近代法原理(分断目的の占領政策1)の見直し3

占領軍は昨日紹介したとおり全ての工業機械をアジア諸国へ賠償名目で搬出してしまい、日本には農業しか認めない政策を5年間にわたって実行していました。
アメリカが日本に散々嫌がらせして戦争に追い込んだ目的は、人種差別意識に基づき日本人を外のアジアの植民地の人民同様の地位に落とし込むことが目的だったことがこの事実からも明らかでしょう。
以前紹介しましたが、勇敢に抵抗したアメリカインデアンは絶滅寸前・民族の誇りを奪われて多くはアル中で保護されていますが、・同じような将来を構想していたのです。
占領軍は着々と日本の工業力ゼロ化・・仮に10年でも目の目の前の機械工具一切を取り上げて工業生産禁止していると技術の断絶は半端ではありません。
このように復興不可能政策・植民地支配化政策を進めていましたが、平行して民族精神の崩壊工作を狙ったと思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E6%8C%87%E4%BB%A4
神道指令(しんとうしれい)とは、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。
葦津珍彦は神道指令に関する1960年の論文で、「重大な障害がない限り」(“as long as there is no serious obstacle”)占領軍は「被占領地の信仰と慣習に干渉すべきでない」(“should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area”)ということがハーグ条約で定められていたとして、日本占領軍による神道の弾圧は国際法からの逸脱だと批判した[1]
以前紹介しましたが、1号か2号の占領初期・真っ先に行なった指令です。
占領軍が如何に日本精神破壊を重視していたかが分るでしょう。
インデアン制圧後乳幼児を全員取り上げて白人家庭に預けさせて如何に白人が優れているかをすり込み、勇猛なインデイアンの魂・アイデンテテイーを抜いて行ったことと同じ・・民族のバックボーンを奪う・人道的に許されない行為です。
この結果果敢に戦ったインデイアンの子孫は魂を抜かれて廃人のようになってしまい、大多数がアル中や薬物中毒生活に陥って被保護民族になっていることは周知のとおりです。
次は教育勅語の廃止強制です。
hosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htmからの引用です。
「GHQの幹部は、教育勅語それ自体は何ら悪いところはないと考えていたことです。内容よりも、戦前のわが国で行われていた勅語の解釈や運用を問題としたのです。GHQの民間情報教育局(CIE)の教育課長H・G・ヘンダーソンは「非常に家族主義的であることを除いて、勅語それ自体は悪いところはない」と考えました。・・・ところが、戦前のわが国のあり方を何もかも悪いものとみなす米国務省は、教育勅語を全面禁止とすることを決定しました。また、日本占領の最高機関として連合国で構成する極東委員会も、同主旨の指令を発しました。GHQの内部で、この方針を忠実に実行しようとしたのが、民政局(GS)でした。民政局は、日本占領において内政一般を所掌しており、教育を管轄するCIEとは別の部署です。
GSはCIEの権限を侵さずに実を得る巧妙な方法を考えました。国会で教育勅語の廃止を決議させるという方法です。国会課長のJ・ウイリアムスは衆参両院の文教委員長を呼び、教育勅語の廃止決議を行うよう口頭で命令しました。当時は占領下です。銃砲の下での圧力に屈し、昭和23年(1948)6月19日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を行い、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行いました。こうして教育勅語は事実上、廃止されるに至りました。(ページの頭へ)」
以前教育勅語全文を紹介しましたが、内容を見ると軍国主義とは殆ど何の関係もない普通の「まじめに学びましょう」的な勅語ですが、庶民にまで行き渡っている教育システムが占領軍には脅威だったのでしょう。
日本は支配下の朝鮮や台湾や南洋諸島で日本式教育制度を普及させましたが、欧米植民地では愚昧化政策が基本であり、現地人向けには教育を一切して来ませんでした。
教育勅語廃止はこの手始めだったことは容易に想像がつきます・・しかし占領軍は内容に容喙出来ても学校制度を廃止することまでは出来なかったのです。
現在森友学園問題に関連して攻撃していた安倍政権批判が無理になって来たらしく、今度は矛先を変えて同学園が教育勅語の朗読か何かの教育をしていたと野党が頻りに批判し、マスコミも便乗していますが、(今朝の日経新聞朝刊社説)ソモソモ一民間学園がキリスト教を教えようとイスラム教を教えようと何も問題がないと思われるのに、教育勅語の朗読をさせると何が問題かよく分りませんが、小さな民間幼稚園の教育内容を国会で問題にする必要があるのか不思議です。
公的空間・工場などにイスラム教徒向けの礼拝施設が設けられることが時々報道されていますが、これが神社系の施設だと問題になるのか?と言う不思議な基準がまかりとおっています。
しかも内容のどこが行けないかの具体的主張がなく従来聞こえて来たのは戦前の軍国思想や家族観復活懸念程度でしたが・・さすがに日経社説では理論武装して出して来ましたが、内容を見ると、以下のとおりです。
社説を見ると勅語の内容自体を問題に出来ず、戦前文部省「通釈」をさらっと書いて続けてその内容を如何にも勅語自体であるかのような誤解を招く?すり替え議論をしています。
そこで言うことがないのか?上から天皇が語りかける形式に問題があるなど・(小学校教育は元々校長先生などが「みなさん・・」と上から目線?で語りかけるのが普通)・・語りかけるのが天皇であるのは国民主権に反しているとか言うのですが・・象徴天皇もあちこちでお言葉を発せられていますが、国民に語りかけるのが憲法違反と言うのでしょうか?
仮にそうとしてもそれは勅語で教えようとしている教育内容の議論ではありません・・そんなことが気になるならば、直せば良い程度のほとんど言いがかり的論旨です・・。
上記引用した米軍教育局の理解のように元々ないように問題があったのではなく運用に問題があった程度であり・勅語自体に大した問題がなかったことを社説自体が逆に表しています。
仮に教育内容に介入出来るとしても運用がどうなっていたかコソをテーマにスべきでしょう。
結局は未だに米軍の残した監視役を忠実に果たしていると言う意気込みでしょうか?
(米軍が真っ先に禁止しようとして、)国会でこれを受入れる決議をしているのに、同学園がやっているのはけしからんと言うだけの批判です。
クニの教育方針としてこれを利用しないと決議しているだけで、民間が使ってはならないかまでの議論がありません。
ところで従来からの朝鮮人学校問題でも政府の補助金支給が妥当かの議論であって、教育内容自体に介入した議論を聞いたことがありません。
国会で(教育への政治介入を基本的反対して来た)野党が教育内容自体を国会のテーマにしている点が異常です。
文化人の言う国民主権論や自由の保護は、御都合主義過ぎる・・中韓やアメリカの意見を背景にすればいくらでも介入出来ると言う基本姿勢が露骨過ぎませんか?
教育内容について政治の場で「どう言う内容が良いとか悪い」とかを軽々に論じるべきではないでしょう。
まして(幼稚園をいくつ経営しているかすら出て来ない)小さな幼稚園(園長は籠池氏の奥さんと言う報道もあります)の教育内容を国会が議論すべきかが先ず気になります。

騙しあい社会3(賄賂の基礎2)

唐朝の皇帝(則天武后)側近として高名な祖父(杜審言)がいても、孫の杜甫の時代になると零落してしまう例を書いたことがありますが、給与制の無理があったことによります。
日本のような領地世襲制(これを君主が冊封する西欧的枠組みの封建制と言うのは当たらないと思いますが・・日本の場合一種の連邦制でしょう)ならば代々没落しませんが、中央集権・官僚制は経済制度的に無理があるから、高官に限らず各級の官僚は自活するために中間搾取するしかなくなる・・今で言う賄賂の始まりだったと見るべきです。
現在中国では各階級ごとに◯◯に昇進するには、あるいは◯◯の許可を得るには、上官には何元と相場が決まっているようですから手数料の一種と言えます。
欧米ではウエーター等の低賃金を補うためにチップが発達して来たのと結果が似ていますが、中国の場合権力構造の各段階に広がるのが大違いです。
チップの場合に払わなくともコーヒーそのものを飲めますし食事も出来ます。
賄賂の場合に払わないと前に進まない点が大違いですし、その手数料が高過ぎる・・しかも相場と言う曖昧な基準でこれを払えばどうなると言う結果も見えないうえに、権限を有する個人の懐に入る点が諸外国の公式手数料と違っています。
はっきりした基準がない・不明瞭・恣意的基準こそが、専制支配の特徴ですからこれに対応した経済システムだったことになります。
日本は律令制を導入しましたが、地方豪族の寄り合いである日本の国情では完全官僚制では無理があるので、班田収授・律令制は直ぐに崩壊し、荘園制度に戻っていることも律令制のシリーズで連載しました。
中国では、薄給ですから地方高官になったらこのときとばかりに最大限収奪して蓄えておかないとすぐに無収入になってしまう恐怖が収奪政治の習慣を生み、収奪される人民も上を信頼しない・・どうせ直ぐにいなくなる相手ですから信頼関係が育ちません・・その場限りの刹那的価値観が身に付いて行った原因です。
我が国ではいつ始まったか分らないほど古くから先祖代々の領地・共同体を有し、(律令制導入で国司制度が出来ても地方豪族は「郡司」として実質勢力・経済力を維持していました)その領地の収入に応じて(戦国末期の基準で言えば)軍事招集があれば何石から何石までは騎馬武者何騎と言うような基準で公的義務を果たすようにするのが合理的でした。
公務に従事すれば公的なお金を懐に入れるどころか、自腹・・持ち出しが原則の関係でずっとやってきました。
我々弁護士会でいろんな役をこなすのは全部無償・・最近若手が増えた結果として日弁連委員会出席交通費実費(以下)が出るようになって来ましたが、元は無償が原則です。
日本社会では公務を果たすのは自腹持ち出しだからこそ、源氏が前9年、後三年の役で動員した東国の豪族に対して恩を売って強力な地盤を形成出来たのです。
吉宗の足し高の制は、町奉行その他一定の公務につくと負担が大きいために家禄の少ない小身の旗本が有能であっても重要な役職に就けない弊害をなくすために始めたものですが、これは自腹負担原則を前提にしています。
(足し高の制については、02/26/04「与力 (寄り騎)8と足高の制の功罪1」以下のコラムで連載しました。)
この場合も職務給として不足家禄分を在職中「役知」として補給されるだけで、その追加「役知」の使い道は自由・・汚職する余地がありません。
現在で言えば下請け企業みたいな役割です。
親方の取り分が大き過ぎて従業員への還元が少な過ぎると、良い職人が居着かないし手抜きをすると・競合他社に負けるので相応の自制が働く仕組みです。
足し高制に戻りますと今の貨幣経済を前提に「役料」と言われていますが、当時でも現金支給もありましたが原則として「知行地」を追加するので「役知」と言われていましたがこの役料だけでは、実際の必要経費に不足するのが原則で自腹を切る分が減る程度ですから懐に入れるどころではなく、自腹を持ち出して「恩に報いる」充分な人材配置・・良い仕事・武勲を挙げられなければ、評価に反映します。
以下に紹介する会津藩の例で言うと、もの凄い自己負担で藩の財政が火の車になって行きます。
臨時加増(役知)されても領地引き渡し作業が遅れたり、最も重要な米で言えば収穫が半年後でそれからの換金ですから(以下に紹介するお茶の水大学の論文では収穫時期が限られているので加増時を基準に月割り分配する詳しいデータが出ています)、目先の京都赴任に必要な現金支出に間に合わないので、御金蔵から拝借などとの合併になっています。
明治維新後は薩長政権ですから島津家の負担による長良川堤防工事の経費負担が有名ですが、幕末会津藩の京都駐留も大変な「国難!」でした。
幕府から一定額補助金が出ていたにしても、その使い道は会津藩の裁量ですから汚職する余地がありません。
ここでは会津藩の国難を紹介するのが目的ではありませんが、会津藩が守護職就任後の加増・役知・馬喰町貸し付け・拝借金などに関する
「京都守護職に対する幕府の財政援助(研究)」新田, 美香http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/900/1/KJ00004471010.pdfによると、松平容保の守護職就任による会津藩財政が火のクルマ・惨憺たる状態が紹介されています。
会津藩はその前の蝦夷地防衛のための軍役負担で元々財政赤字になっていたところへの新規出費なので、家臣への知行借り上げ(未払い)や年貢増徴など内政は収拾がつかないほどの状態になったらしいです。
以下は独自論文かどうか分りませんが、上記論文が詳し過ぎるので?これを下敷きにしたらしい要約っぽい?(失礼かも?)その分煩雑なデータがなくてこのコラムの論旨に副う内容が要約されていて分りよいので紹介しておきます。
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/oboe/oboe6-aidu-zaisei.html
■ 年間収支
「京都守護職の年間収支は実際、どのくらいだったのだろうか。
池田屋事件直前の元治元年5月29日付西郷文吾書簡(『会津藩庁記録』四)によれば、守護職の年間費用はおよそ216,000両だと見積もられている。これに対して役知・役料から見込まれる収入はわずか96,709両とその半分にも満たない(49%)。年間赤字は約11万9,300両(1ヶ月あたりの赤字は約9,940両)にものぼる。なんらかの対策が講じられない限り、守護職必要経費の5割強にあたる巨額の赤字を会津藩が独自に補填せねばならないことになる。財政難の会津藩にとって、とんでもない緊急事態である。」
上記によると必要経費の半分しか幕府が補填してくれなかったことが分ります。
上記のとおり、日本の場合中国の地方大守・高官に該当する地元領主・大小名は政府(将軍家)から貰ったお金をくすねるどころの話ではありません。
領地経営者・豪族は源氏の配下になろうと平家の配下になろうと地方豪族の自由裁量ですから、その結果、小豪族をつかねる地方盟主は人望が必須ですから民意把握訓練が出来ています。
中世〜戦国時代も同様で日頃の信頼がないとイザと言うとき配下小豪族やその部下が命がけで働いてくれません。
いつの時代も優秀な人材確保こそが組織・集団維持の命綱と言う意識が古代か連綿と続いています。
優秀な人材確保のためには、信頼関係構築こそが最重要と言う意識が今も強いのはこの結果です。
先祖代々の紐帯を大切にし身を捨てても(城明け渡しに際して自分が腹を切っても城兵の命を守るのがその1例です)領民(一族郎党・・血族集団意識が基本)を大事にします。
日本では公的業務は、自己犠牲が原則であって上から支給されたモノを自分の懐に入れることなど、出来るものではありません。

中国外貨準備の急減3

March 22, 2017に出血輸出でも(輸入原材料以下で輸出するのではなく労賃の圧縮や赤字補填資金供給)貿易黒字になる仕組みを書きましたが、このやり方では資本・体力が続かなくなるのが普通です。
・・外貨準備を取り崩し・・ゾンビ企業への追い貸し・・出血輸出による中国の黒字もピークを過ぎつつあるのではないでしょうか?
国内完結であれば、国内でマネタリーベース拡大・・じゃぶじゃぶと資金供給すれば際限なく追い貸しが可能ですが・・実際に生産者・卸売り価格の急上昇が取りざたされています。
マンション投機だけではなく・・あるいはマンション相場が天井を打ちそうと思ったからか、幅広い商品取引にも余った金が流れ込んでいるらしいのです。
国内では花見酒経済同様で紙幣を印刷さえすればいくらでも回転出来ますし、国民には危機感が伝わらないでしょうが、対外取引には外貨が必要です。
3月18日の日経新聞朝刊7pには、「海外送金ストップ」の黒抜き見出しで中国による資本流出規制が最終段階に来ている・・日本企業・・あさひホールデイングスが中国子会社を現地民族資本に16年末に売却した代金が、政府の送金規制によって送金されないままになっている事例が紹介されています。
これでは追い出し攻勢に留まらず、嫌がらせで(あさひに対してあったと言う意味ではありません)二足三文で買い叩いた代金さえ払わせないでただ・裸で追い出す事態です。
中国の外貨持ち出し制限が今年に入って厳しくなっていることは報道されていましたが、現地企業売却金・・損切り・撤退金の支払をさせなくなったとなれば部分的デフォルトあり、大ごとです。
17年3月7日には、外貨準備3兆ドル回復の発表が出ています。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM07H9Z_X00C17A3FF2000
中国外貨準備3兆ドル回復 2月末、資本規制強化で2カ月ぶり 2017/3/7 20:16
「金融当局は16年以降、銀行への窓口指導を通じ海外送金に対する規制を繰り返し強化してきた。17年に入ってからは個人の外貨両替に申請書の提出も義務づけた。送金や両替を先送りする企業や個人が増えており、元売りの動きがいったんは収まった。人民銀は元買い・ドル売り介入を抑制でき、外貨準備の増加につながった。」https://zuuonline.com/archives/135606
中国のなりふり構わぬ「資本流出規制」17年震源地の恐れあり
記事内容を省略しますが、上記のとおり年末から厳しい資本流出規制が始まっています。
上記各記事と日経新聞18日掲載の不払い記事を総合して簡単に言い換えれば、「中国に進出した企業が採算割れで撤退するときに当初投資資金の何十分の一で売却し撤退しようとしているときにその売却金さえ払わせない」「中国人の売った代金は回収するが中国企業の買った代金は払わせなかった」結果とすれば、外貨が入るだけで資金が出て行かないのでは外貨準備が増えるのは当たり前でしょう。
自由な取引で外貨がたまっているのか減って行くのか・・これが実力であり、経済活動する人にとっては実際を知りたいのです。
不払い基準は何か?どんどん拡大されるリスクがあるならば、対象になっていない今の内に売り抜けようとする動きが出て来ます。
以下によると米国債を若干買い戻し出来たようです。
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-02-15/OLFQBN6KLVR5米財務省が15日発表した昨年12月の対米証券投資動向によれば、中国の米国債保有残高は1兆600億ドル(約121兆円)と、前年比で1880億ドルの減少となった。前月比では91億ドル増加し、昨年5月以来のプラス。
日本の米国債保有は5カ月連続で減少し、前月比178億ドル減の1兆900億ドル。前年比で316億ドルの減少だった。」
民間の資本流出を厳しく規制しているものの政府が米国債を買う方向への流出・・外貨準備だけ増えた状況を無理して演出している様子です。
日経新聞3月18日の記事を紹介したように、企業で言えば外注支払を先送りさせて手元預金を増やしたと言うことでしょう。
当初GDPアップ率と電力消費が整合しないことが問題になり、その次はトラック輸送実績とGDPが合わない・・等々次々の関係ですが、これもそういった小手先細工の一環でしょう。
この数ヶ月米国債保有残高減少が焦点になって来たのですが、保有額発表は米国政府ですから電力統計のように発表を操作出来ませんので、資本流出規制の強化・・外資への支払を止めてその分米国債を買い増したと言うことでしょうか?
米国債保有額の数字自体の操作はないとしても、経済の自然の流れを権力で歪めている点は同じですから、今後は米国債保有額の動きを見ても経済活動に応じた自然な資本の動きを計れなくなったと言うことです。
今後は・・外国企業へ不払いの動きがどの程度起きているか等の現場情報で中国の危険度を憶測するしかありません。
権力の脅しで未払いを公表出来ない企業には、支払を先送りするなどのいろんな仕組みがあるのでしょうが、不透明基準で払ってくれたり払ってくれなかったりするのでは進出企業にとってはリスクが高過ぎます。
中国に法の支配がない・・民主国家ではないとしても、国家が約束を守るべきかどうかは民主制と本来関係がありません。
国家の国民に対する約束を法とすれば、法の成立手続きが選挙の洗礼を受けているか否かで民主国家かどうかを区別しているだけで、国家の約束を自ら明らかにして国家が率先して守るべきは民主国家か否かに関係がありません。
諸葛孔明が泣いて馬謖を斬った故事はこの原理を表しています。
約束・契約を守らない個人がいる場合に(代金を払えと言う制度を設けて・・社会あるところ秩序維持に一定の裁定制度があるのはそのためです)これを守らせる(犯罪を取り締る)のが政府の役割・猿社会もボスがこの役割を果たしてこそボスです。
中国政府のやり方は政府自体が約束を守る意識がない・高官が賄賂次第で動く・・賄賂がないと動かないのは有名ですが、政府が民間の約束を守らせるように努力するどころか積極的に介入して約束どおりの支払をさせないとなれば文字どおり世も末・・社会組織崩壊です。
共産党政権は民主的洗礼を受けていないので正当性が弱いと一般的に言われていますが、国家の約束=広義の社会秩序維持義務を果たせているかどうかこそが政権の中核的存立基盤です。
これある限り強権支配かどうかで政権の存立が左右されることはありません。
しかも支払を止める基準がない・・破産等は完全ストップで画一的で公平ですが、政府の決めた相手だけ払わせないとなれば社会秩序が成り立つかの疑問です。
公になれば政府が公式にそんな命令していないからタマタマ何かの間違いだろうと言い張る・・政府はきちんと秩序維持の役目を果たしていると言うのでしょうが、(日経に報道されたあさひホールデングスへの不払い問題は購入企業が「政府の所為にして噓を言ってただけ」と言う決着をするのでしょうか?
結果的にこう言うことがどれだけ増えて行くかでしょう。

投資過多社会3(中国の場合)

固定資産投資が6割を超える・・公共工事主体であるから、GDPが上がってもその割に税収が上がらないのは一見当たり前とも言えますが、それも実は違っています。
必要な公共投資・・例えば道路が渋滞していて二時間かかるコースに高速道路を通して15分に短縮すると、投資額の何倍もの生産効率アップ効果が出ます。
峠を越えるのに4〜5時間かかっていたのをトンネル開通で20分で山の向こうに行けるようになる・・目の前の対岸に行くのに遠くまで迂回してクルマで40分かかっていたのが目の前に橋が出来て僅か5分で行けるようになる・利用数さえ多ければ投資の何倍もの生産効率アップになります。
即ちこの分企業業績が上がり税収が上がります。
このように発展・高成長段階ではインフラ投資が盛ん・・その年度には税収が上がらなくとも、経済活性化の恩恵が数十年単位で続く・税収が上がって行くのが普通・・その後はその恩恵を受ける一方ですから税収弾性値が改善します。
成長が落ち込み始めてからの固定資産投資は上記のような必要性の低いもの・・効率の悪い分野しか残っていない結果、一般論として税収が増えない結果になっている可能性があります。
人の乗らない鉄道や人の住まない投機目的のマンション建設などでは、工事期間中の資材供給生産や人手需要効果がありますが、完成後の生産アップに関係がないばかりか、企業にとっては1需要減10のところ生き残るためのお情けで公共工事の受注で3の補給を得ても、死なない程度・赤字の程度が軽くなる程度・・利益が出ないので結果的に税収増に結びつきません。
税収弾性値の下降が注目されているのは、ゾンビ企業への追い貸しや赤字補填的目的の仕事造りを反映しているだけではないかと言う意見でしょう。
仮にGDP統計が正しいとしても無駄な事業に資金をつぎ込んでいるのではその先がありません。
表向き発表しているGDP維持や倒産先送りのために資金を浪費しているのでは却って中国にとって大変な損失です。
昨日紹介した
「成長率の低下に耐え切れず、投資依存型の成長を続けるのか。習近平体制は歴史的な分岐的を迎えた中国経済のかじ取りを任されている」
という 三浦 有史氏の意見は、(13年1月)「無駄な投資をやめる勇気が習近平氏にあるかを問う」ものでしたが、未だに追い貸し的投資を続けている以上・・その勇気・実力がなかったと言うことでしょう。
以前は電力消費量がGDPの伸びに合わないと言われるとこの統計をいじり、今度は、トラック輸送量統計に合わないと言うとこれも・・と次々です。
最近では全人代の後で、マンション時価評価指数?発表が禁止されたと報道されています。
相場下落が始まる報道によるパニック売りを予防するためなどと言われていますが・・。
産業が育っていない地域へ工場誘致した場合に地域の技術基盤底上げ効果に関する以下の論文の最後・・高速道路などの便宜性などで目当てにイキナリ進出した地域など・・60年代以降の大規模先端産業誘致の場合、地場産業興隆や技術アップに結びつかない・・工場に出て行かれればおしまいになる流れを書いています。
アメリカの場合地場産業の集積のない地帯に、鉄鉱石その他資源だけを目当てに大型工場が一気に進出した結果、いわゆるラストベルト地帯やデトロイトなどで町が錆び付いてしまった原因と思われます。
深圳特区などの大規模工場群出現は以下の1ー2に当たるのか、「2.企業誘致型産業振興の限界」「3.変わりつつある国内工場の役割」に当たるのかの関心ですが、もしかしたら他所に逃げられたら終わり・・うまく行かない典型パターンになる確率が高いのではないでしょうか?
以下工場誘致効果に関する論文の部分抜粋引用です。
https://www.iuk.ac.jp/chiken/pdf/regional_studies38/tomizawa.pdf
  地方分工場経済における企業誘致型産業振興の行方
   富澤 拓志
1.地域に定着した分工場
1-1.誘致工場の周囲に地元企業が創業して形成された産業集積
誘致した企業・工場が母胎となって周囲に関連工場や企業が創業し,集積を形成したものがある。例えば長野県の諏訪市・岡谷市の産業集積や坂城町の産業集積などはその例である。・・こうした人材の蓄積は,それまで地域産業を牽引した大企業が破綻したときにも地域産業の崩壊を防ぐ効果を持った。この点で諏訪地域の産業集積の経験は印象的である。諏訪地域では,主力製品が時計,オルゴール,カメラ,プリンタ,産業用機械と時代に応じて変化してきたが,その移り変わりの都度,有力メーカーの倒産や地域外メーカーによる買収等が起こっている。企業の解体・縮小の都度,その従業員の流出が生じたのだが,その従業員から地域内で中小企業を創業する起業者が出現するのである・・略」
「浜松のソフトウェア産業集積は1980年代以降に形成されたが,浜松地域のヤマハ発動機やスズキ自動車など複数の輸送用機械メーカーがこの創生期に顧客として存在したことがソフトウェア製品の開発に大きな意味を持った。
・・略
1-2.多数の工場を誘致することによって外来の工場が主体となった集積
第二のケースは,自治体による積極的な誘致が功を奏し,多数の外来工場が立地したために産業集積が形成された例である。
・・・中略・・・こうして外来の工場群がまとまって立地することによって,地域内の工業系人材が地域に残ることができるようになった。また,同種の技術を持つ中小企業が複数立地しているため,これらの企業に共通の課題を立て,地域全体で技術開発などの具体的な連携・交流活動を作ることもできるようになった。
1-3.集積を形成していない分工場
しかしながら,これらの地域のように,誘致された企業を中核として産業集積を形成するケースはそれほど多くはなく,進出企業が孤立したまま地域内に産業連関を形成しない場合がほとんどである。
2.企業誘致型産業振興の限界
・・・・・略・・1960年代以降製造業,とりわけ機械工業で進展したオートメーションとシステム化という二つの技術革新によって,それ以前の労働者個人の属人的な熟練労働に依拠した生産体系が,管理労働と単純労働とへ分化した。これは,それまで企業内で進められていた分業システムを企業外へ拡大することを容易にし,その結果,それまでの工程に固有の労働能力を必要としない単能的な労働力を分工場,あるいは下請系列工場の形で地域分散的に調達・編成することが可能になった。
・・・これにより,地方に展開する工業の構成が立地選択の幅が広く海外と競合
しやすい量産品の生産機能に集中するという地域産業構造の「純化」(柳井
1996)が生じたのである。・・・・ほとんどの地域では,依然として管理・開発機能を持たず,都市部の管理に服する分工場・下請的な生産機能のみへの特化が続いている。従って,企業誘致による地方の工業化は,地域の産業連関を深化させ産業を発展させることには十分つながらなかった・・。
3.変わりつつある国内工場の役割
・・・分工場経済への転化は,・・・・地方は従来の分工場の進出先という役割をアジア諸国によって奪われつつある。これは,地方で「純化」される生産領域が,アジア諸国が競争力を持つ生産領域とほぼ重なっているからである(関・加藤Op. cit..)。このため,地方が従来果たしてきた量産品の生産機能の受け皿としての役割はアジア諸国に取って代わられつつあるのである。」
以上の日本国内分析を見ると中国が先進国から誘致した先端工場が東南アジアに取って代わられつつある実態と重なっています。
アメリカの既存大工場・ラストベルト地帯も同じ運命にあることが分ります。

サービス社会化(内需率)3

http://www.globalnote.jp/post-1614.htmlによる貿易依存度の表によると以下のとおりです。
直近データ2015年
単位は%
・貿易依存度はGDPに対する貿易額の比率
 順位   国名      依存度
  1   香港      337.04
  2   シンガポール  233.25
  3   スロバキア   166.57
  4   ベトナム    162.63
  60   韓国      72.05
  64   ドイツ     70.54
  165  イギリス    37.45
  178  中国      33.33
  189  日本      28.11
  191  ミャンマー   26.47 
  194  イラン     25.56
  197  米国      21.12
  200  シリア     20.06
  202  キューバ    16.85
  205  スーダン    12.71
  206  ベネズエラ   6.91 (最下位)
韓国は60位で日本・米国は当時経済制裁を受けていたり戦乱で経済麻痺状態のクニなどを除けば、ほぼ最後尾です。
貿易依存度の表を見ると香港・シンガポールなどの例外的・・商業都市国家に特化している国家・地域を除く一定規模のクニで見ると、急激外資導入新興国の順に依存度が高い傾向が読み取れます。
この基準で見ると20年ほど遅れて近代工業化を始めた中国よりも韓国の方が貿易依存度が高い(内需率が低い)のですから、発展イビツ性・内需力の低さは半端ではありません。
経済制裁等孤立している国や戦乱で貿易どころではないクニを別とすれば、原則として内需率の高さが国民生活の豊かさに比例していると言えるでしょう。
この後で少し触れますが、消費力は結局は国民文化力に比例します。
人口あたりGDPの比較をしても、韓国のように財閥が独り占めてしていても中国のように巨額賄賂のクニでも平均値があがりますので、庶民の豊かさと関係がありませんが、内需の大きさは実質的豊かさ・文化レベルに関係します。
GDPを人口で割って、一人当たり所得に計算してランキングを発表しているのは、粗雑過ぎて無理がある・・何を表しているか意味不明です。
文化価値を理解出来ない人が統計を作って満足しているからではないでしょうか?
各国が自国内で経済活動が完結している場合には労働分配率を計算していれば良かったでしょうが、今や世界中で他国資本が入り乱れている時代です。
A国の成長に寄与した先進国B国の企業は利益を本国に送金するし、A国から派遣されたXY等の幹部社員の家族はA国内でその給与で生活しています。
外資支配下でしかも財閥支配の韓国で、二重の意味でGDPを人口で割っても庶民生活レベルを表さない極端な社会になっています。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/161231/mcb1612311520002-n1.htmkらの引用です。
「固定化する格差社会、6割が悲観…「韓国の社会動向2016」が描き出すヘル朝鮮 (1/4ページ)」
ドイツの内需率が低いのも有名ですが、ドイツの場合格差と言うよりは基礎的消費未熟社会・・生活を楽しむ文化未熟の結果でしょう。
うまいモノがない楽しいモノも少ない・・生活レベルの低さに(満足している?)問題があることがそのまま現れています。
食べ物がまずい・芸術センスも低いイギリスでも外需依存度165位ですから、ドイツの内需率・生活水準の低さが分ります。
ドイツ人からすれば、自分たちは何も楽しいこともなく質素な生活をしているのに南欧諸国はうまいモノを食べて贅沢して生活が苦しいと文句を言っていると言う不満があります。
南欧系から見れば、北欧系はうまいものも楽しいことも知らないバカみたい!な人間の集まり程度に思っているでしょうから、EUは白人・キリスト教徒の仲間と言うだけではうまく行きません。
韓国の内需率の低さ・貿易依存度の高さに戻りますと、円高の防波堤(人件費アップによる競争力低下を超ウオン安で相殺できていたのです)がある間に内需型に転換準備をしておくべきだったのですが、消費=数量の時代にはアメリカのように大量消費すればいいので簡単ですが、人の二倍ポップコーン・ハンバーガーを腹一杯食べられると自慢する時代が終わると大変です。
今後の消費費力はより良い物を見極めて賞味する・・お金の有無プラス文化力ですが、文化の底上げには5〜6世紀では足りない?でしょうから無理があったことは確かです。
イギリスの世界支配は文化力がつかないままで終わりましたし、アメリカもジーンズとハンバーガー程度で終わりそうです。
これに加えて中韓両国の場合には、日本を追い越すと言う夢にしがみついていますので、形式データを上げる方向へ狂奔する傾向があります。
需要もないのに大学進学率を上げるとか、知能テストがあると事前練習させるとか何のためのテストかが分っていません。
中国も「鉄は国家なり」などの古い理念にこだわって、生産量がどこを追い抜いたとか造船量・GDPで日本を追い越すことに必死でそのためにはデータ改ざんも気にしません。
データは事業運営や国政を誤らないためにあるのですが、その意味が分かっていない・・自慢するための材料になっています。
中進国の罠にはまらないために韓国では、人件費抑制のために急激な非正規効用拡大へのシフトによって、人件費アップを抑制して来たの出すがこれでは何のために中進国に入ったかの意味が分かっていません。
この結果一定の発展に応じた消費力が身に付かない・・よりいっそう消費力を減退させたことになった・・この不満が国民に充満しているので、どの政権も反日を続けるしかなくなったのでしょう。
安倍政権・・黒田日銀になって日本の超円高が終わって韓国経済の調子が狂ってきて初めて内需力の弱さに気が付いたところです。
量が行き渡るようになると消費は質に移る・・別の面から見れば文化力次第ですから、新興国・・中韓両国共にいきなり庶民全般の文化レベルを引き上げる・・日本とは千年以上の差があります・・消費レベルアップは簡単に行きません。
そこで、誰でも参入出来る不動産バブルに目を付けて政府主導で始めた点も中韓歩調が合っています。

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