未成熟社会4(ロシア原油下落)

未成熟社会4(ロシア原油下落)

今後中国の高度成長が低下し賄賂を出せなくなる・・いわゆる都市戸籍と農民戸籍の差別〜一人っ子政策に反しているために生じた無戸籍者など日常的に人間扱いされていなかった層・数億人?にとって、医療その他生活の最低サービスすら賄賂を出せないと受けられなくなるなど大変な状態になると思われます。
結局は、公的サービス水準をどこに置くかによってくるでしょう。
10月19日にロシアの平均年齢のグラフで見たように恐怖政治をやめて国民生活の自由化を進めると却って混乱する社会であることから、エリツインからプーチン(第一次大統領就任・2000年〜2008年)の一強独裁的強面(コワモテ)政治に戻り、治安悪化を止める方向に舵を切って成功しました。
プーチン氏は大統領職連続任期2回限定の憲法を守るため、2008年任期満了とともに部下のメドベージェフ氏に次期大統領を譲り、(その間自分は首相になって事実上実務の全権を握って)同氏の任期満了を待って再び大統領に返り咲き12年から第二次大統領就任〜現在に至っています。
プーチン氏の強権的政策開始と同時頃に運が良くちょうど原油価格の上昇トレンドが始まりと重なったことが彼の強運で長期政権を維持出来ている基礎原因になります。
ちなみにエリツイン氏は、ソ連崩壊後の大混乱を乗り切る最も大変な矢先にアジア通貨危機)98〜99年)の大波乱と原油その他資源安をまともにかぶったことが不運でした。
19日に紹介したソ連平均寿命の最低期は1994〜5年ですが、下記原油相場グラフを見れば底値の頃が、エリ ツインの任期とほぼ重なっています。
本日のウィキペデアによれば以下の通りです。

「ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィンロシア語: Борис Николаевич Ельцин、1931年2月1日 2007年4月23日)は、ロシア連邦政治家で、同国の初代大統領(在任: 1991年 1999年)である。ロシア連邦閣僚会議議長(首相)も歴任した。大統領在任中にソ連8月クーデターに対する抵抗を呼びかけロシア連邦の民主化を主導した評価と共に、急速な市場経済移行に伴う市民生活の困窮、ロシアの国際的地位の低下、チェチェン紛争の泥沼化、強権・縁故政治への批判もあった。」

この15年以上のロシアの復活はプーチン氏の手腕のように見えて実は原油その他資源価格トレンドによるとした場合、下記グラフの通り、2013〜4年に原油価格がピークを打って急激に下がり始めたのがプーチンには痛手です。
平均寿命が急落するような大混乱を収拾して欲しい国民の当面の願望に合わせた強面(コワモテ政治)で成功したのであって、プーチンは・複雑な利害調整で成功した経験がありません。
治安回復後急激な原油価格上昇による豊かさ到来に助けられてきたメッキが剥がれる局面が始まっています。
この数年で頼みの原油価格下落によって、やむなく?国民不満をそらすために?無用なシリア介入やクリミア併合・ロシア伝統の外延政治に戻って行かざるを得なくなった懐具合が見え見えです。
原油価格の推移はhttp://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.htmlによれば以下の通りです。

この15年以上のロシア経済の復活はプーチン氏の手腕のように見えて実は原油その他資源価格トレンドによるとした場合、上記グラフの通り、13〜4年に原油価格がピークを打って急激に下がり始めたのが痛手です。
平均寿命が急落するような大混乱を収拾して欲しい国民の当面の願望に合わせて登場したプーチン氏が強面で成功したのであって、プーチンは複雑な利害調整で成功した経験がありません。
治安回復後急激な原油価格上昇による豊かさ到来に助けられてきたメッキが剥がれる局面です。
この数年で頼みの原油価格下落によって、やむなく?国民不満をそらすためにロシア伝統の無用なシリア介入やクリミア併合・外延政治に戻って行かざるを得なくなった懐具合・内政困難度合いが見えます。
http://toyokeizai.net/articles/-/180689によれば原油価格とロシア経済との関係は以下の通りです。
ケネス・ロゴフ : ハーバード大学教授
2017年07月27日

「ロシアの経済学者グリエフ氏(後に亡命)が、司法などの制度が脆弱なままでは、資源輸出依存のロシア経済が変わる望みはないと主張していた。あまりに多くの決定が1人の人間によって行われていたからだ。同じ会議で私は、大規模な改革が行われないかぎり、エネルギー価格の急落は深刻な問題を引き起こすことになると力説した。
かくして、原油価格は暴落した。現在の市況(7月上旬時点で50ドル以下)ですら、2011〜2012年ピークの半分に届かない。輸出の大半を石油と天然ガスに頼っている国にとっては大打撃だ。
ロシア規模の不況が民主主義の西側諸国で起きたとすれば、政治的に乗り切るのは極めて困難だったろう。だが、プーチン氏の権力は、まるで揺らいでいない。
国営メディアは失政を覆い隠すために、西側からの経済制裁を非難したり、クリミア併合やシリアへの軍事介入への支持をあおっている。たいていのロシア人は、学校教育や国営メディアによって、西側諸国のほうがひどい状況にあると信じ込まされている。残念ながら、そのような情報操作は改革への処方箋とはなりえない。」

こんな苦しい時になぜウクライナ紛争を起こし、クリミヤ併合するのか(純粋経済的に見ても軍事行動は巨額経済負担です)というと、この紛争で愛国・民族主義を煽て目を外に向けるだけではなく、クリミア併合に対する欧米による不当な経済制裁という問題設定をして苦しいのは「欧米の不当制裁」という悲憤慷慨を煽る仕組みに利用しているのです。
・・北朝鮮も不当な経済制裁を煽っていますので、経済制裁ではどうなるものでもありません。

シビリアンと信教の自由3(共産主義とシビリアン)

フランス革命では政体がどう変わろうとも(途中王制復活もありましたが共通の敵?)キリスト教の千年以上にわたる思想・内心統制の復活だけは怖かったのです。
何か外形行為をして処罰されるのはまだ防ぎようがありますが,黙って考えている内心を審査されて処罰されるのって,恐るべき支配です。
内心をどうやって第三者が判定出来るのかの技術問題から,証拠裁判主義の原理が生まれて来たし,証拠と言っても自白だけではなく補強証拠がいると言う原理も生まれて来ました。
自白等に関する証拠法則についてはDecember 9, 2014, 「証拠法則と科学技術5(自白重視5)」前後で紹介していますので参照して下さい。
しかしそれは言わば瑣末な技術論であって,そもそも内心自体を支配しそれを理由に処罰出来る原理・・一神教原理の恐ろしさの自覚・・フランス革命当時の市民はこれからの解放を切実に望んでいたことの理解こそが重要です。
内心支配=違反者処罰の思想が多神教社会では起きようがありませんから,破門されると逃げ場のない社会・一神教支配と表裏の関係にあったことが分ります。
フランス革命の経験では,政体がどのように変わろうとも,市民の心の中まで・日常生活のあり方まで根こそぎ規制する教会・聖職者・・これの強制装置である軍の復権に対する恐れがあったので,これのお目付役としての「シビリアンコントロール」をコトの外重視して来たことが分かります。
制度上信教を自由化しても簡単に社会に根付くものではありません・・いつ反動・復活し、権力と結びつくか戦々恐々だったし、革命の混乱中に王党派などの乱立がありましたが,キリスト教支配復活を主張する党派は成立していません・・それほど警戒されていたのです。
欧米でシビリアンコントールを重視する歴史経緯・元はと言えばキリスト教による内面支配に対する市民の警戒感から始まっていることをこのシリーズで書いて来ましたが,これの反革命・・信教の自由違反を潜脱し一神教支配を復活したのがソ連共産党一党独裁制です。
共産党は宗教ではないから,単なる一党独裁に過ぎない・一党独裁に反するから?宗教自体を認めない・・信教の自由を侵害するものではなくこれが近代社会の究極の形・・市民社会よりも進んでいる?と言う変な論理です。
政権の気に入らない人物の行為を咎めて共産主義主張に反する反党行為であると烙印を押しては粛清・・シベリア送りや処刑する・・芸術表現から何から何まで思想統制していたのですから、結果から見れば近世の魔女裁判との違いが不明で実態は排他的新興宗教そのものでした。
結果から見れば,魔女裁判との区別不明・・いわゆる人民裁判と言うやり方で吊るし上げては、徹底的に排撃していた中国の文化大革命を想起しても良いでしょう。
ちなみに専制君主と絶対君主の違いは一般の説明では分り難いですが,私の大雑把な(粗い)独自解釈では過去から積み上げられた宗教解釈のルールに一応従っているのが西洋の絶対君主(王権神授説はでキリスト教の範囲内で支配する意味)であり,宗教ルールも何も基準がない・・君主の恣意的基準で処刑出来るのが専制君主であると言う使い分けが可能です。
ロシア革命の結果出来た共産主義政権は,専制君主制と一神教による絶対君主制との(支配者にとっては)いいとこ取りみたいな専制支配政体です。
こう言う制度が成立したのは,ロシアが古代社会状況に留まっていたところに近代生産技術を上から導入したことと密接な関係・・先進国の技術導入・模倣するのがやっとでその次の自由な発想を必要としていない・・まだ思想表現の自由を求める市民階層が育っていなかった・シビリアンと言う抵抗勢力がなかったことによります。
人民にとっては,(共産主義思想と言う基本基準・スローガンに毛が生えたような程度?はあるもののキリスト教神学ほどの学問蓄積がないので共産主義の外延が不明です)いつ反党分子の烙印を押されるか不明・・自衛するスベがない点では恐怖政治・・いわゆる収容所列島になります。
専制君主制のときは恣意的基準で君主の癇に障ると一瞬にして文字どおりクビが飛びましたが,その代わり強い者にへつらいさえすれば良かった・内面までチェックされることはありませんでしたが,共産「主義」社会になると「主義」に反する思想かどうか・・内面まで規制される窮屈社会になります。
共産主義は経済原理である以上,日々新たに起きる(国内だけでなく国外の変化があります)経済変化対応が必須ですから、共産主義の内容はキリスト神学のように特定時期の理想に固定出来ません。
社会や産業構造の変化に対応して現場で工夫するといつ共産主義の範疇を越えている反党行為として粛正されるか不明になります。
例えばレーニンのネップ政策のように一歩後退路線も政策的には(物事には妥協が必要です)有効でしたが,これを中下位幹部がうっかりやると粛清の標的にされる恐れがありました。
こう言う政体下では,西洋中世以上の暗黒社会ですから,活発な創意工夫が生まれるわけがない・・せいぜいアメリカの技術を盗んでは真似する・・これは国策ですからお墨付きがあって安心です・・のが限度ですから,(ロケットなどは大資本を掛けて盗めますが多種多様な民生技術窃取は無理なので)民生レベルが低下する一方になった原因です。
中国やロシアでロケットを飛ばせても、おいしいご飯を炊ける電気釜やウオッシュレット、クルマのエンジン1つ国産技術で作れないと言われている原因です。
両国共に国民がスポーツを楽しむ余裕が無くてオリンピック種目だけ集中練習させても、国民の体育レベルが上がるものではありません。
ソ連崩壊後にロシアが政治経済の自由化をしたらめちゃくちゃになった・・揺り戻して身の丈にあった,プーチンによる事実上の独裁制に戻って一息ついているところであるのに対し,中国の場合、改革開放政策がロシアよりうまく行っているのは,辛亥革命まで専制支配しか知らない民族とは言え,社会の発展段階がロシアとは格段に違っていたことにあります。
ただし、中国がロシアより社会構造が進んでいるにしても,日本のように千年単位の時間をかけて健全な市民階層(日本の場合武士層)を育てていなかった点は同じですし,これが一党独裁制(形を変えた専制支配)が未だに機能出来ている根拠です。
中国の社会構造は1君万民体制とは言え,極く少数とはいえ士大夫層が数千年単位で存在していたし,政体・・政治権力と関係なく商業活動は活発でした。
これは以前から書いているように中国地域はメソポタミヤ文明の先進商品販路の最東端として,(ずっと後世の名称ですが)過酷な中央アジアの通商路・シルクロードを経由して来て山を越えて初めて出たところ・・山々を越えて黄河上流域から入って来て一旦落ち着いた場所が黄河文明と言う位置づけです。
伝説上の古代王朝殷を中国では「商」言いますが,まさに「商」のクニが始まりです。
そこから河川沿い拠点を広げて行った歴史・・都市国家・・拠点網の形成から始まったこととも関係しています。
黄河文明?はメソポミヤ文明の東端商業拠点として始まったもので,独自文明ではないと言う意見を10年ほど前から書いて来ましたので,参照して下さい。
攻略軍が入城すると城内の有力者が祝いの酒をもって出迎える・・誰が勝っても(異民族でも)商売さえ出来れば良いのですから,これが古代から繰り返された風景で・・日本軍の南京入城も同じですから,出迎えた南京市民を大虐殺するわけがないのです。
どの政体・異民族も,城内進軍しても折角手に入れた都市の商売を潰すわけに行かないので,(上澄みとして商業社会と関係なく祭り上げられて来ただけ・・特に異民族支配のときはこれが顕著)先行している商業社会そのものを破壊する能力がなく,商売人自体は支配者の変更に関係なく連綿と続いていたことをここでは書いています。
03/27/10「農業社会=世襲→封建制と商業社会=中央集権→専制君主制1」以降に書いたシリーズでは,商業と規制は表裏の関係で馴染み易いことを書いたことがあります・・専制支配と馴染みが良いのです。
物造りになると自由な発想が必要ですが,商人は売れ筋情報を逸早くつかんで・・情報収集に励み急いで真似する・・商機を早くつかんだ方が勝ちでその程度の自由があればその他は規制がきっちりている方が便利です。
これが中国の模倣・・ブランド窃取等に繋がりサイバー攻撃が得意なのは中国商人の歴史によります。
中国はロシアより社会構造が進んでいる面で共産主義の思想統制・内面支配が緩いだけのことで単なる専制支配+商業社会の焼き直し・現在的表現です。
この限界・市民社会未成熟=言論重視=約束を守る社会に至らない点で、限界に突き当たっているのが現状です。
先端技術を盗む・模倣し身につけるだけでは追いつくには容易でしょうが、自発的にその先に進むには限界がある・・世界を指導する模範社会になるのは無理があります。

原理主義の本籍(1神教)2

西洋では長い宗教戦争の時代を経て漸く理性の力で信教の自由を相互に認めあって、殺し合いをやめることにしましたが、これは理性の力によるものであって、1つの価値観だけが正しいと言う基礎精神・心情はそう簡単に変わりません。
日本では権利だの革命だのと言う前の古代からお互いいろんな考え方があると言う意識でやって来た・・心底相手の違う考えを認める社会です。
私の場合、好き勝手な意見をこのコラムで書いている代わりに、読者が賛成してくれても、賛成してくれなくとも、私は気にしません・・好きなように読んでくれたら良いし、勿論読まなくとも良いのです。
2月17日に午前中の東京高裁事件を終えて、日比谷松本楼で妻と食事してから日生劇場で同性愛カップルをテーマにした(80年代にブロードウエー初演大ヒットしたとのことですが)・・のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を見てきましたが、「何で関係ない他人が他人の同性愛に反対するのか、アメリカ社会は窮屈な社会だなあ」と思いながら見てきました。
勿論ミュージカル自体は男性中心スタッフで、ダンスには「切れ」があって、楽しかったですよ!
「アメリカの思想は窮屈」と言えば、アメリカが自分が良いと思っている民主主義とか人権など、一定の価値観が良いとなればこれを世界に押し付けたがる点も、余計なお世話ではないでしょうか?
欧米では宗教戦争を漸くやめて〜市民革命を経て違った価値観を認めることにしたとは言え、考え方の基礎に一神教の価値観が残っているから今度は「民主的でないと行けない」と世界中に強制しようとしています。
他方、ソ連は共産主義が良いとなればこれを世界に広めようとしてコミンテルンを結成して布教?に努めた結果、いわゆる米ソ冷戦が起きました。
要は一神教の原理から逃れられず、どちらの生き方が良いかの決着を付けるためには戦争まであり得る前提でしたから、一種の第二次宗教戦争の意識で双方で頑張って来たことになります。
アラブ諸国では、1神教のままで、西洋のように宗派の違いによる宗教戦争の時代すらまだ経験していません。
ところで、イスラムの教えはダウ船の発達による商業活動の広がりにあわせて広がって行ったことを以前書いたことがありますが、(アラブの本拠地に比べてインドや湿潤な東南アジア諸国とは、気候風土が全く違いますので、硬直した教えでは広がらなかったと思われます)キリスト教のように異教徒に対してさえ排他性が少なく、寛容な宗教なので、ましてや宗派間のちょっとした違い程度で殺しあいの紛争が起きなかったのではないかと思われます。
この辺は日本人が宗派の論争にあまり価値を置かない・・一見無宗教のように見えるのと根が同じ・・通じ合えるのではないでしょうか?
日本人の場合、「郷に入りては郷に従え」と言うように「所変われば品変わる」と思うのが普通で、他所の国に行けば「へえーそんなこともあるの!」と違いに驚いて面白がるくらいが関の山で、気候風土の違う行った先で日本の価値観を押し付けたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか?
日本列島は南北東西に長いので、行く場所ごとに気候が違えば同じ作も持つで作る時期順序も違うし、違った産業(山村から海岸に出れば漁業があるなど)作物があるので場所が違えば生き方が違うことが古代から自然に身に付いています。
行った先の気候にあった生活をするしかないのは当たり前のことで、現地社会に溶け込むように努力している・・目立たないことが生きる智恵ですから、移民先で日本人街を作りません。
このように考えるとイスラム教徒は意外に日本的価値観に近いかも知れません。
今原理主義が勢いを持って来たのは、あまりもキリスト教的価値観による侵蝕・押し付けに危機感を持った若者が出て来たことによるのでしょう。
日本であまりにも韓国・中国による激しい日本に対する攻撃に対して、一部日本人に嫌韓・嫌中感情が芽生えて来たのと同じ構図です。
これをマスコミは日本や先進国では極右とか極左と言い、アラブでは原理主義とレッテル貼りしているだけのように見えます。
アラブ諸国の騒乱をイスラム原理主義勢力によるとマスコミが定義付けしていますので、皆さんもそのように理解していると思いますが(私もこのテーマで書き始めるではマスコミの言うとおりに誤解していました)が、まだ内部宗派間対立による激しい戦争まではやっていません。
原理主義だとか極右・極左と相手を貶めるレッテル張りだけでは、モノゴトの本質が見えないことが分ってきました。

原理主義と利害調整5(未成熟社会2)

現政権打倒を叫ぶ原理主義勢力は、現政権に反対している点で一見民主主義勢力のように見えますが、目的とするところは逆です。
軍事政権が欧米価値観と妥協して少しずつ戒律を緩めて自由化していることを批判しているのですから、彼らが政権を取れば、正面から原理だけ・・即ち一党・1神教独裁(イスラム諸宗派内でも、より純粋?硬直的教義実行を主張しているのですから、一応西欧的信仰の自由などを認める妥協的軍事政権や王制よりも、もっと偏狭な政権となります。
「文句を一切言わせない・原理の修正を一切しない結果→強権政治を!」と言うのが、原理主義運動の本質でしょう。
イランのパーレビ国王の専制体制を転覆したのはアメリカのカーター大統領の人権外交の成果?でしたが、実際に政権を取った原理主義者は、政教一致の原理主義で厳格な戒律が復活して(女性は外に出られない・スカーフの着用強制など)却って国民は不自由になってしまいました。
原理主義のママでは現実政治を(紅衛兵運動みたいな吊るし上げ・・恐怖政治は長続きしません)長期的にやって行けないので、その後徐々に穏健派が勢力を増やしていますが、もとの王制で得ていた程度の自由を復活するには数十年〜50年単位の時間軸で、かかるかな?と言う程度です。
それでも欧米の強制・押しつけられた結果より、自分たちの実力で選んだ政体の方が幸せと言う価値観で国民の不満を慰めているのでしょう。
民族は、自分たちの能力に応じた政治しか出来ないと言うところに落ち着くしかないようです。
イラクのフセイン大統領の圧政から解放した筈のイラクでは、収拾がつかなくなっているし、アフガンでも同様です。
数年前のチュニュジア、リビアに続くエジプトの政変では、民主化?された結果、信教の自由をある程度守っていた政権の重しが取れたことから、キリスト教徒に対する差別や迫害が始まっていたようです。
4〜5日前に起きたリビアでの、テロリスト「イスラム国分派?」によるエジプト人のキリスト教徒大量処刑事件は、エジプト騒乱・・民主化デモ以来の迫害から逃れるためにキリスト教徒が隣国リビヤへ出稼ぎに出ていたことが、事件発生の背景のようです。
事件は単なる政治闘争である「イスラム国」の過激事件と言うよりは、元々宗教原理主義=異教徒に容赦ない本質があぶり出されたことになります。
世俗政権であるエジプト軍事政権は、欧米の支持が欲しい以上はこれに報復攻撃するしかないのですぐに空爆で報復したのはこのような背景があるようです。
関係のない日本人人質処刑などで「イスラム国」が敵をドンドン増やして行くのは、一見愚策のように見えますが、元々彼らは多数の支持を得ること・・正義を目的としてはいません。
テロリストはテロで騒ぎを起こすのが目的・・一種の愉快犯であって、恒久的政権・・国民支持が必要な領域確保まで望んでいないのですが、たまたまイラクの元フセイン政権の残党(元軍人)がこの主力となっていることからか、「イスラム国」として一定の支配地域を確保したことで事態対応がややこしくなっているだけです。
テロリストの本音から言えば、支配地確保・・自分でいろんな意見を吸収しながら政治することに関心がなく、テロリストはテロすることが自己目的です。
テロリストがての結果一定の地域を支配してしまうと、その地域でテロする訳に行きません・・精々イキオイに乗って残虐性政治しかないのですが、それでは続かないし支配下の弱い人間をいたぶるだけでは面白くないでしょう・・。
昔から山賊は気まぐれに出没している程度だからやって行けるのであって、その集落や地域支配者になってしまうと必要な政治能力がありません。
彼らの本質は支配地を持たずに、第三者の支配地で騒ぎが大きくすればなるほど・・権威に挑戦することが楽しいのであって、対キリスト教の宗教戦争に広げて行けば、当面アラブ全域で自分たちの影響力・騒ぎを広げて行けると読んでいるからでしょう。
この辺・・テロ組織イスラム国主力の元フセイン軍残党の方は領域支配に関心がありますから、騒ぎを世界に広げて行くと折角の支配地域維持確保が出来なくなるので、拡大策への不満が生じて来て・・意見が割れて行くと思われます。

原理主義と利害調整4(未成熟社会1)

大統領制といってもドイツやインドのように首相が全権を握っているお飾り的な大統領制から、ある程度議会が機能しているアメリカ、韓国、フィリッピンやインドネシア方式から、独裁制に近いロシアの大統領制まで多段階です。
お飾り的な大統領を除けば、議院内閣制の国に比べて大統領の権限が強力・・原則として行政執行に議会の同意が要らない点が共通→その分複雑な調整過程が不要・・しかも任期の長い点(韓国では1期5年です)が共通です。
軍事独裁政権・または旧ソ連や中国の共産党政権は、大統領制に移行するまでの過渡的社会形態ですから、社会の発展段階・・能力に応じて利害調整努力している点では、軍事政権・独裁政権と言ってもいろいろなニュアンスがあります。
調整能力のない民族が社会状況を無視して、民主主義を導入して、民意をまともに聞いていると国民は勝手な主張ばかりで妥協を知らない以上は、混乱し、内部紛争が激しくなるばかりです。
これが独立後のアフリカ諸国で発生した内戦・・部族紛争多発の原因でしょう。
未成熟社会では、アメリカや韓国のあるいはロシアのような大統領制にして任期中民意を直接問題にしない強権発動形式(国情によってニュアンスの段階がありますが・・・)にするか、そこまで行かない社会では専制的な軍事独裁体制(選任が民意によらないだけで日常業務が直接民意に縛られない点では大統領制と運営方法は同じです)が似合いです。
これが新興国で言われる開発独裁が賞讃される所以ですが、調整能力のない民度の社会では、民意を一々聞いていたら何事も進まない点では、開発に限りません。
開発独裁がうまく行くのは、タマタマキャッチアップは簡単で成功率が高く、開発→急成長があるので民意無視の強権政策のマイナス点・不満が陰に隠れているだけあって、成長が止まると矛盾が吹き出して(民意無視で我慢させられていた不満が吹き出して来て)独裁政が行き詰まります。
日本で言えば成長さえすれば、財政赤字や自殺問題が解決しそうになるのと同じで、成長が全ての解決策の底上げ材ですし、逆から言えばマイナス成長は全て不満・矛盾拡大の根源になります。
この危機感に揺れているのが、中国の成長鈍化リスク→習近平政権による内部引き締め策・・その次に用意されるのは粛清に継ぐ粛清をして来たスターリンのような恐怖政治でしょうか?
勿論軍事政権も民意を全く無視して良い訳がない・・国民の支持があった方が良いに決まっていますから、国民に支持して欲しい点では民主国家と本質は変わりません・・ここでは、法形式の違いと強権政治を受入れる国民意識の違いを書いています。
原理主義勢力とは、軍事・または独裁政権が、国民支持を求めるために徐々に進めている近代化・(トルコやサウジで言えば世俗化の進行))妥協を許せない、超保守・反革命勢力(例として言えば、中国の文化大革命・・アラブの女性にスカーフ着用を強制しろと言う原理主義)ですから、アラブ諸国での原理主義による反政府運動=民主勢力とするかのような歓迎論調のマスコミ報道姿勢は間違っています。
アラブの春で勢いを持っている原理主義グループは、(世俗に汚れた?)軍事政権よりもモット純粋に信教の自由を許さない・その教義もイスラム教徒内での偏狭な強硬一筋の宗派の意向の独裁体制の復活を求めているグループのようです。
(アメリカでもキリスト教の一派で特定教義にこだわる宗派があると言われますが、その宗派を過激運動体にしたようなものか?)
アメリカの茶会党も、利害調整を拒否する=他者の主張との妥協・利害調整を一切認めない傾向が強い点では、宗教に本籍を持っていないとは言え、アラブの原理主義者と傾向・本質は同じです。
アメリカは中東アラブ諸国での軍事政権打倒運動勢力を、反政府=民主主義議勢力であるかのように(マスコミ同様に誤解していて)応援するか、応援しないまでも民主勢力に軍事政権が妥協すべきだと言うスタンスが多い・・エジプト軍事政権に非協力になっているのがその結果ですので、中東・アラブの混乱が却って広がっている感じです。

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