「不法滞在は信号無視程度」か?4(自然犯と法定犯2)

以下刑法犯を例示しておきます。

刑法
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第二百四条 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
第二百三十五条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する
第二百三十六条 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。

傷害、殺人行為は原則違法として逆に正当業務の時だけ違法性を阻却する・・取締法規とは原則と例外が逆転しています。

 

第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
(正当防衛)
第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

傷害罪等自然犯では、「乱用防止やこういう場合だけ許されない」という制度ではなく、そもそも許されない行為という法の仕組みです。
治療に伴う人体侵襲行為はそれ自体で違法行為にあたり、例外的に正当行為の時だけ違法性を阻却され「罰しない」関係でしかありません。
傷害行為は原則違法ですから、一般人の場合には正当行為であったことの主張立証責任がありますが、医療行為のように、正当業務性を立証すれば「罰しない」ことになります。
刃物で言えば、原則として所持できるが、指定の刃物だけ例外的に禁止するだけという刑法とは逆の書き方になっています。
その気になって考えれば、例えば家庭内にある包丁やハサミ鍬や鎌など、日常生活に必要な物が普通にゴロゴロあるのが原則で刃物一般の支持を違法というのは国民意識として無理があるので、特別指定した刃物だけ許可制にしたという仕組みです。
一般過程で使用する料理用の刃物や、子供が鉛筆削りや工作用のナイフ(私が子供の頃にはいつもポケットに肥後守というナイフを皆ポケットに持っていて鉛筆削りや、遊ぶ時に竹やぶなどで篠竹を切って遊ぶ道具でした。)などはもともと自由であり、持つこと自体が構成要件に該当しないのですから、正当行為の時だけ「罰しない」と言う余地がないのとは大きな違いです。
殺人や重傷事案で正当防衛主張の場合にはよほど正当防衛成立が明白な場合以外は、先ずは逮捕して言い分を聞いてから起訴するかどうか決める仕組みです。
医師による身体侵襲行為の場合は身近で正当行為性が常識化しているので、はじめっから違法性がないように皆が思うようになっているだけです。
このように不法滞在と信号無視とは、国民の道徳意識的に大幅な違いがある・不法滞在はそれ自体犯罪で国民の拒否感が強いものです。
これを敢えて「信号無視程度」と公言する神経が不思議です。
現行法制度の説明意見としては、信号無視と同程度ではない・上記の通り信号無視をしてもすぐに懲役の実刑でなく、普通は罰金程度ですむのに対して、不法滞在で検挙されると対応は大違いであるのに、「信号無視程度」という意見は現行法制度無視の意見です。
立法論・・法をこのように変えるべきと言う意見を言うのは自由ですが、法改正を待たずに自分の主張を現行法の解釈として主張するのは事実と違う・一種の虚偽主張というべきでしょう。
このような法改正論と現行制度とを同視する無茶な意見を、立派な意見のように新聞に掲載する新聞も新聞です。
この意見の出典を見ると41^ a b 朝日新聞2000年4月23日ですが、慰安婦報道のミスだけではなく、正邪の判断なしに自社意見方向に合えば現行法無視の意見でも他人の意見として報道することになっているのでしょうか?
ただし、不法滞在制度を本来の主権維持行為の「潜脱を許さない」という場合と違い、労働調整弁としているような場合もあります。
・・・たとえば、表向き就労禁止しておいて好景気・人手不足時には事実上就労黙認・・不景気になると取締強化というような御都合主義的運用になっている場合には、本来の主権維持問題ではありません。
こういう運用が続き、不法滞在者の多くが単なる景気調整弁に使われているイメージに変わってくると、不法滞在者の中でも単なるオーバーステイ者に対する国民の法意識も変わって来るべきでしょう。
今の法体系では、信号無視と不法滞在では明らかに違いますから、上記のような前提主張の上で今後の法改正論(例えば一定期間以上の(黙認の推定)不法滞在があれば、時効取得制度の変形として?強制退去を出来なくするとか、もっと刑罰を引き下げるなど)としての立法論であるならば、それほど間違っていないようにも見えます。

ロヒンギャ問題と在日の類似性(済州島事件)2

ロヒンギャは、通商拡大時代に通商能力の高いイスラム教徒が利を求めて流入してきた、自分で合理的に選んで流入してきた「移民」の集合体であって、(地続きのベンガル地方経由が多いというだけで?)「〇〇民族・部族」という一体性はないとも言われています。
ロヒンギャで出てくるウイキペデイアの解説です。

ロヒンギャが、民族集団、宗教団体、政治結社のいずれであるのか判明していない現在、本頁ではロヒンギャに民族的意味合いを持つ「族」を付加しない。
ロヒンギャのエスニシティを巡る問題は、今も学界で議論中にある[14]。2016年から17年の衝突以前には100万人がミャンマーに居住していたが、国際連合の推計で60万人以上が隣国バングラデシュに避難している[15][16]。
ミャンマーではロヒンギャの存在そのものを否定し、バングラデシュの不法移民であるとの主張から、「ဘင်္ဂါလီ(ベンガル人)」と意図的に呼ばれている。

在日の場合には、ロヒンギャと違い難民としての入国であるために経済基盤がない上に言語能力や、生活習慣の違いもあり、出発点が無一文ですから、経済格差が大きくなるのは仕方がないことです。
この格差は学歴に反映し、次世代〜3世代に引き継がれる貧困の連鎖となったであろうことは想像にかたくありません。
在日に生活保護世帯が多い、犯罪者が多いというのが仮に事実としても、着の身着のままで逃げてきた渡航の事情からすると、ある程度やむを得ない現象かもしれません。
民族レベル差を主張する人もいますが、同じ日本人でも中国残留孤児が、戦後50年経過で戻ってくると、高齢化したとはいえ一応応援する兄弟や親族がいて、しかも日本はすでに世界第二位の経済大国・・豊かになっていても、帰国残留孤児の多くが日本社会に適応できず多くが生活保護に頼っていると言われているのと同じ問題ではないでしょうか?
済州島難民が逃げてきた当時日本自身敗戦後のことでようやく戦後経済が回り始めた時ですから、難民の就職の世話や職業訓練等をしてやる余裕がなかったでしょうし、ほうっておけば日本語もよくわからないまま着の身着のままできた難民が生活に困ったのは当然です。
そういう意味では、在日問題は交通遺児/身障者その他のマイノリティ問題同様に一定の弱者グループの一つと見るべきでしょう。
国内に困っているグループがいる場合、(民族の違いを超えて)国力的に余裕の出た日本民族が応援すべき時期に来ているのかも知れません。
障害者その他弱者救済策は本来能力に応じた待遇の原理に反する優遇策・・結果平等論ですから、見方によっては特権的地位と言えなくもありません。
弱者相手に人道的弱者救済政策を「在日特権」と批判するのは「心ない」面がありますが、他方で在日が日本の救済政策を感謝するよりは、「植民地支配に対する賠償だ、これではまだ足りない」と言われ、国内外で反日運動されるようになると、弱者救済ではなかったのか?
となります。
生活保護対象でないが「賠償請求権としてふんだくっている」と、開き直られると国民は納得できません。
虐められるから言い返しているのか、どちらが先か知りませんが、私のようなノンポリが気がついたのは、慰安婦騒動が大きくなってからのことでその時にはすでに、これが嫌韓感情に火をつていて、在日批判運動に連動していったように見えます。
在日自己正当化のために反日を煽った結果慰安婦に行き着いたのか、韓国政府が仕掛けた慰安婦騒動で関係のない在日がとばっちりを受けた「気の毒な立場?」か、そこがよく分かりません。
ただ、これまで紹介してきた辛淑玉氏の言動を見ると(メデイアにおだてられて調子に乗っただけかもしれませんが・・)少なくとも在日の一部が率先して慰安婦その他反日運動を煽って来た・それを支持し応援する多数の在日が背後にいるかのように見えますが・・。
あえて、日本社会で揉め事を大きくしておいて辛淑玉氏のように外国に逃げられる人はいいですが、そうはいかないその他在日社会にとって決して得なことではありません。
事の本質がマイノリテイ保護にあるならば、多数派と対立を煽ってトクはないでしょう。
病み上がりの人が職場復帰すると同僚にその分しわ寄せが行くのは誰でも知っていることです。
例えば身障者にも相応の職を確保してほしいという場合、それは多数派の犠牲の上になりたつ制度です。
妊婦等が遠慮しなくとも良いように一人多く雇用すれば良いというのですが、そのコストはみんなの働きによっているのですから、直接か間接負担かの違いはあっても企業構成員にとっては結果が同じです。
10分の1程度しか仕事のできない人・・あるいは社内教育の成果が見込めない人でも同じ待遇で雇えと強制されれば、残り9人が自分の成果をその一人に分配することになります。
このようにマイノリテイ論は多数派の負担・応援でなりたつものですから、障害者等がこの本質を忘れて権利として要求するようになると白ける人が出てきます。
まして少数派が、さらなる好条件獲得を目指して、多数派の悪口誹謗まで始めるようになると「許せない」と思うひとが増えてくるでしょう。
しかも、一定率の雇用を法で義務付けられるとお金だけの負担で済まないので、多くの企業が困っています。
この1〜2週間ほど、旗振り役の中央省庁自体が身障者雇用率の基準を下回っている実態が報道されていますが、現場としてはその負担が大きい・・理念の上滑りの実態が垣間見えます。
ものごとは行きすぎてはいけません。
中央省庁や大手企業では、末端作業分野を分社化しているから、こういう問題が起きるのです。身近なところでは、銀行が窓口業務などの末端作業の事務作業を子会社からの派遣作業員に切り替えたことが知られていますが、官公庁も民間への指定管理者制度ができて(美術館公民館〜〇〇ホール〜コミュニテイセンタープールなど)非正規雇用に切り変えられるようになっています。
指定管理者制度当初より選定委員をやっていますが、どこの大手業者も正規?雇用は所長程度であとはほとんど非正規という陣容です。
数十年前には、登下校通路で旗を持っていた「みどり」のおばさんの年収が4〜500万円だったかでニュースになっていましたが、こういう分野は民間委託、何でも公務員の時代が終わったのです。

http://5513shigoto5513.com/archives/375
2018年1月24日 / 更新日 : 2018年6月14日

学童擁護員と言われるとあまりピンと来ない人も多いかもしれませんが、「緑のおばさん」と言えばわかる人もたくさんいると思います。
学校の通学路に旗をもって子供たちが安全に通学できるように誘導してくれる人のことで、皆さんの子供の頃にお世話になった人がほとんどだと思います。
臨時職員が安易に正職員となった例をあげると、小学校の通学路などで子供を安全に誘導する「みどりのおばさん」(学童擁護)は夫を亡くした女性の失業対策事業としてスタートした当時は日雇いでしたが、非常勤職員を経て、1965年から正規職員に格上げされました。
江東区の場合、その月額給与は67万円で年間で802万円(平成13年度実績)にもなります。朝夕の登下校時以外は学校の清掃業務などに当たるというが、実働2時間半の業務内容にこの給与は見合っているでしようか。
引用元:http://hen.kooss.com/archive/2004/1206002.html

今でも生き残っていたとは知りませんでしたが、一旦正規職にしてしまったので、解雇できず残っているのでしょうか?
「緑のおばさん」も身障者や精神障害者では事故のもとで、困ります。

軍事政権批判論?(ミャンマーの場合)2

欧米の軍政批判〜人道主義論をうがった見方・悪意で見れば、英米はようやくトロイの馬のごとく仕立てたスーチー氏の政権獲得に成功したものの、したたかなビルマ人の能力が上回っていた・・・欧米の評価の高いスーチー政権に看板だけ与えて、経済制裁を免れた上で、直ちに欧米傀儡(獅子身中の虫)のロヒンギャ潰しに動いたと見るべきでしょう。
あるいは民族間紛争棚上げ目的で、ロヒンギャ駆逐に一致団結しているかのように見えます。
ロヒンギャだけなぜ、国民一致の標的になったかの疑問ですが彼らが英国の分断政策に乗ってしまったことが大きな原因のように見えます。
昨日見た「移民国家」という説明を読むと(全部引用していませんが)いろんな部族が次々とやって来た点ではロヒンギャも同じですが、最後にやって来た新参であるにもかかわらず・・逆に新参で最も弱い立場であるからこそ、挽回のために世界の強国英国の後ろ盾を利用して先住既得権益者を追い払う逆転を狙った点が嫌われたのでしょう。
どの部族も武装解除に応じないままの停戦協定というのですから、各部族はそれなりの怨恨の歴史があって相容れない関係でしょうが、それでもビルマ領域内・一種の世界内での土着民族内に争いという共通項を持っているのでしょう。
日本は古代から列島内を一つの「天下」と見て来たし・・列島外からの侵略には一致して戦ってきました。
ギリシャ都市国家は「いざとなれば一致団結して戦う」この精神の母体をヘレネス信仰?と言ったかな?特別なことのように高校歴史で習いましたが、今考えればどこの地域でも地域内紛争と外敵の関係は同じでしょう。
スーチー氏政権獲得(16年)とほぼ同時にロヒンギャ襲撃が過激化したのは偶然の一致ではないでしょう。
一橋慶喜が京都で総裁職だったかについていた時に、旗揚げした(というより地元水戸で主流派に追い落とされたので集団逃亡したような経緯ですが)水戸天狗党が彼を頼って各地転戦しながら京に向かったのですが、北陸に至った時に肝心の慶喜が討伐軍のトップについてしまい、結果的に天狗党の大方が処刑されたことがあります。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9201

2017年3月30日
スーチー政権発足から1年、早くも難局にさしかかる政権運営
藤川大樹 (東京新聞記者)

ミャンマーで昨年春、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)の新政権が誕生した。半世紀にわたり国軍の強い影響下にあった同国で、選挙による民主勢力への政権交代は歴史的な快挙だった。あれから、間もなく1年。国民の熱狂は次第に冷めつつある。国際社会も、西部ヤカイン(ラカイン)州の少数派イスラム教徒ロヒンギャに対する人権侵害疑惑に厳しい視線を向けている。実務能力を欠く新政権に、国軍は早くも見切りをつけたとみられ、アウンサンスーチーの政権運営は難局に差しかかっている

欧米はスーチー氏に、ロヒンギャ問題の解決を求めているもののスーチー氏もこれには応じられない状態です。
国連調査団さえ入国国拒否せざるを得ないのが、スーチー政権の現状です。
https://jp.reuters.com/article/myanmar-rohingya-nobelpeaceprize-idJPL3N1VL094

2018年8月30日 / 09:59
スー・チー氏のノーベル平和賞剥奪ない=委員会事務局長
スタバンゲル(ノルウェー) 29日 ロイター] – ノーベル平和賞の受賞者を選定するノルウェー・ノーベル委員会は29日、ミャンマー軍がロヒンギャ族に対して大量殺りくを行っているとの国連報告を踏まえても、政府を指導するアウン・サン・スー・チー国家顧問のノーベル平和賞剥奪はないと表明した。
アウン・サン・スー・チー氏は民主化運動により1991年にノーベル平和賞を受賞したが、ラカイン州における軍の弾圧に反論していないと批判されている。

鎌倉幕府が都から源氏の将軍を歴代迎え入れていたのと同じ構図です。
欧米諸国はアウンサンスーチーを鳴り物り入りで応援していた手前、どうして良いかわからないようです。

ロヒンギャ問題3(日英の恩讐2)

ウイキペデイアの続きです。

2016年10月からの掃討事件
2016年10月9日、ラカイン州で武装集団の襲撃があり、警察官9人が殺害された。当局は実行犯8人を殺害し、2人を逮捕した。当局は記者会見で、犯人はロヒンギャを名乗っていたと述べ、ラカイン州政府幹部は、ロヒンギャ連隊機構の犯行との見方を示した[68]。ミャンマー軍は過激派掃討作戦を口実としてロヒンギャを攻撃した。
2017年前半の展開
5月2日、アウンサンスーチーは欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表と会談し、国際調査団の受入拒否を表明した。外国メディアの取材制限についても、「私の村で(治安機関の)残虐行為はなかった」と取材に答えたロヒンギャが、武装勢力に当局の協力者とみなされ斬首された事件があったと述べ、理解を求めた[8
2017年8月からの「掃討作戦」
9月28日、国連安全保障理事会は、ロヒンギャ迫害について公開会合を開いた。グテーレス国連事務総長は、8月25日の武力衝突以来の難民が、少なくとも50万人に達したと述べ、さらに25万人が潜在的に家を追われる可能性があると指摘した。
10月16日、ミンアウンフライン最高司令官はフェルトマン国連事務次長(政治局長)との会談で、改めて「「ベンガル人」はミャンマーの民族ではない。1942年に(「ベンガル人」によって)2万人以上のラカイン人が殺されたこと[注釈 8]こそが真の歴史であり、隠すことはできない」と主張した。そして、ミャンマー軍は「ベンガル人」による不法占拠や「ベンガル人」テロリストに合法的に対処したまでとして、(「ベンガル人」では無い)地元民のために安全対策を取る必要があると主張した。
12月5日、国連人権理事会で、ミャンマーによるロヒンギャへの「組織的かつ大規模な人権侵害」を「強く非難」し、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議が賛成33、反対3、棄権9で採択された[127][128]。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった[
12月24日、国連総会で、イスラム協力機構(OIC)の提出した、ミャンマー政府にロヒンギャ難民の全帰還や完全な市民権の付与、援助関係者の接触容認などを求める決議が賛成122、反対10、棄権24で採択された[141]。反対はミャンマー、中国、ロシア、ベラルーシ、カンボジア、ベトナム、ラオス、フィリピン、シリア、ジンバブエ。棄権は日本、インド、タイ、ネパール、ブータン、シンガポール、パプアニューギニア、カメルーン、南アフリカ、ドミニカ共和国、ベネズエラなどであった。
2016年10月より、新たに難民となりバングラデシュに逃れたロヒンギャは、2017年6月15日までに7万5千人に達した。さらに、8月25日の武力衝突から12月17日までの間だけで、65万5千人に達した。以前の難民を含めると、80万人以上が難民となっている[1
日本政府の対応
2017年8月4日、日本財団の招きで来日したミンアウンフライン軍司令官が、安倍晋三首相を表敬訪問した。日緬防衛協力などを会談し、「国民和解や少数民族支援」にも触れたが、ロヒンギャについて特段の言及は無かった[156]。
8月29日、外務報道官は武装勢力による治安部隊への襲撃を「強く非難」した。その一方、アナン委員長らによるラカイン州助言委員会の最終報告書の勧告履行へのミャンマー政府の取り組みを「支援」すると表明した[157]。
9月19日、河野太郎外相は、改めて武装勢力による襲撃を「強く非難」した。一方で人道状況や住民殺害の疑惑、この時点で40万人にのぼる難民流出に「深刻な懸念」を表明した[158]。
11月14日、安倍首相はアウンサンスーチーと会談し、「深刻な懸念」を伝え、治安回復や避難民帰還の実現を求めた[159]
12月14日、安倍首相は訪日したティン・チョウ・ミャンマー大統領と会談した。安倍首相の発言は以下の通りである。1.ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)支援を引き続き進める。2.「自由で開かれたインド太平洋戦略」の下、官民合わせて8千億円の資金投入、文化交流の推進などを行う。3.ラカイン州の人権・人道状況を「懸念」している。避難民帰還に関するミャンマー・バングラデシ合意を歓迎する[166]。

日本政府の対応は、第二次大戦で日英戦に協力してくれたミャンマー批判には応じられない・・しかし現実の人道援助には対応したいというスタンスで日本としては合理的対応です。
ミャンマーも日本の(事実上の)支持を取りつけるために戦時中・日英戦争でロヒンギャが英国についた被害を最近強調するようになったのでしょう。
全体の流れを見ると日本は英米が人道を強調するならば、原因を作った「英国が最終責任を持つべき」と言わんかのような立場で、一貫しているようです。
ただ出身地域?バングラをはじめとして周辺国が冷淡なのには驚きますが、ミャンマーは地域の軍事大国でもあり、関わりたくないからでしょうか?
ロヒンギャとは、民族集団ではなく商業活動活発化に伴い主にバングラ経由で徐々に流入してきたイスラム系商人の総称?であってどこの民族集団とは言い切れない点に特色がありそうです。
それまでのビルマ流入民族は民族としての纏まった入り込みであったのとの違いです。
バングラデシュにとってもベンガル地域経由で流入しただけのことであって、自国民ではないという認識なのでしょう。
イタリア、ギリシャ経由のアフリカ系移民をドイツ、フランス等から送り返されるのはイタリヤやギリシャ等にとって迷惑なのと同じです。
ロヒンギャ問題を人権問題と欧米諸国が騒ぐのは、将来イスラエルの地がアラブによって回復された時に、ユダヤ人の国籍剥奪.迫害などが起きるであろう人権問題の先取り構図・・欧米によるイスラエル建国を正当化するためにイスラエル支持をして来た欧米諸国の予行演習の印象を受けます。
イギリス・欧米植民国家はロヒンギャ問題を作り出した原因国ですから、欧米の人権主張には裏があるように思う人が多い・・そのまま乗るのは無理があるでしょう。
ビルマの中でもアラカン族にとっては、対英戦争の最前線となって痛めつけられた歴史があるので、ロヒンギャについては最強硬になっているし、ビルマ→ミャンマー全体では一部の問題ですが、沖縄問題同様に全ビルマとしても潜在的独立主張を持つアラカン族の主張を無視できません。
日本で言えば蒙古襲来の被害を受けた壱岐・対馬であり、対米戦被害の大きかった沖縄県民意識・米軍存在を許せない意識でもあるでしょう。
長年欧米諸国は、ミャンマーの軍事クーデターを理由に経済制裁を続けてきましたが、要はイギリスからの独立を武力でもぎ取ったことに対する嫌がらせのように疑われかねない微妙な関係です。
ミャンマーに関するウイキペデイアの記事からです。

2007年、アメリカとイギリスは軍事政権にアウンサンスーチーを始めとする全ての政治犯の即時釈放を求める非難決議を提出し、1月12日国際連合安全保障理事会で採決した。
しかし、中国とロシアが拒否権を発動し、否決された(賛成は米、英、フランスなど9カ国。反対は中、露、南アフリカの3カ国。棄権はインドネシア、カタール、コンゴの3カ国)。ASEAN諸国では、軍事政権への非難には慎重論が強い。
イギリス人を夫に持つ、アウンサンスーチー氏を最大限持ち上げる欧米メデイアを奇異に感じていた人が多いと思いますが、独立したばかりのビルマを民主化という大義名分利用で虐めていただけのように、受け止めていた人が多いでしょう。
日本とビルマの関係は敗戦後も日本に帰らずに、ビルマの独立を支援する人が多くいて、敗戦後も現地に残って独立戦争の軍事顧問訓練教官的役割を果たしてきたことが知られています。
ミャンマーに関するウイキペデイアの記事続きです。

ビルマは1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきた。特にネ・ウィンは親日的な政策をし、このことがBSPP時代の巨額の二国間援助に影響を及ぼしたともいわれる。
日本は欧米諸国とは対照的に、1988年の軍事クーデター後に成立した軍事政権をいち早く承認した他、軍事政権との要人往来や経済協力による援助を実施し続けてきた。
1981年4月、ミャンマー政府は独立に貢献した南機関の鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」の授与をおこなっている[45

ヘイトスピーチ10(米国憲法論の推移2)

https://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/review_2014-03.pdf
アメリカにおけるヘイトスピーチ規制論の歴史的文脈
昨日引用の続きです。

こうした中で、大学でのスピーチコードを支持する立場を明確にしていたのが、「批判的人種理論」と呼ばれる立場に立つ法学者たちである。
・・・・彼らの主張はアメリカの法学界ではあくまでも少数派であり、連邦あるいは州レベルの議論に目に見える影響を与えるには至らなかった・・
ローレンスの議論は、言論と行為の区分を安易に前提にすることの問題点を示すことで、ヘイトスピーチ規制を否定する一方でヘイトクライム法については認めるアメリカの法制度を批判するものである。

※「言論と行為の区別」批判論の前提とするヘイトクライム法は、既存の刑事罰行為をヘイトに基づく場合に刑を加重する仕組み・客観「行為」を必須要件とするものらしいです・・。
本日現在のヘイトクライムで検索するとでるウイキペデイアによると以下の通りです。
ヘイトクライム判決強化法(1994年)[34] — 1994年暴力犯罪制御法執行法の一部として成立しており、差別犯罪をした場合は通常の犯罪の刑罰より反則レベルを3段階厳しくし重い刑を適用するよう米国判決委員会の判決ガイドラインを修正するもの[35][36]。マシュー・シェパード法(英語版)

、殺人罪でいえば、アメリカの場合、1級殺人2級殺人が当てそのほか謀殺とか故殺など細かく分かれているので、これに殺人動機によって刑を重くするように足していくのは比較的簡単です。
ヘイト批判が起きるとヘイト自体を罰するかではなくヘイトに基づく犯罪の場合には、加重要件に加えるかどうかというだけのあんちょこな議論に収束していき易い制度と思われます。
日本の場合、例えば殺人で言えば死刑〜無期懲役〜有期懲役〜執行猶予までの範囲で裁判所が介護疲れなどの動機原因や行為態様や計画性〜被害感情などすべての事情を総合判断して量刑を決められます。
ですから議論としては、ヘイト犯罪の刑を何年にするかの議論よりは、そういう犯罪類型を認めるかの議論が先になりがちです。
ヘイト犯罪が認められれば、千差万別の態様に応じて裁判所が法定刑の範囲内で量刑をを決めれば良いことになります。
この結果ヘイトスピーチが犯罪にするかどうかが、先決的大きな議論になります。
法定刑の幅が広い日本では、日本で罰則を伴わないまでも「ヘイト取り組み法」(私の勝手な略称)ができたことによる価値観的影響・・国家意思としてヘイトを許さないことが公認される(予定でも先取り可)と、量刑に当たって裁判所が犯情に自動的に組み込む仕組みですので、その実務的影響は甚大なものがあります。
不法行為慰謝料も同様で、何をしたらいくらと言う機械的基準がなく裁判所の総合判断で決める仕組みですから、「ヘイトが許されない」という社会的合意が出来ると裁判所は自信を持って高額慰謝料を認定しやすくなります。
実際に京都朝鮮人学校事件ではまだ法制定前ですすが、世論の後押しがあって?1000万円以上だったか?巨額認定があったという報道があった記憶だけで正確ではありません。
川崎の公的施設使用不許可事件もそのような文脈で読み取るべきでしょう。

② 憲法学者のロバート・ポスト
「表現の自由」を擁護する観点から規制反対論を打ち出している。その際にポストが提示するのは、表現の自由の意義は民主主義の維持発展のために不可欠だという議論であり、表現の自由の規制は、仮にそれがヘイトスピーチに対するものであっても、民主主義にとって不可欠な自己決定の概念を掘り崩すものだと主張する(48)。

③ ACLU)(自由人権協会)前会長の(36)ナディーン・ストロッセン
(1)ヘイトスピーチを規制することはレイシズムの抑止にとって必ずしも効果的ではないこと、またさらに進んで、(2)ヘイトスピーチを規制することはレイシズムをむしろ悪化させうること、である。ストロッセンがこの2つのテーゼを示すに(1)についてはイギリスにはヘイトスピーチに対する法的規制があるにもかかわらず、それが効果を上げているという証拠が必ずしもないこと、(2)についてはイギリスで1965年に人種関係法がはじめて制定された後、最初にこれが適用されたのがブラック・パワーの指導者であり、その後も黒人や労働組合員、あるいは反原発の活動家に適用されていると述べている(49)
。また別の箇所では、先に触れたミシガン大のスピーチコードについて、白人が黒人を訴えたケースが20件以上あったこと、また実際に罰則が適用されたのは黒人の学生の2例だけであったことを指摘し、やはり規制がむしろレイシズムを悪化させうることを指摘している(50)

3-3 90年代アメリカにおける公民権運動の「継承」
表現の自由の原理は、公民権運動との文脈で強調されたにすぎないという視点の強調?
4 日本の文脈への含意──結びに代えて
・・・2章で言及した政治学者のエリック・ブライシュは、ヘイトスピーチ規制を考える際には、その国ごとの歴史的な文脈性を考慮することが重要になるとしている(57)。また日本の著名な憲法学者である奥平康弘も、アメリカの表現の自由の歴史をまとめた大著のむすびで、次のように書いている。
「ぼくが言いたいのは、従来の問題の局面、すなわち、人びとがそのために犠牲を払いながら挑戦し獲得してきた表現の自由の文脈とはかなり異なるところで、同じ表現の自由を主張するばあいには、それを念仏みたいに唱えるのではなく、その歴史的な正確に適切な形で再構成して語る工夫が必要だろう、ということである。」(58)
・・・日本においてヘイトスピーチをめぐる議論を成立させている歴史的な文脈とは、どのようなものなのだろうか。
日本には一方でアメリカと同様に規制に対してきわめて抵抗が強い土壌があるが、その背景にあるのは、やはり第二次世界大戦の経験ということになるだろう。
ドイツの場合は同様の経験からヘイトスピーチに対して他国よりも強い態度をとることになったわけだが、日本の場合はむしろ言論統制こそが戦争への道を開いたという意識から、逆に「表現の自由」が支持されることが多いように思われる

以上紹介した論文は、アメリカには公民権運動があってそれを保護するためのの表現の自由の強調であったが、(公民權運動が規制されない・昨日引用した通りユダヤ人知識層でも「集団誹謗規制は却って不利」と考えていたことが紹介されています)ためにはヘイト規制を求めると自分たちの運動にもその規制が及ぶマイナスを考慮したと言うようですが、日本にはそういう歴史がないと強調したいようです。
しかし、日本でも米国理論の「相手批判が自分たちにも及ぶ考慮→朝鮮人の過激な日本批判・・天皇や総理の顔写真に竹槍を突き刺すような過激な表現が許されるかの非難がブーメランのように起きてくるのを無視できないでしょう。
「双方ともに行儀良くしてください」というのが、今の国民世論ではないでしょうか?
怒声や罵声を浴びせるような下品な言動は嫌われる筈・放っておけば、市場原理で淘汰されるのではないでしょうか?
実際に在特会に対するカウンター的組織であったしばき隊も、粗暴イメージが浸透した結果、事実上消滅してしまったようにに見えます。
在特会も高額賠償命令に懲りて粗暴な言動を慎むようになったように見えます。

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