原理主義と利害調整2

以下は当然のことながら、私個人意見ですが、平和の対極にある戦乱ほど人権侵害の大きなものがありませんから、人権保障のためには平和を守ることは重要です。
しかし、それと平和をどうやって守るかの具体論の相違(どの程度の軍備が必要か、どのような配置が良いか)・非武装のまま敵が攻めて来れば異民族支配下に入って屈従している方がより大きな人権侵害ならないか等の意見は、弁護士会が関心あるべき人権擁護から遠く離れた政治問題・政治で決めるべき問題です。
国民の人権を守るためには、国内治安維持が必要だと言えますが、その予算はどうあるべきか、誰を課長や主任にすべきかまで行くと人権擁護との関係が遠くなり過ぎて弁護士会として、意見を言うべき問題ではないことは誰も分るでしょう。
特定担当刑事等の人権侵害行為があったときに限って、個人資質を問題にするのが関の山でしょう。
自殺多発化すれば、人権上重要ですが、個別のイジメの結果については弁護士の出番ですが、総体として増えているのを減少させるには先ず経済の底上げが重要ではないか、どうすれば底上げ出来るか・高齢者の病苦を原因とする自殺増加は・・など論点がいくつもあります。
安倍政権になって経済活動が活発化した後の統計では、結果的に自殺数が顕著に減っています。
このように全ての問題は人権に関係があるとは言え、弁護士会の人権擁護運動は人権侵害に直接的関係のある範囲内にとどめるべきであって、その先は政治=国民が決めるべきことです。
生命は人権の基礎ですから死刑は人権侵害の究極ですが、それと重大犯罪を犯した場合死刑期制度を残すべきかどうかとは別の問題だと言うのも私の個人意見です。
通行の自由があっても信号・スピード規制や運転免許が必要ですし、表現の自由があっても名誉毀損や猥褻画像の禁止のように、いろんな人権は全て公共の福祉との兼ね合いで制限されて行くものですから、基本的人権を尊重しろと言えば何でも解決出来るものではありません。
特定秘密保護法も単に知る権利侵害と言う主張だけではなく、この秘密保持と対テロ対策としての安全性その他各種価値の調整が必要ですから、具体的議論が必要です。
特定秘密保護法のコラムで書きましたが、「知る権利」と言う抽象論ではなく、テロ対策や国際競争力の維持などの観点だけで言えば、(その他もっと多様な並列する利害がありますが・・)官邸や空港の設計図・警備計画や原子炉や宇宙ロケットの設計図など、5年や10年で公開して良いものではありません・・このように利害調整して決めて行くべきです。
イスラム原理主義に限らず、その他いろんな分野で原理主義者と言われるグループが最近目立ちますが、原理原則に固執し妥協しないグループと言えば格好良いし、分りよいようですが、社会運営には妥協と言うよりは、各種価値の競合があって、その調整を必要としています。
「妥協を排する」と言えば勇敢そうな印象ですが、はっきり言えば、各種利害調整の必要性を無視した単純な主張・蛮勇と言うべきでしょう。
共産党や旧社会党に対する国民の支持が一定に留まっていたのは、利害調整を無視して「ぶれない野党」を強調していたからです。
逆から言えば、利害調整のようなややこしいことは出来ないし、理解出来ない・・自分の要求だけ主張していれば良いと言う支持者がこの程度しかいない・・かなり進んだ社会をあらわしています。
現実社会は原理・原則の適用すべき限界・・応用分野で議論(・・いろんな施策に必要な他の予算を削る兼ね合いで今年度予算でどの程度の保育所や信号機を設置出来るかの議論)を必要としているのですから、他の必要性との兼ね合いを何も考えなくて良いから「原理どおりやれ」と言っても何の解決にもなりません。
安倍政権誕生時に少しこのコラムで書きましたが、一定の経済成長が必要と言う点は、長年歴代政権(民主党も含めて)がみんな言って来たことです。
どのような具体的政策を採用し縮小するかで、国民が支持、不支持を決めているし政権担当能力が決まります。
成熟した社会とは、具体的利害調整能力に長けた社会と同義ですから、高度な調整能力のある社会だけが本来の民主政体の成果を享受出来ます。
世界でこれが可能な民族・社会は、英仏独伊を中心とする西欧諸国と日本・カナダくらいでしょう。

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