第三者委員会とは?2(特別検察官1)

弁護士会に限らず職能団体では、いわゆる第三者委員会委員のように特定事件が起きている最中に事態打開のために渦中の経営陣から声がかかるのと違い、(たとえば加盟企業社長が業界内役職など大して重要視していないのと同様)現執行部に迎合する余地がもともと低いと思われます。
プロゴルファーの事例を昨日紹介しましたが、我々弁護士会の場合も、組織維持が目的の懲戒制度ですから、問題を起こした個々の弁護士・身内に甘い処分では組織・弁護士に対する社会の信用を維持出来ませんので、勢い身内に厳しい処分になりガチです。
権力の介入による懲戒事件の場合には、権力に屈するわけにはいきません(そのための自治制度です)が、権力闘争と関係のない弁護士業務のあり方が顧客〜消費者から訴えられている場合、(正式統計数字を知りませんが、体感的にこれが懲戒事例の99、99%と思われます)身内をかばうための運用では何のための懲戒制度か分かりません。
各種組織内の懲戒委員は、自己組織を愛して自分の組織の信用・・一般構成員の地位を守る職務であって、個々の不祥事をした会員を守るための制度ではないことをしっかりわきまえて判断すべき立場です。
ただ、内部にいると社会が期待する水準変化に疎くなるリスクがあるので、懲戒・懲罰内部に第三者を抱え込むのは良いことです。
平成のはじめ頃に綱紀委員をしていた頃には、どちらかといえば外部委員の方が「このくらい許された行為ではないか」という意見が甘く弁護士委員の意見の方が厳しい意見でした。
・・(外部の人は「弁護士ってそんな程度じゃないの!」と低く見ているのかな?と危惧していましたが・・)
数十年経過して最近社会の弁護士に対する評価期待感が高まっているのか?懲戒委員会では外部委員も遠慮なく厳しい意見を言うようになっているような印象ですが、その方が社会の弁護士に対する見方が参考になってありがたいことです。
弁護士会の懲戒委員には、現職の裁判官検察官各1名のほか、大学教授などの学識経験者が2名入ることになっています。
判事検事の場合には出身官庁の推薦でそのまま選任される仕組みで、弁護士会に都合の良い人ばかり選ぶ仕組みではありません。
この点も企業が問題が起きてから、渦中にある現執行部が「気心の通じた?人」を選任する一般の第三者委員会とは質が違っています。
アメリカの特別検察官制度は、渦中の大統領が特別検察官選任に直接関与しない点では日本の第三者委員会とはまるで違うイメージで紹介されています。
https://kotobank.jp/word/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98-1817357

朝日新聞掲載「キーワード」の解説
米国の特別検察官
ニクソン元大統領が1974年に辞任に追い込まれた「ウォーターゲート事件」をきっかけに、大統領や政府高官を捜査、訴追するために設けられた。78年に施行された「特別検察官法」に基づいて裁判所が任命する制度だったが、「権限が強大だ」とする議会の批判で99年に失効。現行では司法省が任命するが、独立性の高い立場で捜査に当たる。 これまで中央情報局(CIA)工作員の身元情報漏洩(ろうえい)事件や、クリントン元大統領に関わる「ホワイトウォーター疑惑」、同氏の不倫疑惑などが捜査の対象となった。
(2017-05-18 朝日新聞 夕刊 1総合)

ちなみに司法省が一般検察官任命と特別に委嘱出来るというだけでは、何が「特別」か意味不明ですが、http://www.canon-igs.org/column/security/20170531_4352.htmlによれば以下の通りです。

2017.05.31
特別検察官、何が特別なのか
産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年5月25日)に掲載
「特別検察官は…大統領にも解任できない」。19日付某有力紙1面トップ記事の冒頭部分がこれだ。
「何だって?」、読んだ筆者はのけ反った。それだけではない。他紙には「米『政権VS司法』鮮明」「捜査の予算は無制限」なる解説もあった。
字数制限の中、急いで書いた記事なのだろう。武士の情けで実名は控えるが、それにしても、なぜこんな基本的事実誤認が生じるのか。
トランプ氏のロシアゲート報道は今後も続く。今回は「特別検察官」の論点を整理したい。
そもそもこの官職、英語名だけでも3種類ある。
(1)special prosecutor
(2)independent counsel
(3)special counsel
(1)は文字通り「特別検察官」。1875年にグラント大統領が某スキャンダル捜査のため任命したのが最初だ。この官職名は1983年まで使われたが、78年に議会が法制化するまでは司法省内部規則などに基づき任命されていた。
(2)は「検察官」なる用語をあえて避けた「独立顧問」だ。ウォーターゲート事件を踏まえ、78年にそれまでの特別検察官の地位を法律で定める「政府内倫理法」が時限立法で制定され、83~99年にはこう呼ばれていた。
(3)は現行の官職で司法省の「特別顧問」。99年の政府内倫理法失効後、連邦規則28章600条に基づき司法長官が米政府外から弁護士を任命して設置できる常勤職だ。
(4)これとは別に1924年、上下両院特別決議に基づき、クーリッジ大統領が「特別顧問」を任命した例がある。
日本語ではこれらをまとめて「特別検察官」と呼ぶが、いずれも利益相反等機微な事件を政治とは一定程度独立した立場から捜査・訴追する権限が付与される点は共通だ。
現在の「特別顧問」は司法省内の一ポストにすぎず、広義の行政機関の一部だ。他の連邦検事と同様の捜査・検察権限は保障されるが、任命権者はあくまで長官。その独立性に法的保障はないだろう。されば大統領が長官に罷免を命じることも可能。少なくとも現状は「政権VS司法」ではない。
「連邦規則」とは議会が作る法律の枠内で行政機関が定める規則集であり、日本の省令集に相当する。独立性を確保するため「特別顧問」には別途予算が付くが、当然その額は司法省予算の枠内だ。
日本では特別検察官を大統領弾劾と絡めて報じるケースが多い。しかし、米国では特別検察官制度と弾劾手続きは連動しない。「特別顧問」が任命されれば直ちに弾劾に進むというわけではないのだ。

司法副長官がその直接監督者であることから、司法副長官に対するトランプ大統領の(解任)圧力が時どき報道される所以です。

STAP細胞事件3と日大アメフト事件2(第三者委員会とは?1)

小保方事件での早稲田大学の処分は、判断基準がずれています。
日大は内部実力者に対する忖度でにっちもさっちもいかなくなって内部懲戒制度が機能しなくなっていたので、第三者委員会に頼ったのでしょう。
早稲田大学も内部で処理する能力がないならば、第三者委員会でも立ち上げる必要があったように思われます。
うやむやにできてホッとしているでしょうが、その代わり「早稲田大学の学位ってそんなものだったの!」という評価の定着の方が大学にとって長期的に大きなダメージです。
学位授与審査の現実は仕方がないとしても「不正がバレても学位授与を取り消さない」というのって理解不能です。
刑事処罰の場合、検察官や裁判官が被告人を個人的に知っていることは万に1の確率もないでしょうし大手企業の内部懲戒処分もほぼ同様でしょう。
しかし、学会や弁護士会の懲戒処分で言えば直接会ったことがなくとも、直接間接によく知っている仲間内の処罰ですから「泣いて馬謖を斬る」ような辛い面もありますが、個人を守るためではなく、組織を守るためにある制度ですから、ルール違反があれば穏便に済ます訳にはいきません。
この意味では朝日新聞の慰安婦報道事件、あるいは日大アメフット部の騒動では、第三者委員会が設けられていますが、第三者委員会設置発表自体・・自分たち内部自浄機能が作用していない・国民の信用がないことを潔く告白したようなものでしょう。
4〜5日前に日大第三者委員会の調査結果が発表されましたが、一見したところ想定外に?にきっちりした報告のようで、第三者委員会が、本来の面目を施したように見えます。
http://www.sanspo.com/sports/news/20180629/spo18062920470013-n1.html
「中間報告書に記載されているとおり、本学職員による反則行為の指示が存在したことは誠に遺憾であり、被害選手、保護者及び関西学院大学アメリカンフットボール部の関係者の皆様、並びに反則行為の指示を受けた本学の選手及び保護者に対し、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
第三者委員会は中間報告で内田前監督と井上前コーチを「指導者としての資質を著しく欠いている」とした上で、責任転嫁するような姿勢を「極めて悪質」と指摘。問題発生後の対応で、一部の日大関係者により当該選手に責任を押しつけ、監督やコーチの指示はなかったことにしようとする不当介入が行われ「事件のもみ消しを図ろうとした」と断じた。
https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3VH3L6YUTQP01F.html
日大第三者委、内田前監督らの指示認定 悪質タックル
2018年6月29日15時25分

中間発表の骨子の主な内容
・ルールを逸脱した極めて危険なタックルは、(前監督の)内田正人氏と(前コーチの)井上奨氏の指示で行われた
・試合直後のミーティングや記者会見で、内田氏が自らの責任を認めるような発言をする一方、事情聴取では井上氏とともに不自然な弁解を繰り返し、自らの責任を免れ、(当該)選手に責任を押しつけようとしている
・事件発生後、一部の日大関係者より、(タックルをした)当該選手に責任を押しつけ、監督コーチの指示はなかったことにしようとする不当な介入が行われた

これまでの朝日新聞の第三者委員会報告などの例では、依頼者である朝日新聞の意向を忖度しながら、ある程度世論動向に合わせて批判的に書く・「この程度まで批判的に踏み込まないと世論が納得しない」だろうという政治思惑による調査報告・.時間稼ぎの印象が強かったのですが、今回はズバリ日大執行部の悪しき行動まで踏み込む切れ味の鋭い指摘です。
日大側としては、内田常務一人を悪者にして大学全体の生き残りをかける覚悟を決めていたものの、実力者内田氏の首に鈴をつけられないので第三者委員会にそこまで踏み込んでもらって「その認定事実を基礎に内部処分を決める」という図式を描いてこれに合わせて「結果ありき」の調査だったのかもしれませんが・・。
第三者委員会設置時点で内部の権力闘争が決まっていたというおどろおどろしい結果だったのかもしれません。
日本特有かどうか知りませんが、「第三者委員会」という代物ほどおかしな立ち位置はありません。
正式には第三者委員会ではなく、第三者「的」委員会というべきでしょう。
弁護士会の懲戒委員は総会で選任される仕組みですが、事実上執行部の推薦による点は事件後に設置される第三者委員会と外見上似ています。
しかし、単位弁護士会の場合には、執行部任期は1年限りであり懲戒委員の方は任期2年ですが、事実上本人が辞めるまで一定期間続ける慣習ですから、執行部に都合の悪そうな事件が起きた時の委員は9割方5〜6年以上前の執行部推薦委員ばかりで現執行部に何らの義理もない上に、委員は高齢者ばかりでこの先なんらかの役職につきたいような欲のある弁護士はいません。
そもそも弁護士会は職能団体組織であって、構成員の意向をまとめて表明することですから、上命下服的組織が普通の一般企業組織と違い、執行部の姿勢による不祥事・その進退を決めるような不祥事が社会問題になるようなことは想定できません。
この辺は経団連であれその他職能団体の多くは皆同じでしょう。
今朝の日経新聞2pでは、プロゴルフ協会がプロアマ大会で招待客に対してプロが働いた非礼な行為(というのでどんな行為かと思って読んでみると「招待したアマがプレー中にプロがウオーミングアップ用に自己練習をした」という点が失礼だったとされているようです・)「こんなぐらいいいじゃないか!」と言いたい人もいるでしょうが、これについて罰金30万の他に厳重注意処分」というのですが、業界としては身内をかばっているよりは、「スポンサーのご機嫌を損ねたらおしまい」というあたり前の価値基準の行動ですし、内部権力抗争と関係がありません。
慰安婦騒動に関する朝日新聞の場合には、特定人物の暴走ではなく組織挙げての体質のようですから、アサヒ関係者の誰も本気で反省していない・・スケープゴートを作り出すわけにもいかず、第三者員会を設けても時間稼ぎ程度の結論にしかなりようがなかったのでしょう。
国民の怒りが一過性のものならばそれで良い・スポンサー・顧客である国民に対して「襟を正す」必要がないので、成功となります・自社の報道姿勢は正しかったという姿勢堅持ですから、いわばどちらが正しいか?いまだに真っ向勝負勝負を社会に挑んでいるように見えます。
慰安婦騒動では国内的に陳謝していても海外版では一切の訂正がないと言われ(海外版を見る能力がないのでそういう噂があったという記憶だけです)ますし「江戸の仇を長崎で」と言わんばかりに安倍政権打倒に的を絞った「森かけ問題」に執念を燃やし「日本には言論の自由度が低い」と国連活動している(ただし、匿名者が特別調査者に説明しているだけで朝日がやっているとは限りません)のは、その一環で「最後の勝負にでている」ように見えます。
この勝負はどうなるか政治の世界は一寸先は闇ですが・・・開き直りに徹している以上は、朝日新聞の体質改善には結びつかないので、新聞購読数・発行部数のジリ貧傾向が続いているようです。
http://biz-journal.jp/2016/10/post_17001.html
2016.10.26
企業・業界 企業・業界
朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ
内容を見ると残紙率の減少が進んだ結果もあるので、実購読者が減った分の実態はヤブの中です。
http://www.garbagenews.net/archives/2194431.htmlは最新である他にいろんな角度からのグラフがあってわかり良いので一部紹介しておきます。

新聞の販売部数などの推移をグラフ化してみる(2017年後半期まで)(最新)

↑ 主要全国紙の朝刊販売数(万部)

 

本文は16年の記事ですが、グラフの方だけ更新されているらしく18年まで出ています。
グラフでは100万部どころか200万部近く減っている様子で下げ止まっていないようです。

第三者委員会の役割9(収束の着地点1)

「角度をつけた」報道を続ければ・・どちらかに偏った結果になりますから、こうした角度付けををやめて欲しい人が多いと思いますが、角度付けをやめて欲しいと言う正当な期待に応えるべく第三者委員会は役割を果たしていないように見えます。
社長を吊るし上げたいと言う・・低レベルな人は好き勝手に推測を逞しくして下さいと言う第三者委員会方式はある程度合理的ですが、「角度をつけた報道姿勢」そのものをやめて欲しい期待は合理的です。
電波関連での中立性は明文で規定されていることですが、朝日その他紙媒体のマスコミ界にはこうした要請はありませんが、中立を装う大手マスコミの場合、中立イメージ「精神」(新華社日本支部とか、赤旗みたいに立場を明らかにしていれば誰も文句言いません)に反した運用をして来たことに、国民が我慢し切れなくなっていたことが今回の騒動の遠因です。
公共電波を使わない新聞発行そのものに対する規制はありませんが、放送に関しては規制があって以前紹介しました。
もう一度紹介しておきましょう。

放送法
(昭和二十五年五月二日法律第百三十二号)
 第二章 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

慰安婦問題では双方向で顕著な対立があったのに、「強制があった」と言う主張ばかりに偏って報道していた責任を問われねばなりません。
もっとも新聞は放送ではないので何の規制もありませんが、新聞の偏った報道で世論造りが進んでいて、それを前提に電波(放送)が大々的に一方的な放送すれば良いというのではしり抜けです。
我が家で言えば、NHKのラジオ深夜便を長らく愛好していましたが、4〜5年または5〜6年前(いつころからか記憶がはっきりしませんが)から、脈絡なく韓国料理番組が出て来たり、韓流スターが如何に素晴らしいかの話題が挿入されて来るようになって来たので、次第に聞かなくなくなりました。
韓流の素晴らしさ・韓国料理の素晴らしさをNHKが繰り返し挿入して行くのは、対立する論点について一方を肩入れしていることにはならないでしょうが、こうした日常的イメージ刷り込みが一方的に行なわれていることの方が重大です。
日本統治に好意を持っている台湾人がNHK取材に応じたのに出来上がった番組は、日本統治が酷かったと言う逆方向へ編集された報道になってしまったと言うことで、右翼の応援で損害賠償裁判をしていましたが、放送には編集権があるので、取材に応じた人はどのように編集された中に登場させられようと損害賠償は認められないと言う骨子で、負けたようです。
本来の争点は、編集権を隠れ蓑にして編集態度が偏っていること・・これは台湾人が損害賠償請求する裁判のテーマになり得ません・・ではないでしょうか?
デマや流言蜚語は正確な情報がないところで起きるものですが、国民は「角度」がどうやってつけられて行ったのか・・「朝日新聞の角度」をどうやって修正して行くのかこそを知りたいのです。
国民の本心は、・・実はマスコミ界全般が、中韓やアメリカの代弁者になってしまっているのは何故か、それを(そろそろ)一掃して欲しいと言う期待・・戦後70年もたっているので、「いい加減にしてくれ!と言う、民族意識が覚醒して来た状態と言えるでしょう。
アメリカや中韓は70年も日本のマスコミを支配に努力して来たので、今や日本人は米中韓の言うとおりになる・・最早日本支配が完成していると思って更に踏み込んだのでしょうが、日本人が70年間も我慢して来て限界になり始めている逆の心理状態に気がつかなかったのです。
幸い中国の台頭し過ぎによってアメリカにとっては、今度は日本よりも中国台頭を抑えねばならなくなった国際情勢変化が日本有利に働いている側面もあります。

第三者委員会の役割8(個別意見3)

第三者委員会は国民の本来の期待(昨日書いたように合理的期待と言えないかも知れませんが・・)をはぐらかすための役割を見事に果たした・・国民の期待に反して社内手続を延々と記載していて筋違いの検証をしていたに過ぎませんから、(低レベル?)フラストレーション解消に殆ど役立っていません。
公式見解だけでは、このフラストレーションが収まらないのが分っていて、今回は昨日紹介したように異例の委員個人の補足意見発表があったのが、新機軸と言え・ある程度評価出来ます。
こんな形式調査とりまとめでは国民が納得しないと言う強い個人意見があって、委員会見解読者を冷静合理的国民を前提とする法律家としては、これ以上踏み込んだ意見は書けないので、「どうしても・・」と言うならば、個人意見を別に書いたらどうですかと言う流れがあったのでしょうか。
岡本委員個人意見にあるように「角度をつける」から朝日のような大失態になるのですが、そうなると「朝日の角度はどう言う角度か」と言う疑問が起きます。
角度の傾向については、北岡委員の個人意見が参考になります。
林彪事件を例に書いていますが、中国に不利なことは、(朝日の押し進める立場を主張するためには、)事実を隠蔽する(逆から言えば中国有利にするためには虚偽報道もすると姿勢と紙一重です)ことを朝日新聞が明白に正当化していることが北岡意見書で明らかにされています。
ここまで来れば、報道機関と言えるのか疑問です。
北岡委員の個人意見よりますと、元々朝日新聞は自己主張正当化のために既に取材しているので存在している事実でも否定し続けることが正しいとする社内教育をしていることになります。
社の方針に合致しないときには「あることをない」と報道することの正当化が行なわれて来たとすれば、裏返しに存在しないことでも社の方針貫徹のためには「存在する」と報道する勇み足に繋がるのは紙一重・・暗黙のうちの奨励しているようなものです。
委員会見解では吉田調書報道の虚偽性が分った後の対応が悪かったと強調していて何故虚偽意見に(裏付け取材しないで)あっさり乗ったかを書いていませんが、委員会の事実認定経過だけを見ても、朝日の社内対応は「国民に如何に対応するか、どの程度で誤摩化すことが可能か」の対処方針の検討に努力して来たことばかりが伝わって来ますが、「真実を追究しよう」とする姿勢が殆ど伝わって来ません。
原発吉田調書事件では、産経が入手するまで(どうせ非公開だから、誰も具体的反論が出来ないだろうと言う読みで?)社内では誰も調書自体を読もうともせずにいたことを、2015-1-6「マスコミの情報操作6(「報道と人権委員会」朝日新聞吉田調書1)」に書きました。
報道の使命は権力に屈せずに真実を報道するところにあって、そのためにこそ報道の自由が尊重されるのですが、朝日新聞は、真実報道の使命を捨て置いて真実よりは自己主張=「角度」を貫徹するためにどう利用するかの関心・・政治団体同様の役割になっている・・報道の自由と言う名で権利濫用しているような印象です。
朝日新聞の検証委員の岡本氏の個人意見で明らかにされた「角度をつける」社風・体質こそ恐るべしです。
「角度」万能になると、恣意的虚偽・誇大報道の連続発生は当然の帰結であり、たまたま国益に大きく絡んだ結果国民の反発によって裏付け調査する人が出て来て事実誤認が判明したのですが、こう言うことが可能なのは、偶然判明した大事件だけです。
国民的関心を集めない雑多な報道では、やらせに類する虚偽報道体質・・この周辺の虚偽とまで言えないまでも、どちらでも言えることは出来るだけ角度をつけて一定方向への誘導する目的報道が蔓延していると見るべきでしょう。
これがマスコミによる情報操作の危険性です。
元々「角度をつける」特定方向に向けた報道をしたい意欲が先にあったので、(でっち上げとは知らなかったとしても)十分な裏付け取材する必要もないし、(裏付け取材すると虚偽性が分りそうなので、敢えてしなかった?)社内で多角的検討もしないで待ってましたとばかりに、飛びついたのだろうと穿った見方をする人が多くなります。
「角度」はどのようにして決まって行ったかこそ、検証するべき重要テーマだったのではないでしょうか?
慰安婦報道や吉田調書事件で世論が知りたがっているのは、植村氏など特定個人に責任があるかどうかではありません。
マスコミ界全体の角度付け傾向に対して、どのように国民が不満表明して良いか分らないために、目に見える個人が攻撃対象になっているに過ぎない面があります・・。
マスコミ界は個人問題に矮小化・・スケープゴート化すれば、当面の火の粉を振り払えるメリットがあります。
右翼が・・暴発してくれて刑事事件化してくれれば、暴力は許されないと言う大キャンペインで(在特会で言えばヘイトスピーチ批判にすり替えた批判が盛んです)世論批判を逆転させられるので、それで問題収束が図れると期待していたのでしょうが、意外に暴発しない・・右翼と言っても跳ねっ返りは少なくなりましたので待ち切れなくなって、植村記者からの民事訴訟提起・大々的記者会見となったと思われます。
いずれにせよ焦点を個人攻撃にずらして行くのが、マスコミ界の戦略のように見えます。

 第三者委員会の役割7(個別意見2)

最近はやっている第三者委員会と言うのは、厳しい追及逃れの時間稼ぎと自己の選任した第三者委員が悪いようにはしないだろうと言う期待があるように見えます。
「第三者委員会で検証して頂きますので、・・」といって記者会見での追及逃れです。
木村社長は何も言わないまま、検証期間中に自発的退任してしまいました。
朝日の取り消し発表が遅れた・・内部意思決定過程中心に検証したようになっているのが不思議ですが、もしかしたら・・どうせやめるつもりだから「自分の責任に集中させてくれ」と以心伝心で頼んであったかのようです。
原発吉田調書と慰安婦報道に共通している・・国民が知りたがっている「裏付けがはっきりしない段階で何故大々的報道したのか」については、まるでヤミの中にしたままで終わりです。
事実を淡々と認定すれば後は国民が考えれば良いことであって、刑事事件と違って故意や悪意まで認定する必要がない・・と言うことでしょう。
数日前のマクドナルドの異物混入騒ぎで、社長が記者会見に出ないのは何故だと言う主張がマスコミに出ていますが、((圧倒的にこう言う風潮です)誰が事実説明しても同じですが、「社長が出るべき」だと言うマスコミ要求は「社一丸の姿勢が見えない」と言うのが表向きの理由でしょう。
しかし、記者会見の模様をみていると本音は「何故こうなったのだ」と聞いても仕方がないことを延々と追及して社長に「申し訳ございません」と何回も謝罪させる・・吊るし上げている状況を視聴者に見せたいと言う非合理な欲求迎合が大部分を占めているように思われます。
社長が出ても自分から「日本国民を貶めたいと思ってやらせました」と言う訳がないのですから、結果的に庶民の鬱憤晴らしを煽っている・・吊るし上げ文化・・公開処刑のような感じで、言わばマスコミによる原始社会帰りの風潮を煽って来ただけかも知れません。
マスコミに言わせれば庶民の鬱憤拡散のためにやっているのであって、マスコミの責任ではない・・国民レベルが低いだけだと言うのでしょうか?
マスコミは、庶民大衆を相手にしているので、庶民向けに煽るだけ煽ってしまう傾向があるので、その沈静化のためには逆に大掛かりな吊るし上げ劇が必要になっていると言うことでしょう。
このような吊るし上げ劇を率先して煽って厳しい追及をして来た方法の確立こそ朝日の功績?でしたが、自分のことになると第三者委員会に逃げてしまって社長が直接謝ることもしないのが卑怯だと言われています。
こんなことを大々的にり返すのは、社会のありようとして恥ずかしいことですから、「武士の情け」で「そこまでは問いつめない」と言うのが本来の日本社会のありようです。
国民は第三者委員会の目くらましにうまく騙されたからではなく、国民レベルの矜持としてこれを受入れるのが正しい道です。
小保方氏のスタップ細胞再現検証作業でも、誰がES細胞を混入させたかの証拠までは分らないと言うだけで、小保方氏による故意混入までは認定していません。
(検証委員会の目的は犯人探しではなく、繰り返し実験しても再現出来ないとが分れば良いだけですから・・)
日弁連の政治活動に関する高裁判例や名誉毀損判例等で年末に紹介したとおり、規制しなければならない程の「違法ではない」と言うだけであって、好ましいと認定した訳ではありませんが、勝った方は裁判でお墨付きを得たかのように振る舞います。
朝日新聞の第三者委員会は国内対立を煽る目的ではない・・朝日が資料がはっきりしない中で特定政治日程にぶっつけた目的は何か?ついては、そこまで踏み込まないことになるのは依頼した段階で結果が分かっていたことになります。
国際的影響は分らないと言う見解があって、分らないから影響がなかったと言う朝日新聞の受け止め方です。
そもそも「国際的影響を証拠を持って論じよ」とならば一々朝日新聞を引用した記事は少ないのが当たり前ですから、そんな証拠はちょっとしかないのは当然です。
太平洋のど真ん中に落ちたダイヤの指輪を1年間かけて探しても見つからないから、落ちていないと結論付けるような調査です。
引用記事が何本しかないから影響はほとんどなかったと言う委員会見解は、子供騙しの結論を導くためになれ合いでやったような代物と評価されても仕方がないでしょう。

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