第三者委員会とは?2(特別検察官1)

弁護士会に限らず職能団体では、いわゆる第三者委員会委員のように特定事件が起きている最中に事態打開のために渦中の経営陣から声がかかるのと違い、(たとえば加盟企業社長が業界内役職など大して重要視していないのと同様)現執行部に迎合する余地がもともと低いと思われます。
プロゴルファーの事例を昨日紹介しましたが、我々弁護士会の場合も、組織維持が目的の懲戒制度ですから、問題を起こした個々の弁護士・身内に甘い処分では組織・弁護士に対する社会の信用を維持出来ませんので、勢い身内に厳しい処分になりガチです。
権力の介入による懲戒事件の場合には、権力に屈するわけにはいきません(そのための自治制度です)が、権力闘争と関係のない弁護士業務のあり方が顧客〜消費者から訴えられている場合、(正式統計数字を知りませんが、体感的にこれが懲戒事例の99、99%と思われます)身内をかばうための運用では何のための懲戒制度か分かりません。
各種組織内の懲戒委員は、自己組織を愛して自分の組織の信用・・一般構成員の地位を守る職務であって、個々の不祥事をした会員を守るための制度ではないことをしっかりわきまえて判断すべき立場です。
ただ、内部にいると社会が期待する水準変化に疎くなるリスクがあるので、懲戒・懲罰内部に第三者を抱え込むのは良いことです。
平成のはじめ頃に綱紀委員をしていた頃には、どちらかといえば外部委員の方が「このくらい許された行為ではないか」という意見が甘く弁護士委員の意見の方が厳しい意見でした。
・・(外部の人は「弁護士ってそんな程度じゃないの!」と低く見ているのかな?と危惧していましたが・・)
数十年経過して最近社会の弁護士に対する評価期待感が高まっているのか?懲戒委員会では外部委員も遠慮なく厳しい意見を言うようになっているような印象ですが、その方が社会の弁護士に対する見方が参考になってありがたいことです。
弁護士会の懲戒委員には、現職の裁判官検察官各1名のほか、大学教授などの学識経験者が2名入ることになっています。
判事検事の場合には出身官庁の推薦でそのまま選任される仕組みで、弁護士会に都合の良い人ばかり選ぶ仕組みではありません。
この点も企業が問題が起きてから、渦中にある現執行部が「気心の通じた?人」を選任する一般の第三者委員会とは質が違っています。
アメリカの特別検察官制度は、渦中の大統領が特別検察官選任に直接関与しない点では日本の第三者委員会とはまるで違うイメージで紹介されています。
https://kotobank.jp/word/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98-1817357

朝日新聞掲載「キーワード」の解説
米国の特別検察官
ニクソン元大統領が1974年に辞任に追い込まれた「ウォーターゲート事件」をきっかけに、大統領や政府高官を捜査、訴追するために設けられた。78年に施行された「特別検察官法」に基づいて裁判所が任命する制度だったが、「権限が強大だ」とする議会の批判で99年に失効。現行では司法省が任命するが、独立性の高い立場で捜査に当たる。 これまで中央情報局(CIA)工作員の身元情報漏洩(ろうえい)事件や、クリントン元大統領に関わる「ホワイトウォーター疑惑」、同氏の不倫疑惑などが捜査の対象となった。
(2017-05-18 朝日新聞 夕刊 1総合)

ちなみに司法省が一般検察官任命と特別に委嘱出来るというだけでは、何が「特別」か意味不明ですが、http://www.canon-igs.org/column/security/20170531_4352.htmlによれば以下の通りです。

2017.05.31
特別検察官、何が特別なのか
産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年5月25日)に掲載
「特別検察官は…大統領にも解任できない」。19日付某有力紙1面トップ記事の冒頭部分がこれだ。
「何だって?」、読んだ筆者はのけ反った。それだけではない。他紙には「米『政権VS司法』鮮明」「捜査の予算は無制限」なる解説もあった。
字数制限の中、急いで書いた記事なのだろう。武士の情けで実名は控えるが、それにしても、なぜこんな基本的事実誤認が生じるのか。
トランプ氏のロシアゲート報道は今後も続く。今回は「特別検察官」の論点を整理したい。
そもそもこの官職、英語名だけでも3種類ある。
(1)special prosecutor
(2)independent counsel
(3)special counsel
(1)は文字通り「特別検察官」。1875年にグラント大統領が某スキャンダル捜査のため任命したのが最初だ。この官職名は1983年まで使われたが、78年に議会が法制化するまでは司法省内部規則などに基づき任命されていた。
(2)は「検察官」なる用語をあえて避けた「独立顧問」だ。ウォーターゲート事件を踏まえ、78年にそれまでの特別検察官の地位を法律で定める「政府内倫理法」が時限立法で制定され、83~99年にはこう呼ばれていた。
(3)は現行の官職で司法省の「特別顧問」。99年の政府内倫理法失効後、連邦規則28章600条に基づき司法長官が米政府外から弁護士を任命して設置できる常勤職だ。
(4)これとは別に1924年、上下両院特別決議に基づき、クーリッジ大統領が「特別顧問」を任命した例がある。
日本語ではこれらをまとめて「特別検察官」と呼ぶが、いずれも利益相反等機微な事件を政治とは一定程度独立した立場から捜査・訴追する権限が付与される点は共通だ。
現在の「特別顧問」は司法省内の一ポストにすぎず、広義の行政機関の一部だ。他の連邦検事と同様の捜査・検察権限は保障されるが、任命権者はあくまで長官。その独立性に法的保障はないだろう。されば大統領が長官に罷免を命じることも可能。少なくとも現状は「政権VS司法」ではない。
「連邦規則」とは議会が作る法律の枠内で行政機関が定める規則集であり、日本の省令集に相当する。独立性を確保するため「特別顧問」には別途予算が付くが、当然その額は司法省予算の枠内だ。
日本では特別検察官を大統領弾劾と絡めて報じるケースが多い。しかし、米国では特別検察官制度と弾劾手続きは連動しない。「特別顧問」が任命されれば直ちに弾劾に進むというわけではないのだ。

司法副長官がその直接監督者であることから、司法副長官に対するトランプ大統領の(解任)圧力が時どき報道される所以です。

STAP細胞事件3と日大アメフト事件2(第三者委員会とは?1)

小保方事件での早稲田大学の処分は、判断基準がずれています。
日大は内部実力者に対する忖度でにっちもさっちもいかなくなって内部懲戒制度が機能しなくなっていたので、第三者委員会に頼ったのでしょう。
早稲田大学も内部で処理する能力がないならば、第三者委員会でも立ち上げる必要があったように思われます。
うやむやにできてホッとしているでしょうが、その代わり「早稲田大学の学位ってそんなものだったの!」という評価の定着の方が大学にとって長期的に大きなダメージです。
学位授与審査の現実は仕方がないとしても「不正がバレても学位授与を取り消さない」というのって理解不能です。
刑事処罰の場合、検察官や裁判官が被告人を個人的に知っていることは万に1の確率もないでしょうし大手企業の内部懲戒処分もほぼ同様でしょう。
しかし、学会や弁護士会の懲戒処分で言えば直接会ったことがなくとも、直接間接によく知っている仲間内の処罰ですから「泣いて馬謖を斬る」ような辛い面もありますが、個人を守るためではなく、組織を守るためにある制度ですから、ルール違反があれば穏便に済ます訳にはいきません。
この意味では朝日新聞の慰安婦報道事件、あるいは日大アメフット部の騒動では、第三者委員会が設けられていますが、第三者委員会設置発表自体・・自分たち内部自浄機能が作用していない・国民の信用がないことを潔く告白したようなものでしょう。
4〜5日前に日大第三者委員会の調査結果が発表されましたが、一見したところ想定外に?にきっちりした報告のようで、第三者委員会が、本来の面目を施したように見えます。
http://www.sanspo.com/sports/news/20180629/spo18062920470013-n1.html
「中間報告書に記載されているとおり、本学職員による反則行為の指示が存在したことは誠に遺憾であり、被害選手、保護者及び関西学院大学アメリカンフットボール部の関係者の皆様、並びに反則行為の指示を受けた本学の選手及び保護者に対し、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
第三者委員会は中間報告で内田前監督と井上前コーチを「指導者としての資質を著しく欠いている」とした上で、責任転嫁するような姿勢を「極めて悪質」と指摘。問題発生後の対応で、一部の日大関係者により当該選手に責任を押しつけ、監督やコーチの指示はなかったことにしようとする不当介入が行われ「事件のもみ消しを図ろうとした」と断じた。
https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3VH3L6YUTQP01F.html
日大第三者委、内田前監督らの指示認定 悪質タックル
2018年6月29日15時25分

中間発表の骨子の主な内容
・ルールを逸脱した極めて危険なタックルは、(前監督の)内田正人氏と(前コーチの)井上奨氏の指示で行われた
・試合直後のミーティングや記者会見で、内田氏が自らの責任を認めるような発言をする一方、事情聴取では井上氏とともに不自然な弁解を繰り返し、自らの責任を免れ、(当該)選手に責任を押しつけようとしている
・事件発生後、一部の日大関係者より、(タックルをした)当該選手に責任を押しつけ、監督コーチの指示はなかったことにしようとする不当な介入が行われた

これまでの朝日新聞の第三者委員会報告などの例では、依頼者である朝日新聞の意向を忖度しながら、ある程度世論動向に合わせて批判的に書く・「この程度まで批判的に踏み込まないと世論が納得しない」だろうという政治思惑による調査報告・.時間稼ぎの印象が強かったのですが、今回はズバリ日大執行部の悪しき行動まで踏み込む切れ味の鋭い指摘です。
日大側としては、内田常務一人を悪者にして大学全体の生き残りをかける覚悟を決めていたものの、実力者内田氏の首に鈴をつけられないので第三者委員会にそこまで踏み込んでもらって「その認定事実を基礎に内部処分を決める」という図式を描いてこれに合わせて「結果ありき」の調査だったのかもしれませんが・・。
第三者委員会設置時点で内部の権力闘争が決まっていたというおどろおどろしい結果だったのかもしれません。
日本特有かどうか知りませんが、「第三者委員会」という代物ほどおかしな立ち位置はありません。
正式には第三者委員会ではなく、第三者「的」委員会というべきでしょう。
弁護士会の懲戒委員は総会で選任される仕組みですが、事実上執行部の推薦による点は事件後に設置される第三者委員会と外見上似ています。
しかし、単位弁護士会の場合には、執行部任期は1年限りであり懲戒委員の方は任期2年ですが、事実上本人が辞めるまで一定期間続ける慣習ですから、執行部に都合の悪そうな事件が起きた時の委員は9割方5〜6年以上前の執行部推薦委員ばかりで現執行部に何らの義理もない上に、委員は高齢者ばかりでこの先なんらかの役職につきたいような欲のある弁護士はいません。
そもそも弁護士会は職能団体組織であって、構成員の意向をまとめて表明することですから、上命下服的組織が普通の一般企業組織と違い、執行部の姿勢による不祥事・その進退を決めるような不祥事が社会問題になるようなことは想定できません。
この辺は経団連であれその他職能団体の多くは皆同じでしょう。
今朝の日経新聞2pでは、プロゴルフ協会がプロアマ大会で招待客に対してプロが働いた非礼な行為(というのでどんな行為かと思って読んでみると「招待したアマがプレー中にプロがウオーミングアップ用に自己練習をした」という点が失礼だったとされているようです・)「こんなぐらいいいじゃないか!」と言いたい人もいるでしょうが、これについて罰金30万の他に厳重注意処分」というのですが、業界としては身内をかばっているよりは、「スポンサーのご機嫌を損ねたらおしまい」というあたり前の価値基準の行動ですし、内部権力抗争と関係がありません。
慰安婦騒動に関する朝日新聞の場合には、特定人物の暴走ではなく組織挙げての体質のようですから、アサヒ関係者の誰も本気で反省していない・・スケープゴートを作り出すわけにもいかず、第三者員会を設けても時間稼ぎ程度の結論にしかなりようがなかったのでしょう。
国民の怒りが一過性のものならばそれで良い・スポンサー・顧客である国民に対して「襟を正す」必要がないので、成功となります・自社の報道姿勢は正しかったという姿勢堅持ですから、いわばどちらが正しいか?いまだに真っ向勝負勝負を社会に挑んでいるように見えます。
慰安婦騒動では国内的に陳謝していても海外版では一切の訂正がないと言われ(海外版を見る能力がないのでそういう噂があったという記憶だけです)ますし「江戸の仇を長崎で」と言わんばかりに安倍政権打倒に的を絞った「森かけ問題」に執念を燃やし「日本には言論の自由度が低い」と国連活動している(ただし、匿名者が特別調査者に説明しているだけで朝日がやっているとは限りません)のは、その一環で「最後の勝負にでている」ように見えます。
この勝負はどうなるか政治の世界は一寸先は闇ですが・・・開き直りに徹している以上は、朝日新聞の体質改善には結びつかないので、新聞購読数・発行部数のジリ貧傾向が続いているようです。
http://biz-journal.jp/2016/10/post_17001.html
2016.10.26
企業・業界 企業・業界
朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ
内容を見ると残紙率の減少が進んだ結果もあるので、実購読者が減った分の実態はヤブの中です。
http://www.garbagenews.net/archives/2194431.htmlは最新である他にいろんな角度からのグラフがあってわかり良いので一部紹介しておきます。

新聞の販売部数などの推移をグラフ化してみる(2017年後半期まで)(最新)

↑ 主要全国紙の朝刊販売数(万部)

 

本文は16年の記事ですが、グラフの方だけ更新されているらしく18年まで出ています。
グラフでは100万部どころか200万部近く減っている様子で下げ止まっていないようです。

GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会3

マッカーサーが選任された時には、SWNCCの申し子として対日占領政策遂行の現地トップとして信頼されて選任された(彼自身フィリッピン撤退に関して個人的に対日報復意識が強かったことは周知の通りで、その彼を選んだSWNCCの基本姿勢がわかりますし、本来合理的制度としては、マッカーサーが個人的報復をしすぎないための監視役だったはずなのに、)着任後マッカーサーが日本擁護役に回って背後のWNCCと政策対立が始まったとすれば不思議です。
マッカーサーが天皇との会談で感銘を受けたことによると言う意見がありますが、この点はあとで触れるとして対日政策は国際政治の一環ですから背後には複雑な関係があるでしょうから、この面から見ておきます。
GHQ内に国内対立が持ち込まれていて民政局と情報治安局との対立があったことは一般的に知られていますが、一般的には天皇制に関する意見相違というよりは、容共スタンスかどうかの違いをいうものが普通です。
外見上そう見えますが受ける印象は、アメリカ国民は悪くないが民主党政権になると、反日的で日本は民主党政権いなるといつもひどい目にあっているとという論旨展開です。
中国などの常套文句である日本国民は敵ではないが、軍人が悪かったとか、今は自民党支持が揺るがないので自民党を批判しないで、安倍政権だけゆるせないという論法にそっくりです。
メデイアはその通りの受け売りで総選挙前には内閣支持率が低いという宣伝ばかりしていましたし、どこの野党か護憲勢力か忘れましたが、憲法改正について、内容の議論前に「安倍政権での改憲を許さない」という子供じみた主張を臆面もなくしていました。
ここまでくると幼児並み主張です。
憲法や法律は将来を拘束するものであって、数年内に退陣する現政権とほぼ関係がありません・内容の議論こそが必要でしょう。
日本にとって良いことであっても、あの人がいうから反対・テストの結果が良くてもあの子は落第にしろというような感情論を煽っているのです。
内容に入りたくないから、多くの憲法学者が反対しているとか、憲法には憲法改正できない限度があるというような抽象論が幅をきかすのでしょう。
http://www.sankei.com/politics/news/180115/plt1801150005-n1.html

2018.1.15 07:07更新
安倍政権下の改憲反対54% 共同通信世論調査

上記を見るといわゆる安倍叩きが奏功していて不合理な意見が影響力を持っていることが分かります。
右翼系ネットで「アメリカは良いが民主党が悪い」という運動が盛んになったのは、日本左翼の政治運動の真似でしょう。
裁判闘争の真似を始めたのも同根ですが、左翼系の方は「一日の長」どころか何十年もの経験差があって真似では勝てないでしょう。
容共かどうかばかりで天皇制について全く触れないのは「共産主義勢力にとっては君主制そのものが議論以前に容認できない立場であった」・自明だからこの種の論者は天皇制に対するスタンスがどうであったかの紹介をしていないのかも知れません。
以下はhttp://dorian.en-grey.com/徽宗皇帝のブログで引用されている意見を引用したものです。
ここには主張根拠を書いていませんが、検索してすぐ出たことと、一般に知られていることですが、この主張が正しい事実に基づくかどうか不明のままのあんちょこ引用ですが/事実であるか否かは読者の事実調査にお任せします・・これを引用しておきます。

「当時GHQの内部には二つの路線対立があり、国務省系のGS(民政局)は占領内政担当で民主党左派すなわちニューディーラーによって構成されており、国防総省系のGⅡ(情報治安局)は軍務担当で共和党員が中心になっていた。
このGSとGⅡが激しく対立していたのである。民主党の影響下にあるGS(民政局)は日本をマルクス主義化する実験と併行して「ウィークジャパン(弱い日本)をつくる」と主張しており、一方GⅡのウィロビー少将はニューディーラーたちが日本を左翼国家へ改造しようとする「実験」に強く反対し、「不必要なまでの日本の弱体化は国際共産主義を利する」と考えてストロングジャパン政策を主張していた。」

要するに国務省・民政局(民主党系/容共系)対国防省(共和党系・反共)の路線対立があったとの主張です。
これが最近言われているルーズヴェルトの容共政策→日本はその犠牲になったとする一連の議論とも繋がっているのでしょうし、左翼系論者には受け入れらない議論でしょう。
ただ、上記「徽宗皇帝」のブログ執筆者自身が上記引用文を、「GHQ内部の社会主義者グループと反共主義者グループの対立について簡潔にまとめた文章を探して、検索の最初のあたりにあったものを適当に拾ってきた。文章の調子からすると右翼思想家のもののようだが、書かれた「事実」自体は他の人のGHQ関連著作に出てくる内容とほぼ同一だから、書き手の偏見的記述にさえ気をつければ読むのに問題は無いだろう。」自分と立場が違うが、事実として問題がなさそうとして引用しています。
ただしこのブログ自体も執筆者の自己紹介がない・責任を負いたくない意思表示でしょうから、元々無責任意見として読む必要があります。
毎日からの引用です。
https://mainichi.jp/articles/20150504/org/00m/010/997000c

制定過程をたどる 2015年5月4日
2 天皇制守った「象徴」 GHQ、戦争放棄と「セット」
1946年2月13日、東京・麻布の外相公邸。連合国軍総司令部(GHQ)のホイットニー民政局長は「日本案は全然受諾できない」と宣告し、タイプで打った21枚の用紙を差し出した。
・・・ぼうぜんとした表情を浮かべる吉田茂外相と松本に、ホイットニーはくぎを刺した。
「最高司令官は、天皇を戦犯として取り調べるべきだという他国の圧力から天皇を守ろうと決意している。この諸規定が受け入れられるなら、実際問題として、天皇は安泰となる」
このときホイットニーは「天皇のperson(身体)を保障できない」とも述べたという説があるが、吉田は否定している。
象徴天皇制と戦争放棄はGHQ案の核心部分だった。米国は太平洋戦争中の42年から、天皇制を利用して日本を間接統治する道を探っていた。終戦後の45年9月27日、マッカーサーは東京の米大使館で昭和天皇と会談し、天皇の戦争責任を問うべきではないという思いを強くしたとされる。
しかし当時、米ギャラップ社の世論調査では、米国民の約6割が昭和天皇の起訴を支持していた。オーストラリアが天皇を戦犯リストに入れるよう主張するなど、国際情勢がGHQに必ずしも有利でない中、マッカーサーには、ソ連や中国などもメンバーの極東委員会が介入する前に憲法改正を終えたい思惑があった。
・・・マッカーサーは2月21日、幣原喜重郎首相との会談で率直に伝えている。「私は天皇を安泰にしたいが、極東委の議論は不愉快なものだと聞いている」「ソ連とオーストラリアは日本の復讐(ふくしゅう)戦を恐れている」
政府は翌22日の閣議でGHQ案の受け入れ方針を決め、幣原らが昭和天皇に報告した。GHQの記録によると、天皇は「最も徹底的な改革を、たとえ天皇自身から政治的機能のすべてを剥奪するほどのものであっても全面的に支持する」と語ったという。
2月26日、極東委員会の第1回総会がワシントンで始まった。ただ、昭和天皇の訴追論議は盛り上がらず、4月3日、天皇の不起訴方針が事実上決まった。結果として、マッカーサーの描いた戦略は功を奏した。
東京裁判に詳しい日暮吉延帝京大教授(日本政治史)は、強硬姿勢だったオーストラリアが矛を収めた背景を「日本の軍事的脅威がなくなれば、天皇を裁判にかける必要性もなかった」と説明する。
GHQが天皇制の存続と引き換えに改正案の受け入れを迫った一連の経緯は、現在の「押し付け憲法論」の根拠の一つだ。しかし、天皇を守ることは日本政府にとっても最大の課題だった

 

GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会2(SWNCC228)

昨日紹介した国会図書館の概説3−2の引用だけでは、ここで関心のある天皇制に関する米本国の動きが不明なので、日本国憲法の基礎になっているSWNCC228骨子を見ておきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/059/059tx.html#t005によれば以下の通り、ほぼ現憲法の(リフォーム)骨格が示されています。

Reform of the Japanese Governmental System(SWNCC228)
TOP SECRET
COPY NO. 66
7 January 1946
STATE-WAR-NAVY COORDINATING COMMITTEE
DECISION AMENDING SWNCC 228
REFORM OF THE JAPANESE GOVERNMENTAL SYSTEM
Note bytheSecretaries
1〜3省略(稲垣)
CONCLUSIONS
4. It is concluded that:
a. The Supreme Commander should indicate to the Japanese authorities that the Japanese governmental system should be reformed to accomplish the following general objectives:
(1) A government responsible to an electorate based upon wide representative suffrage;
(2) An executive branch of government deriving its authority from and responsible to the electorate or to a fully representative legislative body;
(3) A legislative body, fully representative of the electorate, with full power to reduce, increase or reject any items in the budget or to suggest new items;
(4) No budget shall become effective without the express approval of the legislative body;
(5) Guarantee of fundamental civil rights to Japanese subjects and to all persons within Japanese jurisdiction;
(6) The popular election or local appointment of as many of the prefectural officials as practicable;
(7) The drafting and adoption of constitutional amendments or of a constitution in a manner which will express the free will of the Japanese people.

ここで一応区切りますが、aによって上記7項目の(基本的人権の尊重や自由な選挙による国会の権能と政府・内閣が選挙民に責任を負う等)の基本原則(general objectives)が示されます。
命令/強制ではないというものの以下の一般条項が「should be 」・・されるべきであり、これを司令官は「should indicate」すべきということですから、この原則に反する憲法は認めない・・結局は、強制が目立たないように「巧妙にやれ」ということでしょう。
ですから、トップシーククレット文書でしたが、期間経過で公開されたので今では日本側の手に入っていることになります。
SWNCC228の続きです。

b. Though the ultimate form of government in Japan is to be established by the freely expressed will of the Japanese people, the retention of the Emperor institution in its present form is not considered consistent with the foregoing general objectives.

上記によればthe ultimate form of government(政体)は民意によって establishされるべきであるが、現状の天皇制を(そのまま?)維持するのであれば、上記7項目の基本ルールに適合するとは認められないと判定基準を示しています。

c. If the Japanese people decide that the Emperor Institution is not to be retained, constitutional safeguards against the institution will obviously not be required but the Supreme Commander should indicate to the Japanese that the constitution should be amended to conform to the objectives listed in a above and to include specific provisions:
(1) That any other bodies shall possess only a temporary veto power over legislative measures, including constitutional amendments approved by the representative legislative body, and that such body shall have sole authority over financial measures;
(2) That the Ministers of State or the members of a Cabinet should in all cases be civilians;
(3) That the legislative body may meet at will.

d. The Japanese should be encouraged to abolish the Emperor Institution or to reform it along more democratic lines. If the Japanese decide to retain the Institution of the Emperor, however, the Supreme Commander should also indicate to the Japanese authorities that the following safeguards in addition to those enumerated in a and c above would be necessary:
(1) That the Ministers of State, chosen with the advice and consent of the representative legislative body, shall form a Cabinet collectively responsible to the legislative body;
(2) That when a Cabinet loses the confidence of the representative legislative body, it must either resign or appeal to the electorate;
(3) The Emperor shall act in all important matters only on the advice of the Cabinet;
(4) The Emperor shall be deprived of all military authority such as that provided in Articles XI, XII, XIII, and XIV of Chapter I of the Constitution;
(5) The Cabinet shall advise and assist the Emperor;
(6) The entire income of the Imperial Household shall be tuned into the public treasury and the expenses of the Imperial Household shall be appropriated by the legislature in the annual budget.

以下省略

dでは、「The Japanese should be encouraged to abolish the Emperor Institution or to reform it along more democratic lines. If the Japanese decide to retain the Institution of the Emperor, 」として、日本国民が、天皇制廃止またはより民主的天皇制へのリフォームについてエンカレッジされるべきだが、民主的天皇制維持を決定したときには最高司令官は(これを尊重しながらも)日本当局者にCおよび以下の列挙事項(1)〜(6)を示すべきであるとし、そこには、現行憲法同様の内閣の助言承認や天皇の統帥権の剥奪、皇室年次予算の必要性などを書いています。
上記の通り1月7日には、既存天皇制を否定するだけではなく、むしろ存続させる方向性がありうることを示唆しています。
この時点では、戦犯として被告席に立たせる方向性が100%否定されていたことが明らかです。

GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?

GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?

昨日の資料の続きです。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/026shoshi.htmlからの引用です

3-4 極東委員会の設置とGHQとの会談
終戦後の日本は事実上米国の単独占領のもとに置かれていたが、1945(昭和20)年12月のモスクワ外相会議の結果、日本占領管理機構としてワシントンに極東委員会が、東京には対日理事会が設置されることとなった。
極東委員会は日本占領管理に関する連合国の最高政策決定機関となり、GHQもその決定に従うことになった。
とくに憲法改正問題に関して米国政府は、極東委員会の合意なくしてGHQに対する指令を発することができなくなった。
翌年1月17日、来日中の極東委員会調査団(来日中は、前身である極東諮問委員会として活動した)はGHQ民政局との会談の席で、憲法問題についての質問を行ったが、民政局側は憲法改正についての検討は行っていないと応じた。同月29日、マッカーサーは同調査団に対し、憲法改正については日本側に示唆を与えたものの、モスクワ宣言によりこの問題は自分の手を離れたと述べた。3-7 憲法改正権限に関するホイットニー・メモ 1946年2月1日
極東委員会が憲法改正の政策決定をする前ならば、GHQに憲法改正の権限があると、マッカーサーに進言したホイットニー民政局長のメモ。
1946(昭和21)年に入り、極東委員会の発足(2月26日)が迫っていたとき、ホイットニーらは、その前身である極東諮問委員会との会談のなかで、彼らが憲法改正問題に強い関心を持っていることを知った。この文書が作成された2月1日は、GHQ草案作成の重要なきっかけとなった、毎日新聞のスクープ記事が掲載された日でもあった。GHQは、独自の憲法草案作成を決断するにあたり、その法的根拠について検討していたのである。
3-28 極東委員会の関与
極東委員会は1946(昭和21)年2月26日にワシントンで第1回会議を開き、その活動を開始した。3月6日に日本政府が行った「憲法改正草案要綱」の突然の発表とマッカーサーの支持声明に対し、同委員会では、マッカーサーが権限を逸脱したとの批判が巻き起こった。
そこで同委員会は3月20日付け文書を発し、憲法案が可決される前にこれを審査する機会が同委員会に与えられるべきであると主張した。4月10日には、憲法改正問題に関する協議のためGHQ係官の派遣をマッカーサーに求めると決定したが、マッカーサーはこれを拒否した。
東京では、対日理事会が4月5日に初会議を行ったが、その席上マッカーサーは、憲法草案は日本国民が広範かつ自由に議論しており、連合国の政策に一致するものになるだろうと主張した。
しかし極東委員会では、米国代表であるマッコイ議長も憲法問題に関してマッカーサーを支持していなかった。
このことは、GHQ憲法問題担当政治顧問として来日した政治学者のケネス・コールグローヴからホイットニー民政局長に伝えられた(4月24日付けホイットニー文書)。
マッコイ議長自身もマッカーサーに対する4月25日付け打電で、新憲法成立以前に極東委員会が審査すべきことを訴えている。しかし日本で多くの知識人と接触し、憲法草案が広く支持されていることを知ったコールグローヴは、マッコイに対し、極東委員会での審査は時間の浪費になると伝え、GHQの立場を擁護した(4月26日付け書簡)。
極東委員会は、4月10日に予定された衆議院総選挙に対しても、国民が憲法問題を考える時間がほとんどないとして、その延期を求めていた。しかし総選挙は予定どおり実施され、きたるべき第90回帝国議会において「帝国憲法改正案」が審議されることは既定路線となっていった。極東委員会は、帝国議会の召集が間近に迫る5月13日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であるとする「新憲法採択の諸原則」を決定した。
4-6 極東委員会「日本の新憲法についての基本原則」
1946(昭和21)年7月2日、極東委員会は「日本の新憲法についての基本原則」を決定し、新憲法が盛り込むべき原則を初めて示したが、これは半年前に米国政府がマッカーサーに伝えていた「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)を基本としたものであった。同委員会内ではかねてより天皇制に対する強い反発があったが、結局SWNCC228を踏襲して、「天皇制を廃止するか、またはこれをより民主的な方向で改革する」という選択肢を日本国民に与えることで落ち着いた。
マッカーサーは、この基本原則に異議は唱えなかったが、この「指令」を公表すれば、憲法改正に対する日本国民の自発的努力が連合国による強制という性質を帯びることになるとして、公表を抑えさせた。

上記の通り、マッカーサーは極東委員会をうまく手玉にとっていたことが分かります。
マッカーサーが極東委員会をコケにしたのは(ソ連に口出しさせない)本国の意向であったのか、それともマッカーサー個人の意見だったのか断定できませんが、もともと本国の決定機関・・「米国の対外政策の決定機関である国務・陸・海軍3省調整委員会(SWNCC)」は上記の通り「天皇制廃止」意向が強かったのが、マッカーサーの意向を反映して1月7日公式文書の「天皇制を廃止するか、またはこれをより民主的な方向で改革する」という選択肢を日本国民に与えることで落ち着いた。」という中立的な表現に変わったものの、対日政策方針でマッカーサーとの間でぎくしゃくしていたと言われていたように思います。
この1月7日のSWNCC文書発令前にアイゼンハワー参謀総長からマッカーサーとの書簡応答があった資料を1月10日コラムに引用しましたがもう一度ここで引用しておきます。

3-3 マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡(天皇の戦犯除外に関して) 1946年1月25日
1945(昭和20)年11月29日、米統合参謀本部はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。これを受けマッカーサーは、1946年1月25日付けのこの電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告した。さらに、マッカーサーは、仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。」

「天皇を戦争犯罪者として裁くべきかの調査命令発出・・元々本国では「天皇の戦争責任を問うべき」とする意見が強かったことが推測され、・・マッカーサーの意見は、この方向を変えるエネルギーになった可能性があります。
この報告書を受けて、戦犯追及意見が下火になり、1月7日のSWNCC228の公式(最終)意見となったのでしょう。

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