来たようです。
日本の相互信頼社会・・絶えざる進展の歴史は、日本的な古来からの生き方の建設的な成果を物語っています。
日本の社会発展の歴史をみると、ある人が大儲けしようとして技術革新が起きた例は滅多になく、何らかの大きな苦しみや悲劇があった場合、この克服のために薬品や工作物の工夫をして少しでも多くの人にこの恩恵が広く行き渡り、助かるように頑張るのが普通です。
成果が出ると無償でこの普及に努力する・・元々諸外国の発明発見者と心がけが違うので、儲けを独り占めするような人は皆無に近いのです。
最新知見で言えば「TRON」の開発者が無償で世界公開しているのはその一例ですし、最新医療技術開発者も世界中を飛び回って新技術の無償伝播に熱心です。
日本以外の国では何かの製品開発等に成功するとブランド化して実際の価値の何十倍もの高値を吹っかけるのが普通ですが、日本人は成功すると日本中への普及に努力し、最近では後進国に無償どころか私財の持ち出しで出掛けて行って、その土地の人が安く利用出来るように身を粉にしてして努力するのが今でも普通に行なわれています。
この基礎的な行動意識の違い・・災害をみんなの不幸として捉えて悲しみ(誰か一人に責任を押し付けたり儲けを独り占めにしない社会)も共有する絆・重視社会で縄文の昔からやってきたのが、社会のの絶えざる発展と安定の基礎です。
西洋法理の意思責任主義に戻りますと、事件を起こしたのが、意思能力のない狂人・精神障害者だからと言って放置する意思主義の法理では社会の維持が出来ません。
西洋近代の意思責任・個人責任主義による矛盾解決のために、仕方なしに漸く心神喪失者等医療観察法と言うものが制定されたことになります。
この法律によって、重大事件を引き起こしても、心神喪失等によって不起訴や無罪になった場合、刑事事件としての釈放と同時に一定の手続を経て強制的に医療施設で医療を与えることが出来るようになりました。
個人責任主義では実際に解決出来ない・・古来からの親兄妹の慣習法的責任感でこれまで何とかなっていたのですが、表向き個人責任主義と言いながら実際には親や親族に任せていた矛盾が出て来た・・社会実態があります。
親族の助け合いに頼っていた介護の社会化・母一人の育児の社会化と同じ問題です。
私の担当した精神障害者事件経験の多くの場合、親が高齢化して来て精神病の息子等を制禦し切れなくなって来た・精神病院への通院をいやがるなどで放置状態になって多くの事件が起きて来ている例が多いのです。
高齢化社会の弊害かと言うとそうではありません。
いつかは親が高齢化して障碍者の面倒(病院へ無理に連れて行くなどの事実上の強制力を含めた)を見切れなくなる時点が、従来の50台から80台に先送りされて来た違いがあっても、いつかは面倒見切れなくなる点は今も昔も同じですが、核家族化進行が大まかな社会連帯を崩して来たことによります。
社会連帯で個人責任を誤摩化して来た矛盾が出て来たのです。
法律家が近代法をなまじ学んでいることを振りかざし、意思責任がない以上は放置しろと言うものですから、(今まで親兄妹がその矛盾を補充して来たのですが・・)却って社会の必要性に対応出来ない事態が起きていたのです。
学者や秀才とは、過去の事例蓄積を学ぶのに秀でた人のことですから、(学者=学ぶ人)自分が学んだ2世紀も前には先進的であり、妥当したルールにこだわって、目の前の時代の流れを見ない傾向があって、時代遅れになる傾向があります。
10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」06/27/03「学者と実務家 6(教育改革の方向)」等々で、秀才が時代変革に対応する能力がないのに偉そうに意見を言うので、国を滅ぼしてしまうと言う意見を何回も書いてきました。

近代法理の変容12・破綻3(日本固有の法理4)

左翼・マスコミは、何か災害や事件があると先ず責任者を捜し出すことに精出す傾向があります。
避難指示の出し方に落ち度があるとか、防災対策は政治の責任であり、救援物資に「済みません」と感謝するのは筋違いであるとか、政府こそが謝るべきであるし、イスラム国テロによる人質事件は安倍総理の責任であり、その追及こそすべきであって親が謝るべきではない・・こんな振る舞いが求められるのはとんでもない後進性の現れであるかのような印象で報道します。
西洋法理を信奉するマスコミや文化人の立場からは、大震災の事故があって被害者が出ると事前の避難訓練がなかったとか、避難指示の拙劣さなど学校や幼稚園・・企業経営者などの責任追及に精出すのが、先進的であり鋭い?能力があることだと思い込んでいるようです。
西洋的行動であることはそのとおりですが、西洋的と先進的とは同じではありません。
日本人の古来からの考え方・智恵は、何か大事件が起きると、個人責任追及に時間を割いて見せしめを探し出して吊るし上げて満足するよりは、起きてしまった結果をみんなで悲しみ、みんなでこう言う不幸をなくすために地道に克服努力して来たのではないでしょうか?
アメリカ式に戦争責任を追及して吊るし挙げて満足する社会ではありません。
日本以外の諸国では民主化したと言っても「リーダーを選ぶところまでが民意重視」ですが、選ばれた(民主化されていない国の場合はもちろん)リーダーが独断で引っ張って行く社会ですから、リーダーが結果責任を負うことになりますし、(この辺のことはアメリカの大統領制のコラムで紹介しました)その責任追及が必要ですが、日本では政治家はリーダーではなく、世話役・ご用聞きとしてみんなの意見を集約して行動するボトムアップ社会ですから、結果はみんなで責任を負う(・・みんなの智恵が足りなかったと反省する・・)仕組みです。
戦国武将が城明け渡しに際して腹を切るのは、代表として犠牲になる意味であって、命が助かったその他の兵は感謝こそすれ、その恨みを買ってはいません。
一揆の責任者として責任をとった佐倉宗吾郎だって同じで、彼がみんなを煽動したのはなく、一揆を起こせば最後は誰かが責任をとらされること分っていて衆議に従って責任者に祭り上げられただけですから、犠牲者として一揆参加者・子孫の尊敬を逆に集めています。
この辺の意味を中国や韓国やアメリカでは理解出来ないので、ナチス同様に戦犯を作り上げて処刑したことで日本国民を分断したつもりになっているのですが、(ドイツとは違い・・)逆に戦犯は日本人の代表として「見せしめに処刑された」意味に日本人が受け取っている・・これをいつまでも辱めることを許せない心情を理解出来ていないのでしょう。
諸外国基準で戦勝国が日本の政治家を血祭りに上げて「あなた方国民は悪い政治家のせいで酷い目にあっていた」と言われても釈然としません。
飢饉があると為政者批判しているよりは、宮沢賢治の詩にあるようにみんなで悲しみ、その次の再発を防ぐ工夫こそが求められて来た社会です。

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ  イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ

我が国は古代から、飢饉や天災があれば、為政者批判に力を注ぐよりは先ずは助け合い、(よその国では助け合いよりは略奪にハシリます)その経験を生かして備荒食物の作付けなどの智恵を発揮した人が(サツマ芋普及に関する青木昆陽の事例は有名ですが、梅の作付けやソバ奨励もその一種です)全国に教えて歩く人が出るような仕組みです。
江戸時代には上杉鷹山その他藩政改革者あるいは佐久間象山や二宮尊徳のような農政改革者が多く出ますが、その前任者の政策批判して責任追及に熱心な事例をあまり聞きません。
津波被害があれば、先ずは助け合いに精出して救援された方は感謝します。
落ちつけば今後のことをみんな考える・・一定間隔での避難用高層構築物設置など、被害最小化のためにどうするかの工夫こそが重要です。
建設的意見よりは、責任者探しをして・損害賠償を求めるやり方は建設的議論にならないばかりか国民間の不信や報復の連鎖・・自己弁護に終始したり亀裂を生み出すばかりでマイナスです。

高飛車に出た中韓の誤算4

中国への投資激減については20日に見ましたが、対韓国投資・・韓国経済はどうなっているでしょうか?
新聞等ではトーレが進出を決めたとか華々しい報道が盛んですが、実態(トータル傾向)は以下のとおりです。
以下は外務省からの引用です。(14年分はまだ出ていません)
外務省
大韓民国(Republic of Korea)
基礎データ

(1)日本にとって韓国は第3位の,韓国にとって日本は第3位の貿易相手国。日本側統計では,2013年の二国間の貿易総額は対前年比10.6%増の約9.01兆円。2013年の対韓投資額は前年比40.8%減の26.9億ドルであった。(日本は第2位の投資国)。2013年韓国の対日直接投資は6.9億ドルである。

対韓国投資が13年時点で既に4割も減っています。
投資がなければ、技術移転が殆ど見込めません。
現地製造によってこそ、そこで製造に参加する技術者に技術移転が根付くものです。
対中投資しなければドイツにやられてしまうかのように煽る記事が多いのですが、中韓独が組めば、彼らによる経済発展が可能でしょうか?
韓国企業は中程度の技術国(これも日本からの移転で自前技術が少ないのでその先への発展能力が限定されていますの)で、これを移転すると、中国現地企業と自国企業が競合する関係ですから、技術移転するどころではありません。
(実際に競合が始まって困り始めているので、韓国は日本から更なる高技術導入を焦って日本威迫をしていたのです)
以下はネットからの引用です。
http://biz.searchina.net/id/1556533?page=1
「メイド・イン・コリア」が国際市場から締め出されつつある!?=韓国
2015-01-09 06:36

「中国メディアの中国日報網は7日、韓国の中央日報の報道を引用し、韓国産業技術評価管理院が142種類の技術に対して行った調査の結果、韓国が最先端の技術を有する分野は未来型船舶の1分野だけだったと伝えた。
さらに記事は、海外市場において現在、「メイド・イン・コリア」の足元がふらついているとし、「かつて日本製品を締め出したのと同様に、現在では中国製品によって韓国製品が国際市場から締め出されつつある」と論じた。
続けて、韓国産業技術評価管理院の分析を引用し、中韓の技術的な差は時間にしてわずか2年ほどであるとし、バイオ分野においては0.7年ほどだと指摘。さらに韓国の輸出の主力製品である半導体や自動車分野においても1.5年ほどだとし、中央日報が「中国は2年以内に主要産業のすべてにおいて韓国に追いつく可能性が高い」と警戒感を示したことを紹介した。」

韓国代表企業であるサムスンは、日韓対立激化によって、日本からの最新技術導入が13年以降滞るとたちまち2014年から、売上減少に陥り始めました。
技術流出停滞と言っても、公式契約による流出の停滞ではなく、日本技術者が高額アルバイト等につられて土・日曜日等に韓国へ通う形で、サムスン等に(企業秘密の持ちだし?脱法的に)高度技術を移転することが多かったのですが、嫌韓ムードが高まると、後ろめたい気持ちが高まって来て、技術流出・協力者が減って来て滞り始めたのです。
日本は反日運動を続ける韓国へ技術移転する必要がないので、アップルや中国企業(小米)に先端製品を直接納品するようになりました。
サムソン電子は昨年あたりから、日本技術導入(盗用を含め?)が停滞し始めると新製品の方が旧型よりはレベルダウンしていると言う噂が流れていて、これでは新製品発売ごとに売上が下がって行く心配があります。
このために昨年の報道では、同社の研究開発部門を横浜に設置すると発表しています。
強気一点張りの韓国政府対応では、嫌韓意識が高まって技術導入が難しくなったので研究開発部門を日本に移転して、日本人を雇用して日本技術を公然と入手するしかなくなったと言えます。
別の角度からみれば韓国企業自身が韓国を見放し始めたと言えます。
ただ、横浜にせっかく研究所を設置してもさらに嫌韓意識が高まると、マトモな研究者は韓国企業に就職するのを敬遠するでしょうから、4〜5流人材を割高で雇用するしかなくなる可能性があります。
次にドイツの役割ですが、・・・西洋は、本質的に技術移転に消極的・親切ではありません。
日本が東南アジア諸国に進出するまでの植民地支配では、数百年単位で奴隷的支配・現地人愚昧化政策をして来て、初等教育すらしなかった・・格差拡大を計るのが西洋諸国の本質です。
西欧は、異民族対策として差別を行なって来ただけではなく、国内でも差別が基本で今でも階層社会が厳然として残っていることを、以前ココシャネルのコラムで紹介しました。
欧米は、創意工夫を奨励していますが、儲けの拡大・固定こそが彼の生き甲斐・究極の目的のように見えますから、その純粋発展型ブレーキの利かないアメリカ社会で格差が巨大になっているのはその結果です。
アメリカの場合、伝統的支配階層がないものの格差そのものを固定化することに(鉄鋼王・石油王と言うように一代で富を築くと、その富みの継承に)熱心です。
西洋では古い建物を何代にもわたって利用しているのを見かけますが、観光客には落ち着いたいい面もあるものの、これを支える経済制度面でみれば、相続税が低い点にあると言えます。
階層社会とは、先祖代々の地位を継承し易い社会のことですが、地位承継の核になるべき経済的遺産の継承制度を容易にする社会では、階層・身分社会が形成され温存され易くなります。
相続を出来るだけ寛容に認める社会は、財産に限らずいろんな価値を相続出来る人と出来ない人の生まれつきの格差・・温存され易い社会です。
長子単独相続制を改めた点では子らの間・・兄弟姉妹間の平等を実現しましたが、他人間の格差是正・・所得再分配には相続税のあり方が修正要素になります。
以下は、各国の相続税率に関する1月18日現在のウイキペデイアからの引用です。

(注5) アメリカでは、2010年に遺産税は一旦廃止されたが、2011年に、基礎控除500万ドル(5億円)、最高税率35%で復活した。当該措置は2012年までの時限措置であったところ、2013年以降については、2012年米国納税者救済法により、基礎控除500万ドル(5億円)は維持しつつ最高税率を40%へ引き上げることとされた。

相続税制のあり方こそが、富みの継承に関する国民意識の現れです。
ウイキペデイアの上記解説では基礎控除の正確な意味が不明ですが、日本で5億円(1ドル120円ならば6億円)も基礎控除があると、殆どの人が相続税を払わなくて良い社会では、世代間の格差固定に繋がってしまうでしょう。

植村記者問題4(ムード報道と義母の関係3)

植村記者の書いた記事自体については、委員会資料にはその記事の写しが出ていないので何が問題になっているのか正確に分りません。
私自身1月9日に記者会見を開いているのを見て初めて彼個人が「でっち上げ・・」と名指しされて批判の的になっていることを知ったくらいです。
植村記者のキジには強制連行と言う文字が仮になかったとしても、(記事に「騙された」と言う文言があると見解に紹介されている以上は、連行されたと言う記事と矛盾するので虚偽報道問題の可能性があるように見えます。)記事は前後の文脈で理解されるものです。
それまで散々朝日新聞が裏付け取材しないまま強制連行を煽って来た実態があって、その後実際の慰安婦がまるで存在しない・・探しても被害者がいないことが社会問題・・焦点になっている状態下で、(強制連行と明記しなくとも)慰安婦が初めて名乗り出たと言う衝撃的ニュースを出せば、多くの人は強制連行された慰安婦がやっぱり実際にいたのかと言う印象を受けるのが普通です。
(年末からの情報操作シリーズでは、マスコミがイメージで誘導する弊害を書いていますが、朝日はそれをうまく利用していたのです。)
植村記者の1月9日発表の訴状は多分「名乗り出た慰安婦はでっち上げではない」し、仮に慰安婦が偽物としてもその「創作」に加担していないし、「自分は強制連行されたと書いていない」と言う言い分が含まれているのかも知れません。
(訴状写し自体を記者会見で配布したか不明ですが・・)朝日の全体報道あるいは当時のマスコミ界全体の文脈で国民は単発記事をムードで受け止めるものです。
朝日が明白に吉田証言取り消しや謝罪をしないまま進んで来た中で、(これは委員会「見解」でも批判されています)慰安婦出現が大ニュースになったのは強制連行を実証出来るかの大論争の文脈があるからこそ、大ニュースになったものと思われます。
売春婦が名乗り出たと言うだけならば、そう書けば良いことで、(キーセン学校で教育を受けていたことを記事にしなかった不作為が非難されているのはこの意味で重要です)韓国は今でも世界に冠たる売春大国ですから、売春婦が何万人名乗り出てもエポックになるような大ニュースにはなりません。
植村記者は、勤務先の朝日が主張して已まない強制連行の被害者が実際にいるのか否かが大論争・問題になっているとき「勇気を出して名乗り出た」と言うムード強調のためにわざわざソウルから特報記事を送ったとしか考えられません。
ここでは積極的に「一般の売春婦が名乗り出た」とはっきり書かない限り、読んだ多くの国民は強制連行された慰安婦が遂に名乗り出たのか?と誤解してしまう効果を狙ったと理解する人の方が多いでしょうし、その記事に「連行」と言う文字を書いている以上はなおさらです。
一般国民よりも資料をじっくり読み込む筈の弁護団が、その年中に国家賠償訴訟を提起している以上、弁護団も強制連行されたと理解していたことが分ります。
昨年末「情報操作・羊頭狗肉」のコラム以来書いているように、マスコミ界の狡さを時間軸で応用演出したからこう言う事誤解が生まれるのです。
1つの記事や週刊誌内で表現する場合には、大見出しと内容の違う記事が(羊頭狗肉)同時になるのが普通ですが、慰安婦問題のように10年単位になると、強制連行記事を延々と繰り返し書いた後で、「遂に慰安婦が名乗り出た」と言う印象を発表する際に「強制連行」と表題を付けなくとも、強制連行された被害者が名乗り出たのか?と一般読者が印象づけられるのが普通です。
もしも植村記者が強制連行されたと書いていなかったとしても、普通の売春婦が名乗り出たと言うだけならわざわざソウルから特報記事として送信する必要がないのですから、強制連行を強調していない・・客観的記事を書いただけと彼が言ったとしても無理があります。
・・強制連行があったことを強調している朝日の流れに乗って利用する意図・・組織の意図に従って行動していた・・一種の共謀関係にあるとみるべきでしょう。
ヤクザの親分が殺人計画謀議の途中に出て来て自分は「やれ」と言っただけだとしてもそれは殺人命令をしたのと同じですし、大勢による連鎖的犯行実行の場合、連鎖作業の一部を担当したに過ぎないとしても、全体の流れを理解して担当していれば共犯です。

第三者委員会の役割4(朝日新聞慰安婦報道2)

以下はウイキペデイアによる吉田氏の死亡年月日です。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。

歴史家や他社のでっち上げ指摘後、既に社内で強制連行に関する吉田証言は怪しいと決まっていて軌道修正していた事実が認定されていますが、では吉田氏が生きている段階で何故何十年も事実再確認作業をきちんとしなかったかについても、以下に引用のとおり委員会の調査がオザナリです。
善意解釈すれば、これ以上無理なので、読者の想像に任せますとも読めますが・・。
以下委員会見解の一部です。

「3月上旬、キャップ格の記者が吉田氏への接触を試みたが、電話取材では吉田証言について応答を拒まれ、自宅も訪問したが留守で、結局、吉田証言について話を聞くことはできなかった。」

朝日新聞社の存続を揺るがす大事件に発展している段階での事実再確認のための調査行動としているのに、訪問して留守だったから事実確認を諦めたと言うのではあっさりしすぎて異常です。
普通の取材活動でも、行ってみて相手が不在だった・・それだけで諦めてしまわない・・夜討ち朝駆けを繰り返すのが報道界の常道ではないでしょうか?
元々事実が存在しないのを知って共謀していたから、再度聞くまでもない・・聞きたくない・・「御社の方こそ良く知っているでしょう」と言われるのが怖かったので形だけの調査をしたことにしていたのではないか・・「留守だったことにしよう」(いつ行くので家を空けておいて下さい・・」と言う筋書きにしたのではないかと読む人が多いでしょう。
検証委員会の事実認定を読むと慰安婦問題は既に十分報道して国際問題にすることの目的を達した・・成功しているので、朝日新聞の対応は以後事実確認よりは、今後はどうやって対外的に軌道修正して自社批判を誤摩化して行くかに焦点が移って行ったかのように見えます。
そのころから、本質は強制連行の有無ではなく、広義の強制性・・「女性の人権」だとすり替え主張が始まっています。
検証委員会見解は経過を淡々と書くだけ(死亡しているので調査出来ない・・執筆記者が特定出来ないとか・・こんな不自然なことをそのまま記載して検証作業を終わりにしています)で何も触れていません。
吉田清治氏が死亡して「死人に口無し」となってから、謝罪会見するやり方は原発吉田所長2013年7月9日死亡後の虚報開始と(偶然?)同じですが、担当取材記者らは生きていると思われるのに、検証委員会では何故生きている彼らからもっと突っ込んで聞かないか不明です。
世間が知りたいのは合理的疑問の解明ですから、合理的な憶測を覆す丁寧な検証こそが求められていたと思います。
検証委員会では、「焼却したと聞いた」「留守だった]と言う記者の説明をそのまま書いて、後は世論の判断に委ねようとする謙虚(手堅い?)な姿勢かも知れません。
法律家主導の委員会らしく手堅い書き方になっているのは分りますが、これでは、国民が求めている検証の意義を果たしていない・・激昴した世論沈静化の時間稼ぎのためであったのか?と受け取る人・・不完全燃焼の人が多いのではないでしょうか?
26年12月30日に名誉毀損や日弁連政治活動等に関する判例の射程範囲を紹介しましたが、求められたテーマ以外の余計なことを書かないのが法律家の使命・習性です。
第三者委員会がセンセーショナルに国内対立を煽る必要がないと言う意味では、それぞれ手堅い見解の発表と言うところですが、朝日新聞の誤報道・虚偽報道の検証作業は、裁判そのものではないので、もう少し踏み込んだ意見表明・・焼却したと言うだけで信用したとしたことに「疑問が残る」「執筆者が明らかにならないのは残念だ」程度の表現があっても良いような気がします。
これを逆にやむを得ないと結論付けて正当化表現が目立つのは残念です。
国際社会に対する影響についても、第三者委員会見解では朝日新聞を引用した記事が何本しかないので影響がなかったと言う書き方ですが、こんなことで国民が納得するでしょうか?
影響と言うのはムード的に広がって行くものであって引用記事が少ないから・・と言う論理は、まるで朝日の報道価値を無理に落としている印象です。
朝日が広めてその他のマスメデイアも負けずに追随報道する中で、国際常識になってしまっている以上、一々朝日と言う名称を引用する記事が少ないのは当たり前のことで・・軍による強制連行が常識になってしまうほど影響が大きかったと理解する人の方が多いでしょう。
例えば第三者委員の一人である岡本委員自身が、これまで強制連行を前提にした意見を書いていると報道されていますが、(私は報道機関でもない素人のコラムなのでこれ自体の検証取材までしないで自動的に引用しているだけですが・・)その文書にも朝日新聞を引用していません。
以下はhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11934180595.htmlからの引用です。

 「岡本氏は、1995年7月18日に村山内閣に提出された、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)に拠金を呼びかけの「呼びかけ人」の一人なのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/heiwa-kikin.html
 岡本氏も呼びかけ人として名を連ねた「呼びかけ」は、以下の文章で始まります。

『戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大 な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を 強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏 みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、 いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少 しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、 これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。 (後略)』

後で植村記者に対するバッシング問題で書いて行きますが、このシリーズで書いているように「見出し」等で一旦レッテル貼りが終われば一々引用しなくともイメージが増幅して行くものです。
朝日は事実上軌道修正していたことも認定されていますが、事実上では資料や表現の微妙な変化をくわしく読み込まない一般読者には分らない・・強制連行の印象を埋め込まれたままです。
国際影響を調査した委員会見解は、コオリ砂糖があらかた水に溶けてしまった後で、その砂糖水をのんでいる人は何億人いようとも、のんだ水や残っている資料にコオリ砂糖のかたまりを探しても少ししか見つからないから、砂糖が殆ど入っていなかったと結論付けるような調査報告ですから、これでは納得する人の方が少ないでしょう。

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