財政出動2(増税1)

赤字国債は好景気になったら増税して取り戻す予定で始めるのですが、せっかく立ち直りかけた景気に水を差すと言っては、国民・政治家が反対し続けるので、内需刺激策が普通の状態になってしまい、一旦始めると、これをやめることが出来なくなります。
October 18, 2011「国際競争力低下と内需拡大1」以下で連載しましたが、内需拡大(財政出動)政策は、国際競争に負け始めたことによって、国内生産減少による失業増大・・あまった労働需要を吸収するため(失業対策として)に始めることが殆どです。
(輸出減少または輸入拡大による生産縮小は景気の波動による不景気と生産縮小の結果が同じですが、景気の波動による縮小では有りませんから、景気対策と称するのは誤りです)
過疎地などへ補助金投入(その地域の内需拡大)も、過疎地域の産業空洞化が原因ですから原理は同じで、域外出荷出来るような地場産業が育たないで空洞化が収まらない限り、その土地の人口が少なくなって廃村になるまで続けるしか有りません。
とすれば、国際競争力を回復しない限り何年経っても労働力余剰のままである点は変わりがないのですから、いつまでたっても内需拡大政策・・不要な公共工事等の財政支出をやめることは出来ません。
我が国が20年くらい内需拡大・公共工事を続けざるを得なかった原因です。
今はさすがに公共工事は不人気ですので、就労対策として介護関連支出への応援団が多くなっていますが、失業救済・外貨を稼げない点は同じです。
(過疎地の場合には、時間を掛けて安楽死・・次第にその地域の人口減少を待てるので次第に失業人員が減って行く点が違います)
輸出がジリジリと減る傾向の国にとっては、(私の持論である人口減政策を取らない限り)数年経っても一時しのぎ的内需刺激策を廃止するどころか、更に輸出が減って行くばかりですから、増える一方の失業者を吸収するために財政支出を逆に追加していくことにならざるを得なくなります。
個人でも団体でも1%の生産が減れば、生活水準を1%落とすしかないのが原理ですが、それをするには、仮に1%の失業救済資金が必要ならば働いている人から1%増税してそれを回すしかないことになります。
景気対策としては前回書いたように増税はマイナス作用が有りますが、景気の波動対策の場合、持ち直しがありますが、構造不況・・輸出減少に対する対策は本来景気の波とは関係がない・・数年待てば生産が自動的に回復することは有りません。
輸出減少による生産縮小の場合は別の観点・・ここは分担方法の観点が必要です。
みんなが1%仕事を減らしてシェアーするワークシェアリング論も同じ論法です。
10人の会員のうち収入ゼロになった一人の生活を救うには残り9人が1割ずつ拠出するしかないと考えれば単純明快です。(全員が9割の水準になります)
各人の拠出(増税)を嫌がって(不景気になるという理由で)、会の名義で他所から借金して救済しようとしているのが今の政治です。
しかし、上記のとおり、輸出減による生産縮小の場合は、景気循環による生産縮小ではないのですから所得税を増税しても国内資金量は同じですから、不景気・経済縮小にはなりません。
法人税を上げると法人が萎縮して経済活動も縮小するので、景気に悪作用ですが、所得税が上がっても国民の勤労意欲は変わりません。
また、所得税が少し上がっても消費額自体はこれにピッタリ反比例して減少するものではありません。

金銀輸出と日本2(国産志向)

グロ−バル化の進んだ今でも、最先端技術の結晶である携帯電話市場においてもガラパゴス化と言われるほど特に我が国では特異な進化を遂げる国です。
カルフールその他海外流通大手が参入しても根付くことが出来ず、殆どが撤退して行きくのは生活習慣の違いが大きすぎるからでしょう。
昔から日本は外国とは生活習慣・様式の違い・特異性が際立っているので、海外製品そのものをそのまま日常生活に持ち込むことは不可能に近かったことが幸いして国産化努力が必要であったのかも知れません。
国産化が進めば、自然に先進的な製品が国内で大量に作られるので、一般化され易く、国内水準が平準化して行きます。
アラブの産油国あるいはインド等では貧富格差が大きかったのは、生活様式が基本的に欧米先進国と同じなので金持ちは先進国の出来上がった生活様式をそのまま輸入しても違和感がないところにあるように思われます。
世界中で日本以外の国では、宮殿は石造り(あるいは磚や煉瓦等)が基本ですから、権力者は巨大なものを造れますが、日本の場合は木造ばかりですから、権力者になっても巨大化の程度は限られています。
せいぜい五重塔やお寺の山門や本堂くらいです。
(雨の多い東南アジアは別かも知れませんが・・タイだったかマレ−シャだったか忘れましたが、どこかで高床式で日本の桧皮葺きのような屋根の反り返った古い王宮を見学したことが有ります。
しかし、タイの古都アユタヤに行ったときにレンガ作りの塀やパゴダが林立するのを見てきましたし、アンコールワットを見ても分るように原則はレンガや石造りでしょう)
木造社会の日本でも、織豊から江戸時代初期までは、姫路城・熊本城のような巨大な天守閣が造られるようになりますが、それも直ぐにやめて行きます。
(江戸城天守閣は再建されないままになりました)
日本人には大きすぎる家は使い勝手が悪いのです。
それまでは、最大でも大仏殿あるいはお寺の本堂かせいぜい五重塔くらいしか造れず権力者と言えども自宅用に大仏殿のような大きなものを造るのは恐れ多い意識だったでしょう。
天皇家も何故か大きすぎる皇居に住むのを嫌がって?適度な広さの御所から移住しないまま皇位継承後23年もたちました。
アラブの王族は成金であってもその町・インフラが近代化出来るようになったのはこの20年ほどのグローバル化が進んだ結果であってそれまでは、街全体の近代化を出来ないので、、王族が一着何百万の毛皮や洋服を注文したり自宅屋敷の豪華さを競うくらいしか出来ませんでした。
数十年前までは、インフラ自体の輸出・グローバル化ができなかったので、特権階級が点としての自宅居館だけ豪華にする贅沢くらいしかやりようがなかったとも言えます。
20年以上前に家族で中国の広州郊外をマイクロバスで旅行したときに、どろんこ道を4〜5時間走って休憩する施設で車が止まると、いきなり竜宮城のように一角だけ豪華な施設が出来ていたのには驚いたものです。

利子・配当収入(鉱物資源)で生活する社会2

対外債務国に転落した時点でいきなり「所得収入(利子・配当等の送金が)ゼロまたはマイナスですから働いて下さい」と言われても、それまで100年近くも働かないで輸入品に頼った生活をしていると技術喪失してしまっているのが普通です。
対外債務国に転落したときにいきなり輸入品に負けないほどの仕事を出来る訳がないのでそのときのことを今から(余計なお世話かも知れませんが・・・)心配しています。
今のアフリカ諸国のように、どうにもならない状態に陥ってからでは遅いのです。
尤もアフリカ諸国は一回も先進技術を持ったことがないのに比べれば、一度世界最先端でいた日本が復活するのは可能ですが、それにしてもそのときには大変なことになります。
昨日製造業で失われた雇用が570万人と紹介しましたが、570万人そっくり失業するのではなく、介護等福祉やその他サービス分野で吸収しているので、ある程度みんなが働いているのですが、国際収支が赤字になったときに必要な技術は老人介護・やサービスではなく製造して輸出する能力です。
保育園や床屋さんや居酒屋が世界的に有名になって日本まで散髪に来たり子供を預けに来る人、飲酒に来る時代がくるとしても、極例外で数は知れています。
介護や医療技術は一部輸出出来るかも知れませんが(フィリッピンのようにベビーシッタ−を富裕国へ輸出して出稼ぎ労賃の本国送金も有りますが、そんなことを期待するのは悲しい話です)これらの基本は支出型・輸入赤字産業でしか有りません。
医療や福祉保育士などの需要がいくらでもあるという論説が多いのですが、これまで何回も書いて来たように、これらは国際収支で見れば海外からの輸入があって(輸入資金があって)成り立つ産業でしか有りません。
一家に喩えて何回も書いていますが、働き手が失業して手が空いたからと言うことで庭掃除をしたり、老母の病院への送迎あるいは身の回りの世話をして働いているとしても、一家の収入がないことは同じです。
貯蓄を食いつぶしたころには、以前働いていた技術が陳腐化してしまって最早どこも雇ってくれないとしたら、馴れている老人介護しか仕事が有りません。
これを国家に当てはめると、蓄積が底をついた頃にもう一度輸出産業を起こそうとしても誰も技術がないので、そのときに元気な中国や韓国の掃除夫や介護士・子守りとして出稼ぎに出るしかないということでしょう。
所得収支の黒字(対外債権の蓄積)は、今回の大震災等のような被害が続いた場合の備えとして5〜10年分食べて行ける程度の臨時の備えとして役に立つ程度にしておくのが健全で、それ以上溜め込むのはむしろ害があるとも言えます。
個人の場合で言えば、景気の悪いときあるいは病気等に備えて一定の蓄積が必要としても一生遊んで暮らせるほど、溜め込んでしまうと働くことを忘れてしまう害があって行き過ぎです。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と古来言われますが、多すぎると亡国(個人で言えば亡家?)破綻の危険が有ります。
金融資産であれ地下資源であれ蓄積が多すぎて、自分の一生どころか次世代3世代まで遊んで暮らせるほどもあると次世代以降が怠けてしまうリスクが大きくなります。
どこかで読みましたが、ナウル共和国という珊瑚礁の国のお話は示唆に富んでいますので次回以降紹介しておきましょう。

国際競争力低下と観光亡国2

国内観光者相手ならば税を使って国民に対する福祉行政の一環・・サービスしていると評価出来る・・市街地に街灯を設置したり階段にエスカレーターを付けているの同じ価値がありますが、これをわざわざ税を負担していない外国を呼んで来て税で造ったインフラを無償で利用させる必要が有るのかの疑問です。
税投入もコストと考えれば金儲け=業にはなっていません。
税金を使って、あちこち石張りにしたり草花を植え込んだり手入れしたり、公的施設は冷暖房して快適にし、あるいは各種公共料金を安くしていますが、これらはみんなの税金で負担しているものです。
外来客は、こうした税負担なしに、公共物をただであるいはコスト以下で利用して行き、食事したり電車に乗ったりするだけです。
先進国になればなるほど税による公共施設が発達している・・インフラ整備が進んでいるのが普通で、その分利用者の負担は軽くなってます。
殆どの駅の階段にはエレベーターが設置されていますが、これなども無料で利用出来るものです。
アンデスなどの秘境観光では、インフラが何もなく、地元にお金が落ちるだけでしょうが、先進国では逆にインフラ整備が進んでいるので他所者はこれらのただ乗りをするので、来れば来るほどお金の持ち出しになるのが普通です。
個人の家に来るお客さんを考えれば分りますが、お客は手みやげを持って来るでしょうが、迎える方はそれ以上に家を綺麗にしたり花を買ったり、もてなしにお金を使います。
サミッとなどやれば、警備その他これに使う経費は膨大なものです。
他所ものを迎え入れる観光事業は公的施設に対する税負担を含めれば決して採算の取れる産業ではありません。
会員制ホテルや各種クラブでは会費負担している代わりに毎回の利用料金が割安に抑えられているのですが、同じ料金でビジターが使うと、会費を払っている会員は、損をする関係です。
外国人観光客は、まさにビジターでしかないのに、会費(税)を払わないで会員と同じ利用料金で同じサービスを享受出来るのは不当な結果です。
国内日帰り観光客は、個人の家に来た客で言えば、自分の食材だけ持って来て訪問先の家の冷暖房、厨房機器、トイレその他を無償で使用していて、大きな顔をしているようなものです。
料理をするにはその家に用意しているいろんな道具ガス電気水道を使うのですが、これの負担をしないのですから迎え入れる方は持ち出しです。
お客はこちらから招く以上は、ある程度経済的には持ち出し・マイナスでも仕方ないですが、(このために招いてもいないのに勝手に客として押し掛けるのは嫌われます)招いてもいない外国人が勝手に来て、みんなの税負担でやってるゴミの収集その他のサービスを無料で使って行くのを有り難がる必要は有りません。
その上、その他の産業と違って観光に寄りかかると国民が努力して技能を磨くことを忘れて怠惰になるし、卑屈(裏返しの感じの悪さ)になって行くだけの亡国の産業(と言えるかな?)です。

円高対策4(資金還流2)

個人で資金に余裕のある人は、海外債券投資して満期が来ても、あえて円に両替しないでそのまま外貨で保有していて、チャンスが有ればまた別の外貨建債券を買うようにしていけば、いくら元金償還や利息収入があっても国際収支に関係がなくなって円高にはなりません。
現在各国の紙幣の信用がなくなって金地金などの実物へのシフトが起きていて、金が高騰していますが、日本人は昔(バブル直前頃)高値でつかんで損をしていたので「やれやれ売り」の人が多いらしく、最近の日本は金の輸出国になっている模様です。
このような動きは金地金をドル等で売って入手したドルを円に替えることになるので余計円が値上がりする要因です。
金の売却もレッキとした商品輸出ですが、この種の輸出は、国内産業には何の貢献もしないのに円が上がるだけですから、一般の貿易黒字による円高よりも悪い円高となります。
金地金の輸出も貿易収支にカウントされますが、国内経済に与える効果は所得収支と同じですから、円の急騰時にこの種の物を売り急ぐのは、円急騰の応援団みたいで「一種の非国民?」かも知れません。
金地金類は、イザというとき・・日本が資金繰りに困ったとき・・超円安時にこそ持ち出すべきものであって、外貨が集まり過ぎて困っているときに売るべきものではありません。
個人で言えば、お金に困ってお宝を換金するべきものであって、お金がだぶついているときに換金するべきものではないでしょう。
円高を国民みんなが困ると思っているならば、このような円高のときこそ高くなった円で安くなった海外品(金地金や土地や鉱物資源)を買い漁る方が合理的ではないでしょうか?
個人で海外債券や物品を買うのが怖いならば、トヨタなど日本企業の起債に応募して集めた資金でトヨタ、本田などが海外投資するのを応援して行く・・日系企業の海外投資を増やして行くしかないのかも知れません。
この場合は、一時的に資金が出て行きますが、満期が来たり利子受取で結局国内に還流して来るので、一定期間経過すると所得収支の黒字増大で、結局は円高になります。
(これが積もり積もって年間10兆円前後の所得収支の黒字になっているのです)
ですから資金に余裕の有る方は国内企業に投資せずに海外債券(たとえばトヨタのを買いたければトヨタの外貨建債券を買えば良いのです)を直接買って外貨のままで回して行く方法が一番円高阻止力が有ることになります。
ただ、この方法は、貯蓄が有ると言っても実際には使えない・・使うために円に替えると円高になってしまい、国内企業は実力以上の為替相場に苦しめられてしまうので、愛国心のためにいつまでも外貨で持っているだけ・・言うならば高嶺の花を眺めているような心境になれと言うことです。
自分の稼いだ貯蓄であれ、親からの遺産であれ、働かずに使うのは必ずその報いが来ることになるので、貯蓄は(金地金同様に)イザというときのためにとっておくだけの価値と思い定めるしかないでしょう。
国内預金だって満期が来たら元利をそのまま再預金して行く人の方が多いのですから、実際は同じことです。
この方法は、アメリカの債権(国債・公的機関債)ばかりに投資するリスク回避になるばかりか、分散投資先からの収入源にもなる外に円高対策になりますし、将来のためにも有益です。
以前書きましたが,アメリカがドルと金との交換を停止して以来アメリカに限らずどこでも野放図に不景気が来る都度,景気対策として過剰流動性政策をとって来たので、世界中に紙幣が溢れ過ぎています。
これの状態を一旦解消するには世界中の紙幣を一旦無価値化して、適正量に新紙幣発行をし直すしかないところまで行く(世界中央銀行の統一紙幣の発行)しかないのかも知れません。
ここは、10月23日に書き始めたアメリカの危機が現実化して(紙幣)を基準にした貯蓄・債権は一旦ゼロ・無価値になる可能性に基づいて書いています。
現在の国別紙幣制度の崩壊は、アメリカのデフォルトまで待つことになるのでしょう。
10月23日まで見て来たように、アメリカは既に赤字の累積が半端ではないので、(借金が雪だるま状に増えて行くサラ金地獄に陥った個人同様です)今ではいくら努力しても返せそうもありません。
この際開きなおって、これからも借りられるだけ借りまくって適当なところでデフォルトして、日本や中国の鼻をあかそうと考えていてもおかしく有りません。
個人が一定以上の借金をしてしまうと自助努力では返せないので、破産してしまうのと同じです。
破産して困るのは債権者の方であって、破産者では有りません。
だから債務者は苦しい中から、親族から借りてでも、弁護士費用と裁判所予納金等を工面してでも破産する人が多いのです。
困るのが債権者であるからこそ、貸す方は相手が返せそうかどうか予め信用調査をしてから貸しています。

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