第三者委員会の役割4(朝日新聞慰安婦報道2)

以下はウイキペデイアによる吉田氏の死亡年月日です。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。

歴史家や他社のでっち上げ指摘後、既に社内で強制連行に関する吉田証言は怪しいと決まっていて軌道修正していた事実が認定されていますが、では吉田氏が生きている段階で何故何十年も事実再確認作業をきちんとしなかったかについても、以下に引用のとおり委員会の調査がオザナリです。
善意解釈すれば、これ以上無理なので、読者の想像に任せますとも読めますが・・。
以下委員会見解の一部です。

「3月上旬、キャップ格の記者が吉田氏への接触を試みたが、電話取材では吉田証言について応答を拒まれ、自宅も訪問したが留守で、結局、吉田証言について話を聞くことはできなかった。」

朝日新聞社の存続を揺るがす大事件に発展している段階での事実再確認のための調査行動としているのに、訪問して留守だったから事実確認を諦めたと言うのではあっさりしすぎて異常です。
普通の取材活動でも、行ってみて相手が不在だった・・それだけで諦めてしまわない・・夜討ち朝駆けを繰り返すのが報道界の常道ではないでしょうか?
元々事実が存在しないのを知って共謀していたから、再度聞くまでもない・・聞きたくない・・「御社の方こそ良く知っているでしょう」と言われるのが怖かったので形だけの調査をしたことにしていたのではないか・・「留守だったことにしよう」(いつ行くので家を空けておいて下さい・・」と言う筋書きにしたのではないかと読む人が多いでしょう。
検証委員会の事実認定を読むと慰安婦問題は既に十分報道して国際問題にすることの目的を達した・・成功しているので、朝日新聞の対応は以後事実確認よりは、今後はどうやって対外的に軌道修正して自社批判を誤摩化して行くかに焦点が移って行ったかのように見えます。
そのころから、本質は強制連行の有無ではなく、広義の強制性・・「女性の人権」だとすり替え主張が始まっています。
検証委員会見解は経過を淡々と書くだけ(死亡しているので調査出来ない・・執筆記者が特定出来ないとか・・こんな不自然なことをそのまま記載して検証作業を終わりにしています)で何も触れていません。
吉田清治氏が死亡して「死人に口無し」となってから、謝罪会見するやり方は原発吉田所長2013年7月9日死亡後の虚報開始と(偶然?)同じですが、担当取材記者らは生きていると思われるのに、検証委員会では何故生きている彼らからもっと突っ込んで聞かないか不明です。
世間が知りたいのは合理的疑問の解明ですから、合理的な憶測を覆す丁寧な検証こそが求められていたと思います。
検証委員会では、「焼却したと聞いた」「留守だった]と言う記者の説明をそのまま書いて、後は世論の判断に委ねようとする謙虚(手堅い?)な姿勢かも知れません。
法律家主導の委員会らしく手堅い書き方になっているのは分りますが、これでは、国民が求めている検証の意義を果たしていない・・激昴した世論沈静化の時間稼ぎのためであったのか?と受け取る人・・不完全燃焼の人が多いのではないでしょうか?
26年12月30日に名誉毀損や日弁連政治活動等に関する判例の射程範囲を紹介しましたが、求められたテーマ以外の余計なことを書かないのが法律家の使命・習性です。
第三者委員会がセンセーショナルに国内対立を煽る必要がないと言う意味では、それぞれ手堅い見解の発表と言うところですが、朝日新聞の誤報道・虚偽報道の検証作業は、裁判そのものではないので、もう少し踏み込んだ意見表明・・焼却したと言うだけで信用したとしたことに「疑問が残る」「執筆者が明らかにならないのは残念だ」程度の表現があっても良いような気がします。
これを逆にやむを得ないと結論付けて正当化表現が目立つのは残念です。
国際社会に対する影響についても、第三者委員会見解では朝日新聞を引用した記事が何本しかないので影響がなかったと言う書き方ですが、こんなことで国民が納得するでしょうか?
影響と言うのはムード的に広がって行くものであって引用記事が少ないから・・と言う論理は、まるで朝日の報道価値を無理に落としている印象です。
朝日が広めてその他のマスメデイアも負けずに追随報道する中で、国際常識になってしまっている以上、一々朝日と言う名称を引用する記事が少ないのは当たり前のことで・・軍による強制連行が常識になってしまうほど影響が大きかったと理解する人の方が多いでしょう。
例えば第三者委員の一人である岡本委員自身が、これまで強制連行を前提にした意見を書いていると報道されていますが、(私は報道機関でもない素人のコラムなのでこれ自体の検証取材までしないで自動的に引用しているだけですが・・)その文書にも朝日新聞を引用していません。
以下はhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11934180595.htmlからの引用です。

 「岡本氏は、1995年7月18日に村山内閣に提出された、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)に拠金を呼びかけの「呼びかけ人」の一人なのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/heiwa-kikin.html
 岡本氏も呼びかけ人として名を連ねた「呼びかけ」は、以下の文章で始まります。

『戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大 な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を 強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏 みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、 いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少 しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、 これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。 (後略)』

後で植村記者に対するバッシング問題で書いて行きますが、このシリーズで書いているように「見出し」等で一旦レッテル貼りが終われば一々引用しなくともイメージが増幅して行くものです。
朝日は事実上軌道修正していたことも認定されていますが、事実上では資料や表現の微妙な変化をくわしく読み込まない一般読者には分らない・・強制連行の印象を埋め込まれたままです。
国際影響を調査した委員会見解は、コオリ砂糖があらかた水に溶けてしまった後で、その砂糖水をのんでいる人は何億人いようとも、のんだ水や残っている資料にコオリ砂糖のかたまりを探しても少ししか見つからないから、砂糖が殆ど入っていなかったと結論付けるような調査報告ですから、これでは納得する人の方が少ないでしょう。

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