国会議決=立憲主義違反?4

法適用時の具体例は、事例集積や常識で決めて行くべきことで、このための判例や許認可の事例集積があるのです。
そう言う具体論は具体的事件に応じて(警官の発砲が違法だったか合法だったか)裁判で判断して行くべきことです。
これを逐一判例全部議論して行かないと採決出来ないと言うのでは、1つの法律を作るだけで司法試験の勉強以上に時間がかかってしまいます。
食品関係の衛生基準のように国民が前もって知っておけば有用な細目でさえそうですが、集団自衛権行使基準のような軍事機密・まさに軍事機密の最重要部分を国会で予め公開で議論すること自体に無理があります。
この場合はどうだと言う細かな架空の想定事例ごとの具体的議論が重要と言う野党の主張自体、法制定の一般ルールに反した主張になっています。
これに応じないと立憲主義に反すると言うならば、立憲主義のお手本になっている文化人得意の「欧米では・・」と言う欧米の法制定時の議論状況をどうして出して来ないのでしょうか?
アメリカの海兵隊創設時にどう言う状態になれば、反撃するようになっているかなど議会で予め議論している国はどこにもないと思います。
NATO創設時などの条約審議で、どう言う場合どう言う応援するのかの細かな議論をしていた国があるでしょうか?
ソモソモ日米安保条約の相手方アメリカ自体が、どう言う場合に日本の防衛に巻き込まれるか・・尖閣諸島で何が起きたらどうかとか、宮古島の場合はどうかなど具体的議論を前もって条約締結前に議会で議論しているとは思えません。
またその議事録があれば、中国関係で緊張したときに日本は「尖閣諸島が防衛対象になる」とアメリカ政府の言明を求める必要がなかったことになります。
要するに立憲主義と言う訳の分らないお題目の基に政府批判していますが、どこの国でもやっていないことを日本の学者?だけが、勝手に創作している概念ではないでしょうか?
(立憲主義の概念自体はあるでしょうが、運用の具体的場面まで議論しないと立憲主義に反すると言う無理さ加減を書いています)
彼らによれば、強行採決も立憲主義違反と言うようですが、彼らの言う立憲主義の定義がご都合的過ぎて意味不明ですが、代議制民主主義とは選挙で選ばれた代議士が手続に従って議論を尽くした後に採決してその結果に従う・・これが後に憲法に違反していると裁判所で判断されれば、効力を失うと言う制度です。
最後の採決に反対することが許されるのでは、国会の機能が果たせませんから、代議制民主主義制度に明白に反する行為・・憲法違反行為であることは確かです。
強行採決することが立憲主義違反と言うマスコミのフレーズ自体が、合理的理解不能です。
憲法上国会は採決を禁止しているとでも言うのでしょうか?
彼らの言う立憲主義とは架空の憲法を前提にしているのでしょうか、あるいはどこかにそう言う憲法を実際に持っている国があるのでしょうか?
19日に紹介しましたがもう一度再掲しておきます。
日本国憲法
第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2  両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

強行採決と言う熟語自体が奇異ですが、採決とは元々この辺で議論を打ち切って採決する・・その効果に強制的に従わせる意味があるのではないでしょうか?
一般的に議長・委員長等の議事主宰者がこれから採決に移りますと宣言して行なうのが普通であって、構成員が一人でも採決に反対すればこれに応じないと言う主張自体が非論理的主張です。
議論を尽くしても対立がまとまらないときには、ちょっと角が立つけれども「ここから先は採決で決めます」と言うときには、強行性があるものです。
裁決と言うのは、元々強行性を持っていると理解すべきであって、強行採決が立憲主義に反すると言う意見自体・・一人でも法案に反対していると永久に法律が作れないと言う意見自体が憲法に反しています。
裁判の「裁」は元々裁断すると言う強行性を持っている言葉です。

資金不足15と人民元流出の攻防4

人民元買い支えを続けるとドル資金(外貨準備)が日々流出して行きます。
日本の小泉政権のように円高阻止のためのドル買いは円紙幣を無限に印刷すれば出来ることですが、自国通貨下落阻止のための介入は買い支えにつぎ込むドル資金がみるみる減って行き、限度があるので、無理があります。
政府による裏での人民元買い支えが終わった・・力尽きた(外貨準備が本当はないのではないか?)と市場で見られると株式どころか、人民元自体の大暴落に繋がります。
中国人民はこれを恐れて早めに売り逃げていると見るべきでしょう。
中国では、政府も国民もお互い裏取引の動向を見て行動する変な社会・・要はルールなき社会になっています。
民主社会とは透明性の重視ですが、透明性の基礎インフラは誰の目にも明らかなルール化です。
選挙制度の有無にかかわらず、為政者は都合の悪いことを国民に知られたくない・・透明性があれば、自然に身ぎれいにするしかなくなりますが、統計や資料を不透明にし、都合の悪いことを報道させなければ、やりたい放題になります。
独裁制と統計等の欺瞞性・これを暴く報道の自由がないことは(ソ連も同じでした)表裏の関係にあることが分ります。
中国では強権社会化=厳しいルール化については、韓非子の時代からの歴史がありますが、それが民意から出たものではなく支配意思貫徹のためのルールでしかなかったのが不幸な歴史になりました。
法の目的がそうですから、国民はこれを自発的に守る意識どころか、逆に如何に潜脱するかの智恵・・ヤミルートが発達してしまいました。
裏取引中心の社会では、透明性とは真逆の社会です。
政府も実態を反映しない虚偽統計発表で羞じるところがありませんし、(企業で言えば税を免れるために虚偽帳簿を作るようなことを政府がやっているのです)何もかも法治国家以前の社会のママです。
国家の衰退が始まると、ロシアやギリシャの例を引いて外貨流出の主役は外資よりは自国民が中心であると28日に書きました。
外資は地元情勢にうといことから対応が遅れることと、違法なことには手を出し難いしこれを目こぼしてくれる人脈もないのですが、地元で生きている人民は経済危機感を肌で知っているし裏社会やお目こぼししてくれる幹部の人脈が豊富です。
今や中国政府は自国民の資金脱出に対するお上の規制と命がけで裏をかく人民との攻防に移っているようです。
日本では危機に際して最後まで組織や砦を死守する人が殆どですが、これは日頃から従業員や構成員を第一にして来た上下の信頼関係によります。
国民と政府、企業と従業員それぞれが裏技を使って騙し合いして来た社会では、相手に利用価値がない・・イザとなれば真っ先に逃げ出すのは当然です。
戦争になれば敵に銃を向けずに前で戦うべき自軍兵士が逃げたら射つように見張っている中国との違いです。
こういう国では、前にいる敵の動きよりも、後ろの上官が逃げるかどうかをいつも見ていて、上官の動き次第で1秒でも早く自分も逃げるチャンスをうかがうのが真っ先にやるべきことですから大変です。
負けそうになれば真っ先に逃げ出す兵士と日本では最後の一兵まで死守して戦う兵士・・何かあれば従業員が先に逃げ出す社会との違いです。
半年ほど前に起きた長江のフェリー事故、1年前の韓国のセウオール号事故、あるいはイタリアの客船事故でも同じですが、真っ先に従業員が逃げる国・・精神の基礎は、こうした歴史の違いによります。
(イタリアも民族国家意識の低いヤミ経済国として有名です)
外貨資金流出攻防劇は、兵士の敵前逃亡防止策とこれに対するすり抜け策の現在版と言うべきでしょう。
ギリシャやロシアでは外貨の動きは自由ですが、中国は2000年の歴史上専制支配しか経験がない・・1回も自由がなかった・規制している分、自衛のためにヤミルートが歴史的・日常的に発達しているし活発です。

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