PC・二重基準の限界(サウジ記者殺害?)

格差拡大・・トランプ氏の1国主義の主張・・それらは全て「国民レベルでは、優等生を演じ切れない」と言う悲鳴にも聞こえます。
米軍が、欧州戦線で解放軍というメデイアの宣伝にも関わらず、強姦魔になっていたことを18日に紹介しますが、綺麗事に国民がついていけない実態があります。
アメリカ自身も西欧から見ればたまたまキリスト教徒の出先というだけのことで、ロシア同様の西欧文化の周縁国ですから、西欧社会から一段下に見られて何かと馬鹿にされているのが、癪の種です・実態はその通り・・いざとなれば野蛮な本性を出してしまうのでしょう。
メルケル氏から見れば、同じドイツ出身のトランプ氏が秀才のメルケル氏から見れば、低レベル?の塊みたいな振る舞いをするのに我慢ならない様子を見せるのは、近親憎悪のようなところがあるからです。
平安末期の公卿社会からすれば、勃興してきた地方の粗野な武士団とは気が合わないが、利用できる限度で無視できないので、粗野な武士同士で争っていればいいという源平時代の摂関家のような気持ちが、20世紀以来の西欧の姿勢でしょう。
もしかしたらトランプ氏の無茶な要求は、アメリカの草の根の本音・・上海協力機構に参加すれば価値観や気持ちが一致するかもしれません。
実はアメリカは、本音に従って?上海協力機構にオブザーバー参加申請したところ、拒否されているらしいのです。
上海協力機構に関するウイキペデイア引用の続きです。

SCOはアメリカのオブザーバー加盟申請を拒否した他[2]、アフガニスタンのカルザイ政権が半ば「アメリカの傀儡」である事を理由に加盟申請を拒否したり、加盟国ウズベキスタンからの駐留米軍撤退を要求するなど、米国との対立路線を形成しつつある。過去のサミット(2007年のビシュケク・サミットを含む)では、たびたび間接的に「ワシントンへの反感」が示されている。

宿敵関係にあるインドとパキスタンまで肩を並べて入っているとなると、共通項はキリスト教徒は嫌・来るなという集まりでしょうか?
ところできれいごとと言うか西欧で理性に基づいて一歩一歩組み立てて来た国際政治上の約束事(ウエストファーリア条約以降の漸進的向上や各種国際通商条約)にロシアを含めた周辺ないし新興国指導者はごもっともと言うことで反対出来ないから条約参加してきました。
しかし、身近な生活では暴力的解決が普通・強盗も泥棒も蔓延している社会で西欧の掲げる高邁な人権思想にそのままついて行けない現実が先進国アメリカでさえトランプ旋風によって吹き出した印象です。
ここ数日国際問題になっているサウジ王家批判で有名なサウジ籍のジャーナリストがトルコで殺害された事件・・を見ると欧米の人道主義・自由主義の綺麗ごとと・ポリテカルコレクトネスの実態の矛盾が吹き出した印象でしょう。
トランプ政権に限らず欧米としては、サウジ支援を簡単に切れない側面があります。
中東の米国の影響力はサウジを通じて行なっているので、これを人道主義批判によって軍事援助を切るとサウジもロシアから軍事援助を受けるしかないので、中東はロシア勢力一色になってしまう実態があります。
これまでシリアの民主化弾圧、タイの軍事政権・ミャンマーのロヒンギャ問題など批判→制裁するとその都度ロシヤや中国の影響力が広がってきた歴史・・サウジの記者殺害問題は最後の大団円になりそうです。
左翼系人権運動家は、ロヒンギャやタイの軍事政権批判し、経済制裁や軍事援助停止を強調しますが、中露のもっとひどい人権侵害.公害・核兵器開発には何も言いません。
中国では政府活動家に対する頻発する長期間のゆくへ不明事件・・弾圧・・直近ではウイグル族に何百万に上る強制収用を非難すらしないし、「中国への投資や取引をやめろ」という要求を誰も言わない不思議さです。
左翼系文化人・人権活動家のメデイアを通じた激しい批判・民間企業に対する投資抑制運動は、中露を除く原則があるので結果的に人権や公害(CO2排出)、児童労働や劣悪な労働環境を問題にしない中露の世界勢力拡大・・経済進出の応援運動になっています。
トランプ氏の主張は、左翼系文化人・メデイアの作り上げてきた価値システム・PCの全面否定が特徴ですから、ここでトランプ氏としては、「他国の人道問題と政治は別」と開き直る可能性があります。
内政は内政であって、どのような政治が良いかはその国民が選ぶことであって、外国は批判するのは勝手としても(制裁等で)その国の政治に直接関与しない原則に戻るべきでしょう。
主権尊重という観念論ではなく、民族の経験してきた微妙な価値観によって文化が違ってきたように制度相違を尊重すべきということでしょう。

植村記者問題8(挺身隊表記とキーセン経歴不記載)

植村記者問題に戻ります。
挺身隊問題は1月17日に書いたので、今回はキーセン経歴の不記載問題です。
キーセン学校生であった事実を伏せた点について、
この点「さほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく」書かなかったと植村記者は言い「見解」も肯定するかのような記載です。
(正当化まではしていませんが・・)
以下のとおり、キーセンと言えば日本でも(依頼者がしょっ中キーセン旅行の話をしていたので全く遊ばない私でも知っていましたから・・)キーセン旅行はかなり流行していて韓国で(慰安婦取材→風俗系・売春関連の)取材活動していた彼が、キーセン学校と売春婦との重大な関連を知らなかったことはあり得ないと思われます。
(知り尽くしているからこそ記事にしなかったのではないか→でっち上げの疑いが問題にされているのです)
以下ウイキペデイアからの引用です。
キーセン制度は古くからありますが、植村記者の書いた1991年ころの状況は以下のとおりです。

大韓民国の妓生・キーセン[編集]
韓国軍慰安婦[編集]
「韓国軍慰安婦」および「在韓米軍慰安婦問題」を参照
大韓民国の成立後に朝鮮戦争が勃発し、戦火で焼き尽くされた国土の復興には莫大な費用が必要になった。朴正煕大統領は、日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約で獲得した資金を元に復興を進め、在韓米軍を新たな復興への資金源として見出した。当時、駐留米軍に対する風俗店は、朝鮮語でヤクザと呼ばれる非合法の犯罪組織が関与しており、莫大な金額が地下に流出していた。これを一斉に摘発し、新たな国営の娼館制度を代わりに据え、外貨獲得を行った。これが便宜的に国営妓生と呼ばれる制度であり、更なる外貨獲得を目指して、一時はベトナム戦争時など海外にも派遣された。
「キーセン観光」[編集]
日本が復興し、海外旅行が再開されると、日本からの観光客に対しても、国営妓生が使われた。1990年代まで、キーセン旅行と呼ばれるほど韓国旅行が風俗旅行と同等の意味を持っていたのはこのためである。 交通公社や近畿日本ツーリストの旅行では、羽田発二泊三日で35,000円位、「妓生」と見合いの後、夕食が終わるとホテルに「妓生」が来た。夜の街に出たり、部屋で駄弁ったりして、翌朝まで一緒にいて、30,000円を要求された。
夜の町に一人で出ると、屈強な男性(人は警察官という)が尾行してきた。おかげで、安心して横町の屋台などで、ソウルの夜が楽しめた。生きたまま刻んだタコを食べたり、直ぐにできるオーダーメイドのシャツを買ったりして、ホテルに戻ってベッドに入るとボーイがドアをノックして来た。「お一人ですか?お寂しくないですか?」ドアーの上の回転窓には、当時日本ではやったジーンズのジャンパーなど羽織った2人位の女性がボーイの後ろで、壁に体を寄せて控えている。
深夜2時過ぎまで、何度もボーイのノックがあった。ボーイにも歩合が入るようであった。業者は、「妓生」とは言わず、「姫様」と呼んでいた。」

強制連行があったかどうかが厳しく争われている最中の日本で、名乗り出た女性が、キーセン(日本で言えば売春婦?)であったか否かは、決定的重要性を持っていたことは明らかです。
素人でもキーセン旅行を知らない人がいないほどキーセンの存在が有名だった当時の日本で、慰安婦専門取材記者として?わざわざ呼び寄せられた(韓国に何回も行っているはずの)植村記者が、韓国売春業界の実態を知らない・・関連性を知らない筈がないと理解するのが普通です。
気にしなかったと言う単純な説明のままでは、信用する人は少ないのではないでしょうか?
そこから不自然過ぎる・・キーセンの経歴を記事にすると強制連行された慰安婦ではなくなってしまうので、記事から故意に割愛したと推測されているのでしょう。
慰安婦強制の有無が大問題になっている最中に、強制を連想させる方向では書かなくても良い「挺身隊」と書いたり、「連行」と書き過ぎているのに慰安婦強制の有無に不利な事情になるとうっかり書かなかったことになるのでは、1方向に偏り過ぎているので、故意的方向付け=でっち上げと評価・批判されている原因ではないでしょうか。

植村記者問題7(マスコミ各社の反日報道責任1)

仮に強制連行と記事に書いていなかったとしても、昨日まで書いたように時間軸によって誤解を招く記事であった外に、挺身隊の表現をしたことと、逆に重要な履歴であるキーセン学校生であったことを書かなかったことが批判されています。
この辺がねつ造記者の烙印を押されている原因と思われます(名誉毀損で訴えられた著者がどのように書いているか不明ですから推測です)が、上記のとおり植村記者は故意か不用意にか不明ですが、日本の新聞に挺身隊と書いてしまいました。
「見解」の認定によれば、植村記者は縁戚を利用したのではなく、ソウル支局長から、わざわざ呼び出されて取材したと言うのが彼の主張となっています。
(このような認定が必要になった背景には、彼が韓国人女性と結婚していて、彼女の母親は韓国で日本政府相手の裁判をする慰安婦等募集団体の代表だと言うネット批判に対応する認定のようです。)
ソウル支局長から突如出現した?慰安婦取材のためにわざわざ呼び出される以上は、その道のプロと社内で認識されていたと思われます。
そうとすれば、当時韓国では日本のように慰安婦と言わずに「挺身隊」と言われていたことを知り尽くしていたにも拘らず、この記事で「挺身隊として連行された」(日本語で書くトキは慰安婦に翻訳すべきだったでしょう)と書いた疑いが生じます。
日本では、挺身隊と言えば、勤労動員的理解が普通ですが、韓国ではこれを慰安婦の韓国的表現だったことが事態悪化を拡大させる大きな原因になったようです。
同じ漢字を使っていても国によって意味が違うことが多いのですが、悪意で言えば(色眼鏡でミレバ)この違いを知りながら大問題に発展するように巧妙に悪用したと言う右翼の憤激を買ったのでしょう。
挺身隊と慰安婦の区別が分らなかったと言う説明がマスコミに多いので、「そんなこと当時の日本人なら(20年以上前には戦前の人が一杯生きていたし、・・私の母は明治生まれですが、4〜5年前死亡までボケていませんでした・・・・私だって戦時中生まれですからホンのちょっと年長者・・経験者が周辺に一杯ました。)誰でも知っていることじゃないか」と思っている人が多いでしょう。
委員会見解を読んで分ったのは、日本では全く別の単語であったのに、韓国では混同していると言う情報が一般人に行き渡っていなかったことが分りました。
しかし、植村記者は、慰安婦問題取材のプロとして韓国では慰安婦を挺身隊と表現しているのを十分知っていたとすれば、韓国語を日本語に翻訳して記事にしているのに、この単語に限って、翻訳しないで何故日本語で「挺身隊」とそのまま書いたのかが問題のようです。
植村記者が日本語で「挺身隊」と書いたことによって、国内で勢いをつけた人権家グループが、(日本の人権グループは日本での挺身隊と慰安婦とは違うのを知っている筈ですが・・)挺身隊員ならば何十万単位になると主張し始め、韓国が日本マスコミがそう言っているのだから・・とこれを援用して、挺身隊で連行されたのは何十万人だと大騒ぎにしていったようです。
韓国マスコミも、日本の報道は勤労奉仕の人数なのにその点を隠して韓国内の誤解をそのまま利用して火を大きくしたようです。
日本の女子挺身隊は勤労奉仕であると言う違いを紹介しないで、韓国国民が挺身隊=慰安婦の理解を悪用して、日本では、挺身隊は子供を含む//それなら韓国では、少女まで連行されたのかと言う反日に都合の良いつまみ食いをする韓国内の煽り現象が起きて、感情的爆発が宮沢訪韓に向けて起きました。
1昨日紹介した朝日の連載記事に限らず、宮沢総理訪韓に向けて(日韓の認識の違いを指摘する日本のマスコミはなく、)韓国世論の沸騰を利用して逆に「政府は関与を謝罪すべき」と言う韓国応援の大合唱をしていただけです。
日本と韓国で違った解釈をしているのを一般国民が知らなかったとしても、韓国の報道をみれば誤解の連鎖になっていることがすぐに分った筈です。
まして慰安婦問題のプロが日本にゴロゴロいて、・・この記事を書くのは各社その道のプロが担当していた筈なのに、何故その違いを指摘せずに、そのまま国内過激報道競争・・にして行ったのか疑問です。
「挺身隊と慰安婦は違うでしょう・・」という意見をマスコミが1社も書かなかったのか不思議ですが、「当社だけではなかった」と朝日が弁明しているように、そのころのマスコミは反日報道をする方向で一致していたような印象です。
(数年前にフジテレビがこの批判を受けて視聴率急低落になりましたが、同社に限りません)
この結果、宮沢総理は、訪韓首脳会談中に8回も謝罪発言を余儀なくされたと言われています・・。

植村記者問題6(組織内行動の責任)

第三者委員会見解に引用されている植村記者の書いた記事(記事そのものコピーは資料に出ていません)内容は以下のとおりです。
※要約すると不正確となるので、昨日から煩をかえりみずに「見解」記載のまま引用しています。
以下にあるように見解指摘事実だけみても、「でっち上げ・ねつ造」と評価されるかどうか別としても一定方向へ向けた意図的な不正確記事を書いた印象を受けます。
即ち、単なるミスとしては、強制性を印象づける効果を狙った方向への不正確記載(強制を印象づける方向へは「連行」と書き過ぎていて、連行に矛盾するキーセン関係は書き漏れ?ている・その他問題になっている挺身隊記載など)ですから、意図的→ねつ造と言う主張も成り立つような気がします。
名誉毀損になるかどうかは表現次第ですから、書き過ぎになるかどうかは損害賠償請求された著者がどのような表現をしていたかにもよるでしょうが、「見解」の認定事実によると読者を欺く意図がかなり濃厚な印象をうけます。
記者がソウルから送信したものを本社で文字構成したとすれば、(彼の送信文章全文から編集部で取捨選択して記事にしているとすれば・・)裁判では記者自身がこの記事全部に関与していたか構成・完成まで関与していたかについても、問題になるでしょう。
最後まで関与していなくとも署名入記事にした以上は、彼の責任ではないかと言う別の議論もあり得ます。
以下は第三者委員会「見解」(植村記者関係)の一部引用です。

イ 吉田証言に関する記事以外の状況
a 名乗り出た慰安婦に関する1991年8月11日付記事
1991年8月11日、朝刊(大阪本社版)社会面(27面)に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」、「思い出すと今も涙」、「韓国の団体聞き取り」 の見出しのもとに、「従軍慰安婦だった女性の録音テープを聞く尹代表(右)ら= 10日、ソウル市で植村隆写す」と説明された写真の付された記事が掲載された。
同記事は、当時大阪社会部に所属していた植村のソウル市からの署名入り記事 で、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を 強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していること がわかり」、同女性の聞き取り作業を行った挺対協が録音したテープを朝日新聞記者に公開したとして、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」などその内容を紹介するものである。植村は、上記(1) イのとおり、韓国での取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、 「強制連行」されたという話は聞いていなかった。

b 名乗り出た慰安婦に関する1991年12月25日付記事 金氏を含む元慰安婦、元軍人・軍属やその遺族らは、1991年12月6日、日本政府に対し、戦後補償を求める訴訟を東京地裁に提起した。 1991年12月25日、朝刊(5面)に「かえらぬ青春 恨の半生」、「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、「ウソは許せない 私が生き証人」、 「関与の事実を認めて謝罪を」の見出しのもとに、「弁護士に対して、慰安所での 体験を語る金学順さん=11月25日、ソウル市内で」との説明のある金氏の写真が付された記事が掲載された。
植村は、金氏への面会取材は、写真が撮影された1991年11月25日の一 度だけであり、その際の弁護団による聞き取りの要旨にも金氏がキーセン学校に 通っていたことについては記載がなかったが、上記記事作成時点においては、訴状に記載があったことなどから了知していたという。しかし、植村は、キーセン 学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく聞き取りの内容をそのまま記載したと言う。」

「見解」要約文書では、以下のとおり記載されています。

「植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場 に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が ソウル市内に生存していることがわかり」と記載した。これは、事実は本人が女子挺身隊 の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイ メージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であ り、読者の誤解を招くものである。」
以下は見解全文からの引用です。

「なお、1991年8月15日付ハンギョレ新聞等は、金氏がキーセン学校の出身であり、 養父に中国まで連れて行かれたことを報道していた。1991年12月25日付記事が掲 載されたのは、既に元慰安婦などによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期 であり、その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから、 植村も上記記事作成時点までにこれを知っていた。キーセン学校に通っていたからといっ て、金氏が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方がなかった とはいえないが、この記事が慰安婦となった経緯に触れていながらキーセン学校のことを 書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。」

上記によれば、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、・・・」とあるように「連行」と言う文言が使われているうえに、昨日紹介した一連の記事の日付と比較して頂ければ分るように、植村記事の掲載された1991年夏から年末にかけては朝日新聞がまだ吉田証言(軍による慰安婦狩り)が正しい前提で、政府による謝罪を繰り返し求めている最中だったことが分ります。
植村記事は、吉田証言が事実であるかのように大々的に朝日が報道していた最中に(これを補強する効果を狙った)現地報道記事だったことになります。
詐欺や恐喝グループで言えば、先行者が強迫や欺罔行為をした後でこの情を知っている紳士然とした人が次にやって来て先行者による強迫や欺罔によって畏怖や誤信させられた状態を利用して取引をしても全体として、恐喝や詐欺になるのが一般的法解釈です。
植村記者は朝日の社員ですから、一連の演出効果を期待する作為の一員に入っているとみるのが普通であって彼が「自分は関係ない」とは言えないでしょう。

植村記者問題5(記事掲載前後の状況)

弁護団が12月に国家賠償訴訟提起したキジも植村記者が書いていますから、8月報道は強制連行を前提にした記事であることが明らかです。
訴状をみていませんが、任意売春婦であれば(誰かに騙されたならば騙した人を訴えるのがスジです)国家賠償など請求出来る筈がないのですから・・。
政府は、政府関与を否定し続ける中で宮沢訪韓に向けて朝日による執拗な報道構攻勢が以下のように続いていました。
この一連の報道攻勢に屈した宮沢総理が訪韓中何回も謝罪を言い続けなければならなかった経緯が「見解」で認定されています。
この大きな流れのなかで決定的役割を果たしたのが、植村記者の慰安婦出現報道記事のようです。
委員会見解に認定されている19991年8月に始まる植村記事前後における強制連行関連に関する朝日新聞記事・主張?状況を見ておきましょう。

(1)1990年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼 いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、吉田氏 の顔写真が付された記事が掲載された。
同記事は、吉田氏について「戦前、山口県労務報国会下関支部動員部長として、『徴 用』名目で多数の朝鮮人を強制連行した」と紹介し、吉田氏が朝鮮人の徴用に関す る書類を焼却したことを報道するものであり、その前提としての強制連行について は、「地元警察署員らが集落を包囲した後、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮 人男性を強引に引きずり出し、次々に護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒し た」、「『同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります』」と記載する。
同記事は、書類焼却の点など他の取り消された記事にない部分があり、吉田氏の 発言をカギ括弧で引用していること等から、吉田氏を直接取材して作成したものと 認められるが、執筆者は不明であり、取材の詳細も判明しない。
イ 吉田証言に関する記事以外の状況 韓国では、1990年1月に、尹氏による慰安婦に関する「挺身隊取材記」がハンギョレ新聞に4回にわたり掲載された。
2)1991年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1991年5月22日付記事 1991年5月22日、朝刊(5面)に「木剣ふるい無理やり動員」、「加害者側の証言記録必要と執筆」などの見出しのもとに、吉田氏の顔写真の付された記事が掲載された。
記事前段省略「・・・・朝鮮に おける行動の詳細が記載されている。例えば、「私たち実行者が十人か十五人、山 口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察 官五十人か百人を動員します。(略)殴る蹴(け)るの暴力によってトラックに詰 め込み、村中がパニックとなっている中を、一つの村から三人、五人あるいは十 人と連行していきます。(略)十万とも二十万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、 解放されてから郷里に一人もお帰りになってないのです」とする。
b 1991年10月10日付記事
1991年10月10日、朝刊(5面)に前記「女たちの太平洋戦争」の一つ として「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」、「乳飲み子から母引き裂いた『実 際、既婚者が多かった』」、「日本は今こそ謝罪を」の見出しのもとに、「『私はもう 年。遺言のつもりで記録しておいてほしい』と語る吉田清治さん=東京都内で」 との説明のある吉田氏の写真が付された記事が掲載された。
筆者は、記事中に3時間余り吉田氏を取材したとの記載があるが上記aの記事 の取材と同様にあまり記憶がない、記事左下の関連記事も自分が書いたとは思う と言う」

今回のテーマとは少しずれますが、1月9日に書いたように上記認定は委員会の故意的突っ込み不足顕著な印象です。
取材した場合、記事にしても基礎になるメモや録音を廃棄するのではなく、取材メモや録音・写真等を記録として残す筈ですから、その記録を何故見ないか、もし残っていないとしたら、何故なくなったかの検証こそが委員会に期待されているのではないでしょうか?

(3)1992年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1992年5月24日付記事及び同年8月13日付記事
1992年5月24日、朝刊第2社会面(30面)に「慰安婦問題 今こそ自 ら謝りたい」、「連行の証言者、7月訪韓」の見出しのもとに、吉田氏の顔写真が 付された記事が掲載された。
同記事は、「『私が慰安婦たちを朝鮮半島から強制連行した』と証言している千 葉県在住の吉田清治さん(七八)が七月、韓国に『謝罪の旅』に出る。」

以下省略
上記は朝日が取り消した記事の記載だけですが、その外に「窓」と言う欄で吉田氏証言を前提にした記事が・・「論説委員会室から」と言う名称で1992年1月23日と3月3日夕刊に掲載されていることが、資料として公開されている新聞コピーで明らかになっています。

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