ギリシャ危機と観光亡国3

花火大会、国際マラソン大会その他各種行事なども,警備費用・・警察の出動などは税で行っているし横断幕・救護所、水の補給その他の諸設営はボランテイアその他無償で成り立っているものであって,来る人はその日近くで昼食をとるくらいのことでしょう。
いろんなイベントは地元の各種の無償協力で成り立っているものであって、これを全部有償で行ったら大赤字の筈です。
国民相手の場合は,赤字でも国民への福利厚生だと思っていれば意味が有りますが、税を使って用意した各種公的施設を外国人に無償で使わせる必要は有りません。
観光業(と言ったら叱られそうですが・・)でも、京都のお寺の場合には、庭園維持のためには日々の努力・・美的センスの磨きをかける必要が有るので、長い間に蓄積した技術・美的センス・・文化を基礎にした産業も発達して行きます。
庭園は植木中心ですので、これらは日々成長したり枯れたりするので、間断なき手入れしたり入れ替えたりの工夫・努力が必要です。
これに対してその他の自然景観や仏像・遺跡などを見せ物にする場合には、その周辺で待ち構えてやって来た客相手に物品を売る程度、あるいは旅館で儲けている場合でも、観光そのものに対する努力・技術革新のモチベーションが有りません。
たとえば、華厳の滝自体の更新作業は有りません。
業とは、弁護士で言えば、法的処理能力を磨くことに関する関心が99%であって事務所を綺麗にするかどうかはその周辺努力でしかないのですが、観光の場合,観光そのものを磨く仕事がないので,これを「業」というにはおこがましい感じです。
画家、彫刻家、音楽家、医師教師その他の職種でも磨きを掛けるベキものはその事業そのものですが,産業と名がつくものはすべて・・自動車業界は良い自動車をつくることに磨きをかけているなど本業中心であることは皆同じでしょう。
観光の場合、観光資源自体に磨きをかけているのは京都のお寺の庭園維持くらいでしかなく、たとえば奈良のお寺は大仏であれ新薬師寺であれ、立派な仏像が有るのが却って逆効果で有るものを単に見せているだけです。(たまに埃をはたいていますが・・)
お寺で拝観料の徴収をしているだけでは、観光「業」の技術を磨くこともなく、人間としての成長が有りません。
新薬師寺や法隆寺などを訪ねると観光「業」としては、何らかの努力をしているようには全く見えません。
高校時代に読んだ堀辰雄の名文に引かれて、数年前に秋篠寺にも行ってきましたが、有名さにかまけているだけで、堀辰雄の描いたお寺の風情を維持出来ているようには見えませんでした。
高校時代の記憶と言えば、高校の修学旅行で大原三千院へ行ったのですが、数年前薄暮どきに再訪してみると今風にもの凄くあか抜けていて、感激したものです。
薬師時に関してはいきなり目覚めたのか、ここのところ新しい五重塔を建ててたり復元に忙しいようですが、これも復元工事が完成すれば、また有るものを見せるだけで終わることになるのではないでしょうか?
ところで、薬師寺の復元工事(今は一部完成)を見ているとすごく立派で(広々して気持ちのいい)ものですが、僅かな拝観料収入によって元を取れるような規模・コストではない感じです。
信徒による膨大な寄付によって、(一般観光地で言えば税でインフラ整備しているのと同じで)成り立っているのであって、これも観光「業」としての経済合理性がありません。

国際競争力低下と観光亡国2

国内観光者相手ならば税を使って国民に対する福祉行政の一環・・サービスしていると評価出来る・・市街地に街灯を設置したり階段にエスカレーターを付けているの同じ価値がありますが、これをわざわざ税を負担していない外国を呼んで来て税で造ったインフラを無償で利用させる必要が有るのかの疑問です。
税投入もコストと考えれば金儲け=業にはなっていません。
税金を使って、あちこち石張りにしたり草花を植え込んだり手入れしたり、公的施設は冷暖房して快適にし、あるいは各種公共料金を安くしていますが、これらはみんなの税金で負担しているものです。
外来客は、こうした税負担なしに、公共物をただであるいはコスト以下で利用して行き、食事したり電車に乗ったりするだけです。
先進国になればなるほど税による公共施設が発達している・・インフラ整備が進んでいるのが普通で、その分利用者の負担は軽くなってます。
殆どの駅の階段にはエレベーターが設置されていますが、これなども無料で利用出来るものです。
アンデスなどの秘境観光では、インフラが何もなく、地元にお金が落ちるだけでしょうが、先進国では逆にインフラ整備が進んでいるので他所者はこれらのただ乗りをするので、来れば来るほどお金の持ち出しになるのが普通です。
個人の家に来るお客さんを考えれば分りますが、お客は手みやげを持って来るでしょうが、迎える方はそれ以上に家を綺麗にしたり花を買ったり、もてなしにお金を使います。
サミッとなどやれば、警備その他これに使う経費は膨大なものです。
他所ものを迎え入れる観光事業は公的施設に対する税負担を含めれば決して採算の取れる産業ではありません。
会員制ホテルや各種クラブでは会費負担している代わりに毎回の利用料金が割安に抑えられているのですが、同じ料金でビジターが使うと、会費を払っている会員は、損をする関係です。
外国人観光客は、まさにビジターでしかないのに、会費(税)を払わないで会員と同じ利用料金で同じサービスを享受出来るのは不当な結果です。
国内日帰り観光客は、個人の家に来た客で言えば、自分の食材だけ持って来て訪問先の家の冷暖房、厨房機器、トイレその他を無償で使用していて、大きな顔をしているようなものです。
料理をするにはその家に用意しているいろんな道具ガス電気水道を使うのですが、これの負担をしないのですから迎え入れる方は持ち出しです。
お客はこちらから招く以上は、ある程度経済的には持ち出し・マイナスでも仕方ないですが、(このために招いてもいないのに勝手に客として押し掛けるのは嫌われます)招いてもいない外国人が勝手に来て、みんなの税負担でやってるゴミの収集その他のサービスを無料で使って行くのを有り難がる必要は有りません。
その上、その他の産業と違って観光に寄りかかると国民が努力して技能を磨くことを忘れて怠惰になるし、卑屈(裏返しの感じの悪さ)になって行くだけの亡国の産業(と言えるかな?)です。

国際競争力低下7と観光亡国1

国民の御機嫌取りのための内需拡大政策は、国内産業を強化して外貨を稼ぐどころか、却って資金流出加速策・・・対外借金増を繰り返していたので、その咎めが遂に出たのが、リーマンショックを単純化したストーリイです。
不景気が来れば内需拡大よりは韓国のように極端なウオン安にして行って輸出増加政策をするのが(相手にとっては失業の輸出で困りますが・・)正しいのです。
アメリカの場合、強いドルを演出しないと沽券・過去の栄光に拘ることから、連続的な貿易赤字なのに強いドルを軍事力・金融支配力で下支えして来たのですから,無理は無理ですからいつかは破綻します。
無理の咎めがリーマンショック以降の現在のドルのじり安に繋がっているのです。
ただし、世界中が質素倹約で売ることばかり考えていると世界全体の需要が減退してしまい、まさに世界大恐慌の到来ですから、黒字国は内需拡大して赤字国は内需を縮小して(歯を食いしばって)技術を磨いて輸出力を回復して行くのが正しい処方箋です。
最近話題のギリシャ危機について、ここでちょっと書いておきましょう。
ユーロ危機震源地のギリシャなどは元々赤字国(対外純債務国)ですし、観光業も既に成熟していますから、これ以上財政支出による内需振興をやっていると余計国際競争力がなく増す。
内需拡大目的ですから不要な投資が多くこの設備投資負担が重荷になって高コスト社会になって行き、ひいては企業に対する税その他の間接的な高コストに繋がって結果的に余計国際競争力がそがれて行きます。
観光業などにシフトしても同じことで道路のタイルばりなど無駄なインフラ整備でその負担が税に跳ね返ってきます。
根本的解決には内需拡大よりは輸出力回復によって外貨を稼ぐことしかないのですが、長年輸出競争で負け続けている国が短期に輸出力を回復することは不可能です。
外から稼ぐ能力がなければ、山で遭難したときと同じで、先ずは身の丈を縮めて風圧を避けるのが本則です。
ずばり言うのは気の毒ですが、外貨を稼いでいる範囲まで「節約・生活水準を落とすしかない」と言えば分りよいでしょう
ギリシャ国民よりも生活水準の低いスロバキアが、支援策に最後まで反対していたのはこうした背景があるからです。
輸出競争で負け続けているのはそれ相応の原因がある・・知的レベルが低いとか不器用とか根気がない、あるいは技術の蓄積がないなど長期的要因によるところが大きいので、長期的な計画的施策が必要で短期的対応策などあり得ません。
政府や市町村の行政府・政治家は、50年単位の長期的施策では自分の成果にならないので、直ぐに手っ取り早い観光とか、イベント開催に走りがちです。
観光立国と言っては、キャンペインにお金を使い、駐車場を整備し遊歩道や休憩所や手すりを造るなど土木工事が中心で、土木業者が潤うだけですので、公共工事中心の内需拡大は人気がなくなったので言葉を変えているだけでしょう。
観光立国とは形を変えた内需振興でしか有りません。
これをもって観光「産業」と言うか疑問が有りますが,観光業には何の教育訓練も要らず、何とか県民会議などの会議さえ開いていれば良いので安易すぎます。
20年ほど前に姫路支部の裁判に行った際に、2泊して竜野の城下町を散策しましたが、このときに童謡の里と言う公園に行ってみると綺麗に整備された食事処が出来ているのですが、そこで食事するのは私たち夫婦だけでした。
時々観光バスが来るのですが、さっと見てトイレに行ったりゴミを捨てて行くだけで誰も食事などしません。
大型バスが入れるような広い道や大規模な駐車場整備など億単位の税金で使っているのでしょうが、観光客は公の施設をただで利用して行くだけでした。
千葉県内の大多喜城へ行ったときのことを昨年あたりに書いたと思いますが、駅から少し離れた坂道にさしかかると小高い丘か山に掛けて(城は丘陵の上に有るので)歩道付きのしかも高価そうな欄干を付けた立派な道路が出来ておおきな駐車場も出来ているのですが、観光客は私たち夫婦の外はまばらで、(数人出会っただけです)お城管理や受付の人は4〜5人いたのと入り口付近にある食堂の店員がいたので、彼らの雇用には役立っているかも知れませんが、(お城の維持管理費用は博物館という別の項目で自治体から補助金が出ているのでしょう)食べているのは私達のように電車で来た夫婦くらいで、採算が取れているのか怪しい感じです。
竜野市の公園と共通して言えることは、食堂のパートのおばさん一人プラスアルファの職場を確保している程度にしては税金の使い過ぎではないかということです。

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