ダイジェスト報道4と正確(中立)性担保3

保険赤字の原因を正面から具体的に解説しないこと自体が一定の立場に偏っている自覚がないのでしょう・・(もしかして政府と意を通じて?故意に)高齢化と言う決まり文句で誤摩化しているように見えます。
最近政治がマスコミの思うようにならなくなってきたので、高齢者の投票率が高いのが原因と言う大宣伝で選挙権年齢を18歳に引き下げましたが、これなどもその一連の流れのような気がします。
マスコミ各社が、財源はどうでも良いからドンドン高額医療に対する保険適用を認めろと言う特定立場によっているから、コスト面を同時解説する必要性すら気が付かない視野狭窄に陥っているのではないでしょうか?
個別具体的議論・・難病に対する自己負担減や高度医療を保険に含めた場合の国民負担額増加などの議論の公開・・これらの詳細議論を分り易く国民に解説することこそがマスコミや周辺関係者の責務ではないでしょうか?
昨日のコラムで連日のように新規医療技術開発の紹介→新規保険適用が、如何にも良いこと尽くめのような記事が出ていると書きましたが、今日の日経夕刊5pにも、坂道を歩き易くするための義足開発が進んでいて、現在90万円の費用だが、現在保険適用認可申請中で認可されれば、4万円になると書いています。
このようにその気になって読んでいるとほぼ連日のように保険適用が期待される(のは、夢のように良いことのような)の紹介ばかりですが、(弱者救済だけではなく関連産業育成などのメリットがあることは確かですが・堂々と両方を書いた方が良いのです)コスト→保険料アップの方はさっぱり書いていません。
そうした具体的議論の解説があって、最新技術に対する保険適用を認める以上は、(業界育成分と個人の保険料アップ分の比率など・・目に見えるように議論を公開して議論した上で国民が納得したのならば、自己負担額が増えるのはイヤだとは言えない筈ですから、保険料の引き上げが簡単でしょうし、業界育成分の本質は医療関連産業育成の補助金ですから、税負担分があるのは当然であってこれを保険赤字とは言えないでしょう。
具体化すれば、最新機器や高度医療や新薬に保険適用を認めるとしても、自己負担率3割が5割に上がっても良いから使いたい人もいるでしょうから、負担率引き揚げとの抱き合わせ保険適用を認めるのが良いかなどの中間的ないろんな案も出てくるでしょう。
一律何割と言う決め方も無理がありませんか?
マスコミが「高齢化→保険赤字化進行・・」と言うムード宣伝で国民を思考停止させないで、個別具体的問題ごとに問題点を整理公開して国民一人一人が考えられるようなダイジェストデータ解説・・報道すべきです。
国民が判断し易いような資料作成を怠り、国民は愚昧・大衆意見など無視すれば良いと言うのは、(いろんな場面で言えますが、)保険赤字を例にすれば、超高額医療が保険適用になり、負担限度額を認めるのは患者には朗報ですが、その対として一般人のコスト負担があると言う両面理解能力がないことと、自己のダイジェスト能力不足を前提にしていませんか?
保険赤字に限らずいろんな場面で、必ず両面性を気にする姿勢がマスコミには必要です。
最近アメリカの大統領選を機に、トランプ氏に関するオポチュニスト論が盛んですが、具体的データ解説が乏しいと国民は情報不足のために煽動者の煽動に乗るしかありません・・仮に正常な民意と衆愚の区別が可能としても、国民レベルが低いからではなく、報道機関側の問題提起能力の結果、庶民を情報不足のままにしておくから、こう言う事態を引き起こすのです。
いわゆる風評被害など根本は皆同じです。
保険赤字の具体的内容については、審議会等では当然分野別(高度機器増加による分、高齢化による分、難病対策分・・生活保護などによる無償化分等々)資料が提出されて合理的な議論がされているのでしょうが、国民には全くこうした議論経過が見えません。
マスコミがこれを正確に伝えてもどうせ、(国民はバカだから?)国民には分らないだろうと言う前提で、正確に伝える努力・工夫を怠っているように見えます。
高齢化による赤字部分が皆無とは言いませんが、何でも高齢化に押し付けて終わり(思考停止)にしていないかの疑問で書いています。
マスコミ界の理解力不足の結果、(自分が理解していないと、分り易い説明が出来ません)ムード的な高齢化による医療費増加と言うスリかえ短絡的イメージがばかりが伝わって、世論をミスリードしているように見えます。
健康寿命の報道に関して Jan 17, 2016「健康寿命と自立可能年齢2」〜January 20, 2016「健康寿命→寝たきり開始イメージ報道の意図」まで、批判してきましたが,厚労省のホームページに入ると発表自体は正確に書かれていましたので、マスコミがこれを巧みにすり替えて健康寿命の終わり→寝たきりになるイメージ報道しているのではないかと言う関心から、最近何事でもまずいことは全て高齢化に押し付けて終わり・・思考停止する論調に対する疑問で正月以来書いています。
保険赤字の原因も政府自身はきちんと議論して公開しているかも知れませんが、マスコミが政府の意を受けてこれを意図的にすり替えているのか、あるいはよく理解出来ないので高齢化にすり替えて報道しているのかも知れません。
マスコミのミスリードを政府に都合がいいので黙認している二人三脚のような印象がないでもありませんが、(政府の意図的リークがいろんな分野で一杯ありますので・・)仮に黙認していない場合でも、「マスコミが間違って報道している」と政府が批判すると政府のマスコミ介入と言われるので、黙っているしかありませんので、マスコミの間違った・・あるいは一方的理解による情報ばかりが流布されてしまいます。
保険に限らず経済政策・・いろんな分野でマスコミ・・周辺文化人・エコミストその他関係者レベルの低さによる誤解+解説能力不足と積極的偏向のミックスがマスコミの中立性を犯しているように見えます。
マスコミの中立性とは、与野党激突のテーマに限らず、どんな分野でも1つの政治決定には、必ず損をする反対の立場があるのですから、その立場による疑問や主張を(損の補填策を)紹介してこそ中立と言えるのであって,一方当事者が弱過ぎて声をも挙げられないからと言って無視するのは、中立ではありません。

生活保護受給者増と窓口強化(感謝の心4)

生活保護受給者増加論に戻ります。
これまで書いて来たように日本経済が悪化している結果、庶民が困っている→生活保護受給者が増えていると言う主張(があるとすれば)に根拠がないことが明らかです。
戦後の混乱期よりも,生活保護受給者が仮に増えているとした場合、日本の生活水準が当時よりも落ちていると考える人は、一人もいないでしょう。
医療機関受診者が多い・・病院での診察待ちが多いからと言って、戦後直後よりも今の方が、大勢病気に苦しんでいる大変な時代だと言う人もいないでしょう。
若い女性が男性よりも健康不安をアンケーとで答える人が多いとしても男性よりも実際には長生きしているし・・、相対的な意識変化の問題です。
洋服が多く売れるから着るものなくて、衣類不足に困っている人が多いとは言えませんし、人気飲食店で列をなしていると飢えに苦しんでいる人が多いことにはなりません。
クルマが昔、年間10万台しか売れず、今、年間400万台売れている場合、昔の方がクルマが行き渡っていたので10万台しか売れなかった・今はクルマを持っている人が少ないから多く売れると言う人がはいません。
生活保護請求者が増えたのは生活が以前より苦しくなったのではなく、遠慮する人が減って権利意識が高まった結果と言うべきでしょう。
生活保護受給が恥ずかしい意識より、権利意識の方が強くなって来て、生活保護請求する人が増えて来るとこれに便乗申請する人も増えて来ます。
大阪では、入国した直後の中国人が大挙生活保護申請した件では、ネットで大騒ぎになった結果、大方が取り下げたと報道されています。
便乗行為・・これを専門に申請援助する商売が増えて来ると、申請があれば自動的に認めるようなやり方を改めて、働く気があるのか援助者がいないのかなど濫用にわたらないかの状況審査を厳しくする窓口規制強化自体を批判するのはおかしいことです。
いろんな取締法規制定の場合、制定後10年程度社会認知を受け定着するまでは、法執行を緩やかにして処罰規定があっても取締をせず処罰しない運用が普通です。
そう言うことを法に書いていないのですが、殆どの法規制はそう言う暗黙の決まり事として運用しています。
極端なことを言えば、法律施行の翌日に違反があるとイキナリ逮捕するようなことはしません。
せいぜい、基準が変わったので今後気を付けて下さいと言う注意程度で終わりでしょう。
消費税導入時も何年間か柔軟対応すると言う申し合わせか国会の付帯決議ががあったように思いますし、帳簿処理能力の低い年間売上高何千万以下の小規模事業者に対しては、別枠の基準を作っていました。
生活保護基準・運用に関してもトキの政治動向に・・世論の動きに応じて法の基準はリアルタイムに変更出来ませんので・・大災害があると緩めに運用したり法改正までの間、運用基準に差が出るのは当然です。
リアルタイムでの法改正は不可能ですから、日々〜半年単位で世論動向に従って柔軟対応するのは、民意に従う民主主義国家として却って健全な行為です。
窓口対応が国民意思動向に反している場合は民主主義精神違反ですが、国民動向そのままの場合には、国会決議がないと言う形式違反であって真の意味の国民主権・意思に反していることにはなりません。
緊急事態で上司の決裁を得る暇がなくて部下が専決した場合、あとで上司から、「良くやってくれた」とほめられるか、間違っていると叱られるかの違いに似ています。
刑事件の場合、処罰の必要性が分って国会上程中でも、まだ処罰法が出来ないうちに先取りして処罰するのは罪刑法定主義に反して違反ですが、民事ではそうとは限りません。
この窓口運用基準のサジ加減が濫用事例の増加により、従来基準より厳しくなったことが法(または内規)の範囲内の修正変化か、法基準を逸脱しているかどうかは、最終的に裁判で決着することになります。
権利と恩恵のテーマに戻ると、国会通過・法(個人企業であれば経営者が許可した場合)になれば、その受給は権利であることは法形式的にはそのとおりですが、権利の始まりが、みんなの好意・善意で決めた技術的な概念に過ぎないと言うことを無視出来ません。
あまり権利、権利と言い募り、周辺事例の請求が増えると税負担する方がイヤになって、世論動向がもう少し制限すべきと言う方向になります。
保険のばあい、相互扶助の精神で成り立っていますから、怪我や病気で働けずしかも医療費がかかる可哀相な場合、健康な人の持ち寄った保険金で低廉な価格で医療サービスを受けられるに過ぎません。
言わば・・保険や社会保障制度は助け合い精神で維持出来ているのですから、不当に制度利用するようなこと(乱診乱療)が続いた場合、保険制度の信頼が崩れます。
そう言う意味では本来の権利とは違った脆弱なものですから、感謝の気持ちがなく一方的権利主張が増えて来ると、「そうだ!難民しよう」と言うような批判的意見も増えて行きます。
ドイツ等で難民が過大な「権利」主張を始めると、元々の国民の反発が広がり始めたのは当然です。
日本では、自分を弱者と言う範疇に入れると無茶な主張しても良いかのような風潮・・言葉狩りに始まって・最近強まってきました。
行き過ぎた要求に対する批判をすると、人道に反すると言って報道界で袋だたきに遭う・・非人間扱いされて抹殺されてしまう・・言論封殺が続いてきました。
日本だけではないのかな?マスコミ・文化人?の行き過ぎたキャンペイン→言論封殺に対する反動が世界中で始まっています。
在日朝鮮人に対する行き過ぎた優遇批判が活発になったのも、(行き過ぎた優遇かどうかは知りませんが・・聖域にせずに議論の対象にすることは、民主国家においては良いことです)その流れの一環と言えます。
西欧で発達した難民に対する対応も、人道主義かどうかと言う観念よりは現実に即した冷静な議論が出来るようになるでしょう。

高齢化と社会保険の赤字4(感謝する心2)

生活保護制度(養老院→老人ホームなど)が昭和25年に成立していますので、設計時には、有資格者(老後生活に困っている人)がいても、他人の世話になるのは、恥ずかしいから一定数は親類縁者(友人)の受け皿がいて救済される・・縁者がいない人の最後の受け皿として設計されていたと想定されます。
以前コラムに書いたことがありますが、この15〜20年近く前から、大企業の役員をしている息子がいてもお祖母さんを所帯分離して無収入として安い老人ホーム入所資格を得ているのが普通になって来ました。
昨年だったか?有名お笑い芸人の母親が生活保護受給していることを高市早苗さんが指摘してマスコミで問題になりましたが、この傾向は大分前から私のコラムで指摘して来たところです。
生活保護受給する権利があると言う教育?・・他人の世話になるのは恥ずかしいという道徳心を否定して、何も恥ずかしいことではない・・「権利を堂々と主張しましょう」と言うのは、本当に困っている人に対しては必要なことです。
しかし、従来基準で言えば、子供世界が経費を出せるのに、経費出費による生活水準を落としたくないために所帯分離するなど、権利主張するためにどうしたら受給資格を得られるかの工夫が発達して来ると一種の制度濫用です。
子供の年収が何千万あっても親が生活保護受ける権利があると言う考え方が一般的になれ別ですが、今のところそこまで国民意識が変わっているようには見えません。
高市早苗氏が問題提起したお笑い芸人の場合、年収5000万と言うことで社会問題になったものですが、そう言う「狡い」行為を国民は許容していない国民意識を前提にしています。
最低生活水準の人でもやりくりして助け合って生活するのが今までの風潮でしたが、その程度の人は別として、年収1200万の人でも1000万の人でもお金と言うものは、月5〜10万の出費が増えるのは避けたいものです。
そうは言ってもそのお金を関係のない他人が出すべきと言う意識・・極端に言えば、「育ててくれた親に対して舌を出すのもイヤだ」と言うことで、社会保障費が膨らむのっておかしいと思いませんか?
このコラムを書くついでにちょっとネットを見ると、◯◯が生活保護申請すると自分の収入を調べられるかと言うような公務員など一定の年収のある人の質問がいくつも出ています。
元々は、最後の受け皿・・セーフテイネットとして制度設計したものなのに、周りの友人知人どころか、肉親も援助しない・・所帯分離などの工夫が発達すると、統計上貧困所帯が激増して行きます。
この制度が出来た戦後直ぐのころよりも日本が貧しくなって、生活保護請求者が増えた言うのは、無理があります。
本来の権利者が遠慮していた点は改める必要がありますが,勢いが余って?巨万の資産家の母親や身障者などまで所帯分離するように勧誘するようになると本末転倒で助け合いの精神を破壊してしまいます。
在日系に生活保護所帯が多過ぎると言う批判論は、自分の母親が生活保護なんて恥ずかしいと言う・・恥を重視する日本人と違う道徳意識の違いによると思われます。
高市早苗氏の指摘した有名お笑い芸人は・在日だったように記憶しています。
この4〜5年ばかり弁護士による生活保護受給援助活動が急速に盛んになったように見えますが、日弁連が音頭をとっているのかどうか知りませんが、在日だけではなく日本人にも身内に頼らずに権利要求するのを応援するだけではなく,生活保護受給は権利であって、恥ずかしいことではないと言う風潮を広げようとするのかも知れません。
元々家族で助けあう・その外延として親戚→一族→同じ集落で助け合う価値観でしたが、これに頼る意識を前提にし過ぎるのは古過ぎる・・改めて行く必要がある点については、私も同感です。
とは言え、同居していた母の住民票を動かして所帯分離するようになってくると行き過ぎの感じがしますが・・。
この運動の行き着くところ、日本人の「同胞に出来るだけ迷惑かけたくない・・恥ずかしいことだ」と言う道徳意識が変っていくのでしょうか?
東北大震災被害で特性が明らかになった日本人の世界に誇る同胞意識「絆」の解体が目的でないとしても結果的にそうなって行くでしょう。
生活保護を受ける権利と言えば、昨日書いたように法で基準を決めた以上は基準に合致する限り(本質は社会の善意によるとは言え、形式的には)権利ですから、その運動自体弱者救済となります。
本来の有資格者が遠慮して苦しんでいるのを放置せずに権利意識を覚醒させて受給するようにするのは人権擁護上必要ですが、(子供の年収数千万の人が境界かどうか分りませんが)境界付近の人まで所帯分離して押し掛けるようになって来ると(お金のある人までホンを買わないで図書館に行く時代にするようなものです)国家予算に限界があるので窓口作戦を発動し、保護基準を引き下げるしかありません。
制度設計当初の社会意識では、老後困った人の大方を子供らが、面倒を見る前提で設計されていたし、権利があっても遠慮する人しか想定出来なかった・・不正・不当受給など考えられなかったので、子供や兄妹の経済力証明など要求していなかったに過ぎないと想定されます。
今になって、子供らの収入証明が必要と言う規則がないことを理由に「聞かれても拒否しましょう」と言う宣伝が行き渡って来ると、ルール改正すべきだと言う意見が増えて来るでしょう。
年収千万以上の子供らがいても面倒見なくなる時代を比喩的に言えば、100の受給者を想定して予算額が100のときに受給者が急激に3倍になれば、一人当たり支給額を3分の1にしないと計算が合いません。
そうは行かないとなれば、予算を倍増するか、イキナリ倍増出来ないとすれば、2〜3割増して支給基準を6割減にするなどの外、運用基準を厳しくする・・親兄弟などの年収要件を作るなど調整が必要です。

健康寿命と自立可能年齢4

17日以降書いて来たように健康寿命とか自立期間の定義自体ハバが広いのですが,この調査自体、いろんな角度から研究には汎用性があって意味があるでしょうから、厚労省が健康寿命の統計をとること自体無駄でありません。
例えば幼児期から難病の子供が20歳前後で死亡するまで100%非自立期間であった場合や、40台に交通事故で入院期間中も非自立期間に相違ありません。
ある人の寿命中どのくらい医療費・介護費がかかるかの概数計算するには、生涯期間をとおした介護や入院期間を計算する健康寿命の調査は合理的です。
しかしこれはいろんな特定目的の研究者に使えるようにするためにハバ広く調査したに基礎資料に過ぎないのですから・・特定目的に使うにはこの調査結果・・基礎資料から関連項目別に抽出して検討する必要があります。
マスコミが「長寿も良いが健康でいる期間を長くしたい」とと言う方向へ一般大衆に向かって報道する場合の健康・・自立期間は、上記書きぶりからして、「人生最後の高齢化してからの非自立期間を短くしましょう」を暗黙のターゲットにしていることは18日にネット報道の一部を紹介したように明白です。
この議論方向の場合、健康寿命から結論を導き出すのでは、マスコミ発表資料がかみ合っていないことを問題にしています。
上記のようなマスコミ報道ブリを見る一般人は、老後どのくらいの期間介護の世話になるのかな?に関心が誘導されるのが普通で、国家財政上どうなるかの関心で見たリ読んだりしていません。
マスコミが保険財政問題を論じたいならば、そのテーマで健康寿命中の生涯医療費等の細かいデータを紹介してこれに即した意見を書くべきです。
今はコンピューターが発達しているので、大雑把な生涯医療費ではなく、例えば難病奇病等で5〜10歳で亡くなった人や原因は別として各年齢別死亡者の生涯平均医療費を年齢別の数字で表せる筈です。
そうすればどの年齢で死亡している人が生涯にどのくらい医療費を使っているか、その間どのくらい保険料を払っているか・・死亡年齢別収支が明らかになります。
この後で保険財政赤字と高齢化の関連を書いて行きたいと思っていますが、このような統計を駆使した議論こそが必要であって「高齢化で赤字になっている」と言うムード報道ばかりしているのは一定の意図を感じざるを得ません。
健康寿命→寝た切りの短絡報道に戻しますと、意見テーマに即さない如何にも関係のありそうな別の統計を持って来るのは、無意識のうちに虚偽報道しているのと結果が同じです。
言わば、事故報道に関係ない場所や関係ない人の顔写真を持って来るようなもので・・こう言うのは虚偽報道にあたりませんか?
私を含めた国民大衆・・素人は、1昨日から紹介して来た健康寿命と高齢化社会を結びつけるマスコミやネット報道を見ると、生まれつきの難病者が一生涯非自立期間だった場合や人生途中でちょっと入院した期間を含めた非健康期間などが、まさか計算に入っていると気が付かないのが普通でしょう。
高齢化→寝たきりその他、「下の世話」になる期間が長くなるのをみんなが怯えていて「ピンピンコロリ信仰」さえ言われている時代です。
この不安に答えるつもりならば、端的に介護度2〜3〜4の人を年齢別にはじき出して年齢別母数に対して(詳しくは地域別に)何%になっているかを報道した方が分りよい筈です。
(70歳では、介護度2が何%、介護度3が何%、4、5が何%等々と年齢別の介護率表を出して行けばい良いことです。)
このデータ処理を怠って、健康寿命と言う幅広い概念を持って来て寝たきり開始期間に結びつけるようなムード報道に徹しているのは、不正報道に近いでしょう。
見出しを見るだけで流して行く多くの人にとっては、(18日に紹介したネット記事で言えば、私の場合、従来見出ししか見ておらず、18日にこのコラムを書くために始めてネット内容をクリックしたに過ぎません)人生最後の介護期間がこんなに長いのか?と(私のようなそそっかしい人に対しては)誤ったイメージ植え付け効果が生じます。
報道各社は、「可能性」を書いたに過ぎない・・「寝た切り開始と誤解するのは読解力がないだけだ」と慎重に「逃げ」の単語を書いていることから見ると本当は寝たきり開始時期とは違うことを知った上で書いている・・ミスではないことが明らか・→意図的?です。
そこで、こうした関係ないデータ報道がマスコミ全般に行なわれていて健康寿命の年齢と「寝たきり」とは関係ないと言う報道が全く見当たらない・・マスコミ各社の暗黙の意思統一が行なわれている・・一種のカルテル結成の原因・不思議な構造原因・意図を勘ぐってみたい誘惑に駆られます。

貧困連鎖論批判4(天皇の無答責)

貧困連鎖論で危機を煽る論調は、ここ数年はやりの格差拡大論の亜流と思われますが、貧困層の素質の連鎖を問題にしない立場で・・解決のために高校授業料無償化、課外補習授業費の補助金制度創設などの経済支援中心論です。
能力差→経済格差修正には補助金補填で辻褄が合いますが、貧困連鎖論→貧困層の・・東大合格者・司法試験合格者比率の低さを問題にし始めても、補助金ではどうにもならないのは目に見えているので結果的に、・・資格試験の結果・・不足点数の補填を始めるとどうなるかと言うことです。
貧困層からの東大等1流大学合格者が少ないと言う結果論から始める議論によれば、その解決のために一定割合だけ貧困層から=バカでも東大に入れろ・医師・弁護士・・社長にしろ、1級建築士・税理士や執行役員にしろと言うことになり兼ねません。
そんなバカなことまでは言わないでしょうが・・身障者一定比率雇用強制など末端労働から始まっています・・結果平等論は突き詰めればそうなります。
クオーター制の結果は、彼ら能力不足による間違いがあっても、責任のないシステムにしないと一貫しませんので、各種制度の信用性が崩壊します。
東芝の社外役員制度は日本で最先端システムだったらしいですが、全く機能していなかったことで,笑い物になりました。
一般的な君主の無答責制度は、(歴史上のことではなく、今でも例えば、天皇・皇族は無答責です)地位の取得が能力によらず世襲による以上は、正当な世襲権利者か否かが要点であって、能力を基礎にしていないのですから・能力担保がないことを前提にしています。
王位継承戦争や跡目争いは全て正当な継承者か否かが争点であって、統治能力があるかどうかが争点になりません。
ただし、現在の選挙で前知事から支持を受けているかどうかが問題になるのは前知事の政策継承・前知事の支持母体の支持を受けていることを主張していることになります。
天皇・皇族の無答責については、実定法的根拠をどう見るかの説が分かれるようですが、兎も角結論として、天皇は無答責である点については、争いがないと思われます。
学説は制定憲法を基準にして議論しているようですが、私は法学者ではないので、直感で言えば、処罰は古来から、(イギリスでは裁判所をKingsベンチ、クインズベンチと言うように)君主の行なうものですから、臣下の国民が君主を処罰するのは観念的に成立し得ない・・処罰するのは天皇制廃止・・革命しかないと思います。
グールグルで調べるとhttp://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu99.html
に、この辺の解説を書いてありますので、関心のある方は上記をお読み下さい。
各種選別が合理的基準によるか貧困層に不利に働いていないかについて、なおきめ細かく見て行く必要・・議論の余地あるとしても、その点を論じないで・・制度に合理性がある限り採用得点が低いならば、細かくスライスされている資格社会に合格しないのは仕方のないことです。
私の感じでは、家庭教育の必要性・・胎教に類する幼児期の家庭教育環境の整備が重要な感じがします。
この考えは、公費補助の拡充など保育所に追いやる政策とは逆の政策の重要性です。
むしろ3〜4歳児までは外で働かなくても良いように補助金を出す政策が求められます。
キャリアー断絶のマイナスに対する政策については、別に考えて行く必要がありますが・・。
貧困連鎖を断つための公教育費の無償化推進論は、お金がないから塾に行けないことが原因で東大に行けないのかどうかの実証的研究をしてから議論すべきであって、塾にさえ行ければ東大に行けたと言う人は滅多にいないと思われます。
もしもお金があって、塾に行きさえすれば合格するならば、塾の定員=東大の合格枠・・東大の定員を何十万人に増やさないと物理的に無理があります。
私のころ(昭和30年台半ば)と違って、大学・高校の進学率が飛躍的に上がっていることからも分るように、貧富差による進学率差はもっと意味が少なくなっている筈です。
社会の補充制度が整っていて、現在では(偏差値基準による)能力主義社会化がもっと進んでいますから、収入の高い人=現在価値社会の成功者ですから、一定の高学歴や優秀な才能を持っている場合が殆どです・・(能力がないのに高収入を得ているとしたらその方がおかしい・・糾弾すべき対象でしょう・・)その子世代が原則として(現在の貨幣価値基準で言えば)優秀な比率が高くなるのは当然です。
親が貧乏なら勉強する機会が少ないかと言えば、ある程度関係があることもあるでしょうが、私のころと違って、貧しいために新聞配達したり、どこかで働いていて勉強する暇がないと言う子供は滅多に見かけません。
今では、東大等一流大学に行く能力があるのに高校へも行けないほど貧しい子供と言うのは直感で言えば1万人に一人もいないのではないでしょうか。

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