利害調整不全8(地域エゴ野放し3)

美濃部都政は民意重視というお題目によって杉並ゴミ戦争を煽っただけで杉並区と江東区の利害調整・解決できず信用をなくしました。
民主党政権奪取時の説明(公約?)ではいわゆる「埋蔵金を取り崩せば資金対応できる」という漫画のような触れ込みでしたが、政権党になってみると埋蔵金がなくて、実現不能な公約であったことがバレました。
やむなく事業仕分けに進んだのですが、周到な識見・準備なくパフォーマンス重視で性急に行ったために耳目を集めたものの結果的に散々の結果だった印象です。
エゴに基づく反対運動が保護されれば両立し得ない他方の国民代表の合意で決まった国の政策実現が遠のく・・保育所やゴミ処理の必要な人がその便宜を受けられなくなります。
そうなると・・各人が自宅内で子供を育てるしかないし、自宅内ゴミ処理が義務化されることになるのでしょうか?
共同体破壊思想です。
いわゆるリベラル派の人たちは抽象的にいえば人権擁護・具体的には保育所増設その他個別権利実現に熱心ですが、一方であちこちの反対運動応援にも熱心です。
双方の利害調整の方向性がないままバラバラに八方美人的公約を並べているから、一定レベル以上の国民支持を得られません。
ボルトン氏の暴露本?では韓国の文大統領は統合失調症の人だと書いていて韓国では大騒ぎですが、いわゆる世界のリベラル派の言動に大方当てハマりそうです。
日本では、杉並ゴミ戦争で有名になりましたが、民意重視という原則論だけではどうにもならない・・民意重視とはいろんな意見を求めて、出てきた相反する利害調整に努力し一つの方向性を出す・・成果をあげるという意味です。
この処理がもたついたことにより美濃部都政は利害調整能力不足を露呈し以来革新系都知事候補は信用を失い現在に至っています。
都議会でも国会議員でも旧社共系あるいは立憲民主系の数は微々たるものです。
https://www.gikai.metro.tokyo.jp/outline/factional.html
各会派等の構成(令和2年3月9日現在)

日本共産党東京都議会議員団 18(うち女性13)人
都議会立憲民主党・民主クラブ 5人
現員 123(うち女性36)人

上記によれば約1割の議席しかありませんが、6日投開票の都知事選結果も似たようなものです。
https://www.asahi.com/senkyo/tochijisen/2020/kaihyo/によれば、保守系(現職)小池百合子氏59、7%、立憲、共産等の旧革新系野党推薦?の宇都宮健児氏13、76%となっています。(その他大勢の立候補者がいますので合計100になりません)
いわゆるニンビーは本来無理筋の論理・全般的整合性がない・・公共の利益と調和しない・・両立し得ない主張です。
NIMBYという専門用語があるようですが、ウイキペデイアによれば以下の通りです。

NIMBY(ニンビー)とは、英語: “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である(「総論賛成・各論反対」)。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」[1]「嫌悪施設」[2]などと呼称される。

総論賛成各論反対・・国や地域に必要な施設であることはわかるが、自宅付近は嫌!という自分勝手な論理ですから全国基盤のある政党の支持は受けられないのが普通です。
県内対立や市内対立の場合、知事や市長が困ります。
困難な斡旋仲裁努力を放棄して弁護士に投げて来る事案が増えてきました。
杉並ゴミ戦争は、結局訴訟に進み裁判所の和解勧告で終わったものです。
この数十年複雑な利害対立を政治の場で解決できなくなってきた、諫早湾の開門閉門の利害対立も政治家はお手上げで司法に丸投げですが、政治家の解決能力低下というより、紛争当事者がほどほどで妥協する能力がないことが基本でしょう。
少し前の日本社会であれば埋め立てをするかしないかの以前段階(いわゆる根回し)で意見調査委が終わったのでしょうが、それぞれの権利意識(というよりエゴ?)が高まってしまって譲り合うべき着地点を見出せなくなったことにあるのでしょう。
杉並ゴミ戦争のようなエゴむき出しで妥協できない社会になってきた弊害でもあるでしょうし、政治家(国民レベル以上の政治家は出ないので)の方も国民の利害調整役どころか自分自身が国政段階の論争の結果、落ち着くべき決着を受け入れる能力がなくなっていて国会決議に潔く従わずに蒸し返しに使うようになったからでしょう。
ポピュリストというか調整能力のないバラマキ型政治家の場合、外敵(トランプ氏のように国内政敵を煽る→分断社会化)に頼る傾向が多いのはこの所為です。
全うな育児対応能力がない母親の常套手段・・乳幼児をあやすのにガラガラで気を引いたり、ぐずる子供に対して「おまわりさんが来る」と脅すのが(戦後なぜこういう対応が流行ったのか不明ですが)一時流行ったのもこの一種でしょう。

民主主義と利害調整力不全3

民主党の政権を担った主な政治家は旧社会党以来の離合集散を繰り返した野党時代に国家全般の政治との整合無視で特定主張に特化してきた・・自己主張以外は何でも反対の経験しかなかったことが失速の原因でした。
その矛盾がすぐにあらわれたのが、ヤンバダムの問題でした。
野党時代には根拠なく反対さえしてれば一定の支持が得られたのですが、(どんな政治決定にも5〜10%の決定反対の立場・本当はその政策決定に反対でないが反対運動することによって保証金を引き上げたいなどいろんな思惑で普段政権党支持層でも自己利益のために社会党に応援を頼む人がいます)政権をとってみると全体ビジョンが必須(反対層数%の支持だけでは運営できません)になり破綻したのです。
まさか5〜10%の支持を頼りに政治をできません。
基礎的支持層が5〜10%しかないときに消費税反対等の大フィーバーを起こして大量得票をえて政権が転がり込んできた場合、その党のダムその他個別政策に対する支持が多かった訳ではないのですが、従来の反対派としては選挙に勝った以上反対を実行してほしいと期待するので板挟みで困ってしまいます。
経済利害の調整は簡単ですが、価値観相克になると討論による止揚はうまくいきません。
最近先進諸国では価値観にこだわる主張が増えてきたので民主主義の理念で合理的説得によって、より良い結論に至る・・価値観統合・利害調整に失敗し始めている姿が顕著です。
その原因は何か?ですが、どこに道路をつけるかなどの生活要求的意見相違は優先順位程度の問題ですので利害調整が簡単ですし、あるいは墓地等の嫌忌施設の場合相応の経済補償の上積みなどで合意可能です。
ところが、宗教や人種差別やLGBTあるいは日本で言えば嫌中嫌韓、慰安婦問題、その他欧米諸国でも民族感情や宗教論争に類する分野を政治テーマに持ってくるようになると生理的に受け入れにくい、見返り程度の穴埋め補償に馴染みません。
英国でEU離脱論が盛り上がってきて、外国人に職を奪われる・外国人が自由に入ってくるのは嫌だという議論が広がってしまうとEU離脱の経済損得の議論など吹っ飛んでしまい妥協の余地がなくなったのでしょう。
異民族との混在を嫌がる風潮が始まってからの議論では、合理的討論・説得程度で主義主張がころりと変わる訳がないので、白熱した討論をすること自体が相手に対する悪感情を煽る方向に働き対立を深刻化することになりかねません。
ヘーゲル的弁証法・・正反合の止揚が成立する余地のない分野の主張がゴロゴロ出てきて、これが表面化してきたことによって静かな議論による解決が不能になってきたというべきでしょう。
最近ヘイトスピーチ禁止の動きが出ていますが、そうせざるを得ないほど利害集団ごとの憎悪感情に基づく主張が増えてきたことよるものでしょう。
いわば、近代法が予定していた教養と財産のある合理的人間同士の対話の場合、「言って良いこと悪いことの区別」があって、「口に出さない文化」「礼儀」が保たれてきたのですが、(言いたいことがあってもモゴモゴして100分の1くらいしか発言しない文化・・)感情論むき出しで勝負してくる大衆社会化→大衆そのものの意見がストレートにツイッター等で発信されるようになってきたことが大きいように思われます。
旧態然としたある委員会で、弁護士委員だけでなく「この問題は外部(判事検事)委員の意見を特に伺いたいのですが・・」と水を向けても(よそのことにあまり言いたくないのか?)あちら立てこちら立てての立論を経た上で・・・そこはプロですので最後は自己の意見をきっちり発言してくれるのですが、ちょっと聞いていると何を言いたいのか分かりにくい発言から始める人が多いのが現状です。
途中のモゴモゴ的発言が十分に聞き取れていないこともあって、「結論として〇〇でいいのですか」と引き取ることが多いのですが・・。
ただし、上記は古すぎる委員会の特殊事例ですので、誤解のないように付言しますと公共団体での会議の場合は、もともと外部有識者100%の委員会でよそ者が発言する前提ですので初めから論旨明快・・一直線の意見が多い印象です。教養人がほんのちょっと本音を匂わせるだけで意向が通じる社会・・これの究極の姿が平安時代におこなわれていた和歌のやりとりでしょうか?

わが国では古くから露骨な表現は品がないと思われてきた歴史で、平安時代にはこれが極まった時代であったと言えるでしょうか?
和歌というと恋や心の内を吐露する歌ばかり紹介されていますが、政治家はいつも和歌に託して間接的婉曲的表現をしていたのです。
いつも例を引く源三位頼政の以下の歌はその一例です。
平家一門の栄華の陰でいつまでの四位のままで三位(殿上人)に上がれない気持ちを読んだところ、清盛が驚いてすぐに官位を三位に引き上げた故事が知られています。

のぼるべきたよりなき身は木の下に 椎(四位)をひろひて世をわたるかな
— 『平家物語』 巻第四 「鵺」

明治以降言いたいことをいうのが正しいと教育されてきた効果が、上記公共団体での審議会や委員会での活発な議論になってきているのでしょうし、社外取締役が黙って出席しているだけの人は意味がないと言われるようになってきた状態です。
今後ネット会議になってくるとみんながうなづく程度の雰囲気では議論が進みませんので積極的・歯切れの良い発言でないと委員会に参加しているのかすら分からなくなってきます。
ここまでは相応の経験(他事業での成功者など)高度な識見を担保に選任されている以上は「職責を果たすべき」という意味で評価できるし必要な職責でしょう。

豪華クルーズ船対応批判9(米国の対応3)

一応のセオリーをあらかじめ決めていてもいざという場合、環境に合わせて臨機応変にやるしかないことが多いのが実務というものですから、批判するならばルール通りかどうかだけではなく、臨機応変に手順を変える必要があったか、その変更が合理的であったか否かではないでしょうか?
日本のクルーズ船対応批判論にはそうした具体的批判がなくCDCルール違反というだけの形式批判が多かったように見えるのが不思議です。
日本のように検査=陽性が決まった順に下船させ入院させるのではなく、米国の場合陽性が決まった人を寄港地が決まらない理由で船内隔離のまま4日間も放置していたのですから驚きです。
米国の場合3500人全員でなく陽性判明者はわずか21名ですので、米国得意の空輸で簡単に運べたはずです。
昨日紹介記事では陽性判明者21名中19名は乗員でしたが、彼らについては、着岸後も入院させず最後まで船内にとどめていたままらしいのも不思議です。
仮に彼らの入院治療をしない予定であったのであればその他陽性者は2名しかいません。
2名しか出なかった乗客=陽性患者だけでもヘリで地元病院へ何故空輸しないで船内に残したまま船の入港先さえ決められず洋上漂流に委ねていたのか合理性が不明です。
フィリピン人乗員を空輸するのが嫌だったから、まとめて放置したのでしょうか?
文春引用続きです。

なぜ、オークランド港が選ばれたのか?
地元の医療関係者は、ロサンゼルス・タイムズ紙で異を唱えた。
「ウエスト・オークランド地区には、昔から、声高に強く反対しない、低所得のマイノリティー層が居住しているからでしょう。
そんな理由で、オークランド港に寄港を決めたんだと思います」

グランドプリンセス号など豪華客船の寄港などで潤っている華やかな商業港が、いざ感染者が帰ってくるとなると、着岸自体を拒否していて、4〜5日後に近隣の貧しい人が多く住む港にようやく入港着岸できたということです。
米国感染拡大の基礎に大規模格差があると注目され始めましたが、経済格差に伴う一種の不正がいろんな場面で広がっていたようです。
金持ちの声ばかり大きく、貧乏人は声を上げられない社会の鬱屈が、今回のミネソタ州での黒人殺害に対する全国規模の不満の発火点になったのでしょう。
文春レポート引用に戻ります。

約2400人乗客「全員下船」はダイヤモンドの教訓か
無事寄港した「グランド・プリンセス号」だったが、「ダイヤモンド・プリンセス号」とは違い、まず最初に、寄港後、乗客全員を下船させることとなった。これは、乗員乗客を船内で検査し、船内で隔離したために船内感染が発生、697人の感染者と7人の死者(3月13日現在)を出した「ダイヤモンド・プリンセス号」から得た大きな教訓かもしれない。
しかし、CDCは、単に、医療ガイドラインに従っただけとも考えられる。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、医療ガイドラインでは、感染している可能性がある乗客は船内で検査せず、下船させることが推奨されているという。「ダイヤモンド・プリンセス号」は医療ガイドラインを無視して、船内で検査を行ったことが問題だったというのだ。
「グランド・プリンセス号」の場合、医療ガイドラインに従ってか、乗客のウイルス検査を船内ではなく、下船後に搬送される場所で行われることになった。
2400人は「病院」「ホテル」「米軍基地」に振り分け
下船した乗客は体調により、搬送される場所が振り分けられている。
まず、体調が悪い乗客は病院に搬送された。病院で治療を受けて退院した人々は、いくつかのホテルに振り分けられ、14日間の隔離に入ることになる。
感染しているかは不明だが、病院での治療までは必要がない軽い体調不良を見せている24人の乗客は現在ホテルで隔離されている。ホテルは、一般客が宿泊するところからは分離されているので安全だと州知事は説明している。
体調に問題がない乗客は、4つの米軍基地の施設に振り分けられることになった。乗客の大半を占めるカリフォルニア州の住民は州内のトラヴィス空軍基地かミラマー海軍基地に、それ以外の住民はテキサス州の基地とジョージア州の基地に送られて検査を受け、14日間の隔離に入っている。
外国籍の乗客はチャーター機で自国へと送還されることになった
船内では「牛のように並んで順番を待っていた」
下船作業はスムーズに進んでいるとは言えない。寄港2日目の3月10日までに1407人が下船したものの、10日時点ではまだ1000人以上が船内に取り残されていた。
また、下船風景を見た乗客からは感染を恐れる声もあがっている。
「乗客がまるで牛のように並んで降りる順番を待っていたわ。みな1カ所に集められ、体が触れ合っている人もいた。タラップは渋滞状態だった。彼らは、チャーターバスに乗せられて行ったわ。それを見て、とても怖くなった。あれでは感染してしまうわ。あんな風に下船して安全ということなら、なぜ、私たちは5日間も部屋に閉じ込められていたわけ?」

豪華クルーズ船対応批判3

船内検査を選択したから膨大な感染拡大が生じたというのが岩田氏の立論のようですが、彼の論理によっても厚労省統計を見ると現時点でも、クルーズ船感染者数が712名に過ぎず、かつ予定されていた横浜市内病院で一箇所で全員収容できている様子で行く先がないというトラブルが報道されていません。
以下厚労省発表データです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11879.html

新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(令和2年6月15日版)
3月15日、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客のうち、船内で14日間の健康観察期間が終了し2月19日から23日にかけて順次下船した計1,011人の方への健康フォローアップが終了しました。
【6月14日24時時点の状況について】

表の引用できませんが、PCR検査陽性は712名となっています。

※1 那覇港出港時点の人数。うち日本国籍の者1,341人
※2 船会社の医療スタッフとして途中乗船し、PCR陽性となった1名は含めず、チャーター便で帰国した40名を含む。国内事例同様入院後に有症状となった者は無症状病原体保有者数から除いている。
※3 退院等している者655名のうち有症状360名、無症状295名。チャーター便で帰国した者を除く。

陽性判明次第即時入院させていたし、当初人数が大したことがなかったので医療施設不足で下船させなかったのではありません。
もっとも感染の有無を問わず3700人全員を一まずホテルに収容するのは武漢からのチャーター機のように少数者をホテルに収容するの違って、大量受け入れ可能な民間施設がないので無理だったでしょうが、岩田氏は医療施設に限定しています。
医療施設であれば、発症者から順に受け入れれば少数で済むことです。
岩田氏は、問題にならなかったことを問題であったかのように主張し、(そこから船内対処の方が完璧にできるかのような主張で押し切った勢力(厚労省官僚)があったかのようにイメージさせた上で、船内検査の方が良いという以上は)完璧であるべきという結論を導いているようです。
上記を見ると当時問題であったのは、感染していてもコロナの症状が出ない(潜伏期間が約2週間と言われていた)状況で、潜伏期間中の人や未感染者などの分類作業をするために必要な一定期間の待機場所・ホテル等の手配可能性と乗客の内どれだけが検査やステイに応じるかの問題だった可能性が高いでしょう。
岩田氏は、感染症対応医療機関のキャパシテイ不足を主張しながら流石に問題があると思ったのか周到に「最初のジレンマ」と言っていて、本来のジレンマがあった逃げ場も用意しながらそれを伏せたまま議論を自己の主張の正当性化に進めていくようです。
本来のジレンマでないことを論争点に持ち出して、その議論の結果船内検査に決めたならば乗客のためにより良い医療サービスを目指すものだという前提を読む者にイメージさせます。
「その判断が間違っていたのかどうかわからないが」と言いながら「そういう選択をしたのであれば、船の中の感染対策は完璧にする必要があった。」と言い切ってその後の論理を進めています。
下船させて検査するか船内検査かのキャパシテイの優劣を競うだけならば上記のように、発症者優先で近隣指定病院搬送したりできる範囲で分散入院させたり、船内に一部残したりする手間暇を惜しむかどうかの違いに過ぎません。
一律外出禁止令でなく自粛要請の場合、個々人や業界ごとの工夫次第で3蜜を防ぐ工夫が生まれるるのと同じで、物事は現場工夫力が重要です。
彼は米国留学によって、米国式感染症対策を学んできたのが「売り」でしょうから、欧米式に個人工夫を禁止し、社会的にはロックダウン・・個々人の事情や工夫余地のない上からの一律強制とそれを指揮する米国CDCのような司令塔が存在しない日本の厚労省指導体制がバカくさく見えたのでしょうか?
古代から現場力重視・ボトムアップ社会の日本社会では、強力な司令塔を設置して個々人努力を積極禁止するロックダウン政策は国民性に合いません。
岩田氏のいう「最初のジレンマ」とは「ジレンマ=両立できない相克」ではなく、素人の私が数秒読んだだけでもすぐに思いつくように、発症程度等による優先検査順位や分散処理する手間さえかければ良いのでないか?
その場合どういう問題が生じるかの事前予測と準備の問題ではないでしょうか?
そんな程度のことはジレンマとして議論にもならないし、現場におろしていけば司々で普通に処理していく普通の準備行為ではないでしょうか?
そんなことを準備会議で大げさに主張しても、議長は「そうだね現場からの相談には丁寧に応じる必要がある」程度で応じて「丁寧にやってください」程度の指示を事務方にして、議長は次の重要なテーマに移っていくのが普通です。
・・岩田氏はちょっと工夫すれば良いことを工夫の余地がないジレンマと理解し二択しかないと思い込んでいたのでしょうか?
昨日紹介した岩田氏の主張を読むと岩田氏は米国留学で得た知識を前提に米国ではCDCという強力な司令塔があるのに、日本にはなく指揮命令系統が「ぐちゃぐちゃ」だという批判精神が先立っている印象を受けます。
専門家でない厚労省官僚が仕切っていることに対する批判が結論として重視されているような表現になっている印象です。
岩田氏が考えるように、キャパの比較が重要テーマであったとすれば、(彼はそれを「最初のジレンマ」と称して議論のテーマが他にあったことを示唆しながら他のテーマを紹介しないまま、キャパの優劣論だけを議論の正統性の根拠に持ってきた議論を展開しています)の主張通り下船→陸上での受け入れより船内検査の方がより良いものである必要が論理上出てきそうです。
ただし「陸上病院以上であるべき」という主張が限界で「完璧」を要求するのは論理飛躍があるでしょう。
岩田氏のいう「最初のジレンマ」しかテーマが(2番目以下のテーマが)なかったにしても、世の中に完璧なシステムがあるのでしょうか?
いろんなシステムあるいは製品も研究も試作品→製品化→現場利用によるフィードバックによって日々改良されていくもので世に出る当初から完璧でなければならないというものはありません。
岩田氏の生きている医療分野でも医薬品に限らず、医療機器あるいは医師の技術そのものに至るまで、医師になった以上完璧であるべきと言えるでしょうか?
岩田氏自身医師資格を得てからあちこちで研鑽を積んで現在があるのであって、取得時から現在の能力を持っていたとはいえないでしょう。
クルーズ船内という特殊環境下で、しかも3750人近くにも及ぶ大量検査を初めてする以上、何が完璧かの定義自体が意味不明です。
その点は措くとして、そもそも船内検査選択したのは、下船後検査環境以上の検査設備・体制があるという理由で決めたのであれば、陸上受け入れよりも環境が良い前提になるべきですが、そもそもそういうことは議長が「わかりました下船の場合には事務方に指示しておきましょう」程度で次の議題に移れば良いレベルなので本来の議論対象・テーマではなかったのでないか?
違ったテーマで船内検査が決まったのにこれを意図的に隠して論点すり替えしてるのではないか?
善解すれば、先決重要論点を理解できなかったかの疑問です。
「最初のジレンマ」といいながら2番目以下のジレンマに触れないで「最初のジレンマ」だけを前提に批判するのが不思議です。
上記の通り、キャパ優劣問題であれば多様な解決策が可能であった=ジレンマでなく工夫レベルの問題であったので、仮にジレンマという二択のバーターになるべき選択テーマがあったとすれば、別次元のテーマがあったからではないかと私は思います。
すなわちその時のテーマは下船後外国人が検査拒否あるいは滞在拒否して国内観光に出てしまった場合どうするかが、重要テーマだったのではないでしょうか?
クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号入港は2月3日で、直前1月29日に武漢からチャーター機で帰国した邦人が政府の用意したホテルでの滞在要請も検査要請も拒否して帰ってしまった例を6月11日に紹介しました。
このころの報道ではチャーター機救援に当たっては政府は、救援対象者として、帰国後の一定期間隔離(三日日ホテル全員収容)と、感染検査を受けることの承諾を得た人限定で帰国希望募集していたと報道されていました。
それに応じて承諾書に署名(多分署名をとっているでしょう)したのに?帰国できた途端に法の根拠がないことを理由に?検査協力を振り切って帰宅してしまった人が2名出たという報道でした。
このように見ると日本の官僚の用意周到さに驚くばかりです。

専門家の責任3(元農水次官事件と戸塚ヨットスクール事件)

従来あった保護義務者同意制度も平成25年に廃止されましたが、99、99%の人は、真に困った家族の相談であって違法目的で最愛の息子(発達障害の場合女性は暴力を振るわないので家族の許容量次第でなんとかなるようですが)を入院させたい人はいないでしょうが、それにしても手に負えなくなっている息子の粗暴行為の原因が素人にはわからないので専門家に相談したいという動機であって、治療でない暴力によって制圧してほしいとまで思っている親は稀でしょう。
昨年農水省元次官が社会に迷惑をかけられないと息子を自ら手にかけた事件が報道されていました。
元農水事務次官長男殺害事件に関するウイキペデイアです。

2019年5月25日、それまで一人暮らしをしていた長男Eが自宅に戻り、父親Kと母親と長男Eでの3人の生活が始まる。(父親Kの供述によると)その直後から長男Eによる激しい家庭内暴力が有り、父親Kと母親はおびえて暮らすようになっていたという[5]。
長男Eは外出せずオンラインゲーム等をして引きこもり状態の生活をしていたが、2019年6月1日、近所の小学校の運動会の声がうるさいと腹を立て父親Kと口論になったという[6]。この数日前の2019年5月28日に、川崎市登戸通り魔事件が起きており、父親Kは(逮捕時の供述によると)「息子も周りに危害を加えるかもしれないと」不安に思い、刃物で長男Eを殺害した[7]。長男Eは数十箇所を刺されており、初公判でも「強固な殺意に基づく危険な犯行」とされた。

これにそっくりな発達障害の子を抱えた経緯の事件が約23年前の金属バット事件でした。

https://toyokeizai.net/articles/-/320929?page=2

引用省略しますが、親が精神科医に相談しても子供のために尽くしてやれと言うばかりだったようです。・・障害児を持った親の不幸ここに極わまれりという感じです。
入院を求めている家族や介護関係者による・・子供を思わない親はいないとしても「この人は如何に手に負えないか!」の過去に起きた事例説明は利害対立可能性のある人の主張も含まれる点が難しい・・悪意で利用され、これと倫理観欠如病院がマッチするととんでもない人権侵害になったのが宇都宮病院事件でした。
そんな悪質病院は万に一つしかないとしても、学問上精神障害になる原因が明確でなく、症状による判断しかない→症状も熱が出るとか咳が出るなどの客観性がない・・周辺の説明に頼るしかない・診断基準客観化が進まない以上は、事後的な外部透明性が必須と言うのが教訓だったのでしょう。
まして宇都宮病院事件のように、入院させたのが兄弟の場合(遺産分けなど利害がある場合もあり)はなおさらです。
シンナーや覚せい剤中毒の場合には血液検査などの客観性がありますが、発達障害や精神障害等の場合、身体的外形的データがほぼ皆無と言えます。
宇都宮病院事件とほぼ同時期に起きた事件では戸塚ヨットスクール事件がありました。
これなども、家族の手に負えない子供をスパルタ式教育・暴力的制圧を標榜する組織の事実上の監禁状態に置くもの・・本人が同意するはずのない剥き出しの酷い暴力宿舎的事件でしたが、これもまさか違法監禁しますと公称していたはずがない・・本人同意による形式になっていたはずです。
戸塚ヨットスクール事件に関するウイキペデイアの記事です。

戸塚ヨットスクール事件(とつかヨットスクールじけん)は、1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。
当初は「戸塚宏ジュニアヨットスクール」の名称で、ヨットの技術を教える教室だった。その後非行や情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミで報じられたことで、親元からスクールに預けられる生徒が増加し、指導内容をヨットの技術養成から非行や情緒障害の更生へと切り替えた。当初は教育界のカリスマとしてマスコミは好意的に取り上げていたが、後に事件が発覚した。
2名の死亡事件が発生した直後に、同事件を題材とした「スパルタの海」がノンフィクション小説として中日新聞に掲載され、映画版(伊東四朗主演)も制作された。

親や周囲に暴力を振るう息子に困り切った両親や親族がいて、こういう事件が起きたのでしょう。
昨日(6月4日)のニュースでは、23歳の男がボーガンとかいう弓で家族(祖母と母、弟)を殺傷し、叔母をも射殺そうとしたところ叔母が近所に助けを求めたことで110番通報で、発覚したニュースが出ています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200604/k10012457531000.html

ボーガンで撃たれ3人死亡 逮捕の大学生「家族殺すつもり」
2020年6月4日 22時59分
(事件内容引用省略)

過去のボーガン事件
ボーガンを使った事件は過去にも起こっています。

去年5月、北海道日高町で、50代の父親をボーガンの矢を放って殺害しようとしたとして当時29歳の男が殺人未遂の疑いで逮捕されています。

以上のように家庭内暴力が行き着いた先の事件がしょっちゅう起きてるので、戸塚ヨットスクールのような需要があったし現在もあることは確かでしょう。
家庭内解決不能な場合、武士社会のように親に生殺与奪の権がなくなったのに、それに代わる公的解決ルールが整備されていない隘路があるようです。
家庭内暴力のうちで、夫婦間のDVには早くから警察が関与するようになってきてその後親による乳幼児や児童虐待にも公的な目が入るようになりつつありますが、子供の祖父母に対するDVへの関与が進まないのは、親の方が強い・親による子供虐待防止方向ばかりの前提で、成人した子供の場合、剥き出しの暴力関係では逆転していることに社会が関心を持たなかったというか、社会変化に法制度が遅れているので親の苦悩がいや増しているのかもしれません。

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