高齢者は85歳から1

後期高齢者の対象年齢を75歳とするのは今では早すぎないか?という方向の意見を昨年大晦日に述べましたが、そうはいうもののトシは争えないもので、いつの間にか?健康第一の心境になってきているのが現実です。
70歳になった頃から、いつまでも元気だと内心自慢しながらも「老い先短いのだから良いものを食べたい」など高齢化を理由にいろんな面で身勝手な要求が強くなっています。
折良く農家の人が量が少なくとも美味しいものを作ろうと努力してくれるようになっているのは私の心境変化にうまくあっていてあり難いことです。
いつもこんな風におめでたく満足して生きてきたし、1月2日の箱根駅伝でも書きましたが、どういう結果が出ようと「ありがたいことだ!」と感謝したくなる、おめでたい気性です。
昨年12月初旬に司法修習終了(判事検事弁護士になってから)45年の同窓会が開催されましたが、未だに社会でこういうことをしていると活躍ぶりを披露する人もいれば、事務所時間の大半を碁敵との対戦に費やしている(夜中まで終わらないことが多く碁敵・・相手は横浜の弁護士らしく遠いので事務所に泊まっていくこともあるとのことで恐れ入ります)と現状紹介する人もいるなど、高齢者の同窓会になると何を大事に生きてきたかも分かり、味のある会合でした。
ただし、ほぼ全員が45年前卒業時の特徴そのままで今も生きていることが分かり、生きていくスタイルというものは変わらないものだなあと感心しました。
最近メデイア界では格差社会の弊害や不満論・煽っているのかな?が喧しいですが、日々の生き方の積み重ねが将来に大きな影響(格差が生じる)があるからこそ、若い頃から研鑚に励み(受験勉強やスポーツ各種芸事・・音楽やバレーなど訓練し)周囲から尊敬されるような人物にとか、ほどほど楽しく生きられる程度のゆとりを確保しようと皆励むのではないでしょうか。
蓄積資産・各分野での地位・健康管理による体力を含めて高齢者の能力は、長年の自己管理・研鑽の総決算・・結果ですから、歩んできた期間の長さに比例して結果に大きな差が出るのは当然です。
無茶な生活をしていた人の多くが40台なると大きな病気をして社会から消えていった時代には、(私が弁護士になった頃には、目の前でそういう人がゴロゴロいました・こういう人が多くいてこそ平均年齢73歳くらいであったと記憶しています)健康管理を含めた成功者しか高齢で残らない社会でした。
格差社会と批判しますが、無茶な生活をしていた人の多くが40台なると大きな病気をして社会から消えていった時代には、健康管理を含めた成功者しか高齢で残らない社会でした。
15年ほど前にこのコラムで書いたことがありますが、古代から名を残すような人は皆長寿でした。
古代から西洋ではアリストテレス、わが国では秀吉あるいは、家康、もっと前の藤原彰子(ウイキペデイアによると・・永延2年(988年) – 承保元年10月3日(1074年10月25日)北条政子(保元2年(1157年) – 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))など皆長寿でした。
当時から江戸時代までは、食うや食わずのその日暮らしのものは2〜30歳前後で淘汰されていましたし、一定の地位があってあるいは戦後高度成長の結果生活環境の底上げが進んでも、無茶をしている人に限ると咎めが出るのがいわゆる厄年ですが、当時は一旦大病にかかると直す方法がないので40台で多くが淘汰されますので、働けなくなって生き残っている高齢者の多くはなお人生の成功者中心であって、(たまに貧者が生き残ってもそれは特殊要保護者であって、社会問題になりません。
こういう社会では高齢者の多くは成功者(村社会では地主階層などそれぞれの地位相応の)ですから、高齢者間の格差(食うや食わずのものは40歳前後まで淘汰されています)は問題になりません。
生活水準アップし始めた明治以降では、社会的地位構築(子供に恵まれない場合もあるでしょう)に成功しなかったにも関わらず生き残った例外的場合だけ「養老院」という施設が必要になった・もっとその前には山間僻地の地域限定ですが姥捨山の時代でしょうか?
健康管理だけ成功したが、本人の能力アップによるのではなく医療や保健衛生の発達によって他力本願的に救急医療等で偶然助かる人が増えると、働かなくても食えるだけの人間関係や資産を残していない人が増えるので社会問題になって来ます。
医療発達の結果、障害児の寿命が延びて親が先に死亡するなど面倒見切れない親が増えるので障害者年金が必要になって来たのは障害児の能力が上がって長寿になったのではない・外力に頼る点では同じです。
高齢化と格差に戻りますと、5〜10分間だけスポーツ練習や勉強した人としない人との差はほとんどないとしても、10〜20時間練習では少し差が開き、数百〜千時間の練習をしたり算数を習った子供と全く練習せず勉強しなかった子ではその分野での能力に差が開くし、この蓄積が万単位時間の差になると大きな差になります。
この差に気づいたのが、専門分化(世襲の優位性・今でも歌舞伎役者等に残る・・幼児期から親の仕事・・見よう見まねで幼児期から訓練していく優位性)の始まりでもあったでしょう。
人生50年時代から、超高齢社会(無茶な生活をしていて4〜50歳で大病を患ってそのままこの世から消えていたグループが、救急治療受けて社会復帰しないまでも入退院繰り返しで高齢化することが増えると蓄積時間軸が伸びた分、その間の生き方次第で、格差がより開いていく一方になるのは論理必然です。
こうなると「各人の生き方の責任だ」と放置しておけないので、(救急医療で延命させる以上は退院後の受け皿・・生活保障が必要になります)結果平等をどの程度保障するかのテーマが大きくなってきます。
独身高齢者の病気が治って退院する時になっても家で面倒を見てくれる家族がいない人が増えると(これが一人二人の例外現象の時にはボランテア任せで済んだでしょうが、大量に出てくると)受け皿整備・完全に良くなるまでの生活の面倒を誰が見るか(デイサービス等)の整備が必須になります。
刑務所の刑期を終えても受け入れる家族のない人が普通になると、(この種の問題・出所後の福祉との連携は早くから始まっています)刑終了で路頭に放り出して後はどうなろうと知りませんでは済まなくなります。
一方で犯罪を犯しても善行を積んでも老後の結果に差が開かないのでは、道徳を守り日夜精進努力する人が激減するでしょう。
長年の努力の結果、幸福な家庭を築いている人と、そういう努力をしなかった人との間でどの程度まで格差縮小すべきかは難しい問題です。
身体能力低下にも個人のばらつきが大きいだけではなく、職業によって例えば特定分野の能力が落ちても発揮するべき能力に関係ない分野もあります.
知的職業者では走る速さや、歩行耐久時間低下はあまり職業能力低下に関係ない・・機材の進歩による補充性・・眼鏡の発達が老眼や視力低下による能力低下を防義、車のハンドルさばきに力がいらなくなると女性のトラック運転が可能になった・フォークリフトの発達で荷物の積み下ろしも機械化され女性が担当できるなどのほか、手先機能の一部が麻痺してもキーボードさえ打てれば文書表現に問題がないなど多様な補助手段が発達してきました。
パソコンの発達は・うろ覚え程度の知識さえあれば必要な時にググればいいのですから正確な知識の必要性をなくし記憶の代替・知識力の活用能力を代替しています。
このコラムを書くにあたって朧げな記憶程度で論を進めて、念のためにググれば有名人の正確な年齢や時期が出るなど・・。
有名な詩歌でも片言隻句を記憶していれば正確な詩文が検索できます。

健康寿命と自立可能年齢4

17日以降書いて来たように健康寿命とか自立期間の定義自体ハバが広いのですが,この調査自体、いろんな角度から研究には汎用性があって意味があるでしょうから、厚労省が健康寿命の統計をとること自体無駄でありません。
例えば幼児期から難病の子供が20歳前後で死亡するまで100%非自立期間であった場合や、40台に交通事故で入院期間中も非自立期間に相違ありません。
ある人の寿命中どのくらい医療費・介護費がかかるかの概数計算するには、生涯期間をとおした介護や入院期間を計算する健康寿命の調査は合理的です。
しかしこれはいろんな特定目的の研究者に使えるようにするためにハバ広く調査したに基礎資料に過ぎないのですから・・特定目的に使うにはこの調査結果・・基礎資料から関連項目別に抽出して検討する必要があります。
マスコミが「長寿も良いが健康でいる期間を長くしたい」とと言う方向へ一般大衆に向かって報道する場合の健康・・自立期間は、上記書きぶりからして、「人生最後の高齢化してからの非自立期間を短くしましょう」を暗黙のターゲットにしていることは18日にネット報道の一部を紹介したように明白です。
この議論方向の場合、健康寿命から結論を導き出すのでは、マスコミ発表資料がかみ合っていないことを問題にしています。
上記のようなマスコミ報道ブリを見る一般人は、老後どのくらいの期間介護の世話になるのかな?に関心が誘導されるのが普通で、国家財政上どうなるかの関心で見たリ読んだりしていません。
マスコミが保険財政問題を論じたいならば、そのテーマで健康寿命中の生涯医療費等の細かいデータを紹介してこれに即した意見を書くべきです。
今はコンピューターが発達しているので、大雑把な生涯医療費ではなく、例えば難病奇病等で5〜10歳で亡くなった人や原因は別として各年齢別死亡者の生涯平均医療費を年齢別の数字で表せる筈です。
そうすればどの年齢で死亡している人が生涯にどのくらい医療費を使っているか、その間どのくらい保険料を払っているか・・死亡年齢別収支が明らかになります。
この後で保険財政赤字と高齢化の関連を書いて行きたいと思っていますが、このような統計を駆使した議論こそが必要であって「高齢化で赤字になっている」と言うムード報道ばかりしているのは一定の意図を感じざるを得ません。
健康寿命→寝た切りの短絡報道に戻しますと、意見テーマに即さない如何にも関係のありそうな別の統計を持って来るのは、無意識のうちに虚偽報道しているのと結果が同じです。
言わば、事故報道に関係ない場所や関係ない人の顔写真を持って来るようなもので・・こう言うのは虚偽報道にあたりませんか?
私を含めた国民大衆・・素人は、1昨日から紹介して来た健康寿命と高齢化社会を結びつけるマスコミやネット報道を見ると、生まれつきの難病者が一生涯非自立期間だった場合や人生途中でちょっと入院した期間を含めた非健康期間などが、まさか計算に入っていると気が付かないのが普通でしょう。
高齢化→寝たきりその他、「下の世話」になる期間が長くなるのをみんなが怯えていて「ピンピンコロリ信仰」さえ言われている時代です。
この不安に答えるつもりならば、端的に介護度2〜3〜4の人を年齢別にはじき出して年齢別母数に対して(詳しくは地域別に)何%になっているかを報道した方が分りよい筈です。
(70歳では、介護度2が何%、介護度3が何%、4、5が何%等々と年齢別の介護率表を出して行けばい良いことです。)
このデータ処理を怠って、健康寿命と言う幅広い概念を持って来て寝たきり開始期間に結びつけるようなムード報道に徹しているのは、不正報道に近いでしょう。
見出しを見るだけで流して行く多くの人にとっては、(18日に紹介したネット記事で言えば、私の場合、従来見出ししか見ておらず、18日にこのコラムを書くために始めてネット内容をクリックしたに過ぎません)人生最後の介護期間がこんなに長いのか?と(私のようなそそっかしい人に対しては)誤ったイメージ植え付け効果が生じます。
報道各社は、「可能性」を書いたに過ぎない・・「寝た切り開始と誤解するのは読解力がないだけだ」と慎重に「逃げ」の単語を書いていることから見ると本当は寝たきり開始時期とは違うことを知った上で書いている・・ミスではないことが明らか・→意図的?です。
そこで、こうした関係ないデータ報道がマスコミ全般に行なわれていて健康寿命の年齢と「寝たきり」とは関係ないと言う報道が全く見当たらない・・マスコミ各社の暗黙の意思統一が行なわれている・・一種のカルテル結成の原因・不思議な構造原因・意図を勘ぐってみたい誘惑に駆られます。

健康寿命と自立可能年齢3

マスコミが健康寿命の紹介だけではなく非自立期間の計算期間だけ紹介すれば良いかと言うと、そうでもありません。
非自立期間の算定は、生まれつきの難病等で医療や介護の必要な障害者(10〜20台で亡くなるまでの全期間)等もカウントし、4〜50台の数週間単位の入院期間などをカウントしているので、高齢化してからの・・一般に関心のある人生最後の要介護期間とは大きくズレてしまいます。
国民が素朴に本当に知りたい人生最後の要介護期間の統計ならば簡単に出ます。
全国自治体ごとに毎月のように新規介護認定していますので、仮に60歳以上の人だけ集計(調査する気になれば)をすれば、ほぼリアルタイムに60歳以降の介護開始平均年齢・・母数の人口比何%かが分ります。
しかも交通事故による臨時入院と違い、高齢化によって要介護2以上になっていた人が介護1に逆戻りすることは滅多にないでしょうから精度が高いでしょう。
介護2では、ある程度自分で出来るのであまり気になりませんが、(ある程度手伝いしてもらうのではなく)70歳代の人は自分でトイレに行けなくなる平均値はいつころかを知りたい人が多いので、介護3〜4段階ごとで何歳で何%と言うように統計化して,これをマスコミが発表してくれれば分るようになります。
敢えて?これをやらずに生まれつきの身障者まで含めて自立期間を算定していると自立期間のトータル期間が、大幅に低年齢化してしまうので、高齢者の知りたいニーズにあっていません。
次に健康概念で集計すると、女性のように健康に関心が高くなればなるほど不健康と答える人が増える結果(厚労省のPDFの解説にも女性は20台で不健康と回答する率が男性よりが高いと書いています),健康寿命経過後の期間と高齢化による自立不可能期間の差が大幅に長くなります・・。
以上複合の結果、健康寿命が男71、19歳と言う結果になっているらしいのですが,これは高齢化による要介護開始年齢との関連がかなり遠くなっていることが分ります。
要介護になる開始時期とは全く関係がないと言うのではなく、高齢化した後の要介護に関する正確な統計データがあるのですから,下の世話までなるのがいつかを知りたい・・これをイメージして議論したいならば、政府発表の中から、要介護情報だけをマスコミが取り出して報道すべきです。
マスコミがこれを怠り、大幅にファジーな概念である健康寿命をあたかも寝たきり開始と直結しているかのように政府発表に合わせて大宣伝するのは、単なる不正確・怠慢報道を通り越した非中立報道の意図が感じられます。
マスコミが健康寿命の定義が自立期間とは違うことを親切に紹介しないで、「寿命が伸びるのは目出たいが健康で長生きしたいもの」と言う意見を付して、「健康寿命と平均寿命の差がこんなにある」とキャンペインを張るのは国民を特定方向へ誘導しようとする意図(報道の中立性違反)の疑いがあります。
昨日紹介した各社の見出しを見れば、マスコミが一般国民の注意を引きたい方向性は老後の自立可能期間にあるのが明白です。
定義の方は厚労省の書くとおり「 健康寿命とは、健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指す。」と噓を書いていませんが、国民に関心のある「高齢化後の自立期間とは違う」・・ズレている点を紹介していません。
この違いを紹介しないまま、昨日紹介したネット記事の一部を再引用しますと、「そのゴールは、人間が自立して人間らしい生活を送れるという意味で、平均寿命ではなく健康寿命の …」と言う人生最後の自立期間のテーマに誘導しています。
これを平成28年1月17日にクリックしてみると以下のとおりです。

http://diamond.jp/articles/-/60223
「男性71.19歳、女性74.21歳。
「健康寿命」を伸ばすにはどうすればいいか」
厚生労働省の発表(10月1日)によると、2013年のわが国の健康寿命は、男性が71.19歳(対2010年比+0.78歳)、女性が74.21歳(同+0.59歳)に伸びたそうだ。
健康寿命とは、健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指す。健康寿命と平均寿命の差は、男性で9.02年、女性で12.40年あるが、この期間は介護など人の手助けが必要となる可能性が高いということだ。わが国は高齢化については世界の先頭を走る課題先進国だが、そのゴールは、人間が自立して人間らしい生活を送れるという意味で、平均寿命ではなく健康寿命の延伸にあると考える。いくら平均寿命が伸びても、晩年は寝たきりという社会を、私たちは望んでいるのだろうか。」

上記引用のとおり、「人の手助けがいる可能性が高いと言うことだ」と可能性でしかない逃げ道を書いていますが、(20台でお化粧のノリが悪くなって不健康と自覚している女性と寝たきりになるまでの期間にはもの凄い期間・・ハバがあるのに、この点に触れないで一足飛びに)「いくら平均寿命が伸びても、晩年は寝たきりという社会を、私たちは望んでいるのだろうか。」と繋いでいて、全体の論調は如何にも「健康寿命終了後→寝たきり直結」・・高齢者の最も知りたい方向へイメージ操作しています。
寝たきり期間を如何に減らすかのテーマで意見を書く以上は、健康期間の紹介ではなく、厚労省PDF中にある筈の年令別要介護度2〜3〜4開始時期がいつかを紹介してこのデータに基づいて論じるべきしょう。
介護認定の年齢別データが仮にないならば、「ムード的発表では、国民が不安を持つだけだ」と厚労省調査を批判するのがマスコミの役割ではないでしょうか?
マスコミの多くが故意に?引用を間違えていた結果、健康寿命終了=寝たきりのことかと私が誤解していた・・私自身の言い訳・マスコミへの責任転嫁です。

健康寿命と自立可能年齢2

世に言う健康寿命を見ると私の年では、平均的健康寿命を越えた年齢にカウントされています。
周りに元気な人が多いので本当かな?と疑問が起きますが、統計があると言うのだからそうかな?と思うしかありませんが、体感的にはあまり信用していません。
ただし、健康寿命の定義次第ですから、この機会に厚労省のPDFtoukei.umin.jp/kenkoujyumyou/syuyou/kenkoujyumyou_shishin.pdfに入ってみましたが、要約し切れませんので、関心のある方はご自分で上記pdfに入って頂くしかありませんが、グラフを見ると70代前半では、自立生活に問題のある人(要介護度2以上)の割合が2割前後しかありません。
私の直感と大方あっています。
その気で読み直してみると、私は健康寿命=「自立生活可能年齢」と勝手に誤解していましたが「健康寿命」であって、自立生活可能年齢でないことが分りました。

① 先ず健康期間カウントの仕方を見ると、例えば40台に健康不調期間があったが5年間で治って元気になっていた人が70歳で健康を損なって75歳でなくなると、75−5ー5で65年間を健康寿命と数えるようです。
② 自立可能年齢は、介護等級2未満の人が自立可能と判定出来るので客観性が高いし全国集計も簡単(上記のように40台で介護3になって5年で回復する人は滅多にいないでしょうから期間も短縮されます)ですが、「健康」などと言い出したら、人によって意味・回答基準が違ってきます。
参考までに質問事項を引用しておきます。
「表2-2. 「自分が健康であると自覚している期間の平均」の質問
問 あなたの現在の健康状態はいかがですか。
あてはまる番号1つに○をつけてください。
(1) よい
(2) まあよい
(3) ふつう
(4) あまりよくない
(5) よくない」
上記質問回答項目を見ると、その人の受け取り方・・女性の場合20台の不健康回答率が高いと上記PDFに紹介されているように、(女性はお化粧のノリが悪い程度で健康が気なるでしょうが、男の20台は健康など気にしていませんし・・)回答基準にばらつきがあるなど、・・この数日風邪気味の人やちょっと歯医者に行っている人や50肩になったばかりの人がちょうど質問を受けると、不健康と回答することがあり得る仕組みですから、客観性が低くなります。
いろんな角度から研究するのには健康寿命を基礎にするのは意味があるかも知れませんが、素人向けにマスコミ発表で広範に流布するには、健康寿命判定基準中の自立可能年齢こそ関心があるので、健康寿命と自立期間は違う意味を明らかにするために、自立期間を同時に並行的に発表すべきではないでしょうか?
「寿命が伸びるのは目出たいが健康寿命が延びないと困る」・・マスコミは平均寿命と健康寿命の差の期間を目立つように書き出して(健康寿命以降の期間を世話になる期間・・自立不可能期間とは書いていませんので誤報道ではありません)健康寿命期間を延ばす必要があるとしょっ中煽っていますが・・。
ちょっとグーグルで検索しただけでも以下のような見出しが踊っています。

健康寿命とはどのようなもの? – 生命保険文化センター
www.jili.or.jp › … › リスクに備えるための生活設計 › 老後
健康寿命が「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されているため、平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味します。2013年において、この差は男性9.02年、女性12.40年でした。
‟平均寿命”が80歳越えで‟健康寿命” – Naverまとめ

matome.naver.jp/odai/2140679600018297501
平均寿命と健康寿命の意味や数値をまとめました …. 平成22年度の「健康日本21」の資料によると、男性は平均寿命79.55歳に対して健康寿命が70.42歳、女性平均寿命は86.30歳に対して健康寿命が73.62歳と、男性9.13年、女性12.68歳もの差があります。
男性71.19歳、女性74.21歳。「健康寿命」を伸ばすには …

diamond.jp/articles/-/60223
2014/10/08 – 健康寿命とは、健康上の問題がなく日常生活を普通に送れる状態を指す。わが国は高齢化については世界の先頭を走る課題先進国だが、そのゴールは、人間が自立して人間らしい生活を送れるという意味で、平均寿命ではなく健康寿命の …

上記各見出しを見ると決して誤った定義を用いてはいないのですが、正に人生「ゴール」での自立生活可能期間をイメージしてしまう人が多いのではないでしょうか?
こう言う報道が繰り返されると、マスコミ報道の健康寿命のことを、「自立出来なくなる最後の年齢」と誤解しているのは、私のようにそそっかしい人だけでしょうか?

健康寿命と自立年齢1

貧困連鎖論批判に流れてしまいましたが、年末〜元旦に掛けてのテーマ・・高齢化による情報処理能力低下に戻ります。
物忘れが早くなるのも能力低下によるもので、能力以上の重いものを持つと長く持っていられないのですぐにどこかに置きたくなる・・キャパシテイを越える情報が入ると保有し切れなくてすぐに投げ出すしかありません。
物忘れと言っても最近の記憶から順に消えて行くの見ると、ドラム缶に積もって行く枯れ葉などを想像すると、子供のころの情報は底の方に入ってしまい簡単に出ないが、だんだんつもって来て70台になって残り5センチくらいしか余裕が無くなってから入ったばかりの情報は風が吹けばすぐに飛び散ってしまいます。
この余裕幅が3センチメートル〜2センチ1センチ〜と縮小してゼロになると、5分前に食べたことも分らなくなるのかもしれません。
長く生きていると物忘れ・・記憶がすぐに消えて行くのは、その間の情報の蓄積が膨大で蓄積能力が限界・・満杯になりつつあるからではないか?と大分前から考えていました。
この考えは我田引水の都合の良い考え方・・全て人は自分に都合良く考えたいものです・・若いころから、あまり記憶して来なかった人の方がいつまでも記憶容量が残って有利になる結論を導けそうで気に入っていました。
私は若いときから人の名前その他、何でも直ぐ忘れてしまう記憶力の酷く悪い方でしたから,記憶が殆ど溜まっていないので入れ物に余裕があって有利な筈と思っていましたが、70歳前後から年齢相応に物忘れが進んでいるようなのでおかしいなと考え直した結果、元々のキャパが小さかったのに気が付きました。
キャパが小さいから直ぐ満杯になってしまわないように、生まれつきあまり覚えないように自己防衛して来たのかも知れません。
私の例から見ると、子供のころからあまり勉強しなかった人の方が記憶容量が残っていていつまでも記憶力が衰えないことになって高齢化時代には有利かと思っていましたが、そうとは限らないことになります。
私より半年か1年ほど年長で若い頃に記憶力の良かった修習同期の弁護士と時おり日弁連の委員会で会うのですが、彼は若いとき同様に特定分野に関する情報に関しては今でも関心旺盛です。
若いときから記憶力のいい人は、その方向で能力も優れているし、キャパも大きいのでドンドン使っているのであって、高齢化してもなお余裕があるのかも知れません。
ところで情報処理能力の低下を考えて行くと、100歳まで生きている場合、最後の1年で処理した情報は若い人の10日分しかないかも知れません。
そうなると長生きしていると言っても、1年で実質10日分長生きしたに過ぎない・・その他はボヤーッとしていたことになります。
100歳と105歳の差も内容では、5年間で得た情報差は20日分くらいしかないのかな?
赤ちゃんや幼児・・あるいは寿命の短い犬や猫その他小動物は、筆記試験出来ないので気楽に遊んでいるように見えますが、1ヶ月に受容し刻み込んでいる情報量は、大人の何千〜何万倍もあるかも知れませんから、生後の1ヶ月がもの凄く長いのでしょう。
こうなると長生きしていても情報処理能力が一定量以下になると実質的に大した意味がないことになりますから、早めに店じまいした方が良いのかも知れません。
客も来ないのに夜中まで開店していてもコストがかかるばかりですが、人生も同じで情報受容・処理能力もないのに120歳まで生きていてもコスト割れ?です。
この一定量は認知症診断の簡易テストに使われている長谷川式の詳細版を作れば良いように見えますが、テストをワザワザ受けなくとも外見的・・あるいは自己判定基準としては、いわゆる健康寿命が分りよい指標になるかも知れません。
健康寿命(自立可能)の限界が来ても、知能は活発な人は当然いるでしょうから、その場合は別に考えれば良いことでここでは概括的基準を書いているだけです。
若いときには、スキーに行って来たとか映画を見て来て良かったとかの自己中心話題で、結婚すると子供がどうしたと言う話題が数十年続くなど、年齢によって話題が変わります。
回りに高齢者が増えて来たせいか?時間が早く感じるのは常識になっているのでこう言う話題は減って来て、70歳代にはいって来ると健康の話題が多くなり、関心を持つようになってきました。
今の時代・・私に限らず多くの方にとっては、重い病気が増えるのは80台になってからのように見えますが、これは元気な高齢者が目立つからであって、体調の悪い人が結構いても、あまり出歩かない・徐々に社会参加が減るので目立ち難いだけかも知れません。

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