近代法理の変容9(破綻・日本固有の法理1)

殆どの経営者や親は裁判所の・・「もっと監督すべきだった」「監督不行き届きの過失がある」と言うこじつけ的過失認定論理に納得していませんが・・何をしていても駄目(過失がある)と言う裁判に対して、親や経営者としてはどうすれば良いのだと言う不満があります。
元々一家あるいは組織の構成員が何か不祥事を起こせば、その組織全体で責任を負うのは我が国古代からの法理でしたが、西洋近代の個人責任の法理によれば、子供がやった責任を親が負う・・従業員がやったことを別の人格者である経営者に負わせるのは論理的に無理があります。
しかも意思責任を問う近代法理によれば、その事件に直接関係していない親や経営者の責任を等には、何らかの、「故意または過失責任」を認定(擬製)してその責任を問わざる得ませんので、以下のような監督責任を問う法律になっています。
そこで裁判所は、経営者や親が「監督責任」を怠った・・と認定して企業等に責任を負わせる判決をするのですが、親や経営者・企業担当者に対する固有の責任認定・・過失があると言うだけで・・あなたが「悪かった」と端的には言ってませんが、「過失があるから責任がある」と言われている方はあなたが悪かったと言われているような感じを受けます。
親だから・・親方だから、仕事中の事故についてはあなたが、責任を取ってくれと言われた方が納得し易いのです。

民法
(責任無能力者の監督義務者等の責任)
第七百十四条  前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2  監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も、前項の責任を負う。
(使用者等の責任)
第七百十五条  ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2  使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3  前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。
動物の占有者等の責任)
第七百十八条  動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときは、この限りでない。
2  占有者に代わって動物を管理する者も、前項の責任を負う。

自分は親として、使用者として子供や従業員の不始末に対して責任を負う必要があるのは分るが、自分に過失があり、悪いことをした本人であるかのように言われると釈然としない国民が大多数です。
車で言えば、国が免許を与えているのを信用して運転手を雇っているのに、経営者が何故運転手の運転ミス・交通事故について「過失」責任を持つのだと言う意見もあります。
要は「あなたが悪い」と言うのではなく、
「従業員・あなたの子供の方が悪くてこう言う結果が出れば、組織体として、親としての責任を取るべきでしょう」
と言う私のような弁護士が説得をすると、古代からの日本社会の価値観自体を否定する人は滅多にないので、(自分が何か悪いことしたかのような裁判には納得していませんが)私の説明には納得して引き下がっているに過ぎません。

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